平成7年くらいのことと記憶していますが定かではありません。どうでもいいような男が二人記憶に残っています。自分の仕事に関係の無い人は殆ど記憶に残りませんが、この二人も直接関わっていませんでしたが変わり者というので記憶の隅にありました。

一人は障害者で足が小児麻痺で悪くなったかどうか分かりませんが、片足が不自由でしたが歩行には支障がありませんでした。企業は障害者を決められた割合で雇用しなくてはいけなという法律の下での雇用だったのだろうと思いました。
仕事は事業部の総務的な仕事で、図書室の本を整理したり、キャビネットの整理整頓とかをしていたように思います。会話は普通にできるので話をしたことがあります。写真学校に行っていたというので、どういう写真を撮っていたのかもってこいということになり実際に見せてもらう機会がありました。
普通に写真学校で制作というのであれば四つ切りの大きな写真をイメージしていたのですが、普通の2Lサイズくらいの小さいものだったので、なんでこんな普通の写真をもってきたのかと驚きました。その写真は船から海を撮影したものでしたが、何も特徴の無いものだったので「へー」と言わざるを得ませんでした。
後日事業部で懇親のソフトボール大会をしたときもカメラを持参して参加していましたが、高級なレンズをつけたカメラを持ってソフトボールの試合中、ベンチの後ろの少し高い場所で撮影するわけでもなくボーとして立っていました。この時の写真も、そういう高級な明るいレンズで撮影するような写真ではなく、平凡な写真だったので実力の程がしれました。
かくいう私も少しはカメラで撮影をするのを趣味としていましたが、当時はクラシックカメラを収集していました。写りの悪い写真を撮影して、会社の仕事の鬱憤を晴らしていました。
どういうきっかけかは分かりませんでしたが、総務部に30代の美人の女性が一人だけいて、この女性にこの男が声をかけたというので大騒ぎになりました。私も誰からか聞いたわけではありませんでしたが、事業部長が「あいつがxxさんに声をかけて迷惑がられている」と大きな声で周りの連中と話しているのを聞いただけでした。
この会社の女性陣は親会社から流れてきた年配のお局様風の年配の女性か、技術者として採用された普通の容姿の女性ばかりでしたが、その美人の女性は親会社から出向してきた女性と思えました。当時は未だ30代でしたが、その後も相変わらず会社に勤務していたので時々は見かけました。年々老けていくのが分かるので婚期を逃したのか、高望みだったのかと、その後姿を見て思うときがありました。
その男は、事業部長がそういう非難をしていてもしばらくは会社に来ていましたが、何かのきっかけで足が悪くなり会社には来なくなり、そのうちに職場の皆から忘れ去られたのでした。

もう一人の男は、新入社員として採用されて事業部の業務グループで、毎月の業務データのまとめとか整理をする仕事をしていました。この男は大学では農学部だったというので変わっているなと思いましたが、私がかって担当していた会社の情報システム部長も農学出身だったのを思い出してしまいました。
この男の口癖が「どういう場面でやりがいがあると思えるのでしょうか」ということを聞いてくることでした。何度か同じ言葉を聞いたのですが、私は「仕事を計画通りに仕上げた時だろう」と答えても会話が続きませんでした。
上司は業務が回らないので困って、現場の管理者にしようというのでデータセンターのオペレータ管理をさせたのですが出来ないというので、最後はコンピュータの8時間交代のオペレータをさせましたがこれも十分ではないとうのというので、最後には会社を辞めたと風のたよりに聞いた記憶があります。
二人とも凡人であることには変わりないのですが、その凡人程度が極まっていたというので記憶の隅に残っていました。自分の記憶から消そうと思っても消えません。
飲料販売会社の情報システム部の課長から「親会社のプロジェクトとして新規にサーバーをデータセンターに設置する検討が始まりました」という連絡がありました。データセンターに飲料販売会社のコンピュータを設置してから4・5年後だったと思います。結構な規模の開発案件とか親会社の案件とか、成長している会社というのを感じさせられました。
東京地区にある子会社のコンピュータを集約するもが目的ということで、当時としては大きなサーバだと思いました。最初から飲料販売会社の親会社と長い付き合いの或るコンピュータ会社がつるんで決めた話らしく、システム構成とか、構築するベンダーも全て決まっていました。決まっていないのは、そのサーバーの置き場所だけでした。当然ながら、飲料販売会社の親会社と昔からの付き合いの或るベンダー2社と私の勤務する会社との3者競合になりました。すでに飲料販売会社とは契約を締結しているので、それが足かせとなりましたが、今回は競争なのでそうも言っていられないので子会社との契約金額よりは安く提示して結果として一番札で受注することが出来ました。
ここでまたもや社内では「費用が安い」と文句を言い出したのは、例の通信会社の設備工事でそりの合わない技術者でした。この人は文句ばかりを言う係のようで、営業部で私が一人で活躍するのをねたんでいる営業マンの代弁もしているのだろうも感じました。
この会社で何時も思ったのは「そんなに気にくわなければとっと自分で断ってこい」という感情が時々出てきたことでした。自分では何もしないくせに文句ばかりをたれるのが社風のようにも思えたのでした。
これは、何もしないのが一番というという減点主義の社風が染みついている古参の社員だからの発言でしたが、そもそも自分の会社以外の他人に営業とか仕事をするとはどういうことか全く理解が出来ないのだろうとも思いました、そういう社風はその時の新入社員に受け継がれて営々とつづいているので、今でも幹部職員がお客様の前で平気で前言を翻すなんてことが行われるのだろうと思います。

