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// TimeLine:230122
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
パンツと潔癖症。
SUBTITLE:
~ disabuse. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230122

 姉の家に行く予定だったが、明日訪問看護の予定があるらしく順延して明日午後に。
 午前4時には眠るつもりが寝そびれてしまったため、10〜15時まで眠る。
 自宅にいるときは2部睡眠制が合っている気がする。

>>>

 日記を書いていると、自分のことをえらく潔癖な人間だと思うことがある。
 おそらく本来的にそうであり、それは僕自身にとってひどく不便なことだったように思う。
 他人を許せず、また己をも許せない。
 きっと死にたがるのはそのせいで、死んで綺麗にはならずとも、せめてそれ以上穢さずに済むのだと思い上がっているのだ。
 しかしそれは正しいとは限らない。

>>>

 誰も綺麗なままで生き、汚れず死ぬことはできない。少なくとも僕はそう思っている。
 あるいは世の中には綺麗なままに生き、汚れを知らず死ぬ人もいるだろう。

 そういう人が、くれぐれも多ければ良いと祈るような気持ちになる。
 そして同時にそういう人が安心していられるような、悪意や害意のない世界であればとつくづくも思う。
 祈りが世の中に実効するなどと僕はあまり信じない思考の持ち主なのだが、ブログに願うと実現することが多いので、たまには祈っておこう。
 せめて悪意や害意が少なくなれば、きっと人はもっと優しくなれると僕は信じているので。

>>>

 僕の潔癖症はだから、ときどき文書にして吐き出す必要がある。
 潔癖症そのものも吐き出して忘れる必要があるし、あるいは煩悩であるとか、劣情であるとかも、適度に吐き出す必要がある。真面目なことばかり書いている人間に色気はないから余計である。

 それが、その潔癖症が、ときどき誰かを傷つけ、あるいは沈黙させてしまうのではないかと、最近思った。

 たとえば僕は、自己顕示をあまり好まない傾向が強い。そしてそれをわざわざWebで何度となく書いてしまっている。
 たとえば僕は交流(電気の話ではない)とか触れ合い(接点=スイッチのことではない)とかについてを、冷ややかに観ていることがあり、それが文書に滲んでしまうことがあると思う。

 ともすれば読んだ人は傷つくだろう。
 多くの人は(僕がそうであるように)何らかの声を上げないではいられないし、(僕がそうであるように)誰かと交流したり触れ合ったりしないでは生きられない。
 それを否定されたら(僕にその意図がなくても、そういうメッセージを受け取ってしまうとしたら)どうしようもない。
 そしてその情報を発信している僕に大きな矛盾を感じるだろう。

 だから僕の周辺ではときどき、沈黙と静寂の死滅地帯が発生する。
 webでも起こるだろうし、IRLでも起こる。
 僕が意図せず自分の思ったことを、自分の潔癖を ── おもに精神衛生上のため ── 吐き出すことで、誰かが傷ついている可能性を考える。

 潔癖とは正しさであり、苛烈である。
 潔癖は原理主義だ。だから存在するだけで攻撃になってしまう。
 逃げ場のない正しさによって糾弾し、清廉によって断罪し、空論によって処刑される。
 摩擦を無視した物理演算のように、それは扱いやすく、そして空虚に実存しない。
 潔癖はヴァーチャルであり、ファンタジィに過ぎない。

 僕はその攻撃を浴び続けていて、だから耐性がある。では僕以外は?

>>>

 だから僕はオフラインで書くことを必要とする。
 潔癖で、反論の余地もなく断罪を続ける攻撃的な思考を、誰かに当てないように。
 あとできれば自爆もしたくない。

 そのようなわけで太田市の高田純次さんを目指して日々精進しているのだが、道のりは遠い。
 パンツの力が足りないのかもしれない。

 ……パンツの力って、なに?







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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  :黒猫:
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
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// TimeLine:230120
// NOTE:
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TITLE:
嫌煙家たちの反動形成。
SUBTITLE:
~ The Cleaners. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230120

 午後に姉の家に泊まりに行くため、その準備。
 今回は病院には関係なく、ただの遊び。
 太田市にほど近い道の駅まで買い物のためドライブし、帰宅して飲酒。
 姉はわずかだが飲酒はできる。
 肺疾患で喫煙はまったくできないため、僕は自宅を出る前に煙草を吸った場合はシャワーを浴び、帰宅するまで喫煙をしない。

 ドライブ中に話をして知ったのだが、姉は身体的ニコチン中毒(依存症)で、肺高血圧症に罹ってからもなかなか煙草をやめられなかったらしい。
 身体的な禁断症状が現れるため、ニコチンが切れるとイライラしたりすることが多くあったらしく、禁煙外来に掛かることを拒否されるほどだったらしい。
 だから主治医に禁煙を勧められても、やめなかった。やめることができなかった。

 彼女は酸素吸入が必須なので自宅はもちろん外出時もボンベと一緒に行動しているのだが、喫煙中は爆発や炎上の危険があるため酸素吸入を停止する必要がある。
 そうまでして(それでも2〜3日に1本だが)吸っていたという。

 ところが酸素ボンベの吸入再開の操作を忘れて、数時間にわたって苦しかったことが一度あったという。
 その後また煙草を吸いたくなったときに、その苦しさを思い出してとくと考えた。
 どちらを選択するか。酸素を止めて苦しい思いをしてまでニコチンの快楽を選ぶか、それとも禁断症状を抱えても苦しまないほうを取るかと。とくとくと考えたらしい。
 それで禁煙に成功したという。

>>>

 禁煙というのは、最終的に本人の意志の問題だ。
 意志が弱ければやめられない、というのは事実だが、それは同時にその個人の持つ意志に作用している価値観が弱いということでもある。
 意志というのは固形物として人間の精神の中にあるものではなく、思考の結果出力される指向性のことであるし、思考というのは常に価値観の影響を受けており、価値観はその構成を記憶に依存している。
 だから嫌煙の価値観が弱ければ、喫煙者は喫煙という行動をやめられない。

 かつて喫煙者だった人のほうが、禁煙後、強い嫌煙家になるように観察される場面がある。
 Webなどで観察していてもそうだ。
 おそらくそうした人たちに起こっているのは、嫌煙の価値観の強固な上書きだ。
 彼ら彼女たちが弱かったはずのその価値観をどのようなプロセスで強化したのかは僕には分からない。
 ただそうやって、喫煙という行為やそれによって発生する副次的な作用についての嫌悪感を高めて記憶に焼き付けた結果、彼ら彼女たちは激しいほどの嫌煙家になることに成功したのだと考える。

「吸わないけれど喫煙も喫煙者についても(場合によっては煙草の煙のある空間にいることも)なんとも思わない」という非喫煙者もいる。
 しかしそういう人と同じ程度の価値観を持っていたら、喫煙者は喫煙者に留まってしまう。禁煙できない。
 だから激しい嫌煙者としての価値観が形成され、その価値観によって思考し、それが意志として行動に現れるまで、禁煙ができないことになる。

>>>

 極端な嫌煙家には、依存してまでやめられないままの喫煙者を理性のない畜生扱いする人がいる。
 そうした人たちは煙草そのものも毛嫌いしているし、なんとなればJTのことも、煙草の販売を許可している国家さえをも憎んでいる。もちろん喫煙の自由など人間には認めないし、喫煙者は穴蔵にでも篭もって煙にまみれて肺がんに罹って死ね、と思っていることと思う。
 僕の叔母(故人)もそうだった ── だから介護のために同居していたのに追い出されたのだ。

