今日のわたし


お昼は
『鹿』


午後は
『タイツ』

夜は
『パーティー』



…て、のがキーワード化した

わたしの
本日の時系列(笑)



神戸元町で
なかよしさんと
ランチデート♪

カレー屋さんに行くはずが
途中の看板に惹かれて

気になる気になる
『鹿』肉料理のお店へ吸い込まれる!

その名も
鹿鳴茶流 入船 さん




■ 鹿シチューランチ  ¥870
(鹿肉のデミグラスシチュー、サラダ、揚げ物、小鉢3種盛り、ご飯、鹿と根菜のミニ煮込み、お漬物)


鹿料理の
オンパレードなメニュー

お味は
しっかりめで
お肉のくさみはなく
おいしくいただいたのですが

わたしたち気に入ったのは

出された“お茶”。

お水ではなくて
温かいお茶を
出されて
おいしい!
って二人とも思って 

お店の人に
何茶か聞いたら
ライチの紅茶で

「鹿肉には鉄分が多く含まれていて

ライチ(のお茶)がその吸収を

助けてくれる役割があるのです。

とのこと。

何とも貧血症の

わたしにピッタリ!

フラりと入ったけど
神戸に行ったら
また夜訪ねたいなあ。

ごちそうさま!して
なかよしさんと別れたあとは

この頃は
わたしにとって
“旧友化”してきた人のひとり

タイツデザイナー
うすいあきこ ちゃん

が関西に来られていたので

彼女のワークショップ
ウキウキと

オリジナル『タイツ』作りに
没頭してきました!

わたしのタイツ!は
また後日
完成作品をあげてみます!

乙女気分になれたよ♪


画像を
(参加者は後ろ姿なので)
お借りしました!

世界にひとつお洒落タイツメイキング講座
@新神戸



そして最後に
大阪梅田に戻り

サカバカバージョンのわたし

先にタイツの講座の予定を
入れていたので

本当は
講師のあこちゃんたちと
ごはんに行きたかったのだけれども

後ろ髪引かれながら

シーズンの終わりに
毎年行われる
ガンバ大阪ゴール裏の

クルヴァ『パーティー』に途中参加!






既にゴール裏の人らが
コール&レスポンス にて
大盛りあがりの中
受付んところで

お腹が減りまくりなわたしは

唐揚げとポテトをむさぼりながら

ビールをゴクゴク!(笑)


今年は日程上

シーズン終わる前の
このパーティーなのだけれど

300超の人で賑わってた!

来年は新スタジアムにて
新たなゴール裏でのストーリーが
始まるのだ。

ガンバ大好き応援歴は
20年を越えたね。







午前
午後


と、それぞれ3様の

大切な繋がりの

友や仲間との時間を

駆け足ながら

楽しく過ごしてきた。


『私』ではなくて

『友』が今日の一文字かも?
(ならば、友やろ!)


そんなわたしの1日でした。



我ながらハードな
1日を楽しんで来た!


みんな

ありがとう♪

『感じる書』アーティスト 石川呼穹



(万博ゴール裏にて旗降るわたし!)





構図
字体
潤渇
余白
濃淡


そして大切な

個性。



お稽古に行きました。
毎日小さい紙に書いているので
今日は半紙に書くことができ
気持ちよかった!






昨年から書き進めている作品に
わたしなりに
何度もトライするも
どうも上手くいかない。

そんなときは
師匠にお手本を書いてもらい
ヒントを戴く。


コツを得られて
わたしの書は生き生きと
紙の上に現れだす。




やっぱり師匠は
師匠です。

↑当たり前でしょう(笑)

お手本書きして頂くとき
その手元に
筆の運びに
終始
うっとりしています。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹









字典をめくっていて

昔々の
文字の始まり頃の
文字の形の面白さを
見つける。


それは

わたしなりのフィーリング。


何かモチーフみたくて
カワイイから

銀色で空白を塗ったのは
ご愛敬(笑)



上下に口のある量器の形に

夊(足)を加えて

反復(くりかえす、往復)の意を

示したものと思われる。

それを往来の意に用いたものが

「復」である。


復帰や返付、返報の意や

すべてもとの状態に回復することの

意でもあり

死者の霊をよび返すことも

「復」という。


甲骨文字。

(白川静著 『字通』より抜粋)