データセンターが私の勤務していた会社に決まると、私もプロジェクト会議への参加を要請されて導入準備の作業を担当しました。一番の問題はサーバー導入の工事費用で、お客様の担当者からは「うーん」とうなられて高いという意思表示がされました。この工事費用の折衝だけのために、飲料販売会社の親会社のある大阪の事務所まで、鬱陶しく思いをしながら何回か足を運ばざるを得ませんでした。これも設備担当の技術者から高い金額の見積金額を出され、お客様からは不評を買いというので板挟みになるのでしたが、色々と画策して何とか少しは費用を押さえる案で妥結しました。事あるごとに、社内では何かある度に嫌がらせのような事をされているような気分になることが多く、まあ仕事をしないのが一番の幸せなのかなと思うことも度々でした。

この時は飲料販売会社の親会社の役員がデータセンターを見学に来るというので対応が大変でした。こういう場面では、営業部長は何も出来なくて同席しているだけでした。親会社の役員の中でも社長と姻戚関係があると聞いて、特別な役員だと思うと余計に心配になりましたが、その役員は鷹揚な人だったのでそういう特別な気遣いは不要だと後でわかりました。
通常のデータセンター見学のコースを案内し、飲料販売会社のコンピュータが設置してある場所では、隣に新しいサーバーを設置しますという説明をして終わりました。見学後に役員から何か文句でも言われたら困ると思って、前日に私が掃除とか整理整頓をしていたことが幸いしたのかどうか分かりませんでしたが、杞憂に終わりほっとしました。
しかしながら都内でも不便な場所柄、帰りのタクシーを呼んでも直ぐに来なかったので、いらいらしました。データセンターの玄関でタクシーで見送った時には、飲料販売会社の異動したばかりの「さわやか」を売りにしている情報システム部長も一緒に乗り込んだので、その後の対応は情報システム部長がしてくれたと思うと安心して送り出せたと思いました。
この新任の「さわやか」を売りにしていた情報システム部長は、前任者の部長の異動がどういう理由で行われたのか十分に理解していたと思いました。当然ながら、この役員が「今度国立でラグビーがある」と言っただけで「私も行く予定ですよ、はい」と間髪入れず答える場面などを目にしていると気遣いは相当だなと感じさせられた時が何度もありました。ある意味では相手の気持ちが分るという点では、前任の部長が少々意固地だったのに比べると柔軟性があると思いました。役員がデータセンターから帰社する時も、当然ながら面倒を見るというのは自分が担当だというのでタクシーに一緒に乗り込んだのだと思いました。

