飲料販売会社には何かにつけて訪問をしていたので当然ながら情報システム部員の担当の方々とも仲良くなっていきました。電話で何事も済ますようなことは性格が許さないので、対面して話をするというのが私の仕事のスタイルでした。転職前の会社で鍛えられたのが、転職して役に立っていると感じました。
データセンター営業の営業マンの電話の受け答えも、年配だけに気遣いなんかするものかという態度で、お客様からの電話でも「はい、xxです」と答えて社内同様の扱いでした。電話の相手が驚くようなものでしたが、そういう程度の相手がユーザーとなるのかなと思ったものでした。

私自身は酒が飲めないので居酒屋で話をする機会は殆どありませんでしたが、飲料販売会社に行っても用件を済ませてかえるだけのようなことはなく、色々な話をしてしらふでも十分に相手を理解することができました。
情報システム部長とは年が1歳違うだけと分かると、それだけで親しみが出て余計に色々と身上なんかを聞きたくなるので、仕事の話が終ってもそういう世間話の方が長いくらいでした。
あるとき、部長がスリッパを履いていたの見て私が「靴下が破れてませんか」というと「そうですね、こういう時はマジックで靴下の穴のあいた足の場所をぬるんですよ、はははっ」という人でした。お酒は「塩だけで升酒を何時までも飲むのが好きです」というので、下戸の私とは対局にある人だと分かりました。当然ながら、会議でどんなに話が盛り上がっていても部長は酒の飲めない私を定時後に連れ出そうという事はありませんでした。
実家は大田区で町工場を営んでいたというのでお金はあったらしく、学校も私立中学から大学まで通ったいうことでした。東京の町工場地帯なので緑が少ないので鉢植えを家の前に置いたとかいうような話もありました。飲料販売会社の親会社に入社して、酒を夜更けまで飲んだら出社は遅れても許されましたというような、普通では考えられないような体験談も聞いて、笑い話ながらも驚かされたのでした。
当時はコンピュータ用の磁気ディスクも重量があり「何時も、よいっしょ、と言いながら電算室の中で運んでいました」という重労働をさせられたという話も聞かされました。
赤ら顔の丸顔で太った体質でした、人は良さそうでしたが、実際は中々に気骨があって、それが災いして異動になってしまいました。

その異動は、この飲料販売会社の親会社の保有しているコンピュータは同じ会社のコンピュータだったので、親会社のコンピュータを使えという話だったそうです。親会社は大阪だったので仕事がやりにくくなるという立場から断り続けていたら熊本支店に異動になって定年まで過ごすことになりました。課長さんの話では「子会社の情報システム部員の心情を理解しすぎたんですよ」という解説も聞かされたのでした。
この部長さんには私が50歳の時に自費出版した本を渡したのが餞別になってしまいました。かなりの親密度を私は感じていましたが、熊本異動後は一度もお会いできなかったことを残念に思っています。
飲料販売会社のコンピュータがデータセンターで運用が開始されてから半年も経たない時に、情報システム部長から「あなたの説明ではコンピュータも販売しますと言っていましたが、ホストコンピュータの見積もりはもらえますか」という質問をうけました。勿論私は大丈夫ですと回答はしたものの不安はありました。転職前の会社ではホストコンピュータの営業マンだったので特に違和感がありませんでしたが、勤務先の会社では余りお付き合いの無いコンピュータ会社だったので一抹の不安がありました。

