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// TimeLine:230422
// NOTE:
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TITLE:
ここまでのあらすじ。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230422

 4月の上旬から、およそ2週間ほどかけてPCデスクを新しく作った。
(途中に姉の通院介助があったり、歯医者があったり、コペンの点検があったり、軽トラのタイヤのパンクがあったりしたが、その程度である)

 既製品の事務机でも問題はないのだが、身体のフィット感や機能性が価格に見合わないと感じる場合が多いため、30代くらいからスチール棚をベースに拡張するようになった。
 スチール棚そのものは高くても15k円ほどで手頃なものが手に入る。キャスタは必須だ。
 これにスライドレールやボード、スイッチタップや電灯を追加してデスクとしての機能を増やす。もちろん将来不要になった機能はモジュールごと外してしまえばいいし、棚板の高さや枚数も自在だし、既に所持しているモニタアームを取り付けることも出来る。
 必要になった機能を増設してゆくことで、高機能 ── といっても、デスクの機能性などたかが知れているが ── でも高額なデスクを買うよりは一度の支出を抑えられる。

 それが(軽微な調整を除けば)だいたい出来上がった。

 特に気に入っているのは、デスクのスライドボードが2枚あること。入力機器類のボードはPCデスクなので必須だけれど、PCデスクというのは ── その入力機器類が置かれているがために ── 簡単な書類仕事やその他の工作、食事をするには不向きだ。そこで2枚目のボードの出番である。
 スライドボードを持つデスクはあるが、同じサイズが2枚もあるものは見たことがない。
 見たこともないものが欲しいとなれば作るしかないし、自分の好みのサイズや配置を追求するなら自作するしかない。
 結果について文句はない。むしろ非常に満足している。



<現在の様子。制作途中の写真もかなりあるが、面倒なのであまり載せない>


<オシャレは足下から。中空のフレームのおかげで、コンピュータを宙ぶらりんにしている>



<デスクボードが2枚あるというのはこういうことである。ちなみに上のボードはクリアランスが3ミリほどしかないので、飲み物を載せたまま仕舞おうとすると大惨事に繋がる>

<PCデスクで半田付けまでするのは、あまりおすすめしない>


<男は背中でものを語れ。なんとデスクまで伸びているケーブルはたったの3本(うち1本はダミー)。PS4もメインモニタの後ろに固定されており、3つのモニタとアームの重量は相当なものだが、キャスタで難なく移動できるからお掃除もラクラクである。カフェオレこぼしちゃったときとかね>


<PSコントローラホルダも自作した。ちなみにブラケットやウレタンフォーム、上段ボードに固定されたA4トレイなどは可能な限り100円ショップのものを組み合わせている>

>>>

 机の作成が完全には終わらないうちに、キャンピングキャビンの電源系工事を始めた。
 これでおよそ1週間を費やした。

 結論を先に書いておくべきだろう。
 何事も、可能な限り大容量で高出力のものを選んでおいたほうがいい。
 あとモノを作るときは、こまめに取付け箇所のクリアランスを確認することを怠らないように。

>>>

 そもそも冬の終わりに電気ケトルを買ったのはいいのだが、出力不足でインバータが損壊してしまった。
 そこで新しく高出力対応のインバータを購入したが、今度はコンセントがやけに固く、プラグを抜こうとするとコンセントごと抜けそうなのでコンセントを抜かないままその先の電源を切れるようにブレーカを設置することにした。

 また夏に備えて(エアコンを12時間以上連続使用できるように)大容量のバッテリィに換装したのはいいのだが、以前のバッテリィと異なり充電状態を簡易的に把握できるモニタもなければシガーソケットもついていない。
 これらを解消するため、資材を集め(長らく「試験的に」ぶらぶらさせていたりした)配線も見直した。

 2回くらい感電し、ひとたびは川の向こうで手を振る父親が見えたりもしたが、上流から桃が流れてきたりして我に返った結果、こうして成果物について書き込むことができている。

 実はバッテリィの容量に対して、発電能力がさほど高くない。
 より高出力なパネルに換装するか、走行充電機能を持っているパワーコントローラにいよいよその仕事をさせるかの判断を迫られる瀬戸際に近づきつつあることをひしひしと感じているような気がしていることを直視した方が良さそうにも思える。

 価格的には走行充電機能を有効にする方が安い(手持ちの資材でほとんど完結できる)が、またキャビンに穴を開けたり車両の(メインとなる)バッテリィやその配線とも格闘する必要がある。
 ソーラパネルの換装は、数万円はかかる。狙いは1枚およそ400wのものを2枚。
 多少価格が下がってきたとはいえ、60k円ほどはする。おいそれと買ってしまうのは簡単だが、結局取付けに苦労するのも分かっているから少し躊躇う。

 そうなるとやはり、走行充電機能を有効にすべきか。
 キャビン外装に配線が走っているので、ときどき(ちょっとしたメカ好きなのだろう)人が、しげしげ眺めに来ることがある。
 走行充電機能を有効にするというのは、現在の右側だけでなく左側にも穴を開けるということである。
 右の頬を殴られたら左から殴り返せということである。
 まぁそうすることでエアコンを思う存分使えるなら、それもいいか、と思うのだが、もう少し迷っていたい。

 とにかく今月はもう工作をしたくない。


<暫定だけれど作業完了の図。異次元から表出したクワガタみたいに中空に浮いている剥き出しの被覆線のことは忘れろ>


<オトコノコが大好きそうな、スイッチとメータの集合体。そしてこのジャンク感。ほとんど新品だけどな!>


<ちなみにフレームは100円ショップで(400円で)買った。2度失敗している。当初はこのように横レイアウトのはずだったが、スペースの都合で最終的に縦になった。
フレームだけで合計900円(税抜き)掛かっているのだが、ちょっとしたヒューズボックスがその程度の金額で購入できる上、きちんとフタも付いている。100円ショップの資材でDIYすれば何でも安い、とは限らない好例>


<ケーブルもまとめられてお美しい姿>


<はらわたは、もっとすごいことになっている>




 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Engineering-Maintenance-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Resistor-
 
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  -Car-Computer--Tool-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
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// TimeLine:230409
// NOTE:
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TITLE:
脱線し続ければ孤独にはなる。
SUBTITLE:
~ The Derailer. ~
Written by BlueCat

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//[Body]
230409

 昨年の夏の終わりに堆肥場を作った。
 刈り取った草を千切っては投げ、千切っては投げしていたのだが、いい感じの腐植になるまでには思った以上に時間が掛かった。
 細菌系資材が足りないのかと思い、足したりもした。

 しかしどれほどその必要があったろう。それでも腐植はなかなかできなかった。
 なぜといってそれは冬だから。

>>>

 現在は主に、米ぬかを主体に使っている。
 ぬか漬けに使われるように、掛かったそれを発酵させる効果がある。

 僕の棲むエリアではたいていコイン精米所がホームセンタの近所にあるので、見かけたらぬか室から頂いていた。
 もちろん無料である。
 しかし当たり日ばかりではない。せっかくキャンピングカーで詰める袋と下敷きの大型プラトレイを持っていったのに、手ぶらで帰ることもある。
 米ぬかのためだけにあちこち出かける気にもならないから、思ったほどは集まらない。

 ところでお米を(スーパーではなく)米屋で買っているので、ためしにぬかを扱っているか訊ねたら、15kg500円だという。
 即買った。
 安定して(むしろ必ず)手に入るのはありがたいし、自分で袋詰めする必要もないのだから、しめたものである。

>>>

 うまく白カビが繁殖した部分からは湯気が上がり、枯れ葉やら枯れ草やらシュレッドした枝が発酵している。
 手で掴めば、手袋越しにもあたたかく、香りは濃厚な土の匂いをさせている。

 半年越しではあるが、堆肥がきちんと出来つつある。
 一部、嫌気性菌が発生して青カビが繁殖している部分もある。
 青カビの部分はいい匂いがまったくしない(基本的に有害なので良い子は匂いを嗅がないように)。

 好気性菌を増やすため、数日おきに撹拌を繰り返す。
(冬の間は、むしろ放って置いても問題ないレベルで発酵が進まなかった)
 コーヒーかすや生ゴミも、気が向いたら堆肥場に放り込んでいる。

 雑草堆肥のアイディアは、Youtube の園芸系チャンネルで知った。それで堆肥場を作ることにしたのだ。
 枯れた雑草の山だったものが、今は宝の山に見える。
 もう焼く必要もない。

