ショーン・ベイカー監督、ブルックリン・キンバリー・プリンス、ブリア・ヴィネイト、メラ・マーダー、ヴァレリア・コット、クリストファー・リヴェラ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、サンディ・ケイン、ジョシー・オリーヴォ、カール・ブラッドフィールド、ウィレム・デフォー出演の『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』。2017年作品。

 

フロリダ州キシミー。6歳の少女ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)は母親のヘイリー(ブリア・ヴィネイト)とモーテル「マジック・キャッスル」の一室に住んでいる。同じモーテルにいる仲良しのスクーティ(クリストファー・リヴェラ)や最近知り合った、やはり近所のモーテルに住むジャンシー(ヴァレリア・コット)と元気に遊びまわるが、ある日、廃屋に入り込んだムーニーたちはそこで火事を起こしてしまう。

 

ネタバレがあります。ご注意ください。

 

 

去年、映画評論家の町山智浩さんの作品紹介を聴いて興味を持って、その後劇場で予告篇を観て「あっ、この映画か」と思ってチェックしていました。

 

紹介でなんとなくどんなタイプの人々が登場するのかはわかってたけど詳しい内容は知らなくて、なかなか厳しい世の中を子どもの目から切り取った作品なのかな、と。

 

映画の開始早々、画面に映し出される明るくてポップな色合いが目を惹く。ムーニーが住むモーテルの壁はパープルに塗られているし、他の建物も子どもたちが着ている服もみんな色とりどりで、観ていて実に楽しい。鮮やかなんだけど毒々しくはなくて、絶妙なバランスで配色してある。

 

 

 

 

 

 

映画のために建物を着色したのでなければ、あのあたりはもともとああいうファンシーな色が溢れた街ということなのでしょうか。廃屋でさえもカラフル。

 

子どもたちの服もそれぞれ色がカブらないようにしてあって、まるで賑やかに絵の具が踊るパレットみたいなんですよね。

 

これも、ほんとにあのあたりの子たちはああいうお洒落な服装なのか、それともあれは子どもたちの目から世界を表現したものなのかはわかりませんが。

 

というのも、ムーニーたちはけっして裕福ではない、どころかハッキリと貧困層なんだけど、そのわりには衣服をいっぱい持ってるなぁと思って。いつも色の違うシャツやパンツで。

 

ほんとに貧しかったら、服は着たきりスズメでいつも同じもののはずだから。

 

この映画は、なんとなく気づきつつもまだ大人の世界の汚さや醜さをハッキリとは認識していない子どもたちから見た世界が描かれていて、直接的に彼らが傷つけられたり悲惨な目に遭う描写というのはないのだけれど、だからこそそこから漏れ出し垣間見える生きていくことの困難さを示すエピソードに不安やいたたまれなさを感じずにはいられない。

 

画面の明るい色と元気な子どもたちの姿と、その裏にあるツラい世界とのギャップ。

 

ムーニーたちが滞在しているモーテルのちょっと先には、世界最大の規模を誇るディズニーの娯楽施設がある。

 

タイトルの「フロリダ・プロジェクト」ってなんのことだろう、と思っていたんだけど、かつてフロリダ州オーランドに今あるディズニーのテーマパークを作ろうとした時にその計画のことを呼んだのだそうで、それを知るとなんとも皮肉なタイトルに聴こえる(“プロジェクト”という単語には、低所得者向け共同住宅や貧困地域への支援活動の意味もある)。

 

外側から夜空に打ち上がる花火を眺めることはできても、ムーニーたちがウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのパーク内に入ることはない。

 

モーテルは簡易宿泊所でそこに居住することはできないのだが、ヘイリーたちのように貧しかったり犯罪歴があってアパートを借りられない人々は一泊35ドルのこのようなモーテルを家代わりにしている。

 

移り先が見つかれば、彼らはモーテルを出ていく。ムーニーの遊び友だちだったディッキー(アイデン・マリク)も父親とともにニューオーリンズに引っ越すことに。

 

あてがなければいつまでもモーテル暮らしが続くが、同じところに長期滞在はできないので他のモーテルに行くと一泊45ドルに値上げされていて、管理人のボビーはしかたなくヘイリーたちを同じモーテルの別の部屋に移動させる。

 