情報システム部長はすでに見積もりを入手していたと見えて、金額を消した構成表のコピーを私に手渡してくれたので、この情報をコンピュータ会社の営業マンに手渡すだけだったので簡単でした。自分で構成を考えるとなると勉強からしなくてはいけないと内心不安だったこともあってほっとしました。
コンピュータ会社から見積書をもらって情報システム部長に提出すると「おや、お宅の方がやすいですね」とにこにこしながら答えました。その後、自然に当社に発注しようという段になってざわめきが起きました。
情報システム部長は新しいコンピュータは、私の勤務する会社から購入することに決めたとコンピュータ会社に通達してから騒動が始まりました。
普通はコンピュータ会社では同じ客先には見積書は一通しか出さないのが原則なのですが、このケースの場合は飲料販売会社の営業マンと私の勤務する会社の営業マンとは全く社内で情報共有がされておらず、違う案件と認識されたようした。私の勤務する会社の営業マンはめったにない私の見積もり依頼に、おいしい話が舞い込んできたとばかりに喜んで見積書を提示してきたのでした。
最終的にはコンピュータ会社の中で飲料販売会社の意向の通り、私の勤務する会社に販売するという結論になりました。コンピュータ会社の二人の営業部長がわざわざ来社して、私の前で「お先にどうぞ」と結論を説明するのを譲り合って、嫌な役柄だなというのをそういう表現で見せていました。
結論から言えば素人の営業部長や技術部長には何の相談もなく、私自身の経験だけでさっさと片付けた事で、コンピュータ会社内で情報が共有される前に見積書が作成されたのが成功要因でした。こういう事は良いことなのかどうかは意見が分かれるところですが、飲料販売会社にとってはコンピュータ会社から高値で見積を提示されたことで不信感を持ったと思います。これはコンピュータ会社の営業マンの儲かるという意識でしか見積書を出していなかった結果でした。素人営業マンの陥りやすいケースですが、見積もりを出すときはメリハリをつけて出さないといけないと自戒もさせられた一件でした。

この1件があってから、別のソフトウエアの合い見積り依頼も出てきました。私の勤務する会社の得意とするソフトウエアだったのでかなり安値で提示して、これも初回受注してから以後20年も継続して販売をすることができました。
以降も情報システム部長の信頼は厚くなったと感じるようになり、この会社とは親近感をもってつきあえるようになりました。
他社データセンターを上申した課長と私の勤務していた会社のデータセンターに決めた部長との間の軋轢は埋まらなかったものとみえて、新宿西口にあったコンピュータをデータセンターに移転してから2年ほどして、情報システム課長は大阪に転勤することになりました。普段は私に対しても警戒してなかなか話が弾まないのに、転勤が決まると「大阪で新しい事務所用のビルを探してくれないかねと言われたんだけどね、腕の見せ所ですかね・・・」と異動は大阪支店の総務課長というので、嬉しいというような感じでありませんでした。情報システム課長の家は、東京の東武東上線沿線に実家があって親と一緒に住んでいて、会社には実家から通っていたので楽をしていました。本人もまさか大阪転勤になるとは夢にも思っていなかったと思いますが、単身赴任になるので生活ががらりと変わったと思います。と言っても本人からそういう感想を聞いたのではありません、この会社には以後も出入りをしていたのですが、その後一度も会うことがなかったので、私からすれば消息知れずということでした。
後任の課長は人の良さそうな髪が薄い人でしたが、費用については相変わらず厳しく査定されました。それでも相談には応じてくれたのが幸いでした。何事もこの新任課長と二人で対面しながら、費用を決めるとか資料の体裁とかを打ち合わせができたので、厳しいなりに対応は楽にできました。人間的にも普通の人だったので直ぐに親しくなり、社内の動きをいち早く教えてくれたので営業面では助かりました。私の応援団みたいな動きをしてくれたので、会社を訪問するときは個人としてお土産を持参するような関係になりました。