赤坂の親会社で、システム開発完了とサービス開始パーティがあるというので営業部長と一緒に訪問しました。何時ものプロジェクトメンバーに加えて、データセンターに来訪した役員に加えて常務も出席していて驚きました。自分の勤務している会社では役所体質で、役員は部下を従えてという風になるのですが、この会社では少し雰囲気が違いました。
営業部長が常務に向かって「何かあればデータセンターには車で来てさい」と常務という役職を意識して気遣うような話しぶりをすると、当の常務から直ぐに切り替えされて「私はチャリンコで行きますよ」と言われて、ぎゃふんとなり何も言い返せなくなりました。
一方、社長と姻戚関係のあるという精悍な顔つきの役員に対して、ある外注会社の社長が親しくつきあいたいというような素振りで「一度ごっいしょに飲みたい」と言うのを横で聞いてたのですが、その役員が「うちの会社で飲むと言えば朝まででっせ・・・」と言われて、その社長は返す言葉がなくなって黙り込んでしまいました。接待といえば10万円もかからないようなイメージで問うたと思われますが、役員のイメージではそんなもんではありません、何十万円も準備して持ってこいというように私には聞こえました。会社というものは仕事が第一という普通の考え方をする会社だと理解した場面でした。
営業担当が私から替わった後は、何かにつけて自分の会社の流儀で、体面ばかりを繕うような対応をするのを横目で見ていました。案の定、この会社との取引はどんどんと少なくなり、理由は何時も相手が悪いという報告を社内でしている始末でした。
飲料販売会社の親会社の出張から帰って部内で報告をしました。私の勤務していた会社は、元々親会社の情報システム部が分社した子会社というのでシステム開発は得意なはずだろうと思っていたら「そのパッケージは親会社の新規事業部門で扱っているから、そこに連絡を取っては・・・」という反応でした。何となく難しそうな「販売予測パッケージ」というのが引っかかったのだろうと思いました。営業部長としては何となくきな臭いにおいのするものは避けたいという自己防衛反応が出たのだろうとも思いました。会社の体質として減点主義なので何もないのが一番良いというのが自然にでる会社なので仕方なかろうとも思いました。

余り乗り気もしませんでしたが、自分が異動前に仕事をしていた親会社の新規事業部門の営業に声をかけてから、再び大阪の飲料販売会社の親会社を訪問しました。当時の私の直接のお客様である飲料販売会社の親会社と自分の異動前の親会社とを結びつけたのは何となく面白い構図になりました。
再び大阪を訪問して親会社の担いでいたパッケージを紹介すると好評でした、というより「何とかお願いします」という言葉がその時にも出てもう発注は決めているような感じでした。
その後、このプロジェクトは全社プロジェクトで大阪だけで無く東京でも参加する社員がいて、東京中心に活動するということになりました。この時、飲料販売会社の情報システム部長もメンバーになっていると聞いて「ご支援をお願いします」とお願いに情報システム部長を訪問すると「はいはい、分かりました」と快諾を頂きました。
以後は赤坂にある親会社の東京事務所に集結していたプロジェクトメンバーを、親会社の新規事業部門の営業マンと一緒に訪問しました。プロジェクトメンバーから「このプロジェクトはシステム開発だけでなく、物流センター建築なんかもあり大きなものです」と解説されて何となく理解ができました。彼らからすればシステム開発は素人なので、飲料販売会社に出向していた常務や情報システム部長から「面倒見のよい会社だから」というのを鵜呑みにしてシステム開発はさっさと任せたいのではないかと思えました。
この赤坂の事務所には何回も訪問して提案書の説明や質疑応答を行いましたが、そういう状況なので、強い抵抗や採用に対する疑念もありませんでした。赤坂の事務所で飲料販売会社の親会社のプロジェクトメンバーから「それでは最終見積書を提出してもらえますか」という段階になるまで私が親会社の新規事業部門の営業マンをエスコートしました。そして最終見積書提示依頼をうけて「そちらだけで対応してください」と親会社の営業マンに言って赤坂見附の交差点で分かれました。
その後、聞き伝えでこの案件を親会社で受注したというニュースが噂で流れてきましたが、紹介をした親会社の営業マンからは何の連絡もありませんでした。親会社の新規事業部門の営業部はそういう態度だったので、システム開発後には評判が悪くなり、以後何も継続して発注ももらえず尻切れトンボに終ったのでした。他人の力を借りて注文をもらったお礼を言うというのは、気遣いというようなものではなく、常識といえるような類いだと思いますが、そういうことが欠如していることに誰も気づいていないという体質があって脈々と続いているという風に感じています。
親会社の新規事業部門では1億円を超える案件だったので、自分の自慢や業績評価を高めるために、あたかも自分たちだけで受注したように報告をしていたのだろうとは容易に想像ができましたが、そういう了見の狭い連中の集まりのなのでそのパッケージ販売も自然と終息し、事業部門の業績も落ちていきました。
飲料販売会社の情報システム部長が交代してからしばらくして、突然この飲料販売会社の親会社の情報システム部から「今度、販売予測のパッケージを導入したいので提案してくれませか」という電話が私にありました。多分、飲料販売会社の情報システム部の誰かが私の名前を親会社に知らせたのだろうと思いました。唐突な電話だったので私も何の事かよく分からなかったので、とりあえず大阪の本社を訪問して状況をヒヤリングしました。

