ジョン・ワッツ監督、トム・ホランド、ベネディクト・カンバーバッチ、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロン、マリサ・トメイ、ジョン・ファヴロー、トニー・レヴォロリ、アンガーリー・ライス、ベネディクト・ウォン、J・K・シモンズほか出演の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。2021年作品。

 

音楽はマイケル・ジアッキーノ。字幕版を鑑賞。

 

トム・ホランド主演によるMCU(マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース)の「スパイダーマン」シリーズ第3弾。

 

 

 

 

文中にこの映画と過去のスパイダーマン映画の重大なネタバレがあります。まだ映画をご覧になっていないかたは、どうぞ鑑賞後にお読みください。

 

デイリー・ビューグルのジェイムソン(J・K・シモンズ)によって正義のヒーロー“スパイダーマン”であることを世界中に暴露されてしまったピーター・パーカー(トム・ホランド)は、恋人のMJ(ゼンデイヤ)や親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)、伯母のメイ(マリサ・トメイ)たちまわりの人々に被害が及ぶことを避けるため、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)の魔術ですべての人たちからスパイダーマンの正体に関する記憶を消してもらおうとするが、魔術は不完全なまま暴走、「マルチヴァース=多元宇宙」の扉を開いてしまう。

 

ちょっと前にネタバレなしの感想を書いたんですが、すでにYahoo!ニュースやブログ、ネット動画等で盛大にネタバレされていて、映画を観るのが遅れれば遅れるほどそれらをモロに食らう危険があるので、なるべく早く劇場へ駆けつけることをお勧めします。申し訳ありませんがこの記事でも思いっきりカマしますんで、お読みになるかたは自己責任でお願いいたします。

 

これまでのスパイダーマンの映画を全部観てきたこと前提で書いていますので、意味がわからなかったらごめんなさい。

 

すでに鑑賞済みのかたたちの中には、『アベンジャーズ/エンドゲーム』に匹敵するか、それ以上、と評する人たちもいらっしゃいますが…そうだなぁ、僕もそれに近いかな。

 

『エンドゲーム』が2008年から続くMCUのひとまずの総決算であったように、この『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は2002年から作られてきたスパイダーマンの映画を総括するような作品で、予告篇を観ればわかるようにトム・ホランド主演のMCU版スパイダーマン以前に作られたそれぞれ独立した2つのシリーズ、サム・ライミ監督が撮った『スパイダーマン』『同』『同』とマーク・ウェブ監督の『アメイジング・スパイダーマン』『同』に登場したヴィラン(悪役)たちが作品の壁を越えてMCU版の世界にやってくる。

 

 

 

旧作で各ヴィランたちを演じていた俳優たちが今回も同じ役でキャスティングされている(サンドマンとリザードの映像は過去作のアーカイヴを利用したんだそうで)。

 

ドック・オク(アルフレッド・モリーナ)

 

グリーンゴブリン(ウィレム・デフォー)

 

エレクトロ(ジェイミー・フォックス) サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ) リザード(リス・エヴァンス)

 

そもそも違うタイムライン、というか各自成り立っている作品世界そのものが異なる者たちを力技でかなり強引に一箇所に集めて物語を進めていくわけで、考えれば考えるほどムチャな企画だし、そして実際、結構危ういバランスで映画が組み立てられている。

 

やり方次第では下手するとフィクションをフィクションたらしめているルールが崩れ去って、作品がただのコントか楽屋オチによる身内同士の同窓会的ヴァラエティショーになってしまう恐れもあった(同窓会であることには違いないんですが)。

 

現在公開中の『マトリックス レザレクションズ』は作品の外側から作品を見つめるメタ視点で大ヒットシリーズ「マトリックス」を描いていて、それは作品そのものが社会に与えた影響や、かつて主人公やヒロインを演じていた俳優たち自身の存在、彼らの外見や加齢、それらを含めて作品とする、「マトリックス」という特別で特殊な作品だからこそ可能だったし効果的な試みだった。

 

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、『マトリックス レザレクションズ』がやったことに限りなく近づいている。

 

ドクター・ストレンジはピーターに「マルチヴァースについてはまだよくわかっていない」と語るが、マルチヴァースの謎が完全に解けたらそれはこの映画の観客すらもその一部になる可能性があることを意味していて、いずれドクター・ストレンジはデッドプールのように「第四の壁」を破ってスクリーンのこちら側の存在を知ってしまうだろう。そうなれば作品世界の崩壊を招く。フィクションがフィクションとして完結しなくなる。

 

 

 

ドクター・ストレンジがピーターにする“マルチヴァース”についての解説は、まるで「物語」というものについて語っているようにも聴こえる。「人の死」にすら意味があるのだ、と。

