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TITLE:
君の名前を覚えない。
SUBTITLE:
~ I don't load to your name. ~
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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::お酒を飲む行為がかっこいいのではなくて、節度と良識をもって楽しむことができる品格を持ち合わせていることがかっこいいのよ。
::お酒を飲む行為がかっこいいのではなくて、節度と良識をもって楽しむことができる品格を持ち合わせていることがかっこいいのよ。
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//[Body]
行きつけの酒場の店主は、止まり木でたまたま隣り合わせた人に僕を紹介するとき「お酒の名前をまったく覚えないのにレビューはいちいち的確な人」と評することがある。
僕は肩書きを持たず、説明して容易に理解してもらえるような職業を持っていない ── ために6年ほども付き合いのある彼にとっても適切な紹介の糸口がさほどないのだろう。
余談だが、これは僕の数少ない自慢のひとつだ。
僕は誰に与せず、目立った組織に属さず、肩書きを持たず、首輪を付けられてもいない。
僕は僕でしかなく、それを分かりやすく適切に表現する言葉が(「無職」とか「猫」などを除いて)ない。
>>>
自覚はある。
僕は自分の認識が、記憶によって過剰なフィルタリングの影響を受けるのを嫌う。
価値観が記憶によって形成される以上、認識は価値観の影響を受ける。
端的にお酒でいえば、あるとき美味しいと思ったお酒があるとする。
そのお酒の名を覚える。場合によってはその歴史や背景まで覚える。
自分の嗜好に合うものが対象だから、それは普遍的な反応とさえいえる。
一般には学習と呼ばれる行為であり現象だ。
人はそれでそのお酒を知ったつもりになる。
再び機会があれば、同じお酒を飲むようになる。
名前を知ったことで他者と情報を共有できるから、店で頼むことも可能になる。
同じ酒を知る人がいればその素晴らしさを語り合い、価値観の共有によって親密さを醸成することができるだろう。
その酒を知らない人がいればその素晴らしさを語り、話題や情報を提供する喜びを得るだろう ── その一切が相手の口に合うかどうかを考慮しなければ。
そして最初の喜びや、深く味わったことを忘れてしまう。
自分はその美味しさを知っているという慢心が、しかし感覚を鈍らせる。
否定する人もいるだろうが、お酒もまたイキモノだ。
保管状態によってももちろん、開封から最後の一滴を注ぐまでの間に少しずつ、味と香りを変化させてゆく。
知っているという油断があれば、だから「いつもと同じ○○というお酒の味だ」ということでアップデートされてゆく。そして情報は固着し、一方で対象物の揺らぎを無視するためにかえってその輪郭が曖昧になってゆく。
その人自身にとっては、よく知った馴染みのある酒であり味である、ということになる。
よって当初からの情報を力説することになる。
>>>
以前好んで使っていためんつゆがある。
1Lで千円近くもしたのだが、最初に ── 会社のパートさんに教えてもらって ── 味わったとき、その香りと味にたいそう衝撃を受けて以来、使うようになったのだ。
次第にその商品は人気商品になったようで、いたるところで見るようになり、価格もずいぶん下がった。
そしてふと気付くと化学調味料のような、乾いた味わいと糖分の甘みが目立つようになっていて、以来買わなくなった。
>>>
お酒にも流行があって、今もってジャパニーズウィスキィなどは無駄に高価なものも多い。
かつてはワイン、クラフトビール、日本酒、焼酎、などが同じ波にさらされてきた。
多くは増産が間に合わず、末端で価格が高騰した。
メーカは基本的に定価をつり上げたりはしないので、いわゆる転売的な行為が横行するわけだ。
バブルの頃なら増産体制を整えることもあったようだが、流行が終われば致命的な傷跡だけが残る。
そうまでせずとも、流通が増えたことで(一概に粗製濫造などと非難するつもりはないが)味が落ちたと感じるものも増えた。
日本酒などではグレードごとに付けられる名前を増やすことで「同じ名前なのにひとつグレードが下」という商品も増えた(たとえば「久保田」がそれにあたり、焼酎にもいくつかの銘柄でそうしたものがある)し、ブレンデッドウィスキィならベースの配合が目立たない程度に変えられ、あるいはアルコール度数が43度基準から40度に変更された輸入品も多い。
僕は20代の頃から日本酒が好きだったので、先のそれには大層落胆した。
今までと同じ名前のお酒を飲んで、目立たない程度に、しかし明らかに、それは知っていたはずのお酒ではなかった。
そして名前を覚えることをやめた。
そんなものは、名前を覚えて躍起になって入手しようとする連中に任せておけばいい。
流行のものには目もくれず、自分の好きなものが流行ってしまったら、名もなき新たな銘酒を探すしかない。
>>>
言いたいことは伝わるだろう。
名を捨てて実を取るか、名を取って偽りの実に騙されるか。
一挙両得の理想は、この世知辛い経済至上主義社会にあって、なかなか叶わない。
エンジニアリングの原則に基づいて、僕は「無銘でも手間を掛けて作られたお酒」を見抜く方法を考えた。
瓶とラベルとキャップの作りを見るのだ。
自分が精魂込めて「これこそは」と造ったお酒なら、相応に素晴らしい外観を与えたくなるのが作り手というものだ。
瓶はハンドメイドかマシンメイドか。
ラベルに家紋をはじめとする紋章があるか。
刻印は印刷か瓶の形成かゴム印か。
リボンや帯の有無はどうか。
フォントや配置やカラーリングは美しいか。
キャップはコルクか樹脂か。
etc.,etc...
