// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210914
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
壁は塗られて色を変える。
SUBTITLE:
~ Change the filter, change the shape. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
>>>
 
210914
 
 書斎の書架スペースにするエリア(元はクローゼットだった)の壁の工事が6割ほど終了した。
 断熱材の上からMDFを、それぞれウレタン系ボンドで貼り付け、コンクリートネジで固定している。
 壁面構造体にセメントがあるのだが、水っぽかったのか材料をケチったのか(どちらもおなじである)ゆるゆるのようでネジがきちんと噛んで締まらない部分が多い。
 この家の施工者と依頼者に対する呪詛は散々しているので、もうしないことにしている。
 これ以上呪いの言葉を掛けると、生まれ変わったら即死するどころか、生まれ変わることができないかもしれない。そのくらいすでに呪ってしまっている。
 人を呪って穴二つになるくらいはどうということもないが、さすがに生まれ変わりさえ阻害するのは度が過ぎるような気がする。
 
 ひとこと断っておくと、僕は輪廻転生 ── いわゆるスピリチュアルと呼ばれかねないもの ── などは特に信じていない。正直なところ、スピリチュアルという言葉の作っている(現行の世俗の)概念に対してキモチワルイと思ってしまう(本来のそれとは大きくその意味がかけ離れていると思うのだけれど)。だから地獄に落ちろ(あからさまな呪詛)。
 もっと正直にいえば、この単語を文書に含むせいで要らぬスピリチュアル押し売り委員会の人たちが無意味に「いいね」ボタンを押してゆく気がして本当にげんなりする。なので(以下略)。
 
 月刊ムーのようなありよう(客観的オカルトとしての扱い)だけは(川口浩探検隊のように)許せるのだが、そのあたりの意味は滋味深いのでわざわざ誰かに説明するつもりはない。素養が必要なのだ。
 それに紛い物スピリチュアルだろうと何だろうとどっぷり浸かりたい/浸からせたい人を責める気はないし、その精神世界なり哲学なりを否定するつもりもない。好きにすれば良いからせめても私を巻き込むなとは思う。あと観察はさせて欲しい。
 宗教もネコノカミサマ教だけを信じているため、他の宗教に興味本位で首を突っ込むことはたびたびあるものの、それはそこに属している人間とその人間たちの考え方を観察したいという下世話な動機である。
 
 完全に話が逸れた。(いつものことではあるが)
 
>>>
 
 webにどこまで公開しているか、記憶にない。
 ためにときどき僕の日記は内容の一部が重複しているはずである。
 公開していないものはつまるところ、完結していない話題であり、誰かに(オフラインで)盗み見られても、あるいは単純に消してしまっても問題ないと思えるレベルの文書である。
 一方、公開するものは自分の中で(どんなにくだらないものでも)ある程度の完成に至った文書であり、あるいは消さずに保存することで価値観として自分の中に刻んでおきたいのだろう。
 オフラインで文書を遺すことを僕は非常に恐れている。
 
 読者は必要ないから、この動機は矛盾しているように観察されるとは思う。
 読者が必要ないなら、そんなものはオフラインで保存しておけばいい。
 オンラインで遺すことは読者が欲しいからではないかと言われたとして、それを否定する気にはならない(面倒くさいから)。
 しかし読者のために書いているわけではないし読者を増やしたくもない。ただ、オフラインで書いて保存すると、誰かに盗み読まれて暴かれたときのショックが本当に大きい。失明しちゃうんじゃないかと思う。しないけどよ。
 
 webに書いて保存すると、誰が盗み読んでも気にならない。
 なぜといって、前提条件で誰でもが盗み読むことができるからだ。
 だからたとえば僕の収入であるとか、負債であるとか、ガールとのタダれた関係であるとか、歪んだ精神のありようであるとかを事細かに記述しておきたい衝動には駆られる。とくに最初の二つは実際に盗み見られてけっこう酷い目に遭ったことがあるので、通帳であるとかを毎月写真で貼り付けておきたいくらいである。
 誰も盗み見ることができなくなるから。
 
 けれどもそれはある種の露悪趣味である。
「経済至上主義ではない」という僕の価値観に一貫しているようでいて、経済に意識が拘束されているという点で矛盾しているようにも思える。第一そんなものを見ても誰も面白くはないと思う。
 だから経理部門のことについては誰かに盗み見られることによって失明するリスクを抱えながら、奥様(仮想)の守備範囲とすることで精神安定を図っている。
 もちろん現実世界で付き合っている恋人が通帳であるとか僕の収支を(僕の許可なく)暴こうものなら僕は失明するわけであるが、僕の経済にかかる精神的貞操はかつての暴行により失われた後なので好きにすれば良いと思うよ。陵辱して蹂躙して好きに汚せばいいさ。
 
>>>
 
 ここ数日、日記を書くのがとにかく苦痛である。
 厳密にいうとここ数日、かつての父親のDVと、姉の売春と、そこから派生したと予測しうる姉の人生のありようについての考察をしている。
 いずれについても僕は被害者ではなくただの傍観者であるし、にもかかわらずその記憶のもたらす価値観の意味合いは、大人になるにつれどんどん重くなっている。そのうち重力特異点が発生するのではないかとさえ思える。いやそれは大袈裟だけれど。
 
 これは「6歳以前」の価値観をかつて僕が切り離すことにした最大の理由なのだけれど、その価値観をこちら側に引き寄せる都合上、必要な記憶(と価値観)の処理なのに、どうしても、酷い気分になる。いわゆる(といって世俗にそんな概念がそうそうあるとは思えないが)記憶や価値観の消化不良である。
 
 肉体的な動悸息切れめまい手足の痺れ吐き気食べ過ぎ食欲不振不眠くらいならよいのだけれど(こういうときは過眠にならないようだ)、自死衝動は何としても抑えなくてはならない。
 仕方ないので目の前に凶器を並べて心の安寧を図ったりしている。こう見えて僕はのんびりぼんやりのエキスパートであるから慣れたものである。
 
 自死で一番厄介なのは、衝動的にそれをすることである。
 想像の中で好き勝手に自殺したり、それを計画したり、薬物やセックスや酒や食べ物や浪費や何やに溺れるのは、生きて活動しているという点ではまだ死そのものからは離れた場所にある。
 
 しかし衝動的に高い場所から飛び降りたり、電車に飛び込んだり、高速走行中の自動車を何かに衝突させたり、何らかの危険物によって自らの肉体とその機能をきわめて短期的(ほぼ瞬間的)かつ非常に大きく欠損させた場合、その活動は死に直結する。
 中途半端な高さから飛び降りることで自殺未遂を繰り返し、周囲の人間をコントロールしようとする狂人の話を僕は人から教えてもらったことがある ── その後その人は別の自傷行為によって僕をコントロールしようとした ── が、そういう人間は結果的に生きる手段として自殺未遂を計画的に利用するだけのことであって直截に自殺はしない。もし衝動的にするとしても、脳裏にどこまでが安全かという経験則があるから、適切にそれを運用してしまうだろう。
 
 僕は自殺をしたことも、しようとしたこともない ── 少なくとも自殺したら死んでいるからな ── けれど、自死を適切に完遂するにはどうすればいいかくらいは(物理と化学と生理の問題なので)算出できる。
 だから綿密に計画することで、衝動的なそれを回避し続けてきた。
 他者への影響や経済や思想を含めた環境のコントロールという点で、衝動的な自死は自分の思い通りの結果 ── 僕の死後にある「僕のいない世界」についても(むしろそちらのほうが)強欲な僕にはきちんと理想があるのだ ── をほとんどもたらすことができないという点で有用性が低く、むしろ推奨されない。
 卑近な例でいえば、僕が死ぬと猫が食事に困る(僕は現実世界の猫を畜生だとは思っているから人間の邪魔になるなら殺すくらいはするが、賢い飼い猫まで殺すつもりはない)。
 それに妹もわぁわぁと馬鹿みたいに泣くだろう。いずれも許しがたい。
 
 ために僕は自分の自死を適切に計画し、衝動的自死が許容される条件を明確にしている。
 そしてその条件は現時点では満たされていない。
 猫も妹も生きているし、僕は目的とする未来まで誘導すべき現在と整理すべき所有物がある。
 
 確かに酷い記憶で酷い価値観なのだ。
 いや少なくともそうやって言葉にすれば多少は受け入れやすくなる。
 良きにつけ悪しきにつけ(だいたい後者に転がるが)僕は(繰り返すが被害者ではなく)傍観者でしかなかったし、何を望んだところで ── 自分以外の誰かにそれを希(こいねが)う限り ── それは必ず叶わないのだ。
 いずれも認識の問題であるけれど、前者は僕に自身をして間接的加害者と位置づけ、後者は僕にジンクスを植え付ける(今までのところこれを覆すこと ── 挑戦することとは別 ── に成功した他者がいない。ために僕自身はこのジンクスが恐ろしくてよもや抵抗する気もない)。
 
 それらの記憶が生み出す価値観は、僕を殺そうとする。
 生きる価値がないとか、存在しない方がいいとか、そういうことではないのだ。そういう自己肯定感や自尊心といった価値観の欠如によるものではないのだ。僕はこの瞬間もナルシストで自分のことは好きだし、自分のことをちょっと尊いとも思っている。
 それでもただただ感情として、自身に対する、あるいは自身の属性に対する強い憎しみや殺意がなによりもまず最初に自分に向かってくるのである。殺せと今も声がする(これは大袈裟)。
 
 だから書いている途中に、おかしな衝動に駆られそうになることがあって、そうすると記述を中断するよりないし、数日後に再開しても同じことを繰り返すことになる。
 それでも何度となく再開するのは、それを切り崩すことが重要だからなのだろう。
 