 旧喫煙者だったとしても ── 叔母は違ったが ── 嫌煙者がそうなるのは理解できる。
 自分自身が理性のない畜生だったと認め、嫌悪するからこそ禁煙できたのだろうと。

 嫌煙過激派がいる一方、喫煙過激派というのは少ない。
 禁煙が嫌煙者にとって責務であり倫理である一方、喫煙者にとって喫煙とは単なる自由選択である。
(無論、禽獣以下とも思えるような知能レベルの喫煙者もいるが、そういう人間は喫煙したからそういう人間に成り下がっているのではなく、もともとの品性が下劣なために喫煙するにあたっても下劣な品性を丸出しにするだけである。)

 だから両者が論を交わすと、圧倒的にヒートアップするのは嫌煙者である。
 彼ら嫌煙過激派の思想は他者への評価はもちろん、自身の行動さえも抑制するほどの強い力を持っている。
 その啓蒙力は ── 善悪は別にして ── 自由を認めないという点でだいたいファシスティックである。
 喫煙者は自由主義者が多いようで、だからファシストであることについてさえ非難する必要を持たない。
 それは大事な、尊重すべき反対意見である。

 自由な精神というのは、つまり、嫌いなもの、許せないもの、度し難いものと共存できる思考体系を持っているということだと言えるだろう。
 正反対の価値観を自分の中でも育て、強い憎悪を持っても、それに染まらず、攻撃的な意志を持ってもそれを抑制し、中庸を、融和を目指し、その場その場での適切なありようを考えて振る舞うのだ。

 そう考えても、僕は喫煙者であり続けたいと思う。
 もちろん嫌煙者になる自由は僕にだってあるのだけれど。

>>>

 僕の場合は肉体的にも精神的にも依存がないので、たとえば勤務中は(休憩だろうと)一切喫煙しないでいられるし、そもそも少しでも体調が悪いあいだは(美味しく感じないから)何ヶ月だろうと吸わない。
 どちらかといえばカフェインに対する身体依存性が若干あるだろうか。
 長期間、継続的にカフェインが不足すると、のんびりぼんやりが過ぎて、眠りすぎたり無気力になったりするので。
 それでも(カフェインほしい〜!)という欠乏感や飢餓感がないため過眠を起こしたりする。むしろ問題かもしれない。

 煙草については一時、味さえ好ましく感じていなかった時期があり3年ほど禁煙していたこともある。
 しかし吸う煙草も選び、吸い方も保存方法も工夫するようになってからは純粋な嗜好品として愉しんでいる。

 恋人が嫌煙家なら分煙くらいはするが、唇を塞いでくれない間はときどき煙草を吸う。
 キスの前には歯磨きくらいする。恋人からのキスは煙草よりも価値が重いのだ。

 とはいえ愛煙家の僕でも加熱式やケミカルの多い煙草の煙を吸うと、だいたいむせる。
 他人の煙でもそうだし、自分で吸ってもそうした煙草でむせることが多い。
 第一、味も香りもひどい。
 だから嫌煙家が煙草の臭いを嫌う理由もよく分かる。
「よくこんなものにお金を払うものだ」と嫌煙者が思う気持ちもよく分かる。
 ただまぁ、同じ喫煙者のよしみはあるから「そんな煙草、やめなよ」とは言わない。
 好きにすればいい。

>>>

 僕は粘膜系が弱いので、喉と気管支と肺と鼻を痛める肺喫煙をやめ、口腔喫煙にしている。
 それでも喫煙を続けているのだから、嫌煙家からすると愚かしく理性のない畜生に思えるだろう。
 時間とお金と健康を無駄にし、周囲の人間に害悪を撒き散らす、考え無しのろくでなしだと嘲笑されるだろう。
 いずれ本当に体調が悪くなれば、必然に美味しさを感じられなくなり、やめてしまうだろうとは思う。
 それが分かっているからこそ、できればずっと味わいたい。
 味わう自由を失いたくない。

 畜生と嗤われようと害悪と断ぜられ駆除される運命にあろうと、自分では何も考えず、ただ社会の与える品行方正に従ってしか生きられない連中と同じ無味乾燥を味わえというならいっそ、今殺せ。

 なぜといって生きることは自由を謳歌するためであり、不自由に抑圧された生は、すなわちそれが己によって形成された柵(しがらみ)であっても、死に等しいからだ。
 無論、死を選ぶことは生の自由に含まれているとは思う。
 選び続けることが生きることだと思いたい。
 その苦労を厭わずに、面倒くさいといいながらも、自分で選んでいたい。

 とくとくと考える、その甘美な自由に、僕はずっと溺れていたい。

>>>

 食事をする前からかなり眠くなっていたが、食事が終わると気絶するように眠ってしまった。







 

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TITLE:
それぞれの望んだ景色と道。
SUBTITLE:
~ Drive way. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230121

 午前中に姉の家から帰宅。
 オープンカーで帰ってきたのだが、日差しが弱く風が強かったため、場所によっては寒かった。
 こんな寒い日にオープンカーで走るなどアタマオカシイと周囲からは観察されるかもしれないが、実のところ、オープンカーは冬が一番適合する季節である。

 まず雨の日が少ない。
 日本の気候で考えても、花粉が少なく夏に比べて空気も澄んでいる。
 シートヒータも装備されているため、対寒冷の機能は問題がない。
 屋外気温に耐えられる服装をしていれば十分なので、ちょっとしたコートなどを着て、ゴーグルやサングラス、眼鏡を装備すればおよそ快適に過ごせる。

 晴れていることは絶対だが、気温より問題になるのは日差しと風の強さだ。
 日差しがあれば輻射熱で暖まる(暑く感じることもある)が、陽が落ちる頃は輻射がなくなるので体感温度がぐっと下がる。また風が強いと外気が空調のすべてをかき回すため、本当に寒い。
 なので十分な日差しがあり、風がなければ快適に過ごせる。

 一方で夏は不向きだ。地域にもよるが、日差しから受ける輻射熱をエアコンで冷却しきれない。
 湿度や花粉、突然の雨など不安要素も多い。

>>>

 オープンカーに乗っている感覚は、自転車に近い気がする。
 外気に触れているし、景色がよく見える。
 ありきたりな表現だが ── クローズドルーフのときの狭さとあいまって ── 癖になる開放感がある。

 運転している感覚は、小型航空機 ── それも昔あったようなオープンコクピットのプロペラ機に近い部分がある。
 前方の視界は ── フロントガラスのピラーや枠が遮るため ── さほど広くないが、左右、上方、後方は遮るものがほとんどない。
 環境音を捉えやすいので、周囲の車両を把握しやすい。
 オープンカーのほとんどはその形状からスポーツカーに分類されがちだが、速度を上げて運動制御することよりも、景観を楽しみ、ほどよい速度で走ることが心地よい。
(それに車高が低めのため、車間距離を充分に取らないと視界がますます悪くなるだけでなく排気ガスを思い切り浴びることになる)

 とはいえ僕はもともと自動車の運転が嫌いだ。
(にもかかわらず自動車関連メーカで設計の仕事をしていたこともある)
 自動車は二次元かつ限定的な運動しかできない(具体的には上昇下降ができず、前進後退を伴わない左右移動もできない)し、交通ルールによって大きく行動を制限され、他者(自動車だけでなく、それ以外の運動体すべて)に気を遣い、速度による恐怖感もある。
 航空機 ── とくに小型で、あまり高度も速度も上げられず、窓も開けられて、なんとなれば屋根などなく、ランディングギア(車輪)もずっと出ているような機体が好きだ。
 航空機免許の取得(職業パイロットではない)を夢見たこともあるが、お金がなく、英語力もないので断念したままになっている。

