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// TimeLine:230516
// NOTE:
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TITLE:
変わり者であるということ。
SUBTITLE:
~ The unnecessary bystander. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230516

 0時過ぎに眠り4時半頃起床。二部睡眠制が身体を支配している。
 このところ空腹をきちんと感覚したいと思っていて、夜は食事をせず眠った。
 しかしやはりというか、さほど空腹を感じない。
 先日は28時間経過しても空腹を感じないので、仕方なく食事をした(放っておくと体調を崩す可能性があるため)。
 朝食に昨日の残りの味噌汁と玄米粥を食べる。

 昨日までの雨は上がり、今日は晴れて暑くなるらしい。
 いつもどおりに堆肥を切り返す。

 庭木で隠れてしまう部分があり、そこはどうしても青カビが発生しやすい。
 もちろん青カビも堆肥の分解には貢献しているが、白カビほどの有用性がなかった記憶がある。
 それに白カビと違い、人体に悪影響がある。
 このため定期的に、青カビが発生しやすいエリアの露地を剥き出しにして乾燥させ、そのエリアの堆肥を日光に当てる作業を行っている。

 また雨になると堆肥が水を過剰に含むので、切り返してある程度乾燥させる必要もある。
 好気性菌主体の堆肥を作っているので、水分が過剰なのは悪環境となる。
 適度な水分というのは、だいたいぬか漬けと同じくらい。
 地面や刈り取った雑草からも水分は供給されるので、少しぱらぱらしているくらいでも大丈夫である。

>>>

 かつて弟子に「猫氏のそれは稀有な人生ですよね」と言われたことがある。

 僕は基本的に捻くれているので、そんなことはないと否定したはずだ ── 読み返していないので分からないが、当時の思考回路を回想するにそう思う ── が、よくよく考えると僕は変わり者であるから、その人生はかなりユニークではあるだろう。

 といって(先の文書に重複するかもしれないが)誰しもその人生はユニークであるから、誰もが稀有といえば稀有だと結論づけられる、かというとそれほどでもない気もする。
 その決定的な差が何なのか、あまり自覚がなかったのだが、僕はそういえば重度の変わり者なのだった、とつい先ほど思い出して自覚した。

>>>
【変わり者とは何か】

 端的に、ある種の社会性が欠如した状態で存在している人間はそう呼ばれることが多いように観察される。
 僕は猫なので社会性というものをあまり持ち合わせていないが。
 仮に僕をその脱社会性(変わり者)ヒエラルキィのトップに君臨していると見做すことについて格別の異論はないのだが、客観性を欠くので無駄に文字数を稼ぐ遊びなどやめて、もう少し真面目に考えてみようと思う。

 先にも述べたが人はそれぞれユニークである。社会性を多く備えた人であってもそれは変わらない。
 一方、完全に社会性しか持たない人というのは見たことがない。おそらく存在しないだろう。
 必ず、誰とも共通しない、独自の意見や視点や毒や弱さを持っていて、実のところ僕は人のそういう部分がとても好きである(だから誰かの愚痴を聞くのを楽しみにしている部分がある)。
 それはときにその人の魅力そのものだからだ。

 醜さは美しさに匹敵し、弱さは強さにおよそ等しい。
 えっ、なに意味が分からない? あ、そう……。

 愚痴を言う人の多くは、集団の中で発生する圧力としての社会性と、自我の中で発生する譲れない(譲りたくない)欲という独自性の狭間で揺れている。だからどちらかといえば社会的な人だ。
 ちなみに自我の中で発生する「譲れない欲」というのは、単純な反作用としての反発の場合と、他に明確な(あるいは時に不明確な)独自の目的がある場合が考えられる。
 前者は反発することが目的なので中身は空っぽだが、どんな外圧だろうととにかく反発する。それだけがコンテンツだといっていい。
 後者は社会性に反発する必要がないケースも実は多い。
 たとえば「仕事とあたしと、どっちが大事なの!」と言われたときの答えは「両方大事に決まってるだろボケ!」である。
 めっちゃ反発してるゥ……。

 僕の観察の範囲で一番の変わり者というのが、これまでの人生の中でたったひとり居る。一番、と言っているのでひとりしか居ないわけだが、ものの勢いで書いてしまった。訂正するのも面倒だからそのまま書いてしまおう。

 当然それは僕である。説明する必要はなかろう。僕は変わり者だ。
 しかし僕以外でもう一人、中学時代の国語の教師がそうだった。
 彼らをサンプルに「変わり者」を分析してみよう。

>>>
【脱社会性】

 社会性といっても地域や国家単位の大きな社会から、家族や友人、恋人関係といった小さな単位まで様々であるが、変わり者とされる人はだいたいその社会における規範から最低でも、違法でもなく倫理に反さない程度には逸脱する。
 場合によって法も倫理も逸脱してしまう人もいるだろうが、その場合(現在の日本社会の言語では)脱社会ではなく反社会として扱われる。もうちょっとラケンローな思想として扱ってやれよ「反社会」っていうその日本語。かわいそうだよ「反社会」って日本語が。

 社会性というのは、いわゆる協調性のようなものだろう。
 特に日本では非言語的な暗黙の了解でそうした社会性が存在している。いや僕に限っていえば、まだ海外で暮らしたことはありませんけれどね。

 いずれにしても変わり者は、その所属する単位社会における明示された(あるいは暗黙の)社会規範から逸脱する。
 社会性を多く備えた諸君にはそもそも分からないかもしれないが、たとえばぶつぶつ独り言を言いながら道を歩いてニヤニヤしていたりする。
 その肩に猫が載っていたりしたら「相当イカれている」と一般的には判断されるだろう。

 多くの人は、人目に付く場所でぶつぶつ独り言を言いながら歩いたりしない。ニヤニヤしたりもしないだろう。
 それは明示/暗黙の社会規範で「しない方がいい」とされている/と思っているからではないだろうか。

 もちろんその変人は、誰かに危害を加えたりはしない。そも、そんなことに興味関心などない。
 けれども明示/暗示された社会規範から一点でも逸脱している(脱社会性を獲得している)ということは、他の社会規範からも逸脱していて、それが脱社会性からさらに飛躍した反社会性だったとしてもおかしくない、という予測を立てるはずだ。
 だから多くの場合、平均レベルの社会性を備えた人ほどそうした変人には近づかない。

 一方でより高い社会性を備えた人は、より大きな単位社会を自身の認識に含めている。社会というのは個人を含む一方で、そこに含まれる個人の意識に含まれる。
 だから高い社会性を備えた人は、平均レベルの社会性を備えた人よりも変人(脱社会性獲得個体)に寛容になる(僕が、いわゆる「お嬢様」にモテがちだったのはそうした背景がある)。

 単位社会が大きく広がるほど、規範は厳密になり明言化される一方でその対象を限定的にする。

>>>
【社会性とは何か】

 家の中ではソファやテーブルの上に脱いだ靴下を置くことが厳禁されているかもしれないが、法律では「脱いだ靴下をそのへんに置くな」とは明記されていない(はずだ)。
 もちろん飲食店でそういうことをするのはさすがに倫理に反するだろう。
 第一そんなことをする必要はないはずだ ── ごく一部の特殊な飲食店ならあるのかもしれないが。

 なぜ自宅ではそれが許され(あるいは許されず)、外 ── つまりは社会ではそれが許されない(にもかかわらず明記されない)か。をいちいち考えないでいられる(対処できる)のが社会性である。
 僕は社会性をあまり備えていないので昔からそういうことを考えている。
 もちろん外出先で脱いだ靴下をテーブルやソファを上に置いたりしないし、そもそも靴下を脱いだりしないが。

 厳密に明言化された社会規範のひとつが法律だ(他にも政令やら条例やら省令やらがあったと思うが、浄霊や精霊や霊障とは異なる)。
 これを逸脱すると犯罪者になり、組織/個人を問わず常習的にそうした行為を行う人たちをおそらく「反社会的」と今の日本語は定義していると思う。

 一方、明言化されないために厳密ではないが、生活に密着している社会規範のひとつが家庭内ルールだろう。
 先の靴下をその辺に脱いだとき、お母さん(あるいは配偶者)に叱られるそれである。反社会的な人も、家庭内ルールだけはきちんと守っている可能性を僕は否定できない。

 かくして社会規範同様、家庭内ルールや恋人間の艶やかな約束、友達同士の暗黙の了解など様々なものがあり、反社会的な人も同様に所属する何らかの単位社会におけるルールを厳守するからこそ社会規範に戻ることができない可能性を考えると、むしろ真面目な側面さえあるのではないかと思ってしまう。多分に、その真面目さがおかしな方向に発露しているという歪みを発生させているわけだが。

>>>
【目立つ】

 変わり者というのは目立つようだ。
 僕のように「目立ちたくない」「人目に付きたくない」「私はここに居ない人です」と、隅っこでそっと思っているイキモノであっても、それが変わり者である以上、どうしようもなく目立つ。

 社会性を失い、脱社会性を獲得すればするほど、社会性を獲得している個体からは奇異の目を集める。
 先に述べたメカニズムに従って警戒対象とされるわけだ。
 当然と言えば当然なのだが、僕は最近までそのことに気がつかなかった。
 もちろん周囲との違和は感じていたし、自分が社会性を欠如しがちだという傾向も理解していた。
 けれど脱社会を指向する傾向が強く、つまりは集団を本能的に避ける傾向にあり、それが行動原則に含まれていることは最近になってようやく把握できたことだ。
 だって普通に考えて社会や集団から逸脱するなんて非常識だと思うし、脱社会なんて口で言うには容易いけれど、それを実現するなんて本質的に不可能に決まっているじゃないですかぁ。

 仮に心理/肉体/経済的に脱集団/脱社会を果たして他者を必要としなくなったとしても、物理的に他者の生産物に頼らず自給自足することはとてもむつかしい。
 それに果たして完全な孤立が幸せなのか、幸せを感じるとして、それはどのような有用性があるか、という疑問を持つことも可能だ。


