バイクと自転車と本と -53ページ目

全開立ち上がり

日曜の夜は、あーもう疲れたー、と言って眠りたい。
体力を残した状態でウィークデイを迎えるのは、本当にストレスがたまるからだ。

どうやって疲れるかは、
普段の仕事が体を酷使しないから、まぁ運動が一番いい。

自転車で山を2,3個越すのも、
休まずにデュークで走り続けてライダーズハイを目指すのもありなんだけど、
やっぱり、
モトクロスで疲れるのが一番効く。
出し尽くせる。


朝起きて、
きのうデュークで走った疲れだか、仕事とかその他色々の精神的な疲れだか知らないけど、
練習行きたくないなぁ、と思った。
週末雨降ったら毒付いてるくせに、いざ走れるとなると、なんだかんだで朝だるいんだ。
まぁ、
他に有意義な休日な過ごし方も思い付かないし、
とりあえずいこかと。


その朝さえ乗り切れば、モトクロスは外れはない。
なんか脳内麻薬物質の量が多いんじゃないのかね。
薬物中毒。
気持ち良くなっちゃってる。

最近の気持ち良いポイントは、ジャンプとかじゃなくて、
立ち上がりのアクセルがば開け。
路面は荒れてる方がいい。
荒れてる路面のところを構わずにアクセル全開して、
バイクが暴れるのが逆に気持ち良い状態が、頻繁にではないけどたまにある。

今日は後半乗れてきてたなぁ。
不慣れなコースではあるけど、逆に新鮮さが良かったのと、
あとは足回りのセッティングの合わせ方が分かってきたのが大きい。

硬くて細かいギャップのあるコースはある程度足(主にフロント)は動かす方向で。
KXの場合、4メーカーで唯一フロントのプリロードを調整できる。
このプリロードが足の動きにかなりの影響を与える。
オンロードと違って、足が完全に宙に浮くシチュエーションなど連続で起こっているので、
沈み込むまでに必要な荷重が変化する、ってことは足の動きの印象をガラリと変える。
特に、初期の動きに差が出る。
全体の動くスピードが変化するダンパーとは違う感触。これはけっこう便利。

KXの一番良いところだと感じてる。
まぁ、肝心の姿勢角度があまり変わらないのがアレだけど(本当はこの機能がメインだろうに)。


モトクロスもマンネリしてるかなぁと感じたりしなかったりだけど、
まだまだ楽しめそう。



PCの右上に常駐させる最近の勉強動画。
2011年度版のグレンヘレンのプラクティスなんだけど、
今回のプラクティスも一人一人のライダーの動きを要所要所スローで編集されており、
まぁ、
まねできるレベルではないけれど、どうやってバイクを制御しているのか、体の使い方を見ることが出来る。


GARMIN Edge500

久々にロードバイク系の日記を。

もうすぐボーナスで、お金が入ると使いたくなるもの。
だから先週、ちょっと見るだけ、と自転車屋に行ってきた。

トレック4.7か、ジャイアントAdvance3か、その辺り。
鈴鹿のロードレースで目標に届かなかったんだから、買わない、って決めたのに、見に行くのも変な話だが、
どうにか、衝動は抑えた。
抑えたなぁ。

やっぱり、
良い自転車はそれ相応の体で扱わないと意味がない、って思いは相変わらずで、
漕いでて軽さを感じるためには、
自転車が1kg軽いよりも、週3日以上本気で走りこんでる方が要件としては先だと思う。

夏が終わってからはめっきり練習頻度も減ってしまった今、
30万円の投資に所有欲満足以上の価値があるのかと自問自答すれば、やはりないなと。


その代わり、
サイクルコンピュータを買った。
今まではCATEYEのケイデンスが測定できるタイプを使ってて、
心拍数は分からなかった。

で、
これからはローラーでトレーニングする季節なので、
現状では暇つぶし用DVDの用意は済んだので(スーパークロス2006~2011を揃えた)、
あとは計器類で気を紛らわせようと思った。


$バイクと自転車と本と
購入したのがGARMINのEDGE500というモデル。
地図GPSなしタイプでは最強というウェブ上の声と、下記の特集を見て興味が湧いた。
GARMIN Edge500 インプレ 前編…ナビなしでも機能充実のGPSサイクルコンピュータ

