Up to me
これは、去年受けた講義の成績評価のために課されたレポートを提出したのち、先生に真っ黒になるほどコメントを埋め尽くされて返ってきたもの。
これ、実は5月に返ってきたもので、そのコメントを加味して修正したものを5月末に再度提出したものの、評価の時期が12月と決まっているためにずっとペンディングされていました。
でも、その間、別の授業をとったり、自分のプロジェクトを進める中、その修正原稿を再度チェック。
新たに獲得した知識や経験のおかげか、我ながら滅茶苦茶なことを書いていることに気がつき、再度修正。今月初めに再提出して、今、少しコメントがついた原稿が返ってきている。これを修正して、ようやく晴れて別の評定員のところに送付、成績評価とあいなる。
講義を受けたのは去年の9~11月。
本当は、12月半ばに、任意で関連論文を選んで、得た知識を駆使して先生とディスカッションするという口頭試験を受けなければならないのだが、英語を話すのが苦手なわたしは特例としてレポートでの評価となったわけ。
最初は評定期限となる1月半ばに提出したのだが、記述がシンプルすぎて本当に正しい知識を獲得しているか評価できないとリジェクトされ、2月末に大幅修正したレポートを再度提出。
その結果が、この写真というわけです。
かれこれ1年作業。
単にわたしのメモリーが足りなくて既存の理論にそぐわない記述が多かったのかもしれないが、毎回山ほどのコメントがついて、授業で習ったことを改めて深く考えさせられた。
日本で卒業した大学のときのように、インプットした数式や情報を何も変換せずにアウトプットするだけの小手先だけで通じた試験とは違い、本質的にその情報を理解することを要求される作業だった。
例えば、エントロピーなんてことばも、日本にいるときにすでに名前は知っていたけど、その中味について理解したのはこの授業でのこと。宇宙論にまで発展させて、とことん思考した。
いかに、わたしが今まで浅はかな思考をしていたのか、初めて認識させられた、いい機会であったと思う。
***************
先週、この国に在住されている日本人の女性と初めてお会いして、思いのほか話は盛り上がって充実したひとときを過ごしたのだが、その中で「旅行観」について語り合ったことが印象として残った。
彼女もわたしも、情報だけで与えられるような旅行よりも、自分自身の考えや感性を優先させた旅行をしたい、ということ。
ただ有名な観光名所やショッピング、人気のあるアクティビティをするよりは、できる限り地元の人と触れ合ってその場所の空気を感じたい。自分だけの感覚を愉しみたい。
そういう、「旅行観」だ。
そこでわたしは思ったのだが、旅行に限らず、文化にしろ、ものの価値観にしろ、日本人は情報に踊らされることが往々にしてあるのではなかろうか。
一たび何かが流行ると、猫も杓子もそれ一色。
本屋に行くと、毎回流行り物関連の本が10種類くらいずらっと羅列されているのには閉口する。
でも、そういうところが一般的な「日本人」なのだろうと思う。
わたしだってそうだったのだから。
わたしだって、情報を入手するだけで満足していたのだから。
入手した情報を、自分なりに味付けしようなんて、思ってもなかった。
入手した情報を、現実の生活の中でどうフィードバックさせようかなんて、考えたことなかった。
情報の、表面的なものをなぞっていただけ、だった。
それこそ、ひたすら所定の答えを導き出すことだけを重視された、日本の教育方針の弊害だと思うのだけど。
でも、この国にきて、いろんな人にあって、いろんなところをみつけて、旅行したときにはみえなかったものを発見できて、面白いな、と思った。
自分なりに考えて、人に意見をぶつけてみて、相手がそれに反応してくれて、また考えてみる。
そんなやりとりが愉しいな、と思えた。
自分の感覚で生きてみること、エキサイティングこの上ない。
彼女と時間たつのも忘れるほど、会話に夢中になってしまったのは、お互いに自分なりの感覚をもっていて、刺激を与え合ったからだと思う。
自分でイニチアティブとる方が、リスクはあるけど、愉しい。
これ共通の見解。
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レポート、また修正しなければならなくて苦しいけど、またこの過程がたのしい。
勉強が本当に愉しいと思えるようになったのも、この国に来てからかもしれない。
結婚と離婚
日本の皇室問題。
この国でも、ちょっとした話題になっています。
これは、5月のときに買った雑誌に掲載されていたものだけど、先週売っていた雑誌にも記事がありました。