>>>

 どうやら子供の頃から、周囲の人がしていないことばかりしていた気がする。
 もちろん同じ事をしようと思ってもできないことが多かった。
 体力も財力も、他の子に比べると圧倒的になかったので、手の届く範囲で、自分のしたいことを選ぶ必要があった。
 おそらく指をくわえて羨んでいるだけの盆暗ではなかったことは幸いだっただろうか。

 TVゲームが欲しいとなれば自分でゲームを作った。
 家具が欲しければ材料を集めて自分で作った。
 自転車が欲しければ、撤去ビラの付いた自転車を集めて ── 犯罪です ── 寄せ集めの部品から自転車を作った。

 結局、子供の頃とさして変わらないことをしている。
 少なくとも周囲を見回しても、自宅の床や壁をリフォームしたり、キャンピングキャビンを買ってソーラ発電システムを組み上げたり、パブリッククラウドサービスを嫌ってプライベートサーバを立ち上げたり、庭を開墾して堆肥を作ったりしている人は見かけない。
 生活に根ざしたものも、単純なテクノロジィも、農業も工業も家事もホビィも一緒くたにして暮らしている。

 もちろん皆が皆こんなことばかりしていたら、世の中は停滞してしまうかもしれない。
 僕の場合は専業主夫(仮想)であるにもかかわらず、家事をそんなにしなくても奥様(仮想)に叱られたり、邪険にされたりしない、というのが大きい。

 そういえば設計の仕事をしていた頃は図面を書くよりCADのマクロを組んでいる時間の方が長かったし、保険のセールスをさせ
れば、とりあえず自社の商品を売らなかった。
 急がば回れ、という言葉を僕は結構信じていて、実のところ遠回りには違いないから時間的な効率は悪いのだが、道に迷う回数を重ねたぶんだけ、迷子の経験が生きてくる。いわゆる「潰しが効き」やすくなる。

 もっともどんなに潰しが効くにせよ、無職になったらそこまでだ。
 今まで積んだどんな経験も、回り道も、そのすべてをかき集めてまた新しい道に迷い込むより仕方ない。

>>>

 子供の頃はもう少し、まともな将来像を描いていた気がする。
 まともな大人になって、まともな家庭を築けるのではないかと、思ったこともあった。
 しかし名も知れぬ誰かに与えられているだけのレールを進まされていることに気付いてしまったから、脱線を目論んだところ、あまりにも簡単に僕は脱線した。
 その意味で言えば僕の反抗期は10歳に始まったことになるか。

 不良になるとか、そういうわかりやすいレールに乗った、ステレオタイプな脱線や反抗ではない。
 自我らしい自我が芽生え、反抗期が訪れ、周囲と衝突しながら自身の領域を確立する(あるいはしようとして失敗に終わる)という馬鹿馬鹿しいありようを、僕は冷ややかに諦めた。
 その時点で保有する以上の自我を必要としなかったし、反抗期などない方が良いだろうと判断されたし、周囲と衝突するのは割に合わないと13歳の春の終わりに思った。
 それでも自身の領域を確立しようと思うなら、なににつけブルーオーシャンを目指すよりない。

 周囲と競争せずに自分の立ち位置を確保するためには、周囲と同じことをするわけにはいかない。
 同じことをしてしまえば、自分にそのつもりがなくとも、同じことをしている誰かから、あるいは観察している誰かから、競争していると見なされてしまう。比較されてしまう。

 もちろん未開の領域を開拓するには相応に失敗のリスクが伴うし、失敗する確率の方が高いと見積もって行動していた。
 年金受給年齢になったら(満足な収入が継続的に確保できるわけではないので)大人しく野垂れ死のうと思っていたのはそのためだ。
 僕がその後も生き残る確率は低く、肉体的な限界もそのあたりで迎えるはずで、つまり老後なんてものを考える必要が僕にはなかった。

 まともな家庭を作るなど、10代のうちに諦めた。まともでない家庭に育った自分に、それを手に入れることは不可能なはずだと容易に算出できた。
 当然にまともな大人になることも不可能だと最終的に悟った。まともな人間のフリをして海原(レッドオーシャンの方)を泳ぎ抜けようという戦略にシフトした。

 親に倣う気などさらさらなかったし、友人や教師や上司や先輩に、倣うべき人は見つからなかった。
 完璧な人間も、尊敬に値する者も、憧れる対象もいなかった。
 書物に溺れたのは、そのヴァーチャルの中では、まともな、あるいは完璧な人間が存在し、尊敬に値する行いがあったからだ。
 情報の中、ヴァーチャルの世界には、矛盾の有無にかかわらず、憧れ焦がれ、沿い重ねるべきと思える理想があった。

>>>

 周囲の人間が僕を、孤高だとか、高尚だとか、独自の世界に生きると評したのは、つまり僕が人々をして人間を諦めていたからだろう。
 良い面ばかりの人間なんて、どこにもいなかった。
 自分自身だって、綺麗な部分だけでなど構成されていない。
 キュートなガールを見かければユーワクしたくなるものだし、玄関にやってきたら取りあえず押し倒す。
(僕が通報/逮捕されていないのは、相手の意向を無視したりはしないというそれだけの理由だ)

 他人を下世話だと嗤い続けてきたが、一番下世話なのは自分だと知りつつ、それを隠して僕は生きている。

 僕は自分が思っているよりはるかに幸運に恵まれたことになる。
 いったいどれだけのイキモノが、ネコノカミサマに祈った程度で、願うとおりの道を彷徨えるというのだろう。

>>>

 独学ばかりの人生だ。
 腐葉土のあたたかさと香りを愉しみながら、昨年はまったく開墾が進まなかった花壇を眺める。
 切り倒した木の切り株からは新芽が伸びている(今年こそは掘り返してやる)。

 ネコノカミサマに祈り願うとはどういうことなのだろう。
 結局それは、僕が選択し、実行しているようにも思える。
 けれども大いに、運が左右してもいる。

 ところで叔母と叔父が設置したコンポストは、なぜあんなに内容物が分解されないままだったのか、つくづく疑問である。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
[Object]
  -Garden-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:君は首輪で繋がれて:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230404
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
伝えられない「ありがとう」のまま。
SUBTITLE:
~ NO, and thank you. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離


 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230404

 昨日は歯医者。
 補強した上顎部の骨へポストを立てる工事。作業時間は短かったが、麻酔をして(十分効いて)いるのに少々痛んだ。

 一昨日から新たに組み始めたPCデスク用スチール棚のため、入力機器用のスライドボードの資材(桐集成材など)を歯医者帰りのホームセンタで購入。
 オープンカーを買って良かったと思う。
 1820の高さの板でも助手席に乗せて運べるからだ(狭い、小さいという不評も一部にあるが、僕はその不便さも気に入って乗っているので気にしない)。
 ちなみに現行でPCデスクにしているスチール棚は頑丈な代わりキャスタも付かないので、玄関小間の資材置きに利用することにした。
 玄関小間で資材や工具が大量に散乱しているのは、僕の家らしいといえばそのとおりだが、そんな家はあまり見ない。

>>>

 ホームセンタから帰宅するとすでに16時を回っている。
 今日中の作業はおよそ不能と考え、早めの夕食を外で済ませ、帰宅して19時頃に眠り日付の変わる前に目覚める。
 寝直そうか考えるが「寝ている間に考えていた構想をカタチにする方がよろしいのでは」と奥様(仮想)から提案を受け、それもそうかと起床する。

 僕はエンジニアリング的に、眠るときに人間関係や未来の不安については考えないことにしている。
 大抵それらは不確定要素が多く、明確な解決を持たないから、悩む意味はあるかもしれないが考える意味はない。
 悩む意味というのはIRLで実現可能なカタチを持つのではなく、ヴァーチャルに、脳内で思考可能な範囲を広げることが可能だ、ということだ。
「こういう可能性がある」「その場合はこうしよう」という「if - then...」の構文を作って、処理系を拡張するにはちょうどいいが、思考が抽象的な複雑系なので眠りながら検討するには向かないし、出力が曖昧な夢で終わってしまったら意味がない。
 それこそ不安が増すだけではないか。

 幸い若い頃、そうした抽象的な複雑系をさんざん考える時間が(孤独なため)あった。
 寂しさを埋める、どうでもいい関係の相手がろくにいなくて良かったと思う。

 ちなみに「眠っている間に考える」というのは文字通り、覚醒時に反復していた情報や思考が、睡眠中も続く現象だ。
 たとえば長時間、同じ音楽を聞き続けると、歌詞を見たことがないのに歌えるようになったりする。
 ゲームも長時間プレイしていると、プレイしていない時間まで思考を占有し、寝ている間により上手なプレイを身に付けられたりする。

