新たな可能性(2)
いろんな問題を認識してそっちに関わるあまりに、最初設定した方向性からかなりかけ離れてきているのだが、だからこそ思いもかけずいろんなこともわかってきて、その成果を指導教官は認めてくれ、今はわたしの思うように研究をやらせてもらっている。
最初は、あまりにも思い通りに進まないわたしの研究に対して、指導教官がどう思うのか危惧していたのであるが。
「世界を征服する」
これって、一見わかりやすい欲求だけれど、世界を自分の思い通りに支配することって、それほど魅力的なことだろうか、とわたしは思う。
確かに、あまりにも思いどおりにならないことも、それはそれでストレスになるけれど、逆に何でも思い通りになることもかえってつまらないのではないか、と思う。
豪華なものを毎日食べても飽きる。
だけど、思い通りにしたい、というのは、アニメじゃなくても、当たり前の感情であるように思う。世界征服は極端にしても。子供を育てるのだって、思い通りに育ってくれないとイライラすることは多い。
わたしは、その感情に支配されることに対して、危機感をもっているのである。
わたし自身は、思い通りにならないことを受け入れてみるのも、また違う局面を迎えたり、あるいはさらに発展するチャンスのひとつなのではないか、と思うから。
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彼の元奥さんから、夜電話があった。
また例のごとく細かい質問が目的だったそうだが、そのときに、毎月彼が彼女に送金しているお金から、お父さんから借りていた借金を少しずつ返して欲しいとの申し出があったとのこと。
過去に何度も借金を踏み倒してきたり、養育費を払うことを最初は躊躇していた彼女から、そんなセリフが出るとは。確かに、比較的安定した職を得ることができ、アパートも決まり、生活がある程度安定したおかげも働いているのかもしれないが、今までどんなに欲求をかなえても満たされなかった彼女に、どんな心境の変化があったのだろうか。
だけど、なんとなくだけれど、彼に対する態度を軟化させてきているように思う。前よりも怒りやイライラをぶつけてこなくなったというか。
今まで、アパートや仕事のことでなかなか思い通りにいかず、しかもクリスマスに孤独だったことから、恋人や友達にも去られたりしたのではないだろうか。彼女なりになにか学んだことがあったのかもしれない。そんな中、別居しても変わらず支援してくれる彼に対して、感謝のきもちをもつようになったのではないか、と。
あくまでもわたしの推測なのだけど。
でも、頻繁に電話してくるあたり、自由が欲しいくせに、同時にさみしがりやでもあると察している。安定している彼は、彼女にとって、一種のよりどころなのではないか。だから、彼に対する態度を改め始めたのではなかろうか。
アニメの中で、ロボットは人間の都合のいいように使われるだけ使われ、最終的には反撃に出る。
何でも思い通りにならないことを受け入れることが、新たな一歩になりうる。
新たな可能性(1)
数日前に図書館で借りてきた、手塚治虫原作のアニメ、「メトロポリタン」のDVDを二日連続で観た。音声そのままで、現地語の字幕で観たのだが、わたしは花瓶を作りながらで、彼は字幕の鑑賞だったせいか、2人とも一回だけでは理解できなかったからである。
少し軽いタッチではあるものの、重いテーマのせいか、鑑賞後はどっと疲れが出て、いつもなら饒舌のわたしたちも言葉少なである。
重いテーマというか、「メトロポリタン」というように、非常に発達した高機能都市に関するストーリーなので、自然が好きなわたしたちにとって、これでもかこれでもかと畳み掛けてくるような無機質的な画面にいたたまれなくなってしまったというべきか。
ある実力者が力で世界を支配するために、高機能のロボットおよび基地を開発して利用する計画をたてるのだが、最終的にはロボットの逆鱗に触れて逆に都市が破壊されてしまうというのがメインの内容だ。
ロボットに仕事を奪われた人間たちのフラストレーションや、愛情に飢えている人の痛々しいほどのロボットに対する憎悪など、人間の生々しい感情が交錯していくのもこの映画を模る重要な伏線なのであるが、もっとも印象的だったのは、実力者が、高機能ロボットに対して、
「おまえは、世界を支配する椅子に座る運命にあって、感情や愛情など下等なものをもちあわせることなどない。」
というセリフ。
なんともいえない後味が残る映画だった。
この映画の趣旨ははっきりしていて、それに賛同もできるし、あまりにも現実からかけ離れた架空の話だと割り切ることも容易なのであるが、まったく現実的ではないとばっさり言えないというか、ある意味、常に危機感をもっていたことを改めて刺激された感がある。
