// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230504
// NOTE:
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TITLE:
少しずつ、旅慣れる。
SUBTITLE:
~ Noob traveler. ~
Written by BlueCat

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//[Body]
230504

 腰痛(正確には大腰筋付近の筋肉痛)で昨日は寝て過ごしたが、この時期に庭仕事をサボるわけにはいかない。

 昨年,一昨年はほとんど土を放置していたため、団粒構造が壊れたエリアが多い。
 固まった土は崩しても微塵のような粉状の土になり、水を与えてもべとべとの泥になりやすい。

 これらを団粒化させるのに、有機的なアプローチを行っているのだが、当然ながら先は長い。
 一方で、ケミカルによる団粒化のアプローチもある。
「EB-a」という農業資材があり、これにより微塵を化学的に団粒化させやすくなる。
 秋のうちに入手していたので、規定値に希釈して散布する。

 庭の一部にイシクラゲが発生しているのだが、これも畑の土壌改良に使えるのではないかと考えている。
(光合成を行うシアノバクテリアの一種らしいので、土に漉き込むわけにはいかなそうだが)

>>>

 栽培エリアを掘っていると、以前よりミミズが多く見られるようになった気がしている。
 実はコーヒーかすがあると増えるという情報があったので、堆肥場を作る以前から、エスプレッソマシンから排出されるコーヒーペレットを庭に撒いていた(今は堆肥場に投げ込んでいる)。

 僕自身も、以前に比べると変わった部分が増えただろうか。
 かつては虫が出てくると声を上げて逃げ出すほど嫌いだったが、今はさほど気にしなくなった。
 あんなに嫌っていたクモなどはすっかり慣れてしまって、見つけても放っておくか、作業に必要な場所にいれば手に載せて運び出すほどだ。
 殺さないように気をつけていた幼虫が実はコガネムシのそれだと気付いてからは、見つけ次第、川や道路に投げるようになったし、バッタを見たらだいたい踏みつけるようなった。

 アクアリウムなどを趣味としている人からすれば、シアノバクテリアは忌避し嫌悪し抹殺する対象であり、イシクラゲも一部には「気持ち悪い」と嫌われる傾向があるようだ。

 ダンゴムシやミミズも苦手な人はいるようで、わざわざダンゴムシの忌避剤などが売っていたりする。

 じつのところダンゴムシとミミズは、堆肥の分解には欠かせない分解者だ。
 性格(と呼ぶほどの性格を見出すことはむつかしい)も、臆病で穏やかだ。人間に噛みついたり、毒を分泌するわけではない。
 少なくともコガネムシの幼虫やアブラムシに比べれば、ガーデニングにおいては非常に有益な存在といえる。
 そのような認識の変化もあるだろう。

>>>

 畑作業のあと、休憩ついでに近所のコインランドリィに出掛け、コペンのカバーを洗う。
 自宅の洗濯機だと若干、容量が足りず、塵が残ってしまうことが多いからだ。
 コインランドリィの駐車スペースでのんびり過ごす。

 結局のところ、ノートPCを買っておいて良かった。
 またキャンピングキャビンにソーラ発電システムを構築しておいたことも良かった。
 最近になってようやく「そういえば一般的なキャンピングカーってソーラパネルを積んでいないな」と気付いたのだ。

 じつにオートキャンプ場やオートサイトの多くは電源供給サービスがある。
 ただし価格はどう考えてもビジネスホテルの方が安い。
 キャンピングカーを使いたい/アウトドアを楽しみたい、という人はそれでいいのだろうけれど、僕は別にキャンピングカーに泊まりたいとか、使いたいから買ったわけではない。

 それでも、ただその辺に停まって、キャビンで休憩しているだけで楽しい。
 近所の飲食店で食事をして、そのまま駐車場で眠るだけでも楽しいのだ。

 中ですることといったら、飲んだり食べたり寝たり本を読んだりPCを使ったり、といった程度の、つまりは自宅でしていることと変わらない。
 むしろ自宅でしていることのほとんどが出先の車内でできる、ということがアドバンテージであり、楽しさなのだろうと思う。
 アウトドアとはほど遠い、出掛けた先で勝手を知った場所に引き籠もる、という地味な楽しみだ。

 コインランドリィは1回で1000円以上したのだが乾燥が甘い。
 はっきり言って、べしょべしょの部分がある。
 自宅の洗濯機の方が乾燥については有能だ。ピチピチのドラム内でも、乾き漏らしがあったことはない。
 次回からの対応を考えよう。

>>>

 帰宅して片付けを終えると19時になっていた。
 これからお風呂を湧かして食事の用意をするのは、少々億劫に感じる。

 100円ショップのコンテナで管理しているお着替えユニットとお薬ユニットを買い物かごに入れ、ワイシャツと明日の私服を積んだら準備完了。だいたい30分である。(ちなみにスーツや革靴は、いつも車内に置いている)
 回数を重ねたからだろう、ずいぶん手慣れてきた。

 移動時間も含めて営業時間中の温泉施設というと、前橋が手軽か。
 世俗は連休でお出かけしている人が多いのか、スーパーも道もほどよく空いている。
 近所のスーバーで飲食物を軽く調達して、太田を発つ。
 月が綺麗な夜だ。







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
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  -Diary-Engineering-Mechanics-Moon-Technology-
 
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  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:窓辺に微睡む:
 
 
//EOF
 
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// TimeLine:230503
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
腰をいわす。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230503

 昨日、堆肥場の隣にボカシの場所を作る。
 なぜといって、堆肥場のキャパシティがそろそろ限界だからだ。
 柵をさらに高くする方法もあるのだが、サイロのようにしてしまうとそれはそれで作業が大変になる。
 そこで土と馴染ませる領域を作ろうと思い立ったわけだ。

 堆肥もボカシも同じような意味合いで使われる場合が多いが、有機性廃棄物と米ぬかや分解菌類を堆肥場で作り、発酵しきった頃合いのものをボカシ場で土と混ぜ合わせる感じである。

 堆肥場の隣がよいと考えたが、いかんせん植樹が多くてスペースが少ない。
 2年越しで抜き掛けの(抜き切れていない)切り株もある。
 仕方ないので、ツルハシと鍬とスコップで穴を掘り進めることにしたのだが、2年放置したせいで土は硬くなっているし微塵は多いし、木の根があちこちに張り巡らされているしで難航する。
 微塵も含めて土からごみを取り除き、袋詰めして消毒するところから始めたかったのだが、堆肥場にスペースを作ることが最優先だったので今回は見送る。

 なんとか半日掛けて穴を掘り終え、堆肥の一部を移し、土と米ぬかをまぶす。

>>>

 以前の住人がどの程度、庭木や草に手を掛けていたのか僕には分からないのだが、庭木についてはたまに造園屋さんに頼んでいた程度で、追肥も何もしていなかったのではないかと思える。
 それでも手入れをまめにしていた時期もあったようで、毎年のように花を付けるチューリップやスズランなどもあり、僕に至っては雑草でも可憐なものは増やして残す方針なので、この時期はぽつぽつと花が咲いている。

 土についても、最初の頃こそまったく分からなかったが、今はこの庭のほとんどの土壌が、痩せて病害虫に冒されやすい状況にあることが理解できるようになった。
 痩せているのでまっとうな菌類が常在しておらず、ひとことで言ってしまえば環境が悪い。
 松の葉などは毎年落ちていたのだが、まったく分解させる様子がないのも、その足下の土が痩せているからだ。よくそんな場所でスズランが定住しているとさえ思う。

 菌類を常在させれば土も団粒構造を取り戻しやすくなるし、最終的に不耕作でも土を利用できるようになる可能性さえある。
 もちろんそれが1,2年で叶うとは思わないが、土を入れ替えるよりも今ある土を活かす方が経済的だし楽しみもあるだろうと思って昨年くらいから続けていることだ。
 そもそもスパンが長いのだが、勉強しながらなのでちょうどいいだろう。

 堆肥を作るのは料理を作るのに似ている。
 何かを足したり、混ぜ合わせたり、馴染むまで待ってときどき様子を見て、状態が変化したら次の工程を始めるというのは、シンプルに楽しい。
 おそらくその「変化を観察したい」という気持ち ── これも好奇心だろう ── が、僕を様々なものに駆り立てる。

 最終的には細菌や微生物を利用した不耕起栽培(有機栽培には違いないが、完全有機栽培にするつもりはない)ができるようにしたいとは思う。

>>>

 腰部の疲労と痛みが酷かったが、今日中にボカシ場を完成させたかったので、少し無理をした。
 作業後、玄関までのわずかな距離を歩いていただけで足を攣る。
 もともと腰痛持ちではないが、あまり酷使せず生きてきただけで、腰部を酷使する作業には弱い。

 おかげで今日は1日、ほとんど寝て過ごしている。
 おそらく筋肉痛だろうけれど、なるほど腰痛というのはこんなに不便を強いられるのかと思う。





 

 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
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// TimeLine:230430
// NOTE:
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TITLE:
愚痴を聞かされた上、怒られる。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230430

