エイプリル・ライト監督によるドキュメンタリー映画『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』。2020年作品。

 

ミシェル・ロドリゲスがナレーションや進行役とともに製作総指揮を務めている。

 

出演:ミシェル・ロドリゲス、エイミー・ジョンソン、アリマ・ドーシー、ジーニー・エッパー(TV版「ワンダーウーマン」)、ジュリー・アン・ジョンソン(『恐怖のメロディ』)、ジェイディ・デヴィッド(『コフィー』)、デビー・エヴァンス(「ワイルド・スピード」シリーズ、『マトリックス リローデッド』)、メリッサ・スタッブス(「X-ファイル」アクション監督)、ハイディ・マニーメイカー(「ジョン・ウィック」シリーズ、『ブラック・ウィドウ』)、レネー・マニーメイカー(『アベンジャーズ/エンドゲーム』『マトリックス4』)、ドナ・エヴァンス(『トータル・リコール』『スピード』)、ドナ・キーガン(『ロボコップ (1987)』『トゥルーライズ』)、アン・フレッチャー、ジェニファー・カプート(「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ)、アンディ・アームストロング、リック・シーマン、ミシェル・ジュビリー・ゴンザレス、シェリル・ルイス、ポール・ヴァーホーヴェン、ポール・フェイグ(『ゴーストバスターズ (2016)』監督)、ベン・マンキーウィッツ(映画史家)、アルバート・S・ラディ(『ゴッドファーザー』プロデューサー)、シャーリーン・ロイヤー、デヴン・マクネア、ケリー・ロイシーン、ハンナ・ベッツ、リー・ジン、タミー・ベアード、ケイトリン・ブルック、ジェシー・グラフ、ラファイエ・ベイカー、アンジェラ・メリル、ケイシャ・タッカー、マリッサ・ラボッグ、ヴァイア・ザガナス、キリアナ・スタントン、ジェニファー・マイレーア、ゼンダラ・ケネディほか多数。

 

ハリウッドの映画やTVドラマで活躍する“スタントパフォーマー”、その中でもスタントウーマンたちにスポットライトを当てて、映画の草創期を支えたスタントウーマンたちのエピソードや、60~70年代からスターのスタントダブルや危険な撮影で裏方として働き続けてきた大ヴェテラン、最新作に出演中の若手まで、さまざまなスタントウーマンたちのインタヴューやトレーニングの模様、彼女たちがこなしたスタントシーンなどを見せていく。

 

内容について書きますので、これからご覧になる予定のかたは鑑賞後に読まれることをお勧めします。

 

去年、映画サイトでこの映画のことを知って、公開を楽しみにしていました。

 

ちょうど去年はハリウッド映画の音響スタッフについてのドキュメンタリー映画も観たところだったから、それに続いて映画の世界で活躍する裏方、その中でも特に女性のスタッフたちを採り上げていることがとても興味深い。

 

 

言うまでもなく、映画の世界では男性も大勢活躍しているわけだけど、あえてここで女性たちに注目しているのは、彼女たちが男性だったらする必要のない「闘い」を強いられてきた(そしていまだその闘いの途上だ)から。

 

長年、男の仕事、と言われてきた映画業界が、必ずしもそうではなかったことが語られる。

 

1910年代、アメリカの映画業界には賃金の安い移民や女性が従事していて、今よりも多くの女性の映画監督やスタントパフォーマーたちが活躍していたのだとか。映画会社を所有する女性も80年代よりも多かったのだそうで。

 

 

 

 

主演女優が怪我をしたため、芸名を変えて代わりに主役を務めたスタントウーマンもいたという。

 

ところが、やがて映画が大金を産むことがわかると、男性たちがこの業界に入ってきて瞬く間に女性たちを締め出してしまった。

 

そして、女性のスタントダブルすらも男性が担うことになる。

 

長らくそのような状態が続いていたが、やがて女性や黒人のスタントパフォーマーたちが自分たちの地位や収入を守るために声を上げるようになる。それは女性や黒人の権利を主張する時代背景と連動していた。

 

パム・グリア (右)と彼女のスタントダブルを務めたジェイディ・デヴィッド (左)

 

“マン”じゃないから、と「スタントマン協会」に入れてもらえず、「スタントウーマン協会」を作る。

 

それでもまだまだスタントウーマンは低く見られて、彼女たちの作品への貢献がしっかりと認められているとは言い難かった。不満を口にしようものなら干されて何年も仕事がなくなってしまった。

 

こういう話は先ほどの『ようこそ映画音響の世界へ』でも同じことが当事者たちによって語られていたから、どこの分野でも、映画に限らずどの業界でもそうだったんでしょう。そして、それは現在でもまだ完全に是正されてはいない。だからこそ、こういうドキュメンタリー映画がいくつも作られているんですよね。

 

