是枝裕和監督、リリー・フランキー、安藤サクラ、城桧吏、佐々木みゆ、樹木希林、松岡茉優、池脇千鶴、高良健吾、柄本明、池松壮亮ほか出演の『万引き家族』。PG12。

 

第71回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)受賞。

 

音楽は細野晴臣。

 

都会の片隅の一軒家で“家族”で身を寄せ合って生活している柴田治(リリー・フランキー)と“長男”の祥太(城桧吏)は、寒空の下でアパートの廊下に一人でいた幼い少女(佐々木みゆ)を連れて帰る。治や“妻”の信代(安藤サクラ)たちは、実の親から虐待を受けていたらしいその少女に「りん」という名前をつけて祥太の妹として家族に迎え入れる。

 

昨年公開の『三度目の殺人』に続く是枝裕和監督の最新作。

 

カンヌで日本映画としては21年ぶりにパルム・ドールを受賞して(前回は今村昌平監督の『うなぎ』。アッバス・キアロスタミ監督の『桜桃の味』と同時受賞)話題になってますね。

 

まぁ、僕は是枝監督の映画は今では次回作をいつも楽しみにしているので、海外で受賞しようとしまいとどちらにせよ観にいくつもりでしたが、やはりパルム・ドール受賞は効果てきめんで劇場は朝からごった返していました。

 

そもそも是枝裕和監督の映画がこんなに多くのシネコンで上映されること自体珍しい。

 

映画をろくに観てもいない(観ても理解していない)連中による作品や監督への的外れなバッシングなどもあって「またかよ」とイラつかされますが、とりあえずそのことは措いといて映画の感想に集中したいと思います。

 

作品の大ヒットが結果的につまんない輩の難癖をふっ飛ばしてくれたのは痛快。

 

僕はこの映画お薦めですので、もしまだご覧になっていないかたがいらっしゃいましたらぜひ劇場へどうぞ。しばらくは混んでるかもしれませんが、まだ上映は続くでしょうからお急ぎでなければ混雑が収まるまで待たれてもよろしいかと。

 

それではこれ以降は物語について述べますので、未見のかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

この映画の見どころは松岡茉優のおっぱいと安藤サクラの尻、ではなくて(いや、どちらも大変結構でしたが)、出演者たちの演技。

 

これまで是枝作品でイイ味出してきたリリー・フランキーが満を持して主役級の登場人物を務め、また安藤サクラが是枝作品初出演ながら、そうは思えない馴染み方と存在感でもっていく。

 

さすがはカンヌでケイト・ブランシェットが絶賛していただけのことはある堂々たる演技。

 

安藤サクラさんはかねてよりその演技力を高く評価されている人だけど、いわゆる“熱演”じゃなくて、もうその役そのものなんですよね。巧い演技、ってこういうのを言うんだな、って思う。

 

りんを後ろから抱きしめて涙を流すところ、そして終盤に刑事に「子どもたちはあなたのことをなんて呼んでました?」と問われて「なんだろうね…」と呟きながら見せる涙。

 

 

 

 

それは芝居がかった絶叫でも号泣でもない、日常の中で流れる涙だった。

 

10月から始まるNHKの朝ドラ「まんぷく」の主演だし、今年は安藤サクラ・イヤーですな(^o^)

 

出演者たちは全員が好演で役柄にハマっていて、主要キャストの存在はそれぞれが記憶に残る。

 

あと、妙に長々と映ってるリリー・フランキーのケツw 去年の『美しい星』に続いて、リリーさん、ちょっと尻出し過ぎじゃないか?^_^;

 

ポスターを見た時から気になってたんだけど、どうやら樹木希林さんは前歯の入れ歯を外して演技されていたようで、これまでと顔つきが違っていた。いつもより口がすぼまってて頬がこけていたし、歯がないと人の顔はこんなに老けて見えるんだなぁ、とつくづく思いました。

 

 

 

 

2人の子役はオーディションで選ばれたそうだけど、まったくの素人ではなくて祥太役の城桧吏君は以前からアイドル活動をしているし、りん役の佐々木みゆちゃんもCMなどに出ているれっきとしたプロの子役。

 

 

 

でも子どもたちにそういういかにもな子役っぽさがないのが是枝作品の特徴で、それはやはり監督の演出力の賜物だと思います。演技演技していないナチュラルな(この表現も安易に使うと誤解を招くのだが)台詞廻しや表情を引き出すために、キャメラが廻る前から演出は始まっている。

 

これまでの是枝作品は出演者の多くがTVなどでもよく顔を見る俳優さんたちで、家族を描いていてもそこでちょっと作品との間に距離を保てたんですが、この『万引き家族』ではやはりリリーさんや希林さんなど主要キャストの多くはお馴染みの顔ぶれにもかかわらず、僕はよりリアリティを感じたんですよね。

 

こういう人たちは本当にいそうだ、と。

 

