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お酒とお金と自意識にまつわるいくつかの分析結果。
 
Written by BlueCat

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 昨晩、近所で贔屓にしてもらっている(しているのではない)飲食店に行く。
 たまたま同席していたボーイエンガールに連れられて、太田市内のカジュアルなバーへ行き、朝方帰る。

 以下雑感。

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【自身にそうした記憶がないわけではないが20代の頃の自意識って痛々しい】

 特に誰かに見せるための自分を演出して演じて、それが総じて本人の自負しているレベルにまったく到達しておらず、にもかかわらず自身だけはその自分を信じている場合は。

 たとえば「自分は完璧です」とか「天才です」と自分だけが語っている場合。かつ周囲の人は普通に接している場合。
 完璧な人間 ── が仮にいたとして、それ ── が周囲にただただ自身より劣る他人を配するとは思えない。

 完璧な人間にとって凡俗な他者は邪魔な障害か、せいぜい不完全な機能を提供する愚劣な道具にしか思えないだろう。
 天才も同様、平凡で退屈な集合との間に満足しうるだけのコミュニケーションを持てず、嫌気が差すだろうと思う。
 だから周囲に他人を配するわりに「完璧だ」などと自身をして嘯くような人間は、寂しさを埋める糧に他人を利用するにも関わらず、自覚しないどころか他人すべてを見下している、ずいぶんと情けない人間なのだろうと想像する。


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 でも若いうちは仕方ないのかもしれない。
 根拠のない自信は清々しいものだ。
 それに根拠のある自信だっていずれ衰えてしまうから、時代遅れになった自分自身の、衰えた精神を支える寄る辺にしかならないとしたら、そもそも自信なんてない方がいい。
 だから僕は「自分に自信なんてありません」ときっぱり自身の弱さを宣言できる人が好きである。

 その人の存在の価値なんて誰にも分からないけれど、その正直さは絶対的な美徳だ。
 必死になって自身のアイデンティティを捏造するくらいなら、空っぽの自分の虚ろさを嘆いて涙しちゃうくらいのほうがかっこいいと思う。
 何もなくていいし、何もない方がかっこいい。

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【奢るとか奢られるとかについて】

 webでも最近、流行っていたようで。
 男が奢れだのなんだのという、よく分からない価値観。

 もちろんガールがファッションやメイクなどにお金を掛けているというのは事実だろうし、できるなら事実であって欲しい。
 僕などは整形もメイクもしないしファッションもテキトーなので外見にはろくにお金が掛かっていないが、外観に気を遣ってお金を掛けているボーイズがいるのも事実だろう。
 そうなると外見について見えない部分に掛かっているコストについては、一概に性別でどうだ、というものでもないように感じる。

 個人的には「より持っている方が払う」というのでいいと思うし、だいたい同じだったり、互いの経済力がよく分からない場合は割り勘や個別会計でもいいだろう。
(たとえば僕は貧しいことが多かったので、恋人に奢ってもらうことは普通だった。だからといって恋人にお金を使いたくないということではない。お金なんて必要とされるぶんをその場にいる誰か ── ひとりだろうと全員だろうと ── が払えるならそれ良いと思うのだ)
 とにかくお金にまつわることで「フェア」というものを過剰に意識する人間というのは、そもそも物事の価値基準が不安定なのだろうと想像する。

 そもそも人間関係なんて不条理で定量的な観測が不可能なものだ。
 そこに厳然と数値化されている経済を持ち込んで、正しさや公平さを論じること自体がナンセンスなのだが、世俗でお金にまみれてしまうと、人はそういうことにまでアタマが働かなくなるのかもしれない。

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【過ごす時間の価値と価格】

 しつこいくらい書いているが、人間はモノやサービスによって過ごせる時間の価値を自身の主観で感じて決定することができる(価格ではなく価値、である)。
 自身で決定したその価値が、相手やモノに設定された価格より高いなら交換すれば良い。
 お金を使うというのは、たったそれだけのことである。
 そしてこういう使い方をしている限り、たとえ貧しくても損はしない。

 たとえば何かを使ったり所有していることで有意義な時間を過ごせる場合、それによって生み出せる時間/経済/精神/肉体効果が売値より高いと自分が感じるなら、それを買えばいい。
 くれぐれも「値引きされている」とか「他の誰かがうらやましがる」とか、そんな基準で選ばないことだ。

 おなじく誰かと過ごしている時間が愉しい(あるいはそうなると予測される)場合、それによって過ごせる時間/経済/精神/肉体効果に価値を感じ、それを自分(もしくは自分以外の誰か)が払いたいだけ払えばいい。
 嫌なら払わなければいいし、そもそもそんな場所から早々に去るべきだろう(僕ならそもそも参加しないが)。
 くれぐれも人間は値引きされたりしないし、誰かが関係性をうらやむこともないと思っておいた方がいい。
 なぜならそんな風に思うようになった人間は、少し別のナニカになっているからだ。

 僕なら恋人とデートして愉しかったら支払いはしたいと思うし、相手からも「お金を払ってもいいからまたデートしたい」と思って貰えるようにしたいとは思う。

 だから「奢りか割り勘か」問題を見るたび「みんな必死に他人を値踏みしているけれど、自分にそんなに価値があると思っているのだろうか」と疑問に思う。
 また同時に、支払いが気になるくらいなら、そもそも一緒に過ごさなければいいのに、と思う。