 厳密なロードマップなどないけれど、言語化できない予感がある。
 それは僕にとっての経験則だ。
 僕は考え続けることで自分の価値観を揺らして変動させ、自身の認識を変えて、自分や環境や過去について肯定的に捉えて現実世界に適合してきた。
 誰かの力や影響であるとか、誰かに評価されて、というのではないため、他者に対する依存が低すぎてそれがそのまま社会性(あるいは社会適合性)に反映されてしまうのだけれど。
 僕は身の回りの人間が次々死んでも、またこの先も次々死ぬとしても(おそらく次は次姉のはずだ)、結局のところ自分の生き死ににさえもけっこう無感動だ(いつからか分からないくらい自死について考えているとこうなるのかもしれない。よく分からない)。
 
 自死衝動を ── 正確にはその根幹にある価値観や記憶を ── 乗り越えれば僕は自分の存在に対する矛盾(いやこの矛盾を含めて愛してはいるのだけれど)にも折り合いを付けられるし、他人という存在の意味もきっと変わると思う。いや変わらないかな。期待してはいけないかもしれない(笑)。
 もちろん先に書いたとおり、僕は衝動的自死を回避する術をたくさん身に付けているのでこれをリリースしましたみなさんさようなら、なんてことはしない(それを目の当たりにしたことはあるが僕はそれをしない。そこは安心してほしいし、心配しないでほしい。 ── 僕がどれだけクズだとしたって仮にそのうえ繊細だとしたって他人の気持ちという環境を善良な状態に維持しようとせめても努力することくらいはするのだ)。
 
 ただ、硬く凍りついたようなその記憶を、うまく切り崩して、溶かして消化することが、いまだにできない。
 対面したときに発生する、怒りであるとか嫌悪や憎悪であるとか悲しみであるとかを、うまく受け入れて受け流して、それではこういう未来を目指しましょうという昇華を導くことができない。
 
 なぜといってそれは過去だから。
 なぜといって、この先も僕は当事者になりそうにないから。
 まるで恐れるように、現在の僕は周囲に人を近づけないから。
(いえまあご時世というものもありますよもちろん。人間嫌いだというわけではないのですし)
 
 それらは現在である必要があり、僕は当事者になる必要があり、僕は他人をしてそれ(その記憶とそれがもたらした価値観)がより良い未来を作りうることを証明しなくてはならない。
 児童売春とDVが ── ?
(痴漢なら被害に遭ったことはあるが)
 その記憶がもたらす価値観が(今のところは自分の性別や性欲の存在や身体的/知的非力さや、なにより他者のそれに付け入るような狡猾さや愚劣さに対する殺意が主流であるが)まさにそれによって良い未来を作りうるように改変するというわけである。
 
「猫氏、これはオンラインサロンを始めて信者から小銭を集めるしかありませんぞ」と金森氏(アニメ「映像研には手を出すな」の登場人物)の声が心の中でするのだけれど、これは幻覚である。金森氏はそんなことは言わない。それに信者ビジネスは僕には向かない。
 Aに支配されたくない者は、Aによって他人を支配してはいけない。というのが僕の知る理である。
 経済により支配されることを嫌う者は、経済により他人を支配すると自己矛盾を起こす。それは不幸を作ることだからだ。
 盲信による支配は、するのもされるのも僕は大嫌いだ。
 よくよく教祖向きだと弟子には言われるが、僕は根が善良かどうかはともかくとして聡明(神の祭壇に供える肉のことではない)ではあるのだ多分。
 
 それにしても、名前も顔も覚えていない人間のせいで出来上がった価値観に僕はいつまで縛られていなくてはならないのだろう。
 どれもこれも消えてなくなってしまえばいいのに。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-青猫β-/-赤猫-/-黒猫-/-銀猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Chaos-Color-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Life-Link-Love-Maintenance-Mechanics-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Cat-Human-Koban-Memory-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-暗闇エトランジェ-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210831
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
正しさは殺しましま。(あえて誤字)
SUBTITLE:
~ Get my stripes. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210831
 
 数年前から思っていたことがある。
 僕以外の人のブログを見ていて思っていることである。
 みんな、徹頭徹尾、テーマが一貫しているのである。
 そしてそれを見るたび、ちょっとだけ、自分がダメ人間のような気がしてしまう。
(無論、僕は「ダメ人間」と「ダメじゃない人間」のどちらかを選択する場合、ダメ人間になろうとするが)
 
 たとえばフィクションを書いている人は、一貫してフィクションを書き続けている。
 たまにちょっとした日常のことを書いたり、ペットや作業環境の写真が載ることもあるかもしれない。
 しかしフィクションを書き続けている。
 
 たとえばミニマリストをテーマにしている人は、一貫して(宣伝の多さやメッセージの頑なさ、ポエムな表現さえ含めて)ミニマルライフを綴っている。
 たまにちょっと宣伝が過剰だったり、ポエムが過剰で意味を読み取れなかったりするけれど、それは読み手である僕の感性がそう捉えているだけで、実際はリアルライフがシンプルなぶんだけ、メッセージは大阪人のギャグのようにコテコテなのだろう(一方的な決めつけであることについて、この場を借りて大阪の皆さんにお詫び申し上げます)。
 
 たとえば料理のレシピを書いている人、外食風景をまとめている人、婚活をテーマに書き始めた人、家族との関係を書いている人、ひたすら猫との日常を書き重ねる人、本やTV、映画の感想をまとめる人、etc,etc...
 
 ほとんどの人は、テーマがかなり限定されていて、それ以外のことはほとんど何もブログに書かない。
「今日あったことをなんとなく日記に書いている系」の僕のような人であっても、なんとなく、雰囲気というか、テーマというかが見える。
 まぁ確かに、Webに向かって文書や写真を使って自分の感性を打ち明けるというのは、明に暗に情報を発信しているという事実を自覚するものであり、ために情報はその方向性や分布に偏りが生まれるのは必然なのだろう。
 
>>>
 
 青猫工場というのは僕の日常とアタマの中を書いてゆくものなので、可能な限りのデタラメさと、読む人をして顔をしかめさせるくらいの節操のなさ、それと同時に堅苦しいほどの気難しさを演出しようとはしている。
 僕は日常生活でも「真面目で几帳面で優しくて誠実」なんていう勘違いをされやすい。
(そう。それはとんだ勘違いだ!)
 10代の頃からその誤解に苦しんできたと言ったら単純に過言になるが、少なからず被害には遭っていると思う。
 
 僕はいろいろなことに対して非常にデタラメである。節操もない。倫理観も比較的テキトーである。
 不真面目で乱雑で自分勝手で傲慢で気分屋で他人から言われたことには素直に従わず男は殺して女は犯すようなイキモノである。将来は海賊になりたいです。
 
 よく今までこの社会で生きられたと自分でも驚くが、僕が犯罪を犯さないのは単純に犯す必要がないからであって、経済や文化の貧しい国で生まれ育っていたら、10代のうちに路地裏で撃ち殺されるような人生だったと想像する。
 
 それがそのまま、日々の記録に顕れる。
 昨日(210830)など、日記ついでにチャイのレシピを書き始めたと思ったらインドで蛇使いをしていたという法螺話になり、書きながら面白くなってきたものの、スペースの関係で話を急にたたみ始めるという始末だ。
 レシピならレシピ、日記なら日記と、せめて分けて書けばいい。
 それなのに(ああそれなのに)まとめて書いてしまうんだなぁ。
 
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 そもそも僕のアタマの中が(書いている通り)一貫性も節操もない。
 ガールとぱやぱやしている最中に「微分積分の概念が問題解決全般にもたらす汎用的な有用性とそのメカニズムについて」なんて概念的なことを考えていたりする。ブラのホックを外しつつ一般的なタンパク質の凝固変性する温度についておさらいをしていたりもすれば、コンドームを探しながら複数元の連立方程式において式を一次元化しショートにすることで問題を単純化し解を求めることができるならば、それは現実世界の問題解決のモデルに使えるのではないかとか考えていたりする。逆も然り。
 結果、チャイのレシピを思い出している最中に、インドで暮らしていた頃の相棒のありもしない記憶が甦るのである。またテキトーなことを書いている。
 
 弟子にも言われるのである。
「猫氏は、一見すごく真面目で見識高そうなフリをして、平気で荒唐無稽な事を言いますよね」と。
 
 しかしここは反論せねばなるまい。あるいはその理由について述べねばなるまい。
 その歴史を紐解かねばなるまい。
(と、書いているものの、そんなにいうほど必要性や必然性があるわけではない。にもかかわらずそこに必然があるかのように書いてしまうのは僕の悪い ── しかし面白い ── 癖である)
 
 元はといえば神経質で完璧主義者の潔癖症なのである。
 ここでいう潔癖症とは生活環境やその用品に限らず、人間の性質や性格、しまいに社会や集団のありようそのものについてさえもである。
 しかしそういうイキモノの常として、理想と現実のギャップや矛盾にメンタルが傷つくのである。
 
 それはそうだろう。
「こうあるべき」「こうでなくてはだめだ」というものが自分の中のこだわりとして、強く多くあればあるほど現実に対して許容する能力は低くなる。
 つまり日々の些細なことにも、息苦しくてイヤな思いをするのである。
 
 しかし当人は、それは環境や他人が原因だと思ってしまう。
 なにせ完璧主義の目指すところは完全完璧であり、すなわちそれは悪いものであるはずがない。
 その価値観も、それを持つ自分も、悪いものであるはずがないのだ。
 
 たとえるならそれは、設計と製作、設計図と製品の違いである。
 設計者という設計者は(おそらく)すべて、自分の中に理想や理念を持っている。
 その理想を解析して構造化し、物性をして達成するために図面を引くのだ。
 しかし現実は非情にして現実的だ。
 
 直線は常に歪み ── 定規が完璧な直線であることは、それさえも実はむつかしいのである ── 、線は常に幅を持ち ── ペーパークラフトなどをしていると、この「線の幅」に悩まされる ── 、立体世界での厳密な像を二次元世界に投影すること ── 設計製図の求めるところはそれであり、感動さえ喚起できるらどんなごまかしも技術として許されるお絵かきと根本的に袂を分かつ部分でもある ── の困難に愕然とする。
 ようやく書き上げた図面はしかし、それによって完璧な原型を世に生み出すことにはならない。
 
 どれほど微細に調整をして加工しようとも誤差は生まれ、直線も角度も曲線も平面も、すべて歪に変形する。
 ために設計者という設計者はすべて、現実というものに絶望している。
 どれほどの精度指定をしたところで、理想はカタチにならないからだ。
 
 設計者はその苦痛を吐露する。
「作業者が悪い。道具が悪い。設備が悪い。材料が悪い」と。
 なぜといって理想は完璧であり、図面は完全であるからだ。(もちろんそれら全ての要因を含めて、図面を作ることが大事だけれど)
 
 これら完璧主義を設計という仕事やその成果物ではなく、生きるという現象やその行為に当てはめるのが、いわゆる潔癖症だろう。それは理想という実現不可能な「正しさ」に冒されたビョーキである。正しいから、なお悪い。
 正しさの名の下においては、誇張も、懐疑も、略奪も、陵辱も、殺戮さえも、正当化される。
 それらは「正しい」からしていいことであり、それどころかむしろ率先してすべきことなのだ。 ── すべきことなの?!
 