私の担当するデータセンター営業では在京のお客様が相手なので出張などということはありませんでした。大阪へ行けるというので、前日午後に東京を出て、大阪にある支社には新規事業部で顔なじみの男がいたので、当日はその男に面会しました。新規事業部門の欲深い部長の下で、口先だけで泳いで仕事をしているふりをしていたような男だったので、ストレスのたまった私とは相性があったようでした。
当日は大阪のビジネスホテルに宿泊し、翌日朝は飲料販売会社の親会社を訪問する午前9時30分までは、早朝の大阪の繁華街をぶらぶらと歩いて見学をしました。早朝なので閑散として、昨晩の喧噪の抜け殻みたいに見えた町筋でした。酒を飲めない私には、そういう町並みを見ながら、夜の町を想像するのも面白いと思いました。
その後、風情のある大阪市役所付近をぶらぶら歩いていると、通勤客が足早に歩く波が現われたので、そろそろ自分の仕事もしなくてはいけないかと覚醒されて、そこからほんの近くの飲料販売会社の親会社に地下鉄で行きました。
その親会社は川の直ぐ横にあってえらく古びた建物なので驚きました。受付には人もいなくて、古い型の電話機が一台置いてあるだけでした。見栄をはって美人の受付嬢をおくようなことをしないのは如何にも大阪商人らしいと感じました。

親会社の情報システム部の担当者とは、古びた親会社の地下の会議室で打ち合わせをしました。相手からは「XXXさんに何とかお願いしたいので・・・」という口調にひどく驚かされました。相手方はもう私の会社に何とかしてもらおうと思っているらしいと感じました。この会社には大手コンピュータ会社が古くからのつきあいで合弁会社も作っているような関係だったので、普通ならばそういう会社を優先するのではないかと考えたからでした。そういう会社に色々問い合わせても満足するような回答が無かったのかも知れませんでした。
東京へ帰る新幹線の車中で、お客様の好意ある発言を振り返って色々考えました。そうすると、データセンターを決めてくれた、親会社から出向していた飲料販売会社の常務や情報システム部長がことあるごとに、親会社の情報システム部に私の勤務していた会社の良い情報を流してくれていたのではなかいと思いつきました。真面目な付き合いは当然ながら、ソフトボールの懇親会などというのも、取引だけに偏りがちな関係だけではない個性的な会社という評価もされて好評価をされていたのだろうと思ったのでした。
飲料販売会社のシステム開発はほぼ予定通り終了したときには、情報システム部長が交代しました。データセンターを決めた小太りの恰幅の良い部長は小会社の熊本支店長として異動になりました。これは以前にも書いたとおり、親会社の意向に従わなかったということが理由であったらしいということでした。次の異動になったのは、親会社の情報システム部から来ました。新任の情報システム部長は、関東出身で関西には単身赴任していたということでした。高校時代はバスケットをしていたというだけあって背の高い頑丈そうな体の若い人でした。社内の会議でも自分から「さわやかでしょう」と言って、さわやかを売り文句にしていました。