ムーニーたちは、通りすがりの観光客たちに「ソフトクリーム買うのにお金が足りないから、小銭を下さい」と頼む。

 

 

 

 

声をかけられた観光客たちは、ソフトクリーム代ぐらい、と思ってお金をあげるんだけど、ムーニーたちがやってることは物乞いだ。人数分買う金はないから、1個のソフトクリームをみんなで回し舐めする。

 

ムーニーの母のヘイリーもまた、店屋で買ってきた香水を高級ホテルの宿泊客に売りながら、時々お金を恵んでもらうこともある。ムーニーはそれを見て学んだのだ。

 

子どもにとっては楽しい日々の裏には、貧しさによる哀しみや屈辱がある。

 

ムーニーがジャンシーと知り合ったきっかけは、スクーティやディッキーたちと他所のモーテルの二階から唾を飛ばし合っているとそれが全部下の駐車場に停めてあった車にかかって、その持ち主のジャンシーの祖母ステイシー(ジョシー・オリーヴォ)に叱られたから。ステイシーは、育児能力がない娘の代わりに子どもたちを育てている。ジャンシーもその一人。

 

怒るステイシーに向かってムーニーたちは「クソったれ!」と罵声を浴びせる。ムーニーの他人に対する口の悪さは母親譲りだ。

 

ステイシーに文句を言われたヘイリーは、ペーパータオルでムーニーたちに汚した車を拭かせるが、ステイシーには一言も詫びない。悪気はないが、人に簡単に謝らないのが彼女の流儀なのだろうか。不敵な笑顔や不遜な態度は、そうやって人に舐められないようにしているのかもしれない。

 

 

 

 

悪戯がきっかけで知りあったムーニーとジャンシーは早速仲良くなって遊ぶようになる。お互いの住んでいる部屋に寄ったり、いろんなところを探検したり。まるで永遠に続く夏休みのようで楽しそうに見えるけど、彼ら子どもたちは学校に行っていない(夏休みの時期だから、というのもあるだろうけど、定住していなくて学校に通えるだろうか)。遊ぶ相手も限られている。

 

 

 

親たちの方も、互いに意気投合したり友人のように付き合ってはいても彼らはあくまでも一時的な滞在者であって、いずれはそこを立ち退かなくてはならない。

 

スクーティの母親のアシュリー(メラ・マーダー)はダイナーで働いていて、ムーニーたちが訪ねると食べ物を分けてくれる。アシュリーはヘイリーと仲が良く、夜に仕事が終わると一緒に遊びに出かけたりもする。

 

ヘイリーとアシュリーの友情には、ムーニーとジャンシーのそれが重ねられている。

 

しかし、近所の廃屋の火事がムーニーやスクーティの仕業だと知ったアシュリーはヘイリーと距離を置き、息子をムーニーと遊ばせないようになる。スクーティが火事を起こしたことが知れたら児童家庭局に連れていかれるかもしれないから。

 

 

 

アシュリーが働く店で食料をもらえなくなり、スクーティと会うことも禁じられて、ムーニーはジャンシーと二人で遊ぶようになる。ムーニーにはスクーティと遊べなくなった理由がわからない。

 

仕事をしていないヘイリーはムーニーに持たせていたiPadも売るが、生活費やモーテルの滞在費を支払うためにやがて売春を始める。カモはやはりディズニー・ワールドの観光客。

 

妻子とともに遊園地に来ていながらモーテルに女を買いにきた男から、パス代わりの“マジックバンド”を盗んでチケット売り場の前で別の人に売る。

 

売った金でモーテル代を清算し、観光客用のビュッフェで腹一杯食事をする。

 

「また来ようね」というムーニーの無邪気な言葉と笑顔が哀しい。

 

その時点でヘイリーは自分たちの生活が破綻したことを覚悟していたのかもしれない。

 

しかし彼女の売春はモーテル中に知れ渡っており、「息子の前で客引いたらぶっ殺すからね」というアシュリーの言葉に逆上したヘイリーは彼女に殴りかかり、スクーティの目の前で彼の母親をボコボコにする。この場面のヘイリーのマウントポジションでガンガン入れるパンチが容赦なくて怖過ぎる。

 