これ、鈴鹿のレースの時付けていたら、
周回毎のラップタイム、心拍、速度、ケイデンス、何でも分かる。
全部自動。データログの管理もPCで出来る。面白そう。
あとはコース設定して、自分のゴースト(マリオカートを思い出すね)と競争も出来る。これはモチベになる。

今年は中盤まで上げすぎて、後半に至る辺りで失速するという失敗を犯しているので、
来年はもうちょっとデータで走りをコントロールしたい。

説明書も分厚くて、いぢり甲斐のあるオモチャだ。
今も心肺バンドで測定しながら書いている。60bpmくらい。



モトクロスしてる時も、本体さえバイクに固定すれば測定は出来る。
いったいどれぐらいの心拍数なのか。
エアロバイクでの心拍測定の経験から、
モトクロスは全開で攻めてるときは、160台ぐらいだと予想してる。

動作がシンプルな自転車なら維持できるペースだけど、
モトクロスで飛んだり振られたり目まぐるしくマシンを操作しながらだときつい。
ビロポートの動画を見てたら、彼もモトクロスのテスト中にこういうの付けて管理をしていた。



良い買い物したかも。自転車に乗って試すのが楽しみだ。




雨 卓球

LC8は良いエンジンだなぁ、としみじみと思いながら、
30分でいける所へ買い物へ行くのに、遠回りしまくって山を二つ越えて2時間近く掛けた。

最近週末になると雨ばっかりで、今日の午後だけ外に出れた。
たぶん全国のアウトドア系の人らはほんとにイライラしてることだと思う。
なんで毎回毎回、週末に限って雨雲団くんのマジで。

だからせめてデュークぐらいは無駄に乗りたくなったのでした。


雨だけど出来る手軽なスポーツということで、
卓球をやってきた。
$バイクと自転車と本と
映画ピンポンを久しぶりに見て感化された。

卓球をまともにやるのは高校の授業以来だったけど、
良い運動になる。

一回一回のやり取りは、時間にして数秒から長くても十数秒くらいだから、
瞬発力と状況判断と、色んな要素が1度に必要になる感じで、
バイク乗りに必要な反射神経や集中力が鍛えられそうだから、意外と相性良いのかも。

力の限り思いっきりスマッシュ打つのも気持ち良いし、
相手のスマッシュに反応出来るか試すのも面白い。

おまけに安い。

まぁ、
何をするにも、どうやったらバイク(モトクロス)に繋がるかどうかを考えてしまう。


また雨の時は卓球、やってみようかな。

皐月鬼を読んで

今日はある講習を受けに東京へ。
出張とくれば、新幹線で小説一本が自分ルール。

前回は東京つながりということで、昭和の東京が舞台の重松清『鉄のライオン』を持っていった。
今回はファンタジーを選んだ。

それが『皐月鬼 (角川ホラー文庫)』田辺青蛙。
ホラー大賞・短編賞受賞の『生き屏風』から繋がる3部作のラスト。

-----AMAZONから-------
内容紹介
火の山への旅を終え、戻ってきた静かな日常の中、幻獣、外つ国の妖、妖狐……妖鬼・皐月と猫先生の周辺にはいろいろな出来事と妖が。妖鬼・皐月の物語完結巻。
内容(「BOOK」データベースより)
“火の山”への旅から戻った妖鬼の皐月と魂追いの少年縁は、再び村で暮らし始めるが、縁は行く先も告げず、ふらりと遠出することが多くなった。あることがきっかけで、一緒に暮らすことになった河童の子ネネは、なぜか皐月に反発ばかり。周囲では妖絡みの事件も発生し、皐月の日常は気苦労が絶えない。そんな中、縁には、旅先で邂逅した川の主との“約束の時”が刻一刻と迫っていた……。県境を守る鬼の少女の物語、最終章。
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ホラーというよりはファンタジーラノベな内容に見えるし、本の装丁もその路線なんだけど、
中身も、
ラノベ、なのか?
ライトノベルと普通の境界が分からないけど、
妖怪が出てくる話の割には、妙にリアルな描写が多かったりする。

