必要な過去 | いまのしゅんかん

必要な過去

ず~っと気の進まなかった帰国準備であるが、ようやく飛行機やホテルのアレンジなどの作業を始めた。
といいつつ、母校の指導教官の最終講義と二次会パーティに参加したり、N市で働いている友人の研究所に、偶然N市に出張する予定のある大学の同僚と一緒に訪れる計画をするなど、しっかりお楽しみもあるわけだが。

その友人は、実はわたしが修士の学生だったとき、恋していた相手である。
半年ぐらいしてからこっぴどくふられ、そのあと1年間くらいはたまに会ってはいたが、わたしに彼氏ができてからなんとなく疎遠になり、5年くらい音信普通だったが、去年の日本研修でたまたま参加した学会のポスター会場でばったり再会を果たしたのだった。
そのあとN市まで行って、会社見学させてもらったり、自宅にも招いてもらって奥様にもお会いしたのだが、なんでふられたのか理解できたし、負け惜しみのようだけどあのまま一緒にならなくてよかったと思ったのだった。

あのときは、まだ学生で、社会のことを何も知らない子供だったから、4歳年上ですでに社会人として数年やっている彼にとってはさぞかし物足りない相手だったのだろうと思っていたが、学生であることが問題なのではなく、わたしという人間に問題があったせいだと改めて気がついた。
自分に自信がなく、自分の責任で生きているという実感がまるでなかった。
いつも環境のせいにして、愚痴をこぼしながら生きていた自分。
そのわたしの弱さが、さぞかし彼にとっては重かったに違いない。

だけど奥さんと話をして、わたしには見えなかった彼の弱さというものを知った。
彼もまた自分に自信がなく、人の意見を受け入れられず、自分の主張だけを通そうとする。
そのくせ、ものすごく寂しがりだったりする。
奥さんもいろいろと不満があるようである。

彼と会ったとき、わたしはまだ学生であったが、家庭の状況がよくなかったせいもあり、わたしは猛烈に結婚したいと思っていた。
結婚することによって、その殺伐とした家から飛び出たい。愛する人と一緒になりたい。

今でこそ、そんなの夢物語でしかないことを痛感しているが。

4月に、長年交際していたチャールズ皇太子とカミラさんが結婚すると報じられたが、さんざんバッシング受けながらも、今では70%ぐらいの国民が結婚してもいいのでは、と考えているとのこと。
さすが30年以上ものつきあいとなれば、認めざるをえないというところであろうか。

詳しい事情は知らないし、わたしは結婚の是非についてはどちらともいえなかった。
14年前に不倫を公表したときも、特に何も感じなかった。
なんでダイアナ妃と結婚したのか、理解できなかったが。

でも、結婚を決意するときのきもちは微妙なところがあるだろうし、結婚してみて見えてくるものもたくさんあるだろうし、、、、
結婚してみて本当の自分に対峙することもあるだろうし。

彼と一緒になっていたら、夫とよりももっと早くに破綻していたと思う。
でも、彼に夢中だったときは、彼が見えてなかったどころか、自分さえも見えてなかった。

夫とのときもそうだったけれど、結婚して半年してから東京から800kmも離れた地方に移り、本当の孤独状態に陥って、やっと幼い自分を省みる必要性にかられるようになったのである。
「自分を変える」というよりは、「どうしようもない自分を認める」。
そんなとき、保育園や大事な人との出会いがあったのである。

あの苦しい経験がなかったら、この国に来ることもなかったかもしれない。