 弟子から久しぶりに電話がある。
 不惑を過ぎたのだからという理由でこれまで以上に頑なになる決心でもしたか、手段や哲学や思考は変えないのに結果が変わることを願っては、いつもと同じように不快な状況を作り上げたらしく愚痴をこぼす。

 愚痴をこぼしたついでに、その記憶の中の不快や怒りが蘇ってきたのか、謂れのないことで不機嫌さをぶつけられてしまった。
 といって僕はそれで気分を害したわけではない。むしろ面白かった。
 僕には一切の非がないことも分かっていたので、こんなに理不尽に怒られて、八つ当たりされて、面白いなと思ったのだ。
 もちろん弟子でなかったらタダでは済まさないとは思うが、そもそもタダでは済まさないような距離感の人間が、そうした八つ当たりをしてくるとも思えない。
 弟子だからちょっと大目に見ている部分はあるだろうが、誰が僕に八つ当たりをしてきたからといって、気分を害する必要もないだろう。
 その理不尽さや不条理は、シュールな可笑しみに溢れている。
 わざわざあげつらうまでもなく気付けば人は反省するものだし、不条理な世の理不尽を面白おかしく受け流したとして、誰に害のあるものでもあるまい。

 なるほど記憶に没入すると、人格のテーブルが単一でなおかつ狭い場合、今の気分は記憶に引きずられることになるようだ。
 とくに弟子は器用な人間ではない。
 人格は単一だし、思考回路もシーケンシャルで単一だ。
 倫理的にも真面目であり、つまりは融通が利かない。僕のように不真面目で、いい加減で、ちゃらんぽらんなルンペンプロレタリアートとは根本から違うのである。

 真面目な話、現行の思考が記憶に引きずられるというメカニズムは理解できる。
 記憶力が高く、再現力が高く、ある種遊びのない潔癖さが、逃げ場のない自分自身を追い詰めるのだろう。

>>>

 不惑を過ぎるとかなりの頻度で人間は頑固になる。
 これは経年による学習の結果、情報の最適化によって判断基準が固着するためだろう。
 これは ── 最適化を逆行すること=非効率化がなされることなので ── 意識的に剥がそうとしなければ、情報処理システムの宿命として避けられない。

 同一性の高い思考回路や人格ほど、その固着が強固になる。
 なぜといって同一の問題に複数のメソッドで対処するような非効率を、通常はしないからだ。それまでの経験上、もっとも効率的な選択をすれば、それが正解になる。
 しかしそれはあくまでその個体における、その時点までの経験則に過ぎない。
 だから頑固な人間は、ほとんどの場面では役立つかもしれないが、他者に対する理解力に欠け、また新しい局面で柔軟な対応が出来ないケースが多い。

 ここから学べる教訓があるとすれば、今の自分に関係のないもの(過去の記憶であるとか、他人の感情であるとか)に引きずられるのは ── 本来的にはその快不快を問わず ── ろくなことがない、ということだろうか。


 端的に言えば、自分の顔と感情には責任を持つのが大人だろうと僕は思っている。
 誰かの行為で(そこに悪意や害意がなくても)不快感を露わにし、敵愾心を剥き出しにする人は老若男女を問わず一定数存在する。
 彼ら彼女たちの多くは、結果的に、自分自身の感情に(その拠り所を誰かに明け渡しているという点からして)無責任で、自制能力が低いということが観察される。
 不惑を過ぎるあたりから、どうやら人間はふたたび童心に戻り始め、周囲に甘えが出るようさえ思える。

 情報処理システムの固着とは、知性の洗練ではなく、むしろ白痴に近づくことでさえあるのかもしれない。
 つまるところ知性とは、迷い、悩み、考えや想像を巡らせ、あれこれと検討し、推論し、検証しようとする一連のプロセスそのものなのだろうか。

>>>

 皆が皆、ギスギスしているように思えることがある。
 理由は分からない。
 正確さを求めるきっちりかっちりした理想や潔癖症が隙間や余裕のない思考様式を構築し、それを自分だけでなく環境にも当てはめるためイライラしてしまうのかな、とも思う。

 僕もかつては極度の潔癖症だったから、満足に完璧を実現できない自分にさえ嫌気が差して、この世から消し去ろうと考えたものだ。

 今はのんびりぼんやり、テキトーを身上としているので、自分にもイライラしないし、他人にも世界にも政治にもNHKにもイライラしない。
 今日はキャンピングキャビンの照明の工作でいくつか失敗したが、失敗は楽しいものだ。
 まぁ、イライラしても少々のこと、短時間のこと。
 ちょっと手間で、ちょっと思いどおりにならないから腹が立って、もう一度同じことを繰り返すことにはなるけれど、どのみちこの手と頭を使ってするしかないので、腹を立てても仕方ない。
 どうせ寝る時間も決まっていないし、明日の予定も特にないからかまうものか。

 みんな正しさを持っていて、その正しさに自分を当てはめて、環境がその正しさに当てはまらないと機嫌を損ねる。
 正しさに自分が当てはまらないから絶望しているなんてまだまともな方で、自分に当てはまるものを正しさだと公言する人間も少なからずいる。正しさってそんなに万能だったか。

 昔から書いているが、僕は間違っていたいほうのイキモノだ。
 法に触れない範囲なら、人の道さえ踏み外したいと思っているうちに猫になってしまった。
 もちろん暴力、薬物、人権侵害、他者の身体財物を毀損するなどの行為はまっぴらごめんなので手を出したことはない。
 いやそんなことを言っていても、道を歩くだけで誰かの道筋をほんの半歩先で踏んでいて、その誰かの進路を妨害し、つまりは権利を侵害しているかもしれない。その可能性を僕は否定できない。
 だからといって引きこもりになっているというわけではないが。

>>>

 正しい奴。いい奴。善良で優しい奴。なんでもいい。
 そうでない奴だってそれはそれで勝手にすればいい。

 自分以外の誰か ── つまりは社会 ── と接する中で、何かを演じようとしてしまったり、気付いたら何かを演じてしまっていて、それこそが自分だと思ってしまうこともあるだろう。
 本人が望んでいなくても、自分以外の多くの人から望まれ、賞賛されれば、そちらの方がよいかと勝手に思い込んでしまうものだし、あるいは誰からも望まれていない本人だけの望みを痛々しく具現するよりよほど善良で優しいかも知れない。

 何が正しいかなんて、社会性を捨てつつある僕が示せるものでもない。
 孤独に過ごしていると、正しさなんてどうでも良くなる。ただ目的をより快適に、より簡単に、より安全に ── そして叶うならより廉価に ── 達成できればそれでいい。
 倫理というのは自分ではなく他人のために己の中で抱えるものだ。

 正しさという爆弾を抱えすぎて己の矛盾の海を恐る恐る覗き込んでいる人を見ると、後ろから突き飛ばしたくなる(笑)。

 溺れてしまえば大層苦しいものでもある。
 けれど誰が言ったところで、その正しさに大した意味がないなどと、自分で実感するまでは理解できないことなのだ。
 怖いな、苦しいな、と言っているのはきっと、まだ溺れ足りないのだろう。

 窒息して、己を失ってしまえば、そんなことでは悩まなくなるだろうとは思うのだけれど。
 己が己であり、あると思い、ありたいと思うために、悩みは尽きない。
 つまるところ環境があるために悩むのではなく、己があるから悩むのだけれど、まぁこれも実感できなければただの言葉遊びにしか見えないだろう。

>>>

 子供の頃から、自由であることを至高と考えていた。
 もちろん子供の頃は格別に不自由だった。
 僕は少々特別だったかもしれないが、普遍的に考えても子供は大人より不自由だ。
 だから早く大人になりたいと思ったし、経済的にも自立して、自由になりたいと思った。

 会社員になったらなったで、自由に仕事をしたいと思った。
 しかし自営をしてみると、(初めてだったから、という理由はあれど)自堕落でモノにならなかった。

 自由が孤独に近しいものであると知ったのは、20代の終わり頃だったか。
 不自由だけれど、仲間や親しい者や近しい者がいるという環境を、だから僕は切り捨てようと思った。
 どういうわけか僕にとって自由は、本当にこの上もなく優れているものなのだ。

 どのくらい優れているかというと、たぶん時間に等しいと思う。
 時間は自分の命と同程度の価値があり、お金よりも優先されるものである。
 自由はだから、お金よりも価値がある。
 お金を出して自由が買えるなら、僕はそれを買う。

 時間と自由は、およそ等しいので、どちらか一方を選ぶということができない。
 あるいは1時間の不自由と引き換えに、1時間の自由が手に入るというならそれは価値があるかもしれない。
 しかし失われる時間は2時間だから、ゼロサムになってしまって何の得もない。
 けれどもお金で自由や時間が買えるなら、それは買うべきだ。ほかに買うものなんてないくらいだ。

 仮にお金を失っても、その空っぽの時間を楽しむだけの知恵を僕は持っている。
 一緒に過ごす人がいなくても、食べるものも飲むものも煙草がなくても、飢えていても、僕はその時間を、その自由を思う存分味わうことができる。