 お金が掛からなくても時間は掛かるので、退屈な、あるいは嫌な思いをするくらいなら、ヴァーチャルで遊んでいればいい。
 SNSで「みんなと楽しく騒いでいる私サイコー」とかいう風景を、ひとりで捏造するのも楽しいだろう。そんなものは普段からしているのかもしれないが。
 少なくとも他人が自分を楽しませてくれるものだと思い上がっているような人間は、地獄に堕ちろ(本年最初の呪詛)。

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【裕福でも貧しくても、お金に拘束されている人間は多い】

 昨今の僕は仮想奥様に飼われている猫としての手腕を遺憾なく発揮しており、裕福である。
「割り勘にします?」みたいなムードになると「それでは支払いは私が」なんて平気でしようとして周囲に止められたりする。

 お金に執着がないというのはときどき、自分の見定めた価値が理解されないようだ。
 僕にとっては過ごした時間に価値があればそれで支払う理由になるのだけれど、そうでもない人はいて、そういう人が存外多いということだろうと想像する。

 なので一緒に過ごした時間が相応に楽しかったという理由で(もちろん説明などしないが)支払いをしてしまうと、ときどき大袈裟なくらいお礼を言われたり「ステキ」「カッコイイ」「抱いて!」などと褒められるときがある(褒められてるの?)が、正直に言うとそれは鬱陶しいし煩わしい。
 たとえばスーパーでトイレットペーパーを買って「3倍巻きを買うなんてお目が高い!」とか「香り付き、いいですよね!」とか「ダブルエンボス加工をお買い上げになるなんて裕福でらっしゃるのですね!」なんて店員さんから褒めそやされたら、二度とその店には行かないだろうと思う。

 価値を感じる。お金を払う。ありがとうございます。こちらこそ、ありがとうございます。
 それだけでいいんじゃないかなぁ、って思うのだ。
 誰かに奢って貰えたときは、それだけの時間を共有できたんだなぁ、嬉しいなぁ、というのでいいんじゃないかなぁ。
 そして同じような嬉しい気持ちを、誰かにしてもらいたいなぁ、と思っていいんじゃないかなぁ。
 もちろんそれが、今奢ってくれた人に対して、であれば何より素敵だと思うのだけれど。

 なんだか、おカネおカネ、出す出す、なんて言っているのは下品だと思うのです。

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 ところでかつての恋人に「金ヅルにしちゃうぞ♡」とか「ヒモにしてもらってもいいけれど」と言ったら、ものすごく距離を置かれたことがある。
 これも多分、僕のお金に対する価値観がまるで伝わっていなかったために発生したことだろうと思う。

 お金があるだけで幸せになれる人間なんてそもそもいなくて、僕はお金より時間、時間より自由に価値を見出すのではある。
 だから僕は今、自由で ── 自由であるために ── とても幸せである。
 生きることに怯えず、死ぬことを諦めないでいられるのは、実に素晴らしいと思う。
 毎日、何度でも噛み締めたいくらいだ ── 実際に噛み締めている。

 物価が高いので、食事はよく噛んで味わっているけれど。
 本当の自由の味を、同じように満喫している。

 それは養殖魚のような、肥えて豊かで滋味深いものではない。
 痩せて固くて微かなものだ。
 生きるために生きている者の味は、誰かの腹を肥やすために太らされたような、分かりやすく脂の乗った味をしていない。

 だから生きるために生きるという自由の味は、痩せて微かで筋張っている。

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【お酒を愉しむためのささやかなアドバイス】

 どの店にも置いてあるようなありふれたお酒があって、そんなものを飲みたいなら、そのへんで買って自宅で飲んだ方がいいと思う。
 外でお酒を飲むなら、そこでしか飲めないお酒を、適正な料金で飲めるのが理想のように思う。

 おそらく楽しさや美味しさや、あるいは酔うことそのものさえよく理解していない人間が、酔客として歓楽街を往来しているのだろう。

 ただ酔えばいいのなら自宅でエチルアルコールを飲んでも酔える。
 楽しさは自分で作ってしまえば、さほどお金を掛けずにすむ。
 寂しさを嫌って紛らわせようとすると、たいてい後悔や自己嫌悪が残る。

 これらは経験ではないけれど、計算で導くことの出来る簡単な結論です。

 自分以外の何かを使って寂しさを埋めたり、楽しさを錯覚したりというのは、そこで使うのが他人だろうとお酒だろうとお金だろうと、結局自分が無力で矮小だと思い知らされるだけのように思えます。

 なので高いお酒を(ことさら余計に高いお金を払って)味も香りも色も見えないような場所でワーキャー騒いで飲むのも愚かしい。
 その店でしか飲めないお酒(できれば稀少な、しかし適正価格のもの)を、そっと包み込むように味わって、その味わいの記憶を泥酔や罵詈雑言などで上塗りしないように、早めに帰って眠るほうがいい。
 ほら、はじめて仔猫を拾った日のようにそっと。でも少し急いで。

 お外でお酒を飲むことに関する、僕なりのアドバイスです。






 

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[NEXUS]
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[Engineer]
  :青猫:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Link-Mechanics-Moon-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Night-Poison-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :おこと教室:君は首輪で繋がれて:ひとになったゆめをみる:Webストリートを見おろして:
 
 
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