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TITLE:
雪の日に思うこと。
SUBTITLE:
~ Snowy Day. ~
Written by BlueCat
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230210
予報どおり、朝から雪。
燃えるゴミの日なので、昨日シュレッドした枝葉を含めゴミ捨てを済ませ、通販の宅配便をいくつか受け取る。
最近、飲酒をしているためか、朝は空腹を感じない。
昨晩から火鉢に火を入れ、玄関先の小間に気休め程度の暖を与えている。
もっとも先日の記録的な寒さで慣れたのか、怠けきっていた筋肉が再び身体を支えるようになったからか、それとも服装がアップグレードでもしたか(していない)10℃程度の気温なら、寒さを感じなくなった。
歯の治療によるダメージが一段落してきたので、少しずつ負荷を上げてきた。
もっとも一般の人が思っているようなハードなトレーニングを僕はまったくしない。
夏でさえ、多少汗をかいた程度で身体を休めるし、息が上がるあたりで休憩する。
激しい筋肉痛になるような負荷を与えてしまったときは、むしろ失敗したと後悔する。
数年前に自覚したのだが、筋肉痛も炎症の一種であるため、他の部位の免疫反応が低下して体調を崩しやすくなるためだ。
旧来の情報しか知らない人は、筋細胞が断裂しないと強化されない、と思っているようだけれど、そこまでしなくても筋細胞は強化されることが証明されている。
さほどでもない負荷で、すぐに疲労が回復する程度の運動を何度か繰り返せばそれでよい。
それでもきちんと筋肉は付くし、膝が胸に付く邪魔をしていた下腹部の脂肪も減ってきた。
想像以上に庭作業が進展している、というわけではないのだが、それなりの進捗なので庭仕事はお休み。
確定申告のための事務処理か役所仕事をしようと思っていたが、雪のこともあるから今日は休暇を取ろうと思う。
(誰だいつも休みだろうと言ったのは。専業主夫は忙しいのだ、とくに独身のタイプのそれは)
>>>
これは恥ずかしながら昔話なのだが、雪といえば、損保の仕事をしていた頃のことを思い出す。
雪の予報のあった日、予報もなく雪が降り始めた日、僕の中に生まれるちょっとした熱情と緊張のこと。
自己所有の自動車に冬用タイヤを購入する財力もなかったのに、事故があると度々、現場に出向く必要があった。
相応に緊張を要する場面である。
が、それはやりがいを感じるものでもあった。
過日の「TRIGUN STAMPEDE」におけるナイヴズの台詞ではないが、誰かをこれ見よがしに助けて、感謝されるのは気持ちがいいのだ。
孤独も癒やされるし、自分が生きている価値を、少なくともそのときは感じられる。
不謹慎だが、だから、保険商品を誰かに買ってもらうときよりも、その保険商品が実際に役立つ場面 ── つまりそれは誰かにとってのトラブルであったり、不幸であったりする ── のほうが、あからさまにやる気になるのだった。
先払い式友達料のようなものだ。
もちろん保険会社というのは、サービスだけでなく実際の金銭的賠償もしてくれるわけだから、一般的な友達よりは役立つものだろうと想像する(もちろん、どの程度「友達扱い」してくれるかは、窓口によるが)。
>>>
そうした役割から離れることは、僕の自身に対する存在価値をそれなりに低下させた。
今の僕は誰の役にも立たず、立とうとさえしていない。
独立しているといえば聞こえはいいが、単に社会から孤立していると考えられなくもない。
けれどもこれは、僕が望んだことであり、またその望みが叶った状態である。
そうして実に「誰かの役に立ちたい」という健全な欲を一度手放してしまえば、自分自身の価値がどれほど低かろうと、自身を愛でて存続させることに意味を見出すことは可能で、その上、最低まで下がった自分の価値に関係なく誰かが自分を頼ってくれている(つまりは小さなコミュニティの役に立っている)ことを実感する。
たとえば僕がいることで、姉は通院や入院の介助を(およそ無料で)受けることが可能になる。
たとえば僕がいることで、妹は煩雑にして高額な金銭処理のことを意識せずにいられる。
(毎月、妹名義だけで1milを超える金額が右から左に通過する。そして妹は高額な金銭を恐怖している)
たとえば僕がいることで、TUやBP(いずれも旧い友人です)は退屈しないし、場合によっては役立つこともあるだろう。
役に立たなくていいし、生きているだけで価値があるのだと、あるいは周囲の人は、必死になって僕に教えてくれようとしていたのかもしれない。あるいは両親も、姉妹も、友人も。
けれども僕は聞く耳を持たなかった。
僕は誰かの役に立ったと自覚し、誰かから感謝されて初めて「誰かの役に立ったと言える」と思っていた。
そしておそらくそれは正しいのだ。
けれども絶対的に、一番正しい必要などないのだと、最近の僕は知った。
正しさには順番というかレベルがある。
中央線で区切られて、あちらが間違いでこちらが正しい、というものではないと僕は思っている。ずっとそう思っていたのに確証がなかった。
