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ロバート・ストロンバーグ監督、アンジェリーナ・ジョリー、エル・ファニング、シャールト・コプリー、サム・ライリー、イメルダ・スタウントン、ジュノー・テンプル、レスリー・マンヴィル出演の『マレフィセント』。
Lana Del Rey - Once Upon A Dream
昔々、人間の国と妖精の国ムーアは敵対しており、人間の国の王は執拗にムーアを侵略しようとしていた。ムーアに棲む妖精のマレフィセントはそこにやってきた人間の子どもステファンと出会い、互いに恋に落ちる。しかし成長したステファンは王の後継者の座に目が眩んで、マレフィセントを薬で眠らせてその翼を剥ぎ取ってしまう。やがて先王の娘を娶って国王となったステファンに一人娘オーロラが生まれるが、その祝宴に姿を現わしたマレフィセントは、赤ん坊に「16歳の誕生日の日没前に糸車の針で指を刺して永遠の眠りにつく」という呪いをかけるのだった。
『マレフィセント』と『アナと雪の女王』『バットマン リターンズ』のネタバレがありますので、ご注意ください。
この映画の原作、というか元ネタは、同じディズニーの1959年のアニメ『眠れる森の美女』(日本公開1960年)。
この『眠れる森の美女』の悪役だった魔女マレフィセントの視点で別角度から描き直したのが本作。
ディズニーアニメ『眠れる森の美女』は、フランスのシャルル・ペローの同名童話やドイツのグリム童話「いばら姫」などを基にオリジナルの要素を付け加えたもの。
今回『マレフィセント』の前に予習としてこれまで未見だった『眠れる森~』を観たんですが、何一つヒネリのないストレートかつシンプルなストーリーで、魔女の呪いで糸車の針に刺されて眠りについたお姫様が王子様のキスで目覚めるという、世のすべての「白馬の王子願望」の元祖みたいな作品でした。
1937年の『白雪姫』(日本公開1950年)や1950年の『シンデレラ』(日本公開1952年)とともにその後の多くのプリンセス・ストーリーの元になっています。
幼い頃にディズニーの絵本で読んだことはあったけど、僕が憶えていたのはオーロラ姫の美しい寝顔と、魔女が変身したドラゴンと王子が戦う場面ぐらい。
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すべてが予想通りに進み、最後には魔女は王子の手で退治されて、お姫様は王子と結婚してめでたしめでたし。
1990年代以降、このような古典的なプリンセス・ストーリーはじょじょに形を変えて描かれるようになってきて、それまでは一方的に王子に助けられて彼のおかげで幸せを掴む役割だったお姫様やヒロインたちは次々と行動的になり自己主張を始めた。
今年3月に日本で公開が始まってすでにDVDも発売された現在も劇場でヒット中の『アナと雪の女王』もまた、このような古典的なおとぎ話、プリンセス・ストーリーの定石を破る作品でした。
『アナ』では王子はキスでお姫様を目覚めさせるどころか、彼女たちを陥れる悪役だった。
僕は『アナと雪の女王』の感想で、ハンス王子を強引に悪役に仕立てたことにガッカリした、と書きましたが、なぜ『アナ』において王子が悪役にされなければならなかったのか、この『マレフィセント』を観てようやく合点がいった気がする(いまだにあの作劇には疑問が残るが、少なくとも作り手の意図は理解できた)。
今回悪役にされるのは、エル・ファニング演じるオーロラ姫の父親であるステファン王。またしてもヒロインの敵は「男」である。
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演じるシャールト・コプリーはこれまで『第9地区』の木っ端役人や劇場版『特攻野郎Aチーム』のモンキーなどを演じているけど、最近は『エリジウム』やハリウッド版『オールド・ボーイ』など悪役づいてますね。
ほぼオリジナルのストーリーである『アナと雪の女王』はともかく、『眠れる森~』ではとりたてて問題のあるキャラクターとしては描かれていなかった姫の父王が、なぜこの新作映画ではクズ野郎にされてしまったのか。