新情報システム部長が異動になってから、私が勤務していた会社の関西支社で開発したシステム開発も終了したので打ち上げをしようということになりました。
最初は新宿の飲み屋の一角を貸し切りました。総勢30人以上はいたのでわいわいがやがやと賑わっていました。関西支社のシステムエンジニアも10人くらいはきていたと思いますが、お客様の方が大勢でした。飲料販売会社の情報システム部では、こういう飲み会が少ないのかなとも感じたほどにお客様はおおいに盛り上がっていました。
当然二次会というのでカラオケに行きましたが、この時は私一人と後は全員が情報システム部員というような組み合わせでした。酒が飲めない私には単にお付き合いというような意味合いしかありませんでしたので、カラオケ店では早く終らないかなと思っているばかりでした。下手な歌も歌い終わってカラオケ店をでたのが午前0時くらいでした。当時はそんな時間でも飲み屋街はネオンが輝いていて、酒の好きな人は夜明けで飲んでいられるくらいでした。
私はもう帰りたい一心で、これ以上お付き合いはできないなあと感じていました。その時に若い女性が「おいしい焼き鳥が食べられる店があります・・・」と新任の情報システム部長に懇願していました。私はさすがに「済みませんがここで失礼します」と言って逃げるように帰宅したのでした。「さわやか」を売りにしている新任の情報システム部長は困惑した顔をしながら、その女性の行きたいという店に行ったようでした。
その時の感想は、情報システム部長は部下のためにある程度の小遣いをもっていないと勤まらないのではないかと思いました。支払いもある程度は私が負担しましたが、その時の情報システム部長の財布は札束で相当に厚かったというのが記憶に残っています。
新宿の飲料販売会社からは、我が社では何でもやりますという宣伝文句を真に受けられて、ソフトウエアの販売だけで無く、システムの開発をしてほしいという要請を受けました。この会社にはコンピュータ会社の肝いりのシステム開発会社が専属でいましたが、私の勤務していた会社の関西支社で同様のシステムを開発した経験があるというのを提案書に書いて提出したら、お願いしますと言われたのでした。多分提案時のシステムエンジニアの口が軽くて響きがよかったのではないかと思いました。総額は1.5億円くらいの規模でしたので、当時としてはまあまあの開発規模でした。

システム開発の最初はお客様のビジネス理解というので、このシステム開発のために営業部門から異動になった課長が講義をしてくれました。私は営業マンでしたが、こういう話が好きで毎回出席してはシステムエンジニアを差し置いて質問攻めをしていました。
この時の開発のマネジャーは提案したときの色黒の口先が軽い男でした。私も何だか軽い男だなと思ってしばらくは様子を見ていると、仕様書をまとめる段になって毎週報告があるたびに、人手が足りないので増員しますとお客様の前で唐突に発言するので、私は何時もどきどきとしなくてはならない事態になりました。しばらくすると、この男の上司が現われて「これではプロジェクトがだめになるので、マネジャーを変える」と言って体制を変えました。軽そうなプロジェクトが親会社同様の重厚なものに代わったのでした。しかし、この判断は正しかったのはきちんと計画通りに見直したスケジュールで完成したことで証明が出来ました。

このプロジェクトを始めると、当時のある支店で大形のシステム開発案件で大赤字を出した事があって、事業部長が自分の事業部を通して最後に赤字でもなって責任をとらされるのは嫌だと思ったらしく「システム開発というのは危ないから手放さないか」と暗に示唆されたので私は「事業部長判断であればそうしましょう」と嫌々ながら、開発元の関西の支店の営業マンに仕事を渡したのでした。
この会社では、このシステム開発とデータセンターのアンテナ鉄塔の案件を心配だからという理由で私が受注したにも関わらず手放しました。
仕事というのは何でも同じで、きちんと正しく進めれば何もトラブルなど起きないのですが、マネージメント能力や経営感覚が不足していたりすると失敗します。そういう理屈が分からず「何となく不安」という風にしか感じられない程度の能力の人が組織の幹部となっていたことが、こういう結果になったのだろうと思いました。当時から現在に至るまで、そういう慣習は脈々と会社に引き継がれていると思います。

一方、飲料販売会社のプロジェクト課長は現場の営業出というの売りにしていたので、見積書を細かくするように依頼してきました。システムエンジニアの単価に工数を掛けると、1円単位の端数がでるのですが、プロジェクト課長は「我が社の現場では1円どころか銭単位になることもあるくらい厳しいです。当然1円単位で提出して下さい」と能書きを言われて見積書の金額は1円まで正確に計算して提出しました。当然ながら計算間違いもでるので見積書の提示も何回となく再提示になったのでした。
このプロジェクト課長は趣味が釣りだというので、懇親のソフトボール大会の時にもちゃんと釣り竿を持参していて、ソフトボールも終りバーベキューも終って皆が帰る時に、途中にある汚い川の橋のたもとで釣りを始めたので驚きました。当人曰く「日本で一番趣味人口が多いのが釣りですよ」と解説されて教えられたのでした。その後に駅の新聞売り場に釣り新聞なんてものを目にすると成程つりが好きな人が多いのだと思い知らされたのでした。
新宿の飲料販売会社のコンピュータをデータセンターでお預かりするようになってから1年ほどした頃、最初に情報システム部長と一緒にデータセンターを見学に来た社員から「先日、ディスクを増設するのでユーザー見学に行きました。その時に、そのユーザーさんからシステムエンジニアを派遣できる会社があったら紹介して欲しいと言われました。丁度お宅の会社を思いついて、可能であれば連絡がいくようにします、と答えておきました」という話を聞かされました。

