小林勇貴監督、間宮祥太朗、毎熊克哉、清水葉月、入絵加奈子、藤原季節、落合モトキ、松田陸、鳥居みゆき、六平直政出演の『全員死刑』。R15+。

 

原作は鈴木智彦のノンフィクション小説「我が一家全員死刑」。

 

借金まみれのヤクザ、テツジ(六平直政)とその妻のナオミ(入絵加奈子)は近所で貸金業を営む吉田一家を全員殺してその資産を奪おうとするが、息子のサトシ(毎熊克哉)とタカノリ(間宮祥太朗)は両親を出し抜いて早速吉田家の次男ショウジ(藤原季節)を殺害する。そこから雪だるま式に計画性のない殺人の連鎖が始まるのだった。

 

映画館で予告篇を観た時にはなんともあざとい感じがしてまったく興味をそそられなかったんだけど、映画評論家の町山智浩さんが猛烈にプッシュされていたので鑑賞。

 

なんでも27歳の監督さんの商業映画デビュー作なんだそうで。

 

これまではほんとの不良とか前科者を出演させて自主映画を撮ってきて高い評価を受けている人らしいけれど、僕は観るのは今回が初めて。

 

で、どーだったかというと。

 

…頭のおかしい人々の映画だった。キ○ガイに刃物と飛び道具(&シャブ)を持たせたらダメ、というごく当たり前の話。

 

親切心で声をかけてきた車の男性に向かってサトシが放つ罵声やそのあとの捨て台詞、タカノリの彼女(清水葉月)の台詞の端々に散りばめられた差別的な表現など、あぁ、こーゆー頭の悪い物言いする奴らいるいる、っていう。

 

 

 

 

彼らの「~するら」「~じゃんね」という言葉遣いが絶妙なまでに耳障りで、やたらと「さらうぞ(ぶん殴るぞの意)」連呼するのも不快。劇中で主人公とその家族が喋っているのは、監督の地元の静岡の言葉を基に作った架空の方言らしいですが(実際の事件の舞台は福岡)。

 

この四人家族以外の登場人物は方言を話さないのと舞台となる場所がどこなのかよくわからない(でも主人公が乗る車は多摩ナンバー)のはわざとなのかもしれないけど、方言が観客に与えるインパクトについて監督さんは意識的だったようで。確かにとても効果的だったと思います。得体の知れない怖さがさらに増したから。

 

あと、この映画の原作の元になった「大牟田4人殺害事件」の概要を確認すると、殺人を犯した兄弟はいずれも元力士で…って別に関係ないんだけど、なんかこう、タイムリー過ぎるというか^_^; 闇を感じさせますよね、相撲界。

 

実話を基にした、ということでは『冷たい熱帯魚』とか『凶悪』を思わせるし、プロデューサーは同じ人らしいから、まぁ、こういう実録犯罪モノがお好きな人には刺激的で面白いんじゃないですかね。黒い(&グロい)笑いも入ってるし。

 

 

僕はそういう映画を一食抜いてでも観たい人間ではないので、観終わったあとに口直しにすでに鑑賞済みで自分が好きな別の映画を観ましたが。

 

この手の映画が苦手な理由は、観終わったあとになんともやりきれない気分になるところ。満足感よりも心が虚しさでいっぱいになる。俺は一体映画館に何しに来てるんだろう、と。

 

この映画を町山さんが今年の一番に推してるのがほんとにわからない。この映画には町山さんが立ち上げた「映画秘宝」関係の人たちがかかわっているから、ということもあるかもしれないけど、何か根本的なところで「面白い」と感じるセンサーが僕なんかとは異なるんだろう。「地獄のサザエさん」という喩えは言い得て妙だと思いましたが。

 

最初に人が首絞められて殺されそうになるシーンで客席の1人の女性がケタケタ笑っていた。あぁ、やはりこういうのを好む人たちが観にきてるんだな、と。

 

ホラー映画などと同様に残酷で狂ったものを娯楽として消費できるのは平和な証拠なのかもしれないけど。でも作り物のホラーとこういう実録モノとじゃ、だいぶ違うと思うんだがな。

