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TITLE:
陰でひっそり眠るもの。
SUBTITLE:
~ Silent soliciting sleeper. ~
Written by BlueCat

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::「あらまぁ。では名前を売っているのですね」
「名前というのは売れるものですか」
「それはそうでしょう。だからみんな都に集まる。武芸の大会なんてあれば、我こそはと名乗り出る」
「そこで名前を売るわけですね」
「そういうことですよぅ。名前が売れれば偉い人に登用してもらえるかもしれないし」
「どうしてですか」
「そりゃあ名前のない人より、名のある人の方が腕が立つからでしょう」
「名前のない人なんていないと思います」
「ああ。いや。だから。たくさんの人に名前が知れている人の方が強いということですよ」
「なるほど、それなら分かります。しかし名前を売ってしまったら、自分の名前が無くなってはしまいませんか。それに名前が知られていなくとも、もっと強い人がたくさんいるようにも思えます」
 
 
 

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 10年ほど前から、なるべく他人との繋がりを少なくしようと考え始めた。
 当時はさまざまなSNSが勢力を拡大し始め、ブログはその勢いを失いつつあった。
 
 今ほど大きなメディアとして機能していなかった Twitter や Facebook も試してみたが、すぐに興味を失った。
 誰かと繋がることに興味がないわけではないが、Webで誰かと繋がっていて得られる情報は多くの場合、無価値か、あるいはそれ以下だった。
 
 ここでいう価値とは、普遍的、あるいは科学的だということ。
 場所や時間や立場や発信者や受信者が変わっても、情報の内容や意味が変わらない、ということ。
 同時にその情報が他のほとんどのメディアで取り上げられていないならば、その情報は極めて有用で高価値だと僕は思っている。
 ちなみにここでいう「科学的」とは、検証の可否を問わず、時間や場所や観察者に左右されないという ── 上記の説明のとおりの ── 意味なので、個人の日記であろうと普遍的と思われる概念や哲学が記されていれば、それは科学的だと判断できる。
 
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 はたして直感は正しかった。
 今だに僕は多数の人間と関わりあうことに向いていない。
 互いに影響を与え合うのが人間関係であるし、そこで発生する影響というものは、その動機や作用や結果が善良で、有意義で、高い価値や相乗効果を生むとは限らず、むしろそうしたものは稀だからである。
 
 多くの場合、僕は誰かを困惑させ、動揺させ、驚かせ、ときに傷つけ、ひどい場合は再起不能に打ちのめしさえする。
 同様に僕は誰かに困惑させられ、動揺させられ、驚かせられ、ときに傷つけられ、稀に回復不能なダメージを負う。
 比較するに僕は多数派には位置できない思考を持っており、他の概念系に表面上馴染むことができたとしても、長期的には齟齬をきたす。
 やがて相互に価値観の汚染を起こすことは忌避すべきだと思うようになった。
 一見無価値な価値観であっても、そこには歴史があり、少数派でも論理が通るからといって、あるいは多数派だからといって無思慮に、他者に対して自身の価値観を押し付けることは侵略であり暴力であり陵辱である。
 価値観のレイプは未だにどの場所にも存在している。往々にして人は、自身の正義を疑わない。
 
 思考や解釈の段差が精神的苦痛になっているだけなら何とでもなるが、精神的苦痛が肉体的なダメージとして顕れると、もうどうしようもない。
 それまで思考や価値観(つまりは記憶だ)を変容させていたとしても、すべてが白紙に戻ってしまう。
 
 だから、自分の身体の安全のためにも、なるべく無理をしないようにし始めた。
 向かない肉体労働のたびに、身体の機能や外観を損ねたので、できるだけ頭脳労働に切り替えたのも同様の原理である。
 
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 実力のあるものは、必然に名が知れるようになる。
 それが人間であれモノであれ、優れたものが広く知れ渡るのは社会本来のよい働きだったはずである。
 しかしある時期から逆説的に、名前が広く知れ渡れば、それが実力のある証だと見なされるようになる。
 
 古くは広告/宣伝がそうである。
 広く知られれば、それが経済を作った。
 実際は、無名の同等品がたくさんあったはずである。
 わずかに抜きん出ていても、あるいは仮に劣っていたとしても、誰もが知っているものの方が確実で優れているという信用の性質が社会にはあったから、その機能を逆手に取った情報戦略ともいえる。
 
 その延長線上で、未だに社会は名と実の誤差を埋めないままに進んでいる。
 だから僕は、有名にならないようにしようと思ったのである。
 
 名だけ広まって、実のないまま経済を作ってしまった人たちが、世を賑わせている。
 SNSにおけるインフルエンサや動画配信事業者は、ただ「不特定多数の注意を引く」という理由によって、最終的にはその「注目している不特定多数」から小銭を集めているわけである。
 
 すでに名と実は、全く異なるパラメータになっていて、かつて社会が機能として持っていたはずの「名のあるものは実力が備わっている」訳ではなくなっている。
 観察する範囲では、炎上をする方もさせるほうも、相当に下らないことをしているなと思ったのである。
 
 匿名による掲示板的なサービスは未だに存在していて、そこでも同様に不特定多数の耳目を集める書き込みがあるようだけれど、基本的にもう、有名になったら負けではないかとすら思っている。
 
