国際カップルのよさ
またまた例の漫画家さんのHPを見に行って考えさせられてしまった。
「どうしてパートナーが外国人なのか」
という議論の中で、日本人男性にはもてなかった女性のせつない心境が語られていて、わたしもつい過去を思い出して泣きそうになってしまった。
このブログでもさんざん書いてきたが、わたしは恋愛コンプレックスを持ち続けてきた。
夫との関係の問題に対峙できなかったのも、それが原因のひとつでもある。
「この人を失ったら、二度とパートナーを得ることができない。」
という恐怖でもって、我慢の限界に達するまでずるずると困難を受け入れてしまっていた。
なぜなら、わたしは、男性にもてない、というだけでなく、その上鬱陶しがられていたから。
わたしが日本の大学で研究室に所属していたとき、研究室の男性陣から理不尽な差別を受けていた。
わたしの話に耳を傾けないどころか、かわいい子には許されていた過失もわたしにはひどい叱責を受けたり、かわいい子には進んで手伝っていた先輩もわたしには「そんなの自分で調べてなんとかしなよ。」と一蹴したり。
確かに、わたしは可愛くない。
がさつだし、自分のペースにもっていこうとする。
外見を磨いたり、性格を改善させたり、もっと人に好かれる努力をするべきだ、と言ったら本当にその通りなのだが、ここまで人に受け入れられていないと実感してしまうと、とことん自分を否定してますます自分の殻に閉じこもってしまい、自分を変えることなどできないのである。
ところが、わたしをこの国に引き寄せてくれたキーパーソンである外国人の彼(今の指導教官のひとり)がその研究室に研修生としてやってきたとき、わたしの物怖じしない意見にもウンウンとうなずいてくれたりして、日本人男性とは違う感触を彼から得たのであった。
恋愛感情というわけではなく、今まで鬱陶しがられていた言動にも好感をもって受け入られているということが、ただ単純にうれしかった。
実際、彼の奥さんは日本人女性であるが、わたしに勝るとも劣らない強い信念をもった女性である。
「コワイネー。」と言いつつ、奥さんのそういうところを愛していることがわかるのである。
2人でよく政治の話とかもしているらしい。
恋人である彼もまた、わたしの強さが好きだと言う。
最初はアジア人女性の美しさにメロメロになってしまった彼も、美しいだけでは物足りないことに気がついたそうだ。
2番目のガールフレンドはとても美しい女性であったが、一向に語学力を磨こうという向上心がみられず、充実したコミュニケーションがのぞめなくて交際を断念したぐらいだし、元奥さんはかわいらしく語学は達者であったが、話すことが表面的なことお金のことばかりで辟易してしまったという。
わたしの研究に対するモチベーションを評価してくれていた夫でさえも、わたしが政治の話をしようとすると、「それじゃぁ、おまえが政治家に文句言いにいったら。」と言い、わたしが教育の話をしようとすると、「そんなのきれいごとだよ。」と一蹴して、わたしの主張を鬱陶しがっているのがありありと見えたのに、彼はむしろ関心をもって何でも聞いてくれる。
日本人男性が嫌がることを、外国人だったら歓迎してくれるなら、そちらに惹かれるのは自然ではなかろうか。
「外見なんて関係ない。中味を好きになって自ずと外見も美しくみえてくるものなんだよ。」
といってくれれば、本当にわたしという人間を受け入れてくれるという信頼も生まれる。
実際に、日本では、というかアジアでは外見の美しさが重要な要素のひとつであると思う。
ろくにコミュニケーションもないまま恋に落ちることもよくあることではなかろうか。
でもこっちではあまり重視されていない。
おしゃれじゃないし、俳優は美男美女というわけではない。アテンダントも太った中年女性がよくいたりする。
歯については気を配っているが。
むしろ、社会性にすぐれていたり、人を納得させる力をもっている人が人気あるように思える。
彼にしても指導教官にしても、この国では女性にもてなかった。
いずれも外見は普通であるし、身長もこの国の平均身長(181cm)以上である。
察するに、二人とも女性に対してシャイだったからだと思う。
でも、わたしからしてみれば、二人とも思慮深く、魅力に欠けるとは思わない。
国際カップルのよさは、母国と異なる視点からお互いに評価することにあるのかもしれない。
バッググラウンドの違いは困難をもたらすが、違った価値観が新しいものを生む可能性もあるのだ。
「どうしてパートナーが外国人なのか」
という議論の中で、日本人男性にはもてなかった女性のせつない心境が語られていて、わたしもつい過去を思い出して泣きそうになってしまった。
このブログでもさんざん書いてきたが、わたしは恋愛コンプレックスを持ち続けてきた。
夫との関係の問題に対峙できなかったのも、それが原因のひとつでもある。
「この人を失ったら、二度とパートナーを得ることができない。」
という恐怖でもって、我慢の限界に達するまでずるずると困難を受け入れてしまっていた。
なぜなら、わたしは、男性にもてない、というだけでなく、その上鬱陶しがられていたから。
わたしが日本の大学で研究室に所属していたとき、研究室の男性陣から理不尽な差別を受けていた。
わたしの話に耳を傾けないどころか、かわいい子には許されていた過失もわたしにはひどい叱責を受けたり、かわいい子には進んで手伝っていた先輩もわたしには「そんなの自分で調べてなんとかしなよ。」と一蹴したり。
確かに、わたしは可愛くない。
がさつだし、自分のペースにもっていこうとする。
外見を磨いたり、性格を改善させたり、もっと人に好かれる努力をするべきだ、と言ったら本当にその通りなのだが、ここまで人に受け入れられていないと実感してしまうと、とことん自分を否定してますます自分の殻に閉じこもってしまい、自分を変えることなどできないのである。
ところが、わたしをこの国に引き寄せてくれたキーパーソンである外国人の彼(今の指導教官のひとり)がその研究室に研修生としてやってきたとき、わたしの物怖じしない意見にもウンウンとうなずいてくれたりして、日本人男性とは違う感触を彼から得たのであった。
恋愛感情というわけではなく、今まで鬱陶しがられていた言動にも好感をもって受け入られているということが、ただ単純にうれしかった。
実際、彼の奥さんは日本人女性であるが、わたしに勝るとも劣らない強い信念をもった女性である。