>>>

 そうこうしているうちに、孤独になってしまった。
 つまりそれは、本当に自由になったということだ。
 孤独はストレスになり精神に悪影響を与える、などという人もいるようだが、僕はそれは嘘だと思う。

 もちろん孤独がストレスになり、精神に悪影響を受ける人もいるだろうけれど、少なくとも僕はそれには当てはまらない。
 思った通りの自由は(孤独は)本当に素晴らしい。
 自慢する相手も、評価してくれる他人もいないから自堕落でも問題ないのが尚更いい。

 狭い社会に視野を絞られ、そのウサギ小屋のような社会だけ眺めて孤独に苛まれ「自分には味方がいない」なんて嘯く人間があちこちにいるが、僕は彼ら彼女たちに問いたい。

 それなら果たしてあなたは、誰かの味方であろうとしていますか、と。
 誰の味方になるつもりもなく、ただ自分の正しさや寂しさを埋めてくれるエサを求めているだけの貧しい魂のために、一体誰が手を差し伸べるのですか魂まで呑み込まれてしまうかもしれないのにと。

 僕は孤独だが、味方がいないとは思っていない。
 むしろ味方しかいない(敵は切り捨てたり噛み殺してしまうので)。

 孤高を気取るのは結構だけれど、孤高というのは誰も味方になってくれないという受け身な精神のなれの果てなどではなくて、誰の味方になるかを自分で決めることができるという、たったそれだけの、選択と意志の問題だと僕は思うのだ。

 たまたま僕の場合は味方は居るけれど味方は要らないので、孤独を ── つまりは自由を維持できている。
 たとえば味方が欲しいというのなら、自由を捨てて、不自由に足を取られながら、誰かの味方になるしかない。
 黙って隅の方でいじけている盆暗の味方をするような間の抜けたお人好しなどいない。
 だからそのお人好しに、あなたがなればいい。
 あなたが誰かに味方するとき、誰かがあなたの味方になる。

 だから「私には味方がいない」なんてアタマの悪い発言は、二度としないでほしい。
 困っている人や、少し弱っている人を見つけたら、味方になってあげればいい。
 あなた自身がそうだというなら、あなたが自分の味方になればいい。
 何をしてもらえば嬉しいか、どんなふうに接したいか、いろいろ試してみればいい。

 困っているなら困っていると、助けてほしいなら助けてほしいと、甘えたいなら甘えさせてほしいと、一度でいいから言ってみるといい。
 なあに自分に対して言うのであれば、他人に言うほど高いハードルでもあるまい。
 自分に対してさえそれを言うことが許せないから、他人にも言えないまま窒息しそうになっているのではないかと、少々心配になる。

 誰にも頼らず甘えないような強い人間などいないし、仮に居たとしてもそれはあなたではない。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-JunctionBox-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :君は首輪で繋がれて:ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230422
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ここまでのあらすじ。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230422

 4月の上旬から、およそ2週間ほどかけてPCデスクを新しく作った。
(途中に姉の通院介助があったり、歯医者があったり、コペンの点検があったり、軽トラのタイヤのパンクがあったりしたが、その程度である)

 既製品の事務机でも問題はないのだが、身体のフィット感や機能性が価格に見合わないと感じる場合が多いため、30代くらいからスチール棚をベースに拡張するようになった。
 スチール棚そのものは高くても15k円ほどで手頃なものが手に入る。キャスタは必須だ。
 これにスライドレールやボード、スイッチタップや電灯を追加してデスクとしての機能を増やす。もちろん将来不要になった機能はモジュールごと外してしまえばいいし、棚板の高さや枚数も自在だし、既に所持しているモニタアームを取り付けることも出来る。
 必要になった機能を増設してゆくことで、高機能 ── といっても、デスクの機能性などたかが知れているが ── でも高額なデスクを買うよりは一度の支出を抑えられる。

 それが(軽微な調整を除けば)だいたい出来上がった。

 特に気に入っているのは、デスクのスライドボードが2枚あること。入力機器類のボードはPCデスクなので必須だけれど、PCデスクというのは ── その入力機器類が置かれているがために ── 簡単な書類仕事やその他の工作、食事をするには不向きだ。そこで2枚目のボードの出番である。
 スライドボードを持つデスクはあるが、同じサイズが2枚もあるものは見たことがない。
 見たこともないものが欲しいとなれば作るしかないし、自分の好みのサイズや配置を追求するなら自作するしかない。
 結果について文句はない。むしろ非常に満足している。



<現在の様子。制作途中の写真もかなりあるが、面倒なのであまり載せない>


<オシャレは足下から。中空のフレームのおかげで、コンピュータを宙ぶらりんにしている>



<デスクボードが2枚あるというのはこういうことである。ちなみに上のボードはクリアランスが3ミリほどしかないので、飲み物を載せたまま仕舞おうとすると大惨事に繋がる>

<PCデスクで半田付けまでするのは、あまりおすすめしない>


<男は背中でものを語れ。なんとデスクまで伸びているケーブルはたったの3本(うち1本はダミー)。PS4もメインモニタの後ろに固定されており、3つのモニタとアームの重量は相当なものだが、キャスタで難なく移動できるからお掃除もラクラクである。カフェオレこぼしちゃったときとかね>


<PSコントローラホルダも自作した。ちなみにブラケットやウレタンフォーム、上段ボードに固定されたA4トレイなどは可能な限り100円ショップのものを組み合わせている>

>>>

 机の作成が完全には終わらないうちに、キャンピングキャビンの電源系工事を始めた。
 これでおよそ1週間を費やした。

 結論を先に書いておくべきだろう。
 何事も、可能な限り大容量で高出力のものを選んでおいたほうがいい。
 あとモノを作るときは、こまめに取付け箇所のクリアランスを確認することを怠らないように。

>>>

 そもそも冬の終わりに電気ケトルを買ったのはいいのだが、出力不足でインバータが損壊してしまった。
 そこで新しく高出力対応のインバータを購入したが、今度はコンセントがやけに固く、プラグを抜こうとするとコンセントごと抜けそうなのでコンセントを抜かないままその先の電源を切れるようにブレーカを設置することにした。

 また夏に備えて(エアコンを12時間以上連続使用できるように)大容量のバッテリィに換装したのはいいのだが、以前のバッテリィと異なり充電状態を簡易的に把握できるモニタもなければシガーソケットもついていない。
 これらを解消するため、資材を集め(長らく「試験的に」ぶらぶらさせていたりした)配線も見直した。

 2回くらい感電し、ひとたびは川の向こうで手を振る父親が見えたりもしたが、上流から桃が流れてきたりして我に返った結果、こうして成果物について書き込むことができている。

 実はバッテリィの容量に対して、発電能力がさほど高くない。
 より高出力なパネルに換装するか、走行充電機能を持っているパワーコントローラにいよいよその仕事をさせるかの判断を迫られる瀬戸際に近づきつつあることをひしひしと感じているような気がしていることを直視した方が良さそうにも思える。

 価格的には走行充電機能を有効にする方が安い(手持ちの資材でほとんど完結できる)が、またキャビンに穴を開けたり車両の(メインとなる)バッテリィやその配線とも格闘する必要がある。
 ソーラパネルの換装は、数万円はかかる。狙いは1枚およそ400wのものを2枚。
 多少価格が下がってきたとはいえ、60k円ほどはする。おいそれと買ってしまうのは簡単だが、結局取付けに苦労するのも分かっているから少し躊躇う。

 そうなるとやはり、走行充電機能を有効にすべきか。
 キャビン外装に配線が走っているので、ときどき(ちょっとしたメカ好きなのだろう)人が、しげしげ眺めに来ることがある。
 走行充電機能を有効にするというのは、現在の右側だけでなく左側にも穴を開けるということである。
 右の頬を殴られたら左から殴り返せということである。
 まぁそうすることでエアコンを思う存分使えるなら、それもいいか、と思うのだが、もう少し迷っていたい。

 とにかく今月はもう工作をしたくない。


<暫定だけれど作業完了の図。異次元から表出したクワガタみたいに中空に浮いている剥き出しの被覆線のことは忘れろ>


<オトコノコが大好きそうな、スイッチとメータの集合体。そしてこのジャンク感。ほとんど新品だけどな!>


<ちなみにフレームは100円ショップで(400円で)買った。2度失敗している。当初はこのように横レイアウトのはずだったが、スペースの都合で最終的に縦になった。
フレームだけで合計900円(税抜き)掛かっているのだが、ちょっとしたヒューズボックスがその程度の金額で購入できる上、きちんとフタも付いている。100円ショップの資材でDIYすれば何でも安い、とは限らない好例>


<ケーブルもまとめられてお美しい姿>


<はらわたは、もっとすごいことになっている>




 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Engineering-Maintenance-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Car-Computer--Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230409
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
脱線し続ければ孤独にはなる。
SUBTITLE:
~ The Derailer. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230409