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わたしは、求められることをすんなりこなせない不器用な人間で、そのことで自己嫌悪に陥ることもあるし、そつがない人をイライラさせることも多いと思う。現に、そういうタイプとはしょっちゅう衝突もしていたし、嫌われることもあった。
確かに、改善しなくてはいけないと思う一方で、今のままでもいいのではないか、というきもちももつようになった。
昨日も、ささやかではあるのだが、実験中に起きた面白い現象に気がつき、それについて思ったことを指導教官に話したら、最初は懐疑的だった彼も、「もしそれが事実だとしたら、ものすごい可能性が生まれてくるよ。とにかく、思ったことを確認してみよう。」と言ってくれたのだった。
もちろん、実現できるかどうかは夢みたいなことなんだけど、面白いなと思った。意図していなかったことが、もしかしたらものすごい発明につながるかもしれない。その思いがけなさがエキサイティングで面白いなぁ、と。
でも、そのちょっとしたことを拾えるかどうかというのも、感性によるところが大きいのではないかと思っている。決して、機械などではできない。可能性を広げられるのって、人間ならではのこと。
お見舞い
昨日、子供たちを寝かせてから、作業をした。
そして今日、お昼ごろに彼の実家に行ってきた。
彼のお父さんのお見舞いに。
作業とは、花瓶造り。
大きな画用紙に染め和紙をちぎったものを貼り付け、それを折って作ったのである。
その花瓶に合いそうな花を、と、紫がかったかすみ草を選んで買った。
突然うかがってかえって体調の悪さに負担に感じられたらどうしようと不安であったが、思いのほかお父さんは元気そうで安心した。
そして、手作りの花瓶と買ってきた花を気に入ってもらえてよかった。
そして、詳しい事情についてうかがったが、不整脈については何が原因なのかもわからないし、不測することも、予防することも不可能なんだという。
しかし、3年前にも同様の問題が起きたことから、今後も再発する可能性は充分ありうるという。
ペースメーカーの埋め込みは最後の手段で、できる限りは様子見でいくそうだ。
いつまでも元気であって欲しい。
夏への序章
一報目の論文、今送付した。
10月に提出したものが、先月末やっと返答がきて、そのコメントを考慮して修正し、送り返したところである。しばらくしたら、学会誌に掲載されるだろう。
9年前にアメリカの雑誌に投稿したときとは違って、今は完全電子ファイルでの提出で、以前のように手で図を書いたり、ハサミで切り貼りする必要もなく、すべてパソコンでの処理で時代の変化を感じたけれど、なんだかんだ図の細かい修正でやっぱり数日はかかった。というか、やっぱり画像って、デジタルとアナログでは見え方にバイアスが生じるので、雑誌に掲載されたときにどう見えるかを意識するあまりに、どう調整したらよいか迷いが生じてしまったという感じ。
便利になったんだか、不便になったんだか。
それにしても。
今回は日本人がコメントしたことを明確に知っていたのだが、やっぱり欧米人と違うのは、目の付け所が細かい。
それは、研究に対する姿勢もしかり、なんであるが。
よい結果を合理的に求めようとする欧米人とは対照的に、最適化の目的が離れても、どうしてそうなるのか原因を追究するべく、実に緻密な実験をしたりする。
かくいうわたしも、日本人的なスタンスを保ちながら研究しているが。
もっとも、国籍とは関係なく、個人に帰するところが大きいけれど。
それとは別に、さらにもう2本、論文の執筆を始めるべく、準備をしている。
ストーリーを大体決めて、それに従って、補足の実験をしている。
やっぱり、ちまちまパソコンで論文の修正をかける作業よりも、実験しているほうが楽しい。
もっとも、これは6月の学会でも使う予定のデータである。学会の準備もしなくてはならない。(重荷)
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最近、8時まで明るいので、夕飯後に出かけることが多くなった。
今日は、図書館と近くの湖へ。
白鳥にあげるエサとしてパンを持参して出かけた。
途中通りかかる運河で、9月に終わっていた遊覧船が久しぶりに浮いているのを発見。
通常、5月から9月の間だけ、近くの運河で遊覧船が運航する。
もうすぐ運航されるので、修理すべく、業者が倉庫から出したのだろう。
夏がくるんだなぁ、と実感。
思えば、去年の夏の終わり、彼と知り合って間もないころ、まだつきあう前に、突然彼が子連れで我が家に来て、ここに連れてきてもらったのだった。
彼との2度目の夏は、、、、
6月に学会でバルト三国のリトアニアに同伴で行くし、7月には浜辺近くのサマーコテージでの滞在、8月にはお父さんの60歳の誕生日パーティもあるし、その延長でみんなで遠出もする。
忙しくなりそうだ。
同棲?ルームシェア?