新宿西口のビルに設置してあったコンピュータをデータセンターに移すと、後はオフィスのみが残り容易に引っ越しができる準備が整いました。元々そういう計画を考えていたのだろうと思いました。常務の話では、同じ家賃でスペースが広くなるのでメリットがありますと言っていました。オフィスビルの選定は常務自身が行っていると聞きました。そういう後姿を見ていると、役職に関係なく仕事をする会社だというのを理解しました。やれる人がやるという精神で、上り調子の会社はこういうところが、自分の勤務する役所体質の会社とは違うのだというのを認識させられました。
新しいビルは新宿駅南口の新築ビルでした。このビルは私とっては変な因縁があって、転職前の会社で私のお客様であった長野県の電気会社の支店が入っていました。長野県の電気会社も楽をしてコンピュータシステムの注文をもらったわけではなかったので記憶に鮮明に残っていたのです。その電気会社の支店を訪問したわけではありませんが、同じビルに自分が開拓した新旧のお客様が入居しているのだと思うと、何とも不思議な気がしたものでしたが、悪い気分ではありませんでした。
飲料販売会社のホストコンピュータのオペレーションを他社から巻き取って自社での運用を始めると色々な問題が発生して悩まされました。現在も同じ事があると思いますが、24時間のオペレーションなので特に夜間のオペレーションは気が緩んでミスが出やすい状態でした。
地方ならいざ知らず、東京という都会の土地柄もあり、データセンターに24時間オペレータとして採用されたのは非常に若い元気のある男たちでしたが、数少ない応募者の中から選ばれたせいか色々と問題がありました。
一番ひどい例は、夜勤勤務の時は昼間に遊べるという理由で働いている男がいました。何時もジープでデータセンターに乗り付けていましたので、変わり者かなと思っていました。しかし、この男は昼間に遊んでいるので肝心の夜勤時にうとうと寝てしまってミスが続き、例の情報システム部長から散々に怒られたこともあり、しばらくしても生活態度が変わらないのでクビにしました。

残りのオペレータも優秀かといえばそうでもなく、オペレーションのミスや単純な仕事の勘違いでトラブルを起こしていました。折角他社からオペレーションを引き継いだのにもかかわらず、当初は毎週のように何か起きるので非常に精神的に参りました。多分そういう気分だったのは私だけで、技術部長や営業部長なんかはそういう事には無頓着だったように思いました、いわゆる他人事で済ませているようでした。
そういう意味でも社内の誰も頼りに出来ないので、私が関係者を引き連れて情報システム部長に謝罪と共に対策を説明するということが1年余りは続いたと思います。そういう事態が続いたので情報システム部長とは仕事とは別に人間関係が出来て、色々と世間話をするような間柄になったのは皮肉なことでした。

トラブルが発生してオンライン業務が出来なくなるというような事とか、請求書を支店に配送したものの宛先を間違ったとか色々の障害が発生したので、今度は客先が作成したプログラムが悪くてもオペレーションのミスがあったのではないかと疑われることもあった時には「あのー、すみませんが・・・」と平身低頭で調査をお願いしなくてはなりませんでした。
そういう事態を経験してから2年も経過すると漸くオペレーションミスも減少していきましたが、無くなるということはありませんでした。そうなるともう仕方が無いと思われて、客先は先手をとって「オペレーションミスでしょう」と言われることもありました。
それでも決然として自信を持って客先とお付き合いをしていくためには、誰よりも自分自身が客先の役に立つと言うことを示さなければなりませんでした。技術力ではつきあいができなければ、営業力でカバーせざるを得ないと悟ったのでした。
平成5年5月には新宿西口のビルからコンピュータをデータセンターに移転し、本番も問題なく開始されました。1月にデータセンターのベンダーを決定してから移転するまでは実質4ヶ月ほどしかありませんでした。受け入れる私の会社は移転そのものの経験が無かったので、まずはコンピュータの移転を無事に行うことしか出来ない状態でした。
この飲料販売会社のコンピュータは、当時としては厳しい24時間365日稼働で、オペレータが2交代勤務で某ベンダーが担当をしていました。お客様の新宿オフィスにコンピュータ室があった関係もあり、情報システム部員とは信頼のある人間関係ができていました。そういう状態でしたので、情報システム部長はオペレーションの業者を変える事に非常に不安感を持っていたようでした。当面は新宿のビルでオペレーションをしていたオペレータを新しいデータセンターでそのまま勤務させて欲しいという要望が出たので、半年くらいは仕方がないけれど最終的には我が社に引き取らせて欲しいという折衝を行っていました。