友人だったアシュリーとの仲は完全に決裂してしまった。まぶたが痛々しく腫れ上がったアシュリーは、それでもヘイリーにやり返しもせず恨み言も言わずに黙ってじっと堪えている。息子と自分のこれからの生活のために。アシュリーがあれほどの暴力を受けながらも通報しなかったのは、ヘイリーへのせめてもの思いやりだったのだろうか。それとも火事の件が露見するのを怖れたのか。

 

ムーニーは火事のことをヘイリーに話していないから彼女は事情を知らないし、アシュリーもまたヘイリーとムーニーを避けるようになった理由をけっして言わないので、溝は埋まらないまま別れを迎えることになる。

 

ヘイリーがアシュリーに対してあそこまで激しくキレたのは、友人だと思っていた彼女から見下されたと感じたからだろう。売春までしても人から見下されたくはない。内に怒りを溜め込んでいるからこそ、それが何かのきっかけで爆発してしまう。友人だったはずの者にさえ拳を振るってしまう。

 

ヘイリーの行ないはとんでもなく愚かだが、それでも彼女のことを心底軽蔑できないのは、彼女はムーニーのことは心から愛していたから。娘を傷つけないように、ツラい思いをさせないようになんとか心を砕いてきた。そのことがわかるから、他のことがダメダメでも一方的に責める気になれない。

 

彼女の愚かさや弱さ、甘さは誰もが持ち得るものだ。自業自得、と突き放して無視していていいものだろうか。

 

部屋の中でムーニーを「こちょこちょ怪獣だぁ」とくすぐるヘイリーは、どこにでもいる若い母親に見える。ムーニーにとって誰よりも優しくて大切な存在。

 

 

 

 

彼女がこれまでどのような人生を送ってきたのか詳しいことは語られないし、ムーニーの父親についても不明だが、身寄りもないまま自分と子どもの生活を維持していくことがどれほど困難か、それはシングルマザーの貧困家庭が増えている今の日本でも容易に想像できる。

 

この映画が描いているものは、僕たち日本人にとっても切実なことだと思います。

 

モーテルに短期滞在して移動を繰り返すのは、日本だとインターネット・カフェをねぐらにして生活するのと同じようなもの。

 

頑張って働いているアシュリーもヘイリーと同じくモーテルを住居代わりに利用しているぐらいで、やはり行政の援助がなければ厳しいのだ。何もかも「自己責任」ではやっていけない。

 

先日観た『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』のトーニャ・ハーディングの母親もこの『フロリダ・プロジェクト』のアシュリーのようにダイナーでウェイトレスの仕事をしていたけど、彼女は自分の家を持っていたし、苦しいながらも娘にフィギュアスケートのコーチをつけることもできた。アシュリーにはそんな経済的余裕すらないし、無職のヘイリーに至ってはさらなる貧困状態にある。

 

教会からの支援のパンやアシュリーに分けてもらった店の食べ物で食い繋いでいるが、そういう状態をこのままずっと続けることはできない。

 

ムーニーも成長していくのだから。

 

何も対策がなされなければ、これからムーニーを待っているのは母のヘイリーよりももっと苛酷な人生だ。

 

 

彼らが住むモーテル「マジック・キャッスル」の管理人のボビー(ウィレム・デフォー)は、子どもたちを見守りながらヘイリーのことも内心心配して時に世話も焼くが、彼自身雇われの身だし赤の他人なのでヘイリーとムーニー母子の生活に過度に介入することはできない。ヘイリーには払うべきものを払わせて「仕事しろ」と言うぐらいが関の山。

 

 

 

 

 

コウノトリかサギみたいな鳥がいたけど、あれどうやって撮ったんだろう

 

まわりから丸見えのプールサイドでトップレスで日向ぼっこしている年配の女性グロリア(サンディ・ケイン)に手を焼いたり(絶妙なキャメラワークで乳首を隠してるのが可笑しい)、子どもたちに話しかけている見知らぬ老人(カール・ブラッドフィールド)を追っ払ったり、息子(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)に愛想を尽かされたりと毎日忙しそうだが、ボビーは自分の力の及ばなさに疲れを感じているようにも見える。頻繁に吸っている煙草は、彼の唯一の逃げ場だ。

 

誰もが自分なりに努力しているにもかかわらず、うまくいかないことが多いこの世の中。

 

映画は随所にわんぱくな子どもたちの可愛らしさやユーモアを散りばめながら、同時にそこには痛みや苦味もある。

 