「コワイネー。」と言いつつ、奥さんのそういうところを愛していることがわかるのである。
2人でよく政治の話とかもしているらしい。
恋人である彼もまた、わたしの強さが好きだと言う。
最初はアジア人女性の美しさにメロメロになってしまった彼も、美しいだけでは物足りないことに気がついたそうだ。
2番目のガールフレンドはとても美しい女性であったが、一向に語学力を磨こうという向上心がみられず、充実したコミュニケーションがのぞめなくて交際を断念したぐらいだし、元奥さんはかわいらしく語学は達者であったが、話すことが表面的なことお金のことばかりで辟易してしまったという。
わたしの研究に対するモチベーションを評価してくれていた夫でさえも、わたしが政治の話をしようとすると、「それじゃぁ、おまえが政治家に文句言いにいったら。」と言い、わたしが教育の話をしようとすると、「そんなのきれいごとだよ。」と一蹴して、わたしの主張を鬱陶しがっているのがありありと見えたのに、彼はむしろ関心をもって何でも聞いてくれる。
日本人男性が嫌がることを、外国人だったら歓迎してくれるなら、そちらに惹かれるのは自然ではなかろうか。
「外見なんて関係ない。中味を好きになって自ずと外見も美しくみえてくるものなんだよ。」
といってくれれば、本当にわたしという人間を受け入れてくれるという信頼も生まれる。
実際に、日本では、というかアジアでは外見の美しさが重要な要素のひとつであると思う。
ろくにコミュニケーションもないまま恋に落ちることもよくあることではなかろうか。
でもこっちではあまり重視されていない。
おしゃれじゃないし、俳優は美男美女というわけではない。アテンダントも太った中年女性がよくいたりする。
歯については気を配っているが。
むしろ、社会性にすぐれていたり、人を納得させる力をもっている人が人気あるように思える。
彼にしても指導教官にしても、この国では女性にもてなかった。
いずれも外見は普通であるし、身長もこの国の平均身長(181cm)以上である。
察するに、二人とも女性に対してシャイだったからだと思う。
でも、わたしからしてみれば、二人とも思慮深く、魅力に欠けるとは思わない。
国際カップルのよさは、母国と異なる視点からお互いに評価することにあるのかもしれない。
バッググラウンドの違いは困難をもたらすが、違った価値観が新しいものを生む可能性もあるのだ。
フェステラウン
フェステラウン
イースター(復活祭)前の40日間にわたる肉の断食期が始まる前日にあるお祭りである。
肉を絶つ前日にバカ騒ぎしようというのが、そもそもの趣旨だとか。
今は、断食なんてあるわけもなく、ほとんど子供のためのお祭りとなっている。
そもそも、この国は90%以上がクリスチャンというが、そういう感じがしない。日曜日に教会に行く人も、ごくわずかであると思う。
合理的なこの国らしいといえばらしいけれど。
ちなみに彼に「クリスチャンなの?」と聞いたところ、
「う~ん、わからない。クリスチャンかもしれないし、、。」
なんだよ、それ!
むしろ、仏教の方が共感を覚えるらしい。わけわからん。
でも、仏教の方が、特定の存在を尊重するというよりは、人間の和を重んじる思想、すなわち人間の道徳に基づいていて、わたしもキリスト教よりは仏教の方に同意する。
とはいうものの、お祭りはお祭り。
今年はイースターが3月末にあるので、40日前にあたる2月上旬にはフェステラウンがあるとのこと。
わたしは娘と「シンデレラのドレスを作る。」と約束しているので、あわててドレス作りを始めたところである。
写真は去年作ったドレス。
買った方がはるかに手間もコストも安くすむのだが、あえて娘に、「ものを得ることの大変さ」を実感させるために、娘の目の前で作ることにしたのである。
現に、去年作ったドレスをいまだに大切にしてくれている。
というわけで、今週末は突貫作業突入予定。
しかし、宗教とは関係なく、クリスマスもイースターもフェステラウンも、季節にちなんだお祭りのように思う。
クリスマスはキリスト教が伝来する以前から同様のイベントがあったと言われているように、まさに冬至の暗くてじめじめして寒い時期をお祭りで乗り切ろうという知恵の結果であると思うし、イースターは春の訪れを示唆する。
日本でも、冬至や節分が同時期にあることからして、イベントは宗教の一環というよりは季節の移り変わりを楽しむものであるといえよう。
ということで、クリスマスもフェステラウンも純粋に楽しむことにしている。
いよいよ
去年、フェステラウンという、いわば子供の仮装フェステのイベントに、ビーズで作った冠。
そのほか、ドレスも手縫いで作ったりして、去年は余裕だったんだなぁ、としみじみ。
時間的にも、経済的にも。
ちなみに、ビーズや布などの材料費だけで、1万円は軽く超えています。
今までは、多少苦しくとも、保育園の減額も申請しなかったし、高くて狭いアパートでも受け入れてたし、経済的なこと一切考慮していなかった。
夫からの資金援助がなくとも、別にクレームもつけなかったし。
結婚している、ということに安心していた。
3月、離婚のために一時帰国することを決めた。
チケットもとり、夫とも連絡をとりあった。
いよいよ、、、、なのである。
自信
今日は指導教官とのミーティングがあった。
とはいえ、この趣旨は、「わたしの英語力を改善すること」であるので、実験データもまとまっていない今日はほとんど雑談に終始した。
とはいえ、1時間近く話したのかな。政治とか教育のこととか濃い話が多かった。
中でもずしんときたのが、「どうして英語の力が伸び悩むのか。」の理由をずばり指摘されて、自分自身省みざるをえなかったこと。
語学って、しょせん場数をふむしかない。
そのためには積極的にいろんな人と話すのがもっとも効果的な方法なのだが、わたしはあいにく社会性に乏しい。
わかっている。
もっといろんな人と交流して、語学力をのばすだけでなく、違った意見や考えに触れてもっと自分自身成長させなければならないことは。
でも、怖いのだ。人に触れるのが。
否定されるのが怖いというのもあるけれど、それだけでなく、わたしと一緒にいることで楽しいと思ってくれる自信がない。それどころか、ますます不愉快にさせてしまうのではないかとさえ思っている。
語学に自信がないから、どうしても一辺倒の表現になりやすいし、固い話抜きにウェットに富んだ話題も出てこない。
こんなわたしだったら、人を退屈にさせてしまうのではないか。