>>>
 
 そのようなわけで、僕は正しくあることをやめることにした。
 それは「正しくないことの方が正しいから」という決然とした論理があったのではない。
 単に、正しさを行使する能力がない自分を見限ったのである。
 
 自分の大事に抱える正しさが、他者を焼き尽くそうとするとき(そしてそれは絶対に達成されないものである)、その業火は自らの首を絞めるから。
 その苦痛から逃れるには、つまり正しさから離れ、逃げれば良いのである。
 
 最初は大変だったが、何事も慣れと経験と勘と勢いと思いつきと当てずっぽうである。
 若い完璧主義者の唯一にして絶対的な瑕疵があるとするならば、現実世界の物性に無知なことだ。
 
 僕は正しさを捨て、デタラメな、つまりは混沌としたありようを尊しとし、その具現に努めた。
 というと聞こえはいいが、ようはテキトーであることを身上とした。
 いかにいい加減になるかとは、すなわち、完璧を目指しても完璧は具現できない自分を許容することそのものだった。
 
 不純であること。理想は抱えた方がいいが、それにとらわれ追いかけたりしないこと。
 計画的ではないこと。思いつきやその場しのぎの有用性に目を向けること。
 感情や感覚を大事にすること。あきらめたり、変更したり、放棄することを悪いことと考えないこと。
 それが僕を文字通りに生かす、もっとも手軽な方法だった。
 
 正当化に聞こえるだろうか。
 そのとおり、正当化している。
 理想を手放すというのは、正しくないことの正しさを受け入れるということだ。
 正しさに殉ずるのであれば、よってそのとき僕はすでに死んだのだ。
 肉体だけがずるずると生き残り、そして生きるという正しさを押しつけられて抵抗をしつつ、正しさに殉じないふてぶてしさを身に付けたわけである。
 
 もっと世の中が不純で、デタラメで、混沌として、破廉恥で、荒唐無稽だったらいいのにな、と僕は思う。
 そうすれば、毎日とても楽しいではないか。
 正しくないこととは ── 自分を含めた何者をも傷つけたり、貶めない限りにおいて ── 、それほど世のためになるのである。
 
 ちなみに僕が心の師匠にしているのは、高田純次さんである。
 どちらかというと ── それが「芸」でしかないのは理解した上で ── パンツ一丁でガールに卑猥なことを言って詰め寄ったりしている高田純次さんである。そっちのほうがカッコいいとさえ思っている。
「太田市の高田純次」を目指して日々精進しているのだが、電話越しの弟子にはいつも叱られている。
 僕は高田さんを叱ったりしないのに、これはどういうことだろう。
 
 分からない。
 修行が足りないのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-青猫β-/-赤猫-/-黒猫-/-銀猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Chaos-Convergence-Darkness-Diary-Engineering-Form-Interface-Kidding-Life-Link-Mechanics-Recollect-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Memory-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-暗闇エトランジェ-夢見の猫の額の奥に-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210830
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
今、俺の中で自作チャイがアツい。
SUBTITLE:
~ Eyes of pink pepper. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210830
 
 ここ数日、残暑は厳しいし、早朝に外に出る気力が奮い立たないし、かき集めようもないので、草取りもせず家の中でモヤシっ子ライフをエンジョイしている。
 正直飽きているのだが、暑いから外に出たくない。車のエアコンもない。学校もないし家庭もないし暇じゃないしカーテンもない(カーテンと暇はある)。
 
 せめてもとAmazonで買ったオフィスチェアを組み立てるが、机がないままである。
 スチール棚を通販サイトで探しても、これというものが見つからない。
 先日(比較的大きな)店舗に出かけたが、良いものがなかったから、本当は別の店に行きたいのではある。
 
 にもかかわらず県の感染者の半数が僕の棲んでいる太田市から先日は計上され、人口あたりの新規感染者数が東京の人口を基準に換算した場合9k人を上回っていた(東京はだいたい5k人ほどだったか)。
 これはさすがに外出したくないのである。
 
 まぁ、まだ暑いし。
 気温がもっと落ち着くまで、屋内作業もお休みしておこうか、などとぐうたら過ごしているうちに、今日は月に一度くらいの書類整理の日と決める。
 出納管理とそれに関連した書類の整理である。
 このところ調子が出ない(そもそも出し入れするものではないようにも思う)ので、ここはひとつ景気づけ(景気というのは付いたり離れたりするのだろうか)に書類を整理するが、1時間足らずで終わってしまった。
 
>>>
 
 数日前から、チャイを作っている。
 作るだけでなく、日がな一日飲んでいる。
 牛乳で煮出すのは大変なので、水からかなりの濃さのスパイス紅茶を煮出し、牛乳で割って飲んでいる。
 ホールスパイスの取り扱いが、僕の出歩く範囲のスーパーなどではそれほど多くないので、手近なものを使って。
 なあに、スパイスを適当に放り込めば、カレーもチャイも出来上がるのである。
 
【材料】
○クラッシュドシナモン
 これは近所の「やまや」にミル付きで売っている。
 スティックは高めだし、パウダーはチャイがドロドロに粉っぽくなるのでこれがいい。しかも安い。
 
○ピンクペッパー
 赤い胡椒。これも「やまや」では格安である。
 コショウをチャイに入れるなんて、と思うかもしれないが、ひと粒食べてみれば分かる。
 甘酸っぱくて、フルーティな香りの、さほど辛くない胡椒である。
 
○クローブ
 これは近所のスーパーでかろうじて入手できたホールスパイス。
 
○生姜
 ジンジャーパウダーを使っていたのだが、これはそのへんの根生姜をスライスして煮込めばいいや、ということになった。
 
○ローリエ
 我が家には僕が死ぬまでに使い切れるか怪しい量のローリエがある(業務スーパーで買った)。
 なんとなく入れる。ただし1枚だけだ。
 
○紅茶
 そのへんのスーパーで適当な100ピースのパックを買って使っている。個装されていないけれど、香りのいいものがある。だいたい1回に8個くらいを使う。
 
【作り方】
 ミルクパンに水を注いで上記のスパイスを適当に放り込む。だいたい小さじ1〜2くらいずつだろうか。
 シナモンと生姜はけっこう多めに入れている。
 ローリエだけは1枚だ。
 
 スパイスを煮出している間に、紅茶のティーバッグを取り出し、紐は邪魔なので切ってしまう。
 
 沸騰したら弱火にする。他の作業中であれば5分くらい煮ていることもある。
 気が向いたら砂糖を小さじ2杯くらい入れる。
(水温上昇と浸透圧の調整という些細な役目なので、忘れても問題ない)
 
 紅茶のティーバッグを入れて、木の落とし蓋をする。
 ミルクパンには注ぎ口があるので、弱火のままであれば吹きこぼれることはない。
 
 しばし煮込むあいだ、暇なので、インドで暮らした日々を思い出す。
 
>>>
 
 その頃の僕は赤いターバンを巻いていて、蛇使いの大道芸をしていた。
 笛を吹くと壺から蛇が出てくる、あれである。
 
 ひと月ほど前まで市場の果物売りのバイトをしていたのだが「オマエは客に騙されて、とんでもない安値で商品を完売させた」と主人に叱られ、クビになったのである。
 仕方なく「そろそろ日本に帰ろうか、でもパスポートは盗まれたままだし」などと途方に暮れて、街はずれの草原を歩いていたところ、その、赤い目の蛇に出会ったのである。
 
 蛇は僕に言った。
「おい。オマエだそうそうお前オマエ。シケたカオしてるなぁ。どうしたんだ。当ててやろうか。恋人にフラれたんだろう。って日本語は通じないのか? おーい、お前もしかしてチャイニーズか? おーい。ドゥユースピークイングリッシュ? ノーアイキャント? オーケー?」
 
「いえ、日本人です」と僕は答えたのだったか。
 
「ちっ。通じてるんなら最初に挨拶くらいしろよ。親から何を教わってきたんだよ。これだから最近の若造はよ」と、僕は見知らぬ蛇に説教された。
「まあとにかくよ」と蛇は続ける。「俺とコンビを組んで、一発当てようぜ! どうせなら吉本に行きたいけど、ここはインドだからひとつ、蛇使い使いをするからさ! 俺に任せとけば間違いないからさ!」などと、得意満面に吹き込んでくる。
 
 東京暮らしでたいていのキャッチを経験していた僕は、
「あ。いいですそういうの間に合ってるんで。じゃ」などと蛇の脇を通り抜けた。
 
「すぐ済む話だし、後悔させないからさ! ちょっと待ってよ」と、しつこいナンパ師のような感じ(といってこれまでの人生でナンパされたことはないが)なので、「ごめんなさい、急いでるんです!」とかなんとか言って、森に駆け込んだのだったか。
 