この問題に関するコメントは差し控えますが、いろいろと考えさせられる問題であることは確か。
彼に、「この皇太子妃についてどう思う?」と聞かれ、つい自分のことにダブらせて感情的に意見を述べてしまった次第。
わたしの好きな彼は、来年3月に、両者の同意があれば離婚する予定。
この国の法律に従って、離婚の意志決定があって、それにまつわる諸条件(養育権、財産分与等)の同意が得られても、正式な離婚に至るには、所定期間待たなければならないのです。
離婚を決めたのは今年だけれど、1年目から波乱含みだったそうな。
しょっちゅう散財したり、一人で子供の養育ができなかったり。
わたしが思うに、彼の奥さんは、最初からこの結婚に納得していなかったのだと思う。
母親に説得されてしぶしぶ結婚を了承した結果、何においても、「彼がわたしをこんなに苦しめた」と彼を責めて、養育を放棄してパーティに行ったり散財するなどして現実から逃げていたのだと思う。
人として必然な責務まで放棄した奥さんを許せないきもちをもちながら、少し理解もできる。
わたしも、ごまかしていたから。
おかしいと思いながら、納得のいかないきもちをもちながらの結婚だったから。
日本にいるときは、声に出すかどうかはともかく、常に夫を責めていた。
育児がつらくなれば夫を責め、家事でてんてこまいになれば夫を責め。
今は完全一人でそれらをこなして状況的にはつらいはずなのに、日本にいるときほど苦になっていない。むしろ気楽。
やっと、男がいなくても一人でやっていけるという自信がついて、ラクになった。
かなり前から夫に対して愛情は完全喪失していたのに、経済的なこととか養育のこととかで決心つかなくて、ずっとごまかしていろんなことに逃げていたけど、やっと決意できたのはこの夏。
その矢先に、「彼」に会った。
「結婚」を了承してもらえたことによって、奥さんに多少は愛されていたと信じたかった彼だけれど、ようやく「最初から愛されていなかった」という事実を受け入れている模様。
愛情は、「結婚」とか「恋人関係」というカタチで確信できるものではない。
現実にある二人の関係性の中から見出されるもの。
だから、「結婚」していても、お互いに納得した関係性を持続する努力をしないと、簡単にこわれてしまう。
「永遠の愛」は約束されない。
今度こそ、自分のきもちを大切に。
先のことは何にもわからないけど、この瞬間瞬間をかみしめたいと思う。
enlightenment
まだ早いけど、クリスマスツリーと松ぼっくりのろうそく。
というか、去年購入して、かわいいのでそのまま放置していたら、いつのまにか1年たって2回目のクリスマスの時期がきたというべきか。
まだ11月中旬だけど、ここの国もクリスマスシーズンの様相を呈している。
日本も今頃からクリスマスらしくなっているかもしれないけど、ここはクリスマスの必然性がもっと切実。
11月から冬時間になって日が暮れるのがやけに早くなるし、天気も悪くて一日中暗い日が多い。もちろん、気温も低い。今週末は雪の予報。
だから、クリスマスの飾りつけでその鬱々とした気候の中、心を慰める必要がある。去年初めてクリスマスに救われましたわ。
クリスマスにはキャンドルが象徴的。
ロウソクに火をともすと、なんともいえないきもちになる。
この国は、ある意味進んだ国で、男女問わず皆自立している。子供をもつ女性ですら、就業率は100%に近い。
日本人からみると、皆はっきりしているしマイペースすぎるきらいがあるけれど、わたしはそれがちっとも嫌ではない。
自立しているからこそ、与え合う刺激も大きいから。
週末友達宅に行ったとき、友達が電子レンジを指さして、
「これね。わたしの初給料で買ったものなの。」と言った。
外国人である彼女は、もちろん結婚当初この国に来たばかりでことばもできないし、本国で取得した学位も認められないために仕事を得ることができず、専業主婦として新婚生活をスタートさせた。
けれども、ご主人の給料で、食料品などの必須物品は買えても、必須ではないが自分が欲しいと思うものは買えなかったという。
それで、老人ホームのヘルパーとしての職を得、その初給料で、「電子レンジ」を買ったとのこと。
これを聞いて、なんかじ~んときてしまった。
靴だの服だのではなく、「電子レンジ」。
今は、ここの国で教育も受け、わたしと同じ大学で働いているけれど、違う国で自分らしく生きるすべを見出すべく、よく努力してきたと思う。
実際、彼女は自分の意志に基づいてここまできたのだろう。感覚も独特で、ハっとさせられることが多い。
この国では、「enlightenment」に相当することばが重要なこと。