 

そういう結構アヴァンギャルドすれすれなことをやっているんだけど、この映画が素晴らしいのは、当初はポストクレジットでおまけとして描く程度の思いつきに過ぎなかったアイディアを物語のメインにもってきて、劇中で「可能だったかもしれない世界」を実現させることで見事に「スーパーヒーロー物の未来」を提示してみせたこと。

 

最大の大オチとして、サム・ライミ版で主演を務めたトビー・マグワイアとマーク・ウェブ版「アメスパ」で主演を務めたアンドリュー・ガーフィールドがそれぞれのシリーズ同様“ピーター・パーカー”役で登場する。

 

ネッドが使えるようになった魔術(急に魔術師の家系だということがわかって覚醒していたがw)で開けたゲートウェイの向こうからやってきた“スパイダーマン”がマスクをとるとアンドリュー・ガーフィールドの顔が現われる場面で、映画館の上映会場がどよめいたのにはグッときましたね。

 

その次に「青年牧師みたいな服装」のトビー・マグワイアが登場すると、場内の興奮は最高潮に(※後日、別のシネコンでIMAXレーザーで再度観た時には場内でこのようなヴィヴィッドな反応はなかった。わずか数日の差でこの違い)。

 

ネッドが「ピーター」と呼ぶと3人のピーターが返事をするお約束のギャグにも客席から笑い声が。

 

比較的真面目なマグワイア版ピーターと、スパイダーマン変身時には軽口を叩いていたガーフィールド版ピーター、それからより等身大の高校生っぽくなったトムホ版ピーター。それぞれが演じる俳優たちの個性も取り込んで各自オリジナルな性格をしている。

 

マグワイア→ガーフィールド→ホランドと、彼らが演じたピーターの性格がちょうどグラデーションのように感じられるのが面白い。

 

懐かしい旧シリーズの主人公たちにスクリーンで再会できたのは嬉しかったけど、でも、ここでは過去作の登場人物の再登場がただのサプライズのためのサプライズではなくて、さまざまな「再生」のチャンスを示すために使われている。

 

しかも、それは過去を「なかったこと」にしてしまうのではなくて、すでに起こってもはや避けられないことや過去の過ちから学ぶ大切さを伝えるため。

 

おそらく、ヴィランたちが死ぬ未来が描かれた、つまり僕たち観客がこれまでに観てきた物語通りの世界はマルチヴァースの別の時間軸で存在し続けていくんだよね。サム・ライミ版スパイダーマンやアメイジング・スパイダーマンの映画が今も残っていて、いつだってそれらを僕らが観られるように。

 

そして、ベンおじさんやピーターの両親の死はなかったことにはならないし、奪われたグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)やメイおばさん(マリサ・トメイ)の命が甦ることもない。アベンジャーズのあの人やあの人がけっして生き返ることがないように。

 

ガーフィールド演じるピーターが高所から落下するMJ(ゼンデイヤ)を受けとめて地上に降ろして目を潤ませる場面で、思わず一緒に涙ぐんでしまった。アンドリュー・ガーフィールドが涙ぐむ時の顔ってどんな映画で見てももらい泣きしそうになるんですが、『アメイジング・スパイダーマン2』で救えなかった恋人グウェンの存在があるからこそ、別の命を救えたことでアメスパ版ピーターもまた救われるんですよね。

 

 

「アメイジング・スパイダーマン」シリーズは2作で事実上打ち切りになって、その後本作品に繋がるトム・ホランド主演の別のシリーズが始まったわけで、アメスパはいくつもの伏線が回収されないままになっていたんだけれど、特に『アメスパ2』で本篇後に映し出されたヴィランたちの組織「シニスター・シックス」の存在を匂わせるような場面があったのが、この『ノー・ウェイ・ホーム』でヴィランたちの集合という形で、それも明らかに本来意図されていたものとは逆の意味合いで最新作の中でそれが実現したことは、今現在のさまざまな条件(出演者の都合なども含む)を組み入れて先の物語を作っていくスタイルのスーパーヒーロー映画のシリーズ作としては本当に巧いと思う。

 

不本意なまま終わったシリーズさえも救済することが、人の人生でも「やり直せる」ことがあるのだ、というメッセージに繋がっている。ベンおじさんやメイおばさんが持っていた「善意」こそが守るべきものなのだ、ということ。

 

このMCU版スパイダーマンはこれまでコメディタッチで描かれてきただけに、メイおばさんのあまりに突然の死(前作でジョン・ファヴロー演じるハッピー・ホーガンとイイ関係になったり、今回も別れたのどーだのと言ってただけに)が物語のために利用されているようで引っかかるところもあったんですが、マリサ・トメイ演じるメイおばさんの死はサム・ライミ版『スパイダーマン』でのベンおじさん(クリフ・ロバートソン)の死と対になっていて、残された唯一の肉親であるメイを亡くすことがスパイダーマンの大人への成長=本当のスーパーヒーローになることと重ねられているのだ、と考えれば納得はできる。

