マーク・ウェブ監督、クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス、ジェニー・スレイト、オクタヴィア・スペンサー、リンゼイ・ダンカン出演の『gifted/ギフテッド』。

 

並外れた数学の才能を持つ7歳の少女メアリー(マッケナ・グレイス)は、亡き母ダイアンの弟フランク(クリス・エヴァンス)とともにフロリダ州の小さな町で生活している。しかし祖母のイヴリン(リンゼイ・ダンカン)はメアリーの才能を伸ばすために彼女を引き取ろうとしていた。

 

(500)日のサマー』や「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのマーク・ウェブ監督最新作。

 

以前観た『ドリーム』の上映前に予告篇が流れていたのと、映画評論家の町山智浩さんが解説されていたので興味を持ちました。

 

 

『ドリーム』もヒロインが数学の天才だったけど、偶然ながらこちらも数学が得意な早熟児の物語。

 

どうやら僕は黒板に数式がズラッと書かれる場面があると眠くなってしまう呪いをかけられているようなんですが、幸いこの映画では眠くなりませんでした。

 

この『ギフテッド』を観る前は、小さな女の子が「普通」と「特別」の間で悩んだりいろんな障害を乗り越えて自分らしさを周囲に認められていく話なのかと思っていたんだけれど、この映画のメアリーは自分が同じ年頃の他の子たちと違うことに悩んだりはしないんですよね。違うことは当然、といった感じで。

 

そして周囲もまた、特殊な能力、他よりも秀でた才能を持つ子どもにはそれを活かすための生活をちゃんと用意する。

 

これが日本だったら一律を求められて苛めとかの問題になるところだけど、そうならないのがアメリカらしいな、と。

 

『ドリーム』でタラジ・P・ヘンソンが演じた、数学の天才であるヒロインもそうでしたね。

 

ちょうど『ドリーム』で3人のヒロインのうちの一人を演じていたオクタヴィア・スペンサーが、今回は主人公フランクの頼れる隣人ロバータ役で出てます。

 

さて、『ドリーム』が実話の映画化だったように、僕は『ギフテッド』もてっきり実話なのかと思っていたんですが、どこにもそういう断わりはないのでどうやらフィクションのようですね。特にモデルになった人物がいるわけではないようで。

 

いや、別にフィクションだから悪いとか実話だからいいとかいうことではないですが。

 

町山さんもその演技力を高く評価されていたように、メアリーを演じるマッケナ・グレイスのこまっしゃくれた可愛らしさと難しい数式を本当に理解しているような説得力のある演技に魅了されました。

 

 

 

 

前歯が2本とも生え替わりで歯抜け状態なのがユーモラスだけど、その顔はすでに“出来上がって”いて、ツケマしてます?ってぐらい“まつ毛”がめちゃくちゃ長い。美人さんですね。

 

まだ幼いのにどこか老成した雰囲気さえ漂わせている。

 

ちょっと子役時代のダコタ・ファニングを思い出したり。ダコタ・ファニングも当時「幼いのに顔が老女みたい」と言われたりもしていた。

 

現在では普通に綺麗な女優さんになってますが。最近は妹のエル・ファニングの活躍が目立ってるけど、お姉ちゃんもたまには映画で顔を見たいな。

 

やがてはマッケナ・グレイスちゃんも彼女たちのように素敵な大人の女優さんに成長していくんでしょうね。

 

「アベンジャーズ」シリーズの“キャプテン・アメリカ”役でお馴染みクリス・エヴァンスも好演。

 

キャップ以外の、超人的な力のない等身大の人間の役で彼を見るのはかなり久しぶりかもしれない。

 

でも、この映画ではいかにもアクション俳優的な“いかつさ”はあまり感じられなくて、彼が演じる人間ドラマにまったく違和感がない。

 

「アベンジャーズ」の出演者たちは全員そうだけど、もともと演技力がある人ばかりなんですよね。

 

クリス・エヴァンスは、「キャプテン・アメリカ」でも時折見せる物想いに耽ったり悩んでる時の表情や、特に笑顔がとても魅力的ですね。

 

 

 

姪のメアリーと浜辺で遊んでて、彼女が「神様はほんとにいるの?」と尋ねると、エヴァンス演じるフランクは「わからない」と答える。

 

いや、あなたは以前、神様と一緒に戦ってたでしょ(笑)

