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TITLE:
それぞれの望んだ景色と道。
SUBTITLE:
~ Drive way. ~
Written by BlueCat
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230121
午前中に姉の家から帰宅。
オープンカーで帰ってきたのだが、日差しが弱く風が強かったため、場所によっては寒かった。
こんな寒い日にオープンカーで走るなどアタマオカシイと周囲からは観察されるかもしれないが、実のところ、オープンカーは冬が一番適合する季節である。
まず雨の日が少ない。
日本の気候で考えても、花粉が少なく夏に比べて空気も澄んでいる。
シートヒータも装備されているため、対寒冷の機能は問題がない。
屋外気温に耐えられる服装をしていれば十分なので、ちょっとしたコートなどを着て、ゴーグルやサングラス、眼鏡を装備すればおよそ快適に過ごせる。
晴れていることは絶対だが、気温より問題になるのは日差しと風の強さだ。
日差しがあれば輻射熱で暖まる(暑く感じることもある)が、陽が落ちる頃は輻射がなくなるので体感温度がぐっと下がる。また風が強いと外気が空調のすべてをかき回すため、本当に寒い。
なので十分な日差しがあり、風がなければ快適に過ごせる。
一方で夏は不向きだ。地域にもよるが、日差しから受ける輻射熱をエアコンで冷却しきれない。
湿度や花粉、突然の雨など不安要素も多い。
>>>
オープンカーに乗っている感覚は、自転車に近い気がする。
外気に触れているし、景色がよく見える。
ありきたりな表現だが ── クローズドルーフのときの狭さとあいまって ── 癖になる開放感がある。
運転している感覚は、小型航空機 ── それも昔あったようなオープンコクピットのプロペラ機に近い部分がある。
前方の視界は ── フロントガラスのピラーや枠が遮るため ── さほど広くないが、左右、上方、後方は遮るものがほとんどない。
環境音を捉えやすいので、周囲の車両を把握しやすい。
オープンカーのほとんどはその形状からスポーツカーに分類されがちだが、速度を上げて運動制御することよりも、景観を楽しみ、ほどよい速度で走ることが心地よい。
(それに車高が低めのため、車間距離を充分に取らないと視界がますます悪くなるだけでなく排気ガスを思い切り浴びることになる)
とはいえ僕はもともと自動車の運転が嫌いだ。
(にもかかわらず自動車関連メーカで設計の仕事をしていたこともある)
自動車は二次元かつ限定的な運動しかできない(具体的には上昇下降ができず、前進後退を伴わない左右移動もできない)し、交通ルールによって大きく行動を制限され、他者(自動車だけでなく、それ以外の運動体すべて)に気を遣い、速度による恐怖感もある。
航空機 ── とくに小型で、あまり高度も速度も上げられず、窓も開けられて、なんとなれば屋根などなく、ランディングギア(車輪)もずっと出ているような機体が好きだ。
航空機免許の取得(職業パイロットではない)を夢見たこともあるが、お金がなく、英語力もないので断念したままになっている。
それにしても自動車の運転は不自由だから、好きではなかったのだ。
若い頃からそうだったので、当然、ドライブが趣味なんて理解できなかったし、遠方まで自動車で出かけることも忌避していた。
運転は通勤にせよ買い物にせよ必要に迫られてするものであり、可能なら代替手段を探すのが常だった。
また交通規則に従わなければならないという当然の制約も、自転車などに比べると抑圧されている感覚を覚える。
ついでに言うと、僕は数年前に軽トラを買うまで、自分の好きな車を選んで買ったことがない。
自動車にも、それを運転することにも、まったくといっていいほど興味がなかった。
>>>
しかしオープンカーなら耐えられる。むしろ楽しいと思ってしまう。
そしてふと、些細な違和感というか、後ろめたい気持ちに気付く。
ドライブが趣味だという人間達に対する、ささやかな侮蔑の念を僕は持っていたのだった。