最初はどんなものかと少しばかり腰が引けましたが、最初は話だけでも聞くというので私一人で天王洲の会社に行きました。日本でも有名なスポーツグッズの会社でしたが、受付には人もいなくて置いてある名簿から担当者に直接電話をするというものでした。
電話をかけて受付に出てきたのは、しっかり者の様な感じのするかわいい感じの女性でした。靴にこだわりがあるのか何時もきれいなぴかぴかの靴を履いていたのが印象に残りました。この女性から、3人ほどのシステムエンジニアを派遣してほしいという要件を聞きました。システムエンジニアのスキルよりも費用条件が悪くて安すぎるので対応ができるのか心配になりました。その場では断れないので「後日検討して回答します」ということで会社に持ち帰りました。
会社の派遣担当の男に条件を伝えると、社員では対応が出来ないので安い外注との組み合わせならば可能でしょうという話を受けて、再度天王洲の会社に派遣担当の男と一緒に訪問しました。
今度はかわいい女性と共に現われたのは背の高い男で手の先がカエルの手先のように丸く出っ張りのある男が一緒に出てきて対応をしました。条件通りにシステムエンジニアは派遣できますと答えて、その後システムエンジニアの経歴書なども見てもらい採用になりました。
最後は責任者が出てきますというので面会すると背の高い好青年のような人でした。全般的に若い人ばかりの会社のように思えましたが、室内で打ち合わせをした後にオフィス内を通ると、米国流に一人一人のスペースは全てパーティションで区切られていたので驚きました。孤独に仕事をするというやり方だというのを教えられました。又、後ほどに色々と話をした時に聞くと、情報システム部の社員は全て転職組だというのが分かり、これも驚きのひとつでした。
この会社は、それから数年後には派遣するシステムエンジニアも増えて10名ほどになったのが最高潮の時でした。それに加えて、米国にあるコンピュータの開発者との打ち合わせもあるというので、派遣されているシステムエンジニアは米国まで行くことができて良い経験ができたと思いました。
頭の悪そうな顔の事業部長が、私を異動させようとして全てのユーザーを外した時以降、この会社の担当営業はシステムエンジニアの派遣費用が合わないということで最後は辞めてしまいました。営業の担当の折衝力とか社内の采配の振り方でこんなにも差が出るものかと思いました。

私がこのユーザーを担当していた時は、毎年忘年会だけで接待していました。外資系の会社で業者からの贈り物や接待は禁止されているようでした、というよりも業者と癒着していると思われるのが困るという社風でした。お世話になっている手前、御礼をしようとしても断れたりしたことが多々ありました。それでも年一度の飲み会というので、責任者の許可ももらって浜松町の中華料理屋で忘年会を開きました。この中華料理屋は転職前の会社の接待でも使ってなかなか美味しいというのを知っていたので使ったという経緯があります。ツバメの巣や北京ダックが美味しかったように記憶に残っています。
この忘年会には因縁があって、一度情報システム部長も参加したいという希望があって招待しました。米国人だったので驚きましたが日本語は普通に出来ました。後にこの情報システム部長が、私が担当していた通信会社の社長に転職したときは本当に驚きました。私の見立てではそれほどの切れ者では無いと思えたのですが、外資系の会社では、コネに加えて外見が良いとか口先がうまいと採用されるので、多分そういうことで転職できたのだろうと思いました。

又、最初に出会った担当のかわいらしい女性とは何度も事務所で話す内に段々と仲良くなるのは当然でしたが、そのうちに女性は結婚もして子供も旅行中に作ったとか聞いていました。私の勤務していた会社から言われた色々な仕事上の無理も通してくれたのも、そういう日頃のお付き合いがあったからだろうと思いました。昼ご飯くらいはごちそうさせて欲しいと思っていたのですが、業者との癒着を見られると困るというので最後まで一緒に昼ご飯を食べられなかったのを残念に思っています。
飲料販売会社の仕事が段々と増えると、データセンターにも新しいサーバーを設置するので、賃貸エリアのみならずオペレーションや細かい仕事の受託が始まり月々の契約金額も自然に増加していきました。私は自分の勤務している会社が、親会社の仕事を受託すると同じ流儀で他社の仕事をしようとしているのに非常に違和感を感じていたので、私は自分の受注した客先に対しては客先の時由を理解しながらお付き合いをしないと長続きしないだろうと感じていました。