 それにしても自動車の運転は不自由だから、好きではなかったのだ。
 若い頃からそうだったので、当然、ドライブが趣味なんて理解できなかったし、遠方まで自動車で出かけることも忌避していた。
 運転は通勤にせよ買い物にせよ必要に迫られてするものであり、可能なら代替手段を探すのが常だった。
 また交通規則に従わなければならないという当然の制約も、自転車などに比べると抑圧されている感覚を覚える。
 ついでに言うと、僕は数年前に軽トラを買うまで、自分の好きな車を選んで買ったことがない。
 自動車にも、それを運転することにも、まったくといっていいほど興味がなかった。

>>>

 しかしオープンカーなら耐えられる。むしろ楽しいと思ってしまう。
 そしてふと、些細な違和感というか、後ろめたい気持ちに気付く。

 ドライブが趣味だという人間達に対する、ささやかな侮蔑の念を僕は持っていたのだった。
 自分が自動車の運転を嫌っていたからこそ、ドライブが趣味だという人間に対して、そうした価値観について「意味ワカンナイし」といった具合に、ちょっと斜に構えて馬鹿にしていたのである。

>>>

 とはいえ僕はもともとコンピュータドライブが趣味である。
 一般から考えると多少高価でも、優れた速度と性能を発揮する機体を所有し、それを動かし(たとえ大した目的がなくても)操作することをただただ楽しいと感じる。
 だから仕事でもプライベートでも、コンピュータの前に居る時間を好む。

 作業をして何かを完成させる達成感ももちろん好きなのだが、無目的にただフォルダを作ったり、ファイル操作を自動化するスクリプトを組んだりするだけで楽しいと思う。何となればゴミ箱を空にするだけでも楽しいのだ。
 コンピュータドライブを趣味としない人にはまったく理解できないと思う。

 一方でマニアックなコンピュータドライバの多くが気にするベンチマーク(コンピュータの処理速度を測定すること)にはほとんど興味がない。
 自分のする作業にストレスを体感しない限り、処理速度が他の機体より速かろうが遅かろうがまったく気にならないし、そもそもストレスを感じないような機体を選んで購入し、必要に応じてカスタマイズしている。

 外観はさほど気にしないので、たとえば自作PCを組んでLEDで電飾するようなことは(悪趣味に思えて)しない。
 使用感と操作性を重視し、インタフェイスやショートカットなどのカスタマイズを ── 周囲の人が理解できないくらい ── してしまうから、きっと周囲の人は僕のことをちょっと馬鹿にしているのだろうと(前述のメカニズムにより)思う。

>>>

 おそらくコンピュータと自動車と飛行機は似ている。きっと自転車もそうだ。

 たとえば速度や操作性や外観やインテリア、利便性と価格から多くの人たちが選び、メーカや歴史をマニアックな人たちが語ること。
 マニアックな人たちはより高度な性能を求め、自身の操作能力などについて一定の自負を持つこと(僕にとってこれは恥ずかしいことに該当する)。

 僕は自動車もコンピュータと同様、外観はほとんどプレーンのまま、目立ったアクセサリを装備したりはしていない。
 だから写真も撮らない。コンピュータも(直近のものは)何を買ったか明記していない。誰かの見世物になることを好まないといえる。
 力不足を感じたとき、見えない部分に多少手を掛ける。
 大事なことはその道具を使うことによって、どんな景色が見えるかだ。

 車や自転車の場合、若干人目を集めることがある。
(コンピュータも、ちょっと詳しい知り合いが見たら驚いていた)
 これば僕が自由にしている結果、少々一般的な範囲から外れたチョイスをするためだろう。
 オープンカーもキャンピングカーも目立つし、猫が一緒に乗っていたらことさら目立つ。

 目立つのは好きではないが、もはや諦めの境地に至ったので、自意識の存在を忘れることにしている。
 注目を浴びることも含めて、それは僕の求めた景色に付随しているのだ。
 自由と孤独がセットであるように、目立つこともまたトレードオフの関係だ。

 一般的な多くの人は、自由を求めつつも孤独を避けて、無難な中庸の道を歩く。
 目立たないようにする事は、孤独を避ける上でとても重要なスキルだ。
 しかし孤独になることなどお構いなしに自由を突き詰めると、僕のようなイキモノになる。
 社会性はない。
 結果、存在するだけである程度目立つ。
 原理が理解できたなら、気にしても仕方ないではないか。

>>>

 クロに餌と水を与え、着替えて納屋掃除の続きをする。

 僕は5人姉妹の4番目で長男にあたるが、他の姉妹とはだいたい仲が良い。
 失踪中の姉(3番目)についても、憎からず思っているらしいと聞いてはいるが、こちらとしてはあまり関わり合いたくないのが本音だ。
 長姉とは険悪ではないものの、やはりこちらからは関わらないようにしている。
 ある時期まで比較的まともな人だったのだが、ある時期から人間性が崩壊してしまったように観察されるためだ。

 人間は変わってゆく。
 人間関係もまた変容してしまう。
 それぞれが、それぞれに望んだ景色を見ているのだと ── そしてきっとそれは誰しもがそうだと ── 僕は思う。







 

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TITLE:
けだものだもの。
SUBTITLE:
~ Sleepin'Beasts. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230115

 妹夫婦が遊びに来る。
 年が明けてから会うのは初めてか。
 個人的には、外部からのアクセスが(メールであれ来訪であれ電話であれ)ない日があまりないので、少々人疲れを起こしている。

>>>

 最近ようやく気付いたのだが、僕が人疲れを起こす一番の原因は他人の存在などではなく、僕が人を演じるからだ。

「お前は人間だろう」という問いに対する答えはYESだ。
「お前は人間ではないのか」という問いに対する答えもまたYESだ。

 人間は自身を人間だと思っている間だけ、人間を演じている。
 寝ている人間はただの動物であり、死んでいる人間はただのモノだ。
 意識のない間、理性を失っている間、思考しない時間まで人間でい続ける人間など1度として見たことはない。

 多くの人はそれに違和を感じない。
 自身が人間であるといつからか、そしてどこまでも信じていて、それを他者にまで押し付ける。

 僕はどうか。
 ケダモノだ。
 頻繁に意識を失い、ことあるごとに理性を失い、思考する時間さえ大した役に立っていない。
 屠られ血肉までしゃぶり尽くされた動植物は数知れず、呪詛に灼かれたイキモノも数多、玄関に立ったガールはおよそ押し倒され、手討ちにした他者にきりなどない。
 そしてそれらはすべて弱者だったはずだ。
 己を圧倒する強者に対し果敢に向かったイキモノのすべては死ぬのが道理で、僕が今も生きているのは弱者から搾取を続けているからに他ならない。少なくとも遠因までを精査すればそういうことになる。

 キリスト教ではそれを原罪と呼ぶのか。
(ネコノカミサマを例外として)神を知らず、(ネコノカミサマ教を例外として)宗教を持たない僕にそれを知る術もない。
 言葉は常に上滑りで、行動は常に犠牲を伴う。
 僕が右手を動かす動力は、他のナニカを活かしていた熱量だったはずだ。