 それで森の中で道に迷って、伝説の狼の怪物に追われて、魔女に騙されそうになったところを、かの口ばかり達者な蛇に助けられてコンビを組んで蛇使いになって最終的には眼鏡で美人でオカネモチーの奥様(仮想)に出会って、蛇と一緒にパスポートを盗賊団から奪い返したついでに金銀財宝を奪って(ドロボーやで)日本に帰ってきて現在に至る、という話を考えたりする。税関をどうくぐり抜けたかは知らない。
 
 最後の方はチャイの煮込み加減が気になって、気もそぞろになっているので巻きが入っている。
 もう少し落ち着いた気持ちが必要ではないだろうか。
 
>>>
 
 耐熱ポットに茶こしで煮出した茶を取って、グラスに砂糖(最近は蜂蜜)を入れ、茶を入れてから混ぜ溶かして、牛乳を入れてさらに混ぜる。暑い日は氷も入れる。
 煙草に火を点けて、チャイとともに味わう。
 
 嗚呼。
 あいつ、今頃、何してるんだろう。と蛇のことを考える。
 
 赤い目で、減らず口ばかり叩くけれど、その実けっこういい奴だった。
 ここぞというときには間違いのない結果を出す。たいした蛇だった。
 あいつに出会わなかったら、僕は狼の怪物に喰われるか、森の魔女の生け贄になっていたのではないかと想像する。少なくともパスポートがないので日本に帰ってこられなかったはず。
 
 まぁ、インドに行った事なんて一度もないのだけれど。
 奥様(仮想)にそのことを話すと、ポケットから蛇を出す。
 
 奥様の手の上で、ちろちろと舌を出しながら「よぉ! 久しぶりに会ったのにシケたカオしてるなぁ。なんだよチャイ作ったなら俺にもくれよ」などとその赤目が言ってくる。
 言いながら、そのひんやりとした身体を僕の腕に巻き付け、こちらの顔を覗き込んでくる。
「俺とお前が組めばさ、蛇使いだって吉本の芸人だって英語教材とか消化器の押し売りだってBang! 間違いなしの外れなしさ! だからそんなシケた顔してないで、ナニかしようぜ! 何かこう、くだらないことをさ!」
 溌剌とした声で、悪魔のように僕にささやきかける。
 ピンクペッパーのような、鮮やかな赤い目である。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-青猫β-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Chaos-Cooking-Diary-Kidding-Memory-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Dish-Memory-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-ひとになったゆめをみる-:-キッチンマットで虎視眈々-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210807
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
いずれはすべて朽ちるのだから。
SUBTITLE:
~ Unquiet structure. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
210807
 
 異常な暑さ、という近年的には平均的な夏、である。
 あまりに暑く、またバイトが入ったときに起こる国内時差ボケ ── 14時頃に起床し、16時に出勤し、18時から勤務し、24〜26時に退勤し、およそ2時間後に帰宅し、食事と入浴するため、前日と勤務日と勤務翌日を体内時計調整日とする必要があり、日中は満足に活動できない ── を緩和するため、昼夜逆転の生活を送ることにした。
 
 もともと眠くなったら眠って、目が覚めたら好きなことをするようにしていたのだが、午前4〜5時を活動開始時刻とし、昼の12時頃には眠るようにし、日が沈んだら起床するようにした。
 睡眠中はエアコンの設定温度を上げることができる(代謝が下がる)ので、ちょうどいい。
 ちなみに今の家は木骨かつ2階建てなので、建材を冷やすことができず、屋根裏の冷却装置を設置しても、生活スペースである1階部分の冷却にはあまり影響しない(それより建物の断熱の悪さと隙間の多さが致命的である)ので、サンシェード用のシートをいくつかの窓に設置した。
 すだれは重くて作業的にも建材に掛かる負荷も高く、断熱効果も低い、というのが結果である(樹脂シートタイプと旧来のすだれと、両方買った)。
 水を掛けることで相乗効果が望めるのはよいことだけれど、雨樋の金具にくくりつけているため、荷重的によろしくないように思う。
 
 そもそも床から天井までの掃き出し窓が多い。
 1F部分で22枚、2F部分で8枚のサッシが掃き出し窓である。
 一方の腰窓は1F部分に2枚、キッチンに謎の出窓で4枚、2Fに2枚と天井近くに(僕でも背伸びしてやっとの)小窓が4枚。
 とにかく1Fの掃き出し窓の多さは、防犯の面でも断熱の面でも(なんでこんな設計にしたんだ露出狂か)というレベルである。掃き出し窓なのにカーテンレールの装備されていない箇所も2つある。
 ために屋内に熱がこもりやすくまた逃げやすい。
 40年ほどの建築物なのでサッシはアルミでガラスもシングルである。
 
 いずれ掃き出しになっているサッシの一部を取り外し、腰窓や壁にしてしまう予定であるが、床の工事も満足に終わらない男が壁の工事なんてできるのだろうかと今から心配している。
 
 そういえば住宅部分に接続する形で簡単な倉庫部分が増築されているのだが、どんな設計で作ったのか、母屋から離れて数十ミリの隙間ができている。そのうち倒れるような気がする。
 つくづくにアタマワルい技術者と依頼者を呪う。
 
 最近ではこのまま死ぬまで直しながらこの家で生きるよりも、どこかの賃貸住宅で静かに暮らした方がよいと考えるようになった。
 ただ建物や地面というのは僕にとってはかなりの実験材料になるので、もう少し遊んでいたいのではある。
 
>>>
 
 たとえば10年以上前から建材や空間に水を循環させて(場合によっては直接噴霧散布して)熱交換する構想も、いろいろしようと思えばできる。
 なあに失敗したって朽ちかけた家が一軒、本格的にダメになるだけだ。
 
 鉄骨であれば鉄骨そのものに導水パイプを密着させる方法も考えていたが、木骨だとその実験は不可能なことが残念といえば残念か。
 今は単純に導水とラジエータによって熱交換を行い、庭に穴を掘って地熱と交換することを考えている。
 1m掘るのはむつかしいが、数十cmでも気温との温度差はそれなり(だいたい10℃ほどか)はあるはずである。
 理想は2〜3mだが、そこまで掘るのは人力ではおよそ不可能で、工事を外注すると家が建つような値段になりかねない。それに大量の土砂を一時的に保管する必要も出てくるから現実的ではない。 
 ラジエータの設置は不可能だろうから蛇腹状に配管して面積を増やせば最大で地熱同等まで水温を交換できる。
 その熱を屋内に循環させて屋内温度と交換すれば、夏は涼しく、冬は暖かい環境を作りやすくなる。
 
 もちろん水温による地熱と屋内の熱交換だけで快適な空調とは言いがたいが、現在の「冷媒の膨張や収縮、燃料の燃焼による熱交換」の底上げには十分以上の能力を発揮するだろうし、ランニングコストは(水やそれに準ずる液体を循環させるだけなので)非常に低廉だ。
 
 ただし工事を含めて初期設備がかなりの高額になる気はするし、(基礎工事に組み込むのでない限り)土地が必要で、増改築の際に工数が増えること、耐用年数がせいぜいでも数十年しかないことが難点だ。
 もっとも最初からきちんとした設計をしておけば増改築の必要は少ない(現に今の住宅の多くは増改築を必要としないもののように見受ける)し、耐用年数は住宅同等(2世代使う必要などない)と考えれば、基礎からの初期組み込みで500〜1000万円程度の上乗せで実現できそうな気はする。建築基準法とかは知らないけれど(笑)。
 耐用が50年と想定して年20万と考えると……。
 
 エアコン使った方が安い気がする。(え?)
 500万円でも高いが、停電等に強く、液漏れさえしなければ接続しているだけで多少は熱交換が期待されるのは強みか。そうでもないか?
 
 やはりそこまでするのはやめよう。高くつきそうだ。
 部屋にビニルのお子様プールを設置する方が、安くて安心で安全で涼しい気がする。それでいこう。
(仮想奥様をチラチラと窺いながら)
 
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 とにかくサンシェードを(雨樋にテキトーに)ぶら下げたおかげで(たったそれだけで!)驚くほど涼しくなった。
 家中の窓という窓にこれをぶら下げ、エアコンの室外機にも専用の庇を作ってやりたいくらいであるし、高額な設備投資を要する実験なんてやめてしまえよオレのこと好きなんだろ? あいつのことなんかオレが忘れさせてやるよ、みたいな気分にもなる(急な展開)。
 
 今年の園芸部の惨憺たる状況を考えると「サンシェイドが有効に涼しい」というだけでも明るいニュースのように思えてくるから不思議だ(そのくらい悲惨だった)(あえて過去形)。
 
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 リフォーム代金の支払いがようやく終わった。
 退去したアパートの家賃も発生しなくなったので、来月からは(気温にもよるが)リフォーム作業を再開できそうである。
 
 しかし家電の一部が壊れ始めている。
 冷蔵庫は以前から一部のパッキンが破損していたのだが、引き出しドアの冷凍庫部分にひずみが発生したのか、ときどき隙間が発生する。相当年季の入ったものなのでいずれは買い換えを要する。
 またエスプレッソマシンが徐々に不調になってきている。10年以上使っている(15年ほどにもなるだろうか)ので、相当に付き合いが長い。現存のいかなる恋人よりも長い付き合いである可能性を否定できない。こういうとき、無駄に張り合おうとする奥様(仮想)をどうにかしたい。
 洗濯機もひどい状態で(さほど古くはなさそうだが)どうしてこんな機体を買ったのか分からないくらい使いづらい。汚れは落ちないしフタにロックが掛かったりして不便きわまりない。
 またコンピュータのバックアップシステムがまだ出来上がっていない(携帯端末も同様な)ので、これも整備する必要がある。
 
