飲料販売会社には何かにつけて訪問をしていたので当然ながら情報システム部員の担当の方々とも仲良くなっていきました。電話で何事も済ますようなことは性格が許さないので、対面して話をするというのが私の仕事のスタイルでした。転職前の会社で鍛えられたのが、転職して役に立っていると感じました。
データセンター営業の営業マンの電話の受け答えも、年配だけに気遣いなんかするものかという態度で、お客様からの電話でも「はい、xxです」と答えて社内同様の扱いでした。電話の相手が驚くようなものでしたが、そういう程度の相手がユーザーとなるのかなと思ったものでした。

私自身は酒が飲めないので居酒屋で話をする機会は殆どありませんでしたが、飲料販売会社に行っても用件を済ませてかえるだけのようなことはなく、色々な話をしてしらふでも十分に相手を理解することができました。
情報システム部長とは年が1歳違うだけと分かると、それだけで親しみが出て余計に色々と身上なんかを聞きたくなるので、仕事の話が終ってもそういう世間話の方が長いくらいでした。
あるとき、部長がスリッパを履いていたの見て私が「靴下が破れてませんか」というと「そうですね、こういう時はマジックで靴下の穴のあいた足の場所をぬるんですよ、はははっ」という人でした。お酒は「塩だけで升酒を何時までも飲むのが好きです」というので、下戸の私とは対局にある人だと分かりました。当然ながら、会議でどんなに話が盛り上がっていても部長は酒の飲めない私を定時後に連れ出そうという事はありませんでした。
実家は大田区で町工場を営んでいたというのでお金はあったらしく、学校も私立中学から大学まで通ったいうことでした。東京の町工場地帯なので緑が少ないので鉢植えを家の前に置いたとかいうような話もありました。飲料販売会社の親会社に入社して、酒を夜更けまで飲んだら出社は遅れても許されましたというような、普通では考えられないような体験談も聞いて、笑い話ながらも驚かされたのでした。
当時はコンピュータ用の磁気ディスクも重量があり「何時も、よいっしょ、と言いながら電算室の中で運んでいました」という重労働をさせられたという話も聞かされました。
赤ら顔の丸顔で太った体質でした、人は良さそうでしたが、実際は中々に気骨があって、それが災いして異動になってしまいました。

その異動は、この飲料販売会社の親会社の保有しているコンピュータは同じ会社のコンピュータだったので、親会社のコンピュータを使えという話だったそうです。親会社は大阪だったので仕事がやりにくくなるという立場から断り続けていたら熊本支店に異動になって定年まで過ごすことになりました。課長さんの話では「子会社の情報システム部員の心情を理解しすぎたんですよ」という解説も聞かされたのでした。
この部長さんには私が50歳の時に自費出版した本を渡したのが餞別になってしまいました。かなりの親密度を私は感じていましたが、熊本異動後は一度もお会いできなかったことを残念に思っています。