移転の作業進捗を見ていても営業マンがマニュアルを作っていたりしていたので、情報システム部長が技術面で不安感を持っていたのは容易に想像ができました。そういう意味では私も同感でしたが、自分の会社の立場を考えれば早めに業務交代させて欲しいという事情もありました。
データセンターではオペレーションの受け入れ準備としてオペレータ要員を配置していましたが、最初は横に立って見ていても何も教えてくれないという連絡がデータセンターの管理者から入りました。仕方なく、飲料販売会社の情報システム部長に申し出て、某ベンダーにオペレーションを指導してほしいと申し出たものの、現場では仕事をとられる立場にあったせいかなかなか教えてくれないという状態が解消されませんでした。
この飲料販売会社のオペレーションの一番の特徴は、大量の請求書や葉書を印刷するのが主業務で、請求書は余りに大量で厚さが10から15センチ単位になるので、糊付け機で片面を固めるという特殊なものでした。これは電子帳票になるまで続き、コンピュータ室には糊の独特のにおいが漂っていました。
普通の会社で行われている、オンライン業務と経理の仕組みは朝から晩まであり、そのほかにデータ入力の仕事もあり多岐にわたっていました。

私はデータセンターにコンピュータを移設してから3ヶ月ほどしてから、情報システム部長にデータセンターに入る条件としてオペレータの業務移管があったのでお願いしたいという申し出をしました。情報システム部長は安定しているオペレーション業者を変える事には非常に慎重でしたが、最終的には年末にかけて切り替えるという判断をしてもらいました。その代わり遺漏の無いようにとのことで、重複してオペレーションをするという条件を出されました。当然その重複期間のオペレーション費用は無償ということでしたが、引き受ける側は金よりも早く引き継ぎを得たいという事で一心だったので、社内での了解も容易でした。
この時の情報システム部長は独り言で「入居条件ねえ・・・」と言って無言で何かを考える様子が脳裏に残っているのは、情報システム部長としては相当に悩んだことなのだろうと思いました。
オペレーションの業務移管が決まると、某ベンダーのオペレータも覚悟を決めて業務内容を教えてくれるようになりました。相手の立場も理解できたので少しは申し訳ないような気持ちでした。当然ながら会社の連中にはそういう気持ちは全く無くて、当然であるというような感じでした。
某ベンダーのオペレータの仕事の終了日、データセンターのエントランスでオペレータ業務の責任者とばったりと出会いました。その当人からは「ご迷惑をかけました」と皮肉を込めて言われたのが何とも言えず忘れられません。、飲料販売会社からは絶大なる信頼感をもって仕事をしていたという自負が、第三者によって仕事を断ち切られ、打ち砕かれて無念というものがあったように感じました。
こういう事情でオペレータの交代があったので、何かミスをしたときの情報システム部長の怒りがきつかったのは当然だと思いました。
私の勤務していた会社では、コンピュータ移転なぞという業務は全てコンピュータベンダー任せに行ってきたので、情報や技術は何もありませんでした。それにも関わらず、よくもコンピュータの移転をやりますなんて言ったものだと驚くばかりでしたが、現実にはやらなくてはいけないことになりました。平成5年1月に注文書をもらい、5月の連休にコンピュータの移転をする計画になりました。コンピュータは今では数が少なくなった大型のホストコンピュータで重量もそれなりにあるものでした。

飲料販売会社の情報システム部の課長が嫌がらせのつもりで、私の会社ではなくコンピュータベンダーにコンピュータ移転業務の発注してくれたのは非常に幸いでした。
この時に、私に同行したのは例の通信会社の設備工事を担当していた年輩の技術者でした。技術者というのは名ばかりで、事務屋でも覚えればできるような仕事をしていました。私から見ると年上なのでやりにくいという感じでした。それは通信会社の設備工事については勝手に話を進めたりするので私とは険悪だったのですが、他に人材はいないというので飲料販売会社の移転会議に出席していました。
この技術者は、会議でも毎回発言もなくコンピュータベンダーの技術者の説明を聞いて資料をもって帰るだけでした。しかし、この案件が終了してから、コンピュータ移転のやり方を覚えて、社内外で如何にも物知り気に移転の方法について話すのを聞くと、他人様から無料で教えてもらった事を思い出してほしいねと感じることが何度もありました。そういう態度をとる人間で、髪の毛も長髪にして学者風に体裁を繕っていましたが、私にはペテン師風情にしか見えませんでした。