その理由は、従来のヴィラネス=女性の悪役の描かれ方を振り返るとよくわかる。
これまで、おとぎ話では継母(時には実の母親)や魔女、老婆などがヒロインやその恋人、配偶者たちを虐待したり惨殺する“悪役”として登場してきた。
しかしそれは、実は女性に対する性差別からくるものではないのか。そのことは中世や近代の「魔女狩り」などこれまでの歴史や現代まで連綿と続く女性差別の実態を知ればおのずと理解できる。
「物語」の中で王様をはじめとする男たちは、王妃や継母を悪者とすることで彼ら自身の罪を逃れてきたのだ。
昔から精神分析の分野でよくいわれてきたように、オーロラ姫が指を刺される糸車の針というのは、男根のメタファーである。
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魔女の呪いを恐れて国中の糸車を焼くステファン王の行動は、娘から自分以外の男を遠ざけようとする父親の心性を意味している。
それは、ひいては男の中にある「女性を所有したい、自分だけのモノにしたい」という願望のことだ。
ステファンが城の一室にかつてマレフィセントから奪い取った翼をガラスの容器に入れて持っているのは、まさしくこの占有欲のことに他ならない。
この映画で描かれるのは、男という生き物がいかに卑怯で強欲であるか(ナレーションではっきりとそう言っている)、という告発なのだ。
さて、映画の世界に悪女キャラは数多く存在するが、悪のヒロインといって僕が真っ先に思い浮かべるのは、ティム・バートン監督の『バットマン リターンズ』に登場した女怪盗キャットウーマン。
ミシェル・ファイファー演じる秘書のセリーナ・カイルは、雇い主である富豪マックス・シュレック(クリストファー・ウォーケン)に意見を言おうしたところ、「ミス・カイルは“しつけ”が悪くて…でも最高だよ、彼女の淹れるコーヒーは」と他の男たちの前で侮辱的な扱いを受ける。
それを聞いている街の有力者たちもバカにしたように愛想笑いを浮かべている。その様子はまるで先日のセクハラ野次に笑っていた男性都議たちのようだ。
セリーナが普段からパワハラを受けたり、女性として見下されてきたことがうかがえる(シュレックは息子のチップに女性に対して不信感があるような発言もしている)。
そんな彼女は会社の秘密を知ってしまったためにシュレックに窓から突き落とされて、地面に叩きつけられて昏倒する。
やがて息を吹き返したセリーナはキャットウーマンに生まれ変わる。
まず彼女がするのは、道端で女性を襲っていた男の顔を裁縫道具で作った爪で切り刻んでぶちのめすことだった。
お礼を言おうとした女性に向かってキャットウーマンは「あんたも隙がありすぎるのよ」と言い放ち去っていく。
『バットマン リターンズ』のキャットウーマンは、ゴッサム・シティを牛耳るマックス・シュレックが象徴している「男性社会」「男根社会」に復讐しようとする。
ちなみに、かつてクリストファー・ノーラン監督版「バットマン」シリーズでアンジェリーナ・ジョリーがキャットウーマンを演じるのでは、という噂があった。
これまで演じてきた「トゥームレイダー」シリーズのスーパーウーマン的なヒロイン像や猫科の動物を思わせもするアンジーにはピッタリの配役で僕もけっこう期待していたんですが、結局『ダークナイト ライジング』でキャットウーマンを演じたのはアン・ハサウェイでした。
アン・ハサウェイのキャットウーマンは、これまで街の女として生きてきて峰不二子的な盗賊でもあり、つねに男性に対する警戒心も失なわないキャラクター(同居している女性を演じていたのは、今回3人の妖精の一人で出演しているジュノー・テンプル)で、『リターンズ』では明確にあったフェミニズム的パーソナリティを声高にではないが継承していた。
アンジェリーナ・ジョリーならどんなキャットウーマンを演じるのだろう、と興味はいまだに尽きない。
