飲料販売会社の仕事が段々と増えると、データセンターにも新しいサーバーを設置するので、賃貸エリアのみならずオペレーションや細かい仕事の受託が始まり月々の契約金額も自然に増加していきました。私は自分の勤務している会社が、親会社の仕事を受託すると同じ流儀で他社の仕事をしようとしているのに非常に違和感を感じていたので、私は自分の受注した客先に対しては客先の時由を理解しながらお付き合いをしないと長続きしないだろうと感じていました。
お客様と仲良くおつきあいをするというためにしたことは、転職前の会社では酒の飲み放題とかゴルフとかきわめて普通なことしかしてきませんでした。それに加えて、せいぜい客先を訪問するときにケーキを持参するくらいなものでした。
私の勤務していた会社のデータセンターのオペレーションをしていた年配者と話をすると、高校時代には甲子園を目指していたという人もいたので、ソフトボールで懇親の試合をやれると思いつきました。異動前の親会社の新規事業部門では、何回か職場の懇親でソフトボールの試合をしていた経験が、この時よみがえってきました。その時は毎日の営業活動で疲れているのに無理矢理参加させられていたという被害者意識が濃厚でしたが、この時は積極的にその経験を生かそうと思いました。
初めはデータセンターの近くに親会社の野球場が遊び場となっていたので、その場所が最初のソフトボール大会となりました。
私は元々運動オンチでバットと体が一緒に動くので担当営業として義理の一打席くらいしか出ませんでした。それよりもカメラの趣味を生かして、出場者の打席の場面を撮影する方が主な仕事でした。
休日の午前中はソフトボールを2試合もすればお昼になるので、試合が終ると道具を片付けてから、同じ野球場の片隅にあった藤棚のある休憩場所でバーベキューを行いました。最初は酒や肉も全部私の勤務する会社で提供していたのですが、2回目以降は飲料販売会社からビールやアイスクリームを提供してもらうようになり、飲む量も食べる量も増えました。
ソフトボールの試合の前日には肉屋からデータセンターに肉の塊が届けられて、データセンターのオペレータが肉を切るのが仕事となり、いつの間にかデータセンターのオフィスに肉切り包丁が何本かが常備されるようになりました。
最初は飲料販売会社のメンバーも情報システム部長に誘われて嫌々ながらの参加のようにも思えましたが、ソフトボールよりも終ってからのバーベキューが楽しみで自然と参加するメンバーも増えていきました。頻度は年1回という年もあり、2回という年もありました。仕事のストレス度合い、トラブルが多い時には余計にそういう機会を作って、担当者同士の意思の交流をしようという目的もありました。
ソフトボールの試合はデータセンターの3交代勤務のオペレータが徹夜後に参加することもありましたが、仕事疲れも知らずに年配ながら元甲子園を目指していたメンバーのいるデータセンターチームが、若い人ばかりの飲料販売会社を圧倒していました。
ソフトボール大会は営業部長や事業部長は殆ど参加することがなかったのは、私が全て企画するし、試合の主体は現場の人たちばかりと、自分の出番がないのと元々現場を軽視していた営業部長や事業部長には煙たい事に思えたのだろうと思いました。
最初は私の勤務する会社でばかり試合の企画をしていたので、飲料販売会社が主体でソフトボールの試合をしたいというので、荒川の河川敷にある場所を借りて試合をしたこともありました。その時もちゃんとバーベキューがセットになっていましたが、肉の量が少ないなと思い遠慮して余り食べませんでした。その時は誰でもこういう事を思いついて、商売にしている人がいるんだということを気づかされました。
親会社の業績が悪くなって運動場が売却されたりすると場所がかわり、最後は井の頭沿線のラグビー練習場を借りて行いました。場所はラグビー練習場なので芝を荒らすなとか色々の注意事項がありました。ここの管理事務所の屋上に1メートル四方位の大きな鉄板があって、肉や野菜を焼いてバーベキューをしました。
この場所も最後は売却されて、ソフトボールをする場所が無くなり、それからしばらくしてから私は頭の悪そうに見える事業部長が私を異動させようとして飲料販売会社の営業担当を外したのでした。