かくいう私も、この時の資料は他社に参考資料で持参して見せた事がありますので、偉そうなことは言えませんが知ったかぶりはしませんでした。これも後日談があって、私が別のお客様にこの時の移転資料を持参した後、いい資料がありますとばかりにお客様が私の持参した資料をコンピュータベンダーの営業部長に見せたらしいのでした。この飲料販売会社の移転から数年経過した時、別のお客様のコンピュータリニューアル完成パーティの席上でコンピュータベンダーの営業部長とばったり合って、営業部長から「あんたは我が社の資料をXX会社に出したでしょう」と言われたのでした。この業界の狭さを感じさせられた時でした。その営業部長とは20年も経過した今年の3月、私が会社を退職する日に、私の勤務する会社の近くでばったり出会って「あれっ、あの時の・・・」と言われたので余程鮮明に記憶されていたのかなと思ったのでした。

コンピュータベンダーの移転を仕切る技術者も一風変わった人で、栃木弁のような訛りがありました。工事現場や道路工事でよく見かけるパイロンを「トンガリ、トンガリ」と呼んでいました。新宿のビルは繁華街なのでコンピュータ機器を搬出するときは道路使用許可を得るだけでなく、トラックやクレーン車の場所も道路上に確保する必要があったので、そういう場所の境界線にパイロンを置くので何時も「トンガリ」が会議の席上でよくでました。
この会議の席上で、情報システム部の課長が「以前、大型プリンタを搬入する時に、クレーンから機器を道路に落とした事件があったので、今回はそういう事が起きないようにしてください」という注文がつきました。というのは、ビルは元々オフィス仕様なので大きな機器を搬入するようなエレベータも無く、窓から直接機器の搬入搬出を行っていたので慎重に運び出す必要があったのでした。
コンピュータ移転は色々な段取りがありましたが、引っ越しの時は機械を壊さないで丁寧に運ぶことが一番重要です、というのが当たり前の事ですが教えられたのでした。
以後の移転でも何らかの事故があったので、それは言うはやすし行うは難しという典型的な例だろうと思いました。
次に重要なのは天気でした、何せエレベータが使えず窓から機器を出すので、雨が降るとビニールを機器に巻いたりしなくてはいけないので手間や危険性が増すからでした。それに加えて、道路使用許可は繁華街で簡単には変更出来ないという別の事情もあり、天候は天任せにして願うしかありませんでした。幸いにも引っ越し当日は曇りで事なきを得ましたが、当日朝になって雨が降りそうだねとは、情報システム課長が皮肉を込めて言っていたように覚えています。
新宿西口のこじんまりとしたビルに入居していた飲料販売会社のコンピュータ室は、オフィスに併設されていて、冬場には室温を下げるために窓を開放するという非常識な対応も時々するというような状態だったのでコンピュータをデータセンターに移設しようという計画がもちあがったようでした。空調機や電源工事もかなりお金をかけたと聞きました。

私が最初にこの会社を訪問した翌年1月には正式な注文書も受領して成約に至り、その時点で営業部長に挨拶をしてもらったのですが、案の定相手の情報システム部長の反応は何もありませんでした。以後、この客先には営業部長は殆ど行くことがありませんでした、というよりも何も出来ないので役に立たないという事だったと思います。
飲料販売会社の情報システム部長と常務が私の勤務する会社のデータセンターを選択してくれたのですが、話を聞くと二人とも親会社からの出向組だというのが分かりました。出向組の幹部が決めたデータセンターは、プロパーの情報システム部課長が推薦したデータセンターではなかったのでここで軋轢が生じていました。
この課長は私に対しては非常に見積金額も厳しく査定してくるので、最初は戸惑いましたが、理由が分かると得心はしました。この課長が大阪の支店に異動するまでの数年間は徹底的に厳しく見積もり査定をされるという事態になりました。担当者に見積書を提出しても、後日課長から直接値引き折衝したいという話が何度もあってうんざりしました。この会社は親会社の影響かどうか分かりませんでしたが、費用については非常に厳しいもので、何度かコンピュータ機器を導入する時に他社に対抗できなくて失注したこともありました。