自分が自動車の運転を嫌っていたからこそ、ドライブが趣味だという人間に対して、そうした価値観について「意味ワカンナイし」といった具合に、ちょっと斜に構えて馬鹿にしていたのである。
>>>
とはいえ僕はもともとコンピュータドライブが趣味である。
一般から考えると多少高価でも、優れた速度と性能を発揮する機体を所有し、それを動かし(たとえ大した目的がなくても)操作することをただただ楽しいと感じる。
だから仕事でもプライベートでも、コンピュータの前に居る時間を好む。
作業をして何かを完成させる達成感ももちろん好きなのだが、無目的にただフォルダを作ったり、ファイル操作を自動化するスクリプトを組んだりするだけで楽しいと思う。何となればゴミ箱を空にするだけでも楽しいのだ。
コンピュータドライブを趣味としない人にはまったく理解できないと思う。
一方でマニアックなコンピュータドライバの多くが気にするベンチマーク(コンピュータの処理速度を測定すること)にはほとんど興味がない。
自分のする作業にストレスを体感しない限り、処理速度が他の機体より速かろうが遅かろうがまったく気にならないし、そもそもストレスを感じないような機体を選んで購入し、必要に応じてカスタマイズしている。
外観はさほど気にしないので、たとえば自作PCを組んでLEDで電飾するようなことは(悪趣味に思えて)しない。
使用感と操作性を重視し、インタフェイスやショートカットなどのカスタマイズを ── 周囲の人が理解できないくらい ── してしまうから、きっと周囲の人は僕のことをちょっと馬鹿にしているのだろうと(前述のメカニズムにより)思う。
>>>
おそらくコンピュータと自動車と飛行機は似ている。きっと自転車もそうだ。
たとえば速度や操作性や外観やインテリア、利便性と価格から多くの人たちが選び、メーカや歴史をマニアックな人たちが語ること。
マニアックな人たちはより高度な性能を求め、自身の操作能力などについて一定の自負を持つこと(僕にとってこれは恥ずかしいことに該当する)。
僕は自動車もコンピュータと同様、外観はほとんどプレーンのまま、目立ったアクセサリを装備したりはしていない。
だから写真も撮らない。コンピュータも(直近のものは)何を買ったか明記していない。誰かの見世物になることを好まないといえる。
力不足を感じたとき、見えない部分に多少手を掛ける。
大事なことはその道具を使うことによって、どんな景色が見えるかだ。
車や自転車の場合、若干人目を集めることがある。
(コンピュータも、ちょっと詳しい知り合いが見たら驚いていた)
これば僕が自由にしている結果、少々一般的な範囲から外れたチョイスをするためだろう。
オープンカーもキャンピングカーも目立つし、猫が一緒に乗っていたらことさら目立つ。
目立つのは好きではないが、もはや諦めの境地に至ったので、自意識の存在を忘れることにしている。
注目を浴びることも含めて、それは僕の求めた景色に付随しているのだ。
自由と孤独がセットであるように、目立つこともまたトレードオフの関係だ。
一般的な多くの人は、自由を求めつつも孤独を避けて、無難な中庸の道を歩く。
目立たないようにする事は、孤独を避ける上でとても重要なスキルだ。
しかし孤独になることなどお構いなしに自由を突き詰めると、僕のようなイキモノになる。
社会性はない。
結果、存在するだけである程度目立つ。
原理が理解できたなら、気にしても仕方ないではないか。
>>>
クロに餌と水を与え、着替えて納屋掃除の続きをする。
僕は5人姉妹の4番目で長男にあたるが、他の姉妹とはだいたい仲が良い。
失踪中の姉(3番目)についても、憎からず思っているらしいと聞いてはいるが、こちらとしてはあまり関わり合いたくないのが本音だ。
長姉とは険悪ではないものの、やはりこちらからは関わらないようにしている。
ある時期まで比較的まともな人だったのだが、ある時期から人間性が崩壊してしまったように観察されるためだ。
人間は変わってゆく。
人間関係もまた変容してしまう。
それぞれが、それぞれに望んだ景色を見ているのだと ── そしてきっとそれは誰しもがそうだと ── 僕は思う。
午前中に姉の家から帰宅。
オープンカーで帰ってきたのだが、日差しが弱く風が強かったため、場所によっては寒かった。