そんな不安が、ますますわたしを孤立させているように思う。
一人でいるほうがラクだから。
本当に、自分を変えるのって難しいなーと思う。
わたしのそういった不安は、少なからずわたしがもっているバッググラウンドに関係しているわけで、そう簡単に払拭できるものでもない。
この国の人とつきあったことのない彼が、アジア人であるわたしには積極的にアピールしてきたのも、なんとなくうなずける。
彼がそういうコンプレックスをもっていることを知ったから、彼とは安心してコミュニケーションできたわけだし。コミュニケーションに飢えているこの人なら、多少の語学力不足でも受け入れてくれるのではないか、と。
恋愛もそうだけど、自分が自分を受け入れていないと、怖くて人に触れられない。
ああ、再評価をしたい。
とはいえ、この趣旨は、「わたしの英語力を改善すること」であるので、実験データもまとまっていない今日はほとんど雑談に終始した。
とはいえ、1時間近く話したのかな。政治とか教育のこととか濃い話が多かった。
中でもずしんときたのが、「どうして英語の力が伸び悩むのか。」の理由をずばり指摘されて、自分自身省みざるをえなかったこと。
語学って、しょせん場数をふむしかない。
そのためには積極的にいろんな人と話すのがもっとも効果的な方法なのだが、わたしはあいにく社会性に乏しい。
わかっている。
もっといろんな人と交流して、語学力をのばすだけでなく、違った意見や考えに触れてもっと自分自身成長させなければならないことは。
でも、怖いのだ。人に触れるのが。
否定されるのが怖いというのもあるけれど、それだけでなく、わたしと一緒にいることで楽しいと思ってくれる自信がない。それどころか、ますます不愉快にさせてしまうのではないかとさえ思っている。
語学に自信がないから、どうしても一辺倒の表現になりやすいし、固い話抜きにウェットに富んだ話題も出てこない。
こんなわたしだったら、人を退屈にさせてしまうのではないか。
そんな不安が、ますますわたしを孤立させているように思う。
一人でいるほうがラクだから。
本当に、自分を変えるのって難しいなーと思う。
わたしのそういった不安は、少なからずわたしがもっているバッググラウンドに関係しているわけで、そう簡単に払拭できるものでもない。
この国の人とつきあったことのない彼が、アジア人であるわたしには積極的にアピールしてきたのも、なんとなくうなずける。
彼がそういうコンプレックスをもっていることを知ったから、彼とは安心してコミュニケーションできたわけだし。コミュニケーションに飢えているこの人なら、多少の語学力不足でも受け入れてくれるのではないか、と。
恋愛もそうだけど、自分が自分を受け入れていないと、怖くて人に触れられない。
ああ、再評価をしたい。
国際結婚の難しさ
彼の元奥さんが、新しい仕事を始めるとのこと。
去年の10月の終わりに真夜中に事件に遭遇してから、それまでやっていた深夜の清掃バイトが行けなくなり、今まで国から給料の80%ほどを支給してもらっていたが、それでも経済的に厳しいことには変わりなく、ずっと日中の仕事を探していたようだ。
本当は日中の清掃バイトを希望していたが、人気のある仕事でなかなか要請がなく、同邦人の紹介で学校の学食バイトにつけることになったそうだ。
彼の元奥さんは、東南アジア出身であるが、その国の人たちはこの国に結構在住している。
日本人が学生などの一時滞在を含めて全土で2000人ほどに対し、その国の人はほとんど学生はいなく、しかも90%以上女性というのに6000人ほどいるのだとか。
いかにこの国の人と結婚している女性が多いか。
彼女も、そういったネットワークでもって前の仕事にしろ今回の仕事にしろゲットできたのである。他にもレストランやカラオケなどの夜バイトも同邦人の紹介によるものである。
こないだのスマトラ沖地震で、その国のP島での犠牲者のうち80%が外国人だったというほど、西欧人にとって人気のある国でもある。
比較的安いし、海はきれいだし、文化の違いは見られるし、、というのが主な理由である。
おまけに、きれいな女性が多い国でもあると思う。
旅行したことのある弟も絶賛していたが、日曜日に餃子を作りたくなってアジアショップに行ったら、その国のきれいな女性が店内に何人かいてびっくりした。
そんな女性らにナンパされたら、、、
容易に想像がつく。
その国では西欧人がやたら人気あるらしく、純粋にアジアの文化を観るために観光に訪れた彼も、女性からのお誘いのあまりの多さにびっくりしたという。
人気のある理由は容易に想像がつくが、それまで女性とつきあったことが皆無だった彼は、ことばでのコミュニケーションが難しくとも、美しい女性の熱いまなざしを受けてつい舞い上がってしまったという。
彼の女性遍歴は、その国の女性のみなのである。
それを聞いたとき、はっきりいってひいた。
なぜなら、わたしが日本人の女だからアプローチしてきたと思ったからだ。
もっとも、それもひとつの理由であることは間違いなく。
今ではわたしもその事実を認めてはいるのだが。
アジアの女性は、西欧人に比べると背も低く骨格も格段に華奢で女らしい。
おまけに、料理も緻密。
中でも、日本人は特に真面目だし忍耐強く、男性に従順な傾向がある。
アメリカでのアンケート調査で、「結婚相手としてなら日本人女性が一番」という結果が出たそうだが、男性にとってもっとも都合のいいタイプといえるのだろう。
去年かおととしブレイクした国際結婚を扱った漫画を、わたしは彼に会う前に買って読んでおり、最近は著者のHPのBBSも見にいっているのだが、おしなべて「国籍は関係ない。個人の人間性が一番重要。」というような論調が多い。
確かに、それももっともであるし、わたしも彼だからこそつきあおうと思えたわけであるが、「国籍は関係ない。」とばっさり言い切ることもできない。
その漫画がブレイクした事実からしてみても、「外国人」というバッググラウンドを無視するどころか、意識するのがごく自然のことではないだろうか。
わたしはこのブログでさんざん彼の元奥さんのことについてあれこれ書いているが、ある意味では、その国出身というバッググラウンド上、やむをえない事情があることも承知している。
例えば、彼女の子育て放棄にしても、その国では親が直接子供を育てるのはごく稀で、祖父母が養育するのが普通のことという文化がそうさせていると納得することもできる。