先日、ちょっと不愉快なことがあって、ちょうどいいからここでネタにしますが、僕のブログの『アベンジャーズ/エンドゲーム』の感想を書いた記事に「女性スーパーヒーローが集合する場面が不自然」と不満をコメントに書いてきた人がいて(このブログをフォローしてくださっているかたではありません)、それに対して僕は、あの映画は家父長制を象徴する悪のボス・サノスとの闘いを描いているのだから、あの「女性スーパーヒーロー集合」には大きな意味が込められている、と返信したんですがどうしても理解してもらえなかったようで、不自然だ不自然だと同じことを延々とコメントで送りつけてくるので頭にキてコメントを全部削除しました。

 

 

その人の言い分では「なぜ男性スーパーヒーローは集合させないのか。女性キャラに下駄を履かせているだけではないか」ということだったんだけど、これって、「なんで女性専用の車両があるのに男性専用はないんだ。女性だけ優遇されてるじゃないか」と文句言ってる人たちの主張とよく似ていて、そもそも現実の世の中では女性は男性からの暴力に晒されているし対等に扱われてもいない、という前提が共有されていないんですよね。だから話が噛み合わず、いつまでもすれ違ったまま。

 

『エンドゲーム』はフィクションだけど、意識的に現実の社会が反映されていることを理解していない。だから「女性キャラばかりが!」と文句を言う。

 

現実の世の中では女性ではなくて男性こそが「下駄を履かせて」もらっている。そんな“事実”は社会生活を普通に営んでいればわかることだろうと思っていたんだけど、本気で「女は得をしている」と思ってる人がいるんだな。ちょっと呆然としちゃうんですが。

 

ハリウッド映画界だって、主演女優と主演男優ではギャラの額が一桁以上違ったりする。

 

女性のスターには男性のスターほど集客力がない、というのがその理由とされてきたけれど、じゃあ、「ワンダーウーマン」シリーズは世界中で大ヒットしてますが、主演のガル・ガドットのギャラはどうなんだろうね。おそらくアイアンマン役のロバート・ダウニー・Jr.の10分の1か、もっと少ないでしょう。

 

正確な数字は忘れちゃったけど、以前、ハリウッドの男優と女優のギャラの格差について書かれた記事を読んだけど、信じられないぐらい女優のギャラは少なかったですよ。

 

そういうことがずーっと続いているんだよね。

 

※また、ガル・ガドットは『ジャスティス・リーグ』の撮影現場で監督のジョス・ウェドンから今後のキャリアに対して脅迫されたことを証言している。

 

 

 

スタントパフォーマーの世界でも、何十年も仕事をしてるヴェテランのスタントウーマンでさえも男性スタッフから「女性で大丈夫か」と心配されるのだそうで、だから彼女たちは現場でまず自分の実力を見せつけるのだそうな。それを見ると相手の男性も黙る。

 

そういう意味では実力社会でハッキリした世界だと思うんだけど、でも長いこと彼女たちは男性と同等かそれ以上の仕事をしてもその実績をちゃんと評価されず不当に扱われてきたんですね。スタントウーマンたちの闘いというのは、そういう不平等との闘いの歴史でもあったわけです。

 

僕たちが住む社会には差別が歴然と存在する。その事実は認めねば。そのうえでようやく、ではどうすればそれを改められるのか考えることができる。

 

そりゃ、女性ヒーローと男性ヒーローが手を取り合って協力し合いながら闘うことができれば一番いい。

 

でも、その前に同じ女性ヒーローたちが連帯する大切さを『エンドゲーム』(このドキュメンタリーに出演しているスタントウーマンの中にも『エンドゲーム』のスタントを担当している人がいる)では表わしていたんだと思う。

 

フィクションが現実に手本を示したっていい。

 

もしも、このドキュメンタリーを観て「なんでスタントウーマンだけをクローズアップするんだ。スタントマンのことだって語れよ」などと文句を言ってる奴がいたら、そいつはバカでしょ。同じことだと僕は思いますけどね。男性のスーパーヒーローが集結したり大活躍する映画は他にいくらでもあるわけで。今は女性についての話をしている。

 

去年亡くなった、映画にもなったRBGことルース・ベイダー・ギンズバーグ連邦最高裁判事の言葉「優遇してくれとは言いません。男性の皆さん、女性の首を踏みつけているその足をどけてください。」ですね。

 

踏みつけていることにさえ気づいていない男性は多いし、そのことを指摘されると逆ギレする者もいる。「不自然だ不自然だ」と繰り返してた先ほどの見知らぬ人(先方が男性なのか女性なのか知りませんが)も、僕には同類に思える。邪魔すんな、と言いたい。

 

女性たちの、いわゆる「シスターフッド」を描いた映画というのは昔から細々と作られてはきたけれど、アメコミヒーロー映画でそういう要素がちゃんと描かれるようになってきたのって、ほんとにここ最近のことなんですよね。

 

いろんな人たちの努力が積み重なってこうやって新しい作品が生み出されてきた。

 

スタントウーマンたちもまた、先人たちが切り拓いてきた道の恩恵を自分たちが受けていることを自覚している。だからこそ先輩たちが苦労しながら手に入れたものをさらに大きく広げて後進に残そうとしている。

 

彼女たちを一言で言い表わすなら「かっこいい」。これに尽きますね。

 

 

 

 