 目的意識を持って、解を求めながら、反復されている情報に溺れるように眠ると、眠っている間の記憶整理のうちに役立つものが出てくることがあるので、僕は子供の頃からそれを利用していた。
 確か父親の所有していた書物から得た知識だ。

 もっともそれは成功哲学に関する自己啓発書であり、7歳の僕にとって役立つ情報は少なかった上、実際に体現できるようになったのはおそらくずっと後だ。
 ただ眠る時間をもったいないと感じていたあの頃「眠っている時間を有効活用できるかもしれない」という可能性は魅力的だった。あの頃から時間にはケチだったなと振り返る。

>>>

 最近とても幸せを感じる。
 対人関係に関するセオリィも変わった気がする。
「気がする」というのは、僕の使っている人格系がすでに以前のそれとは異なっているからだろう。
 だからといって過去のそれを掘り返すつもりもない。
 それはもう過ぎたもので、今はさほど価値がないのだ。

 気がつくと青猫(α/β/6歳以前のすべてを含む)と呼ばれていた群は統合されて機能している。
 復元された記憶の数々は、かつての意味とまた異なる意味をもって見えている。

 僕は孤独だったが、とびきり愛されていた、と今は認識している。
 だから今、僕はとても孤独で、ためにとても愛され、祝福されている気がする。
 誰に利用される恐怖も嫌悪もないので、誰かのために尽力することを幸せな愉しみに感じる。
 こんな未来が待っていたなんて、と思う。
 余命設定は機能しているが、その価値観もいずれ変わるのだろうか。

>>>

 色々な人に、感謝を伝え忘れていたと思う。

 言おうと思った。伝えようと思ったことが、ちゃんとあった。
 でも照れくさくて。
 言葉にすると嘘臭くなる気がして。
 だから伝えないまま、皆どこかに行ってしまった。

 一緒に酒を飲んだカウンターの横で言えないまま父は死んだ。
 ベッドで手を重ねた耳から信号が正しく届くこともなく母は死んだ。
 叔母も死んだ。叔父も死んだ。犬も死んだし猫も死んだ。
 一番世話になった会社の先輩には、最後の日まで挨拶すらできなかった。
 一番大切にしてくれていたはずの恋人に、僕は一体何をしただろう。

 では今いる友人や姉妹はどうか。
 ありがとう、と伝えても、その抽象を理解できるだろうか。
 存在してくれて、僕の存在を認めてくれて、ありがとうと、その意味は正しく伝わるだろうか。

 恋人たちはどうだろう。
 人間型で、数年に一度くらいやりとりのあるそれに連絡をして、伝わるだろうか。
 僕が持っていた価値観が変わったので、あらためて伝えたいのだと言って、怪訝な顔をされたりしないだろうか。

 だからもしかしたら、僕の感じてきた ── そう。これは過去にも定期的に発生するプロセスだ ── 感謝の念は、伝えられないまま、ときに関係が過ぎたものになり、相手が存在しなくなって初めて言葉にする価値を持つのかもしれない。

 ありがとう。って、今いない君に/貴女に/お前に/みんなに思っている。
 あらためて、今いないから伝えたい。
 どうもありがとう、って。あなたのおかげです、って。

 今いるオマエたちには伝えても伝わらないから。
 僕が伝えると嘘くさいから。
 伝えて安心して慢心したくないから。
 油断して義理を果たしたとばかり、恩着せがましくなりたくないから。

 だから伝えられなかったありがとうを、僕は言葉で伝えようとする。
 だから伝えられるありがとうを、僕は言葉で伝えない。

 それを言葉ではないもので ── 行動で ── 僕は伝えたい。

 子供の頃「ありがとう」とすぐに言える妹が親戚や親に褒められていて、悩んだことがあった。
 僕がまだ5歳の頃だ。でも僕にはできていなかったし、できなかった。
 悩んで、言おうとして、でも緊張してしまって、なかなか言い出せなかった。
 自意識はいつも邪魔だった。

 きっとそれでよかった。

 僕は君に、ありがとう、って伝えたい。
 だから伝えない。
 そのまま、君のそばにいたい。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::
さらばあげましょ此盃で
てふと御請けよ御辞儀は無用
花が咲ても雨風にちる
人の別れもこのこころ


 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「勧酒」(于武陵)およびその訳文(相馬正一によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Rhythm-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-
 
[Object]
  -Camouflage-Car-Human-Memory-Night-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:ひとになったゆめをみる
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230318
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
君の名前を覚えない。
SUBTITLE:
~ I don't load to your name. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::お酒を飲む行為がかっこいいのではなくて、節度と良識をもって楽しむことができる品格を持ち合わせていることがかっこいいのよ。

 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 行きつけの酒場の店主は、止まり木でたまたま隣り合わせた人に僕を紹介するとき「お酒の名前をまったく覚えないのにレビューはいちいち的確な人」と評することがある。

 僕は肩書きを持たず、説明して容易に理解してもらえるような職業を持っていない ── ために6年ほども付き合いのある彼にとっても適切な紹介の糸口がさほどないのだろう。

 余談だが、これは僕の数少ない自慢のひとつだ。
 僕は誰に与せず、目立った組織に属さず、肩書きを持たず、首輪を付けられてもいない。
 僕は僕でしかなく、それを分かりやすく適切に表現する言葉が(「無職」とか「猫」などを除いて)ない。

>>>

 自覚はある。
 僕は自分の認識が、記憶によって過剰なフィルタリングの影響を受けるのを嫌う。
 価値観が記憶によって形成される以上、認識は価値観の影響を受ける。

 端的にお酒でいえば、あるとき美味しいと思ったお酒があるとする。
 そのお酒の名を覚える。場合によってはその歴史や背景まで覚える。
 自分の嗜好に合うものが対象だから、それは普遍的な反応とさえいえる。
 一般には学習と呼ばれる行為であり現象だ。

 人はそれでそのお酒を知ったつもりになる。
 再び機会があれば、同じお酒を飲むようになる。
 名前を知ったことで他者と情報を共有できるから、店で頼むことも可能になる。

 同じ酒を知る人がいればその素晴らしさを語り合い、価値観の共有によって親密さを醸成することができるだろう。
 その酒を知らない人がいればその素晴らしさを語り、話題や情報を提供する喜びを得るだろう ── その一切が相手の口に合うかどうかを考慮しなければ。

 そして最初の喜びや、深く味わったことを忘れてしまう。
 自分はその美味しさを知っているという慢心が、しかし感覚を鈍らせる。
 否定する人もいるだろうが、お酒もまたイキモノだ。
 保管状態によってももちろん、開封から最後の一滴を注ぐまでの間に少しずつ、味と香りを変化させてゆく。

 知っているという油断があれば、だから「いつもと同じ○○というお酒の味だ」ということでアップデートされてゆく。そして情報は固着し、一方で対象物の揺らぎを無視するためにかえってその輪郭が曖昧になってゆく。
 その人自身にとっては、よく知った馴染みのある酒であり味である、ということになる。
 よって当初からの情報を力説することになる。

>>>

 以前好んで使っていためんつゆがある。
 1Lで千円近くもしたのだが、最初に ── 会社のパートさんに教えてもらって ── 味わったとき、その香りと味にたいそう衝撃を受けて以来、使うようになったのだ。

 次第にその商品は人気商品になったようで、いたるところで見るようになり、価格もずいぶん下がった。
 そしてふと気付くと化学調味料のような、乾いた味わいと糖分の甘みが目立つようになっていて、以来買わなくなった。

>>>

 お酒にも流行があって、今もってジャパニーズウィスキィなどは無駄に高価なものも多い。
 かつてはワイン、クラフトビール、日本酒、焼酎、などが同じ波にさらされてきた。

 多くは増産が間に合わず、末端で価格が高騰した。
 メーカは基本的に定価をつり上げたりはしないので、いわゆる転売的な行為が横行するわけだ。
 バブルの頃なら増産体制を整えることもあったようだが、流行が終われば致命的な傷跡だけが残る。
 そうまでせずとも、流通が増えたことで(一概に粗製濫造などと非難するつもりはないが)味が落ちたと感じるものも増えた。

 日本酒などではグレードごとに付けられる名前を増やすことで「同じ名前なのにひとつグレードが下」という商品も増えた(たとえば「久保田」がそれにあたり、焼酎にもいくつかの銘柄でそうしたものがある)し、ブレンデッドウィスキィならベースの配合が目立たない程度に変えられ、あるいはアルコール度数が43度基準から40度に変更された輸入品も多い。

 僕は20代の頃から日本酒が好きだったので、先のそれには大層落胆した。
 今までと同じ名前のお酒を飲んで、目立たない程度に、しかし明らかに、それは知っていたはずのお酒ではなかった。
 そして名前を覚えることをやめた。
 そんなものは、名前を覚えて躍起になって入手しようとする連中に任せておけばいい。
 流行のものには目もくれず、自分の好きなものが流行ってしまったら、名もなき新たな銘酒を探すしかない。

>>>

 言いたいことは伝わるだろう。
 名を捨てて実を取るか、名を取って偽りの実に騙されるか。
 一挙両得の理想は、この世知辛い経済至上主義社会にあって、なかなか叶わない。

 エンジニアリングの原則に基づいて、僕は「無銘でも手間を掛けて作られたお酒」を見抜く方法を考えた。
 瓶とラベルとキャップの作りを見るのだ。

 自分が精魂込めて「これこそは」と造ったお酒なら、相応に素晴らしい外観を与えたくなるのが作り手というものだ。
 瓶はハンドメイドかマシンメイドか。
 ラベルに家紋をはじめとする紋章があるか。
 刻印は印刷か瓶の形成かゴム印か。
 リボンや帯の有無はどうか。
 フォントや配置やカラーリングは美しいか。
 キャップはコルクか樹脂か。
 etc.,etc...