 昨年の夏の終わりに堆肥場を作った。
 刈り取った草を千切っては投げ、千切っては投げしていたのだが、いい感じの腐植になるまでには思った以上に時間が掛かった。
 細菌系資材が足りないのかと思い、足したりもした。

 しかしどれほどその必要があったろう。それでも腐植はなかなかできなかった。
 なぜといってそれは冬だから。

>>>

 現在は主に、米ぬかを主体に使っている。
 ぬか漬けに使われるように、掛かったそれを発酵させる効果がある。

 僕の棲むエリアではたいていコイン精米所がホームセンタの近所にあるので、見かけたらぬか室から頂いていた。
 もちろん無料である。
 しかし当たり日ばかりではない。せっかくキャンピングカーで詰める袋と下敷きの大型プラトレイを持っていったのに、手ぶらで帰ることもある。
 米ぬかのためだけにあちこち出かける気にもならないから、思ったほどは集まらない。

 ところでお米を(スーパーではなく)米屋で買っているので、ためしにぬかを扱っているか訊ねたら、15kg500円だという。
 即買った。
 安定して(むしろ必ず)手に入るのはありがたいし、自分で袋詰めする必要もないのだから、しめたものである。

>>>

 うまく白カビが繁殖した部分からは湯気が上がり、枯れ葉やら枯れ草やらシュレッドした枝が発酵している。
 手で掴めば、手袋越しにもあたたかく、香りは濃厚な土の匂いをさせている。

 半年越しではあるが、堆肥がきちんと出来つつある。
 一部、嫌気性菌が発生して青カビが繁殖している部分もある。
 青カビの部分はいい匂いがまったくしない(基本的に有害なので良い子は匂いを嗅がないように)。

 好気性菌を増やすため、数日おきに撹拌を繰り返す。
(冬の間は、むしろ放って置いても問題ないレベルで発酵が進まなかった)
 コーヒーかすや生ゴミも、気が向いたら堆肥場に放り込んでいる。

 雑草堆肥のアイディアは、Youtube の園芸系チャンネルで知った。それで堆肥場を作ることにしたのだ。
 枯れた雑草の山だったものが、今は宝の山に見える。
 もう焼く必要もない。

>>>

 どうやら子供の頃から、周囲の人がしていないことばかりしていた気がする。
 もちろん同じ事をしようと思ってもできないことが多かった。
 体力も財力も、他の子に比べると圧倒的になかったので、手の届く範囲で、自分のしたいことを選ぶ必要があった。
 おそらく指をくわえて羨んでいるだけの盆暗ではなかったことは幸いだっただろうか。

 TVゲームが欲しいとなれば自分でゲームを作った。
 家具が欲しければ材料を集めて自分で作った。
 自転車が欲しければ、撤去ビラの付いた自転車を集めて ── 犯罪です ── 寄せ集めの部品から自転車を作った。

 結局、子供の頃とさして変わらないことをしている。
 少なくとも周囲を見回しても、自宅の床や壁をリフォームしたり、キャンピングキャビンを買ってソーラ発電システムを組み上げたり、パブリッククラウドサービスを嫌ってプライベートサーバを立ち上げたり、庭を開墾して堆肥を作ったりしている人は見かけない。
 生活に根ざしたものも、単純なテクノロジィも、農業も工業も家事もホビィも一緒くたにして暮らしている。

 もちろん皆が皆こんなことばかりしていたら、世の中は停滞してしまうかもしれない。
 僕の場合は専業主夫(仮想)であるにもかかわらず、家事をそんなにしなくても奥様(仮想)に叱られたり、邪険にされたりしない、というのが大きい。

 そういえば設計の仕事をしていた頃は図面を書くよりCADのマクロを組んでいる時間の方が長かったし、保険のセールスをさせ
れば、とりあえず自社の商品を売らなかった。
 急がば回れ、という言葉を僕は結構信じていて、実のところ遠回りには違いないから時間的な効率は悪いのだが、道に迷う回数を重ねたぶんだけ、迷子の経験が生きてくる。いわゆる「潰しが効き」やすくなる。

 もっともどんなに潰しが効くにせよ、無職になったらそこまでだ。
 今まで積んだどんな経験も、回り道も、そのすべてをかき集めてまた新しい道に迷い込むより仕方ない。

>>>

 子供の頃はもう少し、まともな将来像を描いていた気がする。
 まともな大人になって、まともな家庭を築けるのではないかと、思ったこともあった。
 しかし名も知れぬ誰かに与えられているだけのレールを進まされていることに気付いてしまったから、脱線を目論んだところ、あまりにも簡単に僕は脱線した。
 その意味で言えば僕の反抗期は10歳に始まったことになるか。

 不良になるとか、そういうわかりやすいレールに乗った、ステレオタイプな脱線や反抗ではない。
 自我らしい自我が芽生え、反抗期が訪れ、周囲と衝突しながら自身の領域を確立する(あるいはしようとして失敗に終わる)という馬鹿馬鹿しいありようを、僕は冷ややかに諦めた。
 その時点で保有する以上の自我を必要としなかったし、反抗期などない方が良いだろうと判断されたし、周囲と衝突するのは割に合わないと13歳の春の終わりに思った。
 それでも自身の領域を確立しようと思うなら、なににつけブルーオーシャンを目指すよりない。

 周囲と競争せずに自分の立ち位置を確保するためには、周囲と同じことをするわけにはいかない。
 同じことをしてしまえば、自分にそのつもりがなくとも、同じことをしている誰かから、あるいは観察している誰かから、競争していると見なされてしまう。比較されてしまう。

 もちろん未開の領域を開拓するには相応に失敗のリスクが伴うし、失敗する確率の方が高いと見積もって行動していた。
 年金受給年齢になったら(満足な収入が継続的に確保できるわけではないので)大人しく野垂れ死のうと思っていたのはそのためだ。
 僕がその後も生き残る確率は低く、肉体的な限界もそのあたりで迎えるはずで、つまり老後なんてものを考える必要が僕にはなかった。

 まともな家庭を作るなど、10代のうちに諦めた。まともでない家庭に育った自分に、それを手に入れることは不可能なはずだと容易に算出できた。
 当然にまともな大人になることも不可能だと最終的に悟った。まともな人間のフリをして海原(レッドオーシャンの方)を泳ぎ抜けようという戦略にシフトした。

 親に倣う気などさらさらなかったし、友人や教師や上司や先輩に、倣うべき人は見つからなかった。
 完璧な人間も、尊敬に値する者も、憧れる対象もいなかった。
 書物に溺れたのは、そのヴァーチャルの中では、まともな、あるいは完璧な人間が存在し、尊敬に値する行いがあったからだ。
 情報の中、ヴァーチャルの世界には、矛盾の有無にかかわらず、憧れ焦がれ、沿い重ねるべきと思える理想があった。

>>>

 周囲の人間が僕を、孤高だとか、高尚だとか、独自の世界に生きると評したのは、つまり僕が人々をして人間を諦めていたからだろう。
 良い面ばかりの人間なんて、どこにもいなかった。
 自分自身だって、綺麗な部分だけでなど構成されていない。
 キュートなガールを見かければユーワクしたくなるものだし、玄関にやってきたら取りあえず押し倒す。
(僕が通報/逮捕されていないのは、相手の意向を無視したりはしないというそれだけの理由だ)

 他人を下世話だと嗤い続けてきたが、一番下世話なのは自分だと知りつつ、それを隠して僕は生きている。

 僕は自分が思っているよりはるかに幸運に恵まれたことになる。
 いったいどれだけのイキモノが、ネコノカミサマに祈った程度で、願うとおりの道を彷徨えるというのだろう。

>>>

 独学ばかりの人生だ。
 腐葉土のあたたかさと香りを愉しみながら、昨年はまったく開墾が進まなかった花壇を眺める。
 切り倒した木の切り株からは新芽が伸びている(今年こそは掘り返してやる)。

 ネコノカミサマに祈り願うとはどういうことなのだろう。
 結局それは、僕が選択し、実行しているようにも思える。
 けれども大いに、運が左右してもいる。

 ところで叔母と叔父が設置したコンポストは、なぜあんなに内容物が分解されないままだったのか、つくづく疑問である。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
[Object]
  -Garden-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:君は首輪で繋がれて:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230404
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
伝えられない「ありがとう」のまま。
SUBTITLE:
~ NO, and thank you. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離


 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230404

 昨日は歯医者。
 補強した上顎部の骨へポストを立てる工事。作業時間は短かったが、麻酔をして(十分効いて)いるのに少々痛んだ。

 一昨日から新たに組み始めたPCデスク用スチール棚のため、入力機器用のスライドボードの資材(桐集成材など)を歯医者帰りのホームセンタで購入。
 オープンカーを買って良かったと思う。
 1820の高さの板でも助手席に乗せて運べるからだ(狭い、小さいという不評も一部にあるが、僕はその不便さも気に入って乗っているので気にしない)。
 ちなみに現行でPCデスクにしているスチール棚は頑丈な代わりキャスタも付かないので、玄関小間の資材置きに利用することにした。
 玄関小間で資材や工具が大量に散乱しているのは、僕の家らしいといえばそのとおりだが、そんな家はあまり見ない。