 

 

 

このシリーズではピーターの父親的な存在だったアイアンマンことトニー・スターク、そして母親代わりだったメイおばさんの他にも、まるで親戚のおじさんみたいなハッピー・ホーガン(彼がメイとあのままくっついてたら、彼はほんとにピーターの伯父さんになっていたところだが)や、前作『ファー・フロム・ホーム』でのミステリオことクエンティン・ベック(ジェイク・ギレンホール)、今回ではベネディクト・カンバーバッチ演じるドクター・ストレンジなど、ピーターが憧れたり目標とする、そして彼を助けてくれる大人たちがいた(ヴィランも含まれているが、それも反面教師としての大人の姿)。

 

恋人のMJことミシェル・ジョーンズ=ワトソン(今回初めてフルネームが判明する)、そしてピーターの「イスの男」だった親友ネッドたちがいつも協力して彼を孤独から守ってくれていた。

 

そのすべてを失うということは、アメスパ版ピーターと同じような境遇になることだし(トビー・マグワイア演じるピーターは、恋人のMJ=メリー・ジェーン・ワトソンとは「最良の関係」と表現している)、「普通の高校生」だった彼がかつてのシリーズのピーターたちがそうだったように「孤独」を受けとめて、そのうえであらためて自らスーパーヒーローとして人知れず働くことを決意する、そういうお話だったんですね。

 

新しい物語の中で最初の1作目の「大いなる力には大いなる責任が伴う」という精神に立ち返る。

 

スーパーヒーローは孤独でなければならない、というのはただのポーズではなくて、悲しみを味わって、それを乗り越えていくために必要な条件だったということ。喪失の悲しみや怒りの気持ちを知っているからこそ、「悪」を為す者たちの側からものを見ることができるし、彼らとは異なる選択をすることもできる。マグワイアが演じるピーターが復讐に燃えるホランド版ピーターを止めたように。

 

マグワイアとガーフィールドが演じたピーターたちの物語はこの映画によって「なかったこと」にされたわけじゃなくて、むしろ今一度彼らがたどった物語=人生を振り返ることでさらにそれらは「救済」の物語に昇華されたんだよね。

 

ジェイミー・フォックス演じるエレクトロはともかく、サンドマンことフリント・マルコがグリーンゴブリン側に寝返る理由がよくわからないし、ノーマン・オズボーン役のウィレム・デフォーの悪役演技を久しぶりに見られたのは嬉しかったんだけど、現在のデフォーさんがヴィランを演じるとセルフパロディっぽく見えてしまって本気でドラマを追うのがちょっと難しいところはあった。

 

まぁ、今回の面子の中であの役割を担うのはグリーンゴブリンが一番相応しいのは確かですが。サム・ライミ版3部作を通して、死んだあとさえも敵として登場し続けたグリーンゴブリン=ノーマンとシリーズを超えて決着をつける。それも彼を殺すという方法以外で。

 

自分の母親のような存在だった人を殺した者を、殺さずに“治療”する。

 

現在、この国でも自爆テロとしか言えないような凶悪犯罪が頻発してますが、ノーマンにはそれらを重ねずにはいられない。

 

現実の世の中のこととして考えると、果たしてピーターのような選択が自分にできるだろうか。

 

この映画では、ヴィランたちは本当の「悪」ではないのだ、と言っている。グリーンゴブリンは明らかに「治療が必要な人物」として描かれている。

 

『ノー・ウェイ・ホーム』で現在の真のヴィランとして描かれているのはJ・K・シモンズ演じるJJJことJ・ジョナ・ジェイムソンで、彼はTVやインターネットを駆使してフェイクニュースを撒き散らす陰謀論者のニュースキャスターとして登場する。サム・ライミ版で同じくデイリー・ビューグルの編集長として登場していた人物とは別人の模様。頭もハゲてるし。スパイダーマンの映画でシリーズを超えてマルチヴァースの別ヴァージョンのキャラを同じ俳優が演じているのはJ・K・シモンズだけなんじゃなかろうか。

 

 

 

現実とは接点がない空想的な世界で絵空事の変身ヒーローごっこを楽しむような内容だったかつての作品から、アメコミ映画がここまで進化を遂げたことにあらためて驚く。過去のシリーズにもそれぞれの面白さがありましたが。

 

トビー・マグワイアのシーンで、ダニー・エルフマン作曲のあのメロディが流れるとジ~ンときました。

 