「マジック・キャッスル(魔法のお城)」というモーテルの名からして、そこには皮肉めいた哀しさがある。子どもたちにとってはそこは虹がかかる紛れもないお城。でも、やがてムーニーは母と別れてこのパープルのお城から去らなければならなくなる。

 

 

 

母と引き離されることを察知したムーニーは、ヘイリーとそっくりな口調で児童家庭局の大人たちに罵声を浴びせる。

 

「マジック・キャッスル」から逃げてジャンシーのいるモーテルに走ってきたムーニーは、彼女の前で初めて涙を流す。それまでどんな時にもけっして泣かなかったムーニーが「もう会えない。バイバイ!」と言いながら大声で泣くシーンで、哀しいはずなのに観ていてなんともいえない清々しさを感じたのでした。

 

目をつぶらずにジャンシーの顔をずっと見つめながら「うわぁぁぁぁん!!」と大声で泣き続けるムーニーの目から幾筋も玉のごとく流れる涙はまるでジブリアニメのようで、そこには堪らない切なさとともに確かに今ここに生きている子どもの生命力を感じさせもした。

 

泣いているムーニーの様子をじっと見ていたジャンシーは、とっさにムーニーの手をとり一緒に駆け出す。

 

いつも遊んでいた場所を通り抜け、野原を走り、いつしか二人はディズニー・ワールドの中にいた。

 

向こうにシンデレラ城が見える。一度も入ったことがなかった巨大な遊園地。

 

幼い二人は手を繋いだままお城に向かって走っていく。

 

いろんな解釈ができるでしょうが、子ども二人がゲートを抜けて係員に保護もされずにディズニー・ワールドの中を歩くことができるとは思えないので、やはりあれはムーニーとジャンシーが夢見た世界なんだろうと思います。

 

あのムーニーとジャンシーの手を繋いで遠ざかっていく後ろ姿に、僕はアニメーション映画『この世界の片隅に』のエンドクレジットの最後の「絵」を思い浮かべたんですよね。

 

あの少女の姿をしたすずさんとリンさんはすずが空想したものだったから、それが重なって魔法のお城に向かっていくムーニーとジャンシーの姿に目頭が熱くなった。

 

あのクライマックスあたりで近くの客席で観ていた女性の激しいすすり泣きが聴こえてきて、思わずもらい泣きしそうになった。

 

可哀想とか、そんなんじゃない。あの子どもたちは…きっと生きている人間そのものの姿なんだ。

 

 

この映画ではデフォーのようなプロの俳優とこれまで演技の経験がなかった人たちが共演してるそうだけど、見てても誰がプロで誰が素人なのかわからない。それぐらい出演者たちがこの世界の住人として見事に溶け合っている。

 

ムーニー役のブルックリン・キンバリー・プリンスちゃんは3歳の時からこの業界で働いているプロの子役で、今後もスピルバーグ製作の映画への出演も決まっているんだとか。

 

一方、母親ヘイリー役のブリア・ヴィネイトは演技は今回が初めてで、監督がインスタグラムで彼女を“発見”して、オーディションに誘ったのだそうで。今後も映画出演の予定があって、だからまさに“魔法”によって彼女は新しい世界に飛び込んだんですね。

 

ところで劇中でブリア・ヴィネイト演じるヘイリーがボビーに対してやってて、同じことを『ネイバーズ2』の女子大生たちもやってましたが、あちらでは若い女性がキレると使用済みの生理ナプキンをひっぺがしてガラスにベタッ!と貼り付ける嫌がらせが定番なんですかね^_^; なかなかとんでもない技ですが。

 

スクーティやジャンシーを演じていた子たちは現地でスカウトされたんだそうで、スクーティ役のクリストファー・リヴェラ君は実際にそれまで長いことああいうモーテルに住んでいたらしい。

 

現実と映画がほんとに近いですよね。

 

あんなに色鮮やかじゃないし土地も広くはないけれど、国道沿いにある潰れたレストランの廃屋や大きなショッピングモールなどは僕たちの身近にもあるから、何かそういう風景がフッと頭に浮かんで、遠いフロリダが自分の住む世界と地続きに感じられました。

 

この映画、僕はお薦めなのでぜひ多くのかたがたに観ていただきたいです。

 

 

 

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