 優先度はバックアップ、冷蔵庫、エスプレッソマシン、洗濯機の順だろうか。
 バックアップなんて何もなければ必要のないものだが、携帯端末のデータを保存できる場所がどこにもないことは不安である。
 MacBook のストレージは貧弱なので、iPhore のバックアップ先として機能しない。
 こういうとき、MacProがいかに万能だったかを思い知らされる。
 本体内蔵のストレージだけで、iPhore をバックアップし、自身のバックアップも保存し、データ領域とシステム領域を別の物理ドライブで保存できたのだから。
 いやその前に机と椅子だろうか。このままだと腰が痛い。
 
>>>
 
 ホームPCユーザが減っているといわれているが、僕は携帯端末よりもPCが好きである。
 画面は大きいし使い勝手も格段によい。拡張性に至っては雲泥の差であるから、道具に使われないという点においてPCは携帯端末よりはるかに優れている(それでもユーザにあれこれ強要しがちなのがシステム設計者の悪いところであるが)。
 
 入力機器を見ても本体を探しても、とにかく魅力的な商品がまったくなくて困っている。
 キーボードやマウスは、こんなに同じような商品をいくつも製造する意味があるのかと思ってしまう。
 少なくとも僕は高機能な機器を使い続けてきたので、今の市場を観察するに、文化として衰退に向かっているとずいぶん前から感じている。
 
 マウスのスクロールホイールが3つくらいあったって全く不便ではないし、キーボードにトラックパッドや様々な入力装置が付随していても便利だと僕は感じる。
(MacBook にある 液晶のタッチバーでさえ、見かけ倒しのまだるこしい ものだと感じる)
 
 使う人間が退化しているのか、作る人間が怠惰になったか。
 これは何の淘汰の過程なのだろう。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Maintenance-Mechanics-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Computer-Garden-Human-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-工場長の設計室-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210814
// NOTE:
// ----- >>* Header  Division *<< //
TITLE:
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観る。
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた。ちょうどその人生観が違っていたように。宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫(えいごう)はこれただ瞬時 ── 涅槃(ねはん)はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存するという道教の考えが彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210814
 たまたまAmazonでカートの定期整理をしていたら、ヱヴァンゲリヲン新劇場版の最新作(シン・エヴァンゲリオン劇場版)がリリースされていたので見る。
 シリーズなのにタイトルが違うのは、青猫工場みたいな酔狂だからだろうか。
 酔狂とは傍目には理解しがたいものなのだと理解する。
 
 ちなみに僕は基本的に、急ぎの買い物をAmazonではしない。
 欲しいかなぁ、と思ったものを額も関係なくカートに放り込んで気が向くまで寝かせ、ひと月に一度くらい観察して、本当に必要なものは気が向いたら買うという程度である。
 なので「なんとかセール」も基本的に無視。
 何かを買い叩くとき、何かを踏みにじるとき、それは翻って自身にそうすることと等しいからだ。
 会社員をしていたときの仕事もそうだったし、無職になった今もその哲学は変わらない。
 
>>>
 
 僕はどういうわけか昔から「エヴァンゲリオン好きそう」という評価を受けるのだけれど、実のところまったく興味がない。
 そもそもロボット(ヒト型を含む)は好きなのに、ロボットアニメに興味がないようだ(今知った)。
「好きなロボットアニメは」と尋ねられたとして、回答に窮する。そもそもろくに見たことがないので好きも何もない。
 いや「宇宙戦艦ティラミス」とか「シドニアの騎士」あたりは(最近暇つぶしに)見たから、いやでもしかし「好きで他の人におすすめしたいか」と問われると困るのではある。
 ロボットアニメというのはいずれも外連味が効いているとは思うが、どちらかといえばファンタジィに近いと認識している。
 だからゲームとしてのヒト型ロボは好きだけれど、物語として楽しめる気がしないし、SFの括りにされるのはちょっと心外な気さえしてしまう(笑)。
 
 TV版のエヴァンゲリオンもWebで少し見たことがある(どうやらいつも途中で他の作業をしてしまうらしく、あまり記憶にない)。SFとして斬新な部分はあったようには思うが、結局あの兵器はロボットではなくクリーチャだし、カミサマ ── の遺したテクノロジィではなく、カミサマそのものやその能力 ── がSFに出てきてしまうとあってはデウスエクスマキナの再来でしかない。(FSSも結局よく分からない産物になっちゃったしなぁ)
 「何でもあり」になってしまうから、僕にとってのエヴァンゲリオンシリーズは、ロボットアニメではないしSFとしても「ちょっと斬新な切り口だった」というだけの、ただの青春アニメに近い。
 だからシリーズを通してどうしてあんなに話題になったのか、あまりよく分からない。
 
>>>
 
 ちょっと余談になるが、僕にとってヒト型ロボット兵器の醍醐味と思うものがあるとすれば、それはメカとしての損傷と能力の発揮にあるのだ。
 だから繊細な5本指のマニピュレータはすぐに破損するものだと思うし、関節は装甲による保護をしづらく、電気的損傷によってたとえば肩から先が動かなくなるとか、そういう状況が発生して然るべきだと思っている。
「肩を斬られました」→「はい爆発四散しましたー」という図式は、ちょっとどうなんでしょう、と思うのである。
 
 確かガンダムだったか、頭部を失った機体が、それでも稼働して戦闘を続行するという描写があったと聞く(見たことがないので知らない)。そのくらいが楽しいと思う。ロボットがロボットであることの利ではないか。
 電力、弾薬をはじめとするリソース管理があり、破損や欠損、熱による機能障害があり、壊れながらも動くから機械は楽しいのである。
 肩の関節が動かなくなった機体が、肘から先だけで射撃をしたり、質量ありきで落下を含む体当たりをしたり、手頃な武器がなくなったので落ちている車両や機体パーツ(腕なんかよいではないか)を鈍器に使ったり、動力系をオーバーロードさせた攻撃や機動をしたり。そういった「機械ならでは」という使い方をしてほしいのである。
 
 でもだいたいのロボット物語は「主人公の成長」がテーマだから、かすかに足先を斬られた機体も爆発してしまうし、主人公機には弾がかすりもしないし、火器は動作不良を起こさないし、弾薬は潤沢で誘爆もしないし、動力炉が熱暴走したりしないし、レーザー兵器を受けて装甲と関節が癒着して機動能力や精度が落ちたり、伝達系が損傷して特定の機能が使用不能になるとかそういうこともない。
 恋愛だの葛藤だの確執だの愛憎だのといった、人間くさいドラマに終始する。
(たぶんそれでいいのだろうけれど)
(伝達ケーブルが断線してしまったからどうしよう、とか、クーラントが漏れたけれどどうしよう、とか、サーボに誤差が発生したけれど手動でどうにかしよう、とか、そういうのは求められていないのだと思う)
 
 その点、ゲームはかなり技術的になる。
 ステータスがどうだのスキルがどうだの、残弾がどうだの、中には部位破壊のシステムがあるものもある。
 シミュレーションになればもっと複雑なものもあるから、それであれば楽しい。
 物語でも、バトルテックシリーズは、まぁ楽しめた方かもしれない。
 
 さて話を戻そう。
 
>>>
 
 輪廻のように繰り返される物語は確かに斬新だと思う。
 その場その場で明確にされない固有名詞や意味深な言い回し(俗に「伏線」として認識されているもの)が多かったから、あれこれ言い合うのが話題性そのものになったのかもしれない。
 登場人物も、テンプレートのようなツンデレキャラであるとか愚図な主人公であるとか人形のようなヒロインであるとかが受けたのかもしれない。そもそも日本はキャラ萌え文化の人が多いという ── フィクションは単発よりも続きものが受けるらしい ── から、そう考えれば納得か。
 
>>>
 
「あの人形のような感じがいい」と僕のある友人は綾波さんをして言う。
 あの生気のなさ。それがいいそうだ(ある種のビョーキだろう)。
 僕には良さが分からない。
 
 個人的には長髪眼鏡で破天荒な「乳の大きいいい女」のほうが明らかにいい。
 むしろ完璧だ。
 
>>>
 
 伏線であるとか、その回収であるとかに僕は興味がない。
 それはストーリィの枝葉でしかないから、気になったらあとで仔細に観察すればいい。
 幹の部分はといえばカミサマが出てくるSFのテイをした父子であるとか親子であるとか友達であるとかの人間物語のように思える。驚くに値しないが、映像は美しい。
 登場人物の恋愛感情が冷めていたりするのも ── 現実世界の時間が長すぎたのが原因かと考えると ── シュールで面白い。自己愛に満ち満ちた主要人物の内面表現もむしろ潔ささえあって心地よく、嫌いではない。
 
「Q」のあたりから並行世界的な、カミサマの領域的なものが出てきていた気がする(水面にヘキサの欠片が飛び散ったり、など)が、その表現、概念的なものを現実世界の人間が現実の事象として感覚している描写の数々は(終盤にこれでもか、と羅列される)斬新で、何度も笑った ── 面白おかしいシーンではなかったと思うが「概念世界で実存世界の兵器を使って戦闘する」という表現はさすがに面白かった。
 そもそも現実世界がめちゃくちゃになってしまって、カミサマの領域と融合しつつある世界では、何が現実なのか分からないし、観ているこちらとしても、その物語の人物にとっての現実が不明瞭になる。
 知らない世界の知らないルールの知らない事象であるから、固有名詞における作用や諸元について、仮にそれが伏線であろうとなかろうと、僕は理解することをすぐに放棄する傾向がある。
 