 しかし人が人になったのはせいぜいがこの星の上だけの、ここ数百年程度のこと。
 生命だ、倫理だ、正義だ、善良だと並べたところで、意識も理性も思考も生命も存在しない、無機物ばかりの宇宙にあって、そんなものは何の指針ももたらさない。

>>>

 素晴らしき生を生きることが罪でなく、哀しき死を迎えることが救済でないなら、そんな愚にもつかないことは考えず、繁栄と永続をお題目のように夢見て、禽獣のように日々の糧食を探して喰らい、矛盾を無視して、不安に眠り、希望に目覚めるのがなるほど人の生き様だろう。

 混迷の時代と人はいうが、人の歴史に混迷でなかったためしなどないのではないか。
 あるいは盲信に従い、誤った道でも間違いなどないと思い込んでいた方が幸せだったか。
 迷い彷徨い、病み悩み、正しさなど分からないと嘆きながら進むことだけが人の道ではないのか。

 だからメディアに流れる「生きづらさ」などという言葉を私は信じない。
 生きる容易さは、追い求める理想ではあるかもしれないが、一度として実現したはずがない。
 実現したと思っている人間は、己の立ち位置に、己の環境に、己の幸運に、驕っているだけだろう。
 生きづらさを感じる我々は弱者だと、平然と言い切れることの強さを知らないのだろう。
 声を上げることさえ許されない者たちが、生きることの意味を咀嚼することなく嚥下することを強要され、溶解した理想と現実に溺れて窒息することを知らないのだろう。

 金と権利と仕事と結婚と老後の話を、あたかもそれだけが現実として刷り込もうとする人間様とその社会にはずいぶんと悩まされて生きてきた。
 結局それは、人間社会で人間として生きるためには必要なものだったのだろうけれど、生きることの本質はそんなところには存在しない。
 たとえるなら多種多様な密閉容器を、高性能の冷蔵庫を、さまざまな食器をどれだけ手に入れたところで、作物を作っていなければ今日の糧さえ手に入らない。

 人間が人間だと思っている間だけ人間であるように、現実を現実だと思っている間だけそれが現実になる。
 ヴァーチャルとリアルがその境界から融解してゆく世界にあって、だから人間は、問題を問題だと感じる能力さえ失いつつあるのではないだろうか。

 おそらく「中身のないことを」と僕が嗤っていた人たちこそが、僕をして「中身のないことを」と嗤うだろう。
 ならば生きることとはクラインの壺のようなものか。
 どこにも中身などなく、すべてが中身なのか。

>>>

 そうなるとたしかに、僕が人間を演じる意味もある。
 あるいは人間社会で暮らすための、それは最低限必要なマナーであり、モラルであり、技術知識である。
 僕は拙いながらも、なんとか人間のフリを続け、そしてときどき逸脱する。

 面倒くさい、やってられん。
 アタマに来たからこたつで眠てやる! もう一生チョキしか出さねえぞ! という気持ちになる。
 人間の演技に慣れている人にとっては何でもないことだろうけれど、僕は自分が人間であることを常々疑っている。

 おそらく演技に慣れてしまえば、前提を考えなくても済むのだ。
 コンピュータプログラムにおける変数の初期化のような作業を簡略化することで、プログラムはよりプログラムらしく、だから人はきっと人らしくいられる。

 ただ問題とその解決には、知性だけが求められる場面だってある。
 倫理や正義といった人の幻想から離れて、事象だけを見る必要があるときもある。
 人間らしさが多様化した結果、ために問題が多様化し、倫理も正義も曖昧模糊として境界が不明瞭になり、そうなると争いが起こることになる。
 いつだって人間は己の決めた正義のためなら何でもしてしまうからだ。
 だから僕は人間の演技を、自覚的にしている。本体は猫です。猫なんです!

 なれば朽ち果てる日だけが救いか。


>>>

 人類に繁栄を。
 けだものに安らかな眠りを。







 

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~ Junction Box ~
 
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TITLE:
そのままの君でも良いし、そうでない君でも良い。勝手にしろ。
SUBTITLE:
~ Let it be. ~
Written by BlueCat

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//[Body]
230118

 納屋の大掃除。

 昔の勤務先がレンタカー業務をしており、タイヤの保管場所に貸している。
 よくよく考えると賃貸借契約もしていないし、何らの報酬も受け取っていないのだが、まぁいいか、と思って現在に至る。
 納屋に小部屋があり、そちらはすでに占有されているが、それでも入りきらないらしい。
 ちなみにその小部屋にはいくつかの工具や道具、軍手などが置いてあるのだが既に取り出せない状況である。

>>>

 どういうわけか分からないが、付き合った女の子が髪の毛を切ってしまう、という状況に出くわすことがある。
 髪型の好みについてのトークになったとき「ショートヘアの方が好きかなぁ」と、誤魔化さずに言ってしまうからである。

 この「ショートヘアが好き≒ロングヘアが苦手」の理由を3つ挙げるなら、
 1.髪のケア(洗う、拭う、乾かす、セット)を、僕でも多少はしやすい。
 2.踏みにくい(主にベッドの上で)。
 3.3つもない。
となる。3つもないらしいので2つである。つまり2つしかない。

 たったこれだけのメリットのために僕は「ショートヘアの方が優位」と思っているため、それを正直(かつ無神経)に言ってしまい、その結果として彼女たちは髪を切ってしまうのだ。

 しかしよくよく考えるとガールどもは「私の髪型、ショートとロング、どっちが似合う?」という質問をしたかったのだろうと結論せざるを得ない。
 だったらちゃんとそう言え俺が好きになったのは今の髪型のお前なんだからいちいち髪型変えるのに俺の顔色気にすんなオマエの好きにしろ一択、である。

 つまり「猫くん、どっちが好き?」と「どっちが私に似合う」は全然別物だと僕は思っている。

 僕の好きな髪型が恋人に似合うとは限らないと思うし、好みの髪型だから好きになるものでもない。
 そもそも僕の髪型に対する「好き」は視覚による美的感覚による評価ではなく、物理的に難が少ないため嫌な状況にになるリスクが低いという、極めて消極的な理由による。

>>>

 世にはこれを混同して「俺の好きはお前に似合う」と思っている男性もいる。
 もっと悪く言えば「お前の『似合う』は俺が決める」というような感じだ。
 髪型からファッション、使う香水から下着の色まで、まるで着せ替え人形で遊ぶ子供のように、エゴをお仕着せて満足する類のイキモノ。

 ある種の ── あまり品の良くない ── マッチョさの発露に思えるが、そういう人の方がいい、という人もいるかもしれない。押しが強いところもステキという乙女心も分からないではない。
 考えないで済むのはある種の享楽だ。
 それに他人の好みは否定できない。

 たとえばTU(中学からの友人)がそうだ。
 彼は昔から女性のショートヘアが苦手らしいのだが、奥様(当時はまだ結婚していなかったか)が1度、ベリーショートにしたとき大喧嘩をしたという。
 僕からすると、それはパワハラでありモラハラでありDV少し手前なのだけれど、奥様は(内心不満があるのか分からないが)現在も大人しく意向に沿っているご様子であり、ご本人様(TU)は以後ロングヘア一択の状況に満足している様子だ。

