今月は劇場で観た新作映画は1本だけ。旧作が3本(うち1本は去年観た作品の再上映)。

 

去年の緊急事態宣言の時に映画館がすべて休館してしまった時よりはマシなわけですが、新型コロナウイルス感染症の感染者数は去年よりももっと増えているんだから意味がよくわからないですね。個人的にはこちらではかろうじて映画館がまだやっててくれてるのはありがたいんですが。

 

各映画館は営業は午後9時までで感染拡大防止対策もしているし、僕が行くのはほとんどいつも平日の日中か夕方なので混んでることはなくて快適な状態で観られています(土日は休業のシネコンも)。

 

ただ、この状態だっていつまで続くのかなんの保証もないんだから、いつまた去年のようなことになるかわからない(すでに映画館が全館休業中の地域もありますし、今後はそれどころではない事態になる危険だってある)。だから、用心しながら今のうちにせいぜい足を運びたい。

 

とりあえず今月は、アンソニー・ホプキンスがオスカーの主演男優賞を獲得した『ファーザー』と大島渚監督の『愛のコリーダ』、それからようやくこちらでも公開が開始された『ガメラ3』を観ておきたかったんですが、あいにく『ファーザー』は時間が合わなかったので、公開が始まったばかりの『クルエラ』を鑑賞。

 

 

クルエラ

 

エマ・ストーンが、ある一人の若い女性エステラがやがてディズニーアニメ『101匹わんちゃん』のヴィラン(悪役)=クルエラ・デ・ヴィルになるまでを演じる。

監督は『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』のクレイグ・ガレスピー。“悪女”繋がりか(^o^)

みんな大好きポール・ウォルター・ハウザーも『アイ, トーニャ』に続いて出演。

 

 

 

 

吹替版の柴咲コウの声の演技も気になるところではあるけれど、エマ・ストーンはご本人のあの“声”も込みで彼女だと思うから字幕版を鑑賞。

柴咲さんの声はエマ・ストーンさんの低音のそれとは異なるし、似た声質の本職の声優さんを起用した方がよかったんじゃないかと思うんだけど、吹き替えのキャストは目ヂカラと顔の濃さで選んだんだろうか^_^; いや、柴咲さんは日本版のエンディング曲も唄っているようだし、また機会があったら彼女の声のエマ・ストーンも見てみたいですが。

70年代の英国を舞台に、バックに流れる音楽やエマ・ストーンの演技とファッションを楽しむ映画。

女性のヴィランの誕生譚、というと、同じディズニーがアンジェリーナ・ジョリー主演で作った『マレフィセント』を思い浮かべるけど、ただし、あの映画やディズニーアニメの実写化リメイクの『美女と野獣』『アラジン』などのようなVFXを駆使したアクションやファンタスティックな物語を期待すると、はぐらかされるかもしれない。

それから、これはミュージカル映画ではないので、残念ながら『ラ・ラ・ランド』みたいに劇中でエマ・ストーンが歌声やダンスを披露することはありません。ショーの場面でちょっとポーズをとってみせるぐらい。そこは残念だったなぁ。せっかくディズニー映画なんだし、ぜひ“クルエラ”のあのド派手な衣裳とメイクで唄って踊りまくってほしかった。

ファミリー向けというよりもハッキリある一定の年齢層以上に向けて作られているので、小さな子どもさんのいらっしゃるご家庭はくれぐれもご注意を。残酷だったりエロがある、ということではなくて、ファッション業界で成り上がろうとする女性の物語なので、幼児には退屈だと思います(別に幼児や小学生ぐらいでこの映画が大好きな子がいてもいっこうに構わないと思いますが)。

僕は、この映画でエマ・ストーンが演じるエステラ=クルエラの姿に、これまでさまざまな作品に登場した女性のヴィラン(『バットマン リターンズ』でミシェル・ファイファーが演じたキャットウーマンや、「ヤッターマン」のドロンジョ様、ヴィランじゃないけど『キック・アス』のヒット・ガールなど)が重なって、とても興味深く観ましたが、そしてエマ・ストーンのファンには間違いなく必見の映画だと思うけれど、大ヒットする内容かどうかは正直わからない。意外と観る人を選ぶ作品かも。上映時間が134分あるし。

「家族」や「親子」の大切さを訴え続けた朝ドラ「おちょやん」のあとに観ると、よく通じる部分と、とても皮肉に感じられるところがある。観終わってみれば『アイ, トーニャ』の監督が起用された理由がよくわかる内容になっていました。

 

 

旧作&再上映

愛のコリーダ 修復版

「阿部定事件」を描いた、大島渚監督の1976年作品。

あらためて観てみて、日本映画としてはきわめて異色、特殊な作品だな、と。

現代版の「春画」のような趣き。グロテスクな美。

「本番行為」を撮ったハードコア・ポルノだけど、“実用”のためのアダルト・ヴィデオとは違う。こんな映画はこの国では他にないんじゃないだろうか。

ただし、「修復版」ではあるが「完全版」ではない。

男性器が元気だったり萎んだりする「画」こそがこの映画の物語と密接に絡んでもいるのだから、そこに「ぼかし」がかけられていては作品を半分も楽しめないし理解もできないだろう。

阿部定は、なぜあそこまで吉蔵を求め続けたのか。その異常なまでの執着にはとても今日的なテーマが込められている気がする。

 