以後は20年ほどは、この飲料販売会社と取引が続きましたが取引額は年々落ちて行ったのは、定型的にしか仕事をできなかったことの証だろうと思いました。
お客様と仲良くおつきあいをするというためにしたことは、転職前の会社では酒の飲み放題とかゴルフとかきわめて普通なことしかしてきませんでした。それに加えて、せいぜい客先を訪問するときにケーキを持参するくらいなものでした。
私の勤務していた会社のデータセンターのオペレーションをしていた年配者と話をすると、高校時代には甲子園を目指していたという人もいたので、ソフトボールで懇親の試合をやれると思いつきました。異動前の親会社の新規事業部門では、何回か職場の懇親でソフトボールの試合をしていた経験が、この時よみがえってきました。その時は毎日の営業活動で疲れているのに無理矢理参加させられていたという被害者意識が濃厚でしたが、この時は積極的にその経験を生かそうと思いました。
初めはデータセンターの近くに親会社の野球場が遊び場となっていたので、その場所が最初のソフトボール大会となりました。
私は元々運動オンチでバットと体が一緒に動くので担当営業として義理の一打席くらいしか出ませんでした。それよりもカメラの趣味を生かして、出場者の打席の場面を撮影する方が主な仕事でした。
休日の午前中はソフトボールを2試合もすればお昼になるので、試合が終ると道具を片付けてから、同じ野球場の片隅にあった藤棚のある休憩場所でバーベキューを行いました。最初は酒や肉も全部私の勤務する会社で提供していたのですが、2回目以降は飲料販売会社からビールやアイスクリームを提供してもらうようになり、飲む量も食べる量も増えました。
ソフトボールの試合の前日には肉屋からデータセンターに肉の塊が届けられて、データセンターのオペレータが肉を切るのが仕事となり、いつの間にかデータセンターのオフィスに肉切り包丁が何本かが常備されるようになりました。
最初は飲料販売会社のメンバーも情報システム部長に誘われて嫌々ながらの参加のようにも思えましたが、ソフトボールよりも終ってからのバーベキューが楽しみで自然と参加するメンバーも増えていきました。頻度は年1回という年もあり、2回という年もありました。仕事のストレス度合い、トラブルが多い時には余計にそういう機会を作って、担当者同士の意思の交流をしようという目的もありました。
ソフトボールの試合はデータセンターの3交代勤務のオペレータが徹夜後に参加することもありましたが、仕事疲れも知らずに年配ながら元甲子園を目指していたメンバーのいるデータセンターチームが、若い人ばかりの飲料販売会社を圧倒していました。
ソフトボール大会は営業部長や事業部長は殆ど参加することがなかったのは、私が全て企画するし、試合の主体は現場の人たちばかりと、自分の出番がないのと元々現場を軽視していた営業部長や事業部長には煙たい事に思えたのだろうと思いました。
最初は私の勤務する会社でばかり試合の企画をしていたので、飲料販売会社が主体でソフトボールの試合をしたいというので、荒川の河川敷にある場所を借りて試合をしたこともありました。その時もちゃんとバーベキューがセットになっていましたが、肉の量が少ないなと思い遠慮して余り食べませんでした。その時は誰でもこういう事を思いついて、商売にしている人がいるんだということを気づかされました。
親会社の業績が悪くなって運動場が売却されたりすると場所がかわり、最後は井の頭沿線のラグビー練習場を借りて行いました。場所はラグビー練習場なので芝を荒らすなとか色々の注意事項がありました。ここの管理事務所の屋上に1メートル四方位の大きな鉄板があって、肉や野菜を焼いてバーベキューをしました。
この場所も最後は売却されて、ソフトボールをする場所が無くなり、それからしばらくしてから私は頭の悪そうに見える事業部長が私を異動させようとして飲料販売会社の営業担当を外したのでした。
以後は20年ほどは、この飲料販売会社と取引が続きましたが取引額は年々落ちて行ったのは、定型的にしか仕事をできなかったことの証だろうと思いました。