 

正直なところ、ストーリー自体はわりと先の展開が読めるしそんなに意外な結末でもないので、出演者たちの演技力でもってるところはある。

 

それでもマッケナ・グレイスの熱演には客席で鼻すすってる人もいたし、とても観やすくて人にも薦めやすい映画だと思います。

 

それでは、これ以降はストーリーの中身について書いていきますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

ギフテッド(gifted)”とは、いわゆる天才児、あるいは彼らが持つ特別な才能のこと。

 

天からの授かり物、みたいな感じなのかな。

 

他の人たちに比べて抜きん出て優れた才能を持った子どもにまつわる物語。

 

僕は天才児にも金持ちにも縁がないので、そういう内容の作品は自分にはなんの関係もなさそうにも感じられるけれど、これはすごく簡潔に言ってしまうと「毒親」とその子どもの話。

 

「毒親」とまではいかなくても、親子関係についての映画だと思えば共感できる部分もある。

 

メアリーの母親ダイアンは天才的な数学の才能を持っていたが、弟のフランクに娘を託して自殺してしまった。彼女の自殺の理由はわからない。

 

フランクは姉と同じ苦しみを母譲りの数学の才能に恵まれたメアリーに味わわせないために、彼女には普通の生活をさせようとしている。

 

学校も一般の子どもたちと同じところに通わせるが、小学一年生の授業はメアリーには簡単過ぎて彼女は退屈してしまい、フランクは担任のボニー(ジェニー・スレイト)やデイヴィス校長(エリザベス・マーヴェル)からメアリーを専門の学校でギフテッド教育を受けさせるよう勧められる。

 

しかし、ダイアンのことがあったフランクは首を縦に振らず、やがて彼の許を訪れた母イヴリンとメアリーの今後の人生の選択について実の親子で裁判で争うことになる。

 

 

 

メアリーの祖母でフランクの母親イヴリンの存在が、フランクとメアリーのまるで「親子」のような仲睦まじい関係を裂いていく。

 

イギリス人であるイヴリンはかつてケンブリッジ大学を出て数学者の道を志していたが、結婚をきっかけにそれを諦めざるを得なかった。

 

自分が果たせなかった夢を娘のダイアンに託して、未解決のミレニアム問題「ナビエ-ストークス方程式」を彼女が解くことを願っていたが、ダイアンはそれを成し遂げる前に自ら命を絶った。

 

そして今、イヴリンは亡きダイアンの忘れ形見で娘同様に数学の天才であるメアリーに目をつけている。

 

…なんかもう、スター・ウォーズのダークサイドからの誘惑みたいな話ですが^_^;

 

もはや断言するまでもなく、すべての元凶はイヴリンではないですか。

 

母親の支配が元凶、といえば、ちょっとナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』やベン・アフレック主演の『ゴーン・ガール』を思い出したりしますが。

 

親が子どもに自分の望むような人生を強いて支配する。完全な虐待ですよね。

 

この映画はハートウォーミングな作品として作られているし、ラストもすべてが解決してハッピーエンドで幕を閉じるんだけど、一方で僕はとても怖い映画だな、と思いました。

 

実はフランクとメアリーとの間には特に深刻な問題はなくて、たとえばメアリーは学校でほんのちょっとトラブルを起こすものの(それも弱い者いじめをしていた年上の男子を懲らしめただけ)、担任のボニーの理解のおかげもあってみんなから完全に孤立してしまったり、何か取り返しのつかないようなことをしでかしてしまうわけではない。

 

イヴリンさえ彼らの前に現われなければ二人が引き裂かれることもなく、一連の騒動も起きなかった。すべては自分の夢を孫娘に押しつけようとした祖母のせいだ。

 

僕が恐ろしく感じたのは、イヴリンはフランクに「メアリーの将来を考えて」というようなことを語るけれど、ではもしもメアリーにダイアンのような数学の才能がなかったら、彼女はあれほどまでにメアリーに執着しただろうか、ということ。

 

イヴリンの狙いは数学の難問を解く、という偉業を達成させること、欲しいのはそれが可能な才能の方であって、メアリー自身のことはどうだっていいのだ。

 