例えば、河童のネネ(ねねこ)の性格。
アニメに限らず、映画でもドラマでも、ツンツンしてくるキャラクターには要所でデレを入れることでギャップ効果を狙うのはよくあること。
でもこの河童のネネ、
口調も言動もコミカルでマスコット的なかわいさを出そうと思えばいくらでも出せるはずなのに、
憎憎しいくらいに、一貫して主人公の皐月鬼を嫌ってるところが、俺としては凄く好き。
へたにデレを入れないところが、逆にこの河童かわいいなおい。と感じた。

子供の頃、
どうしても馬が合わない奴っていたじゃないか。
何かにつけて突っかかってきて。
フィクションみたいに、「、、、でも実は良い奴であるとき、、、」なんてエピソードそうそう都合よくないでしょ。
嫌な奴は嫌な奴で、事あるごとに衝突したりして。

でも、大人になって分かるんだけど、
ああいう関係もやっぱり、友達だったな、と。

好きの反対は無関心、ってのはほんと当にその通りだと思う。

ネネはなんだかよく分からないけど皐月鬼が気に入らない。
幼子らしい、それは正直な本当の気持ちなんでしょう。
だけど、その感情は好きと反対ではないんだろうと思う。

だからこそ、
ラストで縁(いなくなってしまった少年)を一緒に探す旅に出ても、
布団(馬の名前)が小布団(布団の子供)に代替わりするぐらい年月が経ってるのに、
憎まれ口を叩きながらも皐月鬼と一緒にいるんだろうから。



あと他にファンタジーなのに“妙にリアルだな”って感じたところは、
縁の最期。

縁は覚悟を決めて自分自身で決断したはずの運命なのに、
いつ訪れるか分からない死期に苦悩するんですね。

だんだん皐月鬼と話もしなくなる。
そして、
自分と同じ境遇で、いつ殺されるか分からないという妖狐の女のところに通うようになる。

命賭けで何度も自分を救おうとしてくれた、家族と言ってもいいはずの皐月鬼には頼らなかった。
頼れなかったんじゃないと思う。
頼りにしなかった、と自分は感じた。

苦悩の解放場所を、同じ境遇の大人の女に求めたと。ただ本能的に。

そして最期の瞬間、
結局、皐月鬼とはお別れらしいお別れも、あまり話もないまま縁は逝ってしまう。
自分でも苦笑してるように、
最期に思い返すのは皐月鬼達のことではなく妖狐の女のことなんですね。
ここは良い描写だと思った。
なんか妙に縁に感情移入してしまうところ。

恒川光太郎作品もそうだけど、
全体的には和風ファンタジックな静かな空気感を漂わせつつも、
ときおり血と肉を連想させる生臭い感じを、直接的表現をせずとも時々混ぜてくるところが良い味出してる。


『蟲師』が好きな人にも面白いと感じるかも。

あと僭越ながら苦言を呈するなら、
作者は皐月鬼のことを、ほとんど美少女の反対として描写しているにも関わらず、
文庫の装丁の絵が美少女し過ぎている。
まぁ販売戦略上しかたない事情があるにしてもだ、
わざわざ「針の穴のように小さな目」って3部作にわたって何度か書かれているんだから、
読者への印象は、素朴で垢抜けない少女、と感じて貰いたいんだろう。
それは皐月鬼の独自のテンポをイメージさせるのには必要な要素、として描かれていると思うので。


今後も注目したい作家の一人になりました。

週末は当然のようにバイク

週末はバイクデイ。

依然としてフープスは掴むべき感覚が分かっておらず課題は残るものの、
そのほかはまぁまぁ良かった。

特に、コーナーやら立ち上がりやらストレートやら、
いつもよりほんの僅か上体を前傾にしてみた。
そして開けられるところまで開けまくる。バイクは速いんだから、人間が変なフォームを取っていなければ速く走れるはず。
これが良かった。
腕立てをするような前傾具合は、必要なときに瞬間的に力が入れられるしショック吸収もし易かった。

このフォームは気持ちが攻め気を維持している時は、良い感じで噛み合う。
バイクからくる挙動の激しさを、嫌がらずに正面から受け止める感じ。
これって結構難しくて、
気持ちに逃げがあると、全然だめ。

気持ちに逃げがある、なんて文章で書くとそんなのダメなのは当然だろ、と思うんだけど、
実際走ってるときは逃げてる気なんて毛頭なかったりする。
ただ、
あのコーナーは丁寧にいこう、とか、
トラクションを探りながら開けていこう、とか、
フロントのグリップにもっと意識を向けよう、とかね、
所謂、間違ってはないこと、正しいこと、を考えていても
それが心の中で攻める意識を欠いてしまうことに繋がったりするのだ。