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 そもそも僕の求めているものは、経済的な観点を除けば有名になる必要のないものだった。
 社会に訴えたいこと、あるいは引き寄せたい未来は確かにあったけれど、それは無名のまま、経済を介することなく実現が可能だった。
 
 たとえば20年以上前は、まだ安楽死(尊厳死)を求める声は少なかったし、家族葬なんて言葉もなかった。
 しかし家族葬どころか個葬(造語。自分で自分の葬儀をアウトソースで自動化する手続きをする。葬儀の自動化は進んでいるし、僕はこれを実行しようとしている。葬儀に特段ゲストがほしいとか要らないとか、そんなことはどうでもいい)もますます一般化するだろうし、安楽死もバブル経済の頃よりはそれを求める声が大きくなったのでいずれ実現するだろう。綺麗事だけでは経済も社会も動かなくなってきているのだから。
 
 もちろん僕が「家族葬」という言葉や概念、サービスを作ったわけではないし、安楽死を社会に導入しようと広く強く働きかけたこともない。。
 ただ、葬儀でいえばそうした「より小さな葬儀」の方が自然だな、とはずっと感じていたし、自死選択の必要性について僕はかなり頻繁に考えていた。
 社会が、より自然だろうと思えるフォルムに対して不自然なカタチをしているから、それが気になっていただけである。
 
 近年は「会社の飲み会に出たくない人は出なくてもよい」という風潮になった。これも20年以上前から僕が言っていたことである。
 僕はお酒が好きだし、アルコール分解能にも優れているようだけれど、無理に人を集めてお酒が好きでもない人に飲ませたり、女性や立場の低いものに給仕を強要したり、酒豪自慢をしたりする人間は下品で嫌いだった。
 ために会社の飲み会などはその存在についてさえ否定的だった(実際、乾杯が終わるとよく姿を消した)。
 
 名もなく、正体も不明なまま「その無駄な出っ張りが不自然だ」と僕はコソコソとあちこちで吹聴する。
 たとえば会社の取引先で、たとえば同窓会で、たとえば恋人との睦言の合間に。
 それはとても小さな力だ。
 だから僕は何もしていないのに等しい。
 未来を予測しているわけですらない。
 けれども誰もそれをしなかったら、誰一人としてその不自然さを不自然だと思わなくなってしまう。
 
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 もはや有名であることは、実が伴っていないことがほとんどであると認知されつつある。
 少なくとも僕は感じている。
 最近、ニュースにすら興味を失いつつあるのはそのためだ。
 多くの人の注目を集めていることが、どれほどの意味を持った情報か。
 政、芸術、芸能に「秀でている」と名を知られた人のどれだけに、どれほどの実力があるか。
 
 実がないから広まった名のぶんだけ叩かれるのである。
 それでもその有名性にしがみつくのは、意地か経済のためではないだろうか。
 少なくとも僕は無気力なので、他人に叩かれるのはストレスである。
 それが仕事で経済を生むなら我慢すると思うが、わざわざタダでストレスを増やしたところでいいことはない。
 あるいは叩く側が衆愚であるというのなら、その衆愚を衆愚のままにしておいた方が都合のよいシステムで社会が回り続けている証左だろう。
 愚民しかいない国家なら、やがて滅ぶのは必然だ。
 しかし社会という複雑系が、それをたやすく実現するとも思えない。
 
 もちろんこれは揺り戻しのフェイズが始まるだろうというだけのことで、最終的にはやはり、実力の備わった人間やモノが、広く世に名を知らしめるとは思う。
 ただその機能が今はまともに役割を果たしておらず、社会のひずみの原因のひとつになっていて、ために社会は一度、名と実の誤差を生む仕組みについて見直す必要を迫られているのではある。
 おそらくこれも、僕が何をするでもなく、勝手に淘汰されるはずだ。
 
 だから僕は、電信柱の陰からひっそりコッソリ、想いを寄せているガールの部屋を覗くがごとく(ストーカ行為は犯罪です)静かに暮らしておればよいのである。
 
 実を見ず、上辺だけで経済を動かしたから、実に見合う経済が動かず、上滑りした安物が市場を席巻し、結果として安物が人気を集め、日本のメーカは空荷の重たいコンテナに成り果てた。
 多くの人が、名ではなく、正しく実から価値を判断できるだけの価値観を手に入れられるなら。
 経済は経済として、正しくその力を発揮するだろう。
 すなわち人が、正しくその力を発揮するのだから。
 
わたしはここにいないのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::「それにしても不思議に思うのです。名前が売れている人は売る必要がなくて、名前が売れていない人が売るのですよね」
「そうそう。そういうことですよぅ。分かっているじゃないですか」
「どうして売れないものを売る人がいて、しかもそれを買う人がいるのでしょう。手に入るわけでもない名前を買ったところで、その人は何も得られないように思うのですが」
「はぁ〜あ。面倒な人だねぇ」
「すみません」
「いえいえ、いいんですよ。それに私は、貴方のことを買っています」
「本当ですか。やめてください。売った覚えはありません」
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
生きる気力について。
 
 
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[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-青猫β-/-黒猫-/-銀猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Color-Diary-Ecology-Engineering-Form-Link-Mechanics-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
-夢見の猫の額の奥に-
 
 
 
//[EOF]