ジェイソン・ライトマン監督、マッケナ・グレイス、キャリー・クーン、フィン・ウルフハード、ローガン・キム、ポール・ラッド、セレステ・オコナー、オリヴィア・ワイルド、J・K・シモンズ、ボキーム・ウッドバイン、トレイシー・レッツほか出演の『ゴーストバスターズ/アフターライフ』。2021年作品。

 

ゴーストたちがニューヨークを襲ってから30年以上が経ち、幽霊退治屋“ゴーストバスターズ”の一員だったイゴン・スペングラー博士の孫フィービー(マッケナ・グレイス)は、母のキャリー(キャリー・クーン)と兄のトレヴァー(フィン・ウルフハード)とともに亡き祖父イゴンが遺した農場に引っ越してくる。荒れ果てた家でゴーストバスターズのゴースト捕獲機をみつけたフィービーは、教師のグルーバーソン先生(ポール・ラッド)や同級生の少年“ポッドキャスト”(ローガン・キム)らと一緒に調べるうちに、破壊神ゴーザの復活を祖父が食い止めようとしていたことを知る。

 

ネタバレがありますから、鑑賞後にお読みください。

 

1984年公開の『ゴーストバスターズ』、および89年の『ゴーストバスターズ2』の続篇。

 

『ゴーストバスターズ2』の方は観ても観なくてもどちらでもいいけど、1作目は絶対に観ておく必要があります。“イゴン・スペングラー博士”って誰なのか知らないと、面白さや感動を味わえないと思いますので。

 

1作目から38年の歳月が流れている現実を実感することが重要だから。

 

僕は公開2日目に観たんですが、前日の公開初日の夜にTVの「金曜ロードショー」で1作目をやってたのを観たばかりだったから、目の前で一気に時が流れたような感覚があってそれだけでちょっと感涙ものでしたね。

 

さて、『ゴーストバスターズ』は2016年にまったく別のキャストによってリブートされて、そちらではオリジナル版とは反対にゴーストバスターズを女性たちが演じていましたが、僕はあいにくそのリブート版をかなり酷評してしまったし、一部では「好きだ」という人たちもいたんだけど、こうやって今回あらためて「正式な続篇」が作られたように世間的にも必ずしも評判は良くはなかったようで。2016年版が大ヒットして評価が高ければ、その続篇が作られたでしょうから。

 

 

2016年版のポール・フェイグ監督が「ゴーストバスターズ」シリーズのブルーレイのボックスセットからリブート版が排除されていることに対してソニーに苦言を呈していましたが、僕も散々内容に文句言っといてなんですが、あの作品が完全に「なかったこと」にされてしまうのは残念ですね。

 

 

 

2016年版がTVの地上波で放送された時にはTwitterのTLも盛り上がっていたし、僕もなんだかんだ言いつつも他の視聴者の皆さんと楽しんだので。

 

そして、あの作品が多くの人々、特に女性たちに支持されていることを知ったのでした。映画の中で女性たちがゴーストバスターズとして活躍する姿に勇気づけられたり、とても嬉しかったという人たちは思いのほかたくさんいるようで。「ゴーストバスターズ」は男子だけのものじゃないもんね。

 

 

 

いろいろ意見はあるでしょうが、2016年版がうまくいかなかったのはメインキャストが女性だったからではなくて、シナリオが不出来だったからだと思うし、ギャグもあまり笑えなかったから。出演者たちは好演してたし、彼女たちに罪はない。

 

今回の『アフターライフ』の主人公は少女だけど、それは僕は2016年版があったからこそだと思うんだよね。

 

おそらく、もっと前にこの「正式な続篇」が作られていたら、主人公は男の子だったんじゃないだろうか。そして「父と息子」「祖父と孫息子」の話になっただろうと思う。

 

ジェイソン・ライトマン監督は子どもの頃にこの映画のアイディアを思いついたそうだけど、どうして主人公を男の子じゃなくて女の子にしようとしたのかちょっと不思議ですよね。監督である父親アイヴァンやイゴン・スペングラー博士役のハロルド・ライミスと自分との関係を登場人物たちに重ねたのなら、主人公は男の子の方が自然だろうに。

 

2016年版で女性たちを主人公にしたことで得られたものがあったからこそ、今回、マッケナ・グレイス演じるフィービーが主人公になることにゴーサインが出たんだと僕は信じたいな。

 

1980年代には『グーニーズ』とか『インディ・ジョーンズ』、あるいは『スタンド・バイ・ミー』のような男の子たちの冒険映画がいくつもあったけれど、今ようやく「女の子の冒険映画」が作られた。2016年版はその実現のための橋渡しのような役割を果たしたと言えるのではないか。

