「待たせてごめんね」
麗を始め、千飛里、瑞輝、春香と、イシスの主要メンバーが、笑顔で待ち合わせ場所の喫茶店に入ってきた。
三ヶ日の正月公演を終え、これからいつものメンバーで新年会を行うのだ。
昨年は元旦に行ったが、店に行く途中、とんでもないトラブルに巻き込まれた。
そのお蔭でイシスは新しい題材を得、それを舞台化して大ヒットした。その演目は、一年近く経った今でも続いており、毎日満員御礼となっている。
三ヶ月か半年で演目を変えるイシスにしては、異例のロングランだった。
「今年は大丈夫でしょうね」
新八が情けない声を出す。
「なんや、おまえ。去年のこと、まだビビッてんのか。ま、今年は場所が違うから、大丈夫やろ」
去年はお初天神にある店に行ったが、今年は東通りにある店を予約してある。
新八を除くみんなは、去年のことがあったから場所を変えたのではなく、単に二年続けて同じ店に行くのが嫌だったから、違う店を選んだだけなのだ。
誰も、去年のようなことが起こるなんて思っていない。
ビビッているのは、新八だけだ。
特に、イシスのメンバーは、あんなことがあったから、昨年はより飛躍出来た。
だから、むしろ感謝していた。
「相変わらず、新八っつぁんは気が弱いな」
なぜか団長の千飛里は、新八のことを「新八っつぁん」と呼ぶ。
まるで、原田佐之助か齋藤一にでもなったかのようだ。
「ほんま、おまえの気の弱さは、いつまで経っても治らんな」
健一が、新八の頭を軽く小突いた。
「あ、また小突きましたね。今度こそ、パワハラで訴えますよ」
「いつも言ってるやろ、好きにせえって」
そう言いながら、また健一が新八の頭を小突いた。
「年が明けても、相変わらずですね」
良恵がため息をつくと、「まあ、二人共子供だからね」と、麗と涼子が声を揃えた。
「誰が子供やって?」
「あなたよ」
またもや、二人が声を揃える。
良恵と春香は含み笑いをし、千飛里と瑞輝はあからさまに声を出して笑った。
「みてみい、おまえが変なことを言うから、みんなに笑われてもたやんか」
「なにを言ってるんですか、秋月さんが僕の頭をしばくからでしょ」
何年経っても、この二人は進歩がない。
「でも、本当に大丈夫でしょうね」
東通りに足を踏み入れた途端、またもや新八が、情けない声を出す。
「大丈夫でしょうねって、おまえは途中から、綾乃さんの店に飛ばされておらんかったやないか」
そうなのだ。
新八は、乱闘のが始まった途端、幻庵・心穏堂に誘われるように迷い込んで、一切身の危険は感じていない。
しかし、綾乃のくれたポイントカードの文字は、励みになるどころか、今でも新八の心に、鋭い爪跡を残している。
こんなことだったら、いっそ乱闘に巻き込まれていた方がよほど楽だったのにと、一年経った今でも、新八はへこんでいるのだ。
誰も、僕の気持ちなんてわかってくれない。
新八は、心の中でしょげていた。
「わかってるで」
そんな新八の心を見透かしたように、ふいに健一が言った。
「そうそう、みんなわかっているわよ」
健一の言葉に、涼子がうなづく。
「そうよ、田上君。なにも言わなくても、みんな田上君の気持ちはわかっているのよ」
良恵も、優しい口調で言う。
「みんな…」
新八が、立ち止まって俯いた。
「行くで」
健一が、優しく新八の方を抱いて促した。
「よっ、久し振り」
善次郎が、嬉しそうに片手を上げた。
「おう、善ちゃん、久し振りだな」
「あんたが引っ越してから、ずっと会えないでいたからな」
善次郎が笑顔で言う。
「紹介しとくぜ、俺の仲間だ」
木島が、一緒にいる連中の顔を見た。
「平野洋二です、よろしく」
「妻の、ひとみです」
「洋二の親です」
洋二の両親が頭を下げる。
「安藤です」
「こちらは、マル暴の刑事さんだ」
「刑事さん、しかもマル暴とは」
善次郎が、驚きの顔で二人を見た。
「なにね、引っ越したアパートに住んでいたんで、いつの間にか仲良くなっちまってよ」
「木島さんは、いい人ですよ」
安藤の口調には嫌味がなく、本気で行っているのが、善次郎にはわかった。
「あんた、見る目あるね」
善次郎が嬉しそうな顔をする。
「どうも」
安藤が、頭を下げてみせた。
「で、こちらは、管理人の古川さんだ」
「古川です、よろしく」
好々爺だが、昔はヤクザの親分か刑事だったのではないかと、善次郎は見てとった。
「で、こちらがふみちゃん。俺の女房だ」
木島が、照れながら紹介した。
「あんた、所帯を持ったのか」
善次郎と菊池が、驚いた顔をした。が、直ぐに笑顔になり、「いや、それは目出度い」と、二人の声が重なった。
「いや、照れるがよ、惚れちまったんだ」
「木島さんらしいな」
これまた、善次郎と菊池の声が重なる。
