「待たせてごめんね」
麗を始め千飛里・瑞輝・春香とイシスの主要メンバーが、笑顔で待ち合わせの喫茶店に入ってきた。大阪へ帰ってきてからのイシスは、テレビの依頼はほとんど断り、専ら舞台に専念している。
元旦の今日も、正月公演の初日を終えたばかりだ。
明日も公演を控えているが、久しぶりに気の置けない仲間と新年会を兼ねて、みんなで食事を楽しもうとしていたのだった。
「みなさん、お久しぶりです」
「凄い活躍ですね」
良恵と新八が口々に声をかける。
「いいの? わたし達がおじゃましちゃって」
「お正月くらい、みんなで楽しくやりましょうよ。なあ、麗」
涼子の言葉を、団長である千飛里が笑顔で受け取る。
「そうですよ。二人は一緒に住んでるんですから、なにも気を遣うことありませんって」
「なんで、おまえが言うんや」
健一が、軽く新八を睨んだ。
みんなイシスの公演を観ていた。
この頃のイシスは、売れない時期が嘘のように、チケットの販売開始と同時に売り切れるほどの人気で、常に観客を魅了し続けている。
この正月公演のチケットも、プレミアが付くほどの大人気で入手困難となっていたが、団長の千飛里や副団長の瑞輝の力で、健一たち四人の席を最前列で確保してくれた。
こうしてみんなが揃うのは、久しぶりのことだ。健一と麗の結婚式以来のことである。
「でも、大変ですね。お正月まで公演なんて」
半ば憧れの目で見る良恵に、麗が微笑を返す。
「そんなことないわよ。売れない頃に比べたら、今がどんなにいいことか。旦那さまも理解があるしね」
「いいですね。社員にも、そのくらいの理解があればなぁ」
「また、おまえはそんなしようもないことを言う」
健一が、新八の頭を軽くしばく。
「あ、叩きましたね。パワハラで訴えますよ」
「好きにせえや」
「相変わらずね」
麗がころころと笑う。
みんなが喫茶店を出て、予約していた店に移動している時、道端に柄の悪そうな中年の男2人がしゃがんでいた。一人は、見るからにその筋の人に見える。
麗が、足を止める。
「どうしたんや?」
健一の問いには答えず、麗がつかつかと男達の許へ歩いてゆき、しゃがんだ。
「かわいい~」
麗の視線の先には、生後三ヶ月くらいのシャム猫が座っていた。
「わー ほんとだ」
「ほんまですね」
いつの間にか、みんなも後ろに来て、猫を除き込んでいる。
どうみても野良には見えないシャム猫は、よほど人に慣れているのか、大勢の人間に囲まれても平然として座っている。
「あなた達のですか?」
麗に訊かれた男二人が首を振った。
「俺達が通りかかったら、声をかけてきたんだ」
「それにしても、姉さん。いい度胸してるな。俺達が怖くないのか?」
一人が答え、一人が感心したように言う。
「だって、あなた達、悪い人には見えないもの」
笑顔で答える麗に、男たちが顔を見合わせる。
「おい、見る人が見ればわかるんだよ、善ちゃん」
「よかったな、木島さん」
「これだけ慣れているってのは、野良じゃありませんね」
「シャム猫に野良はいないんじゃない」
「どこからか、逃げ出してきたのかな」
善次郎と木島さんが喜び合うのを他所に、みんなが猫を囲んでわいわい言っている。
「しかし、気品があるな」
「本当、わたしみたい」
「よく言うわね、春香。それをいうなら私でしょ」
「どうかしたんですか?」
みんなが騒いでいるところに、通りかかりのカップルが声をかけてきた。
男は普通だが、女性の方は、いかにも夜の蝶といった雰囲気を漂わせている。
「あれよ」
涼子が、シャム猫を指さしてみせる。
「あら、可愛い」
実桜の目が輝いた。
「本当だね」
真が優しい目でシャム猫を見る。
「その猫を、こっちへ渡してもらおうか」
突然、低いがよく通る声がこえた。
みんなが声のした方向を見る。そこには、全身黒いスーツに黒いサングラスをした屈強な六人の男が立っていた。
「おい、善ちゃん。あれはやばいぜ」
木島さんの言葉を無視して、「この猫は、あんたらのものか?」と善次郎が男達に向かって問いかけた。
「そうだ。早くこちらに渡すんだ」
さきほど声をかけた男がそう答えて、一歩前に出てきた。
「どうも、嘘くさいな。あんたらは、猫を可愛がるようには見えないが」
「つべこべ言ってないで、早く渡せ」
男の雰囲気が剣呑になった。
「あの~ これってやばくないですか? 早く渡しちゃったらどうでしょう」
新八がおずおずと進言する。
「そうはいかん。こいつらは、いかにも虐待しそうだ。たとえ小さな命といえど、そんな奴らには渡せん」
善次郎は、きっぱりと新八の言葉を撥ねつけた。
「やれやれ、猫のことになると我を忘れちまうんだからな、善ちゃんは」
木島さんが諦めたように首を振った。
