顔のない男と喋っていると、ルナの気分はどんどん軽くなっていく。
「確かに、夜の仕事は特殊かもしれないが、君は、それに拘り過ぎていた。昼間の仕事だって、営業職は大変だ。どんな仕事だって、お金を稼ぐことが最優先される。そうでなくても、クレーム処理係なんか、夜の仕事よりきついかもしれない。役所だって、楽な部署ばかりじゃない。税務署みたいに、心を壊すような職場もある」
「そうね、その通りだわ。どの仕事も、真剣に取り組んで成果を上げようとすれば、それなりに大変なんだわ。ただ、大変の種類が違うだけ」
「いいぞ、そこまでわかってくれたなら、後は大丈夫だ。君に、ひとつだけ忠告しておこう」
ルナは、ぼやけた男の顔を注視した。
「さっきも言ったように、君に足りないのは自信と確固たる信念だが、もうひとつ。君は、まとも過ぎる」
「私が、まとも?」
ルナは、自分では具合の悪い人間だと思っている。
面と向かってまとも過ぎると言われても、素直に受け取れない。
「そう、まとも。この世の中、まともな人間は損をするし、生きていくのも大変だ。人を騙したり、都合のいい時だけ人に頼ったり、うまく自分を主張したり、実力以上に自分を誇示したりと、不思議と、そんな人間が得をする仕組みなっている。だから、まともな人間は不幸になったり、そんなまともでない人間の餌食になったりする」
「そう… かも」
男の言い分は、ルナも認めざるを得ない。
昭夫みたいな人間が文句を言うと、店長もペコペコ頭を下げるし、店長みたいな人間が出世していっているのも事実だ。
それに、昼間の、あの人間的にもくだらない部長。
あんな人間が、部長になれるのだ。
「だけどね、そのまともな人間が、強い自信と確固たる信念を持ったとき、なにがあっても挫けずに、何度失敗しても挫けずに、人から何を言われようと挫けずに、幸せな人生を歩んでいけるんだよ。そして、そんな人間には、必ず強い味方が付く。決して裏切らないし、なにかあったときに、損得抜きで助けてくれる人がね」
ルナにも、それは痛いほどよくわかる。
数は少ないが、疑似体験の時でも、親身になってくれる人が、必ず数人は現れた。それらの人々の励ましが、どんなに心強かったことか。
「君は、君の信じる道をゆけばいい。最後に行っておくが、勇気を持つことだ。進むのも勇気、退くのも勇気、出直すのも勇気、信念を変えるのも勇気。曲げては駄目だが、変えるのは全然駄目じゃない。そして、自分が信じる人に頼るのも勇気だよ。自分が信じる人には、どんどん頼っていいんだ。その借りは、自分が伸びることによって返していけばいい。映画の台詞にもあったけど、本当の魔法はあなたの勇気。勇気さえ持っていれば、なにも恐れることはない」
わかったかいというふうに、男が頷いてみせた。
理解はできたが、本当のところ、どこまで自分はわかったんだろうと思いながら、ルナは力強く頷き返した。
わからないところは、後で徹底的に自問自答すればよい。
とにかく、今は前に進むことだ。
この男が、あどけない顔の少年が、それを教えてくれた。
男が立ち上がった。
「なあに、大丈夫さ。なにかあれば助けてくれる人が、あなたにはいる。君は、自分で思う以上に素敵な女性なんだから。それに君は、それを当たり前にしないし、それがために、駄目になりもしない。君は、そんな女性だよ。ゆかりさん」
男がそう言って、背中を向けた。
ルナは、自分の本名を呼ばれたことに驚いた。
さらに、男の後ろ姿を見て驚いた。
男の後頭部に、あの少年の顔があった。
あどけない顔が、笑っている。
「お姉さん、頑張ってね」
少年は、明るい声で励ますように言ってから、もう一度、弾けるような笑顔をみせた。
そこで、男の姿がフッと掻き消えた。
二重の驚きから覚めやらぬルナは、暫く呆然として、男の消えた場所を見つめていた。
が、やがてそこに向かって、深々とお辞儀をした。
目が覚めた。
窓の外が明るくなっている。
ルナは、部屋を見回した。
今度こそ、本当に目覚めたようだ。
不思議な夢だった。
夢の中の出来事が、まるで現実に起こったような鮮明さで、ルナの記憶にまざまざと残っている。
本当に、あれは夢だったのかしら?