 

 

クライマックスでの3人のスパイダーマンたちの共闘が夜のために映像が見づらいところもあったし、それ以外のバトルシーンも夜間が多くて、これまでのように昼間の明るいところでやってほしかった、という不満もあるんだけど、それは闘いのあとの朝焼けの空を見せるため、という狙いもあったんだろうから、まぁ、よしとしますか。

 

映画の冒頭でしれっとデアデビルが出てたのが可笑しかった。あ、そこはベン・アフレックじゃないんだ、と(弁護士のマット・マードックを演じてるのはNetflixドラマ版デアデビル役のチャーリー・コックス)w

 

本篇のあとに「ヴェノム」シリーズの主人公エディ・ブロック(トム・ハーディ)が出てきてヴェノムと会話してるけど、すぐもとの世界に戻ってしまう。「来たばっかなのに!」とか言いながら(^o^)

 

 

彼が置いていった“シンビオート”の一滴が、今後こちらの世界のエディと合体してスパイダーマンと対決!みたいになるのかしらね。

 

『スパイダーマン3』でトファー・グレイスが演じた悪役ヴェノムは世間では評判がよくなかったけど、僕は普通に好きだったし、あの3作目自体、ドック・オクが登場して名作と言われている2作目と比べて「がっかり」みたいに酷評されがちで、でも僕は3部作の完結篇としてしっかりとトリロジーをまとめていたと思っているので、あの映画のヴィランの一人だったサンドマンが今回『ノー・ウェイ・ホーム』に登場したり、ピーターの親友だったハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)の死についての言及があったことは嬉しかった。「地球外の黒い生命体とも戦った」とちゃんとヴェノムにも触れてたし(笑)

 

前の2つのシリーズへの大いなるリスペクトが感じられる映画でしたよね。

 

 

 

結局のところ、3つのスパイダーマンのシリーズはどれもが主人公の成長を描いた「青春映画」だった。

 

そして、そこで描かれた出会いや別れ、喪失の物語は、僕たちの人生の中での経験と重なるものだ。スパイダーマンが愛され続けるのは、彼を描く物語の中に生身の若者の失敗やそこから立ち直っていく姿が焼き付けられているから。

 

ゲスト出演の2人のインパクトが強いのでどうしてもそちらが注目されがちだし、僕もそっちへの感想をメインで語ってしまったけれど、『ホームカミング』『ファー・フロム・ホーム』に続くこの『ノー・ウェイ・ホーム』でMCU版スパイダーマン「ホーム」3部作はひとまず完結する。

 

MCU版ってヒーローとして「恵まれ過ぎてる」とよく言われてきたけれど、でもピーターが経験してきたことってどれも普通の高校生のそれだったんだよね。1作目では学力大会のためにワシントンD.C.まで学校のみんなと遠征していたし、2作目ではヨーロッパに修学旅行に行っていた(その何ヵ月か前にはアベンジャーズとサノスの激しい戦いがあったにもかかわらず)。

 

それまでの2つのシリーズの“ピーター・パーカー”が経験できなかった楽しい学生生活を、このMCU版での彼は満喫してきた。しかし、そのかけがえのない時間はリセットされる。

 

ピーターには恋愛の喜びや親友との友情のありがたさ、ともに戦った仲間たちとの記憶があるが、それは世間的には「なかったこと」になってしまった。彼のことを覚えている人は彼が住む世界にはもはや誰一人いないのだから。想い出を共有できる人をすべて失ったのだ。

 

スパイダーマンってニューヨークが舞台、ってイメージがあったけど、トム・ホランド演じるピーター=スパイディはほとんどNYにいなかった。独りぼっちになったピーターは、ようやくニューヨークに落ち着くのだ。豪華なコンドミニアムではなくて、小さなアパートの一室を“ホーム”にして。

 

だから、この「ホーム」3部作の最終作のラストで彼はこれまでのシリーズのどのピーター・パーカーよりも孤独で苛酷な境遇に置かれる。僕が今現役の高校生ぐらいの年頃だったら、あのラストは本当にツラくて切なさでいっぱいになっただろうと思う。

 

一人の若者がその背中に負わされた責任の重さは、どこか現実の社会の反映のようにも感じられる。

 

ドクター・ストレンジやハッピーの記憶からも消えてしまったスパイダーマンは、このままアベンジャーズを離脱することになるのだろうか。それとも、『シビル・ウォー』以前の状態から彼らと再会するのかな?MJやネッドにはまた会える?

 

今後もトム・ホランド主演で新たな3部作が作られる予定らしいので、そこではどんな物語が展開されるのか楽しみですが、今はまだしばらくこの映画の余韻に浸っていたいな。

 

 

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