ハリウッドの実力派女優が悪役を嬉々として演じる、ということはよくあって、ディズニーアニメの実写化映画『101』ではグレン・クローズがクルエラ・デ・ヴィルを、またこれもディズニーのセルフパロディ的な実写映画『魔法にかけられて』では『白雪姫』の女王と『眠れる森の美女』の魔女を合体させたような悪の女王をスーザン・サランドンが演じていた。
そしてシガニー・ウィーヴァーやシャーリーズ・セロン、ジュリア・ロバーツもそれぞれ別の映画で白雪姫の女王を、おとぎ話やファンタジー以外でもケイト・ブランシェットやジョディ・フォスターなど主演クラスの大物女優たちが最後に倒される悪役を演じている。
それはある意味ヴェテランの余裕のなせる業でもあって、かつてはエイリアンやハンニバル・レクターと戦った正義側のヒロインだったこともある女優たちが貫禄たっぷりに演じてみせるヴィランは実に魅力的なのだ。
それはロバート・デ・ニーロやアル・パチーノなどのヴェテラン男優でも同じことがいえる。
そんなわけで僕は今回アンジェリーナ・ジョリーが“悪役”を演じる、と知ってかなり興味をそそられたんだけど、実際には予告篇でも見せている涙でもわかるようにこの作品の主人公マレフィセントは単純な悪役には終わっていない。
何しろ、彼女は最後に倒されないのだから。
興味深いことに、何か思うところがあるのかたまたまなのか知らないけれど、アンジェリーナ・ジョリーは最後に主人公に倒されておしまい、という悪役をこれまでに一度も演じていない。
アイパッチを付けていかにもな出で立ちだった『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』でも、予想に反して主人公の味方でカメオ出演的なキャラだったし。
まるで女性が悪役として描かれて最後に退治される作品を意識的に避けているようにも思える。
アンジーが演じてきたスーパーヒロインは孤高の存在でもあって、『ソルト』もそうだけど映画の中で彼女と対等に渡り合える男性キャラはついぞ出てきていない。
「トゥームレイダー」シリーズではのちのジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグや『300』のレオニダス王役のジェラルド・バトラーたちがアンジー演じる主人公ララ・クロフトのお相手を務めていたが、どちらも彼女の存在感に匹敵するような活躍をさせてもらえず、印象も薄かった。
長らく内縁の夫であるブラッド・ピット(※2014年8月23日に正式に結婚。16年、離婚を申請)でさえも、『Mr.&Mrs.スミス』ではアンジー相手に苦戦を強いられていた。
生半可な男では太刀打ちできないんである(今一瞬、ずんの飯尾さんが寝そべりながら「あーあ、アンジェリーナ・ジョリーと付き合えたらなー」と呟いてる画を想像して吹いてしまった)。
アンジーは父ジョン・ヴォイトと幼少期の頃から疎遠で(ヴォイトの女性関係が原因といわれる)、その後映画で共演したこともあるが現在は完全に絶縁状態。
そんな家庭の事情も、彼女の男女観や家族観に影響を与えているのだろう。
不倫を憎むような発言をしてきたアンジーだが、彼女はまだ前妻と婚姻中だったブラッド・ピットと不倫関係にあったことをのちに認めている。
ところで、アンジェリーナ・ジョリーは第二次世界大戦時の日本軍のアメリカ人捕虜虐待を描いた映画を監督して(今年の年末に全米公開予定)ネットで一部の日本人からバッシングも受けているが、こういう題材と『マレフィセント』を並べてみた時に彼女が強く関心を持ち意図的に取り上げているテーマがなんなのかは明白だろう。
それは男性の女性に対する性差別だったり、人が人に対して行なう残虐な行為についてだ。
『マレフィセント』で、もともと妖精だったマレフィセントはやがてオーロラ姫の父親となるステファンにその翼をむりやり切りとられ、裏切られた悲しみと怒りで魔女と化す。
どうやらこれはレイプのメタファーらしく、それがわかるとこの映画が描かんとしている事柄がよりクリアになる。
これは男性からレイプされた女性の傷とそこからの回復を描いた、反性差別、反レイプ映画でもあるのだ。
これについては非常に的確な批評があるので紹介しておきます。
『マレフィセント』は『眠れる森の美女』より『アナと雪の女王』!?