 先の国語教師について言えば、国語教師としての一般規範からは若干逸脱していた。
 たとえば彼の趣味は読書と無線と飛行機だった。
 時折、セスナなどを操縦することを楽しみにしていて、それについては僕も(飛行機好きなので)憧れるところだ。
 授業の仕方が独特で(詳細は省くが)受験対応が必要な3年になると彼は国語の担当から外され、技術(のこぎりや半田ごてといった基礎的な工具を使ったりする男子向けの工作授業だった気がする)の教科担当になった。

 念のため付け加えるが、彼の授業は「おそらく」受験には向かなかったかもしれないが、国語にせよ技術にせよ部活にせよ ── 僕は彼が顧問をしている水泳部に、わざわざ他から転部した ── そんじょそこらの教育指導要領に則った授業しかできない教師のそれよりはよほども興味深く、ためになるものだった。
 結婚はされていたと記憶しているが、お酒も煙草も「無駄だ」という理由でなさらない方だった。しかしおよそ間違いなく若い時分にはそれを経験し、その上で最終的にやめたのだろうと想像する。だから嗜むことはできたはずだ。
 生きていることをとても楽しんでいる方で、僕は彼を見て初めて、憧れたのだ。
 こんな人になれたら、あるいはそれが不可能だとして、こんな人と親しくいられたら、どんなに素敵だろうかと。

 当時14歳の時点で定年間近(当時は60歳定年だったか)だと思うので、今はおそらく鬼籍に入られていらっしゃるとは思うが、今もってフルネームを忘れられない、痛烈な印象を刻んだ人だ。

 彼は教師としては脱集団的だった。
 飛行機乗りを趣味とする教師は少なく、その授業はもちろん部活の顧問としても破天荒と言っていいほど例外的で、奔放と言っていいほど独自で、根底の哲学は一貫していた。
 一方で彼はとても社会的だった。
 教師として学校に所属していることはもちろん、学年副主任などを兼任されることも多く(おそらく主たる主任の立場については、逃げ回っていたものと想像する)生徒たちからも慕われていた。
 その両立とバランス感覚こそが、彼の魅力であり、またその哲学の発露だったように観察される。

 いかなる人生もユニークであり、必ず何らかの苦難があるものとは思うが、彼のようになれる人生を歩めたら本当に素敵だと心から思う。

>>>

 話を戻して目立つということだが、彼もまた目立っていた。いっそ突き抜けて、清々しく、目立っていた。
 断言できるが目立ちたいからと目立つような言動をしていたわけではない。あのご年齢でそんな幼稚な発想があったなら、むしろその方が愛らしいかもしれないが。
 彼には彼のどうしようもない哲学があり、それに則って譲れないものは譲らず、真に欲するものは欲し、どうでもいいものは構わず手放して到達した境地だっただろう。
 社会や集団の中で、動揺や苦悩や葛藤がなかったとは思わない。
 それでもなお無理だと分かっているのに彼のような人生が歩めたら、などと憧れを抱いてしまうのだ。

 一般的であり、それゆえにユニークであり、常識的であり、それゆえに目立つ部分があった。

 僕についていえば、単に奇異であるがゆえに目を引き、せいぜい警戒されるというだけのことだ。
 最近はもう、慣れてきた。
 具体的には、キャンピングカーに乗っていたり、肩に猫を載せていたり、平日の昼間から中年男性が庭に穴を掘ったり埋めたりしていれば相応に目立つだろう。オープンカーを走らせるだけでも残念ながら目立つのだ、この地域では。

 よくよく考えれば、ずっとそういう生き方しかしていなかった。選択できなかった時期も長くあったし、選択しなかったことも多々ある。
 社会性のある行動を選択できなかったことも、あるいはしなかったことも。

 目立つことを目的にしているわけではないのだが、好きなことを優先すれば最終的に目立つことはある。
 我慢することで目立たないようにして、社会性を備えているフリをするのは容易だが、わざわざ僕がそれをしなくてもいいだろう。まして嫌々無難なことを続けて生きるくらいなら、今日死んだ方がマシというものだ。
 僕は自分の命に、その程度の価値しか見ていない。
 不自由な永劫の時間より、自由な瞬間のほうがいい。

>>>
【加齢と自立と脱社会性】

 たびたび書いているし一般論化されているとおり、不惑のあたりから人間は頑固で傲慢になる。
 メカニズムとして、それまで生きてきた経験則を適用すれば、おおよそいかなる場面も乗り越えられるという甚だ主観的な考証によるものなのだが「その人は」「その人の行動/選択において」「その人の目的とする結果を」「過去に」導くことが出来たという点では間違いのない事実なので致し方ない。
 ただし主観による経験則(サンプリングが1つしかない)をそのまま一般化して他人にも押し付けるから頑固で傲慢だと言われることになる。お前と他人は違うという当たり前のことをまず理解しろ。

 つまり人間 ── 正確にはその脳のメカニズム ── というのは失敗を回避し、成功を重ねるほど、情報処理の最適化を行い、特定の入力に対して大まかにパターン化し、決まった出力しかしなくなる。

 一般的に、あるいは社会的にこれはむしろ正答だといえる。
 昨日と今日で言動が異なる(同一性がない)存在は対処に困るから、社会はあまり許容したがらない。
 昨日は女子でした、という人が女学校に入学し、今日は男子です、となると周囲は困る。
 結婚したときは男でしたが、途中で「よく考えたらあたし女だと思う」とか言われた配偶者並びにお子様の心中はお察し申し上げて有り余る。

 脱線したので戻す。
 子供の頃は経験も少なく、何より大人に頼らなければ食事にも困り、欲しいものも手に入らない。
 大人だってそうだけれど、子供だって他人の顔色を窺って生きなくてはならない(それともこれは僕個人に限った経験則だろうか)。
 少なくともそれが社会性の根源だとは思う。

 他人の顔色を窺い、自分にとってより有利な結果を導けるように振る舞うことは、時に自身に相応のストレスとなり、場合によっては虚偽による自己乖離さえ発生するかもしれない。
 それでも社会的に有意な位置を保つことは長期的には価値がある(だから嘘偽りでも自身を装飾する)。
 ために社会における一貫性を獲得することは最優先となる。

 けれども本来的には一貫している方がおかしいと僕は思う。
 誰だって気温が高ければ「暑い」と言い、気温が低ければ「寒い」と言う。
 昨日と今日で言動は異なるが、そも環境が違うわけだから一貫した原理に基づいている。

 相手を「より女らしい」と感じたから自分は男を演じ、相手を「より男らしい」と思って女としての思考を自覚することは不思議ではない。
 周囲が男ばかりで自分の女性性に目覚め、周囲が女ばかりになって自分の女性性の不全、つまりは男性性の色濃さを自覚するという未熟さがあったとして、それは果たして非難されるほど不自然なことだろうか。

 もちろん旧来の社会倫理ではその一貫性のなさを非難されるのは妥当だろう。
 しかし1人を1人の存在として考えれば ── 僕は旧社会の住人なので「おいおいやめてくれよ」とは思うが ── 社会がそこにあるからこそ自分の差異を意識し、そのシーンごとに自身を演じるのでもある。

 他人の顔色を窺って自身を演じることと、他人という環境と自身との差異に従って自身を色付けして認識することは、大きな差があるわけでもなく、後者がことさら不自然なこととも思えない。
 もちろん振り回される周囲からすれば、とんだ迷惑には違いないが。それでも。

>>>

 いずれにしても「なんでもひとりでできるもん」というタチの悪い中年は誕生する。し続ける。
 おおよそ面倒なことは部下や家族や親や友人や配偶者や子供やフォロワに押し付けて、いっぱしの顔をして、経験則から「自分はここまで何とか乗り切ってきた成功者だ」と思うのだ。
 待って。僕を指さすのはやめてください。

 しかしそれも人間の脳のメカニズムではある。
 冷静に考えれば、自分1人で自分1人の面倒を見ることは誰にも出来ない。
 僕だって宅配サービスや製造業や一次産業に従事している人がいなければ庭に穴を掘ることさえ出来ない。
 そうした冷静さ、客観を失えばこそ「自分は(経験した範囲では)何でもこなしてきたし、対処できた」と考える。

 経験を積めば積むほど、誰もが脱社会因子を増大させるのだ。
 だから大人は変人が多い。
 定年退職した人たちを見ろ。専業主夫(主婦)を見ろ。俺のことは忘れろ!
 会社や組織でそれなりのポストになった人、インフルエンサと呼ばれるイキモノ、だいたい脱社会因子を通常より多く抱えている。社会逸脱をしていてもおかしくない。

 けれども彼ら彼女たちは社会から逸脱しない。社会と関わり続ける。
 逸脱因子があってもなお単位社会にとって有用と見做されている(あるいは単に替えがきかなかい)こともあれば、彼らの持つ逸脱因子がそのまま社会に情報として還元されているケースもあるからだ。
 定年後に熟年離婚される旦那様方については、まぁ、お察しというところか。

 僕個人についていえば、属する単位社会が極めて小さく、関連性も希薄だと思う。
 妹や姉や弟子や友人や恋人は密接ではあるかもしれないが、毎日一緒に居るような相手ではない。
(恋人に至っては数年に一度しかメールしない人もいる)
 また僕の脱社会因子はより大きな社会に良くも悪くも影響を与えず(そういう立ち位置に設定してある)、属する単位社会では、だいたい好意的に受け容れられていると思う。そう思いたい。思わせてほしい。

>>>

 個人的には、どちらが良いとも悪いとも思わない。
 社会性を保持し続けることは自己同一性と相反することがあるし、自己同一性を最重要視することは社会性の獲得や維持には向かない。好きにしろとしか言いようがない。

 要は社会が求める個々人の同一性と、個々人本来の自己同一性のバランスを取らなくてはならないのだが、今のところ社会はそうした側面についてはあまり考えているようには思えない。

 なぜといって誰もが自然に、暗黙裏に、社会的であり、社会に所属していることが当たり前だったからだ。
 どれだけ個人主義が浸透し、どれだけ自己同一性が細分化されても、人間は生まれた瞬間から誰かの単位社会の付属品として発生する。たとえ望まれた誕生であっても付属品には違いないし、望まれていなかった場合に初めて社会逸脱が発生すると言っても過言ではない。
 自分が作った社会など、どこにもないのだ。