かたや出向組の常務と部長は、自分たちのデータセンター決定に間違いは無かったというので、私との面会時にはいつもにこにことして心穏やかに話ができました。それにこの二人とはどことなく気心が知れてざっくばらんに折衝することができて、金額は厳しいものの対応は容易にできました。
縁というものは不思議で、常務は京都に自宅があったのですが東京に単身赴任していて、その住居が私の自宅とはバス停留所の1つ違いというのも親近感を感じさせました。新宿の客先のオフィスに直行する用件があった時、JRの駅でたまたま常務とばったり出くわしてそのまま会社に一緒に行ったこともありました。
金額も大きくなると情報システム部長が直接折衝に出てくるので、私にとってはやりやすくなったのですが厳しい見積もり競争には負けることもありました。これは後ほど話をすることにします。
この会社の内情は上司と部下が合わないと言う状態になり、私の方は営業部長も技術部長も素人なので対応を全部私が考えなくてはならないという構図でお付き合いが始まりました。
新宿西口のビルにあった飲料販売会社の情報システム部長をデータセンターに案内してから、数日後には見積書を作成して提出しました。どの程度の広さが必要なのかは事前にコンピュータレイアウトのデータをもらっていましたので簡単に算出できましたが、この時に営業グループの先輩は肝心の事を言い忘れて後で責任を私に押しつけてきました。私は初めての案件だったのでデータセンターの面積の算出は実際にコンピュータを置く面積でよいと思ったのですが、実際は空調室も面積として必要だと、見積書を提出してから言われて驚きました。
後で分かったのは、そういう事はすでに契約していた顧客でも同じ事があったということで、自分のことは棚に上げて他人の話にはやたら因縁をつけてくるというたちの悪い連中の集まりというのを実感しました。こういう事も同じ会社に勤務する人間の人品の低さを感じさせた時でした。

飲料販売会社の情報システム部長はデータセンターの立地を評価して何とか注文を出そうと決めたのは年末も押し迫った頃でした。この会社を最初に訪問してから1ヶ月程で内定をしたという事になりました。
案外早くに決定したのは事前に他社を検討していたので、評価ポイントが決まっていたのだろうと思いました。
しかしながら、今度は受け入れるデータセンター側に問題がありました。カタログには何でもやりますと書いてあるものの、実際には何もした経験がありませんでした。
コンピュータを新宿西口のビルからデータセンターに移設するには段取りが必要なのですが、客先の課長が移設業務をコンピュータベンダーに依頼してくれたので事なきを得ました。
私の勤務していた会社の技術者はプロジェクトの進め方さえ分からない状態でした。この時、コンピュータベンダーの技術者の話を聞いて習得するような始末でしたが、この経験が以後から現在に至るまでのコンピュータ移設の基本を学んだ事例になったのでした。そういう意味では画期的な事案だと思いましたが、営業部長や技術部長は何も感じていなかったと思いました。
それに加えて、コンピュータを操作するオペレータ業務というのも、親会社や関連会社以外の客先を担当するのは初めてでした。従来はどういう方法でやっていたのかと質問すると、すべて言づてでマニュアルなどは簡単な連絡帳程度のものしかありませんと言われて仰天しました。
新宿西口に設置しているコンピュータのオペレーションは某ベンダーが担当していて、これを受け入れて操作できるだけでなく、データセンターと新宿西口のビルの間では色々な業務が新たに発生し、その業務も行う必要がありました。会社の運用ベテランという男では解決出来ないので、営業マンの私が仮の技術者になって業務内容と処理方法をまとめてマニュアルを作成しました。作成したというよりは、そうしないと仕事が出来ないからでした。そういう意味でも、私以外の会社の人間ではこの事案は業務がまとめられなかっただろうと思いましたが、そういう事実は会社の誰も理解していないようでした。
新規の顧客訪問を初めてから半年も経った12月の初旬に、新宿西口にあるこじんまりしたビルを訪問しました。この時までに自分でノミネートして訪問した客先は100社位になっていて、この新宿西口の会社を訪問したのが丁度節目の100社目だったのできりのいい数字だったこともあり忘れられません。
訪問したお客様の中には3年後に連絡が入ったお客様もいたので驚きましたが、それでもまともに検討をしてくれたのはこの100社目のお客様が初めてでした。