この映画では、これまで邪悪な存在として排斥されてきた女性キャラクターに生身の人間として命が吹き込まれている。
黒装束で一見すると悪役然としたマレフィセントやしもべのカラス“ディアヴァル”は、人を愛する心を持ったキャラクターに作り変えられた。
ディアヴァルは人間に捕まっていたところをマレフィセントに助けられ、彼女の魔法で人間の姿に変わることができるようになった、というエピソードが付け加えられている。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140717/20/ei-gataro-movie-cradle/7a/58/j/t02200147_0600040013005968976.jpg?caw=800)
これはさながら「いばら姫(眠り姫)異聞」といった塩梅で、これまで王道とされてきた物語、女の子たちが憧れ理想としてきた(そう誘導もされてきた)「いつか白馬の王子様が現われて、目覚めのキスとともに私に幸せをもたらしてくれる」という幻想に対する反証でもある。
キスとともに私たちに幸せをもたらしてくれる白馬の王子など、本当はいない。
『眠れる森の美女』では会ったばかりのオーロラに「夢の中で会ったじゃないか」などと早速クドきはじめたり最後はキスで彼女を眠りから覚まさせていたフィリップ王子は、ここでは完全に空気になっている。
マレフィセントがかつては愛し合ったと信じていた男、そして娘にとってはかけがえのない肉親であるはずの父親ステファンはレイプ犯である。
真実の愛など、ない。
これが行き着くところまでいってしまうと、極端な男性不信や男性嫌悪、男性恐怖にまで至るのだが、それは被害者としての女性だけではなく、僕たち男性にとっても切実な問題ではないだろうか。
僕はこの映画を観ていて、男性に対する不信感に満ちたその内容に何かひどく深刻なものと、それゆえに現代的なメッセージを受け取ったのでした。
このような別視点からの新解釈に対して、「原典を冒涜している」「原作レイプ」などと言って青筋立てて怒る人々がいるけど(私見ですが、“原作レイプ”などという言葉を気安く口走るような輩は、自分の無神経さを大いに自覚した方がいいと思う。“レイプ”というのは性的暴行、強姦のことであって軽はずみに使うような単語ではない)、彼らにとっては「原作に忠実かどうか」が問題で、これらの作品で作り手が訴えかけている重要なテーマにはまったく気づいていないか、わざと無視している。
昨年公開されて僕が激しく心動かされた高畑勲監督によるジブリアニメ『かぐや姫の物語』も、天皇=御門の描かれ方にキレて映画をコキ下ろしている人がいた。
しかし、今この時代に“物語の祖”にしてプリンセス・ストーリーでもある「竹取物語」を映画化する意味を考えた時、自分をまるで商品やトロフィーのように見なす男たちに嫌悪感を抱き、そのためについに月世界に帰ることになるかぐや姫に現代の女性の姿が重ねられていることはいうまでもない。
王や御門というのは、ここでは女性の存在をないがしろにする悪しき男性性の象徴なのだ。
原典との差異こそが重要な作品にもかかわらずそれを理解せずに腹を立てているような者は、フィクションを楽しむ能力に欠けていると思う。
当たり前だが、すべての男性が女性に差別意識を持っているのでも性犯罪者予備軍なわけでもない。
でも犯罪を行なう者を見て見ぬフリをするのは共犯と同じで、つまり性差別や性犯罪を行なう者を放置している人間は一緒になって罪を犯していることになるのだ。
そのことはすべての男性が肝に銘じておく必要がある。
性の犠牲者たる女性の男たちへの逆襲。
そこに『バットマン リターンズ』で女性を差別し虐げる男どもを呪いながら、最後には英雄バットマンと結ばれることなく去っていったキャットウーマンが重なる。
もちろん、女性が悪に堕ちるのはすべて男性のせい、などと断言すれば抵抗をおぼえる人はいるだろうし、現実には女性だろうが男性だろうが性格異常のサイコパスや凶悪犯罪者は一定数存在する。
ただ、現実に男性による女性への暴力は世の中に多く(その逆パターンははるかに少ない)、それによって女性が深刻な傷を負うことは事実なので、これは世界的に共通の問題といえる。