考え込んでいるよりも行動、という彼女たちはアスリートとかレーサー、格闘家などと共通するメンタリティの持ち主で、何しろ身体を動かして表現する仕事をしてるわけだから、まぁ、非常にアグレッシヴ。

 

とはいえ、危険が付きものの仕事だから当然用心はする。それでも事故は起こる。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の2015年の未来で主人公マーティを追うグリフと3人の仲間たちが乗るホヴァーボードが故障して彼らが建物に突っ込む場面で、その中の1人の女性が空中で巨大な柱に勢いよく衝突しているショットがあって、演じていたスタントウーマンが大怪我をしている。

 

 

出来上がった映画を観てるだけじゃ事故の大きさはわからないけれど、説明されてみるとあらためてその危険さを実感する。

 

スタントの現場では、いつだって予期していない事態が発生する可能性があるということ。

 

命を落とす危険は常にあるし、助かっても半身不随になったり身体に深刻なダメージが残る場合もある。大きなリスクを負っている。

 

スタントはチームワークで、誰かのミスが自分や仲間の大怪我や時に死を招くことになりかねない。だから入念に準備してリハーサルする。何かしっくりこなければ中止する。とっさの決断力が危険を回避することに繋がる。

 

女性のアクション監督が「力ずく」ではない方法で仕事を進めていくことができるのも、これまでの経験から導き出した知恵があるから。

 

男だけよりも女性も加わった方が多様なアイディアが出るはず。

 

ポール・ヴァーホーヴェン監督は「スタントで男女に実力の差はない」と言う。

 

一方で、『ロボコップ』では女性警官ルイスが悪党に殴られて高いところから床に落ちる場面で、なんべんスタントウーマンが演じてもうまくいかなくて、ついに男性のアクション監督が自ら演じたエピソードを語っている。

 

必ずしも女性役を女性が(その逆も)演じなければならないわけではなくて場合によっては臨機応変に役割を分担することも必要だとも思うんだけど(たとえば小柄な少年役のスタントをスタントウーマンが演じることだってあるだろうし)、そこはいろいろ問題もあって、だったら黒人の役を白人が顔を塗って演じてもいいのか、とか(昔はそうだったことがヴェテランのスタントウーマンの口から語られている)、かつて女性や移民のスタントパフォーマーたちが白人男性たちに仕事を奪われたことの繰り返しになる怖れがある。だから自分たちの仕事は死守する。

 

 

 

 

 

 

僕の中で、このドキュメンタリーで映し出されるスタントウーマンたちの姿が『エンドゲーム』でキャプテン・マーベルを取り囲むように女性スーパーヒーローたちが並ぶあの場面と重なるんですよね。

 

彼女たちは多くのものと闘っている。女性として、またその道のプロとして。

 

スクリーンに映し出される、彼女たちによって演じられたキャラクターたちを観ていたら、なんだか涙ぐんでしまった。

 

キャリー=アン・モスの代わりにバイクを操ったり

 

 

 

シャロン・ストーンの代わりにシュワちゃんに何度も投げられて

 

スカーレット・ヨハンソンの代わりにアクションを

 

彼女たちの雄姿をもっともっと観続けていたいと思った。

 

80歳を越えたスタントウーマンのレジェンドが「できるんだったら、今だって若い人たちと張り合いたい」と語っているのを聞いて、ほんとにスゴい人たちだなぁ、と思いましたね。

 

 

 

TVドラマ版「ワンダーウーマン」の主演リンダ・カーター (右)とスタントダブルのジーニー・エッパー (左)

 

想い出を語りながら、撮影中の事故で亡くなった仲間たちのことを偲んだりも。亡くなった仲間のことは忘れない。

 

文字通り「命を懸けた」仕事なんですね。そして、スタントの面白さにハマったら抜け出せない、と。

 

彼女たちの多くは顔や名前が観客に知られている俳優たちと違って、どんなにキャリアのある大ヴェテランであっても一般にはその素顔も名前もほとんど知られることがない(劇場パンフレットがなかったのが、ちょっと残念。スタントパフォーマーのことってなかなか情報がないから、この映画に出演したスタントウーマンたちについての詳しい解説などを読みたかったな)。

 

自分が代役を務める俳優たちと作品のために影の存在に徹する。観客が自分たちの存在を意識しなかったら、それは仕事が成功したということだから。

 

それでも、僕たち観客は映画を観ればその中に彼女たちを見出すことができる。

 

1995年の『バットマン フォーエヴァー』の劇中にCGで描かれたバットマンが高所から飛び降りる場面があって、公開当時、今後生身のスタントパフォーマーはお払い箱になるのではないか、と危惧されたりもしたけれど、あれから20数年経った今でも彼らは消えることなくさらに高度になった技を駆使して観客を楽しませてくれている。

 

どんなにCGが発達しても俳優の顔を切り貼りできるようになっても、アクションシーンを実際に演じているのは彼らスタントパフォーマーたちだ。

 

今日もスクリーンの中で誰かに成り代わって走り吹き飛ばされ落ちて潜るスタントウーマンたちに幸あれ。マンたちにも。

 

 

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