「よかったわね、木島さん。おめでとうございます」
善次郎の妻の美千代が、木島に微笑みかけた。
「凄いや、木島さん」
息子の洋平も、目を輝かせている。
「二人とも、ありがとよ」
木島は、照れっぱなしだ。
「で、こちらが、俺のダチの善ちゃんと、菊池さんだ。それに、善ちゃんの奥さんと息子さんだ」
今度は、善次郎達を、をたんぽぽ壮のみんなに紹介する。
「木島さんとは、猫繋がりです」
善次郎が言うと、「そうなんですか」と、洋二が嬉しそうに応えた。
「俺も、木島さんを含め、この人達とは、猫を拾ったお蔭で仲良くなれたんです。おまけに、こんないい人と結婚できたし」
ひとみが、洋二の脇腹を、軽く肘で突く。
「そうなんだ、で、どんな猫を拾ったの?」
「黒猫です」
「えっ、君もか。俺も、黒猫を拾ったお蔭で、木島さんとも菊池さんとも知り合えたし、女房とも復縁できたんだよ」
「そうなんですか、猫って不思議ですよね」
善次郎と洋二は、まるで年来の知己のように打ち解けている。
これも、猫の魔力のなさる業か。
「まあまあ、挨拶はこのくらいにして、店に行こうや」
善次郎と洋二の話がとりとめもなく続きそうだったので、木島が止めた。
「おっ、これは、つい。そうだな、店へ行こう」
善次郎が、バツの悪そうな顔をして、みんなに頭を下げた。
みんなは、ただ微笑んでいる。
「秋月君じゃないか」
健一達が歩いていると、ふいに健一の横合いから声が掛かった。
健一が声のした方を見ると、そこには敏夫が立っていた。
「杉田さん」
健一が、懐かしげな声を出す。
「まさか、こんなとこで君に会えるとはな」
「それは、俺の台詞ですよ」
健一が、笑って返した。
「ご旅行ですか」
隣に妻子と思われる女性と、子供二人がいた。
「ああ、たまには、家族でのんびり過ごそうと思ってね」
そこで、敏夫は家族の紹介をした。
大学生と名乗った長男と、高校生だという長女。
二人共、親から離れてもいい年頃なのに、父親である敏夫を慕っており、信頼しているように見える。
敏夫の過去を知っている健一は、そんな光景を見て、胸が熱くなった。
もう一人、敏夫の奥さんの横に女性がいたが、家族ではなさそうだった。
「清水さん、俺の頼れる優秀な部下で、仕事を離れると、信頼できる友達だ」
敏夫の紹介に、早苗は照れた顔をして、みんなに挨拶した。
妻の里美も、息子の浩太と娘の由香里も、にこにことしている。
話しには聞いていたが、こんな関係もあるのだと、実際を目の当たりにして、健一は感動していた。
その健一も、仕事ではかけがえのないパートナーであり、良き友人でもある涼子が、妻の麗と仲良くしているのだ。
良恵は、そんな両方の関係を見つめながら、心底羨ましいと思っていた。
「あなたが、綾乃さんに会った人ですか」
「馬鹿、新八。軽々しく、そんなことを口にするなや」
健一が、新八の頭を強くしばく。
「イタッ、なにをするんですか」
「あのな…」
「まあまあ」
言いかけた健一を、敏夫が遮った。
「気にしなくていいよ。綾乃さんのことは、妻も子供達も知ってるから」
あれから敏夫は、綾乃のことを、里美と浩太と由香里には話している。
あれだけ具合の悪かった敏夫が、180度変わったことについて納得しただけで、三人共疑う者はいなかった。
早苗の話も、三人が納得する根拠になっていた。
「これから、どちらへ?」
「どこかで、飯でも食おうと思いましてね」
「なら、ご一緒しませんか」
「いいんですか」
「人数が多いほど、楽しいですからね」
健一と敏夫がそんな会話を交わしていると、「もしかして、イシスの皆さんじゃ?」と、敏夫の娘の由香里が、麗や瑞輝を見ながら、恐る恐る声をかけた。
「そうですよ」
千飛里が答える。
「うわ~ 私、イシスの大ファンなんです、まさかこんなところで会えるなんて」
由香里が、小踊りせんばかりに喜ぶ。
「特に、麗さん、あなたは、私の憧れです」
「ありがとう」
麗が、にっこりと微笑む。
「こいつの、奥さんだ」
言って、敏夫が健一の肩を抱く。
「えっ、そうなんですか。凄い、麗さんのハートを射止めるなんて、凄い」
由香里が、尊敬の眼差しで健一を見た。
「凄くないわよ、こんな奴」
涼子が、冷淡に言い放つ。
「確かに、いろいろと具合が悪いことろがあるわね」
麗も否定するではなく、涼子に同調する。
「酷いな、二人共」
そうは言ったものの、健一はさして傷付いた様子でもない。
「じゃ、なんで結婚を」
「それを差し引いても、いいところが一杯あるからよ」
麗が口を開く前に、涼子が答えた。
「じゃ、いい人なんじゃないですか」
「私にとっては、最高の旦那さまよ」
麗が、健一の腕を取った。
「おい、人前でなにをするんや」
慌てる健一を、みなが微笑ましそうに見ている。