 最近でこそ Apple の真似をしたかのような華美なパッケージの家電品なども(特にアジア大陸からの輸入品に顕著に)増えたが、息を呑むほど優れた製品は、見蕩れるようなパッケージに勿体ぶった装飾を纏い、傷ひとつ付けないように保護され、洗練されたマニュアルや付属品が同封されている。

 僕はこの方式でお酒を選ぶことを「ジャケ買い」と呼んでいるが、今のところ失敗がない。

 そして実のところ人間に対しても同じ価値観で相対している、という話はまたいずれ。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::蘊蓄垂れ流して講釈ぶちながら飲む人って面倒くさいよね。やたらにベルギービールを持ち上げて日本のドライビールを否定する輩とかね。こういう社会人二年目にありがちな症状を社二病というぞ! なんで僕たち男の子は聞かれてもない蘊蓄を語りたくなってしまうんでしょうね……。しょうがないね、それが男子流のマウンティングだから。

 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 第12巻」
(著作:渡 航 / 発行:小学館(ガガガ文庫))
 によりました。
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
  -Condencer-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Night-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に。:君は首輪で繋がれて。:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230217
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
不定形の祈り。
SUBTITLE:
~ Unformatted grace. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230217

 服を着ていないような寝起きの思考は、自分というものが一体何者であったのかを想起するのに、ときどき思った以上の時間を要することがある。

 ぐにゃぐにゃと不定型なそれにあって、僕はまず自分の身体を思い出す。
 すべての快も不快も、この人間の身体をフィルタして僕に到達する。
 そして僕が猫であることを思い出す。猫を自称している人間なのか、猫だったはずが呪いで人間になったのかは知らない。

 そのあたりになると、少し気持ちも落ち着く。
 人間であることは同じ人間達による形成圧力が高いため、たまに疲れてしまう。
 猫だったらそのあたりは緩いわけであり、人間でもなく猫でもないなら、どちらであることを強要されることもなく、とても安心というわけだ。

 もちろん僕の知人たちはすべて人間なので、彼ら彼女たちの前で僕は人間のフリをする。
 40年以上もそんなふうに暮らしているから、慣れたものである。
 ただときどき、ちょっと飲み過ぎた朝などに、自分が何者であったかを思い出すのに手間取る。
 相反するものを、あまりに多くパッケージしているために、破裂しそうになるのだろうか。

>>>

 僕が直接の被害者になったことはないが、性被害やDV被害に遭った人間達が感じる無力感、人間に対する憎悪や恐怖や哀しみと絶望、そして自身を含めたすべての人間の死を希う類いの呪いについては自分なりに分かる。

 どうすれば、そこから人間は再び回帰できるだろう。
 人間を信じ、安心し、攻撃せず、赦し、つまりは自分を信じ、安心し、攻撃せず、許すことができるだろう。
 生きることを信じ、生きることに安心し、生きることを攻撃せず、生きることを許すことができるだろう。

 たとえば僕の場合は、動物と暮らすことでアニマルセラピィじみた効果をずっと受けてきた。
 子供の頃から(とくに)猫と暮らし、自身が猫であれと思うようになって久しいが、自身が猫であることは僕にとってある種の救いでもあるのだろう。

 苦しむべきは加害者なのだろうけれど、苦しむのは被害者だ。
 同じような構図は他にもあるのだろう。
 考えるべき人間と考える人間だとか、行動すべき人間と行動する人間だとか、そういった具合に、世界は理不尽や不条理を抱えて進んでゆく。

 だから怒りは怒りのまま、哀しみは哀しみのまま、不信は不信のまま、呪いとして作用する。
 その苦しみにあって、もしかしたら自分こそが加害者なのではないかと思ってしまうことさえあるように思う。
(僕が誰にも加害していないなどと、僕はまったく思っていないが)
 すべての他者を呪うことは、自身のすべてを呪うことに等しい。

>>>

 僕が自分の寿命を設定したのは子供の頃だった。
 そんなに長く生きる必要を感じたことは無いし、生きることに意味を見出したこともない。
 ずっと死すべきものとして自分を定義してきた。
 自分に生きる価値がないと思ったわけではない。
 その価値は自分ではない誰かが決めると思っていたから。
 ただ純然と、殺すべき対象として自身を標的していた。

 それを普通に他の人に話せるようになったのは最近のことだ。
 理由はあったけれど、それを説明せずにも、ただそう思っていたと言えるようになった。
「猫くんの将来の夢は?」「僕を殺すことです」

 場当たり的に面白いと感じることばかりをしてきたわけではないが、心底嫌だと思ったことはしなかった。
 結果的に、好きなことばかりして生きてきた気がする。
 気がつけばまるで猫のように好き勝手に生きている。

>>>

 昨日、裏庭のもっとも高い木を梳き剪定した。
 不安定な足場で不自然な姿勢を長時間続けるのは相応に負担だったようだ。
 作業を終えて夜、前橋の温泉に行き、3時頃まで飲酒して帰ると喉が痛かった。

 普段使わない筋肉が重く痛む。
「猫様は風邪の可能性があるためお休みください」と言われ、昼過ぎまで眠っていた。
 混乱しているのはそのためか。

>>>

 おそらく人間に対する絶望は、けれども、たとえば怪我のように回復が可能ではないかと僕は考えている。
 だってそうでないなら救いがない。

 僕についていえば相当に回復して、あとは自分で心を開くだけだろうと認識している。
 問題は、それをするにも余命があまりないことだ。
 社会の一部としてうまく機能できるようになるということは、集団にとってかけがえのない領域をときに占有することでもある。

 そんなことを気にしていても仕方ないのだろうけれど、そんなことばかりを考えているうちに集団に帰属しない性質を持ってしまった。
 新しい友達ができそうになっても、それを避けるように逃げてしまう。
 親しくなりたそうにこちらを見ている人間に背を向ける。

 実のところ誰かに攻撃されるとか、何かを奪われるとか、そうした被害を恐れているのではない。
 僕はもう、自分のことなら十分に守るだけの強さがあって、誰にも自身を奪わせたりはしない。
 ただ一方で、誰かを攻撃しないかとか、誰かから何かを意図せず奪うことがないかと考えると、どうしても絶対にないとは言い切れなくて戸惑う。

 もちろん意図的に誰かを攻撃したり、何かを奪うつもりはない。
 ただ何の気なしの言動や、僕にとっての当たり前のことが、誰かを傷つけることがないと、僕には断定できない。
 先に述べた「集団におけるかけがえのない領域」に自分が位置することは、すなわち自分の不在によって一時的にであれその機能に空白を生むことも予定されることになる。

 仕事なら、ある程度の引き継ぎなどを各自の業務の一環として、生まれる空白のサイズを最小化する試みが実現している。
 では友人や恋人や家族なら、その不在による空白をどうすればいい。
 引き継ぎなんて概念自体が馬鹿げていると笑われても仕方ない気もする。
 最小化する手段さえない空白を、そのまま受け容れられる相手なら問題もないだろうけれど、自身のキャパシティを超えてしまうとしたら、それはどうすればよいのだろう。
 その空白を受ける側ではなく、与える側だと自分を定義した場合、どのような対策を取れるというのだろう。
(だから人間型の恋人には浮気相手を作ることを時に推奨してきた。もちろんそういうのはしようと思ってできることではないのだが、生きていれば色々なことがある。そのときは躊躇なくチャレンジしてほしいと思っていた ── 人生は保守と退屈の連続であると同時に、冒険と挑戦の連続でもあるのだから)