 人間の関係性はそれぞれだから、僕がとやかく言うものでもない。
 ために笑って話を聞きながら(人間の男ってこんなのばっかりか? 怖いなぁ)と思ったのではある。

>>>

 髪型の好みを尋ねない、髪型の好みが分かっても気にしないし従わない、という人も付き合う女性にはいた。
「ふうん、猫くんショートヘアが好きなんだぁ。ざんねぇ〜ん。でも私変えないよぉ〜?」と、わざわざ宣言する人も。

 僕は男女問わず、そういうタイプが好きである。
 好きなことを好き勝手にしている様子をただ眺めているのもいいし、好きなことがたまたま重なったらそれもいい。

 もちろん相手の好みに合わせて自分を変容させる努力をすることが悪いとは思わないし、興味関心を強く持つ対象に「こうあれかし」と欲してしまうのは、自然なことだろうとも理解できる。
 ただ、他の生き物に己のエゴを投影するのは往々にして危険なことだし、好きだからその人の望みに合わせて変容するという献身は、裏を返すと「好きなら私の望みに合わせて変われ」という同様の妄執を抱えているように思える。

 もっともその分析に照合するなら、僕は「好きだからといって無理に相手に合わせたりしない」というポリシィがあるのだろうと観察される。
 ことほどさよう、僕は好きな相手に無理に合わせたり、嫌いな相手に無理に反発したりしない。
 いずれも面倒で、気持ちが削れる ── 文字は似ているが「気が削がれる」とは少し違う ── ことだからだ。
 自分のスタイルというのは自分で作るものだろうし、他人に口出しさせないように、他人に口出しするものでもない。

 あるいは彼ら/彼女たちは、そこにファッションしか見ていないのかもしれないが。

 野生の動物というのは、生き様が、そのまま外見に反映される。
 傷を負い、牙は折れ、爪は剥がれ、毛をむしられ、尻尾は切れ、翼は折れている。
 それでも揚々と背筋を伸ばし、凜と獲物に焦点を合わせる。
 戦って、傷ついて、朽ちていく。それが獣のありようだ。
 人間はそういう戦傷をいくらでも取り繕えるのだと考えれば気も楽か。

>>>

 約1年分の段ボールを軽トラに積んで集積場に運び、戻ってから畳やガラクタを載せる。
 明日は清掃センターに行こう。

 そこでふと灯油タンク(計60L)が空になっていて買いに行こうと思っていた ── 奥様(仮想)と相談して「明日買いに行きましょう」と決定していた ── ことを思い出す。
 ガラクタが一杯で、灯油どころじゃないぞ。

 まぁいいや。
 今日を楽しく過ごせるなら、明日何とかできるだろう。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
 工場内検索結果へのリンク。
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
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// TimeLine:230114
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
農薬処分。
SUBTITLE:
~ Venom spread. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230114

 昨日は3時に眠り、ゴミ捨てのため9時にアラームで目覚めたのだが、朝食直後に眠ってしまった。
 後に目覚めたのは13時、17時、22時。起きるたび、眠ってしまう。
 とにかくずっと寝ていた。目覚めるのに、まだ眠い。理由が分からない。

 いや、分かるかもしれない。

>>>

 昨日、納屋に仕舞い込まれたままの農薬をすべて、裏庭に撒いた。
 市内の産廃業者も農薬の処理は困難らしく、県外の指定業者に依頼すると数倍の料金が掛かるらしい。
 農協にも問い合わせたが、お金にならない事には興味がなさそうだった。
 だからといって市の清掃センターで処分できるものではないだろう。
 農家をしている知り合いに尋ねたところ「適正希釈量にして散布すれば良い」ということだった。

 殺虫剤と殺菌剤、水田用のものがあった。実に数ヘクタール分。
 米を作って農協に納めていた頃は良かったのだろうが、家の敷地全体はそこまで広くない。
 薄めても仕方ないと判断して直撒きした。粉末や水性のものはまだ良かったが、油性のものもあった。
 そして散布したそれらは、とんでもなくケミカルな悪臭を放った。

 以来、頭痛がする。
 気密の良い家なら良かったと、つくづく思う。しかしそれは無理なことだ。
 匂いだけならまだ良いが、有機溶剤に溶融している成分だとすれば、それに乗って揮発するだろう

 たとえばシンナーのようなものは、悪臭がするだけでなく、それを嗅ぎ続ければ実際に健康被害を起こす。
 そんなことも考えず農薬を撒いた己を呪った。

 それで身体が消耗したのかもしれない。
(呪うのはやめよう。僕の呪いは強いので、対象は死んでしまう)

>>>

 足の指に水ぶくれが出来たのもそれに前後してだったか。
 若い頃は水虫かと思い、あれこれ対策をした。
 それが習慣になっているので僕はなかなか水虫に罹らない。
 ためにこれらの水疱に、水虫薬はまったく効果を発揮しない。

 この身体はストレスによる皮膚粘膜の免疫力低下により、あちこち炎症を起こすことがある。
 肘や膝の裏、首や鎖骨付近といった、極端に皮膚の薄い部分や、指先、手のひら、指の股、口内、陰部、頭皮、そしておそらく内臓も。
 炎症ついでに急に角質化が進んだり、水疱が出来たりする。

 こういった炎症に伴う皮膚粘膜 ── つまりは外界と僕の肉体の内側との境界 ── の機能低下や異常によって、僕は体調を崩す。
 そして病原の菌なりウィルスなり何なりが、下がった抵抗力に乗じて(ときに原因不明の)体調不良を起こす。

 一般的にはストレスに対するマネジメントを要する場面だろう。
 気分転換のためにどこかに出かけたり、誰かに会うのも良いだろう。外食に行くのも良いだろうし、スーパーで買い物するだけでも僕には十分に新鮮な刺激だ。
 そうしたメンタル/フィジカルがないならば、本を読んだりゲームをしたり、ただただ眠るのだっていい。
 しかしそんなものは、むしろ日常になるくらい繰り返している。
 気分転換の日々の中にあって、気分転換が存在する余地は……もしかして労働か?

 あるいは環境に対して受け取る自身の感覚と、それをもたらす価値観そのものを構築し直す手段もある。
 しかし僕は今の自分を結構気に入っているし、これを変えたところで、なるようになってしまう。
 変容が必要なら自ずと変化し、現状が最適ならこの場所へ揺り戻される。

>>>

 よくよく考えると、長らく、きちんと身体を撫ぜていない。
 マッサージ、もしくはその真似事。
 多くの人はそんなことをしなくても、心身の機能を適切に保って長期にわたって機能を維持できる。
 しかし僕は20代の頃から、どういうわけかそれを必要としている。

 撫ぜないと、不調を来す。
 今夜眠るとき、のんびり撫ぜるとしよう。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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  :黒猫:
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:暗闇エトランジェ:ひとになったゆめをみる:
 
 
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// TimeLine:230109
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
女と金魚と餌。
SUBTITLE:
~ Whale hunter. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230109

 髪を切る。
 だいたい月に1度、中旬から下旬に髪を切るようにしているが、今の生活になってから、時々忘れる。
 あまり鏡を見ないせいだろう。

>>>

 先日、死にかけの金魚に関連することを書いたので、より詳細に書いておこうと思う。

 人間の男の中には寂しさや性欲が蓄積すると、金魚すくいで死にかけの金魚を狙うようなことをする者がいる。
 簡単に捕まえられて、いいように慰みものにできる、弱った女を目ざとく見つけて餌にするのだ。

 是非もない。これは自然の摂理といえる。
 歴史上、鯨を狩った猫はいない。
 動物たちは皆、自分より弱いものを捕食してきたのだ。人間もまた僕の知る限り、動物でなかったためしなどない。