難しい。人間の頭も体も、思い通りにコントロールはできんもんだ。
バイク、というかモータースポーツはとことん理屈であり、
同時に理屈じゃない根性とか本能みたいな強い思いも必要だったりする。
他の競技より危険な分、これらのバランスってのはけっこうシビアだと思う。


あと、
昔はこういう前傾気味のフォームを取ってると自然と腕がガチガチ、反面下半身のホールドが疎かになっていたものだけど、
当たり前に下半身へのホールドが意識できるようになると、
やっとこの姿勢で速さに繋がる実感が得られるようになってきた。

まぁこれは前進。



明日は自転車トレーニングするか、オンロードバイク乗るか考え中。
まぁ最近はほとんど後者。
自転車は夏のモトクロスを維持するためには必須だったけど、
今は季節的には余裕があるので、それよりもライディング感覚をもっともっと磨きたい。



ニコニコでバイクMADを探してて、良作を見つけた。

世界で一番カッコいい職業、
レーサー、だと思います。

1980's 8耐

朝、携帯のめざましで目を覚まし、
んああ朝か…とまるで機械のように朝食と身支度を整え、
4年目となるすぐそこの会社まで、無意識に2分ほど歩いて、制服に着替えて7階まで歩いて階段を登り、
朝礼をして、なんだかんだ、途中眠くなったり覚醒したりして、19時過ぎにまた部屋に戻ってくる。

朝目覚めてから、今ここにいるまで、
ほんとに過程はあったのかと疑いたくなる。
過去なんてないな。
今しか認識できないから、一日が早いんだ。


いや今も認識してるのかも怪しい。
だって子供の頃も、今しか考えてなかったような気がするけど、一日はもっと長かったもんなぁ。

なんとなく、昔のことを考えていたら、
鈴鹿8耐の動画が見たくなった。

1980年代というのは、自分にとっては物心がついたのかどうかも分からん時代ではあるんだけど、
この時代の空気感、例えば服や髪形、自販機、広告などなど、が何とも言えず懐かしい。
そして、バイクだ。
この頃ぐらいから空力をやっと意識し出したような、デザイン的にも全然無骨な単車。
そして、今では考えられない数のサーキットの観客数と熱気。
世の中でのバイクの存在感、ってのが今とは比較にならないぐらい凄かったんだろうなぁと思う。

俺がまだ小学生だった頃、
友達のオヤジさんが単車乗りで、物凄く憧れた記憶がある。
記憶の中でのバイクは、SR400のような、ネイキッドタイプというか、シングルスポーツっぽかったような気がするが、
もしかしたらもっと小さいバイクだったかもしれない。

でも、とにかくカッコよく見えた。

クルマに乗っていてバイクが見えたら、必ず「あーバイクだー」って手を振った。
その時の気持ちは、
19歳でFTR223を買った時まで忘れていた。
中学、高校時代はバイクへの関心はなくなってた。
憧れから、いつしか異質で自分には無縁なもの。
まさか自分が乗ることになるとは考えていなかったから。
ほんとはクルマに乗りたかったけど、学生ではムリなので、まぁしょうがないから単車、という動機だ。

でもその19歳から10年間。
ずーっとバイクのことばかり考えてきた。

なんなんだろうね、この乗り物は。
なんで飽きないんだろう。


19歳で始めてバイクを知った時の感覚と、
まだ子供だった1980年代の8耐のあの情景は、自分の中でなぜかリンクしてる。

8耐の動画や写真を見ると、自分もライダー初心者だった頃を思い出すのだ。

あれからとにかく巧くなりたいと思って、今も乗ってるけど、
何にも出来なかったあの頃は楽しかったなぁ。
その分、何でも新鮮で。



今日の雨の日の過ごし方

今日は雨で筋肉痛なので、まぁ活動しなくていい日決定。

適当にモトクロッサーをメンテして、
今は「NHKへようこそ」というアニメを見ている。
なんかウェブ上に全て上がっていて。

引き篭もりが主人公の話で人生どん底みたいな描写があるものの、
無条件にそれを救おうとするヒロインの子がいて、
何だかんだでご都合主義な展開で、映画の「バッファロー66」を思い出した。
(後輩君も凄く良い奴)