 社会に属している人からすれば自己同一性を重視する人は常識知らずで疎ましいし、自己同一性を重視する人からすれば社会性を重視する人は嘘つきの馬鹿に見えるだろう。

 自己同一性がいい加減でちゃらんぽらんな人間はそうそういない。言動がいい加減でちゃらんぽらんなひとはいるだろうけれど。

 いずれ社会と個人は、その関係を変えるだろう。
 既存(旧来)の社会規範モデルは間違ったものではないが、ゆらぎを許さない。
 しかし個人主義と自己同一性の細分化に伴い、個人は社会を構成する要素でありながら、社会の部品としての役割を十全には果たせなくなっている。
 皆が皆、自分のことを優先するあまり社会が個々人を守れなくなっていて、社会のために貢献する人間などおらず、仮に居るとしても、もはや損するだけの愚か者だと言外に定義されているように思えることさえある。

 けれども個人が存在する限り、それが文明を維持する限り、社会は社会として亡くなることはない。社会が亡くなるときは、つまり文明やそこに属する個人が居なくなったときだ。
 だから社会は、小さな単位社会から大きな単位社会にいたるまで存続してほしいし、できればそれが、おかしな歪みをもたらさない、複雑性や矛盾をきちんと許容してクッションして受け止める、やわらかであたたかいものであってほしい。

 望みどおり社会を逸脱してなお、そう思う。
 それが社会の摂理であり、存在倫理であり、理想だからだ。

>>>

 明日はもっと暑くなると聞く。
 何もかも狂ってなどいないと、誰も言わないなら自分で言うしかない。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Better Half ]
  抽象世界の車窓から。

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Ecology-Engineering-Eternal-Form-Link-Mechanics-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Resistor-
 
[Object]
  -Friend-Garden-Human-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと:いのちあるものたち:
:家庭菜園ティストの狂気:
夢見の猫の額の奥に:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230511
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
余命再計算。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230511

 昨日は定期検診。
 内服薬が残り少なくなっていて、病院近くのビジネスホテルに当日予約が可能だったため、早朝のうちに庭仕事を終えて、午後一番で病院に向かった。

 前橋で知り合った友人と酒盃を交わし、0時を回った頃、どうにも眠くなってホテルに戻る。
 よくよく考えると10日は0時に眠って4時に起き、作業を終えてそのまま前橋に入ったので、昼寝をしていなかった。

>>>

 今朝は5時半に目覚め、寝直すか考えたのだが通勤ラッシュが始まる前に前橋を発つことにした。
 車のルーフをオープンにして走ったが、気温が13℃ほどで肌寒い。
 しかし暑くなったらオープンルーフにする事は出来なくなるから、このくらいがちょうどよい。

 帰宅後、堆肥を切り返して(まだ早朝)から昼寝の準備をしていると、BP(高校時代の友人です)からメール。
 最近、彼は交通手段のためのバイクを探しており、その下見に僕を連れ出す。

 二店舗ほどを回って昼食。
 うちに迎えに来たときは「今日はこの、いつもと違ってさっぱり系のラーメン屋に行こうと思う」と言っていたのだが、彼は空腹になると食欲によるクーデターで理性を失い、IQが2桁くらい削られてしまう。
 結局フライングガーデン(関東圏に展開するハンバーグレストラン)に行くことに。
 さっぱり系はどこに行ったんだよ。

>>>

 定期的に(むしろ毎日のように)余命計算をする。
 最近気付いたのだが、僕の可処分時間は、一般的な人のそれと比べるとすでに2倍近くに到達している。
 独身専業主夫という極めて異質な生活様式を送っているので、睡眠時間も含めて自由裁量で行動できる。

 もちろん2日連続で眠り続けることもあれば、昨日のように数時間しか眠らないこともあるけれど、基本的には「眠くなったら眠り、目覚めたら起きて、なるべくしたいことだけをして、したくないことをできるだけ後回しにする」という、野良猫のような暮らしである。
 飼い犬のように誰かのご機嫌を取る必要すらない。

 それでも肉体的な制限はあるから、だいたい平均的(あるいはそれ以上)な睡眠時間を消費する。
 食事の回数は少ないが、掛ける時間は、おそらく普通の人と同じ程度だ。つまり僕は食事をかなりのんびりする傾向がある。急ぐ用事がないから当然と言えば当然だ。

 残りの時間のほとんどについて、多くの人は何らかの労働を行う。
 もちろん僕だって行っているが、可能な限り自動化している。
 我が家の働きもの第一位は洗濯機で、次点で食洗機、三位はエスプレッソマシンだろうと思われる。
 これらが僕に与えてくれる自由時間は非常に大きい。

 その他の雑務を含めても(たとえば炊事や掃除、庭仕事にしても)僕からすれば半分は遊びだ。
 なんといってもしたくないことはいくらでも後回しにすることができる。

 基本的に、誰にも叱られない。

>>>

 理想的な時間配分を、睡眠8時間、労働8時間、余暇8時間と考えた場合、僕は睡眠8時間、余暇16時間ということになる(厳密には専業主夫らしく、もう少し生活に必須の労働をしているが)。
 結果、僕の可処分時間は一般的な(あるいは一般に理想とされる)可処分時間の2倍と概算できる。

 およそ45歳からの余命で20年を設定しているが、可処分時間だけで考えれば40年分近くが発生することになる。
 被雇用者で65歳定年になり延長雇用などを行わず、定年後から今のようなぼんやりのんびりスタイルになった場合を考えると、75歳までの分の可処分時間を得られる計算である。
 延長雇用するならさらに長い寿命を過ごしていることに等しくなる。

 だからいいだろう、羨ましいだろう、という話ではない。
 もう十分生きたんだからどうでもいいじゃないか、という話だ。

 僕は時間ケチなので、時間というリソースをもっとも有用だと断じて疑わない。
 さらに言えば7歳からずっと、自由というものに憧れていた。
 そして同時に、いつか自分を殺すことを希っていた。

 ネコノカミサマにお願いをしたおかげなのか、時間も自由も、思った分だけ手に入った。
 絶望というのは、比較対象となる希望がある間だけは正しく絶望として機能するので、希望を持たなければ、絶望すら放棄してしまえる。
 僕は自分に希望しないから、自分に絶望しない。

 誰かの役に立ち、世に人に後に称えられるような輝かしい痕跡を、言い換えれば黒くくすんで固く乾いた血糊のような傷跡を、誰かの中に残すことを望まなくなった。
 自分以外の誰かにとっての、良き何者かとして存在することを望まなくなった。

 良きにつけ悪しきにつけ誰かを傷つける生き方しかできないなら、そして死ぬことさえ誰かを傷つけてしまうなら、死ぬまでは生きて、そのあいだ関わる人間を減らしてゆくしかない。
 それが正しいとか善良だとは思わない。ただ僕に最適だとは思う。
 
 生きることは呪いのようだ。僕は自分ひとり満足に殺すことができないまま死ぬだろう。
 もう十分生きたし、これ以上、別の生き方を望んでいないのに、時間だけが ── いずれの限りこそあるにせよ ── 有り余っている。

 誰かにこれを譲ることができたらどんなにいいだろう。
 お金は寄付することができるが、寿命や時間は譲ることができない。
 交換や共有することは許されない。
 それは誰かと関わることを意味してしまうから。

 放り投げるように。
 放り捨てるように。
 匿名の何者かとして、モノとしてのリソースと同じように、時間も分け与えられたらいいのに。

 でもそれはできないから。
 淡々と寝ては起きて、考えて昼寝をして、イキモノたちを殺して、育てて、また殺して。
 そしていつか気が変わるかもしれない自分のために、本当に大事なことだけを記憶して、それ以外を記録する。

 日数にしておよそ6500日。
 きっと何かを為すには短く、何も為さないには長い時間だ。
 だからその目的については考えずに、呼吸をするように、寝入るように日々を送るしかない。

 あるいは内緒の願い事をして、それをひた隠しに隠して生きるしかない。

>>>

 帰宅してからキャンピングキャビンで昼寝。
 エアコンも情報端末の充電もタダなので、部屋に篭もるより安上がり。
 問題は、この中でいくら眠っても身体の疲れが取れないこと。
 睡眠環境については、もう少し改善した方が良さそうだ。

 日中が暑いため、身体が二部睡眠制に移行しようとして長い昼寝をするのだが、朝夕寒いため、夜も寒くならないうちに眠ろうとしているような気がする。
 おそらく体内深部温度と外気温の相関性があるのだろう。
 僕の身体は、他の人よりずっとポンコツなので、おかしな現象が多い。

 とにかくこのところ、ちょっと油断すると気怠くて眠い。
 カフェイン剤を飲むべきか悩むが、あまり意味がない気もする。

 日中はとても暑い。
 雨が降る予報があるようだが、雲ひとつ見えないまま夕方まで眠る。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Diary-Life-Maintenance-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Car-Friend-Garden-Human-Memory-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230509
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
堆肥作りは趣味です。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230509

【腰痛】
 昨日と一昨日、ほとんど眠っていた。
 雨なので外作業もできないし、腰が痛かったのできちんと休めようと思ったため。
 身体の具合に合わせてなのか、とにかく眠くて眠り続けた。

【太陽光発電】
 雨の日は当然に発電量が低く、最終的にはバッテリィからの出力電圧が 10V
ほどになってしまった。
 定格 12V のバッテリィで、平常時は 12.4Vほどの出力。
 パワーコントローラは 13.6V を蓄電圧の上限にしている。
 14.4V 程度までは設計許容だろうと思うが、過負荷を掛けて損耗を早めたいわけではない。
 とにかく出力が 10V ほどになると、インバータ側も交流 100V の出力を確保できず(94Vほどか)アラームが鳴る。

 冷蔵庫と一部のUSB電源はインバータを介さずに電力を消費する ── 直流から交流にした電気を再度直流にするのが無駄に思えるため、別の引き込み回路を分岐している ── が、ことに冷蔵庫は 12V を下回るとコンプレッサが停まってしまうようだ。