だからイヴリンは、裁判での話し合いの結果メアリーがフランクと離れて住むことになった里親の家に押しかけて自らメアリーに数学を教えようとして、その際に猫アレルギーの彼女はメアリーが大切にしていた飼い猫のフレッドを孫娘に黙って施設に引き渡してしまう。引き取り手が期限までに現われなければフレッドは殺処分されてしまう。

 

孫娘のこともそのペットの命もなんとも思っていない、狂ったババアだ。

 

彼女は“自分”の望みを果たす前に世を去った娘のダイアンに失望し、また大学の准教授という安定した職を捨てて船の修理の仕事に就いてゴキブリと蚊だらけの家に住んでいるフランクにも失望している。自分の意に沿わない生き方をしている子どもたちは彼女にとっては残念な存在なのだ。

 

本人のありのままの姿や本人が望む人生を受け入れるのではなく、あくまでも彼女にとってどうなのかが問題とされる。

 

フランクは自分の母親のことを「彼女は厳格な人だ。けっして妥協しない」と言う。

 

僕自身は親から過度のプレッシャーを与えられ続けたり英才教育を施された経験はないので(早々と見切りをつけられた(+_+))ダイアンやフランク、そしてメアリーの気持ちはわからないけど、こういう親に苦しめられている、あるいは苦しめられた経験のある人は案外多いのかもしれない。

 

これは親子の「共依存」を描いた物語でもあるんですよね。

 

最初に書いた通り、出演者たちの演技がいいので安心して観ていられる一方で、観終ってからよくよく考えてみると釈然としないところもある。

 

フランクは映画の終盤になってイヴリンが猫のフレッドを処分しようとしたあとに、ようやく姉のダイアンが実は生前に「ナビエ-ストークス方程式」を解いていたことを母に教える。

 

ダイアンはその論文をフランクに託して「“母の死後に”発表するように」と遺言していた。

 

それは母への娘からの命を懸けた復讐だったのだろうか。

 

だけど、それはフランクはもっと早く伝えろよ、と僕は思っちゃったんですが。

 

もしもその事実をフランクがいち早くイヴリンに伝えていれば、彼はメアリーと引き離されることもなかっただろうし、イヴリンがダイアンにしてきたことはけっして娘のためなどではなかったことを彼女にもっと早く気づかせることができたかもしれないのに。

 

結局、メアリーはギフテッドの学校に通い、そのあとに以前通っていたボニー先生のいる小学校の同じ年頃の子どもたちと公園で一緒に遊ぶことができるようになる。

 

フランクは母イヴリンと亡き姉ダイアンの間を取り持ち、イヴリンにダイアンの功績を守るために尽くすよう促す。

 

…そんなことが可能なら最初からそうすればよかったのに。

 

確かに人の人生というのは最初から何もかも計算ずくでできるものではなくて、紆余曲折を経てようやくなにがしかの形になるものなのかもしれませんが。

 

「母の死後に発表して」とダイアンが言い残した、とフランクから伝えられたイヴリンは、その時自らがしてきた愚かな行ないに気づいただろうか。そして孫娘にもしようとした仕打ちを反省しただろうか。

 

一見すべて丸く収まったように描かれているけれど、本当の問題は解決したんでしょうか。

 

何かモヤッとしたものが残った。

 

ダイアンが生前に「ナビエ-ストークス方程式」を解いていたからいいものの、もしもそうでなかったらあんなふうに穏やかなラストは迎えられなかったのではないか。イヴリンはその後もフランクにメアリーのことでプレッシャーを与え続けただろう。

 

ちなみに、劇中でダイアンが解いたとされる「ナビエ-ストークス方程式」は、現実にはまだ解明されていないようです。

 

そんなわけで、祖母の狂気の印象が強過ぎたために叔父と姪の親子のような絆の証しが後半ちょっとどっかに行ってしまったような(彼らの絆は最初から堅固なものだったから)気がして、映画として若干歪さを感じるところはあった。

 

ちなみにイヴリン役のリンゼイ・ダンカンは、『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』では主人公の母親、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』では主人公を目の仇にする演劇評論家を演じていて、年配のインテリ女性ならこの人、みたいな女優さんですが、フランク役のクリス・エヴァンスと向かい合って話してるとほんとの親子に見えてちょっと面白かったです。

 

こういう美人だけどめんどくさそうなお母さん、居そうだなぁ、って。

 