でも面白い。


で、
それを横目に見ながら、これを書きながら、
読みかけの小説を読みながら、
ニーブレイスをweb検索しながら、
ながらながらで、無駄に時間が過ぎていっています。


引き篭もりの主人公が中盤で仕送りを半減させられ働けという展開になる。
で、
ネットゲームでお金を稼ごうとしてネトゲ廃人に。

なんだか不思議に思う。

好き勝手に暮らしているなぁと思う、自分。
金銭的にはけっこう余裕が出てきた。

働く、って何だろ。
給料を貰う、ってことがよく分からない。
なぜ自分は今の生活を社会的に許されているのか。

引き篭もりな人と自分と、何が違うんだろ。
あまり違わない気がする。

会社での人間関係なんてどうでもいいと思ってる。

過程を示すことは重要だが、要は結果を出せば評価され、昇格するのが会社だ。
仕事でチームを組んで、組織間協同をすることと、
例えば飲み会でのコミュニケーションは、今はあまり関連していない。
後者が重要な営業系の仕事は自分には絶対に合わないなぁ。

が、それが許されるのは技術屋としての能力が試される中堅までの話だ。
係長、課長と昇進するためには、人間関係なんてどうでもいいなどと言っていては話にもならない。
それは分かる。
だけど、
管理職に魅力や面白みを感じないし、カッコいいとも思えない。
カッコいいかどうか、けっこう重要。士気に関わる。
まぁその辺は、歳を取れば変わってくるのかもしれないけど。


いずれにせよ、
今の自分はかなり勝手気ままな生き方をしているので、
引き篭もりの主人公とそんなに違うかなぁという気がした。
でも、
俺は自分だけの稼ぎで食べて、好きな事をやれてる。

対人関係が煩わしいという感覚は大なり小なり誰でも持ってる。それを線引きできるかどうか。
微妙なバランスで、社会人やるか引き篭もりになるか。
うちの課内で、前の上司に精神を壊されて鬱病になった人がいる。
いったん鬱病になると、これは病気だから、治療が必要になる。
やる気や心構えなどの根性論ではどうにもならない。
そういうこともある。

自分だけは大丈夫などとは思えない。
怖いなぁと思った。




TROYLEE 5900 チェストプロテクター

$バイクと自転車と本と

ようやく求めていたブレストガードが出た。
トロイリーの新型で、写真のほかにもアウター用途の肩パットのモデルもある。

オフロード始めた頃は、聖衣(クロス)みたいなアウタープロテクターが好きだったけど、
モトクロスでは野暮ったい感じがするので、すっかりインナー派。
せっかくのウェアもアウターで隠れるのも嫌だし。


トロイリーのガードは下記の条件を満足する唯一のインナーガードだった。
・ネックブレイス対応であること
・全面樹脂ガード(今使用中の661ローグは背中がウレタン)
・サイズ設定が2段階用意されていること

たったこれだけだけど、
沢山あるインナーブレストの中ではトロイリーのみが該当する。
(リアットが出しているインナーガードはベルトの使い勝手が不明なので却下)

特にサイズが2段階であることには拘った。
サイズフリーだと絶対フィット感が悪くてブカブカするだろうから。


で、
早速付けてみた感じ、
素晴らしい、の一言。

ホールド感と薄さのバランスが良い。
前面が3分割なのが効いてる。
若干重いけど、それだけプロテクトはしっかりしてる。
体重60kg以下の人はMサイズで間違いないでしょう。




予測と決断と

今日は帰りに榊原温泉に寄れる三重のコースへ。

このコースはまだ通産10回も走ってはいないはずだけど、
それを差し引いても乗れてない。

今日の気付きは一つ。
自分の予測とマシンの挙動を信じなさい。


このKX250Fはこれまで乗ってきたホンダ、ヤマハより足が硬い。
エンジンのレスポンスはシャープだし、良い意味でのダルさがない。
中途半端なアクセル開度ではサスは縮みにくい。
しかしエンジンは機敏に反応する、トラクションが得にくい、で、乗りにくい、となる。

このコースは立ち上がりのトラクションがラップに効いてくるので、上記が特に顕著に出る。

アクセルを開けられる人とそうでない人で何が違うのか。
多分、アクセルを開けた量でバイクがどんな挙動を示すのか、その時どういうフォームでどこに意識を向ければいいのかが、予測できること。