そんなことはどうでもいいと、ルナは思い直した。
迷ってもいい、悩んでもいい、悔やんでもいい。
だけど、なにがあっても挫けてはいけない。
自分を失いさえしなければ、どこかで取り返しがつく。
これからは、自分の生きたいように生きるのだ。
あの男が言ったように、勇気を持って。
自分を信じていれば、道は拓け、幸せはきっと訪れる。
ルナは晴れ晴れとした顔で、カーテンを開けた。
会社が倒産し、自棄になっていた男の前に現れた一匹の黒い仔猫。
無二の友との出会い、予期せぬ人との再会。
その仔猫を拾ったことから、男の人生は変わっていった。
小さな命が織りなす、男の成長と再生の物語。
俺、平野洋二。二十八歳。
俺は、親父が経営するアパレル会社に無理やり入社させられたものの、ことごとく親父と対立して、勘当同然に会社を辞め、家を飛び出した。
そして、たんぽぽ荘という、昭和の時代を色濃く残した文化住宅に移り住んだ。
たんぽぽ荘の住人は、どれも一癖も二癖もありそうな面々だったが、あまり関わりを持つことなく、派遣会社の契約社員として、毎日を無難に生きていた。
そんな俺が、ある時、行きがかり上、黒い仔猫を拾った。
動物とは無縁だった俺が、縁とは不思議なものだ。
たんぽぽ壮で猫を飼ってよいのかどうかわからないので、住人にばれないようそっと飼っていたのだが、仔猫の具合が悪くなり病院へと連れていった。
そして、とうとう住人にばれてしまった。
その時から、俺の人生の歯車は、激しく回り出すことになる。
CIAが開発したカプセル型爆弾(コードネーム:マジックQ)が、内部の裏切り者の手により盗まれ、東京に渡る。裏切り者は、マジックQを赤い金貨という犯罪組織に売り渡そうとしていた。CIAの大物ヒューストンは、マジックQの奪回を、今は民間人の悟と結婚して大阪に住んでいる、元CIAの凄腕のエージェントであった、モデル並みの美貌を持つカレンに依頼する。
加えて、ロシア最強の破壊工作員であるターニャも、マジックQを奪いに東京へ現れる。そして、赤い金貨からも、劉という最凶の殺し屋を東京へ送り込んでいた。
その情報を掴んだ内調は、桜井という、これも腕が立つエージェントを任務に当てた。
カレンとターニャと劉、裏の世界では世界の三凶と呼ばれて恐れられている三人が東京に集い、日本を守るためにエリートの道を捨て、傭兵稼業まで軽軽した桜井を交えて、熾烈な戦いが始まる。
裏切者は誰か、マジックQを手にするのは誰か。東京を舞台に繰り広げられる戦闘、死闘。
最後には、意外な人物の活躍が。
歩きスマホの男性にぶつかられて、電車の到着間際に線路に突き落とされて亡くなった女性。早くに両親を亡くし、その姉を親代わりとして生きてきた琴音は、その場から逃げ去った犯人に復讐を誓う。
姉の死から一年後、ふとしたことから、犯人の男と琴音は出会うことになる。
複数の歩きスマホの加害者と被害者。
歩きスマホに理解を示す人と憎悪する人。
それらの人々が交差するとき、運命の歯車は回り出す。
2020年お正月特別編(前中後編)
おなじみのキャストが勢揃いの、ドタバタ活劇、第3弾。
2019年お正月特別編(前中後編)
おなじみのキャストが勢揃いの、ドタバタ活劇。
シャム猫の秘密の続編
2018年お正月特別版(前後編)
これまでの長編小説の主人公が勢揃い。
オールスターキャストで贈る、ドタバタ活劇。
大手の優良企業に勤めていた杉田敏夫。
将来安泰を信じていた敏夫の期待は、バブルが弾けた時から裏切られた。家のローンが払えず早期退職の募集に応募するも、転職活動がうまくいかず、その頃から敏夫は荒れて、家族に当たるようになった。
そんな時、敏夫は不思議な体験をする。
幻のようなマッサージ店で、文字のポイントカードをもらう。
そこに書かれた文字の意味を理解する度に、敏夫は変わってゆく。
すべての文字を理解して、敏夫は新しい人生を送れるのか?
敏夫の運命の歯車は、幻のマッサージ店から回り出す。
夜の世界に慣れていない、ひたむきで純粋ながら熱い心を持つ真(まこと)と、バツ一で夜の世界のプロの実桜(みお)が出会い、お互い惹かれあっていきながらも、立場の違いから心の葛藤を繰り返し、衝突しながら本当の恋に目覚めてゆく、リアルにありそうでいて、現実ではそうそうあり得ない、ファンタジーな物語。
ふとしたことから知り合った、中堅の会社に勤める健一と、売れない劇団員の麗の、恋の行方は?
奥さんが、元CIAのトップシークレットに属する、ブロンド美人の殺し屋。
旦那は、冴えない正真正銘、日本の民間人。
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ロシア最凶の女戦士と、凶悪な犯罪組織の守り神。
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果たして、勝者は誰か?
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