魔女の呪いは、そもそもは彼女から発せられたものではない。
魔女の呪い、とは男性から受けた傷から派生した憎しみや暴力の連鎖で、それがいかにのちのちまで癒えがたい傷を残すか、ということの喩えなのだ。
「いばら姫」やアニメ『眠れる森の美女』では“いばら”は眠っているオーロラ姫を覆っていたが、この『マレフィセント』ではマレフィセントが妖精の国を守る時に魔法でいばら状の囲いを作る。
また、ステファンがマレフィセントの弱点である鉄を使って作った城の囲いが、やはりいばら状になっていた。
ここでは、いばらとは猜疑心や攻撃性によって自分を覆うことを意味している。
この映画はいってみれば男に陵辱されたうえに捨てられた女性による復讐譚で、マレフィセントとステファンは最後まで和解することはない。
病的なまでにマレフィセントの復讐を恐れるようになったステファンは自分の行ないを悔いたり許しを乞うことはなく、最後はマレフィセントに命を救われたにもかかわらず背後から彼女を殺そうとしてみずからの城から墜落死する。
これなどまさに男性性の失墜そのものだ。
まぁ、原典にこだわる人が頭から湯気を立てて怒るのもわからなくはないぐらいにステファンは徹頭徹尾愚かな男として描かれている(まだ純粋だった頃の子どもの時でさえもムーアから宝石を盗もうとしていた)。
翼を奪われたマレフィセントを救うのは男ではない。
マレフィセントは憎むべき男の一人娘によって浄化される。
私を傷つけたあの男は絶対に許さない。でもその娘にはなんの罪もない。
それはいっときでも愛した男の血を受け継いだ娘へ注がれる憎悪を超越した愛情であり、乙女の純粋無垢な魂によって癒やされていく傷ついた女性の姿である。
「子どもは嫌いなの」と言っていたマレフィセントが、いつしか母親のようにオーロラを愛して彼女を見守るようになる。
憎しみに母性が勝利する物語なのだ。
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幼いオーロラを演じているのは、アンジェリーナ・ジョリーの実の娘ヴィヴィアン・ジョリー=ピット。
もっとも、マレフィセントに人間味を与えて最終的に「イイ人」にするために逆に他の登場人物が犠牲にされている部分がけっこうあって、ステファン王はいうまでもないが、アニメ『眠れる森の美女』では最後まで健在だった王妃まで病気で殺してしまったり、やはりアニメではドタバタで笑わせながらも健気にオーロラの世話をしていた3人の妖精たち(『眠れる森~』ではオーロラは赤ちゃんから一気に娘に成長してしまうので、妖精おばさんたちがいかにしてオーロラを育てたのかはわからないのだが)は子育てに不向きな能無しキャラにされてしまっている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140718/11/ei-gataro-movie-cradle/a9/d1/j/t02200124_0600033813006488420.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140718/11/ei-gataro-movie-cradle/db/68/j/t02200147_0710047313006488419.jpg?caw=800)
絶妙に可愛くなくなっている3人の妖精たち。名前も代えられている。
そして、『眠れる森の美女』では王子に退治されていたマレフィセントは、今回は殺されるどころか自分を陥れたステファンを殺して妖精と人間の国を統合して、最後はオーロラとともに幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしで終わるんである。
これはさすがにあまりにとってつけたようなエンディングで、「ガッカリした」という人がいても不思議ではないと思う。
ディズニーのプリンセス・ストーリーは最後は必ずハッピーエンドで終わらなければならないというルールでもあるのか、悲劇で終わることはけっしてない。
でも、もしも現代的に古典を改変するなら、むしろそここそを変えるべきだろう。
たとえ悲劇的な結末を迎えたとしても、そこで描かれる憎しみを乗り越えた女性の強さは観客の記憶に絶対に残るはずだから。
