いまのしゅんかん -438ページ目

子連れだからこそ


彼とつきあってよかったなぁと思うのは、わたし自身だけではない。
子供たちにとっても、よかったのではないか、と思うのである。
娘にとっても、同じ目線でみられる遊び相手ができ、また息子さんにとっても刺激を与えてくれる年上の存在ができたわけである。
娘がやっていることを、そのまま真似しようとするところなど本当にかわいいなと思う。
兄弟がいたら当たり前のように享受できる環境を、一人っ子である子供同士がユニットを組むことによって獲得できたのである。

そしてまた、わたしたちが知り合うきっかけを与えてくれたのも、ほかならぬ子供たちである。
娘の存在なくして、わたしは彼と知り合うことはありえなかった。

彼とは同じ保育園の保護者同士の関係であるが、初めて会ったのは近所の芝生のところで娘が自転車の練習をしているときに彼らが保育園帰りに通りかかったときであり、そのあと彼と顔を合わすようになったのも大概スーパーの前とか、信号を待っているときなどであった。
いずれも娘が保育園で知り合っていた息子さんに話しかけたのがきっかけとなって、わたしたちも会話を交わせるようになったのである。

しかし、互いに妙だなと思っていたのだった。
両親そろって育児をシェアするのが普通のこの国で、休日も含めて常に一人で養育している状況だったから。
お互いに、「ひょっとしてフリーなのかも?」と疑いをもちながら、急速に相手に対して興味をもつようになるのだった。
でも彼は結婚指輪をはめていて、普通に奥さんの話をし、わたしも「結婚している。」と明言していたので、互いに興味をもちあっていることを認識できず、即座に関係が発展したわけではなかったが。

結局、ある日突然彼が結婚指輪をはずしていることに気がついて、「結婚しているの?」とわたしが問い詰めたことから、真実が露呈し、互いに好意を寄せ合っていることを認識するに至ったわけであるが、互いに興味をもつようになったのは、「一人で養育している」事実あってこそである。
わたしは彼が頻繁に息子さんにキスするしぐさをみて惹かれるようになったし、彼はわたしが外国でたった一人で工夫をこらしながら娘の養育を担っていることをけなげと感じたようだ。
そして、子供がいるから、子供がいることによって生じる苦労を理解している人が好ましいと思うのが自然である。

そういう意味で、娘が彼を引き寄せてくれたように思えてならない。

困難のシェア


娘全快!
、、、と思いきや、今度は彼が発病!!
症状は彼の子供の病気とまったく同じで、度重なる嘔吐、下痢に見舞われている。
ある意味で、発熱よりも苦しいらしい。
発熱だったら寝ればいいが、吐き気がおさまらないとおちおち横にもなれないからだ。

あまりにもつらそうなので、今度はわたしが息子さんを引き取ることにした。
とはいえ、復活したばかりの娘が息子さんの面倒をおもにみてくれ、寝かしつけまでしてくれたのでわたしはほとんど世話はしなかったが。

と日記を書いていたら、どうも睡眠中の息子さんの様子がおかしい。
顔も赤いのでもしやと思い、熱を測ってみたら、、、発熱!!!
鼻も垂れていたので、娘から病気をもらったに違いない。

あーー、やはり好意に甘えるべきじゃなかったか?と後悔。
お父さんのすすめで、病気の間彼の家にご厄介になっていたのだ。
火曜日は息子さんは意図的にご両親の家に連れていってもらったのだが、水曜日は子供たちが互いに恋しがっていることを慮って息子さんを引き取ったのだった。
水曜日の夜、熱のある娘の隣で息子さんを寝かしたので、それでうつってしまったのかもしれない。

これが魔のトライアングル。
12月も娘以外、ご両親ともどもみんなして発病してしまったのであるが。

それよりも、もっと後悔していることがある。

実は、彼が嘔吐を繰り返すようになる前、彼に対して文句を言っていたのだ。
金曜日に、急遽元奥さんが彼のアパートに来たいと言っているとのことで、それだったらほとんどわたしが購入している食材を勝手に使うのはやめて欲しいと言ったのだ。
前回、彼女は夕飯時に来て、彼の家にある食材だけで消費しきれないほど大量に料理し、しかもかなりキッチンを汚していったのが嫌だった。
今、食事に関してはほとんどわたしが管理していて、それどころかそのほかの家事もけっこうこなしている。もちろん食費にかかる費用は折半ではあるが、かなりの部分でシェアしていて、キッチンとかも常にきれいに磨きあげているのに、すでに出て行った彼女にいまだ我が物顔でふるまわれるのが気に入らないのである。
大体、わたしもいかに節約するかで、消費とコストのバランスを考えながら食材を購入している。それを、湯水のように使われたらたまらない。

