
皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。桜が舞う季節ですね。
画像はお借りしました。
https://www.netflix.com/jp/title/81756069?s=i&trkid=0&vlang=ja
Netflixドラマ『アドレセンス』を観て、衝撃を受けただけでなく、深い思索へと導かれるような体験をしました。ストーリーはもちろん、心理的背景や社会構造、そして“見えない価値観”の継承まで、実に多層的に描かれていたからです。
特に印象的だったのは、登場人物たちの中に“インセル(incel)”的な要素――つまり、「自らの性的な経験の欠如を女性や社会のせいにする」価値観の萌芽が、あまりにも自然に、しかも無自覚に染み込んでいたことです。これは、直接的にその言葉が使われていなくても、SNSや動画を通じて少年たちが女性をどう“見て”いるか、どう“扱おう”としているか、という行動の端々に垣間見えました。
インセル的な価値観とは、女性に拒絶されることで「自分の価値がない」と感じる一方で、その劣等感を怒りや支配欲に転化してしまう心理構造を持っています。『アドレセンス』の少年たちの中には、「女性に受け入れられない自分」へのいら立ちや羞恥心を、仲間内での“マウンティング”や性的な発言として表出している様子がありました。
このような心理は、家庭や教育の場では顕在化しづらく、大人たちの目の届かない“情報圏”――つまり、TikTokやゲーム、動画共有サイトのコメント欄などで静かに、しかし確実に広まっていきます。行動科学の観点では、これは「観察学習」と「強化理論」が密接に関係しており、他者の“モテ”や“攻撃性”が評価される場面を見ることで、それが価値あるものとして内面化されていくのです。
『アドレセンス』のすごさは、こうした“見えない暴力”や“無自覚な性差別”が少年たちにどれほど深く浸透しているかを、ドラマとして過剰な説明なく、リアリティをもって描き出しているところにあります。誰もが明確に加害者ではないが、誰もが“目を逸らしてきたもの”の一部である。その構造的な罪とどう向き合うか、問いかけてくるのです。
私自身もこの作品を観終わった後、自分の中にある“無意識の視線”に気づき、ぞっとしました。それはジェンダーに限らず、あらゆる他者への「こうであるべき」という押しつけや、「理解したつもりになること」の危うさでした。
『アドレセンス』は、ただのスリラーでも青春ドラマでもありません。現代社会が抱える“沈黙の価値観”や“情報の浸透”という見えない暴力と、まっすぐに向き合うための鏡のような作品です。心理学、行動学、そしてインターネット文化に興味がある方にこそ、ぜひ観ていただきたい一作です。視聴後、きっと静かな問いが心に残ることでしょう。