最近でこそ Apple の真似をしたかのような華美なパッケージの家電品なども(特にアジア大陸からの輸入品に顕著に)増えたが、息を呑むほど優れた製品は、見蕩れるようなパッケージに勿体ぶった装飾を纏い、傷ひとつ付けないように保護され、洗練されたマニュアルや付属品が同封されている。
僕はこの方式でお酒を選ぶことを「ジャケ買い」と呼んでいるが、今のところ失敗がない。
そして実のところ人間に対しても同じ価値観で相対している、という話はまたいずれ。
行きつけの酒場の店主は、止まり木でたまたま隣り合わせた人に僕を紹介するとき「お酒の名前をまったく覚えないのにレビューはいちいち的確な人」と評することがある。
僕は肩書きを持たず、説明して容易に理解してもらえるような職業を持っていない ── ために6年ほども付き合いのある彼にとっても適切な紹介の糸口がさほどないのだろう。
余談だが、これは僕の数少ない自慢のひとつだ。
僕は誰に与せず、目立った組織に属さず、肩書きを持たず、首輪を付けられてもいない。
僕は僕でしかなく、それを分かりやすく適切に表現する言葉が(「無職」とか「猫」などを除いて)ない。
>>>
自覚はある。
僕は自分の認識が、記憶によって過剰なフィルタリングの影響を受けるのを嫌う。
価値観が記憶によって形成される以上、認識は価値観の影響を受ける。
端的にお酒でいえば、あるとき美味しいと思ったお酒があるとする。
そのお酒の名を覚える。場合によってはその歴史や背景まで覚える。
自分の嗜好に合うものが対象だから、それは普遍的な反応とさえいえる。
一般には学習と呼ばれる行為であり現象だ。
人はそれでそのお酒を知ったつもりになる。
再び機会があれば、同じお酒を飲むようになる。
名前を知ったことで他者と情報を共有できるから、店で頼むことも可能になる。
同じ酒を知る人がいればその素晴らしさを語り合い、価値観の共有によって親密さを醸成することができるだろう。
その酒を知らない人がいればその素晴らしさを語り、話題や情報を提供する喜びを得るだろう ── その一切が相手の口に合うかどうかを考慮しなければ。
そして最初の喜びや、深く味わったことを忘れてしまう。
自分はその美味しさを知っているという慢心が、しかし感覚を鈍らせる。
否定する人もいるだろうが、お酒もまたイキモノだ。
保管状態によってももちろん、開封から最後の一滴を注ぐまでの間に少しずつ、味と香りを変化させてゆく。
知っているという油断があれば、だから「いつもと同じ○○というお酒の味だ」ということでアップデートされてゆく。そして情報は固着し、一方で対象物の揺らぎを無視するためにかえってその輪郭が曖昧になってゆく。
その人自身にとっては、よく知った馴染みのある酒であり味である、ということになる。
よって当初からの情報を力説することになる。
>>>
以前好んで使っていためんつゆがある。
1Lで千円近くもしたのだが、最初に ── 会社のパートさんに教えてもらって ── 味わったとき、その香りと味にたいそう衝撃を受けて以来、使うようになったのだ。
次第にその商品は人気商品になったようで、いたるところで見るようになり、価格もずいぶん下がった。
そしてふと気付くと化学調味料のような、乾いた味わいと糖分の甘みが目立つようになっていて、以来買わなくなった。
>>>
お酒にも流行があって、今もってジャパニーズウィスキィなどは無駄に高価なものも多い。
かつてはワイン、クラフトビール、日本酒、焼酎、などが同じ波にさらされてきた。
多くは増産が間に合わず、末端で価格が高騰した。
メーカは基本的に定価をつり上げたりはしないので、いわゆる転売的な行為が横行するわけだ。
バブルの頃なら増産体制を整えることもあったようだが、流行が終われば致命的な傷跡だけが残る。
そうまでせずとも、流通が増えたことで(一概に粗製濫造などと非難するつもりはないが)味が落ちたと感じるものも増えた。