 

悪の親玉でユニセックスな外見のゴーザは『アフターライフ』の劇中で「男でも女でもない」「ジェンダーレスの元祖」と言われてて、冗談めかしてはいるけれど、長らく「男の子映画」とされてきた『ゴーストバスターズ』に「私たちだってゴーストバスターズになれる」という女性たちの声を反映させているようにも思える。

 

 

「お前は神か?」 とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ

 

そういえば、『アフターライフ』版のゴーザを見ながら誰かに似てるなぁ、と思ってたら、オリヴィア・ワイルドが演じてたのね。一所懸命オリジナル版のゴーザに似せようとしていたし、よく似合ってたけど、84年の元祖『ゴーストバスターズ』で終盤に登場したゴーザ(演:スラヴィツァ・ジョヴァン 声:パディ・エドワーズ)の妖しい魅力は実に80年代的だった。当時のミュージックヴィデオに映っている女性モデルたちの顔つきやメイクを思い出す。

 

オリジナル版ではゴーストバスターズの面々に「ブス」呼ばわりされてたゴーザだけれど、彼女のファンは結構いるようです。わかる気はする(^o^)

 

 

 

1作目で言及されていた、ゴーザを崇めてデイナ(シガニー・ウィーヴァー)が住むニューヨークの高層ビルを改造した狂信的な建築家を今回の『アフターライフ』ではJ・K・シモンズが演じていて、ゴーザの復活とともになぜか彼も生き返ってたけど、ゴーザ様にスルメみたいに真っ二つに裂かれていた。スパイダーマンの最新作でもそうだったけど、なんかいろいろおいしい役ばかりやってますなw

 

『アフターライフ』はフランチャイズ映画の続篇でありつつも子どもの成長や親子関係の修復を描いたジュヴナイル映画でもあって、実をいうと完全にノーテンキな「コメディ映画」であった元祖『ゴーストバスターズ』よりも映画としては『E.T.』あたりに近い。『E.T.』はファンタジー映画だし笑える場面もあるけれど、「コメディ映画」ではなかった。『アフターライフ』もコメディの要素もありながらも、コテコテでベタなコメディには振り切っていない。

 

むしろ、2016年版の方がオリジナル版のバカ映画っぽさを受け継いでいる。

 

オリジナルの元祖『ゴーストバスターズ』って、監督のアイヴァン・ライトマンも主演のビル・マーレイに共演のダン・エイクロイドやハロルド・ライミスもコメディ畑の人たちで、コメディ番組「サタデー・ナイト・ライヴ (SNL)」の関係者だし、もともとはやはりコメディアンのジョン・ベルーシが主演するはずだった(この辺の事情についてはドキュメンタリー映画『BELUSHI ベルーシ』で触れられていて、ハロルド・ライミスやダン・エイクロイドのインタヴュー音源も使われている)。

 

2016年版の方もまた主演のクリステン・ウィグやケイト・マッキノン、レスリー・ジョーンズたち主要キャストはSNL出身。

 

『ゴーストバスターズ』って、物事を深刻に捉えない軽薄な80年代文化の申し子でもあって、皮肉屋で時には差別的な発言も平気でするビル・マーレイ演じるピーター・ヴェンクマン博士をはじめ、登場人物全員がマンガのようにわかりやすいキャラとして描かれていて、要するにコントの延長線上みたいな映画だったんですよね。

 

2016年版は84年の元祖『ゴーストバスターズ』と同じノリで映画を作ろうとして失敗してしまった。

 

僕は80~90年代頃って、『ゴーストバスターズ』以外でもアイヴァン・ライトマン監督がシュワちゃん主演で撮った『ツインズ』や『ジュニア』、『キンダガートン・コップ』を劇場で観て、どれもそれなりに楽しんだんですが、2001年の『エボリューション』では「X-ファイル」のデヴィッド・ドゥカヴニーと、それからジュリアン・ムーアがVFXを駆使した『メン・イン・ブラック』っぽいコメディに挑戦していたけど、うまくいってないと思ったし、それ以降はご無沙汰でした。

 

やがて、息子のジェイソン・ライトマンが監督として活躍するようになって、彼の撮った『ヤング≒アダルト』もとても評判がいい映画だけど、僕はシャーリーズ・セロンが演じた主人公のキャラと劇中での言動がどうも受けつけなくて、物語自体も腑に落ちない展開だらけだったんで、それ以降、同監督の作品は観ていませんでした。父親とは違うタイプの作り手であることはよくわかりましたが。