このビルをの入り口を入った時、以前に来たような気がしたので考えて見ると、データセンター営業グループに異動になる前に、転職してから図面入力装置の売り込みに来た会社が同じにビルにあったのを思い出しました。このビルは余程私とは縁があると見えて、その後10年ほど後に新しく顧客になった会社の営業所が出来て再び訪れる事になりました。広い東京とは言っても、同じビルに入居する会社に3回も巡り合うとは余程の事だと我ながら驚きました。

この時、1階で同じエレベータに小太りの中年の男が一緒に乗り込んできて、私が訪問する会社の受付と同じ階で降りました。私は無人の受付から電話で来訪した旨を電話を取った人に伝えて、打ち合わせ用の小机と椅子が置いてある小さなスペースで待っていると、しばらくして出てきた情報システム部長は先ほどエレベータで出会った小太りの中年の男でした。
意外に思って名刺交換をしてからデータセンターを紹介すると「場所はここから近いですか?」という質問がありました。「データセンターは最寄りのJRの駅からは徒歩では20分ほどかかりますが、タクシーなら5分ほどです。このビルからでしたらドアツードアでも1時間内で行けます」と自信はありませんでしたが、少し誇張して短時間で行けると言う説明をしました。その情報システム部長さんは早速見学したいという意向でしたので、急いで会社に帰って見学の段取りをしました。実はこの時には他社に内定していたというのを聞いたのは随分と後になってからでした。
見学日を決めて来訪者を確認すると、見学会に都合がつくのは部長さんと他1名の2名という話を聞いて少しがっかりしました。割と急いでいる割には見学者が少ないので検討に真剣さが感じられなかったからでした。これも理由があって、当時の課長が他社で上申したので行く必要は無いと担当者に指示していたようでした。こんな理由で、部長さんに同行してきたのは新入社員の若い男が1人だけとなりました。

データセンターの見学時は、データセンターの管理室で小うるさい白髪の親父から鍵を借りて部屋を案内しなければなりませんでした。その上、最初は会議室でお茶を出す人もいなかったので自分でお茶出しをしていました。それに加えて、お茶が社員用のまずいお茶だったので、お客様を案内する時は必ずティーバッグをコンビニで買ってからデータセンターに持参していました。それくらいに客を客とも思わない体質が現場の隅々まで行き渡っていたのでした。
同時にデータセンターの説明の時には営業部長は必ず外していました。私見でしたが、社内では部長でも対外的には人格・品格・能力がとうてい世間並みでは無いと判断をしていたからでした。色々な営業部長が交代で現われましたが、そういう自分を知って割合に謙虚な人もいれば馬鹿丸出しにしていた人など様々でした。
注文をもらえる可能性ある顧客に対して、そういう類いの営業部長が相手に悪い印象を与えて、折角の数少ない好機を逃してしまうのが惜しいと私は考えて、受注活動中には営業部長を挨拶には連れてきませんでした。データセンターの営業では、内示をもらうまでは決して営業部長を表に出さず、内定してから「ああ、この人が真面目で礼儀正しい担当者の上司である営業部長ですか」と相手が落胆したとしても、決定を覆すことが出来ない時期にしか連れていきませんでした。そういう意味では私が会社の代表として最初から最後までを段取りしていたので、自作自演を地でいっている様なものでした。同時に社内では多分評価は低かったのは分かっていましたが、そうしたのは注文をもらうという事においては正解だと後々に感じることになりました。そういう会社に入社したのも何かの縁として諦めていました。