 友人や家族や恋人がいなくなることの痛みは、人によって大小はあるだろうけれど、なんらかの傷跡が残るのは通常だろう。
 そういった現象のすべてをまとめて引き受けることが可能な人もいるけれど、では人間のすべては、それを受け容れているだろうか。
 あらかじめ自身や他人の不在が予定された、カミサマのスケジュール表のようなものを見ているだろうか。

 俺も死ぬしあいつも死ぬ。
 嫌な奴も死ぬが、いい奴だって散々に死ぬ。
 いつだか分からない「いつか」。
 あるいは自身によって明確に設定された「いつか」であったとしても。
 その事実を、何の感慨もなく眺めることができるだろうか。

 


>>>

 それでも、そう。
 絶望や怒りや恐怖を抱え、後悔と呪いと加害に怯えるよりは、ずっといい生き方だろう。

「自殺したいと思った事なんて一度もない」と言う知人がいる。
 彼は僕より年上で、ロックバンドのヴォーカリストとして、破天荒な若者時代を過ごし、27歳で自分も死ぬだろうと思っていたのにそうでもなかったらしい。

 真意は分からないが、いずれにしても僕と違って迷いのない、強い生き方だ。

 自身も他人も呪って生きることだって、確かに愉しい。
 でも呪いの闇を知っていればこそ、それが深ければ深いほど、かすかな灯りのあたたかさを、僕らはよりよく知っているような、知ることができるような気がする。

 すべてを呪うすべての人が、いつか、その灯りとあたたかさを、自身の手で作り出せますように。
 誰かを照らし、あたためることができると、知ることができますように。






 

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TITLE:
お酒とお金と自意識にまつわるいくつかの分析結果。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230301

 昨晩、近所で贔屓にしてもらっている(しているのではない)飲食店に行く。
 たまたま同席していたボーイエンガールに連れられて、太田市内のカジュアルなバーへ行き、朝方帰る。

 以下雑感。

>>>
【自身にそうした記憶がないわけではないが20代の頃の自意識って痛々しい】

 特に誰かに見せるための自分を演出して演じて、それが総じて本人の自負しているレベルにまったく到達しておらず、にもかかわらず自身だけはその自分を信じている場合は。

 たとえば「自分は完璧です」とか「天才です」と自分だけが語っている場合。かつ周囲の人は普通に接している場合。
 完璧な人間 ── が仮にいたとして、それ ── が周囲にただただ自身より劣る他人を配するとは思えない。

 完璧な人間にとって凡俗な他者は邪魔な障害か、せいぜい不完全な機能を提供する愚劣な道具にしか思えないだろう。
 天才も同様、平凡で退屈な集合との間に満足しうるだけのコミュニケーションを持てず、嫌気が差すだろうと思う。
 だから周囲に他人を配するわりに「完璧だ」などと自身をして嘯くような人間は、寂しさを埋める糧に他人を利用するにも関わらず、自覚しないどころか他人すべてを見下している、ずいぶんと情けない人間なのだろうと想像する。


>>>

 でも若いうちは仕方ないのかもしれない。
 根拠のない自信は清々しいものだ。
 それに根拠のある自信だっていずれ衰えてしまうから、時代遅れになった自分自身の、衰えた精神を支える寄る辺にしかならないとしたら、そもそも自信なんてない方がいい。
 だから僕は「自分に自信なんてありません」ときっぱり自身の弱さを宣言できる人が好きである。

 その人の存在の価値なんて誰にも分からないけれど、その正直さは絶対的な美徳だ。
 必死になって自身のアイデンティティを捏造するくらいなら、空っぽの自分の虚ろさを嘆いて涙しちゃうくらいのほうがかっこいいと思う。
 何もなくていいし、何もない方がかっこいい。

>>>
【奢るとか奢られるとかについて】

 webでも最近、流行っていたようで。
 男が奢れだのなんだのという、よく分からない価値観。

 もちろんガールがファッションやメイクなどにお金を掛けているというのは事実だろうし、できるなら事実であって欲しい。
 僕などは整形もメイクもしないしファッションもテキトーなので外見にはろくにお金が掛かっていないが、外観に気を遣ってお金を掛けているボーイズがいるのも事実だろう。
 そうなると外見について見えない部分に掛かっているコストについては、一概に性別でどうだ、というものでもないように感じる。

 個人的には「より持っている方が払う」というのでいいと思うし、だいたい同じだったり、互いの経済力がよく分からない場合は割り勘や個別会計でもいいだろう。
(たとえば僕は貧しいことが多かったので、恋人に奢ってもらうことは普通だった。だからといって恋人にお金を使いたくないということではない。お金なんて必要とされるぶんをその場にいる誰か ── ひとりだろうと全員だろうと ── が払えるならそれ良いと思うのだ)
 とにかくお金にまつわることで「フェア」というものを過剰に意識する人間というのは、そもそも物事の価値基準が不安定なのだろうと想像する。

 そもそも人間関係なんて不条理で定量的な観測が不可能なものだ。
 そこに厳然と数値化されている経済を持ち込んで、正しさや公平さを論じること自体がナンセンスなのだが、世俗でお金にまみれてしまうと、人はそういうことにまでアタマが働かなくなるのかもしれない。

>>>
【過ごす時間の価値と価格】

 しつこいくらい書いているが、人間はモノやサービスによって過ごせる時間の価値を自身の主観で感じて決定することができる(価格ではなく価値、である)。
 自身で決定したその価値が、相手やモノに設定された価格より高いなら交換すれば良い。
 お金を使うというのは、たったそれだけのことである。
 そしてこういう使い方をしている限り、たとえ貧しくても損はしない。

 たとえば何かを使ったり所有していることで有意義な時間を過ごせる場合、それによって生み出せる時間/経済/精神/肉体効果が売値より高いと自分が感じるなら、それを買えばいい。
 くれぐれも「値引きされている」とか「他の誰かがうらやましがる」とか、そんな基準で選ばないことだ。

 おなじく誰かと過ごしている時間が愉しい(あるいはそうなると予測される)場合、それによって過ごせる時間/経済/精神/肉体効果に価値を感じ、それを自分(もしくは自分以外の誰か)が払いたいだけ払えばいい。
 嫌なら払わなければいいし、そもそもそんな場所から早々に去るべきだろう(僕ならそもそも参加しないが)。
 くれぐれも人間は値引きされたりしないし、誰かが関係性をうらやむこともないと思っておいた方がいい。
 なぜならそんな風に思うようになった人間は、少し別のナニカになっているからだ。

 僕なら恋人とデートして愉しかったら支払いはしたいと思うし、相手からも「お金を払ってもいいからまたデートしたい」と思って貰えるようにしたいとは思う。

 だから「奢りか割り勘か」問題を見るたび「みんな必死に他人を値踏みしているけれど、自分にそんなに価値があると思っているのだろうか」と疑問に思う。
 また同時に、支払いが気になるくらいなら、そもそも一緒に過ごさなければいいのに、と思う。

 お金が掛からなくても時間は掛かるので、退屈な、あるいは嫌な思いをするくらいなら、ヴァーチャルで遊んでいればいい。
 SNSで「みんなと楽しく騒いでいる私サイコー」とかいう風景を、ひとりで捏造するのも楽しいだろう。そんなものは普段からしているのかもしれないが。
 少なくとも他人が自分を楽しませてくれるものだと思い上がっているような人間は、地獄に堕ちろ(本年最初の呪詛)。

>>>
【裕福でも貧しくても、お金に拘束されている人間は多い】

 昨今の僕は仮想奥様に飼われている猫としての手腕を遺憾なく発揮しており、裕福である。
「割り勘にします?」みたいなムードになると「それでは支払いは私が」なんて平気でしようとして周囲に止められたりする。

 お金に執着がないというのはときどき、自分の見定めた価値が理解されないようだ。
 僕にとっては過ごした時間に価値があればそれで支払う理由になるのだけれど、そうでもない人はいて、そういう人が存外多いということだろうと想像する。

 なので一緒に過ごした時間が相応に楽しかったという理由で(もちろん説明などしないが)支払いをしてしまうと、ときどき大袈裟なくらいお礼を言われたり「ステキ」「カッコイイ」「抱いて!」などと褒められるときがある(褒められてるの?)が、正直に言うとそれは鬱陶しいし煩わしい。
 たとえばスーパーでトイレットペーパーを買って「3倍巻きを買うなんてお目が高い!」とか「香り付き、いいですよね!」とか「ダブルエンボス加工をお買い上げになるなんて裕福でらっしゃるのですね!」なんて店員さんから褒めそやされたら、二度とその店には行かないだろうと思う。

