医学部にいると学生がよく勉強していると感じることはあっても.なかなか「学力の低下」は感じない.あるいは特殊事情なのかもしれないが,考えたことを述べる.●海外採用の様子 http://t.co/wtYSR4kz

人類史上,局所的/地域限定で文明や文化が停滞したことはあったかもしれないが,進歩が止まったとか退化したという事例を知らない.「最近の若者は」論がエジプト時代からいわれていたことは知っているが,基本的に人類が退化したことはない.そして退化した人間が量産された時代というのも聞かない.

ひょっとしたらいま日本で起きていることは人類史上でもきわめて稀な「退化」の時代なのかもしれないが,そういった稀なことを想定するよりも,前世代がとらえることができない「変化(私は進化と呼びたいが)」が起きていると考える方が自然に思える.

現代の日本において,エネルギッシュな営業は必ずしも必要とされない.絨毯爆撃のような営業でモノが売れるなら,苦労はしないのだ.また,前世代のような熱い仕事の仕方で仮に経済的充足が得られたとして,それが個人的な幸せに大して結びついていないということは,近年顕著な自殺率に現れている.

子供の選択肢は20年前より遥かに多様化している.はじめから海外の高校(大学ではない)を選択するような人も普通にいるし,マイナーなスポーツ,マイナーなアートなどで稼いでいる人も多い.農業をする人もいる.そもそも国内企業(大学)が眼中にないという人も多い

そして子供はどんどん減っている.総量が減少し,選択肢が増えている.このことから自然に導きだされることは,ある特定企業(分野)に応募する「日本人」の平均学力が低下したとしても,それは日本人の学力低下ではなく,「国内組に限定された集団の学力」が低下しているということだろう.

いいたいことの一つは,ある企業が「最近の日本人学生,マジでヤバい」と単純に感じたとしたら,外国人採用に走る前に一歩とどまって,「実はうちの会社,優秀な学生に無視されているんじゃない?」と感じるべきだということだ.難しいだろうが.

だが本当に言いたいことは別にある.戦後からバブルまで,激しく労働した後の今の時代がどういう状態かということだ.あるいはこうだ.昔と同じように働いてもうまくいかないから「失われたン十年」と言われているのに,昔と同じようなモチベーションを求めて新人採用をしたところで,果たしてうまくいくのかということだ.少なくともこの文化が爛熟した日本において.

サッカーの香川選手のように,「寒気がするくらい」優秀な若者はまだ日本にもちらほらいるし,昔より増えている印象がある.心がけたいのは,そういった最先端をいく新人を理解するマインドを持ち続けることだ.自分が否定されるような感じで,つらいのだけれど.