お客様と仲良くおつきあいをするというためにしたことは、転職前の会社では酒の飲み放題とかゴルフとかきわめて普通なことしかしてきませんでした。それに加えて、せいぜい客先を訪問するときにケーキを持参するくらいなものでした。
私の勤務していた会社のデータセンターのオペレーションをしていた年配者と話をすると、高校時代には甲子園を目指していたという人もいたので、ソフトボールで懇親の試合をやれると思いつきました。異動前の親会社の新規事業部門では、何回か職場の懇親でソフトボールの試合をしていた経験が、この時よみがえってきました。その時は毎日の営業活動で疲れているのに無理矢理参加させられていたという被害者意識が濃厚でしたが、この時は積極的にその経験を生かそうと思いました。
初めはデータセンターの近くに親会社の野球場が遊び場となっていたので、その場所が最初のソフトボール大会となりました。
私は元々運動オンチでバットと体が一緒に動くので担当営業として義理の一打席くらいしか出ませんでした。それよりもカメラの趣味を生かして、出場者の打席の場面を撮影する方が主な仕事でした。

休日の午前中はソフトボールを2試合もすればお昼になるので、試合が終ると道具を片付けてから、同じ野球場の片隅にあった藤棚のある休憩場所でバーベキューを行いました。最初は酒や肉も全部私の勤務する会社で提供していたのですが、2回目以降は飲料販売会社からビールやアイスクリームを提供してもらうようになり、飲む量も食べる量も増えました。
ソフトボールの試合の前日には肉屋からデータセンターに肉の塊が届けられて、データセンターのオペレータが肉を切るのが仕事となり、いつの間にかデータセンターのオフィスに肉切り包丁が何本かが常備されるようになりました。
最初は飲料販売会社のメンバーも情報システム部長に誘われて嫌々ながらの参加のようにも思えましたが、ソフトボールよりも終ってからのバーベキューが楽しみで自然と参加するメンバーも増えていきました。頻度は年1回という年もあり、2回という年もありました。仕事のストレス度合い、トラブルが多い時には余計にそういう機会を作って、担当者同士の意思の交流をしようという目的もありました。
ソフトボールの試合はデータセンターの3交代勤務のオペレータが徹夜後に参加することもありましたが、仕事疲れも知らずに年配ながら元甲子園を目指していたメンバーのいるデータセンターチームが、若い人ばかりの飲料販売会社を圧倒していました。

ソフトボール大会は営業部長や事業部長は殆ど参加することがなかったのは、私が全て企画するし、試合の主体は現場の人たちばかりと、自分の出番がないのと元々現場を軽視していた営業部長や事業部長には煙たい事に思えたのだろうと思いました。
最初は私の勤務する会社でばかり試合の企画をしていたので、飲料販売会社が主体でソフトボールの試合をしたいというので、荒川の河川敷にある場所を借りて試合をしたこともありました。その時もちゃんとバーベキューがセットになっていましたが、肉の量が少ないなと思い遠慮して余り食べませんでした。その時は誰でもこういう事を思いついて、商売にしている人がいるんだということを気づかされました。
親会社の業績が悪くなって運動場が売却されたりすると場所がかわり、最後は井の頭沿線のラグビー練習場を借りて行いました。場所はラグビー練習場なので芝を荒らすなとか色々の注意事項がありました。ここの管理事務所の屋上に1メートル四方位の大きな鉄板があって、肉や野菜を焼いてバーベキューをしました。
この場所も最後は売却されて、ソフトボールをする場所が無くなり、それからしばらくしてから私は頭の悪そうに見える事業部長が私を異動させようとして飲料販売会社の営業担当を外したのでした。
以後は20年ほどは、この飲料販売会社と取引が続きましたが取引額は年々落ちて行ったのは、定型的にしか仕事をできなかったことの証だろうと思いました。
飲料販売会社のコンピュータがデータセンターに設置されると、オフィスにある情報システム部とデータセンターとの業務連絡が段々増えてきて、情報システム部長から2名のシステムエンジニアをオフィスに派遣して欲しいという依頼がありました。この飲料販売会社は業績がうなぎのぼりで増えていて業務も多忙を極めているという事情もあるようでした。