もちろん、彼女もこの市に住むようになれば、ときどき保育園から引き取って一晩一緒に過ごし、翌朝また保育園に連れていくこともできるようになるだろう。
だけど、今週はこの国の冬休みにともない、彼女は完全休暇のはずなのに、昼間息子さんを引き取らずに夕方少しの時間だけ彼の家に行って息子さんに会いに行くというのが、どうも手抜きのように思える。
息子さんには会いたい。だけれども、長時間面倒をみるのはいやなのである。
親なのに、育児のおいしいところどりというのが気に入らない。

というような文句を延々と言ってしまったのである。
発病するであろう彼に!
すでに具合悪そうな気配をみせていたのに、元奥さんのことでぐちぐち言ってしまった自分がなんとも大人げない。
娘の面倒もみてくれたし、もっと気を遣うべきだったと反省、、、。

だけど。
わたしたちは家族のようだけど、家族ではない。
たとえわたしたちが結婚したとしても、法律上娘は彼の娘にはなりえないし、息子さんはわたしの息子にはなりえない。
助け合うことはできるけれど、責任を負う必要はなく、まったくの任意によってなされるものなのである。

まぁ、でも一緒にいる限り、影響を与え合うことは必至で、こうして病気を与え合うこともそうだし、それぞれの問題をシェアしあうことにもなる。
彼とつきあうまでは退屈なほどに平穏だったのに、今や問題のない状態がないというほど常に問題に見舞われている。
その分、楽しいこともたくさんシェアしているが。

かつて先輩が、「お互い独立しあっているもの同士が、パートナーシップを結べたら最高だね。お互いい刺激を与え合って成長できるだろうしね。」と夢を語ってくれたが、はっきりいってそんな関係ありえない。
お互いいいとこだけ刺激を与え合うような関係だったら、友達どまりにしたほうがいいと思う。
恋人、ましてや伴侶だったら、苦しいことをシェアしあうのは当然のことである。
苦しいときこそ支えて欲しいと思う相手こそが、もっとも信頼や愛情を寄せているパートナーであるだろうから。
逆に言ってしまえば、苦しいときに支えてくれないような相手だったら、いなくていいと思う。助けてあげたいとも思わないし。
まぁ、夫がまさにそういう人だったわけで。

家族じゃないのに、お互いに困難を共にしようというモチベーションは、わたしたちの関係から生まれる。
わたしは、彼のことを心から愛している。
そのきもちだけで、困難に立ち向かおうとしている。

責任と援助


発病した娘を元気づけようと、シンデレラにはまっている娘のために作ったお菓子のお城。
塔の屋根はパイ生地を焼いて作りました。


娘の風邪をそれほど深刻にとらえてなかったが、火曜日の夜に急に発熱し、水曜日、木曜日には休んだ。
日本の帰国前に限って、、、子供ってそんなものである。
おととしの年末など、帰国の前々日まで熱が下がらず非常にヒヤヒヤした。
それにしても、先週は結局1週間彼の子供が病気で、今週は娘で、本当に心配で消耗する。

昨日、彼のお父さんは、市の有力者と彼の元奥さんがこの市の公営住宅に入れるよう話をしてきたそうで、彼のご両親は身体的な問題があって思うように養育に協力できないこと、彼も仕事で忙しいことから、彼女が息子さんの養育を容易にするためにも、是非市営住宅に入居できるようお願いしたいと懇願したものの、結局、
「市営住宅は、それほど空きがなく、市民じゃない限りは入居の権利は与えられません。」とのこと。
ミーティングの意味などないのではないか、というほど、にべもない返答だったそうである。