専門書を貸してあげるために、日本人学生の子と一緒に昼ごはんを食べた。
今3つの授業を抱えており、ドクターであるわたしよりもずっと切羽詰っている様子だった。
しかし、なんと今度からボーイフレンドと同棲(彼女はルームシェアと言い張っていたが)を始めるのだとか。
彼との関係性についてはずっとあいまいにしていた彼女であるが、そこまで発展していたとは。
でも、この国では同棲は非常に一般的である。
いつも一緒にいたいからというような甘い感情からではなく、若い人はみんな親から完全自立しているために貧乏で、一緒に暮らした方が経済的に有利だからという現実的な理由が主なようである。
したがって、むしろ結婚前に同棲しないカップルがいないのではないか、というほど。
こっちのカップルの関係性は、より生活に根付いているような気がする。
お金がないから外のデートも、外食などはほとんどせず、一緒に買い物して家で食事をするなど生活を共有しあう付き合い方なのだと思う。
わたしは、結婚に失敗したから言うのであるが、同棲は推奨している。
生活してみて初めて認識する問題もたくさんあるからだ。
外で会っているうちは、相手の一部をみているにすぎず、本質を知ることはできない。
というか、本質を垣間見ることができても、一緒に暮らしていないうちは、それが問題にならないことも多い。
例えば、わたしと夫は、趣味も嗜好も価値観も著しく異なるために、会話が成立しないことも多々あったのであるが、しょっちゅうドライブに出たり、遊園地やどこかの観光地などで過ごすことがほとんどであったから、会話が充実しなくともやり過ごせていた。
というか、かみあわなかったから、環境に楽しさを求めていたような気がする。
だけど、それが一緒に暮らすともなると、さすがに毎日どこかへ行くことは到底無理なわけで(とはいえ、夫が研究生で早く帰宅できていたときは毎日車で出かけていた。)、二人の関係性のよしあしが問われてくる。
今、試験的に一緒に暮らしているが(というか、転がりこんだまま面倒くさくて帰っていないだけ。)、非常に快適な生活である。
毎日話すネタには事欠かないし、ささやかなことで愉しめる価値観を両者ともにもっているし、微妙なバランスで家事育児の分担はできているから(というか、家事はわたし担当で育児は彼担当と、明確に分かれている。でも、わたしは育児は苦手で家事が好きなので、大歓迎の分担である。)、ストレスレスな毎日である。
不安
彼のお父さんが病院に行ったとのこと。
朝から調子が悪く、ホームドクターにかかったところ、病院で検査してみなさい、と言われたそうだ。
3年前にも妙に疲れやすいことから病院で検査をしてみたら、不整脈であることが判明し、電気ショックを与えてもらって回復したという前科があることから、今回もそれが原因だろう、と。
一瞬、目の前が真っ暗になった。
彼のお父さんは、ある意味で、彼以上に信頼を寄せているというか、感情に流されやすい彼と違って、いつも的確な判断力をもち、かといって冷たい感じはまったくなく、人間性としてもすばらしい、とても安心できる人としていつも頼ってしまっている。
だから、病院に行ったと聞いてまず思ったのは、
お父さんがいなくなったら、どうしよう。
と。
それと、
土曜日わたしにつきあってくれたことと、
日曜日ふせっていたわたしに替わって子守をしてくれた疲れがでたのではないか、
ということ。
さんざん彼の元奥さんのことをなじりながら、わたしも周囲の迷惑を顧みずに行動してしまっている。
ああ、ごめんなさい、もう二度と2日酔いになるほど飲みません!!