「なんとか粒子」とか「なんとかフィールド」とかそういうものは、僕らの肉体のある世界に存在しない場合、その物語の中の人物たちの取り扱い(行動)によってしか、その作用を理解できないからだ。
(世界設定や伏線に対する考察であるとかも、これにあたることが多い。考察するのは楽しいと思うが、僕はそれを最初から放棄する)
 だからストーリィと登場人物をぼんやり眺めていれば、物語はだいたいは理解できると思っているし、登場人物 ── あるいは見ている自分 ── に理解できないものは理解しなくてよいものと認識している。説明すべきは説明され、説明すべからざるものは説明されない。放っておけそんなもの。
(同様の原理で僕は意味不明な物事をフィクションに詰め込むことがある。ああいうのはごちゃごちゃにしているほうが楽しい)
 
 なので「なんとかの槍」がどうの、とか、それをどうする、といったあたりは理解しないまま観続けた。
 とにかく「何をどうするとどうなる」といった説明らしきセリフはあるのだが、さっぱり意味が分からない(笑)ので、雰囲気を愉しむしかない。そもそもこれはSFの皮を被った純文学ファンタジィ系だ。
 それにそう。雰囲気は悪くない。
 
 観終わった感想としては、まぁ、楽しかったかなぁ。
 雰囲気映画だし、芸術作品風でもあるし。
 エンタテインメントとしても、人物たちはそれなりに魅力的だと思うし、名言もちりばめられているし、そもそもSFのフリをした純文学ファンタジィ系なのだから。
 
 なんというか、絵画を鑑賞するような感じで見るしかないと思う。
 シーケンシャルな辻褄(笑)を求める人には多分向かない。コアなファンのあいだでも賛否両論というから、まぁそうなのかもしれない。輪廻する雰囲気映画哲学系ですもの。
 でもけっこう笑っちゃう。冗談みたいなことを真面目に、真面目に作っているから。
 何してるの? って思って笑ってしまう。
 
 茶化しているわけではない。メタ表現によって、もともと存在していたベースラインを逸脱するような作りさえ真面目にしているから、その逸脱が滑稽なのだ(そして個人的には楽しい)。
 シリアス路線だったフィクションがその登場人物をして「フィクションですよー」って言ってしまうような。その手法は通常、ギャグ路線のストーリィでしか見られなかったもののように思える。
 
 複雑な設定も、難解な世界も、ぜんぶ少人数の中にある概念世界のことだった、と考えると滑稽でおかしみがあるし。
 あるいは輪廻する自分という呪いから解放される物語だと考えればまぁ、ああいう終わりも納得ではあるし。
 ただ、箱庭世界の中で完結する話が欲しかった人は、確かに怒るよなぁ(笑)。「僕のエヴァンゲリオンを返せ」って。
 
 いやしかし。
 長髪眼鏡。乳の大きいいい女。
 うん。
 眼鏡ガールはいいなぁ。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::かくのごとくして人は直ちに天に直面するようになった。新しい意味は次第に生の術にはいって来た。茶は風流な遊びではなくなって、自性了解(じしょうりょうげ)の一つの方法となって来た。王元子(おうげんし)は茶を称揚して、直言のごとく霊をあふらせ、その爽快な苦味は善言の余馨(よけい)を思わせると言った。蘇東坡(そとうば)は茶の清浄無垢な力について、真に有徳の君子のごとく汚(けが)すことができないと書いている。仏教徒の間では、道教の教養を多く交えた南方の禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。彼らは菩提達磨(ぼだいだるま)の像の前に集まって、ただ一個の椀から聖餐(せいさん)のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 
 
 文頭文末の引用は、
「茶の本」(著作:岡倉 覚三 / 訳:岡村 博 / 発行:岩波文庫)
 によりました。
 
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-青猫β-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Link-Mechanics-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-
 
[Object]
  
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-本棚からあくび-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210818
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
無人の街、孤独の夢。
SUBTITLE:
~ Silent Building. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210818
 
 子供の頃の夢は何といっても人類絶滅、もしくはそれに近しい状況だった。
 僕の子供の頃というと、ユリ・ゲラーがスプーンを曲げたりしていたので、地球に再び氷河期が訪れるだの、宇宙人が襲来するだの、恐怖の大王が君臨するだの、米ソ間で核戦争が起こるだの、地底人がいよいよ地上世界を蹂躙するだのといった終末説が多様にメディアにあふれていた。
 まぁ、僕の家に月刊「ムー」が転がっていたせいだけれど。
 
 しかしそれよりずっと前。たぶん6歳になるかどうかの頃からずっと「僕以外のいない世界」を夢想していた。
 
 その世界は、どんな理由でなのか、僕以外の人間がいないのである。
 動物はいてもいなくても構わない。どちらでもよい。とにかく人間という人間がいない。
 しかし建物やインフラはそのまま残っているので不自由なく日々を過ごせるという夢のような世界である。
(実際には、人間がいないと多くのインフラは稼働を停止してしまうと思うが)
 
 おそらくそこに僕が見ていたのは、自由なのだろう。
 子供にとって大人は制約だから、それらから断ち切られた、奔放な自由を求めていたのだと思う。
 それからその当時、今でいうところのサバイバル技術に関する書物(これも家に転がっていた)を読んでいたから、それらの知識や技術を試してみたい、という気持ちもあったように思う。
 
 簡単なところだと「方位磁針がないときに北を確認する方法 ── 北極星や南極星による。アナログ時計と太陽を組み合わせる。木の切り株を見る。スマートフォンを使う。 ── 」であるとか、簡易集水器や簡易浄水器の作り方であるとか、小動物を捕まえるための罠の作り方とか、身近な薬草であるとか、そういう知識を覚えてしまっていたから余計に、だろうか。
 
>>>
 
 かつて付き合った恋人に「アマゾンの密林でも私は生きていける」と言っていた子がいたが、多分到着6時間程度で、蚊に刺されるか毒蛇に噛まれるかして死ぬだろうと予測された。
 しかし恋人がアマゾンの密林に ── 遭難であっても ── 行くことはないと思ったので指摘したことはない。
 その後も行っていないことを祈る。
 ちなみに煙草を水に(半日ほどか)浸してその水を靴に掛けると、匂いで毒蛇除けになる。
 熱病を媒介する蚊を除ける方法は、薬草を燃やすのだったか。
 まぁ、僕もアマゾンの密林には行かないのだから、そんな知識は何の役にも立たない。
 
>>>
 
 今、僕の置かれた状況をざっと観察すると、当時の夢がだいたい叶った環境に近いと思える。
 大人になってよかったと、つくづく思う瞬間のひとつだ。
 世界にはたくさんの人がいるけれど ── そもそも人の不在は絶対必要条件ではない ── 建物やインフラは残っていて、僕は自分の知識や技術を思うさま試す機会を得ている。
 しかもその上、たとえば上司に「それは承認できない」と言われたり、幹部会でわけの分からない部署の連中にまで囲まれて詰問されたりすることはないし、奥様(仮想の存在なので実体はない)が反対しなければ予算は自由に使えるし、実験の結果、失敗したとしても誰に報告する義務もない。
 有耶無耶にして揉み消してしまえば、成功例だけを公表して失敗のない自分を演出することだってできる。
(ええ、ええ。今年の園芸部は大失敗ですとも)
 
>>>
 
 粘膜系に炎症反応が続いている。
 喉や鼻の粘膜が腫れて少々呼吸が苦しいし、胃腸の具合もあまり良いとはいえない。
 奥の歯根も腫れている。怒った日に前後している。
 こんなに影響が残るものだろうか。それとも身体に炎症反応が出ているとき(局所に集中することもあれば、全体にうっすらと出ることもある)は免疫力も低下して、ついでに怒りっぽくなるのだろうか。
 分からない。ぼんやりしているほうがよいことだけは確かだ。
 
 思い出した。
 早朝に草取りをするようになって3日目、しゃがんで(いわゆるウンチョス座りをして)いて、腰の筋肉が痛くなったのだ。
 それ以来、炎症反応が始まり、そしてやたらと眠くなった。
 毎日よく眠った。
 早起きすることだけは決まっているから、余計にそうなのかもしれない。
 18時間ほど眠る日もあった。
 
>>>
 
 誰かの鼓動を聞いていると安心する、というガールがいた。
 
 僕についていえば、鼓動は飽きるほど聞いてきた。だから聞き飽きている。
 自分ではない誰かの、ではない。自分の鼓動がいつも鳴り響いていた。
 眠るときも。目覚めるときも。走ったりなどすれば轟音になり。入浴時はじんじんと、指先を震わせた。
 時計の針の音を数えながら、その周期を計ったりもした。
 10年以上もそれは続いたので、僕は時計がなくても、およそ正確に1秒間を、あるいは60秒を計れるようになった。
 3分を誤差3秒。5分を誤差10秒。
 やがて、現在時刻を誤差5分で当てられるようにもなったが、そもそも時計というものがこの世界にはあるのだった。
 時計のある世界において体内時計の正確な読み取りはさほどの意味を成さず、時計のない世界においては時刻が意味を成さない。
 
>>>
 
 僕はイキモノのお腹の中の音を聴いていると安心する。
 それを当時の恋人に話したら「猫クンは子供だからねぇ」と笑ったものだ。
「帰胎本能なのかな。私は貴方のママではありませんよお」と茶化すように。
 今もときどき、猫(アヲ)のお腹をしばらく借りて、枕にする。
 水の音。気泡が流れる音。微細な血管が脈動する、その音。
 心音からすればずっと無機質な、やわらかい音。
 
 どちらにしても僕の身体は必要以上に大きいので、誰かの身体の音を聴くのは簡単なことではない。
 僕の身体がまだ小さかった頃に、まわりの大人たちは居なくなってしまって、気付いたらこのサイズだった。
 気がついたら、大人より大きくなっていたのだ。
 高いところのモノと、蜘蛛の巣を取るのだけは得意なサイズである。
 
 大人になって、自分の鼓動は聞こえなくなった。
 たぶん死んだのだろう。あるいは自由になったか。
 誰も居ない街で、鼓動が旅をしているのだろう。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-青猫β-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Darkness-Diary-Memory-Rhythm-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
 
[Object]
  -Cat-Memory-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-夢見の猫の額の奥に-
 