マレフィセントは自分の命と引き換えにオーロラの命を救い、去っていくべきではなかったか。
もしくは仮に死ななくても、妖精の森へ帰ってそこからオーロラを見守り続ける、といった結末の方がこの映画にはふさわしかったと思う。
敵対しあっていた妖精の国と人間の国が最後に一つになる、というのは理想かもしれないが、宮崎駿監督の『もののけ姫』で物の怪たちと人間が容易には交じり合わなかったように、妖精と人間の断絶がマレフィセント一人の手によって解決する、というのは傲慢な考えではないだろうか。
作り手の狙いを物凄く汲み取ると、善悪を逆にしてみることでありがちなこういうエンディングを皮肉っている、と解釈することもできなくはないが(「あなたが知っている話と違うでしょ?」とナレーションでも言ってるし)。
あるいは、マレフィセントというキャラクターは、すべての女性の中にある平和を作りだす希望の象徴ということなのかもしれない。
空を飛翔し、雲の上で太陽の光に照らされるマレフィセントの姿はまるで勝利の女神ニケのようだ。
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デビルウィングでもジェットスクランダーでもない。
初めてこの映画のヴィジュアルを目にした時に、実写版マレフィセントのあの尖った頬骨は自前なのかそれとも特殊メイクなのか判別できず、ひと頃に比べて最近めっきり痩せたアンジーのことだから下手するとホンモノかも、なんて危惧していたのだけれど、あの頬骨は特殊メイク・アーティストの大御所リック・ベイカーによる作り物だということがわかってホッとしたのでした(子役が演じる子ども時代のマレフィセントの顔にも同様の尖った頬骨が施されている)。
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子どもの頃のマレフィセント(イソベル・モロイ)が可愛い。
オーロラ姫を演じるエル・ファニングはご存知ダコタ・ファニングの妹でファッション誌などでモデルとしても活躍中のティーン女優だが、古典的な美女というよりはどちらかといえばファニーフェイスで、彼女の童顔で首が長くて等身の高いプロポーションが不思議な魅力を放っている。
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『眠れる森の美女』のオーロラ姫はとても16歳とは思えないほど大人びた正統派美人だったが、エル・ファニングの顔立ちはより親しみやすく、彼女のおかげで「疑いを知らない純真な少女」という役柄がまったく嫌味なく表現されている。
スクリーンでエル・ファニングの笑顔を観ていると、マレフィセントの視点になって彼女を愛おしく感じずにはいられない。
マレフィセントに「この子を守らなければ」と思わせるだけの説得力のある存在感でした。
『アナと雪の女王』と同様に、もはや王子のキスなどではお姫様は目覚めない。
ちょうどアナの身を挺した自己犠牲の愛が姉のエルサを救ったように、母のようにオーロラを愛した者のキスこそが永遠の眠り、魔女の呪い、憎しみの連鎖から彼女を解き放つ。
そして奪われた翼はオーロラの手でマレフィセントに返される。
もう、父親や白馬に乗った若造の出る幕はないですね^_^;
ディアヴァルが変身したドラゴンがマレフィセントを守るためにステファンの兵たちと戦う場面でウルッときてしまった。
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ドラゴンが暴れるシーンはこれまでにもさまざまな映画で描かれてきたけど、いかにも凶悪そうな外見なのに悪役ではないドラゴンの姿にこれほど胸を打たれたのは初めてかも。
善悪を逆転させたようなこういうアプローチって、たとえばヒーロー物とか他のジャンルでも応用できるだろうけど、プリンセス・ストーリーでやることに大きな意味があるんでしょうね。
それは“女性”について差別や偏見に満ちたこれまでの物語たちを新たに語り直すことでもあるから。
そんなわけで、これからもディズニーのヒロイン映画からは目が離せません。
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