 あるいはもしかしたら女たちにもいるだろう。
 ことさら性的な意味で肉食系と呼ばれる女たちにあっては、弱っている男を目ざとく餌にすることもあるかもしれない。
 ただし幾分、そうした機微にも働かせる知恵の多い女であれば、あからさまに餌を捕食するより、餌として捕食されるフリをすることもあるのだろうが。

>>>

 釣った魚に餌はやらないという悪い言葉もあるが、死にかけの金魚は、どんなに良い水を用意しても、どんなに良い餌を用意しても、そのうち死ぬ。
 まして餌にすることを目的に捕らえた捕食者は、さほどに良い環境や栄養を与えるはずもない。
 その餌は、慰みものにしたら用済みなのだから。

 そういう悪い循環にまで頭が回らないか、あるいは開き直る程度には知性を持っている者が、それを繰り返す。
 餌にされる方としてはたまったものではないが、集団はつねに弱者を必要としている。なんとなれば「弱者」という言葉を「餌」と換えてもいい。

 あるいは仮に、弱った金魚を元気にしようという動機だったとしても、結局多くの場合、弱った金魚が元気になることはない。
 物理で殺されるのでない状況においては、弱っていることで己のアイデンティティを満たせるならばその方がラクだから、餌になることの陰湿な快楽は怠惰を燃料にして抜け出しがたい引力を持つ。
 少なくとも捕らえられてすぐは新しい環境に置かれて、痩せた身体をあたためる程度の餌くらいなら貰えるからだろうか。

 いずれにせよ掬う方も、掬われる方も、救われない話ではある。

>>>

 個人的には、ポイが1度で破れるくらい活きのいい金魚を狙うことをモットーにしている。
 確かに元気な金魚を掬うのはむつかしいのだが、掬いやすい、弱った金魚ほど結果的に救えないものもないのだ。
 逆説的に掬いにくい金魚は、掬う必要もなく、それどころか救われることさえある。

 猫の社会でも同様に、弱っている獲物を執拗に狙う者と、捕まるかどうか分からない獲物から狙う者がいる。
 端的にこれは、捕食者の能力に依るのだろう。
 無能な ── あるいは有能にして怠惰な ── 肉食獣は死骸を漁るしかない。

 きっと恋愛関係に限らず、友人関係だって同様だ。

 僕は友人関係に欲 ── 自己顕示欲であるとか、庇護欲であるとか、承認欲であるとか ── を持ち出さないが、そういう欲で友人を作る人間がいないとは思わない。

 もっと恋愛関係にも無欲であればいいのだろうけれど、恋愛に無欲であることはおよそ不可能な気がする。
 少なくとも僕には無理だ。
 恋情は愛欲に変わりやすいし、性欲や庇護欲の対象として恋人(あるいは配偶者)以外を選ぶと、ときどき惨事が待ち受けていたりする。必ず、と言っておいた方が無難だろうか。

 だから恋愛結婚はその果て、恋情に起因した欲を次々失い、愛情のカタチを見出せず分解寸前になる夫婦を目にすることは、決して珍しくはない。
 庇護と性愛の糧だった相手は成長して強く逞しくなり、尊敬と羨望の対象だった有能な相手も機関を運営する利用価値しかない侮蔑すべき道具に変わる。
 こうなると婚活と呼ばれる市場も、欲と欲を交換しているだけの空恐ろしい狩場に思える。
 餌というのは、食べれば残骸になるのだ。

 見合いだった場合はどうだろう。
 恋情がなく、ために愛欲など容易には生まれず、しかし相手を自身の許容範囲と見なした者同士が家族を構成するわけだ。
 欲が最初にないために、そこには過剰な思い入れが発生しないのかもしれない。

 だから恋愛において、相手を餌にしないことはとても大事なことだ。
 いつまでも、どんなときも、自分の慰みものとして相手を道具使いしないように気をつけておけば、あとは相手から使い潰されないように気をつけるだけで長続きする可能性がある。
 何のことはない、互いに自立していればよいのだ。

>>>

 ともあれ禽獣らしく空腹を満たしたいというだけなら、いずれでもよいのだろう。
 しかし己の性欲やらアイデンティティやらを他者で埋めたくなる程度に成長したなら、ヒトはヒトの自覚と多少の矜恃くらいは持ってほしいと思う。

 かくいう僕は猫としては間違いなく有能なので、活きのいい鯨をとりあえず狙い続けることにしている。

 丘サーファならぬ陸捕鯨者。
 海無し県だから鯨なんてどこにもいねぇよどうすればいいんだ。







 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
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  :青猫:黒猫:
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :衛星軌道でランデヴー:君は首輪で繋がれて:ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230108
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
優しさとは他人のための演技である。
SUBTITLE:
~ Calculated gentleness. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::人に見られて恥ずかしい思いをしないためには、行きたくもない付き添いをして、したくもない気遣いをして、持ちたくもない荷物を持ってあげて、しなくてもいいドアの開け閉めをしてあげなくてはならない。


 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230108

 夕方、姉が恋人と遊びにやって来る。
 時折やって来ては庭に車を停め、僕が気付くか試す遊びをしている。
 そして僕はたいてい気付かない。

 この家に棲んでいると、かつてのように精密なスキャンをし続けていたら神経が保たないと思ったので、僕は鈍感に徹することにしたのだ。
 音にも、光にも、埃にも、温湿度にも。
 かなりの気配が様々なところから発生していて ── それはいわゆるオカルト的なものではなく、もっと現実的なものだ ── 隣の家の気配や裏庭で声を上げる野良猫や、住宅街の向こうの道路を走る自動車の走行音まで拾っていて疲弊したことがあったため、つとめて鈍感になった。

 庭の一部を貸し駐車場にしていることもあり、そんなことをいちいち感覚するのはやめにした。
 感覚しないこと、感覚する範囲を狭くしたり、感覚するレベルを低くするのは、本能的に少し怖い。
 けれどもそれでも成り立つのが人間社会だと、そういう善意を信じるしかない。
 そして実際に僕は、誰かに襲撃されたりすることもなく日々を過ごしている。

>>>

 僕は昔から「優しい」とか「優しそう」と言われるが、それは僕がそういうキャラを演じ続けているからだ。
 ずっとそうしていれば表情筋まで出来てしまうので、僕は優しいと誤解される。

 つまるところ僕はまったく優しくない。
 優しくないから演じる必要がある。

 優しく親切を演じて、誰かに害意のないことを証明する。
 そうでもしないと悪意を持っているように疑われかねない。
 心底から優しい人間なら、ずっと誰かと一緒にいることができ、また人も寄ってくるだろうに。
 僕は、数時間で演技に疲れてしまうからこそ独りでいるとリラックスできる。演じる必要はもうない。
 結果として長期間、誰かと一緒に過ごすことができないのだ。

 僕の古い友人や姉妹は、僕が毒づく様を知っている。
 もっとも僕が罵詈雑言を叩く相手が個人であることは少ない。
 特定の種類の人間によくある傾向とその矛盾であるとか、勘違いとも思える行動様式であるとか、だ。