 

シカゴ7裁判』(去年11月に続いて2回目)

 

 

ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 4K HDR版』DOLBY CINEMA

金子修介監督による1995年の1作目から続く「平成ガメラ三部作」の完結篇。1999年作品。

敵の怪獣“イリス”の造形や設定、少女の成長と絡めた作劇などにガンダムやエヴァンゲリオンなどを連想。

怪獣と民話を絡めるのはウルトラシリーズでもやってるけど、怪獣がどうして日本にばかり出現するのか、という理由付けに宗教的な要素を持ち込むことには結構危ういものを感じたのだった(山吹千里が演じる巫女の家系の登場人物がなかなかに意味不明)。

藤谷文子演じる浅黄が中山忍演じる長峰に「こういう話って抵抗ありますか?」と尋ねるのが可笑しい。作り手も怪しげなことを言っているのは自覚しているようで。なんですか、“マナ”って。「ふたりっ子」の片割れか(朝ドラ脳)?

この日本の神話と怪獣という関係は、やがて同監督の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』でよりストレートに描かれる。

迫り来るギャオスの群れに向かうガメラを映して「ヤツの闘いはこれからも続くぜ!」みたいな、まるで打ち切りになった連載漫画っぽいエンディングは正直あまり好みではないんですが(やはり最後はガメラには感動的に海か空の彼方へ去っていってほしかった)、1999年、という公開年を考えると、ああいう世紀末感溢れるラストにしたくなった、ということでしょうかね。

いろいろぶつくさと言ってきましたが、それでも去年の11月から順番に上映されてきたこの三部作を観終えて、手作りのミニチュア特撮を駆使した「怪獣映画」を久々に映画館のスクリーンで味わえたことは本当に嬉しかったです。

やはりこの3本は今では貴重な作品群と言えるでしょう。

 

それにしても、せっかくガメラとゴジラを同時期に観られる、と期待していたのに、ハリウッドの『ゴジラvsコング』は公開が延期されちゃって日本ではいまだにいつ観られるのかもわからない(※追記:その後、公開日は7月2日に決定した模様)。残念だなー。

 

 

DVD視聴

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー

愉快な映画でしたが、個人的にはちまたでの評判ほどにはハマらず。その理由を書きました。

 

 

 

82年生まれ、キム・ジヨン

 

これも世間ではとても評価の高い映画ですが、なんとなく劇場公開時には敬遠してしまっていた。

実際観てみてなかなかしんどい内容だったので(本当にしんどいのは女性だ、という話なんですが)、一人でDVDで観たのは正解だったかもしれない。

幼い子どもが外出先で大泣きしたり粗相してしまった時に、それを見ていた他の人たちがその母親に手も貸さず聞こえよがしに心無いことを言う、日本でもよくある光景。

「ママ虫」と呼ばれた主人公が「私は“虫”ではない。私のことを10分しか見ていないのに、なぜ勝手に人のことを決めつけるのか」と食ってかかる場面には、普段、私たちが互いに手を差し伸べ合うことがいかにできていないか痛感する。

そういえば、『ミナリ』でアカデミー賞の助演女優賞を獲ったユン・ヨジョンさんは、あちらの無礼なインタヴュアーにブラッド・ピットの匂いを尋ねられて「私は犬ではありません」と答えていたな。果たしてそのインタヴュアーは、相手が男優でも同じことを尋ねただろうか。

また、この映画でもしばしば韓国映画で見かける「男の子ばかりが大事にされて、女の子は低く扱われる」という男尊女卑的な待遇の違いが、すでに日常的に悪気なく無意識のレヴェルで行なわれているのがよくわかる。

パラサイト 半地下の家族』『はちどり』『野球少女』『ミナリ』など、ここ最近観た韓国映画(『ミナリ』は正確には“アメリカ映画”ですが)にはほとんどこのことが描かれている。『ミナリ』のように映画の作り手が意識せずに“女の子”を無視しているように感じられた作品も。それぐらいもはや「男尊女卑」は染みついてしまっているということか。

同じ能力だったり、女性の方が優秀でも男性よりも社会的な地位も賃金も低い、という現実への疑問は、これも今年観た『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』の中でも語られていた。世界的に是正すべき課題とされているんですね。まずは疑問を持つこと。そして声を上げること。

個人レヴェルから人と人とが手を取り合う連帯まで、世の中で何か物事が良い方に変化した時、そこには必ず声を上げた人や行動を起こした人の存在がある。

この映画は、女性はもちろんのこと、僕たち男性にも何が問題なのかをちゃんと気づいてほしい、理解してほしい、そして一緒に変えていってほしい、と言っている。

 

 

 

映画館に限らないけれど、コロナ禍のなかなか厳しい現状で、それでもなんとか希望を失わずにいたいものです。人々を守るべき政府が頼りないからこそ、僕ら国民一人ひとりが気をしっかり持っていたい。「映画」には現実を忘れて苦しみから逃避させてくれる役割もあるけれど、それだけではなくて現実をよりよく見据えるために必要なものを扱ってもいる。もちろん、それは映画以外のものたちにも言えることですが。

 

まだまだ忍耐を必要とする日々が続きますが、いつか必ず、好きなだけ映画を観て旅行して友だちと呑んでスポーツ観戦もできる、そんな日が来るんだと信じたい。

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いていますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします♪

 

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