 価値を感じる。お金を払う。ありがとうございます。こちらこそ、ありがとうございます。
 それだけでいいんじゃないかなぁ、って思うのだ。
 誰かに奢って貰えたときは、それだけの時間を共有できたんだなぁ、嬉しいなぁ、というのでいいんじゃないかなぁ。
 そして同じような嬉しい気持ちを、誰かにしてもらいたいなぁ、と思っていいんじゃないかなぁ。
 もちろんそれが、今奢ってくれた人に対して、であれば何より素敵だと思うのだけれど。

 なんだか、おカネおカネ、出す出す、なんて言っているのは下品だと思うのです。

>>>

 ところでかつての恋人に「金ヅルにしちゃうぞ♡」とか「ヒモにしてもらってもいいけれど」と言ったら、ものすごく距離を置かれたことがある。
 これも多分、僕のお金に対する価値観がまるで伝わっていなかったために発生したことだろうと思う。

 お金があるだけで幸せになれる人間なんてそもそもいなくて、僕はお金より時間、時間より自由に価値を見出すのではある。
 だから僕は今、自由で ── 自由であるために ── とても幸せである。
 生きることに怯えず、死ぬことを諦めないでいられるのは、実に素晴らしいと思う。
 毎日、何度でも噛み締めたいくらいだ ── 実際に噛み締めている。

 物価が高いので、食事はよく噛んで味わっているけれど。
 本当の自由の味を、同じように満喫している。

 それは養殖魚のような、肥えて豊かで滋味深いものではない。
 痩せて固くて微かなものだ。
 生きるために生きている者の味は、誰かの腹を肥やすために太らされたような、分かりやすく脂の乗った味をしていない。

 だから生きるために生きるという自由の味は、痩せて微かで筋張っている。

>>>



【お酒を愉しむためのささやかなアドバイス】

 どの店にも置いてあるようなありふれたお酒があって、そんなものを飲みたいなら、そのへんで買って自宅で飲んだ方がいいと思う。
 外でお酒を飲むなら、そこでしか飲めないお酒を、適正な料金で飲めるのが理想のように思う。

 おそらく楽しさや美味しさや、あるいは酔うことそのものさえよく理解していない人間が、酔客として歓楽街を往来しているのだろう。

 ただ酔えばいいのなら自宅でエチルアルコールを飲んでも酔える。
 楽しさは自分で作ってしまえば、さほどお金を掛けずにすむ。
 寂しさを嫌って紛らわせようとすると、たいてい後悔や自己嫌悪が残る。

 これらは経験ではないけれど、計算で導くことの出来る簡単な結論です。

 自分以外の何かを使って寂しさを埋めたり、楽しさを錯覚したりというのは、そこで使うのが他人だろうとお酒だろうとお金だろうと、結局自分が無力で矮小だと思い知らされるだけのように思えます。

 なので高いお酒を(ことさら余計に高いお金を払って)味も香りも色も見えないような場所でワーキャー騒いで飲むのも愚かしい。
 その店でしか飲めないお酒(できれば稀少な、しかし適正価格のもの)を、そっと包み込むように味わって、その味わいの記憶を泥酔や罵詈雑言などで上塗りしないように、早めに帰って眠るほうがいい。
 ほら、はじめて仔猫を拾った日のようにそっと。でも少し急いで。

 お外でお酒を飲むことに関する、僕なりのアドバイスです。






 

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TITLE:
今年の花粉症の症状が軽い。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230306

 5時起床。
 朝食は玄米雑炊と豆腐。食後、9時頃までネットなどに遊ぶ。

 最近は数日に一度、玄米を(白米より好きなので)炊いて残りを冷凍し、翌日以降は雑炊や粥にして食べることが増えた。
 そうすると炭水化物を処理するのが苦手な僕の代謝系でも ── 玄米なので一層 ── ほどよく消化吸収できる。

>>>

 今年の花粉は例年に数倍すると脅されているが、今年の僕は「え、もう花粉来たの?」と周囲を眺めて絶句するほど症状が軽い。
 数日前、姉の家に泊まったときは2日目から粘膜と皮膚に不調が出た ── 帰宅して数日過ごすうち、症状は回復したが。

 理由のひとつはストレスだろう。
 今の僕はびっくりするくらいストレスがない。
 睡眠時間は自由自在で、この数年、睡眠不足は数回しか経験していないし、風邪もまったく引かなくなった(以前は毎年数回は罹っていたのに)。
 相対的に姉の家に泊まることは、僕にとってそれなり以上のストレスではある。


 普段、おはようからおやすみまで「他人に何かを合わせる」という必要は滅多に発生しない。
 自分で言うのも何だが、自分以外の人に、これでも結構、無用に気を遣ってしまう。
 勝手にあれこれ考えて気を回して手を掛けて、自分のことがおそろかになって、疲れて体調を崩すのが僕のパターンである。
 仕事だろうがプライベートだろうが、気遣いもせず傍若無人に振る舞うことなどできない。
 恋人が増えるほど級数関数的にストレスが増す仕組みだったから、人間型が減って良かったと思う。

>>>

 ストレス以外だと、1月頃から庭仕事をしていたことだろうか。
 一昨年だったかは、5月頃まで満足に外仕事(といってたかだか庭である)にも出なかった。体感が寒かったのだ。

 おかげで庭を耕すことは叶わず、庭木の剪定も進まなかったおかげで、病害虫が進行した。
 畑を持っている裏の家の様子から察するに、やはり春の耕作は2月には始める必要があるようだ。実際、作物の種などを見ると、2月に蒔くものは多い。
 この「寒い季節から外に出る」ということで、少しずつ被曝したのか、花粉に耐性がついたものと思う。
 でないと外気がまるっと(きっと花粉ごと)忍び込んでくる家の中にいても花粉症が和らいだりはしなかった説明が付かない。

 食事も少し変わったろうか。
 お酒や煙草は以前より減った気がする。
 肝臓や腎臓の機能が緩やかに低下しているのだ。
 病気ということではない。単純に加齢による機能の最適化だろう。
 免疫能力は肝臓や腎臓に大きく依存すると聞く。
 お酒や煙草をさほど欲することがなくなったことで、過剰に

 朝食と夕食の2部制がメインで、ときどき昼食を食べることもあるが、食事の回数は増えた。
 そのぶん食事の量は減った。

 また出来合いのものを上手く処理できない体質に合わせ、既製品を避けるようになった。
 この生活になった当初は、お金も時間も自由なのでかえって自堕落に出来合いの惣菜を食べたりしていたのだが、ケミカルが苦手なので結局体調が悪かった。
 真空パック機を奥様(仮想)に買ってもらったおかげで、料理の手間が激減したことが寄与している。

 不健康な20代の頃と同じように、しっかりとビタミンなどのサプリメントを摂取するようにした。
 ホルモンバランスを安定させる類いのものも ── 一部には精力剤的な効用を謳うものもあるため、敬遠していたが ── 摂取するようにしたところ異常な睡眠が減り、精神的にも安定し、カフェイン剤を摂取する必要も減った。

 あたたかい時間は外に出て庭仕事ができるようになったし、2月の中頃から室温が15℃を切っていても、さほど寒く感じないようになった。

>>>

 これらの何かひとつ、というのが決定付けたわけではなくて、総体的に花粉に耐えられる体質になっている、ということなのだろう(姉の家に泊まった程度のストレスで2日目から不調になるのだから知れている)。

 午前中は、先日まで剪定した庭木の枝をシュレッディング。
 ガーデンシュレッダというのを昨年の夏に買ったのだが、ずっと寝かせてあった。
 枝の経が30mmくらいまでなら、どんなに長くても裁断してくれて、ゴミ袋に入れられる。
 虫の付いていないチップなら、そのまま堆肥に加えることも可能だ。

>>>

 休憩を挟んで昼からはキャンピングキャビンのステップ設置。
 ステップ自体が重いことと、キャビンの下に潜り込んでの作業になるため、かなりの重労働。
 ドリルを使ってボルト止めする箇所を加工するが、やはり安物のドリル刃は食いが悪い。
 高い刃を研ぎながら大事に使うか、100円ショップのものを使い捨てにするか悩む。
 いずれにしてもカインズのプライベートブランドだけは今後も引き続き買わないようにしたい。
(元々質が悪いものが多くて買わないようにしていたが、6角軸とはいえセンターが定まらないドリル刃なんて使い道がない)