もう一つ壁がある。
予測したとしましょう。
それが、合っていたとする。
じゃあ実行しても大きなミスはないでしょう。。
実行できるか。
合っていたとする、ってのは結果論であって実際に試す時は分からない。
迷わず実行できるか。
ちょっとでも迷うと、良い感じで動いてくれない。
逆に、色々と先読みして先行して体が動いてる時ってのは、
マシンとの距離がほんと近く感じられる。

沢山の時間走りこむことで意識的に、そして無意識に出してる予測の連続。
その蓄積。
そうやって信じられるようになる。


飛べなかったダブルジャンプを飛ぶ最初の瞬間なんて、
そういう積み重ねを信じて、賭けに出るような心境。
大丈夫なはず。助走のアクセル開度、踏み切りでの姿勢と、アクセルオフのタイミング、技術的には大丈夫なはず、、、
と願いながら、最初の一本目を飛んだ。
そこはもうひたすら、信じる、という心境。

出来ることが分かったらどんどん精度も良くなるし成長する。
でも、出来ないとずっと出来ない。一生できない。


これらは0か1かのジャンプだから自覚できるけど、
何気ないコーナリングとストレートにも実はあるんだなぁと思う。

いつもの精一杯よりもう1mmくらいアクセル開度を増やす、
いつもと違う挙動、予想と違うかもしれない挙動、嫌な転倒につながるかもしれない。

KXについては、今までのバイクよりもう一歩踏み込んで操作しないと、
寧ろ今までのバイクよりも遅いし乗れてる感が少ないようだ。


これが使えるようになったらもう一段階速くなれる。
最近はまたライディングのことについて考える時間が増えてきた。
9月から仕事や体調不良で、普段はあまり考える余裕がなかった。

次の練習までまた1週間も先の事だけど、今日感じたことを何度も反芻しようか。


理屈と感情

長く同じことをやっていると、
大きなミスをしないようリスクへの対処が巧くなったり、
効率的に無駄ない動きを”無意識に最重視”していたり、
まぁ、自然とそうなる傾向が、どのスポーツ、スポーツ以外にものにもあると思う。
それは、経験、として長く続けるためには必要なことで、
自分がそんだけ頭を使ってやってきたという実績だ。

ただ、
人より、
過去の自分より、とにかく速く走ること、
そういうシンプルな競技をやっているにも関わらず上記を優先してしまう、
っていうのは、
停滞の一番の原因ではないかと思う。


この前、とにかく全力で走る意識が大事だ、
と書いたのに、
実際走っていると、
ほんと悲しいぐらいに無意識に無難な走りをしているのに気付く。



今日走った4本のうち、
がむしゃらな限界を出そうと思って出したのは最後の4本目の一部だけだ。

がむしゃらに走ろう、とにかく全力を出そう。
それがステップアップには必要だ。
と書いたが、
これが言えるのは、今、ここでPCに向かってリラックスしてリスクも何もないから、
らしい。


実際はダメだ。
全力で走ろうと思って、全力で走れたら楽だけど、そんなに単純に自分の体は動いてくれない。
単純なことだと思うんだけど、かなり難しい。


最後に本気で走れたのは、
走り仲間に付いていくのがやっとな状態が悔しくて頭にきたから。

より速くなるのには正確さよりも、がむしゃらに走ることが今の自分には必要だ、
なんて長い言葉で考えてなかったなぁ。

ただ、負けたくない、って気持ちだけだった。

その走りはよかった。
頭に血が上っているようで、走る事だけに関しては集中出来てるから。


これを意図的に引き出すのは無理だと思った。
で、この状態は終わってみれば気持ちいいけど(多分色んな脳内何ちゃらが出てるんでしょう)、
速くなるためにこれが絶対必要かっていうと、そうでもない気がした。
こういう状態になってもちゃんと走れるかどうかは、
色々と巧くいかなくてごちゃごちゃ考えて試行錯誤して、という仮定が前提な気がする。

自分が確実にコントロールできるのはその前提のところだけだ。
本気で出るチャンスがあったらラッキーぐらいに思えばいいのかも。


まぁ、
これからもごちゃごちゃと考えていこう。