一般的に考えてどうしようもなく正しいというところに始まり、個人的には正しいけれど一般的には間違っているかもしれない、とか、一般的には間違っているけれど個人的かつ特定の状況では正しいかもしれない、とか、そういう二次元以上の要素で構成されている。
0次元的な「ある/なし」ではなく、1次元的な「絶対正しい<絶対間違い」のスペクトルでもなく。
そして正しさなんて、結局自分で好きなように決めてよいのだと、現時点では結論している。
もしも自分の持つ「正しさ」が一般的なそれから著しく逸脱し、社会に害を為すとなればそれは問題で、自己修正が必要だけれど、齢四十も過ぎればそんなものは身に付いている。
きっともっと早く身に付く人もいるだろうし、あるいは年齢と共に忘れてしまう人もいるだろう。
右を見ても左を向いても「正しさ」の論争はきりなく続いている。
今の時代はことさら厄介だろうと想像する。
個人の権利と社会の合理と集団の倫理は完全に一致しない。
正しさを、どの地点から、どの基準で測るかによって、それは変化してしまう。
それに誰だって、自分の正しさを手放すことはむつかしいだろう。
僕だってむつかしかった(だから「太田市の高田純次さんになる」と宣言してきた)。
それに正しさを手放すことは、正しいとか間違っているという基準で測ることのできない行為だから、誰かに勧めたりするものではないし、これ見よがしに誇示するものでもない(パンツを見せても正しさは隠すのだ)。
僕の場合はたまたま一度手放す必要があって、それによって正しさを見つめ直す機会ができたというだけのことだ。
恋愛のように個人的な、それは経験だった(なんかいろいろ台無しな記述もあるが)。
>>>
雪は元々好きである。
語彙も少なかったあの頃。
初めて雪を、見たとき言葉にならなかった。
その恋に落ちるような気持ちを、僕は忘れていない。
僕は抽象的な思考や感覚を今でも大切に持ち続けている。
その情緒性を馬鹿にする人もいたが、いやなに、これによって僕は生きているのだと思う。
それこそが僕なのだろうと。
人間の信じているものなんて、この程度のことだから、もっと自由にしていればいいと。
積もってゆく雪が囁く ── 何もかもを白く染めながら。
予報どおり、朝から雪。
燃えるゴミの日なので、昨日シュレッドした枝葉を含めゴミ捨てを済ませ、通販の宅配便をいくつか受け取る。
最近、飲酒をしているためか、朝は空腹を感じない。
昨晩から火鉢に火を入れ、玄関先の小間に気休め程度の暖を与えている。
もっとも先日の記録的な寒さで慣れたのか、怠けきっていた筋肉が再び身体を支えるようになったからか、それとも服装がアップグレードでもしたか(していない)10℃程度の気温なら、寒さを感じなくなった。
歯の治療によるダメージが一段落してきたので、少しずつ負荷を上げてきた。
もっとも一般の人が思っているようなハードなトレーニングを僕はまったくしない。
夏でさえ、多少汗をかいた程度で身体を休めるし、息が上がるあたりで休憩する。
激しい筋肉痛になるような負荷を与えてしまったときは、むしろ失敗したと後悔する。
数年前に自覚したのだが、筋肉痛も炎症の一種であるため、他の部位の免疫反応が低下して体調を崩しやすくなるためだ。
旧来の情報しか知らない人は、筋細胞が断裂しないと強化されない、と思っているようだけれど、そこまでしなくても筋細胞は強化されることが証明されている。
さほどでもない負荷で、すぐに疲労が回復する程度の運動を何度か繰り返せばそれでよい。
それでもきちんと筋肉は付くし、膝が胸に付く邪魔をしていた下腹部の脂肪も減ってきた。
想像以上に庭作業が進展している、というわけではないのだが、それなりの進捗なので庭仕事はお休み。
確定申告のための事務処理か役所仕事をしようと思っていたが、雪のこともあるから今日は休暇を取ろうと思う。
(誰だいつも休みだろうと言ったのは。専業主夫は忙しいのだ、とくに独身のタイプのそれは)
>>>
これは恥ずかしながら昔話なのだが、雪といえば、損保の仕事をしていた頃のことを思い出す。
雪の予報のあった日、予報もなく雪が降り始めた日、僕の中に生まれるちょっとした熱情と緊張のこと。
自己所有の自動車に冬用タイヤを購入する財力もなかったのに、事故があると度々、現場に出向く必要があった。
相応に緊張を要する場面である。
が、それはやりがいを感じるものでもあった。
過日の「TRIGUN STAMPEDE」におけるナイヴズの台詞ではないが、誰かをこれ見よがしに助けて、感謝されるのは気持ちがいいのだ。
孤独も癒やされるし、自分が生きている価値を、少なくともそのときは感じられる。
不謹慎だが、だから、保険商品を誰かに買ってもらうときよりも、その保険商品が実際に役立つ場面 ── つまりそれは誰かにとってのトラブルであったり、不幸であったりする ── のほうが、あからさまにやる気になるのだった。
先払い式友達料のようなものだ。
もちろん保険会社というのは、サービスだけでなく実際の金銭的賠償もしてくれるわけだから、一般的な友達よりは役立つものだろうと想像する(もちろん、どの程度「友達扱い」してくれるかは、窓口によるが)。