 しかし物事には主流と傍流があり、時代というものがある。
 たとえば今でこそ家族葬という言葉が一般化し、散骨も珍しくなくなったが、20年前はそれほどでもなかった。
 だから僕は父上の葬儀に難儀した。表向きは「密葬」という言葉で取り繕ったほどだ。
 たとえば性別違和が今の時代は表出するようになった。
 しかし僕は人間の性別なんて、自意識と肉体が決めているだけで、取るに足らないものだと考えている。
 それでも性的志向を持つものにとっては、自分の性別と相手の性別のマッチングは重要だろう。
 そのあたりをこれからの人間達は考える必要があるのだろうな、とは思う。
 僕は猫なので考える必要などないが。

>>>

 自分の思考や価値観が先鋭的だとは思わない。
 ただ僕は僕なりに、現状に対して合理的なありようを合理的だと思うだけだ。

 だからアルバムの類いは持っていないし、写真もあまり撮らない。
 年賀状は40年ほど出していないし、TVは20年以上自発的に観たことがない。
 時代がどうだとか、常識や慣習がどうだったということではなく、僕にはそれが合理的だったのだ。
 世俗から年賀状が姿を消し、TVを観る者が減ったのは、単に個人主義的合理の判断結果だろう。

 ただ、合理を突き詰めるのは残酷なこともある。
 社会には弱者というものが存在する。
 生産性のない老人や障害者は死ね、などという合理を振りかざせば「人権を無視した差別的発言だ」と非難され、世間のそしりを免れないだろう。
 社会や集団を形成する上では、弱者を守ることはとても大切なことだ。

 僕は昔から、弱者を軽視し、場合によっては容赦なく排斥する思考を持っている。
 おそらく僕の育った環境がそうだったからだ。
 弱者たる当時の僕自身は、それに反発するような意志や感情を持っていたとは思うが、弱者というのは環境に容赦なく流される。その奔流に抗う力を持たないから弱者なのだ。
 そしてその無力の中で、現実を摂理と知る。

 ために庇護されなかった弱者ほど時に残酷な摂理を語る。
 綺麗ごとで済まされない、リソースの有無によってときに生死さえ分かつようなことが、世の中にはずっと昔からある。
 正邪を超えて、善悪を基準とせず、優劣に関係なく。
 僕が何を経験したのかは特に書かないけれど。

>>>

 しかし同時に僕は夢想家でもある。
 現実の摂理が残酷なことは、それを目の当たりにし、とっぷり浸かってきた者にとって何の不思議もないことだ。
 
 自分以外の誰かのために優しくありたいと思うのは、願うのは、行動するのは、確かにおこがましく映ることもあるように思う。
 僕のように、非情な摂理を誰に説明するでもなく、不言実行してしまえば変わり者だとか非常識だと時に非難され、距離を置かれるのはおよそ間違いない。
 あるいは僕が優しさを実行するのは、かつての弱者たる自分自身が求めていた理想を投影する代償行動と考えられなくもない。

 演技にせよ、代償行動にせよ、相手のためにしていることではない。
 だからきっと僕には、優しさという行動規範はあっても愛情というものがない。

 しかし愛情の有無は問題だろうか。
 愛情を込めた料理が致死的な害悪を含んでいることもある(洗剤で洗った米を炊いた、とか)。
 それなら愛情など欠片もないのに、優しい味わいの料理のほうが、他人に優しいと思うのだ。

 もちろん愛情も込めてあり、美味しいならそれが最上だとは思う。
 では人々は、そこで表現されている愛情とやらを、一体何によって味わっているというのだろう。
 味覚だろうか。それとも聴覚? 嗅覚? 触覚?
 愛情というのは、つまるところ単一の感覚に依るようなものではない。
 それに優しさと違って、ときにひどく一方的で独りよがりなものではないだろうか。

 それなら僕は、優しい演者でありさえすれば、その技術さえ体現できるなら、それでいい。
 周囲の人間たちが「優しい」と誤解してくれる微笑ましい現実に、弱者が強者にささやかにでも守られる世界に、ずっと憧れていたのだし。
 それが仮初めであろうと、非情で卑劣な現実を突きつけることが常に正しいわけではないのだから。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::ジェントルマンというのは世間の幻想だ。
 他人や社会や集団の抱くファンタジィを裏切らず、演じることが優しさなんだ。
 本心の有無なんて関係ない。
 他人の心なんて目に見えないわけだから。

 優しくしたい気持ちがあると言いながら身勝手で酷いことばかりするより、優しい気持ちの有無にかかわらず他人の求めるファンタジィを演じることの方が結果的に優しくなる。



 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230106
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
寂しさと眠る。
SUBTITLE:
~ Dance with loneliness. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230106

 あまり書かないが、僕は寂しがり屋である。
 ただ、孤独への耐性が極めて高く、その上、孤独自体も好きだ。
 ついでに寂しさそのものまで気に入っているときている。

 寂しさと孤独を天秤に掛けても、孤独に対する好ましさの比重が高い。
 それは寂しがり屋ではないと言われてしまうかもしれないが、孤独に対する嗜好も、寂しいと感じる気持ちも、絶対量がとても高いのではないかと思う。

 独りが寂しいというのは事実だ。
 だから独りでいると、寂しさを満喫する機会が増える。
 寂しさのいいところは、誰かといるときと違ってそれに疲れたり、飽きたりしないことだ。
 寂しさに耐えられなくなったら飼い猫と話をしたり、倉庫で焚き火をしたり、庭でフォークダンスを踊ったり、仮想奥様と料理をすれば消えてなくなる。

 
 それに誰かと一緒に過ごすというのは、気を抜くことのできない緊張した時間が連続するということである。
 僕はこれに耐えられない。

>>>

 一人暮らしを始めてから、自分以外の人間(のカタチをしたイキモノ)と一緒に暮らしたことが3回 ── うち2回は男友達とで ── ある。
 期間としてはいずれもおよそ3〜6ヶ月ほどだったか。
 相手が男性ならこちらもたいして緊張しないで済む。
 そもそも彼らは恋愛関係にないため、こちらのことをまったくといっていいほど気にしない(僕が女だったら気にしてくるのだろうけれど)。それに男というのは仕事があるので、だいたい家にいないのだ。

 問題は女性だ。
 相手が女性であれば、恋人といえど、ある程度は緊張することになる。
 彼女たちはもれなくこちらを気にしている。気にしていて、注目していて、ために僕は評価対象になる。

 寝癖が立っている。寝起きに口がクサい。寝ながらオナラをしていた。
 美味しいごはんを作ってくれる。趣味に使うお金が多い。
 友達は少ない。趣味に使う時間が多い。
 セックスはあまり上手ではない。前戯に時間を掛けすぎる。
 性感で声を出す。
 バスタオルを週に2〜3回しか洗濯しない。
 料理を作るのは好きなくせに、食後に食器をすぐ洗わない。
 だいたい毎日お酒を飲む。酒癖は悪くない。
 煙草を吸う。歯磨きの時間が長い。
 トイレに立つ回数がそれなりに多い。
 ベッドに入ると着ているものを次々脱いでいく。
 自分は猫だと主張している……。猫?