彼女の刹那主義なところも、その国の典型的な価値観でもあるだろう。
いくら個人の人間性を評価したところで、実際のところ外国人とつきあうことは容易ではない。
ことばにしろ、文化の差異にしろ。
彼は、わたしの真面目なところ、わたしが作った料理を盛んに褒めてくれるが、わたしは、
「日本人だから難しいところもあるんだよ。」
とさんざん釘を刺している。
いずれにしても、あと1年半ここに滞在できるのだから、その間にその国際間の難しさを乗り越えてでも一緒になりたいかどうか判断できると思う。
去年の10月の終わりに真夜中に事件に遭遇してから、それまでやっていた深夜の清掃バイトが行けなくなり、今まで国から給料の80%ほどを支給してもらっていたが、それでも経済的に厳しいことには変わりなく、ずっと日中の仕事を探していたようだ。
本当は日中の清掃バイトを希望していたが、人気のある仕事でなかなか要請がなく、同邦人の紹介で学校の学食バイトにつけることになったそうだ。
彼の元奥さんは、東南アジア出身であるが、その国の人たちはこの国に結構在住している。
日本人が学生などの一時滞在を含めて全土で2000人ほどに対し、その国の人はほとんど学生はいなく、しかも90%以上女性というのに6000人ほどいるのだとか。
いかにこの国の人と結婚している女性が多いか。
彼女も、そういったネットワークでもって前の仕事にしろ今回の仕事にしろゲットできたのである。他にもレストランやカラオケなどの夜バイトも同邦人の紹介によるものである。
こないだのスマトラ沖地震で、その国のP島での犠牲者のうち80%が外国人だったというほど、西欧人にとって人気のある国でもある。
比較的安いし、海はきれいだし、文化の違いは見られるし、、というのが主な理由である。
おまけに、きれいな女性が多い国でもあると思う。
旅行したことのある弟も絶賛していたが、日曜日に餃子を作りたくなってアジアショップに行ったら、その国のきれいな女性が店内に何人かいてびっくりした。
そんな女性らにナンパされたら、、、
容易に想像がつく。
その国では西欧人がやたら人気あるらしく、純粋にアジアの文化を観るために観光に訪れた彼も、女性からのお誘いのあまりの多さにびっくりしたという。
人気のある理由は容易に想像がつくが、それまで女性とつきあったことが皆無だった彼は、ことばでのコミュニケーションが難しくとも、美しい女性の熱いまなざしを受けてつい舞い上がってしまったという。
彼の女性遍歴は、その国の女性のみなのである。
それを聞いたとき、はっきりいってひいた。
なぜなら、わたしが日本人の女だからアプローチしてきたと思ったからだ。
もっとも、それもひとつの理由であることは間違いなく。
今ではわたしもその事実を認めてはいるのだが。
アジアの女性は、西欧人に比べると背も低く骨格も格段に華奢で女らしい。
おまけに、料理も緻密。
中でも、日本人は特に真面目だし忍耐強く、男性に従順な傾向がある。
アメリカでのアンケート調査で、「結婚相手としてなら日本人女性が一番」という結果が出たそうだが、男性にとってもっとも都合のいいタイプといえるのだろう。
去年かおととしブレイクした国際結婚を扱った漫画を、わたしは彼に会う前に買って読んでおり、最近は著者のHPのBBSも見にいっているのだが、おしなべて「国籍は関係ない。個人の人間性が一番重要。」というような論調が多い。
確かに、それももっともであるし、わたしも彼だからこそつきあおうと思えたわけであるが、「国籍は関係ない。」とばっさり言い切ることもできない。
その漫画がブレイクした事実からしてみても、「外国人」というバッググラウンドを無視するどころか、意識するのがごく自然のことではないだろうか。
わたしはこのブログでさんざん彼の元奥さんのことについてあれこれ書いているが、ある意味では、その国出身というバッググラウンド上、やむをえない事情があることも承知している。
例えば、彼女の子育て放棄にしても、その国では親が直接子供を育てるのはごく稀で、祖父母が養育するのが普通のことという文化がそうさせていると納得することもできる。
彼女の刹那主義なところも、その国の典型的な価値観でもあるだろう。
いくら個人の人間性を評価したところで、実際のところ外国人とつきあうことは容易ではない。
ことばにしろ、文化の差異にしろ。
彼は、わたしの真面目なところ、わたしが作った料理を盛んに褒めてくれるが、わたしは、
「日本人だから難しいところもあるんだよ。」
とさんざん釘を刺している。
いずれにしても、あと1年半ここに滞在できるのだから、その間にその国際間の難しさを乗り越えてでも一緒になりたいかどうか判断できると思う。
休日
やっと落ち着いた初めての週末。
なんといっても、去年まで元奥さんが彼のアパートにい続けていたので外でしか会えなかったし、先週までは彼の試験のために一緒に過ごすことができなかった。
今回やっと、ゆっくりと一緒に過ごすことができたのである。
結果的にはほとんど家にいるだけだったけど、とても楽しい週末だった。
まぁ、実際のところ、またもや元奥さんから、アパートのことで電話があったりしたのだが。
彼女が今住んでいるアパートは、家賃12万円もするので、もっと安くていい物件を探しているのだが、わたしたちが住んでいる市の公営住宅のウェイティングリストに名前を入れようとしたところ、市のルールで市の住民しか入居権利がないと言われて名前を入れることを拒否されてしまったとのこと。
彼女が今住んでいる市も公営住宅はあることはあるが、わたしたちが住んでいる市の方が財政的に豊かで多くの公営住宅をもっており、市民の所得水準も高くウェイティングリストに入っている人の数も少ないため、公営住宅に入れる可能性が格段に高いらしい。
8万円くらいの家賃でしかも広い公営住宅へ入居する期待をもっていた彼女は、いたく失望したのだろう。
彼に思い切りやつあたりをした挙句、なんとか入居できるようアレンジしろと頼んだというか命令したらしい。
彼は何度も受話器を耳から遠ざけながら、何度も何度も「とにかく市役所に一緒に行って、話をしに行こう。」と彼女を説得し、長い長い電話を終えたのだった。
彼女が憤慨したところで、彼には何の力もない。どんなに理不尽であっても、市のルールを変えることは不可能である。
「市役所に行ったところで何の助けにもならないと思うけどね。」と彼は言っていたが、一緒に再度市役所に行って説明を受ければ、一応彼女も納得せざるをえないであろう。
