皐月鬼を読んで | バイクと自転車と本と

皐月鬼を読んで

今日はある講習を受けに東京へ。
出張とくれば、新幹線で小説一本が自分ルール。

前回は東京つながりということで、昭和の東京が舞台の重松清『鉄のライオン』を持っていった。
今回はファンタジーを選んだ。

それが『皐月鬼 (角川ホラー文庫)』田辺青蛙。
ホラー大賞・短編賞受賞の『生き屏風』から繋がる3部作のラスト。

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内容紹介
火の山への旅を終え、戻ってきた静かな日常の中、幻獣、外つ国の妖、妖狐……妖鬼・皐月と猫先生の周辺にはいろいろな出来事と妖が。妖鬼・皐月の物語完結巻。
内容(「BOOK」データベースより)
“火の山”への旅から戻った妖鬼の皐月と魂追いの少年縁は、再び村で暮らし始めるが、縁は行く先も告げず、ふらりと遠出することが多くなった。あることがきっかけで、一緒に暮らすことになった河童の子ネネは、なぜか皐月に反発ばかり。周囲では妖絡みの事件も発生し、皐月の日常は気苦労が絶えない。そんな中、縁には、旅先で邂逅した川の主との“約束の時”が刻一刻と迫っていた……。県境を守る鬼の少女の物語、最終章。
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ホラーというよりはファンタジーラノベな内容に見えるし、本の装丁もその路線なんだけど、
中身も、
ラノベ、なのか?
ライトノベルと普通の境界が分からないけど、
妖怪が出てくる話の割には、妙にリアルな描写が多かったりする。

例えば、河童のネネ(ねねこ)の性格。
アニメに限らず、映画でもドラマでも、ツンツンしてくるキャラクターには要所でデレを入れることでギャップ効果を狙うのはよくあること。
でもこの河童のネネ、
口調も言動もコミカルでマスコット的なかわいさを出そうと思えばいくらでも出せるはずなのに、
憎憎しいくらいに、一貫して主人公の皐月鬼を嫌ってるところが、俺としては凄く好き。
へたにデレを入れないところが、逆にこの河童かわいいなおい。と感じた。

子供の頃、
どうしても馬が合わない奴っていたじゃないか。
何かにつけて突っかかってきて。
フィクションみたいに、「、、、でも実は良い奴であるとき、、、」なんてエピソードそうそう都合よくないでしょ。
嫌な奴は嫌な奴で、事あるごとに衝突したりして。

でも、大人になって分かるんだけど、
ああいう関係もやっぱり、友達だったな、と。

好きの反対は無関心、ってのはほんと当にその通りだと思う。

ネネはなんだかよく分からないけど皐月鬼が気に入らない。
幼子らしい、それは正直な本当の気持ちなんでしょう。
だけど、その感情は好きと反対ではないんだろうと思う。

だからこそ、
ラストで縁(いなくなってしまった少年)を一緒に探す旅に出ても、
布団(馬の名前)が小布団(布団の子供)に代替わりするぐらい年月が経ってるのに、
憎まれ口を叩きながらも皐月鬼と一緒にいるんだろうから。



あと他にファンタジーなのに“妙にリアルだな”って感じたところは、
縁の最期。

縁は覚悟を決めて自分自身で決断したはずの運命なのに、
いつ訪れるか分からない死期に苦悩するんですね。

だんだん皐月鬼と話もしなくなる。
そして、
自分と同じ境遇で、いつ殺されるか分からないという妖狐の女のところに通うようになる。

命賭けで何度も自分を救おうとしてくれた、家族と言ってもいいはずの皐月鬼には頼らなかった。
頼れなかったんじゃないと思う。
頼りにしなかった、と自分は感じた。

苦悩の解放場所を、同じ境遇の大人の女に求めたと。ただ本能的に。

そして最期の瞬間、
結局、皐月鬼とはお別れらしいお別れも、あまり話もないまま縁は逝ってしまう。
自分でも苦笑してるように、
最期に思い返すのは皐月鬼達のことではなく妖狐の女のことなんですね。
ここは良い描写だと思った。
なんか妙に縁に感情移入してしまうところ。

恒川光太郎作品もそうだけど、
全体的には和風ファンタジックな静かな空気感を漂わせつつも、
ときおり血と肉を連想させる生臭い感じを、直接的表現をせずとも時々混ぜてくるところが良い味出してる。


『蟲師』が好きな人にも面白いと感じるかも。

あと僭越ながら苦言を呈するなら、
作者は皐月鬼のことを、ほとんど美少女の反対として描写しているにも関わらず、
文庫の装丁の絵が美少女し過ぎている。
まぁ販売戦略上しかたない事情があるにしてもだ、
わざわざ「針の穴のように小さな目」って3部作にわたって何度か書かれているんだから、
読者への印象は、素朴で垢抜けない少女、と感じて貰いたいんだろう。
それは皐月鬼の独自のテンポをイメージさせるのには必要な要素、として描かれていると思うので。


今後も注目したい作家の一人になりました。