 

昔の『ゴーストバスターズ』的な笑いって、もはやあまりウケなくなったのか、あるいは差別ネタなどいろいろ配慮しなきゃいけない要素が増えて以前のようなムチャクチャやるコメディを作れなくなったのかわからないけど、その手のタイプの映画で大ヒット作品って最近あまりないですよね。

 

それこそ『ヤング≒アダルト』のような人間模様を描いた小粒なミニシアター系の映画の方をよく目にする。

 

だいたい、ジェイソン・ライトマンってフィルモグラフィを確認すると、アクションだとかVFX満載のファンタジー映画ってこれまで撮ってないんですよね。その彼が『ゴーストバスターズ』の続篇を撮ること自体、結構な冒険というか挑戦だったんでしょう。

 

父アイヴァンと、そして子どもの頃から憧れだったというハロルド・ライミス(彼は映画監督でもあった。ビル・マーレイ主演の『恋はデジャ・ブ』やベン・スティラーとロバート・デ・ニーロ主演の『アナライズ・ミー』などを撮っている)への想い、そして「ゴーストバスターズ」が象徴する80年代(とジェイソン・ライトマンが過ごした少年期)を子どもや孫の世代が振り返るという、家族や時の流れを意識させる作品になっている。

 

この『アフターライフ』については、「ただの懐古主義に終わっている」という意見もあって、確かに過去に84年の1作目を観ていてオリジナル版と80年代当時に対するある程度の思い入れがある人以外には、ただおじいちゃんたちと会って懐かしがってるだけにしか見えないかもしれないし、古い作品をあれこれイジってるだけで新しいものがない、と感じられるかもしれない。

 

それから、すでに亡くなっている人(ハロルド・ライミス氏は2014年に死去している。この映画は彼に捧げられている)を映像加工で蘇らせて映画の中で演技させることの是非も問われてしかるべきでしょう(今回、終盤に“ゴースト”として登場するイゴンは別人が演技して顔をハロルド・ライミスのものと差し替えている。アイヴァン・ライトマン監督も演じたとのこと)。

 

 

 

僕は『ゴーストバスターズ』はドンピシャ世代なので、フィービーやキャリーがイゴンと再会して抱きしめ合ったりゴーストバスターズの4人のメンバーが揃い踏みする場面ではウルッときてしまったし(アニー・ポッツ演じる元受付係のジャニーンやダン・エイクロイド演じるレイが出た時点で予測はできたけど、でもやっぱり実際にスクリーンに彼らの姿が映し出されたら心動かされずにはいられなかった)、先ほどもちょっと述べたように女の子がゴーストバスターズのユニフォームを着てプロトンパックを背負ってゴーストたちと闘うことには大きな意味があると考えているので、この映画が「ただの懐古主義」だとは思いませんが。

 

 

 

 

時代の流れとともに変化したり改められたりするものもあれば、受け継がれていくものもある。この映画を1作目と併せて観ると、38年の歳月の中で世界がどのように変わったのか、それでも変わらないものはなんなのか、いろんなことが頭をめぐる。僕はこの映画は「あり」だと思うなぁ。

 

ポストクレジットでピーターがデイナに電気ショックで遊ばれてたけど、あれは1作目でピーターが学生を実験台にして男子生徒をいたぶっていたことへのお仕置きだよね。

 

オリジナル版当時のピーターのように「毒を吐く」のを口実に性差別的なことを言ったりやったりすることはもはや許されない。それは「窮屈」なんじゃなくて、弱い立場の者を叩いて笑うことは人として間違っているから。違う「笑い」を探求していくしかない。

 

それでも、『アフターライフ』に登場したピーターは憎まれ口を叩く面白いおじいちゃんになってました。嫌いにはなれなかったね。

 

ハロルド・ライミスさんの逝去でオリジナル・メンバーが揃っての続篇は永遠に不可能になったと思っていたけれど、こういう形で「続篇」が実現したのは僕は嬉しかったな。

 

2017年の『gifted/ギフテッド』で早熟ぶりを見せていたマッケナ・グレイスが、この映画でも天才科学者の孫役で主演を務める。共演は『ゴーン・ガール』のキャリー・クーンに『アントマン』のポール・ラッド。

 

 

 

 

 

 

マッケナ・グレイスはこれまで金髪のストレートヘアでの出演が多かったから、濃い髪の色で癖っ毛のフィービーの見た目は新鮮だったし、最初にアメリカ版の予告篇をYouTubeで観た時には彼女だと気づかなかった。女の子なのか男の子なのかもわかんなかったぐらいで。

 