しかし、電話で最初にお願いしたときには、非常にいい感触で、特例で入居を認めてくれるよう取り計らってくれそうな雰囲気を醸し出していたのに、このミーティングでは一切聞く耳持たずという感じで、おかしいと思ったそうだ。
これはあくまでもお父さんの推測だが、市役所のひとたちはミーティング前に彼女について調べ、その結果固辞することに決めたのではないか、とのこと。
「外国人への差別ですか?」
「それは許されないことだからね。まぁ、理由を何も言わなかったのだから本当のことはわからないけれど、彼女はいろいろと市役所がらみで問題を起こしているから、その事実が露呈して今回の決定に影響したのかもしれない。なんといっても、語学学校を最低3回は無断中退しているし、市が斡旋した仕事も無断で辞めてしまったからね。」

この国は、無料で語学学校の就学を提供しており、逆にそれは外国人にとってのプレッシャーでもあるのだが、そのほかにも仕事を斡旋したり、トラブルや障害があれば、それなりに経済的援助もしてくれる非常に社会福祉の発達した国である。
彼女自身、自分では子供の養育をしていないにもかかわらず、3ヶ月に一度6万円の育児手当を受け、またトラブルに巻き込まれたときには給料の80%を市から受け取っている。
にもかかわらず、3度も語学学校を連絡なしで突然休んで国に帰ってしまったり、仕事も連絡せずにそのまま放置しているなど、非常識なことを幾度となくおかしているのである。

彼や彼のお父さんは、彼女がどんなことをおかそうとも、別居後も彼女への援助を惜しまずにやっているが、彼らこそは稀な存在であり、助けても礼すらも言わない、それどころか、逆に問題を起こされれば、助けようというきもちが喪失するのはごく自然のことではなかろうか。

彼すらも、
「助けても礼も言わないし、褒めても何も反応してくれない。そういうのを繰り返されるうちに、助けようという気が失ってきたんだよね。」
といっていたが。
確かに、今彼らが助けているのは、彼女のためというよりは、彼の息子さんにも大なり小なり影響することに限ってはいる。彼女にこの市に住んで欲しいと思うのも、何よりも息子さんを慮ってのことである。

今回の決定が、どんな理由でなされたのか、真実は不明のままではあるが、いずれにしても、彼女は関わるひとたちに対してもっと慮るべきであると思う。助けを得たいのなら。

実は、木曜日は彼に娘をみてもらってしまった。
火曜日には、超ロングランの家庭教師もしてもらったばかりなのに。
彼には、実によくしてもらって、恐縮の限りである。

そのせいなのかどうか、日本ではあんなに文句たらたらだった家事も、全然苦にならない。
むしろ、掃除することも、食事を用意することも、台所をきれいにすることも、楽しいのである。
今、彼らの台所もあずかっているので、前よりも家の仕事が激増し、買い物なども彼の分も考える必要がでてきたのだが、それが嫌だとは思わない。

日本でも、家事も育児も本当に嫌だったわけではない。
保育園に行くのは楽しみのひとつだったし、保育ノートにその日に気がついたことをぎっしり書くのも何よりもわたしがそうしたかったから。保育園の行事も好きでやっていたし。
だけど、やってもやっても認められず、育児も家事も苦しさや楽しさ学ぶべきことを一切シャアできなかったから、なんで自分ばかりこんな負担を負わなければならないのかと思っていた。

共感してもらえなかったこと、そしてわたしという人間をみてくれなかったことが、不満に感じる本当の原因である。

ただ、自分のことばかりを考えて、自分の権利にキーキーするのではなく、権利を享受するために最低限発生する責任というものも、負うべきなのではないだろうか。大人だったら。

彼女も、わたしの夫も、ただよりよい生活を求めるために結婚した。
それに伴う責任を省みず。
責任を負わずに、いつまでもいい生活を享受できると思ったら大間違いである。

彼とわたしは、助け合っている。

雪


大雪が、もう3日間続いている。
北国にしては雪はめったに降らないので、久しぶりにそりすべりをしようとしたら、娘は風邪をひいてしまった。
おそらく、日曜日に大雪であるにもかかわらず、車ではなく、バスと徒歩でパーティに行ったからだろう。その日に限って濡れやすい靴をはいていたので、きっと足が冷えてしまったに違いない。
幸い熱はなく、元気もあるが。