「復」という意味を調べると

“また”とか“ふたたび”という


againの意味もある。





過去を振り返ると

楽しい日々にも
悩ましい日々にも

その時
ちゃんとわたしは幸せであったと
確認できる。

今無事に生きているから。

だから
今気付かない
気付けていない幸せも

また

未来のわたしは
幸せであったと確認できるのだ。

だからわたしは
心に迷いが生じるとき

わたしに伝えてあげる。


今も

また
幸せ。

明日も

また
幸せだよ、と。

『感じる書』アーティスト 石川呼穹









木々を見上げると

そこにはたくさんの

実がなっていた。

その実を採って

かごに入れる。

揺らせば鈴のような

いい音がする。

それを鳴らして

音を楽しむ…

立派に音楽だ。



また

鈴を持って

巫女たちは奏で

歌や踊りを神に捧げるとき

そこでの楽しさまで

天上の神にも

とどく。

巫女たちが神を楽しませる

その姿が形となった説もある。


お祓いの時

神前で

巫女さんに

鈴を鳴らしてもらう。


お参りの際

神社にある大きな鈴を

自ら揺らして鳴らす。


鈴の音に神様は気付いて

祈る私たちを

見守ってくださる。

「楽」
(甲骨文字)



そうそう。

お参りに行くと

気持ちが「楽」になりますよね。


そして

楽しむことで

楽になる。


みんなで楽しむ?

独りを楽しむ?


みんなでも楽しいから

独りも楽しめる。

独りで楽しめないときは

みんなで楽しむ。

わたしもきっと

楽しんでる。

まだまだ

楽しみきれていないかも(笑)




自分を楽しませると

周りも楽しくなるよ。


そして

人生を謳歌しよう。


★今回緑字部分は
TOKYO FM『 感じて、漢字の世界』を
参考に書かせて頂きました。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹








「間」

門の間に

月が昇っているところを

見ているさま。


昔の夜は真っ暗闇。

月明かりが

さぞ美しかったに

違いない。



門中に肉をおいて祀り

安静を祈願する意。



神に祈りを捧げるとき

肉を祀ることは

古代

日常茶飯なことだったのだろう。



さて
あなたなら
どちらの説を採用します?(笑)



ちなみに月ではなく
日と書いている
近代の字は
俗字だそう。


わたしはね

強いて言えば

後者。

血生臭いけど(苦笑)



気易い言い方かも知れないけど

何だかやっぱり

歴史を感じる。


想像力も拙いし

計り知れない状況だけれども。






すべては


安寧のための祝祷。



(以前、わたしの為に描いてくださった のりまえるまサンのイラスト♪)

そのとき

その時代


人と人の間に

あったはずの


愛や

欲望や

夢や

希望や

悲しみや

絶望や

情熱や

願望

のための

and MOREMOREMORE…



↑のように

完全に

文字には成っていなかった

かもしれないが。


飢えや争いが

繰りかえされても



人は人との間で

新たな命を授かる。




未来永劫

命を紡いで

繋いできた上で

現世のわたしたちが

今、此処にいる。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹















長髪の人の形。

氏族の長老を意味する。


長髪は長老の人のみに

許されるもので

長老の象徴とされた。

徴” は長髪の人を撃つ形で

字の中央は挺立する長髪の人の形。

虜囚となった敵の長老に

懲罰を加えている字形。


挺立(ていりつ)とは
まっすぐ立つこと。
また、他にぬきんでてすぐれていること。

長老の意より長短・長久

優秀の意となる。


「長」

(白川静著 『字統』より)


本人は
至って悠長なひとなのだけれど

最近
何事にも
時間が短く感じる。

仕事場でも
家にいても。

待たされることが
あまり無いからだろうか?



だがしかし

望んでいる
あることに
想いが届かな


そこは長いが
思い返せば
季節は容赦なく
早く過ぎ去っている。

やはり
今のわたしには必要のないことか。








甲骨文字の面白さを
いつか形にしたいと
思っていた。

だから
毎日の一文字でも
しばらく書いてみようと思う。



形にしたいことは

ほかにもある。


そろそろ
小さな規模でも
個展的なことをする。

を、実現させること。




前の展示から

長」い時が経っている。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹







喪に服し、愁う状態が“憂”。

その憂愁に打ち沈む姿を表している。

(白川静著 『字統』参照)



想い悩み、悲しみ、憂いをもった人に

一緒に心配をしている人が

傍で寄り添うさま。

(高橋政己著 『感じの漢字』参照)



そんな成り立ちの

「優」という文字からは

哀しみからではあるが

静けさが感じられる。


美や秀につけて

優美や優秀など

品格をあらわす表現ともなるのは

首をもたげて

足を引きずりながら

歩くさまからという

旁部分の観点からの

しとやかさだろうか








本当の優しさとは?