>>>

 ホームセンタから帰宅するとすでに16時を回っている。
 今日中の作業はおよそ不能と考え、早めの夕食を外で済ませ、帰宅して19時頃に眠り日付の変わる前に目覚める。
 寝直そうか考えるが「寝ている間に考えていた構想をカタチにする方がよろしいのでは」と奥様(仮想)から提案を受け、それもそうかと起床する。

 僕はエンジニアリング的に、眠るときに人間関係や未来の不安については考えないことにしている。
 大抵それらは不確定要素が多く、明確な解決を持たないから、悩む意味はあるかもしれないが考える意味はない。
 悩む意味というのはIRLで実現可能なカタチを持つのではなく、ヴァーチャルに、脳内で思考可能な範囲を広げることが可能だ、ということだ。
「こういう可能性がある」「その場合はこうしよう」という「if - then...」の構文を作って、処理系を拡張するにはちょうどいいが、思考が抽象的な複雑系なので眠りながら検討するには向かないし、出力が曖昧な夢で終わってしまったら意味がない。
 それこそ不安が増すだけではないか。

 幸い若い頃、そうした抽象的な複雑系をさんざん考える時間が(孤独なため)あった。
 寂しさを埋める、どうでもいい関係の相手がろくにいなくて良かったと思う。

 ちなみに「眠っている間に考える」というのは文字通り、覚醒時に反復していた情報や思考が、睡眠中も続く現象だ。
 たとえば長時間、同じ音楽を聞き続けると、歌詞を見たことがないのに歌えるようになったりする。
 ゲームも長時間プレイしていると、プレイしていない時間まで思考を占有し、寝ている間により上手なプレイを身に付けられたりする。

 目的意識を持って、解を求めながら、反復されている情報に溺れるように眠ると、眠っている間の記憶整理のうちに役立つものが出てくることがあるので、僕は子供の頃からそれを利用していた。
 確か父親の所有していた書物から得た知識だ。

 もっともそれは成功哲学に関する自己啓発書であり、7歳の僕にとって役立つ情報は少なかった上、実際に体現できるようになったのはおそらくずっと後だ。
 ただ眠る時間をもったいないと感じていたあの頃「眠っている時間を有効活用できるかもしれない」という可能性は魅力的だった。あの頃から時間にはケチだったなと振り返る。

>>>

 最近とても幸せを感じる。
 対人関係に関するセオリィも変わった気がする。
「気がする」というのは、僕の使っている人格系がすでに以前のそれとは異なっているからだろう。
 だからといって過去のそれを掘り返すつもりもない。
 それはもう過ぎたもので、今はさほど価値がないのだ。

 気がつくと青猫(α/β/6歳以前のすべてを含む)と呼ばれていた群は統合されて機能している。
 復元された記憶の数々は、かつての意味とまた異なる意味をもって見えている。

 僕は孤独だったが、とびきり愛されていた、と今は認識している。
 だから今、僕はとても孤独で、ためにとても愛され、祝福されている気がする。
 誰に利用される恐怖も嫌悪もないので、誰かのために尽力することを幸せな愉しみに感じる。
 こんな未来が待っていたなんて、と思う。
 余命設定は機能しているが、その価値観もいずれ変わるのだろうか。

>>>

 色々な人に、感謝を伝え忘れていたと思う。

 言おうと思った。伝えようと思ったことが、ちゃんとあった。
 でも照れくさくて。
 言葉にすると嘘臭くなる気がして。
 だから伝えないまま、皆どこかに行ってしまった。

 一緒に酒を飲んだカウンターの横で言えないまま父は死んだ。
 ベッドで手を重ねた耳から信号が正しく届くこともなく母は死んだ。
 叔母も死んだ。叔父も死んだ。犬も死んだし猫も死んだ。
 一番世話になった会社の先輩には、最後の日まで挨拶すらできなかった。
 一番大切にしてくれていたはずの恋人に、僕は一体何をしただろう。

 では今いる友人や姉妹はどうか。
 ありがとう、と伝えても、その抽象を理解できるだろうか。
 存在してくれて、僕の存在を認めてくれて、ありがとうと、その意味は正しく伝わるだろうか。

 恋人たちはどうだろう。
 人間型で、数年に一度くらいやりとりのあるそれに連絡をして、伝わるだろうか。
 僕が持っていた価値観が変わったので、あらためて伝えたいのだと言って、怪訝な顔をされたりしないだろうか。

 だからもしかしたら、僕の感じてきた ── そう。これは過去にも定期的に発生するプロセスだ ── 感謝の念は、伝えられないまま、ときに関係が過ぎたものになり、相手が存在しなくなって初めて言葉にする価値を持つのかもしれない。

 ありがとう。って、今いない君に/貴女に/お前に/みんなに思っている。
 あらためて、今いないから伝えたい。
 どうもありがとう、って。あなたのおかげです、って。

 今いるオマエたちには伝えても伝わらないから。
 僕が伝えると嘘くさいから。
 伝えて安心して慢心したくないから。
 油断して義理を果たしたとばかり、恩着せがましくなりたくないから。

 だから伝えられなかったありがとうを、僕は言葉で伝えようとする。
 だから伝えられるありがとうを、僕は言葉で伝えない。

 それを言葉ではないもので ── 行動で ── 僕は伝えたい。

 子供の頃「ありがとう」とすぐに言える妹が親戚や親に褒められていて、悩んだことがあった。
 僕がまだ5歳の頃だ。でも僕にはできていなかったし、できなかった。
 悩んで、言おうとして、でも緊張してしまって、なかなか言い出せなかった。
 自意識はいつも邪魔だった。

 きっとそれでよかった。

 僕は君に、ありがとう、って伝えたい。
 だから伝えない。
 そのまま、君のそばにいたい。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::
さらばあげましょ此盃で
てふと御請けよ御辞儀は無用
花が咲ても雨風にちる
人の別れもこのこころ


 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「勧酒」(于武陵)およびその訳文(相馬正一によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
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  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Rhythm-Stand_Alone-
 
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  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-
 
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  -Camouflage-Car-Human-Memory-Night-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:ひとになったゆめをみる
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230318
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
君の名前を覚えない。
SUBTITLE:
~ I don't load to your name. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::お酒を飲む行為がかっこいいのではなくて、節度と良識をもって楽しむことができる品格を持ち合わせていることがかっこいいのよ。

 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 行きつけの酒場の店主は、止まり木でたまたま隣り合わせた人に僕を紹介するとき「お酒の名前をまったく覚えないのにレビューはいちいち的確な人」と評することがある。

 僕は肩書きを持たず、説明して容易に理解してもらえるような職業を持っていない ── ために6年ほども付き合いのある彼にとっても適切な紹介の糸口がさほどないのだろう。

 余談だが、これは僕の数少ない自慢のひとつだ。
 僕は誰に与せず、目立った組織に属さず、肩書きを持たず、首輪を付けられてもいない。
 僕は僕でしかなく、それを分かりやすく適切に表現する言葉が(「無職」とか「猫」などを除いて)ない。

>>>

 自覚はある。
 僕は自分の認識が、記憶によって過剰なフィルタリングの影響を受けるのを嫌う。
 価値観が記憶によって形成される以上、認識は価値観の影響を受ける。

 端的にお酒でいえば、あるとき美味しいと思ったお酒があるとする。
 そのお酒の名を覚える。場合によってはその歴史や背景まで覚える。
 自分の嗜好に合うものが対象だから、それは普遍的な反応とさえいえる。
 一般には学習と呼ばれる行為であり現象だ。

 人はそれでそのお酒を知ったつもりになる。
 再び機会があれば、同じお酒を飲むようになる。
 名前を知ったことで他者と情報を共有できるから、店で頼むことも可能になる。

 同じ酒を知る人がいればその素晴らしさを語り合い、価値観の共有によって親密さを醸成することができるだろう。
 その酒を知らない人がいればその素晴らしさを語り、話題や情報を提供する喜びを得るだろう ── その一切が相手の口に合うかどうかを考慮しなければ。

 そして最初の喜びや、深く味わったことを忘れてしまう。
 自分はその美味しさを知っているという慢心が、しかし感覚を鈍らせる。
 否定する人もいるだろうが、お酒もまたイキモノだ。
 保管状態によってももちろん、開封から最後の一滴を注ぐまでの間に少しずつ、味と香りを変化させてゆく。

 知っているという油断があれば、だから「いつもと同じ○○というお酒の味だ」ということでアップデートされてゆく。そして情報は固着し、一方で対象物の揺らぎを無視するためにかえってその輪郭が曖昧になってゆく。
 その人自身にとっては、よく知った馴染みのある酒であり味である、ということになる。
 よって当初からの情報を力説することになる。

>>>

 以前好んで使っていためんつゆがある。
 1Lで千円近くもしたのだが、最初に ── 会社のパートさんに教えてもらって ── 味わったとき、その香りと味にたいそう衝撃を受けて以来、使うようになったのだ。