そういえば、今日はバレンタイン。
この国では認知されていないのか、ほとんどそういう様子もなく、うっかりすると忘れるところであった。
かといって何もしないのだが。
彼もすっかり忘れているというか、もしかするとこの行事を知らないのかもしれない。
でも、「M(娘の名前)にポテトスープなんてどう?」という彼の提案に、彼の大好物であるヴィシソワーズを作ってあげました。
娘は実はあまりヴィシソワーズがそれほど好きではないので、缶詰のみかん入りの牛乳かんを。

なんだかんだ忙しい日常である。

成長しあう場


マグロ、サケ、タラ、いくらのちらし寿司、卵・高野豆腐・干ししいたけ・きゅうり入りの巻き寿司。
タラは、お店のお勧めで買ったのだが、意外とおいしかった。彼は、「これは何の魚かわからない。」と言っていたけれど。


息子さんが完全復活し、とても充実した週末を過ごした。
結果的に、腹痛がなくなったのと同時に、息子さんは完全元気を取り戻し、再び娘と楽しく遊べるようになったのが、何よりもうれしかったしホッとした。
金曜日に、元奥さんは直前に訪問するのをキャンセルしたものの、息子さんはそれほど落胆しているようでもなく、娘と遊びたがっていたほどだった。

金曜日から仕込みをはじめ、土曜日に日本人の友達夫婦を彼の家に招待し、お寿司パーティをした。(パーティというほどでもないけど。)
でもおかしいのだが、わたしはわたしでネタを仕入れたり巻き寿司の中味を仕込んだり、いろんな食材を買い込んで彼の家に運ぶなどバタバタしていたが、彼は彼で、アパートの荷物を一斉に整理し、不要なものをすべて袋詰めし、また1年近く懸案事項だった足の折れたソファーを、木材を仕入れに行って大工作業してまで修理するなど、2日間にわたる大仕事をこなしたのである。
ソファーにしてもそうだし、元奥さんが再現なく買い与えてきたほとんど使わないおもちゃをこの際整理して、だいぶすっきりしたようだ。
いいきっかけになったというか。

わたしはもちろん友達とおしゃべりしてとても楽しかったのだが、彼も子供たちも楽しかったようだ。彼らが帰るときなど、子供たちはしょんぼり。
彼にしても、ソファーをずっと放置してきたことからしても、きっと長いこと誰も招待しなかったのだろう。久しぶりにお客さんをよんだことが、うれしかったようだ。なんせ家に誰かをよぶことは、この国では典型的なことであるし。久しぶりに家族らしいことをしたというか。

日曜日は、彼のお母さんの妹さんの50歳の誕生日パーティに参加した。
なんと、わたしと娘も、彼と息子さんの名前と連名で招待されていたのである。
パーティには必ずパートナー同伴であることがこの国の前提であるが、わたしのスタンスがすでに認知されているということである。
彼はセパレートを始めてわずか半年しかたってないのに、あたたかく迎え入れてくれたのがうれしかった。娘も夢中で遊びまくり、なかなか帰ることができないほどだった。

日曜日の夜は、急遽わたしの日本人の知人との顔合わせ。
統計の授業の家庭教師を彼にお願いしていたからである。
顔合わせのはずが、彼はすっかり数学の世界に入り込み、1時間以上もの講義を彼女と共に受けるハメに。
だけど、昔得た知識が再びよみがえってきて、過去には理解できなかったことが掘り返されて改めて統計学に興味をもつようになった。彼女と、「一緒にがんばろう!」と。

ものすごい楽しい二日間だった。
彼と充実した時間をシェアできた、というか。
大好きなお友達を彼に紹介したいと思ったのも、彼だったから。
「とてもスィートな夫婦だね。」と、彼らが帰ったあと言ってくれたのもうれしかった。

夫のときはありえなかった。
友達を自宅に招待しようとすると、必ず席をはずしていた。
わたしの友達であっても、知らない人とかかわりをもちたくない、と思っていたようだった。
そして、わたしもまた夫の友達に紹介されることも、結局1度もなかった。