新宿西口にある会社の情報システム部長をJRXX線の改札口で待ち構えてデータセンターまで案内しました。データセンターではヘルメットをかぶって地下の免震構造を見るのが名物で好評でした。又、竣工して1年も経過していないのでビルが真新しいというのも気に入られたようでした。
情報システム部長は、データセンターから新宿西口の会社までの移動時間がどれくらいかというのが気になっていたのが分かっていました。早くタクシーを呼んでくれと管理室の年配の男に依頼したのですが、仕事外だと言わんばかりに不機嫌な顔で嫌々タクシーを呼んでくれました。そんな事は気にもせず、タクシーが玄関に到着したら同乗して乗車時間を確認しました。
タクシーで10分も走るとJRXX線の駅に到着したのですが、一番の心配はJRの駅が各駅停車の電車しか停車しない駅なので、駅に到着しても直ぐに乗車出来ないと困ると内心心配をしていました。しかしこの時は、切符を買ってから改札口を入り2階のホームに上がると丁度各駅停車の電車が滑り込んできました。物事はうまくいく時はこんなものかと思いました。
新宿駅で下車して、新宿西口の改札前の広場まで情報システム部長に同行しました。経過時間を確認すると、データセンターを出てから30分程しか経過していませんでした。情報システム部長から「やっぱり早いですね」という言葉を聞いた時に、私は心の中で「やったぞ・・・」と声を上げました。
7月にデータセンター営業グループに異動後、新しい客先をノミネートして訪問を始めたのは8月初めくらいからでした。殆ど毎週切れ目無くノミネート客のアポイントを取って訪問しました。
情報システム部長というのは一般的には割と暇な管理職というのは過去の経験から分かっていたので、アポイントを取るのはそれほど難しいことではありませんでした。それよりも、「見知らぬ相手に会ってもいいぞ」というメッセージをどう伝えるかというのに苦労しました。こういう場合に名の知れた親会社を語るのは効果的だと感じました。件の通信会社の設備工事では親会社の高い見積金額に泣かされていたので、親会社を語るには少しばかり抵抗がありましたが、そうも言ってられないので仕方なくそういう興味を引きそうなキーワードを並べたのでした。又、当時はデータセンターそのものも割合に少なかったので、興味をそそられるような話題だったのだろうとも思いました。

情報システム部長と言えば、あらゆるベンダーから商品の売り込みに来るので、情報システム部には渉外係がいて新しいベンダーの営業窓口になっている会社もあるほどでした。しかしながら、私の場合は殆どの会社で情報システム部長に直接面談してデータセンターを含めて色々なサービスがあるという宣伝をしました。
一義的にはデータセンター紹介であっても、たまたまサーバーの更新があって合い見積りを依頼されたりする事がありました。それはそれで、ベンダーから見積もりをもらって見事に安値の受注が出来たりしたこともありました。当然ながら合い見積りをさせられたベンダーからはいぶかしく思われてたことがあったような一件もありました。
そんなおまけみたいな商談の対応もしながら、データセンター紹介の仕事は6ヶ月くらいは続けました。

相手の情報システム部長は多分若造が来ると想像していたら、中年のやたら情報システムに詳しい礼儀正しい営業マンが現われて驚いたと思います。普通のベンダーならば入社後4・5年の若造に経験を積ませる意味合いで新しい顧客を訪問させるというところですが、課長・部長クラスの中年の男が「始めまして」と挨拶をして商品のを紹介していたので、対応も丁重になっていたと感じることは多々ありました。
それでも中々データセンターを検討をするという様な話は無く月日ばかりが過ぎていきましたが、特段に失望することも無く続けることが出来ました。それは多分の自分の個性化も知れませんが、粘り強いという事と共に使命感みたいなものが芽生えていました。毎日夕方に仲間内でビールを飲んで帰るだけの営業グループの連中からみれば、変な奴がいるものだと思われていたのだろうと思います。