結局は、彼のお父さんが市の実力者に話をつけるということで、多少の可能性が見出されたが、それだけこの国で廉価な住居を得るということは困難なことなのである。
それにしても、彼女は自立心がなさすぎる。
「ねぇ。彼女は自由が欲しくて離婚したがってたんだよねぇ?なんでこうも何から何まであなたにおんぶにだっこなわけ?」
「いや、離婚はしたくなかったと思うよ。自由なんてセパレート前からあったんだから。それで経済的な心配もなく、育児の義務もなく、家事も僕がしているんだから、これ以上の生活なんてないでしょう?だから離婚の話が出たときに、彼女が留意した点はただふたつ。お金と住居だけ。」
「ごもっとも。」
子供たちと彼と4人で過ごした2日間は本当に淡々と過ぎていくばかりだった。
子供は子供同士で楽しそうに遊び、わたしたちは食事の支度以外はTV三昧。日曜日に少しだけ美術館に行った。
それでも、話す内容は盛りだくさんで。
来月にある国政選挙の話から政治の話、そしてTVで観た北極の話、イギリスである50年代の教育再現の話、映画の話、美術館で観たローマ帝国の話などなど。。
彼は教養があるので、いつも話していて刺激を受ける。あわてて世界史の教科書をチェックしてみたり。社会の成り立ちとか、どうしてキリスト教が力をもつに至ったか、仏教とはどういう違いがあるのか、けっこう考えてみると楽しいことを彼のおかげで再認識。
彼の場合、ただ試験のために記憶を詰め込んだというよりは、本当に好奇心をもって学んできたことがよくわかる。
夫との結婚生活ではありえなかった時間。「ガチンコ」を夢中で観るような人だったからねぇ。内容が何もない番組ばかり観て、無意味な時間だけが流れていく感じ。
まぁおかげで家でゆっくりしたはずが、頭は完全に飽和状態。
特別なことは何もない休日だったけれど、とても充実した2日間だった。
なんといっても、去年まで元奥さんが彼のアパートにい続けていたので外でしか会えなかったし、先週までは彼の試験のために一緒に過ごすことができなかった。
今回やっと、ゆっくりと一緒に過ごすことができたのである。
結果的にはほとんど家にいるだけだったけど、とても楽しい週末だった。
まぁ、実際のところ、またもや元奥さんから、アパートのことで電話があったりしたのだが。
彼女が今住んでいるアパートは、家賃12万円もするので、もっと安くていい物件を探しているのだが、わたしたちが住んでいる市の公営住宅のウェイティングリストに名前を入れようとしたところ、市のルールで市の住民しか入居権利がないと言われて名前を入れることを拒否されてしまったとのこと。
彼女が今住んでいる市も公営住宅はあることはあるが、わたしたちが住んでいる市の方が財政的に豊かで多くの公営住宅をもっており、市民の所得水準も高くウェイティングリストに入っている人の数も少ないため、公営住宅に入れる可能性が格段に高いらしい。
8万円くらいの家賃でしかも広い公営住宅へ入居する期待をもっていた彼女は、いたく失望したのだろう。
彼に思い切りやつあたりをした挙句、なんとか入居できるようアレンジしろと頼んだというか命令したらしい。
彼は何度も受話器を耳から遠ざけながら、何度も何度も「とにかく市役所に一緒に行って、話をしに行こう。」と彼女を説得し、長い長い電話を終えたのだった。
彼女が憤慨したところで、彼には何の力もない。どんなに理不尽であっても、市のルールを変えることは不可能である。
「市役所に行ったところで何の助けにもならないと思うけどね。」と彼は言っていたが、一緒に再度市役所に行って説明を受ければ、一応彼女も納得せざるをえないであろう。
結局は、彼のお父さんが市の実力者に話をつけるということで、多少の可能性が見出されたが、それだけこの国で廉価な住居を得るということは困難なことなのである。
それにしても、彼女は自立心がなさすぎる。
「ねぇ。彼女は自由が欲しくて離婚したがってたんだよねぇ?なんでこうも何から何まであなたにおんぶにだっこなわけ?」
「いや、離婚はしたくなかったと思うよ。自由なんてセパレート前からあったんだから。それで経済的な心配もなく、育児の義務もなく、家事も僕がしているんだから、これ以上の生活なんてないでしょう?だから離婚の話が出たときに、彼女が留意した点はただふたつ。お金と住居だけ。」
「ごもっとも。」
子供たちと彼と4人で過ごした2日間は本当に淡々と過ぎていくばかりだった。
子供は子供同士で楽しそうに遊び、わたしたちは食事の支度以外はTV三昧。日曜日に少しだけ美術館に行った。
それでも、話す内容は盛りだくさんで。
来月にある国政選挙の話から政治の話、そしてTVで観た北極の話、イギリスである50年代の教育再現の話、映画の話、美術館で観たローマ帝国の話などなど。。
彼は教養があるので、いつも話していて刺激を受ける。あわてて世界史の教科書をチェックしてみたり。社会の成り立ちとか、どうしてキリスト教が力をもつに至ったか、仏教とはどういう違いがあるのか、けっこう考えてみると楽しいことを彼のおかげで再認識。
彼の場合、ただ試験のために記憶を詰め込んだというよりは、本当に好奇心をもって学んできたことがよくわかる。
夫との結婚生活ではありえなかった時間。「ガチンコ」を夢中で観るような人だったからねぇ。内容が何もない番組ばかり観て、無意味な時間だけが流れていく感じ。
まぁおかげで家でゆっくりしたはずが、頭は完全に飽和状態。
特別なことは何もない休日だったけれど、とても充実した2日間だった。
最善を尽くす
先週に風邪をひいてから、ずっとすっきりと治らなかったけれど、今朝やっと調子がよくなってきた。
だからというわけではないけれど、懸案事項だったこともある程度結論がでてきた。
娘の就学を一年延ばすこと
今度の春に一時帰国して正式に離婚すること
4月からはパートタイムになってお金の心配もあるけれど、早速彼と市役所に行って、保育料減額と育児手当増額の申請に行ってきた。
育児手当はどうなるかわからないが、保育料減額はほぼ確実に実現する。月1万円の減額だから結構大きい。
また、別途、ソーシャルワーカーの人にも経済的な問題について相談しにいく予定である。
彼は、今週試験に落ちてしまってひどく落ち込んでいたのだが、急遽大きなクライアントからモデル設計の仕事が入り、今忙しそうに働いている。
なかなかパーマネントの職は得られないものの、そういう細切れの仕事でそれなりの評価を得ているらしい。