 やはりというか、雨の日に弱い。
 梅雨の前後には走行充電機能を有効にしようと思う。

【菌が好き】
 堆肥作りが楽しくて、できれば毎日切り返しをしたい。
 草や葉が黒く変色して腐植になり、白カビが生え、手袋越しにもあたたかく湯気を上げているのを見るとウキウキする。
 塩麹などというものが流行る前から、麹で三五八漬けの床や甘酒を作っていたので、麹菌には誠に勝手ながら愛着がある。ちなみに糠漬けは上手に管理できた例しがないのであまり愛着がない。

>>>

 今朝は10時頃に起床。
 燃えるゴミを捨て、堆肥を切り返してぬかを撒き、EB-a を耕作エリアに散布。
 耕作エリアを除草して、きちんと耕作したいのだが、まだ後回し。
 米ぬかが終わってしまったので、後日また買いに行こう。

 昨晩、入浴後、久しぶりにゴキブリさん1匹を屋内で見かけて駆除したので、屋外の防除剤を交換する。
 ちなみに昨年は、ほぼ一年寝ていたので何もしていないし、何なら記憶がないと言ってもいい。

 防除剤の交換が終わってから、外水道の排水口が詰まっていたのでラバーカップで詰まりを通したあと、目立つ箇所の草取り。
 ラバーカップは6年ほど前、前橋のマンションの排水系が詰まるのでポンプ付きの高性能なものを購入したが、結局今まで数回しか使っていない。まぁ、しょっちゅう使うようでも困るか。

 枝下ろしや除草の運搬に、以前は一輪車を使っていたのだが、今年からはトラックに使っていた養生シートを使っている。
 大量に載せられるし、漏れも少ない上、柵で囲われた堆肥場に投げ込むのにも便利だ。

 堆肥場に投げ込んだ草を刈り込み鋏で裁断し、ぬかと分解促進剤を掛けて作業終了。

 時刻はおよそ15時。

 やはりこのくらいの時間に作業を終えるのが一番調子がいい。
 ここから晩ごはんの支度をしてもよし、早めの入浴をするもよし、しばしの休憩を楽しむもよし。
 身体や作業着の汚れ具合にもよる。
 就寝はおよそ0時から2時だろうか。

 暑くなると12〜16時頃までは昼寝をして、0〜4時頃まで眠る二部制に変わると思う。







 

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// NOTE:
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TITLE:
少しずつ、旅慣れる。
SUBTITLE:
~ Noob traveler. ~
Written by BlueCat

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//[Body]
230504

 腰痛(正確には大腰筋付近の筋肉痛)で昨日は寝て過ごしたが、この時期に庭仕事をサボるわけにはいかない。

 昨年,一昨年はほとんど土を放置していたため、団粒構造が壊れたエリアが多い。
 固まった土は崩しても微塵のような粉状の土になり、水を与えてもべとべとの泥になりやすい。

 これらを団粒化させるのに、有機的なアプローチを行っているのだが、当然ながら先は長い。
 一方で、ケミカルによる団粒化のアプローチもある。
「EB-a」という農業資材があり、これにより微塵を化学的に団粒化させやすくなる。
 秋のうちに入手していたので、規定値に希釈して散布する。

 庭の一部にイシクラゲが発生しているのだが、これも畑の土壌改良に使えるのではないかと考えている。
(光合成を行うシアノバクテリアの一種らしいので、土に漉き込むわけにはいかなそうだが)

>>>

 栽培エリアを掘っていると、以前よりミミズが多く見られるようになった気がしている。
 実はコーヒーかすがあると増えるという情報があったので、堆肥場を作る以前から、エスプレッソマシンから排出されるコーヒーペレットを庭に撒いていた(今は堆肥場に投げ込んでいる)。

 僕自身も、以前に比べると変わった部分が増えただろうか。
 かつては虫が出てくると声を上げて逃げ出すほど嫌いだったが、今はさほど気にしなくなった。
 あんなに嫌っていたクモなどはすっかり慣れてしまって、見つけても放っておくか、作業に必要な場所にいれば手に載せて運び出すほどだ。
 殺さないように気をつけていた幼虫が実はコガネムシのそれだと気付いてからは、見つけ次第、川や道路に投げるようになったし、バッタを見たらだいたい踏みつけるようなった。

 アクアリウムなどを趣味としている人からすれば、シアノバクテリアは忌避し嫌悪し抹殺する対象であり、イシクラゲも一部には「気持ち悪い」と嫌われる傾向があるようだ。

 ダンゴムシやミミズも苦手な人はいるようで、わざわざダンゴムシの忌避剤などが売っていたりする。

 じつのところダンゴムシとミミズは、堆肥の分解には欠かせない分解者だ。
 性格(と呼ぶほどの性格を見出すことはむつかしい)も、臆病で穏やかだ。人間に噛みついたり、毒を分泌するわけではない。
 少なくともコガネムシの幼虫やアブラムシに比べれば、ガーデニングにおいては非常に有益な存在といえる。
 そのような認識の変化もあるだろう。

>>>

 畑作業のあと、休憩ついでに近所のコインランドリィに出掛け、コペンのカバーを洗う。
 自宅の洗濯機だと若干、容量が足りず、塵が残ってしまうことが多いからだ。
 コインランドリィの駐車スペースでのんびり過ごす。

 結局のところ、ノートPCを買っておいて良かった。
 またキャンピングキャビンにソーラ発電システムを構築しておいたことも良かった。
 最近になってようやく「そういえば一般的なキャンピングカーってソーラパネルを積んでいないな」と気付いたのだ。

 じつにオートキャンプ場やオートサイトの多くは電源供給サービスがある。
 ただし価格はどう考えてもビジネスホテルの方が安い。
 キャンピングカーを使いたい/アウトドアを楽しみたい、という人はそれでいいのだろうけれど、僕は別にキャンピングカーに泊まりたいとか、使いたいから買ったわけではない。

 それでも、ただその辺に停まって、キャビンで休憩しているだけで楽しい。
 近所の飲食店で食事をして、そのまま駐車場で眠るだけでも楽しいのだ。

 中ですることといったら、飲んだり食べたり寝たり本を読んだりPCを使ったり、といった程度の、つまりは自宅でしていることと変わらない。
 むしろ自宅でしていることのほとんどが出先の車内でできる、ということがアドバンテージであり、楽しさなのだろうと思う。
 アウトドアとはほど遠い、出掛けた先で勝手を知った場所に引き籠もる、という地味な楽しみだ。

 コインランドリィは1回で1000円以上したのだが乾燥が甘い。
 はっきり言って、べしょべしょの部分がある。
 自宅の洗濯機の方が乾燥については有能だ。ピチピチのドラム内でも、乾き漏らしがあったことはない。
 次回からの対応を考えよう。

>>>

 帰宅して片付けを終えると19時になっていた。
 これからお風呂を湧かして食事の用意をするのは、少々億劫に感じる。

 100円ショップのコンテナで管理しているお着替えユニットとお薬ユニットを買い物かごに入れ、ワイシャツと明日の私服を積んだら準備完了。だいたい30分である。(ちなみにスーツや革靴は、いつも車内に置いている)
 回数を重ねたからだろう、ずいぶん手慣れてきた。

 移動時間も含めて営業時間中の温泉施設というと、前橋が手軽か。
 世俗は連休でお出かけしている人が多いのか、スーパーも道もほどよく空いている。
 近所のスーバーで飲食物を軽く調達して、太田を発つ。
 月が綺麗な夜だ。







 

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  :家庭菜園ティストの狂気:窓辺に微睡む:
 
 
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// NOTE:
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TITLE:
腰をいわす。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230503

 昨日、堆肥場の隣にボカシの場所を作る。
 なぜといって、堆肥場のキャパシティがそろそろ限界だからだ。
 柵をさらに高くする方法もあるのだが、サイロのようにしてしまうとそれはそれで作業が大変になる。
 そこで土と馴染ませる領域を作ろうと思い立ったわけだ。

 堆肥もボカシも同じような意味合いで使われる場合が多いが、有機性廃棄物と米ぬかや分解菌類を堆肥場で作り、発酵しきった頃合いのものをボカシ場で土と混ぜ合わせる感じである。

 堆肥場の隣がよいと考えたが、いかんせん植樹が多くてスペースが少ない。
 2年越しで抜き掛けの(抜き切れていない)切り株もある。
 仕方ないので、ツルハシと鍬とスコップで穴を掘り進めることにしたのだが、2年放置したせいで土は硬くなっているし微塵は多いし、木の根があちこちに張り巡らされているしで難航する。
 微塵も含めて土からごみを取り除き、袋詰めして消毒するところから始めたかったのだが、堆肥場にスペースを作ることが最優先だったので今回は見送る。

 なんとか半日掛けて穴を掘り終え、堆肥の一部を移し、土と米ぬかをまぶす。

>>>

 以前の住人がどの程度、庭木や草に手を掛けていたのか僕には分からないのだが、庭木についてはたまに造園屋さんに頼んでいた程度で、追肥も何もしていなかったのではないかと思える。
 それでも手入れをまめにしていた時期もあったようで、毎年のように花を付けるチューリップやスズランなどもあり、僕に至っては雑草でも可憐なものは増やして残す方針なので、この時期はぽつぽつと花が咲いている。

 土についても、最初の頃こそまったく分からなかったが、今はこの庭のほとんどの土壌が、痩せて病害虫に冒されやすい状況にあることが理解できるようになった。
 痩せているのでまっとうな菌類が常在しておらず、ひとことで言ってしまえば環境が悪い。
 松の葉などは毎年落ちていたのだが、まったく分解させる様子がないのも、その足下の土が痩せているからだ。よくそんな場所でスズランが定住しているとさえ思う。

 菌類を常在させれば土も団粒構造を取り戻しやすくなるし、最終的に不耕作でも土を利用できるようになる可能性さえある。
 もちろんそれが1,2年で叶うとは思わないが、土を入れ替えるよりも今ある土を活かす方が経済的だし楽しみもあるだろうと思って昨年くらいから続けていることだ。
 そもそもスパンが長いのだが、勉強しながらなのでちょうどいいだろう。

 堆肥を作るのは料理を作るのに似ている。
 何かを足したり、混ぜ合わせたり、馴染むまで待ってときどき様子を見て、状態が変化したら次の工程を始めるというのは、シンプルに楽しい。
 おそらくその「変化を観察したい」という気持ち ── これも好奇心だろう ── が、僕を様々なものに駆り立てる。