細かいことだけど、フランクの隣人で彼の代わりにしょっちゅうメアリーの面倒も見てきて親戚のおばちゃんみたいに彼女のことを愛している中年女性ロバータを演じていたオクタヴィア・スペンサーは、いかにも肝っ玉母さんみたいな存在感でハマってましたが、少々タイプキャスト過ぎないかな、と。

 

 

 

 

彼女の演技に文句つける気はまったくないんだけど、どうもハリウッド映画でよくありがちな「白人の主人公に協力的な黒人キャラ」そのまんまなのが気になった。思い余ってメアリーのことでフランクにキツめに言ったり、身体を張ってイヴリンを止めたり、なんだか体(てい)のいい乳母かお手伝いさんみたいなキャラだったから。

 

『ドリーム』でスペンサーが演じた、勉学に励み自己主張して仲間たちとともに自らの権利を獲得していくヒロインの一人から後退している。

 

だって、逆に黒人の主人公の娘をあんなに可愛がる白人女性の登場人物って考えられますか?ちょっと気持ち悪いでしょ。

 

ロバータとメアリーの関係をもう少し詳しく描くとか、いつもフランクたちにくっついてるだけじゃなくてロバータにはロバータの生活があるはずだから、それを掘り下げてフランクの家族と対比させるなりすれば、もっと彼女はリアルな存在になったと思う。

 

それはメアリーの担任教師のボニーにも言えて、彼女はフランクと懇意になって、偶然目にしたメアリーの飼い猫フレッドの里親を探す張り紙をスマホで撮ってフランクに送ったりして彼らに協力するんだけど、やっぱりどこかフランクとメアリーの助っ人的な役割にとどまっている。

 

 

 

まぁ、この映画はフレッドとメアリーの物語だし、先ほどから述べているように実は親子間での依存の問題を描いたものだから、時間の都合もあるだろうしロバータやボニーが脇の助っ人としての役割なのはしかたないのかもしれませんが。

 

その他にも、フランクがロバータと一緒にメアリーを連れて病院で出産した母親の家族たちの喜ぶ姿を見る場面は確かに感動的ではあるのだけれど、フランクやロバータがメアリーを大切に思っていることは観客にはもうよくわかっているので、あそこで敢えて生まれてくる命の尊さを感じさせるような場面を入れることが果たして効果的だっただろうか、という疑問も。

 

やっぱりメアリーが「自分は愛されていないのではないか」と本気で不安になる展開がないと、彼女がかつて喜びとともにこの世に迎えられたということがあらためて胸に迫ってこないし、その後のフランクとメアリーの別離と再会が予定調和にも見えてしまう。

 

フランクの「5分でいいから自由な時間が欲しい」という呟きにメアリーが涙ぐんだり「私のせい?」と尋ねる場面があるけど、それって別にこの二人に限らずどこの家でもあるようなやりとりですよね。

 

だから、僕はこれは特殊な天才児を描いた物語というよりも、普遍的な親子の関係についての映画だと思いました。

 

なんだかこれまでわりと批判的なニュアンスの感想を書いてきましたが、これは「愛すること」についての映画でもあるから、その視点から見ればなんの矛盾もないのかもしれない。

 

ロバータが赤の他人であるフランクの姪のメアリーを愛しているのは、病院でメアリーが他人の出産の喜びを我が事のように一緒になって喜んでいたのと重なる。

 

親子でなくても、血が繋がっていなくても、人は人を大切に思い愛することができる。

 

そういうフランクやロバータの姿、生き方と、自らの欲望のために結果的に実の娘さえも死に追いやった残酷なイヴリンのそれらとが対比されている。

 

猫のフレッドはメアリーに飼われ始めた時から片方の目がなかったが、メアリーはフレッドを「歴史上一番スゴい猫」と言って愛している。それはフレッドが何か特殊な能力があるからでも他の猫たちより優れているからでもない。

 

こちらの思い通りになるから愛してやるのではない。ありのままのその存在を受け入れること。メアリーは愛するということがどういうことなのかわかっている。

 

日本版のポスターに書かれている「いちばん大切なのは、〈愛する〉才能。」という惹句はこの映画のテーマをそのまま言い表わしている。

 

フランクにとってはメアリーの存在そのものが“ギフテッド”だった。彼女はフランクからそういうものの見方と生き方を受け継いでいる。

 

特別だから愛するんじゃない。愛しているから“特別”なのだ。

 

 

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