結局
病院では7時間も待たされ、夜の10時ごろに検査を受けたそうだ。
声の感じでは思いのほか元気そうだったので、安心した。
ずっと連絡がなく、彼ともんもんとしていたので、お父さんから電話があったときには心底ホッとした。
いつも、彼のお父さんの好意に甘え続けてきた。
ちょっとしたことでも、すぐに車を出してくれてきた。
でも、今後はもっとお父さんのコンディションを慮らないと、、、
と思った夜だった。
慟哭(2)
そういうきもちを彼と彼のお父さんにぶつけ、一応彼らは理解してくれ、子供たちも一緒に皆で彼女のところに行くことになった。
文句のひとつでも言って、今後アテにしてこないよう釘をさそうと。そして、今は彼には新しい家族があるのだから、今までのように、彼を困ったときには助けてくれる便利な人と思わないで欲しい、と訴えようと思ったのだ。
それでドキドキしながら行ったのだが、案の定というか、彼女はわたしのことなどハナから無視。
「もうアテにしないで。」といったけれど、彼女の耳には届いていないだろう。
しかも、彼は、本当に彼の力を必要とされる重い家具以外の荷物に関しても、業者以上に甲斐甲斐しく運んでいる始末。
そして、娘も。
娘は本当に働くことが好きというか、大人のやることを真似するのが好きである。何回も何回も往復しては、娘も運べそうな軽いもの、ベッドのパーツや紙袋、ソリなどを一生懸命運んでいた、、、。
きっと彼らは、評価されるとか一切関係なく、掛け値なしに働くことが好きなんだろう。
かれこれ30分くらいたっただろうか。すべて荷物を業者の車に積んだあと、新しい住居のところでは隣人に頼むということで、彼は帰れることになった。
というか、荷物を見た限りでは、他の助けがなくとも、彼女と業者の人だけで対応できそうな感じだった。
帰り道、わたしは悲しくてしょうがなくて、車の中でずっと泣いていた。
今回思ったことがある。
彼女は、頻繁にメールや電話をやり取りする友達は多いかもしれないが、しっかりとした関係を築いている人は少ないであろうということ。
彼女は、去年の9月ごろ、甘いささやきあいをしていたあたり、きっと恋人がいたであろうと思うのに、クリスマスの時期は孤独なようであった。
そして、今、細かいことも含めて、少しでも困ったことがあればいちいち彼に電話してくるあたり、恋人はいないことは確実。
詳しい事情はわからないが、11月ころに言い合いっぽいやり取りを彼は聞いたそうだ。きっとそのころにすでに破局していたのかもしれない。
基本的に明るい気質をもつ彼女は、恋人や友達を作ることも容易であるかもしれない。
だけども、相手に誠意のない対応をしていれば、安定した関係は築けない。
どんなに失礼なことをされても受け入れる彼のような人は、他になかなかいない、稀な存在といえよう。
わたしは、はっきりいって、彼のようにはとてもなれない。
わたしは、彼女にわかって欲しい。
自分が社会の中にいる一人なんだってこと。
人と人と、お互いに影響を与え合って生きているんだってことを、認識して欲しい。
自分の都合どおりに周りが存在していないんだってことを、認識して欲しい。
だけど。
彼女は、きっと、ちっともわかってないんだと思う。
だから、彼にきっぱり拒否して欲しかった。
慟哭(1)
土曜日は、ものすごく傷ついて、ワイン一本急いで空けたら、歩けないくらいに酔っ払って、日曜日は頭痛に腹下しがなかなかよくならず、とてもいい天気だったにもかかわらず一日中家に閉じこもった。
おかげで娘は、彼と彼のお父さんに面倒みてもらって夕飯も彼の実家で食べてもらい、しかも、わたし自身空腹を覚えても食べたいものがなく、自分で白菜のおひたしと、こんにゃくのみそ炒めと、グリーンサラダを作って食べた。
本当にバカである。
32歳にもなって、どうなるか予想がつきながらヤケ酒。
本当に、なんであんなに自暴自棄になったのだろうか。