 最終的には細菌や微生物を利用した不耕起栽培(有機栽培には違いないが、完全有機栽培にするつもりはない)ができるようにしたいとは思う。

>>>

 腰部の疲労と痛みが酷かったが、今日中にボカシ場を完成させたかったので、少し無理をした。
 作業後、玄関までのわずかな距離を歩いていただけで足を攣る。
 もともと腰痛持ちではないが、あまり酷使せず生きてきただけで、腰部を酷使する作業には弱い。

 おかげで今日は1日、ほとんど寝て過ごしている。
 おそらく筋肉痛だろうけれど、なるほど腰痛というのはこんなに不便を強いられるのかと思う。





 

 

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// NOTE:
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TITLE:
愚痴を聞かされた上、怒られる。
 
Written by BlueCat

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//[Body]
230430

 弟子から久しぶりに電話がある。
 不惑を過ぎたのだからという理由でこれまで以上に頑なになる決心でもしたか、手段や哲学や思考は変えないのに結果が変わることを願っては、いつもと同じように不快な状況を作り上げたらしく愚痴をこぼす。

 愚痴をこぼしたついでに、その記憶の中の不快や怒りが蘇ってきたのか、謂れのないことで不機嫌さをぶつけられてしまった。
 といって僕はそれで気分を害したわけではない。むしろ面白かった。
 僕には一切の非がないことも分かっていたので、こんなに理不尽に怒られて、八つ当たりされて、面白いなと思ったのだ。
 もちろん弟子でなかったらタダでは済まさないとは思うが、そもそもタダでは済まさないような距離感の人間が、そうした八つ当たりをしてくるとも思えない。
 弟子だからちょっと大目に見ている部分はあるだろうが、誰が僕に八つ当たりをしてきたからといって、気分を害する必要もないだろう。
 その理不尽さや不条理は、シュールな可笑しみに溢れている。
 わざわざあげつらうまでもなく気付けば人は反省するものだし、不条理な世の理不尽を面白おかしく受け流したとして、誰に害のあるものでもあるまい。

 なるほど記憶に没入すると、人格のテーブルが単一でなおかつ狭い場合、今の気分は記憶に引きずられることになるようだ。
 とくに弟子は器用な人間ではない。
 人格は単一だし、思考回路もシーケンシャルで単一だ。
 倫理的にも真面目であり、つまりは融通が利かない。僕のように不真面目で、いい加減で、ちゃらんぽらんなルンペンプロレタリアートとは根本から違うのである。

 真面目な話、現行の思考が記憶に引きずられるというメカニズムは理解できる。
 記憶力が高く、再現力が高く、ある種遊びのない潔癖さが、逃げ場のない自分自身を追い詰めるのだろう。

>>>

 不惑を過ぎるとかなりの頻度で人間は頑固になる。
 これは経年による学習の結果、情報の最適化によって判断基準が固着するためだろう。
 これは ── 最適化を逆行すること=非効率化がなされることなので ── 意識的に剥がそうとしなければ、情報処理システムの宿命として避けられない。

 同一性の高い思考回路や人格ほど、その固着が強固になる。
 なぜといって同一の問題に複数のメソッドで対処するような非効率を、通常はしないからだ。それまでの経験上、もっとも効率的な選択をすれば、それが正解になる。
 しかしそれはあくまでその個体における、その時点までの経験則に過ぎない。
 だから頑固な人間は、ほとんどの場面では役立つかもしれないが、他者に対する理解力に欠け、また新しい局面で柔軟な対応が出来ないケースが多い。

 ここから学べる教訓があるとすれば、今の自分に関係のないもの(過去の記憶であるとか、他人の感情であるとか)に引きずられるのは ── 本来的にはその快不快を問わず ── ろくなことがない、ということだろうか。


 端的に言えば、自分の顔と感情には責任を持つのが大人だろうと僕は思っている。
 誰かの行為で(そこに悪意や害意がなくても)不快感を露わにし、敵愾心を剥き出しにする人は老若男女を問わず一定数存在する。
 彼ら彼女たちの多くは、結果的に、自分自身の感情に(その拠り所を誰かに明け渡しているという点からして)無責任で、自制能力が低いということが観察される。
 不惑を過ぎるあたりから、どうやら人間はふたたび童心に戻り始め、周囲に甘えが出るようさえ思える。

 情報処理システムの固着とは、知性の洗練ではなく、むしろ白痴に近づくことでさえあるのかもしれない。
 つまるところ知性とは、迷い、悩み、考えや想像を巡らせ、あれこれと検討し、推論し、検証しようとする一連のプロセスそのものなのだろうか。

>>>

 皆が皆、ギスギスしているように思えることがある。
 理由は分からない。
 正確さを求めるきっちりかっちりした理想や潔癖症が隙間や余裕のない思考様式を構築し、それを自分だけでなく環境にも当てはめるためイライラしてしまうのかな、とも思う。

 僕もかつては極度の潔癖症だったから、満足に完璧を実現できない自分にさえ嫌気が差して、この世から消し去ろうと考えたものだ。

 今はのんびりぼんやり、テキトーを身上としているので、自分にもイライラしないし、他人にも世界にも政治にもNHKにもイライラしない。
 今日はキャンピングキャビンの照明の工作でいくつか失敗したが、失敗は楽しいものだ。
 まぁ、イライラしても少々のこと、短時間のこと。
 ちょっと手間で、ちょっと思いどおりにならないから腹が立って、もう一度同じことを繰り返すことにはなるけれど、どのみちこの手と頭を使ってするしかないので、腹を立てても仕方ない。
 どうせ寝る時間も決まっていないし、明日の予定も特にないからかまうものか。

 みんな正しさを持っていて、その正しさに自分を当てはめて、環境がその正しさに当てはまらないと機嫌を損ねる。
 正しさに自分が当てはまらないから絶望しているなんてまだまともな方で、自分に当てはまるものを正しさだと公言する人間も少なからずいる。正しさってそんなに万能だったか。

 昔から書いているが、僕は間違っていたいほうのイキモノだ。
 法に触れない範囲なら、人の道さえ踏み外したいと思っているうちに猫になってしまった。
 もちろん暴力、薬物、人権侵害、他者の身体財物を毀損するなどの行為はまっぴらごめんなので手を出したことはない。
 いやそんなことを言っていても、道を歩くだけで誰かの道筋をほんの半歩先で踏んでいて、その誰かの進路を妨害し、つまりは権利を侵害しているかもしれない。その可能性を僕は否定できない。
 だからといって引きこもりになっているというわけではないが。

>>>

 正しい奴。いい奴。善良で優しい奴。なんでもいい。
 そうでない奴だってそれはそれで勝手にすればいい。

 自分以外の誰か ── つまりは社会 ── と接する中で、何かを演じようとしてしまったり、気付いたら何かを演じてしまっていて、それこそが自分だと思ってしまうこともあるだろう。
 本人が望んでいなくても、自分以外の多くの人から望まれ、賞賛されれば、そちらの方がよいかと勝手に思い込んでしまうものだし、あるいは誰からも望まれていない本人だけの望みを痛々しく具現するよりよほど善良で優しいかも知れない。

 何が正しいかなんて、社会性を捨てつつある僕が示せるものでもない。
 孤独に過ごしていると、正しさなんてどうでも良くなる。ただ目的をより快適に、より簡単に、より安全に ── そして叶うならより廉価に ── 達成できればそれでいい。
 倫理というのは自分ではなく他人のために己の中で抱えるものだ。

 正しさという爆弾を抱えすぎて己の矛盾の海を恐る恐る覗き込んでいる人を見ると、後ろから突き飛ばしたくなる(笑)。

 溺れてしまえば大層苦しいものでもある。
 けれど誰が言ったところで、その正しさに大した意味がないなどと、自分で実感するまでは理解できないことなのだ。
 怖いな、苦しいな、と言っているのはきっと、まだ溺れ足りないのだろう。

 窒息して、己を失ってしまえば、そんなことでは悩まなくなるだろうとは思うのだけれど。
 己が己であり、あると思い、ありたいと思うために、悩みは尽きない。
 つまるところ環境があるために悩むのではなく、己があるから悩むのだけれど、まぁこれも実感できなければただの言葉遊びにしか見えないだろう。

>>>

 子供の頃から、自由であることを至高と考えていた。
 もちろん子供の頃は格別に不自由だった。
 僕は少々特別だったかもしれないが、普遍的に考えても子供は大人より不自由だ。
 だから早く大人になりたいと思ったし、経済的にも自立して、自由になりたいと思った。

 会社員になったらなったで、自由に仕事をしたいと思った。
 しかし自営をしてみると、(初めてだったから、という理由はあれど)自堕落でモノにならなかった。

 自由が孤独に近しいものであると知ったのは、20代の終わり頃だったか。
 不自由だけれど、仲間や親しい者や近しい者がいるという環境を、だから僕は切り捨てようと思った。
 どういうわけか僕にとって自由は、本当にこの上もなく優れているものなのだ。

 どのくらい優れているかというと、たぶん時間に等しいと思う。
 時間は自分の命と同程度の価値があり、お金よりも優先されるものである。
 自由はだから、お金よりも価値がある。
 お金を出して自由が買えるなら、僕はそれを買う。

 時間と自由は、およそ等しいので、どちらか一方を選ぶということができない。
 あるいは1時間の不自由と引き換えに、1時間の自由が手に入るというならそれは価値があるかもしれない。
 しかし失われる時間は2時間だから、ゼロサムになってしまって何の得もない。
 けれどもお金で自由や時間が買えるなら、それは買うべきだ。ほかに買うものなんてないくらいだ。

 仮にお金を失っても、その空っぽの時間を楽しむだけの知恵を僕は持っている。
 一緒に過ごす人がいなくても、食べるものも飲むものも煙草がなくても、飢えていても、僕はその時間を、その自由を思う存分味わうことができる。

>>>

 そうこうしているうちに、孤独になってしまった。
 つまりそれは、本当に自由になったということだ。
 孤独はストレスになり精神に悪影響を与える、などという人もいるようだが、僕はそれは嘘だと思う。