善次郎と木島と健一と真、要するに、新八を除く男全員が、黒づくめの男達の前に立ち塞がった。
周りの空気が張りつめる。
そこへ、騒ぎを聞き付けて、三人の警官が駆けつけてきた。
ここは、大阪キタの繁華街であるお初天神のメイン通りで、曽根崎警察署も近い。なにかあれば、警官の二人や三人は直ぐに飛んでくる。
みんながほっとしたのも束の間、黒いスーツの男達は懐から素早く銃を抜いて、無言で警官に向かい発砲した。三人の警官が、きりきり舞いをして倒れる。
「いかん。逃げるんだ」
木島さんがそう言うと、側にあった看板を掴んで男達に投げた。善次郎がシャム猫を抱いてダッシュする。
みんな一斉に走り出した。その間に、もう数名警察官が駆けつけてきたが、警告を発する暇もなく、ことごとく撃ち殺されてしまった。
「おい、新八。もっとはよう走れ」
健一が、遅れかけている新八の背中を押しながら励ます。
「だ、だめですぅ」
「バカ、命がかかってるのよ」
情けない声を出す新八に、良恵が鋭い声を浴びせながら、健一と一緒に新八の背中を押した。
男達の足音が、直ぐ後ろに聞こえている。
「俺が時間を稼ぐ。あんたらは逃げてくれ」
そう言って、木島さんが足を止めた。
「俺の我儘でこうなっちまったんだ。俺が食いとめるよ」
善次郎も足を止める。
「なあに、あんな奴らに渡したくないのは、俺も一緒さ。善ちゃん、あんたには女房子供がいるだろう。いいから、行きな」
「熱い友情を交わしているところ悪いんだけど、もう駄目みたい」
麗が、しごく冷静な声で前方を指差した。
いつの間にか、みんなの前方にも黒いスーツの男達が立ちはだかっていた。
「麗、俺の背中に隠れるんや」
「実桜ちゃん、俺の陰に」
「あ~あ、いいなぁ。そんなことを言ってくれる男のひとがいて。わたしもほしいな」
「春香さん、そんな暢気なこと言ってる場合じゃないでしょ」
「そうですよ」
場違いな春香の言葉に、涼子と良恵が即座に突っ込みを入れる。
「あの~ 僕じゃだめですか?」
おずおずと新八が自分の顔を指さしたが、春香は諦めたように首を振っただけだ。
「この人達、どうなってるんだ?」
元ヤクザの木島さんが、こんな状況でこんな会話をしているみんなに驚いた顔を向けた。
「世の中には、いろんな人がいるってことだろ」
善次郎は、腕の中にしっかりとシャム猫を抱いている。
黒服の男達が、一斉に銃を構えた。
「ね、今日は遠征してきて正解だったでしょ。なんだか、そんな予感がしていたのよね」
この場の空気にそぐわぬ、底抜けに明るい声が聞こえた。と同時に、後ろから迫っていた黒いスーツの数人が宙に舞い上がった。
時を同じくして、前を塞いでいる男共も、数人宙へ舞い上がる。
後ろの男共を放り投げたのは、モデルか女優かと思わんばかりのブロンドの美人。前の男共を相手にしているのは、あざやかなプラチナブロンドの、冷たい感じのする美女だ。
ブロンド美人の横には、背丈だけはあるが、どこか頼りない感じを漂わせている、風采の上がらない日本人が、苦笑を浮かべている。
「カ、カレン」
「タ、ターニャ」
黒スーツ共は、ふたりの女を見て、目を瞠った。
二人の美女は、引金を引く余裕も与えず、電光の速さで男共を倒してゆく。
ものの数秒と経たないうちに、黒服軍団は全員自分達の血反吐の海に顔を埋めていた。
「あ~あ、つまんない。歯ごたえのない奴ら」
カレンが、退屈そうに男共を見下した。
「どうして、あなたがここに?」
凍てつくような目でカレンを睨み、氷の声でターニャが訊いた。
「勘よ。今日は梅田界隈でなにか起こりそうだなって思ったの」
氷のターニャとは対照的に、降り注ぐ陽光の下にでもいるような明るさで、カレンがしゃあしゃあと答える。
「カレンの勘は、野生並みやからな」
「なんですって」
悟の小声を、カレンは訊き逃さない。
「いや、冗談や、冗談」
悟が笑って誤魔化す。
「で、あんたはなんでここに?」
「任務よ」
「ふ~ん、そうなんだ」
「あなたも、何かしらの情報を掴んだから、ここへ来たんでしょ」
「いいじゃない。そのお蔭で、あんたの仕事を楽にしてあげたんだから」
「フン、食えない女ね」
「ありがとう」
カレンとターニャのやり取りを、みんなは呆気に取られた顔で見ている。
「ところで、その猫を渡してくれない」
ターニャが、シャム猫を抱いている善次郎に声をかけた。
「渡した方がいいわよ。この女は、ここに伸びている奴らほど甘くないから」
カレンの言葉に、悟がうんうんと頷く。
「渡したら、この猫はどうなる?」
善次郎は、決死の覚悟を目に宿らせながら訊いた。
「別に。お腹の中のものを取り出したら、後は飼い主を見つけるだけ」
ターニャに代わってカレンが答える。
「やっぱり、知っていたのね」
ターニャの手が懐に伸びた。