新宿の飲料販売会社からは、我が社では何でもやりますという宣伝文句を真に受けられて、ソフトウエアの販売だけで無く、システムの開発をしてほしいという要請を受けました。この会社にはコンピュータ会社の肝いりのシステム開発会社が専属でいましたが、私の勤務していた会社の関西支社で同様のシステムを開発した経験があるというのを提案書に書いて提出したら、お願いしますと言われたのでした。多分提案時のシステムエンジニアの口が軽くて響きがよかったのではないかと思いました。総額は1.5億円くらいの規模でしたので、当時としてはまあまあの開発規模でした。

システム開発の最初はお客様のビジネス理解というので、このシステム開発のために営業部門から異動になった課長が講義をしてくれました。私は営業マンでしたが、こういう話が好きで毎回出席してはシステムエンジニアを差し置いて質問攻めをしていました。
この時の開発のマネジャーは提案したときの色黒の口先が軽い男でした。私も何だか軽い男だなと思ってしばらくは様子を見ていると、仕様書をまとめる段になって毎週報告があるたびに、人手が足りないので増員しますとお客様の前で唐突に発言するので、私は何時もどきどきとしなくてはならない事態になりました。しばらくすると、この男の上司が現われて「これではプロジェクトがだめになるので、マネジャーを変える」と言って体制を変えました。軽そうなプロジェクトが親会社同様の重厚なものに代わったのでした。しかし、この判断は正しかったのはきちんと計画通りに見直したスケジュールで完成したことで証明が出来ました。

このプロジェクトを始めると、当時のある支店で大形のシステム開発案件で大赤字を出した事があって、事業部長が自分の事業部を通して最後に赤字でもなって責任をとらされるのは嫌だと思ったらしく「システム開発というのは危ないから手放さないか」と暗に示唆されたので私は「事業部長判断であればそうしましょう」と嫌々ながら、開発元の関西の支店の営業マンに仕事を渡したのでした。
この会社では、このシステム開発とデータセンターのアンテナ鉄塔の案件を心配だからという理由で私が受注したにも関わらず手放しました。
仕事というのは何でも同じで、きちんと正しく進めれば何もトラブルなど起きないのですが、マネージメント能力や経営感覚が不足していたりすると失敗します。そういう理屈が分からず「何となく不安」という風にしか感じられない程度の能力の人が組織の幹部となっていたことが、こういう結果になったのだろうと思いました。当時から現在に至るまで、そういう慣習は脈々と会社に引き継がれていると思います。

一方、飲料販売会社のプロジェクト課長は現場の営業出というの売りにしていたので、見積書を細かくするように依頼してきました。システムエンジニアの単価に工数を掛けると、1円単位の端数がでるのですが、プロジェクト課長は「我が社の現場では1円どころか銭単位になることもあるくらい厳しいです。当然1円単位で提出して下さい」と能書きを言われて見積書の金額は1円まで正確に計算して提出しました。当然ながら計算間違いもでるので見積書の提示も何回となく再提示になったのでした。
このプロジェクト課長は趣味が釣りだというので、懇親のソフトボール大会の時にもちゃんと釣り竿を持参していて、ソフトボールも終りバーベキューも終って皆が帰る時に、途中にある汚い川の橋のたもとで釣りを始めたので驚きました。当人曰く「日本で一番趣味人口が多いのが釣りですよ」と解説されて教えられたのでした。その後に駅の新聞売り場に釣り新聞なんてものを目にすると成程つりが好きな人が多いのだと思い知らされたのでした。