 もちろん孤独がストレスになり、精神に悪影響を受ける人もいるだろうけれど、少なくとも僕はそれには当てはまらない。
 思った通りの自由は(孤独は)本当に素晴らしい。
 自慢する相手も、評価してくれる他人もいないから自堕落でも問題ないのが尚更いい。

 狭い社会に視野を絞られ、そのウサギ小屋のような社会だけ眺めて孤独に苛まれ「自分には味方がいない」なんて嘯く人間があちこちにいるが、僕は彼ら彼女たちに問いたい。

 それなら果たしてあなたは、誰かの味方であろうとしていますか、と。
 誰の味方になるつもりもなく、ただ自分の正しさや寂しさを埋めてくれるエサを求めているだけの貧しい魂のために、一体誰が手を差し伸べるのですか魂まで呑み込まれてしまうかもしれないのにと。

 僕は孤独だが、味方がいないとは思っていない。
 むしろ味方しかいない(敵は切り捨てたり噛み殺してしまうので)。

 孤高を気取るのは結構だけれど、孤高というのは誰も味方になってくれないという受け身な精神のなれの果てなどではなくて、誰の味方になるかを自分で決めることができるという、たったそれだけの、選択と意志の問題だと僕は思うのだ。

 たまたま僕の場合は味方は居るけれど味方は要らないので、孤独を ── つまりは自由を維持できている。
 たとえば味方が欲しいというのなら、自由を捨てて、不自由に足を取られながら、誰かの味方になるしかない。
 黙って隅の方でいじけている盆暗の味方をするような間の抜けたお人好しなどいない。
 だからそのお人好しに、あなたがなればいい。
 あなたが誰かに味方するとき、誰かがあなたの味方になる。

 だから「私には味方がいない」なんてアタマの悪い発言は、二度としないでほしい。
 困っている人や、少し弱っている人を見つけたら、味方になってあげればいい。
 あなた自身がそうだというなら、あなたが自分の味方になればいい。
 何をしてもらえば嬉しいか、どんなふうに接したいか、いろいろ試してみればいい。

 困っているなら困っていると、助けてほしいなら助けてほしいと、甘えたいなら甘えさせてほしいと、一度でいいから言ってみるといい。
 なあに自分に対して言うのであれば、他人に言うほど高いハードルでもあるまい。
 自分に対してさえそれを言うことが許せないから、他人にも言えないまま窒息しそうになっているのではないかと、少々心配になる。

 誰にも頼らず甘えないような強い人間などいないし、仮に居たとしてもそれはあなたではない。







 

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~ Junction Box ~

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[Cat-Ego-Lies]
  :君は首輪で繋がれて:ひとになったゆめをみる:
 
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// TimeLine:230422
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ここまでのあらすじ。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230422

 4月の上旬から、およそ2週間ほどかけてPCデスクを新しく作った。
(途中に姉の通院介助があったり、歯医者があったり、コペンの点検があったり、軽トラのタイヤのパンクがあったりしたが、その程度である)

 既製品の事務机でも問題はないのだが、身体のフィット感や機能性が価格に見合わないと感じる場合が多いため、30代くらいからスチール棚をベースに拡張するようになった。
 スチール棚そのものは高くても15k円ほどで手頃なものが手に入る。キャスタは必須だ。
 これにスライドレールやボード、スイッチタップや電灯を追加してデスクとしての機能を増やす。もちろん将来不要になった機能はモジュールごと外してしまえばいいし、棚板の高さや枚数も自在だし、既に所持しているモニタアームを取り付けることも出来る。
 必要になった機能を増設してゆくことで、高機能 ── といっても、デスクの機能性などたかが知れているが ── でも高額なデスクを買うよりは一度の支出を抑えられる。

 それが(軽微な調整を除けば)だいたい出来上がった。

 特に気に入っているのは、デスクのスライドボードが2枚あること。入力機器類のボードはPCデスクなので必須だけれど、PCデスクというのは ── その入力機器類が置かれているがために ── 簡単な書類仕事やその他の工作、食事をするには不向きだ。そこで2枚目のボードの出番である。
 スライドボードを持つデスクはあるが、同じサイズが2枚もあるものは見たことがない。
 見たこともないものが欲しいとなれば作るしかないし、自分の好みのサイズや配置を追求するなら自作するしかない。
 結果について文句はない。むしろ非常に満足している。



<現在の様子。制作途中の写真もかなりあるが、面倒なのであまり載せない>


<オシャレは足下から。中空のフレームのおかげで、コンピュータを宙ぶらりんにしている>



<デスクボードが2枚あるというのはこういうことである。ちなみに上のボードはクリアランスが3ミリほどしかないので、飲み物を載せたまま仕舞おうとすると大惨事に繋がる>

<PCデスクで半田付けまでするのは、あまりおすすめしない>


<男は背中でものを語れ。なんとデスクまで伸びているケーブルはたったの3本(うち1本はダミー)。PS4もメインモニタの後ろに固定されており、3つのモニタとアームの重量は相当なものだが、キャスタで難なく移動できるからお掃除もラクラクである。カフェオレこぼしちゃったときとかね>


<PSコントローラホルダも自作した。ちなみにブラケットやウレタンフォーム、上段ボードに固定されたA4トレイなどは可能な限り100円ショップのものを組み合わせている>

>>>

 机の作成が完全には終わらないうちに、キャンピングキャビンの電源系工事を始めた。
 これでおよそ1週間を費やした。

 結論を先に書いておくべきだろう。
 何事も、可能な限り大容量で高出力のものを選んでおいたほうがいい。
 あとモノを作るときは、こまめに取付け箇所のクリアランスを確認することを怠らないように。

>>>

 そもそも冬の終わりに電気ケトルを買ったのはいいのだが、出力不足でインバータが損壊してしまった。
 そこで新しく高出力対応のインバータを購入したが、今度はコンセントがやけに固く、プラグを抜こうとするとコンセントごと抜けそうなのでコンセントを抜かないままその先の電源を切れるようにブレーカを設置することにした。

 また夏に備えて(エアコンを12時間以上連続使用できるように)大容量のバッテリィに換装したのはいいのだが、以前のバッテリィと異なり充電状態を簡易的に把握できるモニタもなければシガーソケットもついていない。
 これらを解消するため、資材を集め(長らく「試験的に」ぶらぶらさせていたりした)配線も見直した。

 2回くらい感電し、ひとたびは川の向こうで手を振る父親が見えたりもしたが、上流から桃が流れてきたりして我に返った結果、こうして成果物について書き込むことができている。

 実はバッテリィの容量に対して、発電能力がさほど高くない。
 より高出力なパネルに換装するか、走行充電機能を持っているパワーコントローラにいよいよその仕事をさせるかの判断を迫られる瀬戸際に近づきつつあることをひしひしと感じているような気がしていることを直視した方が良さそうにも思える。

 価格的には走行充電機能を有効にする方が安い(手持ちの資材でほとんど完結できる)が、またキャビンに穴を開けたり車両の(メインとなる)バッテリィやその配線とも格闘する必要がある。
 ソーラパネルの換装は、数万円はかかる。狙いは1枚およそ400wのものを2枚。
 多少価格が下がってきたとはいえ、60k円ほどはする。おいそれと買ってしまうのは簡単だが、結局取付けに苦労するのも分かっているから少し躊躇う。

 そうなるとやはり、走行充電機能を有効にすべきか。
 キャビン外装に配線が走っているので、ときどき(ちょっとしたメカ好きなのだろう)人が、しげしげ眺めに来ることがある。
 走行充電機能を有効にするというのは、現在の右側だけでなく左側にも穴を開けるということである。
 右の頬を殴られたら左から殴り返せということである。
 まぁそうすることでエアコンを思う存分使えるなら、それもいいか、と思うのだが、もう少し迷っていたい。

 とにかく今月はもう工作をしたくない。


<暫定だけれど作業完了の図。異次元から表出したクワガタみたいに中空に浮いている剥き出しの被覆線のことは忘れろ>


<オトコノコが大好きそうな、スイッチとメータの集合体。そしてこのジャンク感。ほとんど新品だけどな!>


<ちなみにフレームは100円ショップで(400円で)買った。2度失敗している。当初はこのように横レイアウトのはずだったが、スペースの都合で最終的に縦になった。
フレームだけで合計900円(税抜き)掛かっているのだが、ちょっとしたヒューズボックスがその程度の金額で購入できる上、きちんとフタも付いている。100円ショップの資材でDIYすれば何でも安い、とは限らない好例>


<ケーブルもまとめられてお美しい姿>


<はらわたは、もっとすごいことになっている>




 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Engineering-Maintenance-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Resistor-
 
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  -Car-Computer--Tool-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:ひとになったゆめをみる:
 
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// TimeLine:230409
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
脱線し続ければ孤独にはなる。
SUBTITLE:
~ The Derailer. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230409

 昨年の夏の終わりに堆肥場を作った。
 刈り取った草を千切っては投げ、千切っては投げしていたのだが、いい感じの腐植になるまでには思った以上に時間が掛かった。
 細菌系資材が足りないのかと思い、足したりもした。

 しかしどれほどその必要があったろう。それでも腐植はなかなかできなかった。
 なぜといってそれは冬だから。

>>>

 現在は主に、米ぬかを主体に使っている。
 ぬか漬けに使われるように、掛かったそれを発酵させる効果がある。

 僕の棲むエリアではたいていコイン精米所がホームセンタの近所にあるので、見かけたらぬか室から頂いていた。
 もちろん無料である。
 しかし当たり日ばかりではない。せっかくキャンピングカーで詰める袋と下敷きの大型プラトレイを持っていったのに、手ぶらで帰ることもある。
 米ぬかのためだけにあちこち出かける気にもならないから、思ったほどは集まらない。

 ところでお米を(スーパーではなく)米屋で買っているので、ためしにぬかを扱っているか訊ねたら、15kg500円だという。
 即買った。
 安定して(むしろ必ず)手に入るのはありがたいし、自分で袋詰めする必要もないのだから、しめたものである。

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 うまく白カビが繁殖した部分からは湯気が上がり、枯れ葉やら枯れ草やらシュレッドした枝が発酵している。
 手で掴めば、手袋越しにもあたたかく、香りは濃厚な土の匂いをさせている。