樹木希林さんのあの顔、そして安藤さんの顔。彼女が演じる信代が働くクリーニング店の従業員たちの顔(その中の一人を前作『三度目の殺人』に続いて出演の松岡依都美が演じている)や喋り方。

 

いつも以上に映画の登場人物たちに強い実在感を覚える。

 

そういえば、治が働く日雇いの建設現場の班長役で『全員死刑』の「ぶっさらう人」が出てましたね。メールで欠勤の連絡をしてきた部下のことを「今度来たらぶん殴ってやりますよ」とか言ってた。

 

あまりに小さくてか弱そうなりん役の佐々木みゆちゃんが駆けていく姿や“家族”一人ひとりの表情とたたずまいにはいちいち心を掴まれたんだけど、僕が特にグッときたのは松岡茉優演じる亜紀が言葉を発することができない青年「4番さん」(池松壮亮)の傷だらけの手をさするように「痛いね…痛い痛い」と優しく儚げに呟くシーン。

 

あの台詞の中にこの若い女性の痛みが凝縮されているようで、胸が詰まった。

 

彼女のあの消え入るような声には、この世界のすべての傷ついた者の哀しみを代弁するような響きがあった。

 

この映画では治のような社会からこぼれ落ちてしまった人々と正反対の立場の裕福な人々をわかりやすく対比させることはないのだけれど、それでも亜紀の実家の様子や治の家の隣でサッカーボールで遊ぶ父子の様子などから、やはりどうしても治たちには手の届かない生活が垣間見えて、その「格差」には世の中の酷薄さが滲む。

 

治たち“家族”の「モノを盗む」という行為への抵抗のなさに呆気にとられるのだが、劇場パンフレットのコラムの中で内田樹さんが「子どもたちも“万引き”されてきた」というようなことを書かれていて、あぁ、なるほどな、と。

 

初枝や治たちは「柴田」を名乗っているが、この苗字は実は亜紀の本名で、つまり初枝は亜紀の実家から名前を盗んだのだ(また、亜紀はJK見学店で源氏名として妹の名“さやか”を名乗っている)。亜紀の父親は初枝の元夫の後妻の息子だった。

 

初枝は自分を捨てて別の女性と結婚した元夫の苗字「柴田」を名乗りながら定期的に本物の柴田家に出向いていって、元夫の後妻の息子夫婦から3万円ずつ受け取っていた。

 

彼女が“家族”たちに「保険に入ったの」と言っていたのは、このことだった。そして亜紀の前で「年金」のことを「慰謝料」と表現する。それは初枝の死んだ元夫への“復讐”だった。

 

どこか達観した感じでユーモラスな雰囲気をたたえていた初枝が隠していた暗い秘密。

 

初枝と亜紀は過去に亜紀の祖父で初枝の元夫の葬儀で出会っているようだが、亜紀がなぜ実家を出たのかも、彼女と初枝がその後どのようにして同居するに至ったのかも、初枝の家に信代と治が転がり込んだいきさつと同様に語られないのでわからない(ノヴェライズ版では彼ら“家族”の出会いが説明されている)。ともかく亜紀は初枝のことを「おばあちゃん」と呼んで本当の祖母のように懐いている。

 

初枝の「年金」が目当ての治たちと違って、亜紀は初枝に純粋に「家族」を求めている。

 

では、治や信代は金だけが目当てなのかといえば、パチンコ屋の駐車場の車内に置き去りにされていた幼い祥太や虐待され育児放棄されていた“りん”も金が目当てで連れてきたわけではない。

 

「監禁も身代金要求もしてないから誘拐じゃない。保護だ」と信代は言うが、彼らの中の論理では、万引きされる商品もまた「保護されるべき」だったんだろう。店が潰れるほど盗んじゃダメだが、そうじゃなければいいんだ、と。

 

祥太が信じていた「学校に行く奴らは家で勉強できないから行くんだ」という理屈も、おそらく治が教え込んだものだろう。生きていくために、自分を納得させるために都合よくものを考える。

 

初枝と信代はしばしば「血が繋がっていないのも悪くはない」というようなことを語り合っている。もっとも初枝は「こんなことは長くは続かない」とも言っているが。続かないことをわかっていて、それでも彼女はこういう家族の形を「選んだ」。

 

浜辺で遊ぶ“家族”たちを眺めながら、初枝は声に出さずに何かを呟く。なんと言ってるのか僕にはわかりませんでしたが、ノヴェライズ版では彼女は「ありがとうございました」と言っている。

 

亡くなった初枝を床下に埋めたことを「死体遺棄」として刑事から咎められた信代は答える。

 

「誰かが捨てたのを拾ったんです。捨てた人は他にいるんじゃないですか?」

 

信代(本名は由布子)の過去は他の家族たち同様に詳しくは語られないが、祥太の帰りを玄関で待ち続けるりん(本名は“じゅり”)の優しさに「産まなきゃよかったって言われて育つとさ、ああはならないよね」と呟く。おそらく彼女はりんに自分自身の過去を重ねている。

 