彼はまるで俗っぽさがないので友達は少ないが、本当は人と関わるのがとても好きで。
とてもうれしそうに友達のご主人に話しかけているのがとてもかわいかった。

そして、与えられた状況を楽しもうとする。
「時間があんまりないんだけど。」といいつつ、楽しそうに知人の課題を解いていたり、講義をしてくれるのが面白かった。

お互いに関わることによって、刺激を与えあったり、世界が広がったりするのも、やっぱり本人の感性が問われてくるだろう。
残念ながら、夫との関係によって互いに啓発しあうことはほとんどなかった。
夫の仕事の話も、結局論文の数とか、業績の羅列だけであって、具体的な研究の話ではなかったし、わたしが夫を教育などのワークショップに誘っても、居眠りしていた。
以前HPを公開して日記を閲覧させていても、わたしの考察にはあまり興味がないようであった。
逆に、夫は自分の感情や考えをわたしに伝えることはほとんどなかった。

家族って、居場所を与えるだけのものではない。

必要な過去

ず~っと気の進まなかった帰国準備であるが、ようやく飛行機やホテルのアレンジなどの作業を始めた。
といいつつ、母校の指導教官の最終講義と二次会パーティに参加したり、N市で働いている友人の研究所に、偶然N市に出張する予定のある大学の同僚と一緒に訪れる計画をするなど、しっかりお楽しみもあるわけだが。

その友人は、実はわたしが修士の学生だったとき、恋していた相手である。
半年ぐらいしてからこっぴどくふられ、そのあと1年間くらいはたまに会ってはいたが、わたしに彼氏ができてからなんとなく疎遠になり、5年くらい音信普通だったが、去年の日本研修でたまたま参加した学会のポスター会場でばったり再会を果たしたのだった。
そのあとN市まで行って、会社見学させてもらったり、自宅にも招いてもらって奥様にもお会いしたのだが、なんでふられたのか理解できたし、負け惜しみのようだけどあのまま一緒にならなくてよかったと思ったのだった。

あのときは、まだ学生で、社会のことを何も知らない子供だったから、4歳年上ですでに社会人として数年やっている彼にとってはさぞかし物足りない相手だったのだろうと思っていたが、学生であることが問題なのではなく、わたしという人間に問題があったせいだと改めて気がついた。
自分に自信がなく、自分の責任で生きているという実感がまるでなかった。
いつも環境のせいにして、愚痴をこぼしながら生きていた自分。
そのわたしの弱さが、さぞかし彼にとっては重かったに違いない。

だけど奥さんと話をして、わたしには見えなかった彼の弱さというものを知った。
彼もまた自分に自信がなく、人の意見を受け入れられず、自分の主張だけを通そうとする。
そのくせ、ものすごく寂しがりだったりする。
奥さんもいろいろと不満があるようである。

彼と会ったとき、わたしはまだ学生であったが、家庭の状況がよくなかったせいもあり、わたしは猛烈に結婚したいと思っていた。
結婚することによって、その殺伐とした家から飛び出たい。愛する人と一緒になりたい。

今でこそ、そんなの夢物語でしかないことを痛感しているが。

4月に、長年交際していたチャールズ皇太子とカミラさんが結婚すると報じられたが、さんざんバッシング受けながらも、今では70%ぐらいの国民が結婚してもいいのでは、と考えているとのこと。
さすが30年以上ものつきあいとなれば、認めざるをえないというところであろうか。

詳しい事情は知らないし、わたしは結婚の是非についてはどちらともいえなかった。
14年前に不倫を公表したときも、特に何も感じなかった。
なんでダイアナ妃と結婚したのか、理解できなかったが。

でも、結婚を決意するときのきもちは微妙なところがあるだろうし、結婚してみて見えてくるものもたくさんあるだろうし、、、、
結婚してみて本当の自分に対峙することもあるだろうし。

彼と一緒になっていたら、夫とよりももっと早くに破綻していたと思う。
でも、彼に夢中だったときは、彼が見えてなかったどころか、自分さえも見えてなかった。

夫とのときもそうだったけれど、結婚して半年してから東京から800kmも離れた地方に移り、本当の孤独状態に陥って、やっと幼い自分を省みる必要性にかられるようになったのである。
「自分を変える」というよりは、「どうしようもない自分を認める」。
そんなとき、保育園や大事な人との出会いがあったのである。