人それぞれ違う。


また

その時々の立場上や

表現方法も違う。




誰かが

“憂い”を抱えているとき

わたしは

果たして

「優」しい人として

その人の気持ちに

ちゃんと寄り添って

あげれているのかな?


厳しく言うのも

敢えて

言葉にしないのも

有りで


憂いからの

脱却は

本人次第だけれど


あとから

ありがとうって言われたら


きっとそれが

その人にとって

求めていた

「優」しさなのだね。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹












頭禿げても浮気はやまぬ



“三つ子の魂百まで”の
同じような諺を
ネットで調べたら

これが一番の
インパクトだった(笑)

その他はこちらの通りで
同じ“ハゲ”でも

漆剥げても生地は剥げぬ

をはじめ

噛む馬はしまいまで噛む
子供は大人の父親
雀百まで踊り忘れず
病は治るが癖は治らぬ
The leopard cannot change his spots.
(ヒョウは斑点を変えることはできない)

などがある。




今夜久しぶりに
普段は観ない
TVを観て思ったことがあった。


おぎやはぎの愛車遍歴って番組の
ゲストが千葉真一さん
だったんだけど

小6くらいから中学生の頃の
大好きな俳優さんで
当時JACの千葉氏の弟子で
大ブレイクであった
真田広之よりも
ずっとずっと好きだった

その千葉真一氏は
もう今70を裕に越えていらっしゃる。
(尚、息子さんはめちゃイケメンな18歳)

で思った!


あ、今もええわーって(//∇//)

(笑)


声とか話し方とかも。

こんなに
おじぃな年齢なのに
若々しいの!

(笑)

えー、わたくし男性の好みが
かなりの渋好み。

よーく見ると
ジャン・レノ
(↑好き♪)と
目元が似て見えて…

(それ、合ってるかは別?)



思春期から
かなり大人になった
この頃も好みが
変わらへんわ!って思った。



えーっと、

三つ子の魂百までだとしたら

自分が
100歳になったとき
そのくらいの歳上はもう
この世にはとっくにいないね(笑)


『感じる書』アーティスト 石川呼穹






瓢の類で

実が熟して中が油化した状態。

(白川静著 『字通』より引用)




自由の「由」


この文字の解釈

どんどん広がってゆく感が

ユニークだ。




瓢箪(ひさご)って

昔々は

水筒や

酒を容れる

容器として重宝されていた。



漢字の成り立ちの上で

瓢の外殻の形は

酒器を指し

油化した液体(中身)は

油という。


だから

抽や紬は

中のものを引き出す意味をもち


宙や軸は

中が空虚になる意味なのである。



瓢箪の中に在るもの…

そこから

音からだけでなく

「由」のつく文字が

いくつも生まれた。




広がりをみせる

その空間。



自らの広がりを表すのが

自由という

計り知れない空間であると


わたしは感じる。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹
















卜辞に犬牲を用いることが多く

天神を祀るには焼き

地神を祀るには犬牲を埋めた。

「然」

(白川静著 『字通』より引用)


「然」は

肉を表す月と犬と
火を表す部首の四つ点(レンガ)で
成り立っている。

犬の肉が
焼かれて脂が焦げて
その煙や匂いが
空に立ち昇っていく。

天然自然が
然るべく在るよう
天の神に向けて捧げる儀式が
この一文字に
集約されている。

今は
残酷なことかもしれなくても
それは極々普通のことだった。



当たり前に。

古代
然るべきことは
すべて
天地それぞれの神に
祈りを捧げることからだった。

その方法のひとつを
表すこの字。

natureとは自然の意味。

だけど
自分が
当たり前に
思い感じることも

自然。




(画像中央)

「月」(月の舟)を
求めてくださった方へ
昨日発送しました。


なんだか
“自然に”この作品を
手にしたい。

そう思ってくださったそうです。


なので
ちいさくても
その存在感は
十分に感じていただけるはずと
信じています。


自然に
感じる書。

感じてくださり
ありがとう。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