 
//[EOF]
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210816
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
生者の国。
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210816
 
 お盆というものがどういうものなのか、知ってはいる。
 しかし長い間(およそ40年。生まれてからほとんどの時間である)お盆という行事をしないで生きてきたので、どういうものなのか、感覚としてはよく分からない。
 帰省する故郷を持たないし、帰るべき実家というものもない。
 
 前者は、僕が「今いる場所」を遠く離れる必要を感じたことがない帰結である。
 数年前、就職で京都に行くことになりかけたが、地元のかつての取引先に勤めることになったので結局群馬にいる。
 栃木県(の群馬県との境寄り)で暮らしたことが20年近くあったが、近所の川を越えると、もう群馬県だった。
 群馬県は、火山(温泉)が多いわりに、地震による被害が少ない。地盤が固いのだろうか。
 台風もまともに直撃することがほとんどない。平野部の土砂災害も少ない。これは山に囲まれているせいだろう。
 知名度がひどく低いのは僕には好都合だ。
 地方都市化が進めば、僕はもっと山奥に逃げることを考えなくてはならない。
 だから自慢できるような名物名所が何もないことが、そのまま優位性を持つ。
 落雷による被害はこの10年ほどで大きく減った。ただし夏の気温はかなり高い場所になったと思う。
 
 学生時代、東京に憧れる友人や恋人もいたが、僕にはぴんとこなかった。
 どこに行っても、結局何も変わらないと思っていたし、何より僕は人混み恐怖症だった。
 都会への憧れが皆無で、むしろどこまで辺鄙な場所に行けるかを夢想していた。
 結局のところ、その「憧れのどこか」が遠ければ遠いほど、掛かるリソース(お金や時間やコネクションや準備)が大きくなることは変わりなく、そのときは良いと思っていた場所が、棲んだら思ったより良い場所ではなかった、なんてこともあるような気がする。
 
 たとえば子供が成人する前なら、学校や買い物をする場所、公共交通機関の近くが住みやすいだろう。
 しかし子供が独り立ちしたら、夫婦でなのか独りでなのか、過ごす場所がそこになる。
 子供の身体が未成熟だったように、自身の身体は徐々に衰えて、階段を上ることもいつかはできなくなるだろう。
 だからそのときどきで、人にとって快適な、あるいは理想的な場所というのは変わるのだろう。
 
 余談だが、恋人は関東を離れていることもあった。
 九州や北海道、四国とか佐渡島とか、そういうところに恋人がいるのはなかなか素敵ではないだろうか。
 そこまで離れていなくても、片道で2時間程度の距離にいれば、ちょっとした遠距離恋愛ではあろう。
 とにかく会うのに時間が掛かるというのは、決して嫌なことばかりではない。焦がれるのも愉しい。恋路を行くのも長くて愉しい。
 かの郷ひろみさんも歌っていたではないか(目を閉じても恋人の顔を思い浮かべる能力が僕にはないが)。
 
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 24歳で一人暮らしを始めて、27には父上が鬼籍に入ったので、つまるところ3年と少し、実家があったことになるか。
 それでも帰るべき実家に戻らなかったのは、つまり故郷が近いからということもあるし、一人で暮らすようになったら実家にいても落ち着かなくなったというのがある。
(出戻った姉に僕の部屋を占拠されたために一人暮らしを始めたのでなおさら)
 父も妹も(あるいは他の姉妹も)僕のことを憎からず思っている人が多いのだけれど、僕はどういうわけか、血縁家族に対してそんなに強い慕わしさを感じないのである。子供の頃からずっと。
 
 幸い、父上が亡くなる前後は一緒に仕事をしていたのでほとんど一緒に居ることができた ── ために葬儀などの手配や進行は対外的にも有利だった ── し、母上が亡くなるときも ── すでに現在と同様、無職だったので ── 見舞いに行くのは簡単だった。
 
 本来なら叔母の嫁いだこの家の墓を(まがいなりにも嫁ぎ先の本家らしいので)僕が守る必要があるのかもしれないけれど、それこそ本来なら墓仕舞いをすぐにしていたはずなので、何をどうするものでもない。
 また直系の血縁者がこの家系では途絶えてしまったので(僕はその、滅んでしまった家系の最後の家に、どういうわけか棲んでいるのだ)もはや盆の挨拶に来る者もいない。
 高齢の方が多いし、世俗の様子も考えるとその方が適当なようにも感じるのだが、時節のやり取りであるとかを重視する人たちは少なからずいて、そういう常識から僕自身の価値観は遠く離れているけれど、慣習を最優先する価値観があることを僕は知っている。叔母夫婦もそうであったし。
 それでもやり取りを強要する人が少ないのは、僕にとってはありがたい(嬉しい)ことのひとつだ。
 義理の叔父方の親族にも、いい人はたくさんいるし、気掛かりにならないわけでもない。
 けれどもそれをすべて気にしていれば、結局人間関係が複雑になって、しがらみが増えてしまう。
 どんなに好意的な関係であっても、あるいは好意的な関係であればこそ、側にいるときはいいのだけれど、離れるときに抵抗になる。
 
 しがらみというのは漢字で「柵」と書く。いかにも不自由そうである。
(ちなみに「さく」と同じ意味ではない)
 なぜこんなに不自由を嫌うのか、自分でもよく分からない。
 おそらく子供の頃から、けっこう自由だったのかもしれないと最近は思う。
 経済的な制限は多かったし、人間関係も制限があったけれど(そもそも人間関係は制限が自動生成されるメカニズムを持つ)、僕個人の選択はかなり自由だったと思う。
 
 あるいは不自由が、自分をつなぎ止めるくさびとして、あるいは自分を包み込む防御壁として、安心だと思う人もいるのだろう。
 そういう人たちにとって、人間関係は非常に重要で、なくてはならないもののように感覚されるのだろうと思う。
 ちょうど草食動物や小型の魚がそうである。
 群れを作る必要性を感じ、あるいは本能的にそこに安寧を見出す。
 そう考えると、僕は大型の肉食獣か何かか。
 群れない点で、狼ですらない。
 
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 墓を仕舞ったわけではないので、お寺との付き合いは続いている。
 義理の叔父に罪はない(死して呪う必要がない)ので、墓の手入れくらいは時折にするのだが、当人は死んでいるし、直系の親族もいないし(いたとして誰も訪ねてこないし)僕は本来、父上と母上の子だし(しかし両者とも墓を持たない孝行者である)で、フクザツな心境ではある。
(死してなお)呪われた叔母の遺骨は(彼女自身の業により)、埋葬されずにまだ置いてある。
 
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 おそらく「人間関係を大事にする人たち」にとって、疫病のためであるとか、自然災害のためであるとかによって、往き来ができない状況は、相当なストレスになるのだろうと想像する。
 悲しくなったり、あるいはイライラしてしまう人もいるのだろう。寂しい思いをしている人もいるだろう。
 あるいは往き来をしたくないけれど、しなくてはならない人にとっても同様だ。
 板挟みのプレッシャの中では、いかなる決断も何らかの危惧を抱える。
 
 続く雨空を眺めて思う。
 いろいろなことが、僕のような少数派の人間にとってだけ都合のよい世の中はよろしくないのではないかと。
 たくさんの人たちが、何気なく日々を過ごして、喧嘩したりしながらも、笑って過ごせる世の中のほうがよいと。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-青猫β-/-黒猫-/-銀猫-
 
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  -Blood-Darkness-Diary-Ecology-Link-Love-Memory-Season-
 
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  -Condencer-Connector-Generator-
 
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  -Human-Memory-
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-ひとになったゆめをみる-
 
 
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// TimeLine:210818
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ごはんログ。
SUBTITLE:
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210818
 
 春頃、ひたすら揚げ出し豆腐を作って食べていた。
 Webニュースか何かで「簡単に作れる」といった記事に踊らされたのである。
 もともと冷や奴を食べるにも豆腐を水切りしているので、水切りした豆腐には事欠かない。
 大豆製品は基本的に毎日食べるものだからなおさらである。
(米はめったに食べないが)
 揚げ出し豆腐がひと月以上も続いたろうか(毎日、である)。
 
(毎日きのこあんかけだったわけではない)
 
 先に奥様(仮想)が根を上げた(最初は喜んでいたのだが)。
 肉体を持たないのに飽きるのは、どうやら記憶に蓄積する結果のようである。
 そのうち僕自身も飽きた。
 
 それと時期を重ねて、刺身こんにゃくを毎日食べた。
 刺身こんにゃくはおよそ3ヶ月続いた。
 しまいには辛子酢味噌を自分で調合するようになった。
 豆腐、刺身こんにゃく、それともう一品でだいたい満腹になる。
 
 ガスコンロをひと月ほどまえに入れ替えて、それからローストチキンをほぼ毎日食べるようになった。
 以下はそれらの記録である。
 
7/28 胸。
 
 
8/6 胸。ここまでは塩コショウとグレイビーソースのみ。
 
 
8/9 ここから冷凍ささみの手軽さに目覚める。
ソースはオニオンドレッシングだろう。
 
 
8/10 ささみが埋もれている。
 
 
8/11 ささみアーリオオーリオソース。写真を撮るのがようやく習慣化する。
 
 
 
 
 
8/11 トマトアーリオオーリオソース。
お皿からはみ出る。
 
 
8/12 翌朝も同じものを作っている。
 
8/14 飽きるということを知らない。
 
8/15 懲りることもない。
 
 
ちなみに人参は数日に一度、茹でおきしている。
玉ねぎは都度、生の1/2を使う。
 
それ以外の野菜はトマトを除いてすべて冷凍野菜である。
 
だいたいオーブン皿に放り込んで塩コショウして20分くらいで出来上がる。
ワンプレート料理というか、単品料理なので、あとはお酒と豆腐とか、チーズとか、刺身こんにゃくが並ぶ程度である。
 