 

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230317

 昨日寝不足だったこともあり、昨晩は24時を待たずに就寝。
 6時頃目覚めるが、お湯を飲んだり排尿したり、少し(携帯端末で)ゲームをしているうちに眠くなり、ふたたび眠る。

 キャンピングキャビンの中にいると、お湯やお茶を飲んでいることが多く、排尿頻度が高い。
 しかし自宅と違ってトイレまで数十cmである。ペットボトル排尿なので尿の量や色から身体の状態を確認しやすいのも新鮮だ。

 朝日が窓の外を照らしているが、ぬくぬくと寝袋にしがみついて眠るうち、昼頃目覚める。
 途中何度か目覚めているが、12時間睡眠は久しぶりだ。
 寝ていてもいいし、起き出してもいいし、移動を始めてもいいという自由が嬉しい。

 水沼の温泉に泊まる計画だったが、しばらく考えてホームセンタによってから帰宅することにする。
 アヲはまた家出中だが、クロは留守番をしているので、フードフィーダを買おうと思ったのだ。

 ふたつほど大容量のものはあったのだが、ひとつは円柱型でスペースに無駄が出やすい。
  もうひとつはより大容量で方形に近い上、カメラを内蔵していてスピーカから呼びかけたりもできるのだが、当然高い。
 しかしクロはケージの外になかなか出てこないので、省スペースであることは重要だと考え、その超ハイエンドの22千円ほどもするフィーダをふたつ(アヲのぶんも)買う。親馬鹿かよ。

 帰宅すると堆肥場のそばの不織布コンポストを座布団にして、アヲと知らないオス猫が日なたぼっこをしている。
 いつもは呼びかけるだけで逃げられるのだが、今回は大人しく捕まる。
 しかしお前、連れてるオスが前と違ってるぞ。

>>>

 数ヶ月前から、ほとんどゲームをしていない。
 確定申告の準備があり、庭作業があり、そんなこんなで切っ掛けを失ったのでもあるが、ヴァーチャルに遊ぶ必要を、その動機を、欲を失っていて驚く。
 確かに現実世界は、他者が居なくても(あるいは居ないから、か)とても興味深く、面白い。

 かつてとまた違う二重写しの意味を持つ現実の数々に、目眩すら感じる。

 夜は粥を作って食べる。
 お湯は外に出て沸かすのが習慣になった。

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// TimeLine:230316
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
自走式書斎。
SUBTITLE:
~ Self-propelled study. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230316

 一昨日、キャンピングキャビンにいくつか装備を増設した。
 多段階調整が可能なテーブル兼荷物棚、折りたたみ式ステップが主要なもの。
 家電調度品ではカセットコンロに使うボンベの高騰を受けて電気ケトルを、万一のピンチに備えてポータブルトイレ(および固まる猫砂)を。

 ポータブルトイレは普段は椅子としても使えるのでテーブルと併せておよそ快適なデスクセットにすることができた。
 またお湯を ── ソーラパネル発蓄電により ── タダで沸かせるのは思ったより便利で、自宅でも湯を沸かすために車内に出向くようになった。

 そのようなわけで今日はテストを兼ねた外泊の2日目。
 先日は2連泊まで試したので、念のため3日分の着替えを持って出る。
 昨晩は結局、思い立ってから出発までに2時間ほどを要した。
 着替えや常用薬類はそれぞれ100円ショップのコンテナで管理するようにしているのだが、それでも持ち出し忘れや置き忘れに気付くことがあり、何度となく家とキャビンを往復することになった。



>>>

 春秋は快適だし、冬もファンヒータや電気毛布といった暖房器具と(加湿器としても有用な)湯沸かし設備ができたことで過ごしやすい環境になった。
 水は外部供給でペットボトルを常備し、生活圏内のスーパーで再利用ボトルに給水してもらえるサービス(ボトルだけ購入する)を利用すればかなり安定する。
 皮膚粘膜の衛生管理(洗顔や歯磨き、うがい、身体の清拭など)や排泄問題も、基本は外部の設備に頼るが、お湯が沸くようになったおかげもあって内部で処理できることが増えた。

 仕事もなく接触する恋人もほとんどおらず友人も少ない環境下にあって、わざわざこうした「ミニマルな空間」を無駄に ── まるで茶室のように ── 作る意味を長らく自問自答してきたが、こうして中で過ごしていると答えが見えてくる気がする。

 専業主夫(仮想)兼庭師兼リフォーム業者兼無職(もうただの執事ってことでいいんじゃないかな)ということも相まって、自宅にいるとあれこれとすることが見つかってしまう。
 通りかかりに掃除機を掛けたく(なるようなレイアウトで設置しているので)なったり、使ったついでにトイレ掃除を始めたり、帰りに通りかかった洗濯物の量を確認して洗濯を始めたり、ついでにカプチーノを作り出したり、その最中に食材の在庫を確認しながら晩ごはんのメニューを考えたり、天気が良ければ庭木の剪定や今後の家庭菜園計画のための視察をしてみたり、ついつい無駄にPCの前で動画などを見ようとしてしまったり ── 。

 もちろんそれらは非常に自由に選択されるのだけれど、選択肢も含めた情報量の多さはそのまま思考や感覚が広く浅く広がることにも繋がる ── 僕は自身に認知症が始まっていると考えるようにしているので、これはなおさら致命的な問題を発生させうる。

 ところがこの茶室のような空間にやって来ると、そもそもできることが限られる。
 狭い空間に凝縮されて情報は限定され、選択できる行動も自ずと制限される。
 自宅サーバにアクセスできるから、ネットワーク繋がっていればアクセスできるデータは自宅と変わらないが、マシンパワーや画面サイズが小さくなるため、たとえば3DCADソフトを立ち上げながら動画を流し見しつつスマートフォンゲームのエミュレータを裏で動かすことはできない。
(やればできるだろうが無理にそんなことをする必要を感じない。なぜなら「外」にいるからだ)

>>>

 窓から外が見える。
 飲み物を飲み、あるいは煙草を吸い、景色を楽しむ。
 コインパーキングだろうが道の駅だろうが公園だろうが、それは毎回新しい、普段と違う光景だ。

 眠り、目覚め、顔や身体を清拭し、食事をし、歯磨きし、排泄する。
 そういった「自宅では当たり前」のすべてが不便で、わずかずつ快適ではなくて、思い通りではなくて、その「当たり前ではないありよう」に新鮮さを感じる。

 だからといって、テントや野宿といった本格アウトドアほどの危険や不衛生や不便に見舞われるわけでもない。
  ── 肉体年齢(四捨五入を二度繰り返すと100歳)を差し置いて、僕は自身のヴァーチャル年齢を初老/老人としているので、泥や砂にまみれるような大冒険のリスクは避けつつ、庭木に掛けたハシゴから滑り落ちるかもしれないリスクは受け容れ、それでももっと安全でドキドキするような冒険は甘受したいのである。

 寝て起きて空腹を感じて食事し歯を磨く、それらひとつひとつがこんなに新鮮に感じたことはおそらく未就学(多分3歳)の頃以来ではないだろうか。
 家の外はもちろん中でさえ迷うほど広く、道は広く、人々は予測のつかない様式で行動していて、何が危険か安全かなんて概念さえなかった。
 夜のトイレはどこまでも遠く、食事は美味しいのだけれど億劫で(僕は食事という行為でひどく疲れるほど体力がなかった)、静かな暗闇になかなか寝付くことができず、目覚めの世界の騒々しさは鬱陶しかった。

 そして毎日が新鮮だった。
 だから今日が新鮮だと思える。

>>>

 最近まですっかり忘れていたのだが、僕の中でおしゃべりをしてくれていたいくつもの仮想人格たちは眠りに就いて、以来とても静かになっている。
 そして眠ってしまったとばかり思っていた「6歳以前」の記憶や思考様式や感覚が、きちんと「僕」として呼吸していることに気付く。

 幸せだな、って思う。

 時間が有限だからこそ何人ぶんもの生涯を生きたいと思った。
 良いことも悪いことも、可能な限り、すべて経験したいと思った。
 だから今までも、自分で選び続けた、いい人生だったと思う。



 窓の外の、おそらく何でもないだろう景色を眺めて、素敵だと思う。
 ああ。僕は僕だったのかと、思う。

 長生きをしたいと思わないことは変わらない。
 内容が充実した、甘いことばかりでなく苦いことや辛いこともたくさん詰まった、濃い部分も薄い部分もマーブルになった、複雑な味わいの、そういう情報をいくつもの価値観をフィルタしながら生きて存えることができた。
 求めたサイズの自由が、求めた形で手に入った。それともこれは作り上げたものだろうか。