こんな寒い日にオープンカーで走るなどアタマオカシイと周囲からは観察されるかもしれないが、実のところ、オープンカーは冬が一番適合する季節である。
まず雨の日が少ない。
日本の気候で考えても、花粉が少なく夏に比べて空気も澄んでいる。
シートヒータも装備されているため、対寒冷の機能は問題がない。
屋外気温に耐えられる服装をしていれば十分なので、ちょっとしたコートなどを着て、ゴーグルやサングラス、眼鏡を装備すればおよそ快適に過ごせる。
晴れていることは絶対だが、気温より問題になるのは日差しと風の強さだ。
日差しがあれば輻射熱で暖まる(暑く感じることもある)が、陽が落ちる頃は輻射がなくなるので体感温度がぐっと下がる。また風が強いと外気が空調のすべてをかき回すため、本当に寒い。
なので十分な日差しがあり、風がなければ快適に過ごせる。
一方で夏は不向きだ。地域にもよるが、日差しから受ける輻射熱をエアコンで冷却しきれない。
湿度や花粉、突然の雨など不安要素も多い。
>>>
オープンカーに乗っている感覚は、自転車に近い気がする。
外気に触れているし、景色がよく見える。
ありきたりな表現だが ── クローズドルーフのときの狭さとあいまって ── 癖になる開放感がある。
運転している感覚は、小型航空機 ── それも昔あったようなオープンコクピットのプロペラ機に近い部分がある。
前方の視界は ── フロントガラスのピラーや枠が遮るため ── さほど広くないが、左右、上方、後方は遮るものがほとんどない。
環境音を捉えやすいので、周囲の車両を把握しやすい。
オープンカーのほとんどはその形状からスポーツカーに分類されがちだが、速度を上げて運動制御することよりも、景観を楽しみ、ほどよい速度で走ることが心地よい。
(それに車高が低めのため、車間距離を充分に取らないと視界がますます悪くなるだけでなく排気ガスを思い切り浴びることになる)
とはいえ僕はもともと自動車の運転が嫌いだ。
(にもかかわらず自動車関連メーカで設計の仕事をしていたこともある)
自動車は二次元かつ限定的な運動しかできない(具体的には上昇下降ができず、前進後退を伴わない左右移動もできない)し、交通ルールによって大きく行動を制限され、他者(自動車だけでなく、それ以外の運動体すべて)に気を遣い、速度による恐怖感もある。
航空機 ── とくに小型で、あまり高度も速度も上げられず、窓も開けられて、なんとなれば屋根などなく、ランディングギア(車輪)もずっと出ているような機体が好きだ。
航空機免許の取得(職業パイロットではない)を夢見たこともあるが、お金がなく、英語力もないので断念したままになっている。
それにしても自動車の運転は不自由だから、好きではなかったのだ。
若い頃からそうだったので、当然、ドライブが趣味なんて理解できなかったし、遠方まで自動車で出かけることも忌避していた。
運転は通勤にせよ買い物にせよ必要に迫られてするものであり、可能なら代替手段を探すのが常だった。
また交通規則に従わなければならないという当然の制約も、自転車などに比べると抑圧されている感覚を覚える。
ついでに言うと、僕は数年前に軽トラを買うまで、自分の好きな車を選んで買ったことがない。
自動車にも、それを運転することにも、まったくといっていいほど興味がなかった。
>>>
しかしオープンカーなら耐えられる。むしろ楽しいと思ってしまう。
そしてふと、些細な違和感というか、後ろめたい気持ちに気付く。
ドライブが趣味だという人間達に対する、ささやかな侮蔑の念を僕は持っていたのだった。
自分が自動車の運転を嫌っていたからこそ、ドライブが趣味だという人間に対して、そうした価値観について「意味ワカンナイし」といった具合に、ちょっと斜に構えて馬鹿にしていたのである。
>>>
とはいえ僕はもともとコンピュータドライブが趣味である。
一般から考えると多少高価でも、優れた速度と性能を発揮する機体を所有し、それを動かし(たとえ大した目的がなくても)操作することをただただ楽しいと感じる。
だから仕事でもプライベートでも、コンピュータの前に居る時間を好む。