さすがに作り飽きて3日ほど休んでいる。
材料はあるのでまた作ろうかと画策している。
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

 工場内検索結果へのリンク。

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-青猫β-/-赤猫-/-黒猫-/-銀猫-
 
[InterMethod]
  -Cooking-Diary-
 
[Module]
  -Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Dish-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]

-ひとになったゆめをみる-:-キッチンマットで虎視眈々-

 
 
//[EOF]
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210813
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ぷんすかの夏。アドレナリンの夏。

Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210813
 久しぶりにものすごく怒ってしまった。
 
 理由はまぁ比較的簡単なことで、感染拡大に伴い店舗が休業するので予定されていたバイトがなくなるという連絡を受け「ラッキィ!」と思っていたのだが、当の当日(今日)、それも通常なら家を出ている時間をとうに過ぎた頃「急遽営業することになったのですが、来られますか」と連絡を受けたためである。
 営業を決定した経営者もどうかと思うし、それを今日の今日(と明日)、本来なら自宅を出発する時間を過ぎて連絡する担当社員(こちらが旧知の友人である)もどうかと思うのである。
 
 幸いメールであったので、あからさまに怒鳴るようなことはなかった ── そもそも誰かを怒鳴るようなことはめったにない ── が、
「さすがに今の今は無理です。営業を決定した人が責任を取るべきです。明日は可能ですが、その場合、今後は一切お引き受け致しかねます」といった内容の返答をしており、明らかに怒り心頭である。
 

>>>

 
 その後、気分転換にしばらく外を歩いたのだが、帰宅してもやはり怒りが収まらない。
 頭の中はメール直後に切り替えたので他のことをしているのだが、自分の身体が怒りを記憶している。
 心拍の数も多いし脈動も強い。身体の末端がすこしぴりぴりと痺れている。
 アドレナリン反応が引かないのである。
 すべきこと(対応しかねるという連絡)はしたし、したいこと(怒りを適切に伝える)もした。
 これ以上、すべきことはないし、怒りにまかせて何をしようというのか。することは何もないぞ。
 
 食事の用意をしようと台所に向かっていたのだが、そうこうするうちに意識が朦朧としてきて暴力的な眠気がやってきた。
 恋人に叱られている最中や仕事で熱中していた直後、気絶するように寝てしまうアレである。
 ふらふらするアタマと脱力が始まった身体を使ってヨタヨタとベッドに直行し、横になって服を脱ぎ捨てる。
 
 身体を撫でながら、意識を失う。
 
>>>
 
 人格系を切り替えてしばらく経った。
 旧来の人格系(BlueCat人格系とでも仮称しようか)の記憶と価値観が、今の生活に不都合はあっても有効性が低いと判断したため「6歳以前」とその周辺で対応することにしたのである。
(最近、作者名に若干変更があるのはそのため)
 
 現在、昼夜は逆転し(なぜなら日中は活動するには過剰に暑いので、眠って代謝に伴う体温上昇を抑えたほうが電気代もお得である)睡眠時間も安定しない(2,3時間で覚めることもあれば、半日眠っていることもある)。
 しかしだいたい午前5時前後は起きているので、庭仕事もゴミ出しも容易である。
 何より、かつて感じていた罪悪感は微塵もなくなった。
 さすが労働を知らない6歳以前。
 そして子供の頃のことをよく思い出すようになった。
 回想したくない記憶も中にはあるが、だいたいそれは後付けの価値観によって否定的な評価をされたものばかりで、感覚した時点ではとくに何も思っていないことが多いように観察される。
 おそらくなのだけれど、子供の頃から僕は、感情が希薄だったのかもしれない。
 
 いや、そうだろうか。
 ものすごく怒りやすかったのは事実だ。
 この怒りやすさというのは、感情の傾向ももちろんだけれど、肉体的な傾向もそうなのだ。
 今は怒りの感情も比較的容易に制御できるが、子供の頃はどうにもならなかった。
 身体にも強く影響が残るため、おそらく毎日不快だったのではないかと想像する。
 なるべく怒らないで済むように、僕は価値観を変えようと努力したし、当時は一部の科学誌で取り上げられる程度だったビタミンやらミネラルやらの栄養バランスについて ── それらによって人間の精神的状態が左右されるというもの ── も意識するようになった。
 そう。
 昔は栄養が(あるいはその不足が)人間の精神に影響を及ぼすなんて、あまり知られていなかったのだ。
 
 僕の場合は、消化・代謝系の問題もあるだろう。
 炭水化物と油脂の消化が苦手で、糖分をよく摂っていた。
 それが身体の特性だったから、必然にイライラしやすかったかもしれない。
 しかしそもそも、この身体は強くも速くも動かない。
 機能的に平均より優れた部分が思いつかない。
 
 ぼんやりのんびりすることに心掛けるようになったのは20代以降だけれど、そもそものんびりぼんやりに適したカラダのイキモノなのである。
 
>>>
 
追記。
 入浴時に(目眩を起こして)気付いたのだが、食欲が欠如している。
 これもアドレナリン反応だ。
 放っておくと長期に渡り、体重が激減したりするので、食事を意識的に摂ることにする。
 
 しかし興奮するはずなのだから、眠くなるのが不思議といえば不思議だが、これは脳の酸欠によるものかもしれない。
 脳の血流も増大しているのだろうけれど、ブドウ糖やら酸素やらの供給が、消費に間に合わないのではないか(現に、怒っているはずなのにあくびばかりすることになる)。
 結果として、電力の供給不足でブレーカが落ちるように、僕は眠くなるのかもしれない。
 炭水化物の消化も同様に、臓器に血液が集中して脳が酸欠するのだろう。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-赤猫-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Link-Maintenance-Mechanics-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Memory-Poison-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-暗闇エトランジェ-
 
 
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// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210810
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ゲームをするのに不適なつまみはなにか。
SUBTITLE:
~ Loose controler. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
210810
 
 お酒を飲みながらゲームをするのに、もっとも不向きなつまみといえばアーリオオーリオ枝豆をおいて他にあるまい。
 なにステーキやソテーの類いはどうか。
 ポテトチップスを筆頭とするスナック菓子ならどうか。
 ケンタッキーフライドチキンならどうなのかとオマエは聞くか。
 オマエは俺に聞くのか。
 
 ふん、生ぬるい。
 
 箸があるではないか。ナイフとフォークが使えるではないか。
 フライドチキンを手づかみで食べなくてはならないなどといった道理はいったい誰が決めたものか。
 むしろ揚げたてなどは熱く、手づかみで食すなど愚策である。
 ナイフとフォークで切っておけば、サイズも手頃になって放熱もできる。完璧だ。
 
 そうではないのだ。
 道具が使えず、手で食べるより他になく、そのうえ指が油やニンニクや塩でべとべとになるからこそ、アーリオオーリオ枝豆はゲームドリンカにとって最大の敵、すなわち難関だと言っているのである。申し述べているのである。
 
 いやしかし、とお主は申すか。
 湯豆腐やすき焼きをはじめとする鍋物、焼き肉、殻付きのカニ、ピッツァ、ロングパスタはどうかと申すか。
 
 笑止。
 うぬらは目が節穴なだけではなく、想像力もないのか。そんなだから異性にモテないんだ。
 
 これらもステーキ理論と同様、道具と準備によって解決できる。
 湯豆腐やすき焼きなら、あらかじめ取り皿に取っておく。焼き肉ならこまめに焼いて食べるだけである。カニだって先に殻を剥いて並べておけばいい。ピッツァも小さめの三角形に切っておけ。ロングパスタはガールに食べさせてもらえ。
 
 それならば、とうぬらは申すか。
 この上まだ食い下がるか。
 ゲーマとしては見上げた根性である。
 そこは評価しよう。そこだけは評価しよう。
 しかしてアーリオオーリオ枝豆も同様、恋人にさやを剥いてもらえばいいだろうと申すか。
 
 このうつけ! この非モテが!
 貴様らは童貞か! ガールと手を繋いだこともない愚図か。
 
 違うのだ。
 全然違う。うぬらは分かっておらぬ。
 アーリオオーリオ枝豆は、殻の周囲に調味料が付着している。
 調味料(豆)調味料
    ↑サヤ↑
 こんな感じである。
 
 さやごと口に含んで、あるいはさやから豆を押し出した後に指についた油を口に含んで、そうしてはじめて我々はアーリオオーリオ枝豆のすべてを味わえるのではないのか。
 そうしてはじめて我々はアーリオオーリオ枝豆を食したと言えるのではないのか。
 ガールにさやから出してもらったアーリオオーリオ枝豆など「かつてアーリオオーリオ枝豆だった別のナニか」でしかない。そんなものは断じてアーリオオーリオ枝豆などではないのだ! 断じて!
 
 などということを奥様(仮想)に開陳していたところ、
「じゃあ猫クン。私がさやごと口に含ませてあげるよ。はい、あーん、して」というのでしぶしぶ試した ── あまり行儀のよいものとは思えなかったため気が引けたのだ ── が、他人とは不便なもので、豆を押し出した直後にさやを引かないと、次の豆をターゲットできないのである。(諸君これが想像力だぞ)
 しばらく続けてようやく息が合うようになるのであるが、ぼんやりしていたら、奥様(仮想)に唐辛子を口に含まされることになった。信用しきって種ごと噛んで苦しみもだえる僕の姿を嗤う奥様(仮想)。この所業よ。
 
 アーリオオーリオ枝豆は諸君。
 酒のつまみには最適だが、ゲームするのに向かないし、誰かに食べさせてもらうものでもない。
 

 優しい顔をして近づいてくる奴はみな敵だと思え。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-黒猫-
 
[InterMethod]
  -Chaos-Cooking-Diary-Kidding-Love-
[Module]
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  -Dish-Game-
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[Cat-Ego-Lies]
-キッチンマットで虎視眈々-:-コントローラと五里霧中-
 
 
 
//[EOF]