あの苦しい経験がなかったら、この国に来ることもなかったかもしれない。

そのあと

昨日、元奥さんが来たものの、息子さんの状態はあまり変わらなかったそうだ。
前日に、彼が息子さんに、
「明日お母さんが来るよ。」
と言ったところ、
「それじゃあ、M(娘)とI(わたし)とは遊べないの?」
とこたえたそうだ。

病気は、お母さんに会えないさびしさからくるものだと思っていたが、、、
本当に、腹痛の苦しさで元気がないだけなのだろうか。

元奥さんは、7時に来たそうで、すでに息子さんは眠くなっており、ほとんど一緒に遊ぶこともなく寝てしまったそうだ。
いくら仕事があるとはいえ、4時には終わるはずで、職場から直接息子さんのところに来ようとは思わなかったのだろうか。
病気じゃなくたって9時には寝る。子供だもの。
病気である今は、腹痛と嘔吐で日中にすっかり疲弊してしまって、最近は7時過ぎにはベッドに入る。
ただでさえ頻繁に会えないのだから、ゆっくり一緒に過ごすべく、もっと早く来ればいいのに、と思う。

なんか、すごいイライラしている。

会いに来るといっても、突然キャンセルしたり、約束の時間から1時間も2時間も遅れたり。
そんなことばっかりだ。
息子さんがどんなに失望するかなんて思いもしないのだろうか。

土曜日は、友達をよぶので、お寿司を作る予定である。
お寿司は、息子さんの大好物。
(前にお寿司のパックを買ったとき、スーパーから食べたいがために家まで泣き通したほどである。)
少しは回復しているといいのだが。

小さなことの積み重ね

いまだ彼の息子さんは回復していない。
何が心配かというと、症状そのものよりも、気力を失っているようにみえること。
頻繁に発病しているとはいえ、毎回熱があったり咳があっても、比較的元気で家の中でも楽しそうに遊んでいたりするのに、今回はもう数日間ぐったりしたままである。確かに、腹痛や吐き気で苦しいのかもしれない。でも、こんなにも生気のみられない姿をみると、本当にいたたまれなくなる。
彼も、相当に意気消沈している。
病気だけでなく、環境変化がここまで息子さんを傷つけてしまったのではないか、と思っているからだ。
いくら、夫婦間の関係不全に至ったからといって納得して離婚を決意したといっても、子供を傷つけてしまうことにはかわりがない。

この国は、日本ほど離婚に抵抗がなく、一たび夫婦関係がこわれたと認識すると、すぐさま離婚ということになる。
しかし、子供への配慮が足りないのでは?と思うこともある。わたしも人のことを言えないが。

彼をみていると、確かに愛情をもっていることは充分わかる。
でも、愛情を注いでいるかというと、ちょっと疑問がわく。

両親の家に行くと、必ずコンピューターの部屋に行ってしまう。
家にいれば、TVをつけっぱなしである。

両親宅でコンピューターなんかいじってないで、息子さんと一緒に遊んであげてよ!
TVを観せっぱなしにしないで、本を読んであげるなどしてあげてよ!

どうも手抜きをしているように思えてならない。
ご両親に助けてもらえるという甘えもあるのかもしれないが。

この国にきたとき、娘も今の息子さんの年齢に近い、3歳3ヶ月であった。
このぐらいの年齢は、もっとも自我が発達するときで、多感な時期である。
急激に環境がかわり、ただでさえ混乱しているのに、欲求が多くでる時期でもあったので、それはそれは大変だった。
そのころの日記を読むと、しょっちゅうイライラしていて痛いほどである。

日本で信頼を寄せている保育園の先生や友達らと別れた娘は、わたしの挙動に対してものすごく敏感になった。わたしの愛情でもって、なんとかつなぎとめようとするかのように。
それがとても申し訳なく、少しでも娘が充足できるように、娘の本当のきもちを理解するようにしようと思ったのだった。