この家族は誰もが実の親や家族と絆を結び損ねてドロップアウトした者たちで、信代は「母親を憎んでいたかもしれない」と語り、治は(実は自らの名前をつけた)祥太から「父ちゃん」と呼んでもらいたがり、初枝は信代に「私があんたのことを選んだんだよ」と言う。

 

血の繋がらない者たちによる疑似家族。

 

 

 

信代は拘置所の面会で治に「私たちじゃダメなんだよ」と言う。

 

治が胸を叩いて亜紀に言っていた「ここ(心)」だけでは繋がれなかったのだろうか。

 

それでも彼らはやっぱりあのひとときは「家族」だったんだろう。

 

金のためであっても、あるいはその能力がないにもかかわらず「親になりたい」「家族でいたい」という願望のためだったとしても。

 

終盤に、6人の“家族”は家の縁側から見えない打ち上げ花火の音を聴く。

 

あの時、彼らは確かに同じ場所で同じ花火を「見ていた」。

 

 

この映画は、血の繋がった家族がいいのか、それとも血は繋がっていないが心が繋がっている家族がいいのか、といったことを問題にしているのではないと思う。『そして父になる』がそうだったように。血が繋がっているかいないかは関係ない。

 

あの“万引き家族”が最後に崩壊したこと、どう考えてもいずれは解体せざるを得なかっただろうことを思えば、あのような家族の形が正解なんだと言っているわけじゃないことはわかるだろう。何が正解かなんて端から言っていない。

 

だから「正しいか否か」で作品の良し悪しを判断したり登場人物たちを選別したい人たちの批判と、ここで描かれている「人間」についての寓意がいつまでも噛み合わないのだ。

 

この映画はこれまでの是枝作品の中でも寓話性が高い、というようなことをよく言われているけれど、『そして父になる』にしても『三度目の殺人』にしても僕は是枝監督の映画にはしばしば寓意を感じてきたし、そのことを感想にも書いてきたので、ことさら本作品だけが寓話性の高い物語だとは思わないんですよね。

 

是枝監督の集大成的な作品である、ということには異論はないんですが。

 

これは映画の中で「正しくない家族」や「正しい家族」とされるものを提示してみせたうえで、僕たち観客に向かって「家族ってなんだろう」と問いかけているんでしょう。答えを与えるんじゃなくて問いかけている。

 

是枝監督は3.11の大震災以降、「家族」の大切さというものがやたらと強調されることに違和感があった、ということだけど、その気持ちはとてもよくわかる。

 

メディアで強調されたり時に称揚される「家族」の形は、家族というもののほんの一部分に過ぎないのではないだろうか。世の中にはもっといろんな家族の形があるのだし、あるいは家族を持たないという選択肢だってある。選んだのではなく、否応なく家族から弾かれてしまう者もいる。

 

僕たちが『万引き家族』で疑似体験するのは「こぼれ落ちてしまった者たち」の視点から世の中を見ること、だ。

 

彼らの生き方が「正しいかどうか」ではなく、そういう存在がいるのだという事実を知ること。

 

この映画は一部の人たちが主張しているように政権を批判したり日本の恥を世界に晒す「反日映画」などではなく、現実を見つめて「家族」というものについてじっくり考えてみること、自分の家族を、自分の人生を振り返ってみることをうながす映画だと思う。

 

そして家族は家族単体では成り立たない。

 

万引きする奴は悪い。貧乏なのは自業自得。

 

…それだけで止まっていては、あの“家族”のような人々はこれからもどんどん増えていくでしょう。

 

僕は彼らのことを他人事だとは思えなかった。

 

誰かが捨てたのを拾ったんです。捨てた人は他にいるんじゃないですか?」という信代の言葉は、皮肉を通り越して本当に切実な問題提起として僕の胸に刺さる。

 

捨てないこと。捨てられた者をすくい上げること。

 

それは社会が果たすべき役割でしょう。

 

 

ラストシーンで、実の両親のもとに帰されて本名の“じゅり”に戻ったりんは以前と同じようにアパートの廊下で一人で遊んでいる。

 

僕は現実に起きた5歳の少女の虐待死の事件が頭をよぎって、その後のりんの運命を想像して堪らない気持ちになったんですが、りんの傍らには“お兄ちゃん”の祥太と見たビー玉が置いてあるし、彼女は信代に教えてもらった「いち、にぃ、サンマのシイタケ、ゴリラのムスコ、ナッパ、ハッパ、くさったトウフ♪」という数え歌を唄っている。

 

 

 

家族というものがどういうものか、りんはもう知っている。アパートの廊下の塀の外にも世界が広がっていることも。

 

だから、りんが塀の外を見つめるあのラストは、是枝監督が映画に残した希望なのではないか。

 

現実があまりに残酷だからこそ、そこには祈りにも似た願いを感じるのです。

 

「珠玉の作品」と評される映画はいくつもありますが、紛れもなくこれはその1本だと思います。

 

 

 

 

※樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。

本当にありがとうございました。18.9.15

 

 

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