 そういうことを逐一チェックされ「アリ」だの「ナシ」だのとジャッジされているかと思うとうんざりする。
 そういう人ばかりではないと思うのだが、まったくそうでない人というのもいないだろう。
 人はもれなく感覚し、だいたいそれについて評価せずにはいられない。
 感覚するが評価は特にない、という人が理想的(僕はそうなので)だが、これまでの経験からいえば、そんな人は滅多にいない。
 仕事や学校で不在にしてくれる時間があればまだ良いが、ずっと家に居られたら、家でリラックスする時間などなくなる。
 結果、なかなか気が休まらないので、僕は身の回りに人間をさほど配していない。

 目の前でオナラをすることに無思慮でいられる相手など、僕はいない。
 子供の頃からいたためしがない。
(そういえば父は僕や妹に向かってオナラをしてくる人だった。友人のTUやBPもそうである)

 大人に対してさえ気を許していなかったので、僕はとりあえず眠る(あるいは眠ったフリをする)という技術を身に付けたほどだ。
 自意識過剰なのかもしれないが、相手が自分をどう感覚しているかと気配りし、過剰に意識させないことは、ある種の優しさだと僕は思っている。

>>>

 大人というのは、寝ている子供をあまり気に掛けない。
 自分勝手な大人なら放置してくれるし、優しい大人なら可能な限りそっとしておいてくれる。
 やがて僕は、大人に限らずすべての他人の前で、眠ったフリをするようになる。
 会話しなくてはと、要らぬ気遣いをしない(させない)で済むし、間が持たないことを気にする必要もない。
 リラックスしている風を装うことが可能で、無防備に気を許していると思わせることが可能で、場合によっては突然寝てしまう様をして豪胆だと評されることもある。
 それでいて必要なときや、ささいな物音に目覚めることもできる。本人を前に交わされる内緒の話を耳にすることもある。

 たいして親密でもないのに、寝ている僕を、そっと撫でてくれる人もいる。
 優しく語りかけてくれる人もいる。
 身体まで猫になった気持ちになれるので、本当に寝てしまうことが多かった。

 けれどもそんな人は滅多にいない。
 緊張した状態で眠ったフリをするくらいなら、独りで緊張せず眠る方がいい。

 男でも、安心して背中を任せて眠れるタイプとしか、仕事さえ一緒にはしない。
 女だからと ── ただそれだけの理由で ── 安心して背中を任せられるものでもないことは、ずいぶん知らずにいたのだが。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
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// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230111
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
「TRIGUN STAMPEDE 第1話」を観た。

Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::それから「卑怯」ってのは恵まれた奴の使う言葉だ。それだけは覚えておけ。

 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230111
 
「TRIGUN」が再びアニメ化されるという ── Webニュースで知ったのだったか。

 最初のアニメ化は確か原作が完結する前だったと記憶しているが、うまくまとめていた気がする。
 念のために書いておくと、僕はいわゆる「原作厨」ではない。
 まったく同じコンテンツなら、それこそ原作だけあればいい。

 だからどちらがより優れているか、なんてことも ── 少なくとも僕には ── ナンセンスだ。
 メディアの違いというのは4コマ漫画とオープンワールドゲームくらい乖離があると考えていい。
 異なるメディアで表現する以上、無理矢理同じにまとめる方が不自然なのだ。

>>>

 しかし原作のファンだったからこそ「ああ。また焼き直しの作品が世に漏れ出るのか。作者も焼きが回ったなぁ」なんて諦めていた。

 上述のとおり、アニメ化は2度目だ。
 スタンキャノン(スタンガンと呼ぶにはあまりに巨大)を軽々片手で取り回すロングヘアのゆるふわ長身女、ミリィ(原作当時から作中もっともキュートなガール)が存在しないなど、キャストや設定に若干の変更があるが、きっとそれだけだ。

<<<

 喩えるなら「Five Star Stories」を読んでいたはずなのに「リブート」だの何だのと既存作の編纂リリースを繰り返した挙げ句、忘れた頃に「GM」として続きがリリースされるようなものだ。
「GM」になって読むことをやめたので、あの作品にもそのマーケティングにもとやかく言う筋はないが、原作がその未完の作中に大きく設定を変えてしまうのは正直興醒めだった。
 もちろん、あの作品だからこそ許されることなのだろうけれど。

>>>
 
 話を戻そう。
 原作は知っている。
 アニメも1度見た。
 原作は完結して随分経つ。

 この状況にあって「設定をちょっと変えたアニメをもう一度リリースする」なんて言われたら、そりゃFSSの二の舞を想像する。
 懐古厨のおっさんどもに向け、同時に新しいファンを獲得すべくマーチャンタイズされる作品の哀れ。

 抱いた僅かな期待は、悲惨な予想に塗り潰される。
 そんな予感をせずにいられるだろうか。
 僕はこう見えて悲観主義者だ。

>>>

 そして見始めの冒頭、想像通りにがっくりする。


 バタ臭いキャラデザイン。おいおいこれはディズニーか? と思うほどだ。
 野暮ったいCG。爆発のモデル(CG表現されている)は多くて二種類。
 テクスチャは粗雑。
宇宙船など片面しかモデリングしていないのかと思うくらいだ。
 バンプマップも使っていない。
 フォグやパーティクルシミュレータは使用せず、2Dを重ねているだけか。

 しかしセルアニメとCGの融合は群を抜く自然さで、カメラワークも秀逸。
 キャラクタのモデリングもモーションもレンダリングも高い技術を感じさせる。
 髪やコートのはためきはあまりに自然で、ボーンによる違和感を感じさせない。サブディビジョンサーフェスを使っているのだろうけれど、テクスチャが不自然な冗長をすることもない。
 キャラクタの表情は豊かで、テクスチャ貼り付けに頼らない表現は繊細かつ感嘆に値する。
(それともテクスチャだけで表現しているのか。見分けがつかない)

 そう、ディズニーのCGアニメのようにデキがいい。

 分からない。
 優等生がそつなく手を抜いて作った課題のように、秀逸なのに引き込まれない。
  ── この作品はTRIGUNのはずだ。

>>>

 そう、これはTRIGUNである。
 鉄と錆と砂と嵐。
 人も大地も荒廃しきった世界で、搾取され続ける僅かな資源を巡り略奪や欺瞞が渦巻いている世界だ。
 正しさ
より資源、優しさより暴力、空腹を満たしもしない矜恃より惨めでも虫ケラのように生存することが優先される世界だ。
 
 既存作より一層、退屈で軽薄で深みを感じさせない主人公。
 変更された配役は単なる話題づくりのおためごかしで、弾切れしている重厚なリヴォルヴァの引き金が9回も引かれる演出は ── 通常リヴォルヴァは6発装填なので ── 無意味だと、そう思って見ていた。
 一話における決闘(?)のシーンが終盤を迎えるまでは。

 
 いやいや、まさかまさか。

 主張はしないのに流麗に雰囲気を掻き立てる音楽。
 CGだからこそできる、くどい位のあおりを多用してなお狂わない描画、カット割りを必要最小限にして艶やかに流れるカメラ、精確にピントをずらし、そして合わせる被写界深度。

 嗚呼。
 CGだからこそのシーン。CGアニメがCGアニメである理由、その素晴らしさ。
 8発装填のリヴォルヴァは22口径。そのチョイスだけでも「殺しを好まないガンマン」たるヴァッシュらしさが窺える。

 野暮と洗練のコントラストはまるでデタラメ。
 予想を裏切り、期待に応える ── ヴァッシュ・ザ・スタンピード、その体現のようだ。






 

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::あんたらこそ何? ヴァッシュをどうする気だい? 返答次第じゃ血を見るよ?
::ふ……ふ、2人とも僕の友達なんだ。
::じゃあその縄は?
::……縄?
::はぁ……分かったよぉ。アンタのことだ。何か事情があるんだろう。



 

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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「TRIGUN STAMPEDE - Episode 01」
によりました。

 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 

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[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Derailleur-Diary-Ecology-Link-Memory-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Contents-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :本棚からあくび:
 
 
//EOF