 半年越しではあるが、堆肥がきちんと出来つつある。
 一部、嫌気性菌が発生して青カビが繁殖している部分もある。
 青カビの部分はいい匂いがまったくしない(基本的に有害なので良い子は匂いを嗅がないように)。

 好気性菌を増やすため、数日おきに撹拌を繰り返す。
(冬の間は、むしろ放って置いても問題ないレベルで発酵が進まなかった)
 コーヒーかすや生ゴミも、気が向いたら堆肥場に放り込んでいる。

 雑草堆肥のアイディアは、Youtube の園芸系チャンネルで知った。それで堆肥場を作ることにしたのだ。
 枯れた雑草の山だったものが、今は宝の山に見える。
 もう焼く必要もない。

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 どうやら子供の頃から、周囲の人がしていないことばかりしていた気がする。
 もちろん同じ事をしようと思ってもできないことが多かった。
 体力も財力も、他の子に比べると圧倒的になかったので、手の届く範囲で、自分のしたいことを選ぶ必要があった。
 おそらく指をくわえて羨んでいるだけの盆暗ではなかったことは幸いだっただろうか。

 TVゲームが欲しいとなれば自分でゲームを作った。
 家具が欲しければ材料を集めて自分で作った。
 自転車が欲しければ、撤去ビラの付いた自転車を集めて ── 犯罪です ── 寄せ集めの部品から自転車を作った。

 結局、子供の頃とさして変わらないことをしている。
 少なくとも周囲を見回しても、自宅の床や壁をリフォームしたり、キャンピングキャビンを買ってソーラ発電システムを組み上げたり、パブリッククラウドサービスを嫌ってプライベートサーバを立ち上げたり、庭を開墾して堆肥を作ったりしている人は見かけない。
 生活に根ざしたものも、単純なテクノロジィも、農業も工業も家事もホビィも一緒くたにして暮らしている。

 もちろん皆が皆こんなことばかりしていたら、世の中は停滞してしまうかもしれない。
 僕の場合は専業主夫(仮想)であるにもかかわらず、家事をそんなにしなくても奥様(仮想)に叱られたり、邪険にされたりしない、というのが大きい。

 そういえば設計の仕事をしていた頃は図面を書くよりCADのマクロを組んでいる時間の方が長かったし、保険のセールスをさせ
れば、とりあえず自社の商品を売らなかった。
 急がば回れ、という言葉を僕は結構信じていて、実のところ遠回りには違いないから時間的な効率は悪いのだが、道に迷う回数を重ねたぶんだけ、迷子の経験が生きてくる。いわゆる「潰しが効き」やすくなる。

 もっともどんなに潰しが効くにせよ、無職になったらそこまでだ。
 今まで積んだどんな経験も、回り道も、そのすべてをかき集めてまた新しい道に迷い込むより仕方ない。

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 子供の頃はもう少し、まともな将来像を描いていた気がする。
 まともな大人になって、まともな家庭を築けるのではないかと、思ったこともあった。
 しかし名も知れぬ誰かに与えられているだけのレールを進まされていることに気付いてしまったから、脱線を目論んだところ、あまりにも簡単に僕は脱線した。
 その意味で言えば僕の反抗期は10歳に始まったことになるか。

 不良になるとか、そういうわかりやすいレールに乗った、ステレオタイプな脱線や反抗ではない。
 自我らしい自我が芽生え、反抗期が訪れ、周囲と衝突しながら自身の領域を確立する(あるいはしようとして失敗に終わる)という馬鹿馬鹿しいありようを、僕は冷ややかに諦めた。
 その時点で保有する以上の自我を必要としなかったし、反抗期などない方が良いだろうと判断されたし、周囲と衝突するのは割に合わないと13歳の春の終わりに思った。
 それでも自身の領域を確立しようと思うなら、なににつけブルーオーシャンを目指すよりない。

 周囲と競争せずに自分の立ち位置を確保するためには、周囲と同じことをするわけにはいかない。
 同じことをしてしまえば、自分にそのつもりがなくとも、同じことをしている誰かから、あるいは観察している誰かから、競争していると見なされてしまう。比較されてしまう。

 もちろん未開の領域を開拓するには相応に失敗のリスクが伴うし、失敗する確率の方が高いと見積もって行動していた。
 年金受給年齢になったら(満足な収入が継続的に確保できるわけではないので)大人しく野垂れ死のうと思っていたのはそのためだ。
 僕がその後も生き残る確率は低く、肉体的な限界もそのあたりで迎えるはずで、つまり老後なんてものを考える必要が僕にはなかった。

 まともな家庭を作るなど、10代のうちに諦めた。まともでない家庭に育った自分に、それを手に入れることは不可能なはずだと容易に算出できた。
 当然にまともな大人になることも不可能だと最終的に悟った。まともな人間のフリをして海原(レッドオーシャンの方)を泳ぎ抜けようという戦略にシフトした。

 親に倣う気などさらさらなかったし、友人や教師や上司や先輩に、倣うべき人は見つからなかった。
 完璧な人間も、尊敬に値する者も、憧れる対象もいなかった。
 書物に溺れたのは、そのヴァーチャルの中では、まともな、あるいは完璧な人間が存在し、尊敬に値する行いがあったからだ。
 情報の中、ヴァーチャルの世界には、矛盾の有無にかかわらず、憧れ焦がれ、沿い重ねるべきと思える理想があった。

>>>

 周囲の人間が僕を、孤高だとか、高尚だとか、独自の世界に生きると評したのは、つまり僕が人々をして人間を諦めていたからだろう。
 良い面ばかりの人間なんて、どこにもいなかった。
 自分自身だって、綺麗な部分だけでなど構成されていない。
 キュートなガールを見かければユーワクしたくなるものだし、玄関にやってきたら取りあえず押し倒す。
(僕が通報/逮捕されていないのは、相手の意向を無視したりはしないというそれだけの理由だ)

 他人を下世話だと嗤い続けてきたが、一番下世話なのは自分だと知りつつ、それを隠して僕は生きている。

 僕は自分が思っているよりはるかに幸運に恵まれたことになる。
 いったいどれだけのイキモノが、ネコノカミサマに祈った程度で、願うとおりの道を彷徨えるというのだろう。

>>>

 独学ばかりの人生だ。
 腐葉土のあたたかさと香りを愉しみながら、昨年はまったく開墾が進まなかった花壇を眺める。
 切り倒した木の切り株からは新芽が伸びている(今年こそは掘り返してやる)。

 ネコノカミサマに祈り願うとはどういうことなのだろう。
 結局それは、僕が選択し、実行しているようにも思える。
 けれども大いに、運が左右してもいる。

 ところで叔母と叔父が設置したコンポストは、なぜあんなに内容物が分解されないままだったのか、つくづく疑問である。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
[Object]
  -Garden-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:君は首輪で繋がれて:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230404
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
伝えられない「ありがとう」のまま。
SUBTITLE:
~ NO, and thank you. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離


 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
230404

 昨日は歯医者。
 補強した上顎部の骨へポストを立てる工事。作業時間は短かったが、麻酔をして(十分効いて)いるのに少々痛んだ。

 一昨日から新たに組み始めたPCデスク用スチール棚のため、入力機器用のスライドボードの資材(桐集成材など)を歯医者帰りのホームセンタで購入。
 オープンカーを買って良かったと思う。
 1820の高さの板でも助手席に乗せて運べるからだ(狭い、小さいという不評も一部にあるが、僕はその不便さも気に入って乗っているので気にしない)。
 ちなみに現行でPCデスクにしているスチール棚は頑丈な代わりキャスタも付かないので、玄関小間の資材置きに利用することにした。
 玄関小間で資材や工具が大量に散乱しているのは、僕の家らしいといえばそのとおりだが、そんな家はあまり見ない。

>>>

 ホームセンタから帰宅するとすでに16時を回っている。
 今日中の作業はおよそ不能と考え、早めの夕食を外で済ませ、帰宅して19時頃に眠り日付の変わる前に目覚める。
 寝直そうか考えるが「寝ている間に考えていた構想をカタチにする方がよろしいのでは」と奥様(仮想)から提案を受け、それもそうかと起床する。

 僕はエンジニアリング的に、眠るときに人間関係や未来の不安については考えないことにしている。
 大抵それらは不確定要素が多く、明確な解決を持たないから、悩む意味はあるかもしれないが考える意味はない。
 悩む意味というのはIRLで実現可能なカタチを持つのではなく、ヴァーチャルに、脳内で思考可能な範囲を広げることが可能だ、ということだ。
「こういう可能性がある」「その場合はこうしよう」という「if - then...」の構文を作って、処理系を拡張するにはちょうどいいが、思考が抽象的な複雑系なので眠りながら検討するには向かないし、出力が曖昧な夢で終わってしまったら意味がない。
 それこそ不安が増すだけではないか。

 幸い若い頃、そうした抽象的な複雑系をさんざん考える時間が(孤独なため)あった。
 寂しさを埋める、どうでもいい関係の相手がろくにいなくて良かったと思う。

 ちなみに「眠っている間に考える」というのは文字通り、覚醒時に反復していた情報や思考が、睡眠中も続く現象だ。
 たとえば長時間、同じ音楽を聞き続けると、歌詞を見たことがないのに歌えるようになったりする。
 ゲームも長時間プレイしていると、プレイしていない時間まで思考を占有し、寝ている間により上手なプレイを身に付けられたりする。

 目的意識を持って、解を求めながら、反復されている情報に溺れるように眠ると、眠っている間の記憶整理のうちに役立つものが出てくることがあるので、僕は子供の頃からそれを利用していた。
 確か父親の所有していた書物から得た知識だ。

 もっともそれは成功哲学に関する自己啓発書であり、7歳の僕にとって役立つ情報は少なかった上、実際に体現できるようになったのはおそらくずっと後だ。
 ただ眠る時間をもったいないと感じていたあの頃「眠っている時間を有効活用できるかもしれない」という可能性は魅力的だった。あの頃から時間にはケチだったなと振り返る。

>>>

 最近とても幸せを感じる。
 対人関係に関するセオリィも変わった気がする。
「気がする」というのは、僕の使っている人格系がすでに以前のそれとは異なっているからだろう。
 だからといって過去のそれを掘り返すつもりもない。
 それはもう過ぎたもので、今はさほど価値がないのだ。