 次第にその商品は人気商品になったようで、いたるところで見るようになり、価格もずいぶん下がった。
 そしてふと気付くと化学調味料のような、乾いた味わいと糖分の甘みが目立つようになっていて、以来買わなくなった。

>>>

 お酒にも流行があって、今もってジャパニーズウィスキィなどは無駄に高価なものも多い。
 かつてはワイン、クラフトビール、日本酒、焼酎、などが同じ波にさらされてきた。

 多くは増産が間に合わず、末端で価格が高騰した。
 メーカは基本的に定価をつり上げたりはしないので、いわゆる転売的な行為が横行するわけだ。
 バブルの頃なら増産体制を整えることもあったようだが、流行が終われば致命的な傷跡だけが残る。
 そうまでせずとも、流通が増えたことで(一概に粗製濫造などと非難するつもりはないが)味が落ちたと感じるものも増えた。

 日本酒などではグレードごとに付けられる名前を増やすことで「同じ名前なのにひとつグレードが下」という商品も増えた(たとえば「久保田」がそれにあたり、焼酎にもいくつかの銘柄でそうしたものがある)し、ブレンデッドウィスキィならベースの配合が目立たない程度に変えられ、あるいはアルコール度数が43度基準から40度に変更された輸入品も多い。

 僕は20代の頃から日本酒が好きだったので、先のそれには大層落胆した。
 今までと同じ名前のお酒を飲んで、目立たない程度に、しかし明らかに、それは知っていたはずのお酒ではなかった。
 そして名前を覚えることをやめた。
 そんなものは、名前を覚えて躍起になって入手しようとする連中に任せておけばいい。
 流行のものには目もくれず、自分の好きなものが流行ってしまったら、名もなき新たな銘酒を探すしかない。

>>>

 言いたいことは伝わるだろう。
 名を捨てて実を取るか、名を取って偽りの実に騙されるか。
 一挙両得の理想は、この世知辛い経済至上主義社会にあって、なかなか叶わない。

 エンジニアリングの原則に基づいて、僕は「無銘でも手間を掛けて作られたお酒」を見抜く方法を考えた。
 瓶とラベルとキャップの作りを見るのだ。

 自分が精魂込めて「これこそは」と造ったお酒なら、相応に素晴らしい外観を与えたくなるのが作り手というものだ。
 瓶はハンドメイドかマシンメイドか。
 ラベルに家紋をはじめとする紋章があるか。
 刻印は印刷か瓶の形成かゴム印か。
 リボンや帯の有無はどうか。
 フォントや配置やカラーリングは美しいか。
 キャップはコルクか樹脂か。
 etc.,etc...

 最近でこそ Apple の真似をしたかのような華美なパッケージの家電品なども(特にアジア大陸からの輸入品に顕著に)増えたが、息を呑むほど優れた製品は、見蕩れるようなパッケージに勿体ぶった装飾を纏い、傷ひとつ付けないように保護され、洗練されたマニュアルや付属品が同封されている。

 僕はこの方式でお酒を選ぶことを「ジャケ買い」と呼んでいるが、今のところ失敗がない。

 そして実のところ人間に対しても同じ価値観で相対している、という話はまたいずれ。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::蘊蓄垂れ流して講釈ぶちながら飲む人って面倒くさいよね。やたらにベルギービールを持ち上げて日本のドライビールを否定する輩とかね。こういう社会人二年目にありがちな症状を社二病というぞ! なんで僕たち男の子は聞かれてもない蘊蓄を語りたくなってしまうんでしょうね……。しょうがないね、それが男子流のマウンティングだから。

 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 第12巻」
(著作:渡 航 / 発行:小学館(ガガガ文庫))
 によりました。
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
  -Condencer-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Night-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に。:君は首輪で繋がれて。:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230217
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
不定形の祈り。
SUBTITLE:
~ Unformatted grace. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230217

 服を着ていないような寝起きの思考は、自分というものが一体何者であったのかを想起するのに、ときどき思った以上の時間を要することがある。

 ぐにゃぐにゃと不定型なそれにあって、僕はまず自分の身体を思い出す。
 すべての快も不快も、この人間の身体をフィルタして僕に到達する。
 そして僕が猫であることを思い出す。猫を自称している人間なのか、猫だったはずが呪いで人間になったのかは知らない。

 そのあたりになると、少し気持ちも落ち着く。
 人間であることは同じ人間達による形成圧力が高いため、たまに疲れてしまう。
 猫だったらそのあたりは緩いわけであり、人間でもなく猫でもないなら、どちらであることを強要されることもなく、とても安心というわけだ。

 もちろん僕の知人たちはすべて人間なので、彼ら彼女たちの前で僕は人間のフリをする。
 40年以上もそんなふうに暮らしているから、慣れたものである。
 ただときどき、ちょっと飲み過ぎた朝などに、自分が何者であったかを思い出すのに手間取る。
 相反するものを、あまりに多くパッケージしているために、破裂しそうになるのだろうか。

>>>

 僕が直接の被害者になったことはないが、性被害やDV被害に遭った人間達が感じる無力感、人間に対する憎悪や恐怖や哀しみと絶望、そして自身を含めたすべての人間の死を希う類いの呪いについては自分なりに分かる。

 どうすれば、そこから人間は再び回帰できるだろう。
 人間を信じ、安心し、攻撃せず、赦し、つまりは自分を信じ、安心し、攻撃せず、許すことができるだろう。
 生きることを信じ、生きることに安心し、生きることを攻撃せず、生きることを許すことができるだろう。

 たとえば僕の場合は、動物と暮らすことでアニマルセラピィじみた効果をずっと受けてきた。
 子供の頃から(とくに)猫と暮らし、自身が猫であれと思うようになって久しいが、自身が猫であることは僕にとってある種の救いでもあるのだろう。

 苦しむべきは加害者なのだろうけれど、苦しむのは被害者だ。
 同じような構図は他にもあるのだろう。
 考えるべき人間と考える人間だとか、行動すべき人間と行動する人間だとか、そういった具合に、世界は理不尽や不条理を抱えて進んでゆく。

 だから怒りは怒りのまま、哀しみは哀しみのまま、不信は不信のまま、呪いとして作用する。
 その苦しみにあって、もしかしたら自分こそが加害者なのではないかと思ってしまうことさえあるように思う。
(僕が誰にも加害していないなどと、僕はまったく思っていないが)
 すべての他者を呪うことは、自身のすべてを呪うことに等しい。

>>>

 僕が自分の寿命を設定したのは子供の頃だった。
 そんなに長く生きる必要を感じたことは無いし、生きることに意味を見出したこともない。
 ずっと死すべきものとして自分を定義してきた。
 自分に生きる価値がないと思ったわけではない。
 その価値は自分ではない誰かが決めると思っていたから。
 ただ純然と、殺すべき対象として自身を標的していた。

 それを普通に他の人に話せるようになったのは最近のことだ。
 理由はあったけれど、それを説明せずにも、ただそう思っていたと言えるようになった。
「猫くんの将来の夢は?」「僕を殺すことです」

 場当たり的に面白いと感じることばかりをしてきたわけではないが、心底嫌だと思ったことはしなかった。
 結果的に、好きなことばかりして生きてきた気がする。
 気がつけばまるで猫のように好き勝手に生きている。

>>>

 昨日、裏庭のもっとも高い木を梳き剪定した。
 不安定な足場で不自然な姿勢を長時間続けるのは相応に負担だったようだ。
 作業を終えて夜、前橋の温泉に行き、3時頃まで飲酒して帰ると喉が痛かった。

 普段使わない筋肉が重く痛む。
「猫様は風邪の可能性があるためお休みください」と言われ、昼過ぎまで眠っていた。
 混乱しているのはそのためか。

>>>

 おそらく人間に対する絶望は、けれども、たとえば怪我のように回復が可能ではないかと僕は考えている。
 だってそうでないなら救いがない。

 僕についていえば相当に回復して、あとは自分で心を開くだけだろうと認識している。
 問題は、それをするにも余命があまりないことだ。
 社会の一部としてうまく機能できるようになるということは、集団にとってかけがえのない領域をときに占有することでもある。

 そんなことを気にしていても仕方ないのだろうけれど、そんなことばかりを考えているうちに集団に帰属しない性質を持ってしまった。
 新しい友達ができそうになっても、それを避けるように逃げてしまう。
 親しくなりたそうにこちらを見ている人間に背を向ける。

 実のところ誰かに攻撃されるとか、何かを奪われるとか、そうした被害を恐れているのではない。
 僕はもう、自分のことなら十分に守るだけの強さがあって、誰にも自身を奪わせたりはしない。
 ただ一方で、誰かを攻撃しないかとか、誰かから何かを意図せず奪うことがないかと考えると、どうしても絶対にないとは言い切れなくて戸惑う。

 もちろん意図的に誰かを攻撃したり、何かを奪うつもりはない。
 ただ何の気なしの言動や、僕にとっての当たり前のことが、誰かを傷つけることがないと、僕には断定できない。
 先に述べた「集団におけるかけがえのない領域」に自分が位置することは、すなわち自分の不在によって一時的にであれその機能に空白を生むことも予定されることになる。