>>>
そうした役割から離れることは、僕の自身に対する存在価値をそれなりに低下させた。
今の僕は誰の役にも立たず、立とうとさえしていない。
独立しているといえば聞こえはいいが、単に社会から孤立していると考えられなくもない。
けれどもこれは、僕が望んだことであり、またその望みが叶った状態である。
そうして実に「誰かの役に立ちたい」という健全な欲を一度手放してしまえば、自分自身の価値がどれほど低かろうと、自身を愛でて存続させることに意味を見出すことは可能で、その上、最低まで下がった自分の価値に関係なく誰かが自分を頼ってくれている(つまりは小さなコミュニティの役に立っている)ことを実感する。
たとえば僕がいることで、姉は通院や入院の介助を(およそ無料で)受けることが可能になる。
たとえば僕がいることで、妹は煩雑にして高額な金銭処理のことを意識せずにいられる。
(毎月、妹名義だけで1milを超える金額が右から左に通過する。そして妹は高額な金銭を恐怖している)
たとえば僕がいることで、TUやBP(いずれも旧い友人です)は退屈しないし、場合によっては役立つこともあるだろう。
役に立たなくていいし、生きているだけで価値があるのだと、あるいは周囲の人は、必死になって僕に教えてくれようとしていたのかもしれない。あるいは両親も、姉妹も、友人も。
けれども僕は聞く耳を持たなかった。
僕は誰かの役に立ったと自覚し、誰かから感謝されて初めて「誰かの役に立ったと言える」と思っていた。
そしておそらくそれは正しいのだ。
けれども絶対的に、一番正しい必要などないのだと、最近の僕は知った。
正しさには順番というかレベルがある。
中央線で区切られて、あちらが間違いでこちらが正しい、というものではないと僕は思っている。ずっとそう思っていたのに確証がなかった。
一般的に考えてどうしようもなく正しいというところに始まり、個人的には正しいけれど一般的には間違っているかもしれない、とか、一般的には間違っているけれど個人的かつ特定の状況では正しいかもしれない、とか、そういう二次元以上の要素で構成されている。
0次元的な「ある/なし」ではなく、1次元的な「絶対正しい<絶対間違い」のスペクトルでもなく。
そして正しさなんて、結局自分で好きなように決めてよいのだと、現時点では結論している。
もしも自分の持つ「正しさ」が一般的なそれから著しく逸脱し、社会に害を為すとなればそれは問題で、自己修正が必要だけれど、齢四十も過ぎればそんなものは身に付いている。
きっともっと早く身に付く人もいるだろうし、あるいは年齢と共に忘れてしまう人もいるだろう。
右を見ても左を向いても「正しさ」の論争はきりなく続いている。
今の時代はことさら厄介だろうと想像する。
個人の権利と社会の合理と集団の倫理は完全に一致しない。
正しさを、どの地点から、どの基準で測るかによって、それは変化してしまう。
それに誰だって、自分の正しさを手放すことはむつかしいだろう。
僕だってむつかしかった(だから「太田市の高田純次さんになる」と宣言してきた)。
それに正しさを手放すことは、正しいとか間違っているという基準で測ることのできない行為だから、誰かに勧めたりするものではないし、これ見よがしに誇示するものでもない(パンツを見せても正しさは隠すのだ)。
僕の場合はたまたま一度手放す必要があって、それによって正しさを見つめ直す機会ができたというだけのことだ。
恋愛のように個人的な、それは経験だった(なんかいろいろ台無しな記述もあるが)。
>>>
雪は元々好きである。
語彙も少なかったあの頃。
初めて雪を、見たとき言葉にならなかった。
その恋に落ちるような気持ちを、僕は忘れていない。
僕は抽象的な思考や感覚を今でも大切に持ち続けている。
その情緒性を馬鹿にする人もいたが、いやなに、これによって僕は生きているのだと思う。
それこそが僕なのだろうと。
人間の信じているものなんて、この程度のことだから、もっと自由にしていればいいと。
積もってゆく雪が囁く ── 何もかもを白く染めながら。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:青猫:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Color-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Link-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Season-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Reactor-
[Object]
-Friend-Garden-Human-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
:暗闇エトランジェ:ひとになったゆめをみる:ひなたぼっこ:夢見の猫の額の奥に:
//EOF