彼は真面目だし、働くことが好きだ。そういう積み重ねが将来につながっていくと思っている。
わたしも、6月に東欧で開催される国際会議に出席するので、今地道に実験をやっている。
面白い結果が出てきて、指導教官らといろいろディスカッションしている。
いろいろと問題は出てくるし、悲観的な事実もいろいろ明るみになってはきているものの、とりあえず何でもやってみるしかないんだよなーとしみじみ。
というか、こっちの人って、問題が出ればすぐ着手する。
そのすばやさはすごいと思う。
論文執筆に懸念があればパートタイムへの移行を示唆してくれたり、英語の能力に問題があれば個人レッスンをアレンジしてくれたり、お金に困れば自治体に働きかけようとしたり。
彼が元奥さんのことで問題が出たときに、離婚を決意する前にすでに弁護士に相談しにいったというのもすごいけど。
できることをかたっぱしからやってみて、なんとかして問題を解決しようとする。
この国の人たちの、そういう姿勢に感化されたのかもしれない。
わたしの離婚にしても。
わたしが長いこと問題を放置していたから、余計に事態が複雑になってしまったわけで。
そういう意味で、この国にいるといろいろ自分の姿勢を省みさせられる。
だからというわけではないけれど、懸案事項だったこともある程度結論がでてきた。
娘の就学を一年延ばすこと
今度の春に一時帰国して正式に離婚すること
4月からはパートタイムになってお金の心配もあるけれど、早速彼と市役所に行って、保育料減額と育児手当増額の申請に行ってきた。
育児手当はどうなるかわからないが、保育料減額はほぼ確実に実現する。月1万円の減額だから結構大きい。
また、別途、ソーシャルワーカーの人にも経済的な問題について相談しにいく予定である。
彼は、今週試験に落ちてしまってひどく落ち込んでいたのだが、急遽大きなクライアントからモデル設計の仕事が入り、今忙しそうに働いている。
なかなかパーマネントの職は得られないものの、そういう細切れの仕事でそれなりの評価を得ているらしい。
彼は真面目だし、働くことが好きだ。そういう積み重ねが将来につながっていくと思っている。
わたしも、6月に東欧で開催される国際会議に出席するので、今地道に実験をやっている。
面白い結果が出てきて、指導教官らといろいろディスカッションしている。
いろいろと問題は出てくるし、悲観的な事実もいろいろ明るみになってはきているものの、とりあえず何でもやってみるしかないんだよなーとしみじみ。
というか、こっちの人って、問題が出ればすぐ着手する。
そのすばやさはすごいと思う。
論文執筆に懸念があればパートタイムへの移行を示唆してくれたり、英語の能力に問題があれば個人レッスンをアレンジしてくれたり、お金に困れば自治体に働きかけようとしたり。
彼が元奥さんのことで問題が出たときに、離婚を決意する前にすでに弁護士に相談しにいったというのもすごいけど。
できることをかたっぱしからやってみて、なんとかして問題を解決しようとする。
この国の人たちの、そういう姿勢に感化されたのかもしれない。
わたしの離婚にしても。
わたしが長いこと問題を放置していたから、余計に事態が複雑になってしまったわけで。
そういう意味で、この国にいるといろいろ自分の姿勢を省みさせられる。
断念した理由
友達と話して、夫と争うことを断念し、夫の掲示してきた合意書に従おうと思う、と彼に言ったら、とても残念そうにした。
過失はわたしだけではないのに、しかも夫よりも貧乏で定職もなく、100%の養育義務を負わされているわたしが、なぜ200万円という慰謝料を払わなければならないのか、納得いかなかったのだろう。
なまじ彼自身は弁護士に相談することによって思い通りの合意書が得られただけに、わたしが何も行動せずに受け入れてしまうことに忸怩たる思いがあるに違いない。
確かに、わたしだって納得しているわけではない。
しかし、夫は合意書を受け入れない限りは、家裁で争うと明言しており、彼のように調停前に話し合って合意に至ることはもはや不可能である。
しかも、彼の場合、元奥さんはお金がないだけに、弁護士に相談に行っていない。法曹界の助けがなく無知であったからこそ、彼の思惑通りにいったのである。
わたしたちの場合は違う。おそらく、夫はすでに弁護士に相談に行っていると思う。しかもそこそこお金ももっている。彼の元奥さんと違って、わたしに勝つために金に糸目をつけないことは自明である。
彼の元奥さんがもっとも気にしていたのはお金のことであるため、いずれにしてもお金をかけてでも争うことは避けようとしたと思う。しかし、夫はあくまでも自分の名誉を守ることがもっとも最優先事項であるから、争うことを辞さないのである。
たとえ、わたしが日本の弁護士を探し当てて夫と交渉しようとしても、きっと協議離婚はできない。
弁護士に相談してわたしの権利が明白になったところで、調停なしで夫を納得させることはできないのである。
養育権について争うのだとしたら、お金をかけても家裁で調停してもらうのはやむをえないとしても、お金のことで争うのに、家裁で調停してもらうのは無駄なエネルギーを消費することにほかならない。
実際、わたしは日本からかけ離れたところに住んでいる。
日本にまったく帰らずに争うことは不可能であろう。
しかも調停にどのくらいかかるのかもわからない。
弁護士の委託費、旅費、およびわたしの渡航費すべてを考慮すると、たった200万円ごときで争うのはバカバカしいと思うのである。
わたしだって悔しい。
でも、わたしの最優先事項は、「夫と離婚すること」ほかならない。
日本に、離婚のことを扱った漫画がある。
<あらすじ>
主人公の友達は、夫の浮気に悩まされ挙句に離婚を決意する。
しかし、亭主関白だった夫は、妻への恋愛感情は喪失しているとはいえ、実際のところは妻がいてこそ生活が成り立っており、妻の離婚掲示にショックを受け、離婚を固辞する。
妻は何が何でも離婚したいと願い、弁護士にも相談しに行く。
弁護士を交えた話し合いが夫婦間で行われるが、離婚をしたくない夫は、合意書の条件をどんどんつりあげていく。
妻はその合意書におどろくが、調停するとなると時間もお金も莫大にかかることを弁護士に示唆され、家裁で争うことを断念し、夫が掲示した合意書に従うことを決意、協議離婚に至る。
夫は家庭生活を一切省みず、不貞行為まで働いていたにもかかわらず、財産は100%夫のもの、養育権は100%夫のものという理不尽な合意書で離婚したのである。