 

被害者が殺されても同情しにくい感じにわざわざ描かれているのも凶悪だと思いましたね。これ、遺族の人との間で問題にならなかったのかな。

 

凶悪犯罪者たちをユーモラスに描いたり殺人行為そのものを茶化すような映画はこれまでにもあったし、別にそういう映画があったって構わないと思いますが、それでもこの映画に登場する頭のネジが飛んだような連中を無責任に面白がったり持て囃すような行為には大いに抵抗がある。

 

またあとでちょっと触れますが『凶悪』は僕はわりと映画として面白く観られたので、題材自体に抵抗があるんじゃなくて描き方の問題だと思うんですよね。作り手のスタンスというか。

 

この監督さんについては、やたらと撮影に「本物の不良」を使ってる、ってことが強調されていて(この『全員死刑』の主要キャストはすべてプロの俳優だが)売りにしてるのもあまりいい気分がしない。それは褒めちぎるほど凄いことか?

 

確かに実生活の中では酷過ぎて思わず笑っちゃうってことはあるし、人間の愚かな行為や醜い姿から世界を見つめる視点だってあってもいいかもしれないけど、俺は別にわざわざ金払ってそういうものを観たいとは思わないんで。

 

…こいつdisる気マンマンでいやがる、と思われたでしょうが、でも実はこの映画を観ていて本気で腹が立ったとか、つまらな過ぎて途中で帰りたくなったとか、そういうことはなかったんですよね。

 

普通に最後まで観られました。笑えたり楽しめたところもありましたし。ただ、そんなにみんなで褒めまくるような映画だろうか?という疑問がどうしても拭えなくて。

 

いや、知りませんけどね。一年後ぐらいには小林監督は三池崇史とか園子温みたいな海外でも人気のカルト映画監督になってるかもしれませんが。そしたら僕の見る目のなさを嘲笑っていただければよろしいかと。

 

そんなわけで、僕はこの映画、町山さんのように興奮しながら観てもいなければ好きでもないんでかなり冷めた感想を書くと思いますが、映画の好みは人それぞれだから興味があるかたはご覧になったらよろしいんじゃないでしょうか。

 

一応、ネタバレもありますので、これから鑑賞されるかたはご注意ください。

 

 

まず、ナイーヴ過ぎると思われてもしかたないけど、こういう人間たちの実在する世界と自分が住んでるこの世界が地続きであるということにあらためて戦慄する。

 

同じ人間の言葉を話しているんだけど、何かが決定的に違う。価値観からものの見方までまったく違う、だから互いに会話が成立しないような恐怖を感じる。

 

ちょうど、僕が同じ映画について自分と正反対の評価をしている人たちに囲まれて取り乱す時と似ている。なぜそんなことを言ったりやったりするのかわからない、その言動を肯定する人々に対する混乱。

 

もしかしたら、そういうどこに連れてかれるのかわからない不安を皆さんは楽しんでいるのかな。

 

僕がこの映画でよかったのは、サトシ役の毎熊克哉という俳優さんの存在を知ったことですかね。ちょっと若い頃の岸谷五朗みたいな目つきの鋭い顔つきで、いかにもこういうヤンキー上がりみたいなお兄さんいるよなぁ、ってリアリティがあった。

 

風俗店で会話に入ってきた用心棒役の奴へのカラみ方とか、異父弟のタカノリとの関係も基本兄貴であるサトシの方が威張ってるし、めんどくさいことはいつも弟にやらせてるんだけど、タカノリに人を殺した直後にその勢いでピストルを向けられてキレられると急に下手に出るところとか、でもその直後にはまたいつものように怒鳴ってるという、この辺の変わりそうでやっぱり変わらない兄弟間の力関係など、たとえば僕は北野武監督の「アウトレイジ」シリーズでのヤクザ同士の罵り合いには正直リアリティをあまり感じないんですが(いや、ヤーさん同士の罵り合いなんて間近で見たことないからよく知りませんが)、この映画の殺人兄弟やその友人たちの会話には心底イヤァ~な気分になったんですよね。いるから、ああいう奴ら。