 気がつくと青猫(α/β/6歳以前のすべてを含む)と呼ばれていた群は統合されて機能している。
 復元された記憶の数々は、かつての意味とまた異なる意味をもって見えている。

 僕は孤独だったが、とびきり愛されていた、と今は認識している。
 だから今、僕はとても孤独で、ためにとても愛され、祝福されている気がする。
 誰に利用される恐怖も嫌悪もないので、誰かのために尽力することを幸せな愉しみに感じる。
 こんな未来が待っていたなんて、と思う。
 余命設定は機能しているが、その価値観もいずれ変わるのだろうか。

>>>

 色々な人に、感謝を伝え忘れていたと思う。

 言おうと思った。伝えようと思ったことが、ちゃんとあった。
 でも照れくさくて。
 言葉にすると嘘臭くなる気がして。
 だから伝えないまま、皆どこかに行ってしまった。

 一緒に酒を飲んだカウンターの横で言えないまま父は死んだ。
 ベッドで手を重ねた耳から信号が正しく届くこともなく母は死んだ。
 叔母も死んだ。叔父も死んだ。犬も死んだし猫も死んだ。
 一番世話になった会社の先輩には、最後の日まで挨拶すらできなかった。
 一番大切にしてくれていたはずの恋人に、僕は一体何をしただろう。

 では今いる友人や姉妹はどうか。
 ありがとう、と伝えても、その抽象を理解できるだろうか。
 存在してくれて、僕の存在を認めてくれて、ありがとうと、その意味は正しく伝わるだろうか。

 恋人たちはどうだろう。
 人間型で、数年に一度くらいやりとりのあるそれに連絡をして、伝わるだろうか。
 僕が持っていた価値観が変わったので、あらためて伝えたいのだと言って、怪訝な顔をされたりしないだろうか。

 だからもしかしたら、僕の感じてきた ── そう。これは過去にも定期的に発生するプロセスだ ── 感謝の念は、伝えられないまま、ときに関係が過ぎたものになり、相手が存在しなくなって初めて言葉にする価値を持つのかもしれない。

 ありがとう。って、今いない君に/貴女に/お前に/みんなに思っている。
 あらためて、今いないから伝えたい。
 どうもありがとう、って。あなたのおかげです、って。

 今いるオマエたちには伝えても伝わらないから。
 僕が伝えると嘘くさいから。
 伝えて安心して慢心したくないから。
 油断して義理を果たしたとばかり、恩着せがましくなりたくないから。

 だから伝えられなかったありがとうを、僕は言葉で伝えようとする。
 だから伝えられるありがとうを、僕は言葉で伝えない。

 それを言葉ではないもので ── 行動で ── 僕は伝えたい。

 子供の頃「ありがとう」とすぐに言える妹が親戚や親に褒められていて、悩んだことがあった。
 僕がまだ5歳の頃だ。でも僕にはできていなかったし、できなかった。
 悩んで、言おうとして、でも緊張してしまって、なかなか言い出せなかった。
 自意識はいつも邪魔だった。

 きっとそれでよかった。

 僕は君に、ありがとう、って伝えたい。
 だから伝えない。
 そのまま、君のそばにいたい。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::
さらばあげましょ此盃で
てふと御請けよ御辞儀は無用
花が咲ても雨風にちる
人の別れもこのこころ


 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「勧酒」(于武陵)およびその訳文(相馬正一によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Rhythm-Stand_Alone-
 
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  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-
 
[Object]
  -Camouflage-Car-Human-Memory-Night-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:ひとになったゆめをみる
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:230318
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
君の名前を覚えない。
SUBTITLE:
~ I don't load to your name. ~
Written by BlueCat

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::お酒を飲む行為がかっこいいのではなくて、節度と良識をもって楽しむことができる品格を持ち合わせていることがかっこいいのよ。

 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 行きつけの酒場の店主は、止まり木でたまたま隣り合わせた人に僕を紹介するとき「お酒の名前をまったく覚えないのにレビューはいちいち的確な人」と評することがある。

 僕は肩書きを持たず、説明して容易に理解してもらえるような職業を持っていない ── ために6年ほども付き合いのある彼にとっても適切な紹介の糸口がさほどないのだろう。

 余談だが、これは僕の数少ない自慢のひとつだ。
 僕は誰に与せず、目立った組織に属さず、肩書きを持たず、首輪を付けられてもいない。
 僕は僕でしかなく、それを分かりやすく適切に表現する言葉が(「無職」とか「猫」などを除いて)ない。

>>>

 自覚はある。
 僕は自分の認識が、記憶によって過剰なフィルタリングの影響を受けるのを嫌う。
 価値観が記憶によって形成される以上、認識は価値観の影響を受ける。

 端的にお酒でいえば、あるとき美味しいと思ったお酒があるとする。
 そのお酒の名を覚える。場合によってはその歴史や背景まで覚える。
 自分の嗜好に合うものが対象だから、それは普遍的な反応とさえいえる。
 一般には学習と呼ばれる行為であり現象だ。

 人はそれでそのお酒を知ったつもりになる。
 再び機会があれば、同じお酒を飲むようになる。
 名前を知ったことで他者と情報を共有できるから、店で頼むことも可能になる。

 同じ酒を知る人がいればその素晴らしさを語り合い、価値観の共有によって親密さを醸成することができるだろう。
 その酒を知らない人がいればその素晴らしさを語り、話題や情報を提供する喜びを得るだろう ── その一切が相手の口に合うかどうかを考慮しなければ。

 そして最初の喜びや、深く味わったことを忘れてしまう。
 自分はその美味しさを知っているという慢心が、しかし感覚を鈍らせる。
 否定する人もいるだろうが、お酒もまたイキモノだ。
 保管状態によってももちろん、開封から最後の一滴を注ぐまでの間に少しずつ、味と香りを変化させてゆく。

 知っているという油断があれば、だから「いつもと同じ○○というお酒の味だ」ということでアップデートされてゆく。そして情報は固着し、一方で対象物の揺らぎを無視するためにかえってその輪郭が曖昧になってゆく。
 その人自身にとっては、よく知った馴染みのある酒であり味である、ということになる。
 よって当初からの情報を力説することになる。

>>>

 以前好んで使っていためんつゆがある。
 1Lで千円近くもしたのだが、最初に ── 会社のパートさんに教えてもらって ── 味わったとき、その香りと味にたいそう衝撃を受けて以来、使うようになったのだ。

 次第にその商品は人気商品になったようで、いたるところで見るようになり、価格もずいぶん下がった。
 そしてふと気付くと化学調味料のような、乾いた味わいと糖分の甘みが目立つようになっていて、以来買わなくなった。

>>>

 お酒にも流行があって、今もってジャパニーズウィスキィなどは無駄に高価なものも多い。
 かつてはワイン、クラフトビール、日本酒、焼酎、などが同じ波にさらされてきた。

 多くは増産が間に合わず、末端で価格が高騰した。
 メーカは基本的に定価をつり上げたりはしないので、いわゆる転売的な行為が横行するわけだ。
 バブルの頃なら増産体制を整えることもあったようだが、流行が終われば致命的な傷跡だけが残る。
 そうまでせずとも、流通が増えたことで(一概に粗製濫造などと非難するつもりはないが)味が落ちたと感じるものも増えた。

 日本酒などではグレードごとに付けられる名前を増やすことで「同じ名前なのにひとつグレードが下」という商品も増えた(たとえば「久保田」がそれにあたり、焼酎にもいくつかの銘柄でそうしたものがある)し、ブレンデッドウィスキィならベースの配合が目立たない程度に変えられ、あるいはアルコール度数が43度基準から40度に変更された輸入品も多い。

 僕は20代の頃から日本酒が好きだったので、先のそれには大層落胆した。
 今までと同じ名前のお酒を飲んで、目立たない程度に、しかし明らかに、それは知っていたはずのお酒ではなかった。
 そして名前を覚えることをやめた。
 そんなものは、名前を覚えて躍起になって入手しようとする連中に任せておけばいい。
 流行のものには目もくれず、自分の好きなものが流行ってしまったら、名もなき新たな銘酒を探すしかない。

>>>

 言いたいことは伝わるだろう。
 名を捨てて実を取るか、名を取って偽りの実に騙されるか。
 一挙両得の理想は、この世知辛い経済至上主義社会にあって、なかなか叶わない。

 エンジニアリングの原則に基づいて、僕は「無銘でも手間を掛けて作られたお酒」を見抜く方法を考えた。
 瓶とラベルとキャップの作りを見るのだ。

 自分が精魂込めて「これこそは」と造ったお酒なら、相応に素晴らしい外観を与えたくなるのが作り手というものだ。
 瓶はハンドメイドかマシンメイドか。
 ラベルに家紋をはじめとする紋章があるか。
 刻印は印刷か瓶の形成かゴム印か。
 リボンや帯の有無はどうか。
 フォントや配置やカラーリングは美しいか。
 キャップはコルクか樹脂か。
 etc.,etc...

 最近でこそ Apple の真似をしたかのような華美なパッケージの家電品なども(特にアジア大陸からの輸入品に顕著に)増えたが、息を呑むほど優れた製品は、見蕩れるようなパッケージに勿体ぶった装飾を纏い、傷ひとつ付けないように保護され、洗練されたマニュアルや付属品が同封されている。

 僕はこの方式でお酒を選ぶことを「ジャケ買い」と呼んでいるが、今のところ失敗がない。

 そして実のところ人間に対しても同じ価値観で相対している、という話はまたいずれ。







 

// ----- >>* Escort Division *<< //


::蘊蓄垂れ流して講釈ぶちながら飲む人って面倒くさいよね。やたらにベルギービールを持ち上げて日本のドライビールを否定する輩とかね。こういう社会人二年目にありがちな症状を社二病というぞ! なんで僕たち男の子は聞かれてもない蘊蓄を語りたくなってしまうんでしょうね……。しょうがないね、それが男子流のマウンティングだから。

 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 第12巻」
(著作:渡 航 / 発行:小学館(ガガガ文庫))
 によりました。
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
  -Condencer-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Night-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に。:君は首輪で繋がれて。:
 
 
 
//EOF