ひとりひとり違う灯りをともした人間同士が、互いに灯りをともしあい成長しあうこと。
このことばを象徴するロウソクが、わたしは好きである。
というか、去年購入して、かわいいのでそのまま放置していたら、いつのまにか1年たって2回目のクリスマスの時期がきたというべきか。
まだ11月中旬だけど、ここの国もクリスマスシーズンの様相を呈している。
日本も今頃からクリスマスらしくなっているかもしれないけど、ここはクリスマスの必然性がもっと切実。
11月から冬時間になって日が暮れるのがやけに早くなるし、天気も悪くて一日中暗い日が多い。もちろん、気温も低い。今週末は雪の予報。
だから、クリスマスの飾りつけでその鬱々とした気候の中、心を慰める必要がある。去年初めてクリスマスに救われましたわ。
クリスマスにはキャンドルが象徴的。
ロウソクに火をともすと、なんともいえないきもちになる。
この国は、ある意味進んだ国で、男女問わず皆自立している。子供をもつ女性ですら、就業率は100%に近い。
日本人からみると、皆はっきりしているしマイペースすぎるきらいがあるけれど、わたしはそれがちっとも嫌ではない。
自立しているからこそ、与え合う刺激も大きいから。
週末友達宅に行ったとき、友達が電子レンジを指さして、
「これね。わたしの初給料で買ったものなの。」と言った。
外国人である彼女は、もちろん結婚当初この国に来たばかりでことばもできないし、本国で取得した学位も認められないために仕事を得ることができず、専業主婦として新婚生活をスタートさせた。
けれども、ご主人の給料で、食料品などの必須物品は買えても、必須ではないが自分が欲しいと思うものは買えなかったという。
それで、老人ホームのヘルパーとしての職を得、その初給料で、「電子レンジ」を買ったとのこと。
これを聞いて、なんかじ~んときてしまった。
靴だの服だのではなく、「電子レンジ」。
今は、ここの国で教育も受け、わたしと同じ大学で働いているけれど、違う国で自分らしく生きるすべを見出すべく、よく努力してきたと思う。
実際、彼女は自分の意志に基づいてここまできたのだろう。感覚も独特で、ハっとさせられることが多い。
この国では、「enlightenment」に相当することばが重要なこと。
ひとりひとり違う灯りをともした人間同士が、互いに灯りをともしあい成長しあうこと。
このことばを象徴するロウソクが、わたしは好きである。
We can help each other
家から3kmほど離れたところ。
昔、この運河沿いにぽつぽつクラフトファクトリーが機能していて、陶器や金属の食器が生産されていたとのこと。
ここは紅葉が見事で、森の中を散策では思わず感嘆。
日本と違って、この国は人口も少ないし、静寂の中紅葉を堪能できる。
***************
友達宅でごはん。
子連れだけど。
わたしはひとりだけど、彼女は2人の子持ち。
今、ご主人は海外に2週間出張だから、その間彼女ひとりで、家事、育児、フルタイムの仕事もこなさなければならないから大変。
だから、ごはん作りに行くね、と提案して、日本のカレーライスを作ったのだけど、彼女も母国のスープを作ってくれていて、結局はわたしもごちそうになってしまった。
日本からもってきたルーを使ったカレーは無難なところだけど、ちくわみたいな魚のボールと大根入りのスープはおいしかった。
わたしは、彼女のことが大好き。
かわいいし、ユーモアあるし。
でも一番大きいのは、「人を受容する」ことのできるハートの持ち主だから。
自分の考えを決して押し付けない。
人のきもちを何よりも優先しようとする。
だからわたしが、英語が苦手だから、論文を書くのも課題をこなすのも人一倍かかるといえば、
「子供の面倒みてあげるよ。」
「英語はわたしの母国語だから課題やったらメール送って。添削してあげる。」
とすかさず言ってくれる。
わたしも助けることは好き。
この大学唯一の日本人だから、ってのもあるけど、
日本語の特許、論文の翻訳
日本製品の情報入手
通訳
というようなオファーもあって、協力する機会があるけど、楽しい。
それだけでなく。
好奇心とか興味だけでなく。
助けてあげたい。
今も、ある研究で相談しにきた人にアイデアを提案して
「興味があるから、そのアイデア是非トライしてみたい!」
と、キラキラした表情で言ってくれたとき、幸せ~と思った。
素敵な笑顔みれたから。
一番好きなひと。
今、困難な状況にあって、疲れ果てている。
助けてあげたい、と思う。
彼こそが、この国でさまよっていたわたしを、助けてくれたひとだから。