 仕事なら、ある程度の引き継ぎなどを各自の業務の一環として、生まれる空白のサイズを最小化する試みが実現している。
 では友人や恋人や家族なら、その不在による空白をどうすればいい。
 引き継ぎなんて概念自体が馬鹿げていると笑われても仕方ない気もする。
 最小化する手段さえない空白を、そのまま受け容れられる相手なら問題もないだろうけれど、自身のキャパシティを超えてしまうとしたら、それはどうすればよいのだろう。
 その空白を受ける側ではなく、与える側だと自分を定義した場合、どのような対策を取れるというのだろう。
(だから人間型の恋人には浮気相手を作ることを時に推奨してきた。もちろんそういうのはしようと思ってできることではないのだが、生きていれば色々なことがある。そのときは躊躇なくチャレンジしてほしいと思っていた ── 人生は保守と退屈の連続であると同時に、冒険と挑戦の連続でもあるのだから)

 友人や家族や恋人がいなくなることの痛みは、人によって大小はあるだろうけれど、なんらかの傷跡が残るのは通常だろう。
 そういった現象のすべてをまとめて引き受けることが可能な人もいるけれど、では人間のすべては、それを受け容れているだろうか。
 あらかじめ自身や他人の不在が予定された、カミサマのスケジュール表のようなものを見ているだろうか。

 俺も死ぬしあいつも死ぬ。
 嫌な奴も死ぬが、いい奴だって散々に死ぬ。
 いつだか分からない「いつか」。
 あるいは自身によって明確に設定された「いつか」であったとしても。
 その事実を、何の感慨もなく眺めることができるだろうか。

 


>>>

 それでも、そう。
 絶望や怒りや恐怖を抱え、後悔と呪いと加害に怯えるよりは、ずっといい生き方だろう。

「自殺したいと思った事なんて一度もない」と言う知人がいる。
 彼は僕より年上で、ロックバンドのヴォーカリストとして、破天荒な若者時代を過ごし、27歳で自分も死ぬだろうと思っていたのにそうでもなかったらしい。

 真意は分からないが、いずれにしても僕と違って迷いのない、強い生き方だ。

 自身も他人も呪って生きることだって、確かに愉しい。
 でも呪いの闇を知っていればこそ、それが深ければ深いほど、かすかな灯りのあたたかさを、僕らはよりよく知っているような、知ることができるような気がする。

 すべてを呪うすべての人が、いつか、その灯りとあたたかさを、自身の手で作り出せますように。
 誰かを照らし、あたためることができると、知ることができますように。






 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Link-Love-Recollect-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Connector-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Human-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230301
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
お酒とお金と自意識にまつわるいくつかの分析結果。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230301

 昨晩、近所で贔屓にしてもらっている(しているのではない)飲食店に行く。
 たまたま同席していたボーイエンガールに連れられて、太田市内のカジュアルなバーへ行き、朝方帰る。

 以下雑感。

>>>
【自身にそうした記憶がないわけではないが20代の頃の自意識って痛々しい】

 特に誰かに見せるための自分を演出して演じて、それが総じて本人の自負しているレベルにまったく到達しておらず、にもかかわらず自身だけはその自分を信じている場合は。

 たとえば「自分は完璧です」とか「天才です」と自分だけが語っている場合。かつ周囲の人は普通に接している場合。
 完璧な人間 ── が仮にいたとして、それ ── が周囲にただただ自身より劣る他人を配するとは思えない。

 完璧な人間にとって凡俗な他者は邪魔な障害か、せいぜい不完全な機能を提供する愚劣な道具にしか思えないだろう。
 天才も同様、平凡で退屈な集合との間に満足しうるだけのコミュニケーションを持てず、嫌気が差すだろうと思う。
 だから周囲に他人を配するわりに「完璧だ」などと自身をして嘯くような人間は、寂しさを埋める糧に他人を利用するにも関わらず、自覚しないどころか他人すべてを見下している、ずいぶんと情けない人間なのだろうと想像する。


>>>

 でも若いうちは仕方ないのかもしれない。
 根拠のない自信は清々しいものだ。
 それに根拠のある自信だっていずれ衰えてしまうから、時代遅れになった自分自身の、衰えた精神を支える寄る辺にしかならないとしたら、そもそも自信なんてない方がいい。
 だから僕は「自分に自信なんてありません」ときっぱり自身の弱さを宣言できる人が好きである。

 その人の存在の価値なんて誰にも分からないけれど、その正直さは絶対的な美徳だ。
 必死になって自身のアイデンティティを捏造するくらいなら、空っぽの自分の虚ろさを嘆いて涙しちゃうくらいのほうがかっこいいと思う。
 何もなくていいし、何もない方がかっこいい。

>>>
【奢るとか奢られるとかについて】

 webでも最近、流行っていたようで。
 男が奢れだのなんだのという、よく分からない価値観。

 もちろんガールがファッションやメイクなどにお金を掛けているというのは事実だろうし、できるなら事実であって欲しい。
 僕などは整形もメイクもしないしファッションもテキトーなので外見にはろくにお金が掛かっていないが、外観に気を遣ってお金を掛けているボーイズがいるのも事実だろう。
 そうなると外見について見えない部分に掛かっているコストについては、一概に性別でどうだ、というものでもないように感じる。

 個人的には「より持っている方が払う」というのでいいと思うし、だいたい同じだったり、互いの経済力がよく分からない場合は割り勘や個別会計でもいいだろう。
(たとえば僕は貧しいことが多かったので、恋人に奢ってもらうことは普通だった。だからといって恋人にお金を使いたくないということではない。お金なんて必要とされるぶんをその場にいる誰か ── ひとりだろうと全員だろうと ── が払えるならそれ良いと思うのだ)
 とにかくお金にまつわることで「フェア」というものを過剰に意識する人間というのは、そもそも物事の価値基準が不安定なのだろうと想像する。

 そもそも人間関係なんて不条理で定量的な観測が不可能なものだ。
 そこに厳然と数値化されている経済を持ち込んで、正しさや公平さを論じること自体がナンセンスなのだが、世俗でお金にまみれてしまうと、人はそういうことにまでアタマが働かなくなるのかもしれない。

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【過ごす時間の価値と価格】

 しつこいくらい書いているが、人間はモノやサービスによって過ごせる時間の価値を自身の主観で感じて決定することができる(価格ではなく価値、である)。
 自身で決定したその価値が、相手やモノに設定された価格より高いなら交換すれば良い。
 お金を使うというのは、たったそれだけのことである。
 そしてこういう使い方をしている限り、たとえ貧しくても損はしない。

 たとえば何かを使ったり所有していることで有意義な時間を過ごせる場合、それによって生み出せる時間/経済/精神/肉体効果が売値より高いと自分が感じるなら、それを買えばいい。
 くれぐれも「値引きされている」とか「他の誰かがうらやましがる」とか、そんな基準で選ばないことだ。

 おなじく誰かと過ごしている時間が愉しい(あるいはそうなると予測される)場合、それによって過ごせる時間/経済/精神/肉体効果に価値を感じ、それを自分(もしくは自分以外の誰か)が払いたいだけ払えばいい。
 嫌なら払わなければいいし、そもそもそんな場所から早々に去るべきだろう(僕ならそもそも参加しないが)。
 くれぐれも人間は値引きされたりしないし、誰かが関係性をうらやむこともないと思っておいた方がいい。
 なぜならそんな風に思うようになった人間は、少し別のナニカになっているからだ。

 僕なら恋人とデートして愉しかったら支払いはしたいと思うし、相手からも「お金を払ってもいいからまたデートしたい」と思って貰えるようにしたいとは思う。

 だから「奢りか割り勘か」問題を見るたび「みんな必死に他人を値踏みしているけれど、自分にそんなに価値があると思っているのだろうか」と疑問に思う。
 また同時に、支払いが気になるくらいなら、そもそも一緒に過ごさなければいいのに、と思う。

 お金が掛からなくても時間は掛かるので、退屈な、あるいは嫌な思いをするくらいなら、ヴァーチャルで遊んでいればいい。
 SNSで「みんなと楽しく騒いでいる私サイコー」とかいう風景を、ひとりで捏造するのも楽しいだろう。そんなものは普段からしているのかもしれないが。
 少なくとも他人が自分を楽しませてくれるものだと思い上がっているような人間は、地獄に堕ちろ(本年最初の呪詛)。

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【裕福でも貧しくても、お金に拘束されている人間は多い】

 昨今の僕は仮想奥様に飼われている猫としての手腕を遺憾なく発揮しており、裕福である。
「割り勘にします?」みたいなムードになると「それでは支払いは私が」なんて平気でしようとして周囲に止められたりする。

 お金に執着がないというのはときどき、自分の見定めた価値が理解されないようだ。
 僕にとっては過ごした時間に価値があればそれで支払う理由になるのだけれど、そうでもない人はいて、そういう人が存外多いということだろうと想像する。