しかし結果的には、離婚が達成できた妻はすべて失ったとはいえ、夫の束縛から離れられることができて人生に希望を見出し、対して夫はそこまで厳しい合意書を受け入れてまで離婚したかった妻の本意を知って心底失望する。
この国は、離婚の経済的な問題に関するルールは至ってシンプルで、財産分配は50%ずつ、離婚後は新しいパートナーを得るまで収入の多い方が少ない方に対して経済援助をしなければならないことになっている。
しかし、日本の場合は違う。
協議離婚にしたいのなら、離婚のしたい方が条件的に不利になるのである。
それでも、この漫画のように、いくら条件をいじったところで、結局は離婚したくない方がより傷つくことになるのではないだろうか。
わたしは、たとえ夫の希望通り慰謝料200万円を払っても、夫の気は晴れないと思う。
たとえ、離婚の過失がわたしにあるということにして、夫の名誉が守られたとしても、「離婚したい」とわたしが言い出した時点で、きっと夫も夫自身の至らなさを認識したのではないかと思う。
だからこそ、受け入れようと思えたのかもしれない。
この条件でも、夫は離婚を受け入れた。それで充分ではないか、と。
お金で、きもちを満たすことなんて、本来はできない。
過失はわたしだけではないのに、しかも夫よりも貧乏で定職もなく、100%の養育義務を負わされているわたしが、なぜ200万円という慰謝料を払わなければならないのか、納得いかなかったのだろう。
なまじ彼自身は弁護士に相談することによって思い通りの合意書が得られただけに、わたしが何も行動せずに受け入れてしまうことに忸怩たる思いがあるに違いない。
確かに、わたしだって納得しているわけではない。
しかし、夫は合意書を受け入れない限りは、家裁で争うと明言しており、彼のように調停前に話し合って合意に至ることはもはや不可能である。
しかも、彼の場合、元奥さんはお金がないだけに、弁護士に相談に行っていない。法曹界の助けがなく無知であったからこそ、彼の思惑通りにいったのである。
わたしたちの場合は違う。おそらく、夫はすでに弁護士に相談に行っていると思う。しかもそこそこお金ももっている。彼の元奥さんと違って、わたしに勝つために金に糸目をつけないことは自明である。
彼の元奥さんがもっとも気にしていたのはお金のことであるため、いずれにしてもお金をかけてでも争うことは避けようとしたと思う。しかし、夫はあくまでも自分の名誉を守ることがもっとも最優先事項であるから、争うことを辞さないのである。
たとえ、わたしが日本の弁護士を探し当てて夫と交渉しようとしても、きっと協議離婚はできない。
弁護士に相談してわたしの権利が明白になったところで、調停なしで夫を納得させることはできないのである。
養育権について争うのだとしたら、お金をかけても家裁で調停してもらうのはやむをえないとしても、お金のことで争うのに、家裁で調停してもらうのは無駄なエネルギーを消費することにほかならない。
実際、わたしは日本からかけ離れたところに住んでいる。
日本にまったく帰らずに争うことは不可能であろう。
しかも調停にどのくらいかかるのかもわからない。
弁護士の委託費、旅費、およびわたしの渡航費すべてを考慮すると、たった200万円ごときで争うのはバカバカしいと思うのである。
わたしだって悔しい。
でも、わたしの最優先事項は、「夫と離婚すること」ほかならない。
日本に、離婚のことを扱った漫画がある。
<あらすじ>
主人公の友達は、夫の浮気に悩まされ挙句に離婚を決意する。
しかし、亭主関白だった夫は、妻への恋愛感情は喪失しているとはいえ、実際のところは妻がいてこそ生活が成り立っており、妻の離婚掲示にショックを受け、離婚を固辞する。
妻は何が何でも離婚したいと願い、弁護士にも相談しに行く。
弁護士を交えた話し合いが夫婦間で行われるが、離婚をしたくない夫は、合意書の条件をどんどんつりあげていく。
妻はその合意書におどろくが、調停するとなると時間もお金も莫大にかかることを弁護士に示唆され、家裁で争うことを断念し、夫が掲示した合意書に従うことを決意、協議離婚に至る。
夫は家庭生活を一切省みず、不貞行為まで働いていたにもかかわらず、財産は100%夫のもの、養育権は100%夫のものという理不尽な合意書で離婚したのである。
しかし結果的には、離婚が達成できた妻はすべて失ったとはいえ、夫の束縛から離れられることができて人生に希望を見出し、対して夫はそこまで厳しい合意書を受け入れてまで離婚したかった妻の本意を知って心底失望する。
この国は、離婚の経済的な問題に関するルールは至ってシンプルで、財産分配は50%ずつ、離婚後は新しいパートナーを得るまで収入の多い方が少ない方に対して経済援助をしなければならないことになっている。
しかし、日本の場合は違う。
協議離婚にしたいのなら、離婚のしたい方が条件的に不利になるのである。
それでも、この漫画のように、いくら条件をいじったところで、結局は離婚したくない方がより傷つくことになるのではないだろうか。
わたしは、たとえ夫の希望通り慰謝料200万円を払っても、夫の気は晴れないと思う。
たとえ、離婚の過失がわたしにあるということにして、夫の名誉が守られたとしても、「離婚したい」とわたしが言い出した時点で、きっと夫も夫自身の至らなさを認識したのではないかと思う。
だからこそ、受け入れようと思えたのかもしれない。
この条件でも、夫は離婚を受け入れた。それで充分ではないか、と。
お金で、きもちを満たすことなんて、本来はできない。
苦しさを乗り越えてこそ
月曜日に彼の元奥さんが息子さんを引き取ったものの、息子さんが風邪をひいてしまい、急遽彼が引き取ったそうだ。
いくら養育権が100%彼にあるにしても、働いてなく時間的に余裕のある彼女は息子さんの看病をしたいと思わなかったのだろうか、と少し悲しくなった。
さんざん聞いてはいたけれど、彼女にとって子供との関わりあいというのは、「お楽しみ」であって、「親としての責務」ではないのだなぁ、と。
そういうところ、夫に似ている。
夫にとって、「子育て」のみならず、「結婚生活」も、「人生に潤いを与えるもの」以外の何ものでもなかったと思う。
実際に、わたしがこの国に来ることに決めたとき、夫は、「俺の楽しみを奪いやがって」と吐いたのだった。
夫は、誰よりも遅く起きて、誰よりも早く家を出ていた。