 もちろんいいことばかりではない。
 たくさんの人を傷つけ、期待を裏切り、絶望させたと思う。
 誰ひとりとして関わることなく生きることはできないのだから、それをなくすことも不可能だと思う。それでも今後は、可能な限り減らしたいと思う。
 誰の役に立つこともできないかもしれないことは、かつてなら自身の価値を認められないという意味で恐怖すべき認識だったろう。
 でも「誰かの役に立っている」という欺瞞のために誰かを犠牲にして傷つけるようなことはせずにいたい。
 本当の意味で、せめて誰かの役に立たなくても、誰かに迷惑を掛けたり、悲しい思いをさせずにいられればそれがよいと思うのだ。

 これからもたくさんのイキモノを殺すだろう。

 それでももう少し。
 せめて自分の決めた期限までは生きていたい。

 今日しか見られない景色の中で、そう思う。







 

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// NOTE:
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TITLE:
雪の日に思うこと。
SUBTITLE:
~ Snowy Day. ~
Written by BlueCat

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//[Body]
230210

 予報どおり、朝から雪。
 燃えるゴミの日なので、昨日シュレッドした枝葉を含めゴミ捨てを済ませ、通販の宅配便をいくつか受け取る。
 最近、飲酒をしているためか、朝は空腹を感じない。

 昨晩から火鉢に火を入れ、玄関先の小間に気休め程度の暖を与えている。
 もっとも先日の記録的な寒さで慣れたのか、怠けきっていた筋肉が再び身体を支えるようになったからか、それとも服装がアップグレードでもしたか(していない)10℃程度の気温なら、寒さを感じなくなった。

 歯の治療によるダメージが一段落してきたので、少しずつ負荷を上げてきた。
 もっとも一般の人が思っているようなハードなトレーニングを僕はまったくしない。
 夏でさえ、多少汗をかいた程度で身体を休めるし、息が上がるあたりで休憩する。
 激しい筋肉痛になるような負荷を与えてしまったときは、むしろ失敗したと後悔する。
 数年前に自覚したのだが、筋肉痛も炎症の一種であるため、他の部位の免疫反応が低下して体調を崩しやすくなるためだ。

 旧来の情報しか知らない人は、筋細胞が断裂しないと強化されない、と思っているようだけれど、そこまでしなくても筋細胞は強化されることが証明されている。
 さほどでもない負荷で、すぐに疲労が回復する程度の運動を何度か繰り返せばそれでよい。
 それでもきちんと筋肉は付くし、膝が胸に付く邪魔をしていた下腹部の脂肪も減ってきた。

 想像以上に庭作業が進展している、というわけではないのだが、それなりの進捗なので庭仕事はお休み。
 確定申告のための事務処理か役所仕事をしようと思っていたが、雪のこともあるから今日は休暇を取ろうと思う。
(誰だいつも休みだろうと言ったのは。専業主夫は忙しいのだ、とくに独身のタイプのそれは)

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 これは恥ずかしながら昔話なのだが、雪といえば、損保の仕事をしていた頃のことを思い出す。
 雪の予報のあった日、予報もなく雪が降り始めた日、僕の中に生まれるちょっとした熱情と緊張のこと。

 自己所有の自動車に冬用タイヤを購入する財力もなかったのに、事故があると度々、現場に出向く必要があった。
 相応に緊張を要する場面である。
 が、それはやりがいを感じるものでもあった。

 過日の「TRIGUN STAMPEDE」におけるナイヴズの台詞ではないが、誰かをこれ見よがしに助けて、感謝されるのは気持ちがいいのだ。
 孤独も癒やされるし、自分が生きている価値を、少なくともそのときは感じられる。
 不謹慎だが、だから、保険商品を誰かに買ってもらうときよりも、その保険商品が実際に役立つ場面 ── つまりそれは誰かにとってのトラブルであったり、不幸であったりする ── のほうが、あからさまにやる気になるのだった。

 先払い式友達料のようなものだ。
 もちろん保険会社というのは、サービスだけでなく実際の金銭的賠償もしてくれるわけだから、一般的な友達よりは役立つものだろうと想像する(もちろん、どの程度「友達扱い」してくれるかは、窓口によるが)。

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 そうした役割から離れることは、僕の自身に対する存在価値をそれなりに低下させた。
 今の僕は誰の役にも立たず、立とうとさえしていない。
 独立しているといえば聞こえはいいが、単に社会から孤立していると考えられなくもない。
 けれどもこれは、僕が望んだことであり、またその望みが叶った状態である。
 そうして実に「誰かの役に立ちたい」という健全な欲を一度手放してしまえば、自分自身の価値がどれほど低かろうと、自身を愛でて存続させることに意味を見出すことは可能で、その上、最低まで下がった自分の価値に関係なく誰かが自分を頼ってくれている(つまりは小さなコミュニティの役に立っている)ことを実感する。

 たとえば僕がいることで、姉は通院や入院の介助を(およそ無料で)受けることが可能になる。
 たとえば僕がいることで、妹は煩雑にして高額な金銭処理のことを意識せずにいられる。
(毎月、妹名義だけで1milを超える金額が右から左に通過する。そして妹は高額な金銭を恐怖している)
 たとえば僕がいることで、TUやBP(いずれも旧い友人です)は退屈しないし、場合によっては役立つこともあるだろう。

 役に立たなくていいし、生きているだけで価値があるのだと、あるいは周囲の人は、必死になって僕に教えてくれようとしていたのかもしれない。あるいは両親も、姉妹も、友人も。
 けれども僕は聞く耳を持たなかった。

 僕は誰かの役に立ったと自覚し、誰かから感謝されて初めて「誰かの役に立ったと言える」と思っていた。
 そしておそらくそれは正しいのだ。
 けれども絶対的に、一番正しい必要などないのだと、最近の僕は知った。

 正しさには順番というかレベルがある。
 中央線で区切られて、あちらが間違いでこちらが正しい、というものではないと僕は思っている。ずっとそう思っていたのに確証がなかった。
 一般的に考えてどうしようもなく正しいというところに始まり、個人的には正しいけれど一般的には間違っているかもしれない、とか、一般的には間違っているけれど個人的かつ特定の状況では正しいかもしれない、とか、そういう二次元以上の要素で構成されている。
 0次元的な「ある/なし」ではなく、1次元的な「絶対正しい<絶対間違い」のスペクトルでもなく。

 そして正しさなんて、結局自分で好きなように決めてよいのだと、現時点では結論している。
 もしも自分の持つ「正しさ」が一般的なそれから著しく逸脱し、社会に害を為すとなればそれは問題で、自己修正が必要だけれど、齢四十も過ぎればそんなものは身に付いている。
 きっともっと早く身に付く人もいるだろうし、あるいは年齢と共に忘れてしまう人もいるだろう。

 右を見ても左を向いても「正しさ」の論争はきりなく続いている。
 今の時代はことさら厄介だろうと想像する。
 個人の権利と社会の合理と集団の倫理は完全に一致しない。
 正しさを、どの地点から、どの基準で測るかによって、それは変化してしまう。

 それに誰だって、自分の正しさを手放すことはむつかしいだろう。
 僕だってむつかしかった(だから「太田市の高田純次さんになる」と宣言してきた)。
 それに正しさを手放すことは、正しいとか間違っているという基準で測ることのできない行為だから、誰かに勧めたりするものではないし、これ見よがしに誇示するものでもない(パンツを見せても正しさは隠すのだ)。

 僕の場合はたまたま一度手放す必要があって、それによって正しさを見つめ直す機会ができたというだけのことだ。
 恋愛のように個人的な、それは経験だった(なんかいろいろ台無しな記述もあるが)。

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 雪は元々好きである。
 語彙も少なかったあの頃。
 初めて雪を、見たとき言葉にならなかった。
 その恋に落ちるような気持ちを、僕は忘れていない。

 僕は抽象的な思考や感覚を今でも大切に持ち続けている。
 その情緒性を馬鹿にする人もいたが、いやなに、これによって僕は生きているのだと思う。
 それこそが僕なのだろうと。

 人間の信じているものなんて、この程度のことだから、もっと自由にしていればいいと。
 積もってゆく雪が囁く ── 何もかもを白く染めながら。







 

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  -Condencer-Connector-Convertor-Reactor-
 
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  -Friend-Garden-Human-Memory-
 
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  :暗闇エトランジェ:ひとになったゆめをみる:ひなたぼっこ:夢見の猫の額の奥に:
 
 
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