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金曜日。
又貸しが禁止されているために、今月中にアパートを出なければならなくなった元奥さんは、幸いにして人の紹介で別のアパートを見つけることができた。
しかし、物理的な問題として、今ある家具や荷物を新しい住居に移さなければならず、そのために彼に運送会社を手配してくれと、彼のお父さんの家に電話要請があった。
彼は運送会社に電話したものの、日曜日まで人があいてないとの会社側の返答。彼も彼女の都合がわからなかったので手配はしないまま終わった。
あいにく、そのあとお父さんの仕事の都合で電話がふさがってしまい、結局彼女に連絡できないまま、彼は帰宅した。
結局彼のお父さんが運送会社は日曜日まで空いてないことを彼女に伝え、別の運送会社の電話番号も教えたとのこと。
最終的には彼女が運送会社の手配をしたそうだが、そもそもなんで彼女が直接運送会社を手配しなかったのか、電話番号を聞くだけならまだしも、彼女の状況を把握していない彼に電話させるなんて、非効率きわまりないと思ったのだ。
土曜日。
この日の夕方に引越しすることになったとのこと。
それで、朝から頻繁に電話してきては、ベッドの解体はどうやったらいいのかなど細かいことを彼に聞いていた。
でも、実際の引越しの作業は手伝いに行かないと言っていた。
しかし、わたしと娘がバレエ教室に行っている間、彼は急の仕事で実家に帰っていたのだが、そのときに、彼女から、手伝いに来てくれるはずの友達が土曜日は仕事が入って来れなくなったので、代わりに彼に来て欲しい、と連絡してきたとのこと。
最初はそれを断った彼であるが、どうしても代わりの人がみつからないことを慮って、手伝いに行くことにしたのだ。
だけど、それを聞いたわたしは、思わず大激怒した。
確かに、わたしは彼を束縛する権利なんてない。
彼が手伝うことに決めたのなら、それをとめることなどできない。
でも、どうしてもわたしの感情が許さなかった。
彼の元奥さんだから面白くないのではなくて、彼を軽蔑し、バカにし、どんなに彼に誠意を尽くされても敬意を少しも示すことはない、でもいざとなったらとても親切な彼を利用するだけする彼女を、急遽手伝いに行くことに腹がたったのだ。
はっきりいって、基本的には業者に頼んでいるのだから、彼が手伝いにいかなくてもなんとかなるはずである。
だけども、困窮を示せば彼なら助けてくれる、そういう「アテ」が当たり前のように彼女に働いていることは間違いない。
今回も彼女の要求を受け入れることで、今後も彼女に、感謝もされないままアテにされ続けるのが嫌だったのである。
乳歯抜ける
娘の歯が抜けた。
まだ5歳3ヶ月なので早いような気がしたが、もう子供の歯が抜ける時期になったのかと思うとしんみりする。そういえば、顎が大きくなってきて、歯と歯の間隔がかなりあくようになっていた。
日本では、抜けた歯を、家の下から放り投げると聞いたことがあるが、なんだか抜けた歯はかわいらしくてとても放り投げられない。彼が、小さな壺を用意して、その中に入れたが、娘はそれはダメという。
「あのね、そこじゃなくて、ベッドに置くんだよ。」「でも、ベッドに置いたら、失くしちゃうじゃない?」「いいの。それでお金をもらうんだから。」「???????」「あのね。歯が抜けたらね、夜におばけが来るんだよ。そして朝になったらお金もらうの。」
その話をしたら、彼いわく、アメリカの慣習であるらしい。ただし、おばけではなく、歯の妖精であるらしいが。どうも、その話を保育園で聞いたらしい。最近歯が抜けている子供が多いようなのだ。娘は、本当に「おばけ」が来ると思って、ドキドキしていたのだとか。
彼が、そのあと、お金を娘に渡した。歯が一本抜けて、誇らしい娘。大人に近づいていくのがうれしいようだ。
でも、その純粋な心を失わずに成長して欲しい。