作業をして何かを完成させる達成感ももちろん好きなのだが、無目的にただフォルダを作ったり、ファイル操作を自動化するスクリプトを組んだりするだけで楽しいと思う。何となればゴミ箱を空にするだけでも楽しいのだ。
コンピュータドライブを趣味としない人にはまったく理解できないと思う。
一方でマニアックなコンピュータドライバの多くが気にするベンチマーク(コンピュータの処理速度を測定すること)にはほとんど興味がない。
自分のする作業にストレスを体感しない限り、処理速度が他の機体より速かろうが遅かろうがまったく気にならないし、そもそもストレスを感じないような機体を選んで購入し、必要に応じてカスタマイズしている。
外観はさほど気にしないので、たとえば自作PCを組んでLEDで電飾するようなことは(悪趣味に思えて)しない。
使用感と操作性を重視し、インタフェイスやショートカットなどのカスタマイズを ── 周囲の人が理解できないくらい ── してしまうから、きっと周囲の人は僕のことをちょっと馬鹿にしているのだろうと(前述のメカニズムにより)思う。
>>>
おそらくコンピュータと自動車と飛行機は似ている。きっと自転車もそうだ。
たとえば速度や操作性や外観やインテリア、利便性と価格から多くの人たちが選び、メーカや歴史をマニアックな人たちが語ること。
マニアックな人たちはより高度な性能を求め、自身の操作能力などについて一定の自負を持つこと(僕にとってこれは恥ずかしいことに該当する)。
僕は自動車もコンピュータと同様、外観はほとんどプレーンのまま、目立ったアクセサリを装備したりはしていない。
だから写真も撮らない。コンピュータも(直近のものは)何を買ったか明記していない。誰かの見世物になることを好まないといえる。
力不足を感じたとき、見えない部分に多少手を掛ける。
大事なことはその道具を使うことによって、どんな景色が見えるかだ。
車や自転車の場合、若干人目を集めることがある。
(コンピュータも、ちょっと詳しい知り合いが見たら驚いていた)
これば僕が自由にしている結果、少々一般的な範囲から外れたチョイスをするためだろう。
オープンカーもキャンピングカーも目立つし、猫が一緒に乗っていたらことさら目立つ。
目立つのは好きではないが、もはや諦めの境地に至ったので、自意識の存在を忘れることにしている。
注目を浴びることも含めて、それは僕の求めた景色に付随しているのだ。
自由と孤独がセットであるように、目立つこともまたトレードオフの関係だ。
一般的な多くの人は、自由を求めつつも孤独を避けて、無難な中庸の道を歩く。
目立たないようにする事は、孤独を避ける上でとても重要なスキルだ。
しかし孤独になることなどお構いなしに自由を突き詰めると、僕のようなイキモノになる。
社会性はない。
結果、存在するだけである程度目立つ。
原理が理解できたなら、気にしても仕方ないではないか。
>>>
クロに餌と水を与え、着替えて納屋掃除の続きをする。
僕は5人姉妹の4番目で長男にあたるが、他の姉妹とはだいたい仲が良い。
失踪中の姉(3番目)についても、憎からず思っているらしいと聞いてはいるが、こちらとしてはあまり関わり合いたくないのが本音だ。
長姉とは険悪ではないものの、やはりこちらからは関わらないようにしている。
ある時期まで比較的まともな人だったのだが、ある時期から人間性が崩壊してしまったように観察されるためだ。
人間は変わってゆく。
人間関係もまた変容してしまう。
それぞれが、それぞれに望んだ景色を見ているのだと ── そしてきっとそれは誰しもがそうだと ── 僕は思う。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Engineering-Link-Mechanics-Memory-Season-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-
[Object]
-Bicycle-Car-Computer-Human-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
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