私の勤務していた会社の技術部門では外注のシステムエンジニアを専門で探す人がいました。飲料販売会社の利用しているコンピュータ会社の技術が分かる人は既存の外注のエンジニアの中にはいなかったので新規に探す必要がありました。
苦労して何とか候補者が現われたので、私も同席して面接を行いました。お客様は未だお付き合いを初めて間もないということと、私の勤務している会社では客を客とも思わない体質だったので、余計に心配になり同席しました。仕事の内容よりも、最初にお客様に対応できるかというのが心配でした。
面接の当日実直そうな2名が現われて、経験もかなりあるという話も聞いて安心しました。その後、情報システム部長とも面接をして合格をもらいました。
その後費用折衝も終わり、いよいよ派遣する段になって私がお客様に行って派遣したエンジニアの顔を見ると違うような気がしました。
会社に戻ってから外注エンジニアを採用する担当者に質問すると「いや、実は面接した時は本人は病気で来れないというので代理人が来たのですよ」という話を後講釈されたのでした。
最初から代理人面接という事情を説明してくれれば不思議に思わなかったことでも、少しの説明不足で疑念が出たのでした。その後、派遣している本人にもそういう裏事情を話すと「ああ、済みませんでした。突然の事故で骨折したのが悪かったですね」という返事がありました。
しかしながら、このエンジニアはお客様との対応も良く、技術的も経験豊富で、以後20年位このホストコンピュータを使っている間はずっと派遣をされていました。私は気になって、別人に代わっているのかなと思って「あのエンジニアは・・・」と外注のエンジニア管理者に質問したことが何度もありました。
当時は神田にあるホテルの2階が宴会場でした。主人が酒にこだわり、料理も凝ったもので中々においしいものでした。魚料理が主で、刺身は言うに及ばず、すっぽん鍋とかあんきもがおいしかったと記憶しています。
飲料販売会社の常務と情報システム部長を忘年会に接待するのは恒例となりましたが、初回には色々な話を聞かせてもらいました。
常務は元々親会社で部長さんをされていたらしいのですが、本人ではなく部長さんから「毎日ウィスキーを飲みながら夜遅くまで汗をかいていましたよ」と苦労談を聞きました。同族系の会社なので、外目でみるよりも社内ではかなり厳しいことを言われるんだなと知りました。先日もその会社の創業者の記事がでていましたが、顔は笑っていても目は笑っていないと評されていました。常務さんは、きわめて生真面目な人で、60歳も近いのに単身赴任して自分で料理をするというような人でした。

話題の中で「データセンターは内定していたのに当社に決めて頂いたのは・・・」という話題になった時に、常務は「もう一つのデータセンターに行ったときに帰り際にタクシーで料亭まで連れて行かれて、あっしまったと、思いましてね」という感想を述べました。その後、情報システム部長にはそのデータセンターの稟議書が課長から上がっていてはんこを押して手元にとどめてあったところに私がたまたま訪問したという事が判明しました。決めようとしていたデータセンターは商社系だったので、商社マンらしく受注前に接待してお客様を取り込んでしまえという風に考えたのだろうと思いますが、それが裏目に出たのでした。
私はコンピュータ営業を担当してから、受注前の接待は禁止と教育を受けてきたのですが、外資系や商社系のコンピュータ会社は受注するためにはなりふりかまわず、金を渡す、接待する、その他あらゆる手立てを使うのを目にしてきたので、このケースもそういう風に動いたのだと聞いて違和感はありませんでした。しかし常務さんにとっては迷惑だったので悪印象をもっている所に、もっとよさそうなデータセンターが突然現われたので乗り換えたということでした。

この時常務の説明では、飲料販売会社の親会社の親戚が新潟で酒屋をやっていて、XXという銘柄の酒を小さい蔵元なので地元だけで販売していますという話題になったのを店主が聞きつけて、「XXならあります」と言って持ってきたので席が盛り上がりました。店主が全国を巡って集めていた地酒だったそうです。何かに付けこういう事が起きるのは因縁というものなのかと感じた時でした。