コロナ禍で公開が延びたせいもあって、現在の彼女は撮影当時よりもだいぶ大人っぽくなってますね。もう15歳なのかぁ。他所様の子どもさんは成長するのが早いね(^o^) 『ギフテッド』の時は前歯が抜けたおチビちゃんだったのに。

 

マッケナ・グレイスはエンドロールで流れる歌も唄ってます。

 

 

 

フィービーと実習相手になって一緒に冒険する“ポッドキャスト”役のローガン・キムが、80年代頃に観たいろんなハリウッド映画の子役を思い出させる。『グーニーズ』のキー・ホイ・クァン(ジョナサン・キー)とかね。

 

 

 

 

大量にワラワラ出てくるミニ・マシュマロ・マンが1作目同様ここでも可愛くて絶妙に気持ち悪い。

 

 

 

 

悪戯しまくってバーナーで自分たちを焼いたり火に飛び込んで焼きマシュマロになったりミキサーで粉砕されたり、グロ入ってるのが『グレムリン』っぽい(『グレムリン』も84年作品)。

 

フィービーたちがイゴンの農場に引っ越してから物語が本格的に動き出すまで結構時間があって、その間にフィービーや兄のトレヴァーたちがそこに馴染んでいくまでをよく言えば丁寧に、悪く言うとわりとモタモタ描いているので、これはほんとにラスボスとの対決がちゃんと最後まで描かれるんだろうか、と少々不安になってしまったほど。

 

多分、お父さんのアイヴァン・ライトマンだったら前半のくだりはもっとテンポよくさくさく描くと思う。

 

1作目の『ゴーストバスターズ』って上映時間が105分なんですよね。『アフターライフ』は124分ある。この違いが大きかったりする。

 

長いわりには、たとえばトレイシー・レッツ演じる店主はスペングラー家の子どもたちとは絡まないし、お話にもまったくかかわらない。出てくる理由がよくわかんないんだよね(ちなみにトレイシー・レッツはキャリー役のキャリー・クーンの夫)。トレヴァーがバイト先で好意を持つ女性ラッキー(セレステ・オコナー)も、物語にかかわりそうでやっぱりそんなにかかわってはこない。彼女の父親の保安官(ボキーム・ウッドバイン)もそう。

 

前半で時間を取り過ぎたせいで登場人物たちをちゃんと描ききれないまま終わってしまった印象。もったいないなぁ、と。そこんところはもうちょっとうまいことまとめてほしかった気はする。

 

でも、個人的にはそういうちょっと間延びしてるようなテンポの悪さも僕はそんなに苦にはなりませんでしたが。これらの描写の中に、かつて観た映画たちを思い起こさせるものがあったから。

 

あの寂れた町でフィービーたちが過ごす様子をもっと見ていたかったぐらいで。

 

 

 

「今時ローラースケート?」と言われてた店員がローラースケートで食べ物を運んでくるバーガーショップとか、ああいう風景がノスタルジックでいい(そんなバーガーショップは映画の中だけでしか知らないが)。

 

ここ何年もの間、かつての少年少女たちが成長してクリエイターになって自分たちが子どもの頃に好きだったものを作品にしたり、当時を振り返るような映画が増えているように思うんですが、それは単なる退行やただ昔の名前で縮小再生産してるんじゃなくて、自分たちが過ごした時代を今どう捉え直すか、という試みでもあると思うんですよね。すべての作品がうまくいってるわけじゃないにしても。

 

だから、時にはそれらの作品のどれかが刺さる場合もある。

 

この『ゴーストバスターズ/アフターライフ』に僕は大泣きすることはなかったけれど、ちょっと目頭が熱くなる瞬間はあった。

 

さらなる続篇を望む声もありますが、僕はこの映画は「三部作」の美しい完結篇だと思うから、これで綺麗に終わってもいいんじゃないかと思います(そうじゃないと、これからゴーストバスターズのオリジナル・メンバーがお亡くなりになるたびに続篇作らなきゃならなくなりそうだし^_^;)。

 

いや、いつものごとく、また新作が作られたら観ますけどね。成長したフィービーの活躍も見てみたいし。

 

スパイダーマンの「マルチヴァース」みたいに2016年版のゴーストバスターズのメンバーと出会う話でもいいんじゃないかな(^o^)

 

※アイヴァン・ライトマン監督のご冥福をお祈りいたします。22.2.12

そちらでもハロルド・ライミスさんと楽しい映画を作ってくださいね。

 

 

関連記事

『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』

『トップガン マーヴェリック』

『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』

『インスペクション ここで生きる』

 

 

 

 

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いています♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