(以下、2003年4月24日の日記から抜粋)
悲しいことがもうひとつあった。迎えに行くなり、娘の「おもちゃ屋に行きたい」というセリフ。散歩したり砂場で遊んだりステキなことたくさんしているのに、ついにおもちゃに依存するようになったのか、という絶望的な想いで、「どうしてそんなこというの?」というと、「そんな怒らんでよ。」と泣きそうな声でいう。怒っているんじゃない。悲しいのよ。「お母さんは、おもちゃよりも散歩したり砂場で遊んだりカモも見に行くことの方がステキなことだと思うんだけど。」というと、「やだ。だって寒いもん。」とのこと。そこまで外に出るのがイヤなのか、とショックを受けながら帰宅したのだが、よくよく考えてみると、もしかすると連休中外出するたびにわたしが激しく怒ったことが、トラウマになっているのかもしれないと思った。本当に怒ったことがないというぐらい毎回怒っていたから、それが傷になって外出が怖くなっているのかもしれない。
「もしかして、お母さんが怒るかもしれないと思って、外にでるのがイヤなの?」と聞くと、ウンとうなずいた。やはりそうだったのだ。「怒ってばかりでごめんね。でももう怒らないから一緒に外で遊ぼう。」というと、ぴょんぴょんとびはねながら、やったーやったーと驚喜しだしたのだった。
この出来事で、一緒に感動を共有するなどステキなこともたくさんしていたはずなのに、それで補えないほど娘にとってはわたしの怒りが大きな傷となるということを改めて実感し、負の出来事の影響力というものに脅威を感じた。再評価カウンセリングでも、トラウマが人間の知性的なふるまいを妨害するという理論が前提となり、いかにそのトラウマをひとから解放させ、本来だれもがもっている知性を取り戻すかということに重きを置いている。だから、「外に行きたくない」ということばだけにとらわれて、そのセリフの根底にある感情を充分に解放させることなく、「どうして?」と追い詰めてしまったことを反省した。わたしの考えで、「外で遊びたくない」「保育園行きたくない」ということばを都合の悪いこととしてとらえるのではなく、その根底にあるきもちを受けとめてあげなければならない、と思った。

(以下、2003年4月25日の日記から抜粋)
今日は、娘が目を覚ますなり、「Mちゃんかわいいね」「Mちゃんなんでそんなにかわいいの」とぎゅうっと抱きしめた。別にそうしようと意図的に思っていたわけでなく、本当にそう思って抱きしめたのだ。
昨日、セリフの裏側にある娘のきもちに気がついて、本当にいとおしくなったのだ。3歳児であるにもかかわらず、わたしのことをよく気をつかって、結局は保育園に行くことを受け入れている娘。でも、本当はわたしと離れるのがさみしくて悲しくて、わざとやんちゃを言う。また、大好きなわたしといさかいをおこしたくなくて、無難なおもちゃ遊びに逃避しようとしたということも。そんな生の感情にやっと触れることができて、心底かわいいと思ったのだ。
そう思うと、いろんなことに気がつく。昨日の夜、飛行機の中でもらった透明なプラスチックでできた三角錐に近いかたちの万華鏡のようなものに、いきなり紙を切り出したと思いきやその切れ端をその万華鏡に入れ、ブロックをてっぺんと側面にそれぞれ貼り、冷蔵庫に入れていたのだ。なんかけったいなもの作ってるなーとなんでも思ってなかったのだが、今朝それをコップに注ぐまねをしていて、それが牛乳を入れたポットに見立てたものであることがわかったのだ。白い紙を入れたのは牛乳にみせるため。ブロックはそれぞれ取っ手とふただったのだ。どうりで、「紙入れたけんね。これで牛乳が入っちょーけん。冷蔵庫に入れるけんね。」と言うはずだ。ずっとおままごとセットを欲しがっている娘だが、こうしてあるもので欲しいものを作ってしまう創造力に感動してしまった。しかも、ブロックを決まった遊び方にとらわれることなく、こうして自由にマテリアルとして利用してしまうとは。これはわたしにはないアイデアで、素直に「すごーい!よくこんなこと思いついたね!Mは賢いね!」と褒めたたえたのだった。そういう充実したやりとりがあったおかげか、今日は自ら保育園に行こうよといって家を出たのだった。

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つまらないことかもしれないけど、子育てって、こんな小さなことの積み重ねである。
彼にとっては見えなかったかもしれないけど、息子さんは少しずつ傷ついていたんじゃないかな。