あわただしい朝、あわてて子供の朝ごはんの支度をしたり、着替えさせたり、保育園の準備をするあのすざましい時間を夫は知らない。
保育園で、仕事に行かなければならないのに、なかなか子供が集団の中に入っていけない葛藤も知らない。
楽しいことだけではなく、子供がいることによって感じる「イライラ」を知らずにすんでいた。
ただ、休日の楽しい時間を過ごして、「かわいい」「いとおしい」子供をみるだけだ。
「結婚」にしても、「楽しい時間」だけをのぞんでいた。
議論で反対の意見をいうと、そこでもうシャットアウト。
わたしには、おいしいご飯と、夫への共感同調だけをのぞんだ。
一緒に難しい問題に取り組むなんて、とんでもないこと。
友達に、「なんでご主人に彼のことを話してしまったの?」と言われた。
どこまでも自分本位で、自分の苦しさしか視野のない夫に対して、離婚原因に夫の過失も寄与しているなんて認めさせるのは到底不可能であり、離婚を受け入れさせるには、彼のことを話すしかないと判断したからだ。
案の定、離婚の原因を、「関係不和」から、「妻の不貞行為」に責任転嫁することによって、夫は離婚を受け入れるに至ったのである。
友達が、「何かをしてもらう、ではなく、自分から何かをしてあげることが幸せと思うようになってから、関係がよくなった。」と言っていたけれど、本当にそのとおりだと思う。
関係があることにただ安心するのではなく、関係によって伴ってくる困難に自分が責任をもって対処することで、本当の「関係」が成立するのだと思う。
「負け犬」という本が流行って、今ではそのドラマもやっているそうだけれど、本当にナンセンスだなぁ、と思う。
「負け犬」である著者いわく、「こんなに受けるとは思わなかった。」だそうだけれど、これってまさに世の中の風潮に無意識のうちに傷つけられているひとたちのコンプレックスを刺激することを意図した、出版社の戦略ほかならない。
しかも、本当に子育てに携わっていないオヤジに限って、「子供のいない人は」と言ったりするんだよなー。本当にその苦しさを知っている人間からしてみれば、子供をもつかどうかは本人の自由だと思う。
「結婚」にしても、「子育て」にしても、いやほかのことすべて、いいことだけではない、苦しいことも多分に含んでいるもの。
言ってしまえば、それを避けては何も得られないと思う。
「関係」も、「自己啓発」も、ラクして得られるものではない。
それによって生じる苦しさを自分の責任で引き受けてこそ、達成できるものではないだろうか。
とりあえず、夫の掲示してきた合意書を受け入れようと思う。
でも、友達に同伴してもらって、言いたいことはいうつもりである。
わたしの望むことは、お金ではなく、夫に離婚の本質的な原因について認識してもらうことだから。
夫に理解させるのは無理だとは思うけれど、自分の過失を認められないうちは、成長できないよ。
いくら養育権が100%彼にあるにしても、働いてなく時間的に余裕のある彼女は息子さんの看病をしたいと思わなかったのだろうか、と少し悲しくなった。
さんざん聞いてはいたけれど、彼女にとって子供との関わりあいというのは、「お楽しみ」であって、「親としての責務」ではないのだなぁ、と。
そういうところ、夫に似ている。
夫にとって、「子育て」のみならず、「結婚生活」も、「人生に潤いを与えるもの」以外の何ものでもなかったと思う。
実際に、わたしがこの国に来ることに決めたとき、夫は、「俺の楽しみを奪いやがって」と吐いたのだった。
夫は、誰よりも遅く起きて、誰よりも早く家を出ていた。
あわただしい朝、あわてて子供の朝ごはんの支度をしたり、着替えさせたり、保育園の準備をするあのすざましい時間を夫は知らない。
保育園で、仕事に行かなければならないのに、なかなか子供が集団の中に入っていけない葛藤も知らない。
楽しいことだけではなく、子供がいることによって感じる「イライラ」を知らずにすんでいた。
ただ、休日の楽しい時間を過ごして、「かわいい」「いとおしい」子供をみるだけだ。
「結婚」にしても、「楽しい時間」だけをのぞんでいた。
議論で反対の意見をいうと、そこでもうシャットアウト。
わたしには、おいしいご飯と、夫への共感同調だけをのぞんだ。
一緒に難しい問題に取り組むなんて、とんでもないこと。
友達に、「なんでご主人に彼のことを話してしまったの?」と言われた。
どこまでも自分本位で、自分の苦しさしか視野のない夫に対して、離婚原因に夫の過失も寄与しているなんて認めさせるのは到底不可能であり、離婚を受け入れさせるには、彼のことを話すしかないと判断したからだ。
案の定、離婚の原因を、「関係不和」から、「妻の不貞行為」に責任転嫁することによって、夫は離婚を受け入れるに至ったのである。
友達が、「何かをしてもらう、ではなく、自分から何かをしてあげることが幸せと思うようになってから、関係がよくなった。」と言っていたけれど、本当にそのとおりだと思う。
関係があることにただ安心するのではなく、関係によって伴ってくる困難に自分が責任をもって対処することで、本当の「関係」が成立するのだと思う。
「負け犬」という本が流行って、今ではそのドラマもやっているそうだけれど、本当にナンセンスだなぁ、と思う。
「負け犬」である著者いわく、「こんなに受けるとは思わなかった。」だそうだけれど、これってまさに世の中の風潮に無意識のうちに傷つけられているひとたちのコンプレックスを刺激することを意図した、出版社の戦略ほかならない。
しかも、本当に子育てに携わっていないオヤジに限って、「子供のいない人は」と言ったりするんだよなー。本当にその苦しさを知っている人間からしてみれば、子供をもつかどうかは本人の自由だと思う。
「結婚」にしても、「子育て」にしても、いやほかのことすべて、いいことだけではない、苦しいことも多分に含んでいるもの。
言ってしまえば、それを避けては何も得られないと思う。
「関係」も、「自己啓発」も、ラクして得られるものではない。
それによって生じる苦しさを自分の責任で引き受けてこそ、達成できるものではないだろうか。
とりあえず、夫の掲示してきた合意書を受け入れようと思う。
でも、友達に同伴してもらって、言いたいことはいうつもりである。
わたしの望むことは、お金ではなく、夫に離婚の本質的な原因について認識してもらうことだから。
夫に理解させるのは無理だとは思うけれど、自分の過失を認められないうちは、成長できないよ。