 なので一緒に過ごした時間が相応に楽しかったという理由で(もちろん説明などしないが)支払いをしてしまうと、ときどき大袈裟なくらいお礼を言われたり「ステキ」「カッコイイ」「抱いて!」などと褒められるときがある(褒められてるの?)が、正直に言うとそれは鬱陶しいし煩わしい。
 たとえばスーパーでトイレットペーパーを買って「3倍巻きを買うなんてお目が高い!」とか「香り付き、いいですよね!」とか「ダブルエンボス加工をお買い上げになるなんて裕福でらっしゃるのですね!」なんて店員さんから褒めそやされたら、二度とその店には行かないだろうと思う。

 価値を感じる。お金を払う。ありがとうございます。こちらこそ、ありがとうございます。
 それだけでいいんじゃないかなぁ、って思うのだ。
 誰かに奢って貰えたときは、それだけの時間を共有できたんだなぁ、嬉しいなぁ、というのでいいんじゃないかなぁ。
 そして同じような嬉しい気持ちを、誰かにしてもらいたいなぁ、と思っていいんじゃないかなぁ。
 もちろんそれが、今奢ってくれた人に対して、であれば何より素敵だと思うのだけれど。

 なんだか、おカネおカネ、出す出す、なんて言っているのは下品だと思うのです。

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 ところでかつての恋人に「金ヅルにしちゃうぞ♡」とか「ヒモにしてもらってもいいけれど」と言ったら、ものすごく距離を置かれたことがある。
 これも多分、僕のお金に対する価値観がまるで伝わっていなかったために発生したことだろうと思う。

 お金があるだけで幸せになれる人間なんてそもそもいなくて、僕はお金より時間、時間より自由に価値を見出すのではある。
 だから僕は今、自由で ── 自由であるために ── とても幸せである。
 生きることに怯えず、死ぬことを諦めないでいられるのは、実に素晴らしいと思う。
 毎日、何度でも噛み締めたいくらいだ ── 実際に噛み締めている。

 物価が高いので、食事はよく噛んで味わっているけれど。
 本当の自由の味を、同じように満喫している。

 それは養殖魚のような、肥えて豊かで滋味深いものではない。
 痩せて固くて微かなものだ。
 生きるために生きている者の味は、誰かの腹を肥やすために太らされたような、分かりやすく脂の乗った味をしていない。

 だから生きるために生きるという自由の味は、痩せて微かで筋張っている。

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【お酒を愉しむためのささやかなアドバイス】

 どの店にも置いてあるようなありふれたお酒があって、そんなものを飲みたいなら、そのへんで買って自宅で飲んだ方がいいと思う。
 外でお酒を飲むなら、そこでしか飲めないお酒を、適正な料金で飲めるのが理想のように思う。

 おそらく楽しさや美味しさや、あるいは酔うことそのものさえよく理解していない人間が、酔客として歓楽街を往来しているのだろう。

 ただ酔えばいいのなら自宅でエチルアルコールを飲んでも酔える。
 楽しさは自分で作ってしまえば、さほどお金を掛けずにすむ。
 寂しさを嫌って紛らわせようとすると、たいてい後悔や自己嫌悪が残る。

 これらは経験ではないけれど、計算で導くことの出来る簡単な結論です。

 自分以外の何かを使って寂しさを埋めたり、楽しさを錯覚したりというのは、そこで使うのが他人だろうとお酒だろうとお金だろうと、結局自分が無力で矮小だと思い知らされるだけのように思えます。

 なので高いお酒を(ことさら余計に高いお金を払って)味も香りも色も見えないような場所でワーキャー騒いで飲むのも愚かしい。
 その店でしか飲めないお酒(できれば稀少な、しかし適正価格のもの)を、そっと包み込むように味わって、その味わいの記憶を泥酔や罵詈雑言などで上塗りしないように、早めに帰って眠るほうがいい。
 ほら、はじめて仔猫を拾った日のようにそっと。でも少し急いで。

 お外でお酒を飲むことに関する、僕なりのアドバイスです。






 

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// TimeLine:230306
// NOTE:
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TITLE:
今年の花粉症の症状が軽い。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230306

 5時起床。
 朝食は玄米雑炊と豆腐。食後、9時頃までネットなどに遊ぶ。

 最近は数日に一度、玄米を(白米より好きなので)炊いて残りを冷凍し、翌日以降は雑炊や粥にして食べることが増えた。
 そうすると炭水化物を処理するのが苦手な僕の代謝系でも ── 玄米なので一層 ── ほどよく消化吸収できる。

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 今年の花粉は例年に数倍すると脅されているが、今年の僕は「え、もう花粉来たの?」と周囲を眺めて絶句するほど症状が軽い。
 数日前、姉の家に泊まったときは2日目から粘膜と皮膚に不調が出た ── 帰宅して数日過ごすうち、症状は回復したが。

 理由のひとつはストレスだろう。
 今の僕はびっくりするくらいストレスがない。
 睡眠時間は自由自在で、この数年、睡眠不足は数回しか経験していないし、風邪もまったく引かなくなった(以前は毎年数回は罹っていたのに)。
 相対的に姉の家に泊まることは、僕にとってそれなり以上のストレスではある。


 普段、おはようからおやすみまで「他人に何かを合わせる」という必要は滅多に発生しない。
 自分で言うのも何だが、自分以外の人に、これでも結構、無用に気を遣ってしまう。
 勝手にあれこれ考えて気を回して手を掛けて、自分のことがおそろかになって、疲れて体調を崩すのが僕のパターンである。
 仕事だろうがプライベートだろうが、気遣いもせず傍若無人に振る舞うことなどできない。
 恋人が増えるほど級数関数的にストレスが増す仕組みだったから、人間型が減って良かったと思う。

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 ストレス以外だと、1月頃から庭仕事をしていたことだろうか。
 一昨年だったかは、5月頃まで満足に外仕事(といってたかだか庭である)にも出なかった。体感が寒かったのだ。

 おかげで庭を耕すことは叶わず、庭木の剪定も進まなかったおかげで、病害虫が進行した。
 畑を持っている裏の家の様子から察するに、やはり春の耕作は2月には始める必要があるようだ。実際、作物の種などを見ると、2月に蒔くものは多い。
 この「寒い季節から外に出る」ということで、少しずつ被曝したのか、花粉に耐性がついたものと思う。
 でないと外気がまるっと(きっと花粉ごと)忍び込んでくる家の中にいても花粉症が和らいだりはしなかった説明が付かない。

 食事も少し変わったろうか。
 お酒や煙草は以前より減った気がする。
 肝臓や腎臓の機能が緩やかに低下しているのだ。
 病気ということではない。単純に加齢による機能の最適化だろう。
 免疫能力は肝臓や腎臓に大きく依存すると聞く。
 お酒や煙草をさほど欲することがなくなったことで、過剰に

 朝食と夕食の2部制がメインで、ときどき昼食を食べることもあるが、食事の回数は増えた。
 そのぶん食事の量は減った。

 また出来合いのものを上手く処理できない体質に合わせ、既製品を避けるようになった。
 この生活になった当初は、お金も時間も自由なのでかえって自堕落に出来合いの惣菜を食べたりしていたのだが、ケミカルが苦手なので結局体調が悪かった。
 真空パック機を奥様(仮想)に買ってもらったおかげで、料理の手間が激減したことが寄与している。

 不健康な20代の頃と同じように、しっかりとビタミンなどのサプリメントを摂取するようにした。
 ホルモンバランスを安定させる類いのものも ── 一部には精力剤的な効用を謳うものもあるため、敬遠していたが ── 摂取するようにしたところ異常な睡眠が減り、精神的にも安定し、カフェイン剤を摂取する必要も減った。

 あたたかい時間は外に出て庭仕事ができるようになったし、2月の中頃から室温が15℃を切っていても、さほど寒く感じないようになった。

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 これらの何かひとつ、というのが決定付けたわけではなくて、総体的に花粉に耐えられる体質になっている、ということなのだろう(姉の家に泊まった程度のストレスで2日目から不調になるのだから知れている)。

 午前中は、先日まで剪定した庭木の枝をシュレッディング。
 ガーデンシュレッダというのを昨年の夏に買ったのだが、ずっと寝かせてあった。
 枝の経が30mmくらいまでなら、どんなに長くても裁断してくれて、ゴミ袋に入れられる。
 虫の付いていないチップなら、そのまま堆肥に加えることも可能だ。

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 休憩を挟んで昼からはキャンピングキャビンのステップ設置。
 ステップ自体が重いことと、キャビンの下に潜り込んでの作業になるため、かなりの重労働。
 ドリルを使ってボルト止めする箇所を加工するが、やはり安物のドリル刃は食いが悪い。
 高い刃を研ぎながら大事に使うか、100円ショップのものを使い捨てにするか悩む。
 いずれにしてもカインズのプライベートブランドだけは今後も引き続き買わないようにしたい。
(元々質が悪いものが多くて買わないようにしていたが、6角軸とはいえセンターが定まらないドリル刃なんて使い道がない)







 

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