 

 

 

 

主演の間宮祥太朗という俳優さんも僕はこれまでまったく知らなくて、だから以前の役柄のイメージとか一切ないので、この映画の彼はほんとにああいう人に見えました。

 

ちょっと前の山田孝之、あるいは高良健吾を彷彿とさせるところもある。イケメンだけどひ弱さを感じさせないから、いとも簡単に一線を越えてしまう「人間として大切な何か」が欠落している人物になりきってました。

 

もっとも、モデルになった大牟田の殺人兄弟は元力士だから外見は間宮さんや毎熊さんとはまったく似てませんが。

 

この映画の主要登場人物の中で僕が知ってたのは被害者家族の一人を演じる鳥居みゆきと落合モトキ、加害者家族の父親役の六平直政だけだったけど、TVや映画でお顔を拝見する機会も多い六平さんの存在によって、幾分か恐怖感が緩和されてたところはある。

 

 

 

これがもしあの役も誰なのかわかんないどっかのおっさんだったら、もっと怖かっただろうなぁ。

 

鳥居みゆきは予告篇観て家族の一員だと思ってたら、ただ殺されるためにちょこっと出てきただけだった。地味に彼女の演技に期待してたのにとんだ肩すかし。この人はエキセントリックなだけじゃなくて落ち着いた普通の人だって演じられる女優でもあるんだから、あんなコントっぽい演技じゃなくてもっと普通に演じさせればよかったのに。

 

 

 

僕は原作のノンフィクション小説を読んでないので実際はどうだったのか存じ上げませんが、映画の中では落合モトキ演じる被害者家族の長男カツユキは冒頭でサトシとタカノリとともに盗んだ車で持ち主を撥ねたりしてたし、次男のショウジはビニールプールに大量のカレーのルーを溜めてそこに入る様子をネットに流して金稼ごうとしている。鳥居みゆき演じる母親のパトラ(何その呼び名)はまともに会話ができないようなキャラだし、被害者家族が全員バカっぽく描かれてるんですよね。

 

ショウジが言う「人は自分よりも下がいると安心する」という言葉には頷かされましたが。

 

それだけに、その後の彼の扱われ方のヒドさにはあまり笑えなかった。作り手の悪ノリぶりに辟易しちゃって。

 

自分よりも弱い奴を殺して悦に入る人間を見ていて何が面白いんだろう。ヤるなら自分たちよりもはるかに強い立場の者に牙を剥いてほしいんですがね、個人的には。

 

そもそもタカノリが最初からショウジに殺意を抱いていた理由がよくわかんない。ショウジの何がそこまで気に入らなかったのか。殺さなきゃいけないほどのことか?

 

実際の事件でも被害者家族は加害者家族と付き合いがあって、ヤクザの威を借りていろいろと荒稼ぎしていた、みたいなことを言われてるようなので、だからああいう悪意のある描き方になったのかもしれないけど(車内で一緒に殺されたカツユキの友人をいかにもウザそうなオネェに描いているのはどういう意味があるんだろうか)、観客がヘタすりゃあの被害者たちは殺されてもしょーがない、みたいに受け取ってしまいかねない描写の数々には、どこかであの惨殺を正当化したりなんなら喝采するようなゲスさを感じる。

 

わざとなんでしょうけどね、きっと。監督さんは“確信犯”なんでしょうが。

 

小林勇貴監督のインタヴュー記事を読むと、いろいろ考え抜いて計算して撮ってるのがわかる。

 

ほんとに頭のイカレただけの人にはこういうふうには撮れないだろうとも思う。

 

ただ、やっぱりクズどもがクズ過ぎる犯罪を犯して、その結果全員死刑に決まりました、と言われても、それがどーした!!としか思えなくて。

 

それと、もちろん元ネタの殺人事件は充分凶悪ではあるんだけれど、僕たちはもう、その後にもっと理解不能な狂った大量惨殺事件が現実に起こったことを知ってしまっている。

 

こんな映画観て「すげぇ~怖ぇ~」とか言って面白がってる場合じゃないでしょう。

 