日本酒などではグレードごとに付けられる名前を増やすことで「同じ名前なのにひとつグレードが下」という商品も増えた(たとえば「久保田」がそれにあたり、焼酎にもいくつかの銘柄でそうしたものがある)し、ブレンデッドウィスキィならベースの配合が目立たない程度に変えられ、あるいはアルコール度数が43度基準から40度に変更された輸入品も多い。
僕は20代の頃から日本酒が好きだったので、先のそれには大層落胆した。
今までと同じ名前のお酒を飲んで、目立たない程度に、しかし明らかに、それは知っていたはずのお酒ではなかった。
そして名前を覚えることをやめた。
そんなものは、名前を覚えて躍起になって入手しようとする連中に任せておけばいい。
流行のものには目もくれず、自分の好きなものが流行ってしまったら、名もなき新たな銘酒を探すしかない。
>>>
言いたいことは伝わるだろう。
名を捨てて実を取るか、名を取って偽りの実に騙されるか。
一挙両得の理想は、この世知辛い経済至上主義社会にあって、なかなか叶わない。
エンジニアリングの原則に基づいて、僕は「無銘でも手間を掛けて作られたお酒」を見抜く方法を考えた。
瓶とラベルとキャップの作りを見るのだ。
自分が精魂込めて「これこそは」と造ったお酒なら、相応に素晴らしい外観を与えたくなるのが作り手というものだ。
瓶はハンドメイドかマシンメイドか。
ラベルに家紋をはじめとする紋章があるか。
刻印は印刷か瓶の形成かゴム印か。
リボンや帯の有無はどうか。
フォントや配置やカラーリングは美しいか。
キャップはコルクか樹脂か。
etc.,etc...
最近でこそ Apple の真似をしたかのような華美なパッケージの家電品なども(特にアジア大陸からの輸入品に顕著に)増えたが、息を呑むほど優れた製品は、見蕩れるようなパッケージに勿体ぶった装飾を纏い、傷ひとつ付けないように保護され、洗練されたマニュアルや付属品が同封されている。
僕はこの方式でお酒を選ぶことを「ジャケ買い」と呼んでいるが、今のところ失敗がない。
そして実のところ人間に対しても同じ価値観で相対している、という話はまたいずれ。
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::蘊蓄垂れ流して講釈ぶちながら飲む人って面倒くさいよね。やたらにベルギービールを持ち上げて日本のドライビールを否定する輩とかね。こういう社会人二年目にありがちな症状を社二病というぞ! なんで僕たち男の子は聞かれてもない蘊蓄を語りたくなってしまうんでしょうね……。しょうがないね、それが男子流のマウンティングだから。
::蘊蓄垂れ流して講釈ぶちながら飲む人って面倒くさいよね。やたらにベルギービールを持ち上げて日本のドライビールを否定する輩とかね。こういう社会人二年目にありがちな症状を社二病というぞ! なんで僕たち男の子は聞かれてもない蘊蓄を語りたくなってしまうんでしょうね……。しょうがないね、それが男子流のマウンティングだから。
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「やはり俺の青春ラブコメは間違っている 第12巻」
(著作:渡 航 / 発行:小学館(ガガガ文庫))
(著作:渡 航 / 発行:小学館(ガガガ文庫))
によりました。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Ecology-Engineering-Interface-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
-Condencer-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
[Object]
-Human-Night-Poison-
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[Cat-Ego-Lies]
:夢見の猫の額の奥に。:君は首輪で繋がれて。:
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