池井戸潤 『シャイロックの子供たち』 文春文庫 2008
かつてテレビドラマにもなったようだが、映画化は2023年。
監督:本木克英 脚本:ツバキミチオ
出演:阿部サダヲ 上戸彩 玉森裕太 柳葉敏郎 佐藤隆太 佐々木蔵之介 橋爪功 柄本明
映画の冒頭は、まさにタイトルの出典であるシェークスピア作『ヴェニスの商人』の舞台から始まる。
守銭奴と呼ばれた金貸しシャイロックが、裁判官に扮するポーシャ(被告アントーニオの恋人)の機転で、敗北する結末。
その舞台を観終えて、妻の他愛ないおしゃべりに相づちをうつ男(佐々木蔵之助)。
しかし、その回想の中で、銀行員の彼はATMの札束を秘かに持ち出して、競馬で大儲けをし、再び現金をATMに戻す――。
「それ以来、自分は悪魔に魂を売り渡し、シャイロックになったのだ」と、男はつぶやく。
タイトル文字を挟んで、物語は本編へ。
西木課長代理(阿部サダヲ)が、銀行の通用口から出勤し、軽いノリで北川愛理(上戸彩)ら課員に声を掛ける。
東京第一銀行長原支店のいつもと変わらぬ朝。
女子行員同士の確執など、ありがちな人間関係も垣間見える。
しかし、営業部のエースと期待される滝野(佐藤隆太)は、前勤務支店で担当した石本(橋爪功)から、経営者が失踪した会社の処分のために、架空融資の話を持ちかけられる。
一方、西木(阿部サダヲ)は、飲み屋で知り合った年配の男(柄本明)から、所有する複数のビルの売却について相談を受け、現場を見に行くが、すべて怪しげな訳アリ物件ばかりである。
30分だけ観てもなかなか濃いエピソードが続く。
それらの糸がどうつながっていくのか、興味は尽きないが、例によって「観ながら読む」計画なので、いったん映画を中断し、原作本を開いて読み始める。
全10話で、それぞれ異なる人物の視点で書かれた連作短編。
以前紹介した『7つの会議』と同じように、ひとつの職場をめぐる人々の群像劇だ。
それらひとつ一つのピースがやがてつながり、全体像が浮かびあがってくるのであろう。
映画のキャスト表で人物名を見て、その俳優のイメージを借りながら読み進める。
しかし、例によって通勤電車での読書であり、土日も挟むと、ページは進まない。
逆に、週末はジムで走りながらiPadでの映画鑑賞タイム。
映画の続きを観たくなる。
映画の公式サイトを見ると、小説ともドラマとも異なる「完全オリジナル・ストーリー」とある。
ならば、映画を先に観ても大丈夫だろう。
安心して、映画の続きを観る。
確かにおもしろくて、どんどん引き込まれ、ついに最後まで観てしまった。
すると……。
こんなに悪いことをしている銀行員が多いのか! と呆れてしまうほど、不祥事と隠蔽のオンパレード。
どうせ悪いことをしている同士ならば、金が必要な理由に同情すべきところのある、西木(阿部サダヲ)の側で観てしまう。
悪い奴らをだまして自分たちが儲けようとする。
その計略がサスペンスで、観ている側も思わず手に汗握ってしまう。
銀行を舞台にした、悪事と悪事の駆け引きがおもしろい、上級のエンタテインメント映画である。
もちろん、現実の銀行員たちはまじめに働いているのだろう。
それはまちがいない。
映画の中でも上戸彩や玉森裕太らが演じる平行員たちは、コツコツと日々の業務をこなしている。
そして、営業成績のプレッシャーに押しつぶされて、精神を病んでしまう、気の毒な行員のエピソードもある。
そうした銀行の現実が、もう少し描かれているのではないかと思いながら、原作小説の続きを読んだ。
(文春文庫の映画化カバー)
読み進むと、映画の中の個々のエピソードは、そのほとんどが小説に書かれている。
映画の「完全オリジナル・ストーリー」は誇張で、原作の内容をピックアップして配列を変え、隠された真相と行きつく結末を、別の形にしたのだ。
映画化においては、ありがちなアレンジの範囲だと思う。
小説のストーリーはミステリー仕立ての部分もあるが、スパッと解決する結末でもない。
複数の登場人物の眼から、銀行という魔窟に潜む犯罪と、役付き銀行員たち各々の生きざまを描いている。
しかし、社会の暗部を抉り出そうという、リアリズムの小説ではない。
現実の銀行はもっと違うだろう。
だが、一面の真実は突いているのかもしれない。
だから、銀行に限らず会社組織の中で、資本の論理の下に苦しみつつ生きる人々の共感を呼ぶ。
そういうエンタテインメント・ドラマなのだ。