さらに、似たように金のために人を次々と殺してまったく反省しない者たちを描いた『凶悪』と比較してみると、この『全員死刑』には第三者的視点が欠如している。

 

『凶悪』では先ほどちょっと名前を挙げた山田孝之演じる雑誌の記者の視点があって、彼は観客と近い位置で事件を眺める。

 

だからリリー・フランキーとピエール瀧の極悪コンビがどんなに嬉しそうに残虐な殺人を繰り返しても、それを映画の作り手がどこか引いた目で見ているのがわかる。

 

そして、事件には直接かかわってはいないその雑誌記者個人の事情に映画が触れた時、観客は自分たちがこの映画での凶悪な殺人の数々を彼やその妻とともに「楽しんでいた」ことにあらためて気づかされる仕組みになっていた。

 

作り手のスタンスがハッキリしていたのです。だから僕はあの映画を面白く観られました。

 

『全員死刑』にはそれがない。だから作り手が主人公たちの殺人を面白がってて、それこそ共犯者のように一緒になって調子にノってるだけに見える。

 

それで観客をゾッとさせられれば本望なんでしょう、きっと。「この監督はヒドい」という罵声はむしろ勲章なんだろうし。

 

こういうこと言うと「欺瞞」だなんだと吠える人がいますが、欺瞞だろうがなんだろうが人を殺しちゃダメなんですよ。

 

どれだけ将来有望な監督だか知らないが、現実にこんなヒドい奴らがいますよ~スゲェよなぁ、面白ぇよなぁ~♪ってみんなで笑いながら踊ってるだけの映画を褒めそやす気になどなれない。

 

…さぁ、これぐらい言っとけば逆に観たくなる人も出てくるのではないかな。そんで「俺は絶賛してやる!」っていう人もいるでしょう。

 

だからこれはネガキャンなんかじゃないですよ。ただ自分の意見を述べてるだけ。

 

実際にあった残酷な殺人事件を題材にした映画をどのように仕上げようと、それを面白がってどんだけ持て囃そうとそれは人の自由だけど、ならば「これはそんなに面白い映画か?」と疑問を呈する感想だってあってもいいはず。

 

さっき「この映画には第三者的な視点がない」と言いましたが、いくつもの殺人のあとにタカノリが(おそらくシャブの影響で)ショウジの姿をした黒いモヤのような幽霊を見たり、川の中でショウジの腐乱死体を見つける幻覚を見る場面は原作にもあるのかどうか知らないが、あれはタカノリの無意識の罪悪感を表現しているのかもしれない。

 

だから、そこに常人には共感しがたい凶悪犯罪者でありながら生身の人間としての姿を見ることは可能でしょう。

 

人を殺しちゃダメです、なんて言葉で言うのは簡単だけど、それを映画で表現しようとすればいろんな方法があるわけで、だからこれは回りまわって反面教師的に教訓を語っているのかもしれない。

 

どうやらこの映画は「家族」を描いたものらしいので、そうするとこれは「毒親に振り回される息子」の話なんでしょうかね。

 

ただ、それ以前に殺された者への共感が欠けているこの映画は、僕にはやっぱり人として肝腎なものがズレてる気がしてならない。

 

それとも監督は、こういう映画を喜んでる観客のことこそを笑ってるんだろうか。

 

…さぁ、そろそろ私の感想も何が言いたいのか怪しくなってきましたが(この映画についてTwitterで呟いたら監督ご本人にRTされてドキドキしている^_^;)。

 

そういえば、『凶悪』ではリリー・フランキーやピエール瀧に“ぶっこまれて”いたジジ・ぶぅがこの『全員死刑』ではいつも自販機の前に座っててタカノリから飲み物おごってもらってる老人を演じてましたね。今回は“ぶっさらわれて”はいなかったけど。

 

僕も監督にぶっさらわれる前に退散します。

 

 

追記:

 

その後、2018年に別の映画監督が韓国の映画祭で起こした不祥事についての小林監督と間宮祥太朗、及び関係者や取り巻きのツイートがクソ過ぎたので、今後こいつらのかかわった作品は観ないことに決めた。

 

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