だから。
お願い、逃げないで。

国政選挙

昨日、この国で国政選挙があった。
当然選挙権はないのだが、一応関心もってニュースは観てたりしていた。

結果は、現状とほとんど変わらず。
社会福祉の発達した国なのに、与党は「リベラル」である。
10数年前にリベラルの党(政党名は「左」)が社会民主党から政権を奪って以来、ほかの政党とくっつきながらではあるが、与党のスタンスを維持している。
与党は「減税」をうたっており、対して社会民主党は「税金は現状維持、社会福祉の充実」をうたっている。
日本と逆である。
やはり、国民は今の重税は大なり小なり負担に感じているわけで。裕福な人にまでも社会福祉はばっちりいきわたっているから、そこを変えて欲しいと思っているのかもしれない。

わたし「日本はね、リベラルが増税で、社民党、共産党が減税を目指しているんだよ。」
彼「なんで?社会福祉の充実をはかるんだったら、減税なんてできないはずでしょう?」
わたし「だってね。増税したって、社会福祉なんてちっとも変わらないんだから。保育園なんていい一例だけど、ただでさえ不足しているのに、さらにコストダウンをはかろうと、幼稚園と合体させようという試みさえあるんだよ。増税した分は、建築物だとか道路にまわしちゃうの。だったら、そんな必要もないところにお金を費やすような無駄をはぶいて減税するのが妥当じゃない?」
彼「じゃあ、社会福祉のお金はどうするの?」
わたし「日本のシステムはとにかく無駄が多いから、そこを削ってまわすという考え」

この国にも、公益団体はあることはあるけれど、日本ほど実体もよくわからないような公益団体が多数存在することはないと思う。そもそも人口がまるで違うけれど。
公務員を定年退職した人の受け皿をなんで用意する必要があるのか、まるでわからない。
いい年した、ろくに仕事もしないような人に、年収2000万円だからね。
わたしは、公益団体で働いた経験があるから知っているのだ。

そんな話をしたら、
彼「ばかげている、、、、、。」
と絶句。

彼に、日本の社会について説明しようとすると、わたしまで混乱してくる。

Driving force

今朝、また自転車で保育園まで行くことにトライした。
反則技かもしれないけど、チョコレートのお菓子を持参して。
2ヶ所、坂をのぼりきったところで、とまってチョコレートを与えた。
昨日、息もきれぎれになるほど体力が落ちていたことに、わたしもショックだったけれど、それ以上に娘が意気消沈したと思う。
それで、自分の力で保育園まで行く!というきもちを失わないように、自転車で走ることのお楽しみとして、昨日お菓子を買いに行ったのだった。
実際に、昨日よりは順調に行けるようになり、少しは自信が回復したようだ。
チョコレートがなくても、自転車で行くことで充足できるようになるといいのだけど。

今日、ミーティングがあった。
実験データはたくさん出ていたけれど、指導教官らのコメントがいちいち鋭くて、自分の思考の浅さを痛感。ただの勉強不足?大いに反省。

昨日、修士の学生である知人のところに訪れたとき、彼女は予習の勉強で忙しそうで、それに比べてドクターとしての気楽な自分を省みたけれど、義務もあまりないし、追いたてられはしないけれど、結局、自分自身の意思こそが原動力になるしかないわけで。
やる気がなければ、創造的なアイデアも生まれず、つまらない研究でしかなくなってしまう。
最近のわたしは、指導教官のアイデアを期待していることも多々。
もっともっと自分で考えなければ、と思った。

彼女は、今学期統計学などの解析の手法について主に学ぶそうだ。
それで、統計の専門家である彼を家庭教師にしてはどうか、と提案してみた。
彼も快くOKしてくれた。

彼は、自分の専門について語るのが好きで、ほとんど知識のないわたしのためにわかりやすく説明してくれることも何度かあったのだが、これを機に、わたしも少し学んでみたいな、という気になった。
直接フィードバックさせることはないかもしれないが、解析方法の基本は学ぶことに意味があると思うし。
彼女が、
「彼のこと、本当に好きなんだね。」
と言ったけれど、学びたいと思ったのはそれが理由というわけではない。
でも確かに、刺激は受けていると思う。