人と専とに従う。


専は大きなふくろの中に
ものを入れる形。

これを撃って固めるのを
團(団)といい
またこれを負うて運ぶのを
「傳」という。

「伝」の古義は遠い古代の
刑罰の法に発するもの。

土地の所有に関する
権利関係を示す契約書の文末に
記されていた
棄という言葉からだ。

傳棄とは
ふくろを負うて所払いをする意で
わが国の神話では
スサオウノミコト追放のときに
とられている形式に近い。 

(白川静著 『字通』より)






人と人を介してゆくとき。


ダイレクトに
伝えることも
必要だけれど

人づてとなると
力が増していく。

あれ、よかったよ!

と、シェアをして

それがまた
必要とする人に
伝わればいいなって
思う。

する側であり
そして
される側でも在りたい。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹


英会話の先生と!









何度でも生まれ変われる。

起死も
回生も
生き返ることをいう。

ホームランのような
一発逆転ではない。

浮上するのだ。

例え時間が掛かったとしても

生き返るとき

そのたびに
身も心も
活性化する。

みな
輝き
羽ばたく日が
やってくる。

12月12日
『起死回生』




こうして

日々書いて

その言葉にわたしは

わたしの想いをのせて

日々発する。





感じてくださる方が

いる。


心にそっと

文字ごと触れ

寄り添うわたしの

『感じる書』。






先日

名古屋での

とあるランチ会に出掛けたの。

うん。大阪から(笑)




とっても美味しいフレンチでした。



太陽か月星座が

蠍座さん15サソリが集まった

高木君与さん主宰での

この会

での蠍座あるある!な

キーワードを書いてみた次第。



みんな


蠍座であることを


誇りに感じてる。はず(笑)


愛を感じる。 マジで(笑)




蠍座ならではの

エピソードを持ち寄り

語り合う会なのに


食べなあかんし(これ、大事!笑)


時間が足りないし


思ったほど

自分のネタって

まだ言えなくて
(みなさんのお話聴きたかったし)


この日発足された

サソリ愛の会

で、今後わたしもっと

毒吐く…独白する予定(笑)


そして

またそんな絡みから

感じたコト

書にするーーー!!!



今後とも

『感じる書』をよろしく

お願いいたします。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹

熱田神宮にて↓









乍には

たちまち、また

過ぎゆくものの意がある。



かさねたる日のことを

昨日という。



『昨非今是』

の「昨」には

過去を含めていう。


「昨」

(白川静著『字通』参照)



『昨非今是』さくひこんぜ

今になって
過去の行いが過ちだった
と気づいて悔いること。

「是」は正しいこと
「非」は誤りのことで

今日は正しいが
昨日までは間違っていたという意味から。




そんな日

突然に

来るのかしら…


そんなことは

どんなこと?




間違って
思い込んでいたことが

あ、違ったんだ!

って

悟るってことかしら。



だとしたら
そのことは

目から鱗がぼろぼろ落ちる的な

視界がパッとひらける的な

ことよね…とか思う。


そんな風に
気づく(気づかされる)時もあるけれど


今日のその“正しい”は
昨日までのその
“誤り”のお陰だ。


正しいも間違いもなくて
今までの
経験から

ちょっと目線を変えてみたら
ちょっと新たな気づきが見えて

その積み重ねの
毎日から

昨非今是』な一瞬を

迎えるのだと。



そして悔いる必要は
ないとわたしは思う。


なーんだ
早くそうしとけばよかった!


と、思う時が
その時なのだろうと
思う。

ん?そこで悔いるのか?(苦笑)


まだ
そんな風に
それほど
わたしは
感じられていないかも。

あはっ

ビミョー(苦笑)


『感じる書』アーティスト 石川呼穹





















字の成り立ちとしては


禾と口とに従う。


禾は軍門に立てる標識。

口は祝祷を納める器。


この字においては

軍門で盟誓し

和議をおこなう意である。


ゆえに和平の意となる。


(白川静著『字通』より抜粋)

である。







和の心。




「和」って記すと

どうも特別な感じが
しません?

わたしたち
日本人なのに。



いや、待てよ…

「和」って

気負ったり
こだわるものでも

無い気もする。


対する語意でもある

『洋』をも

淘汰しているスタイルこそ

和(倭)人である
日本人の素晴らしいところ


なんだろうなあって
思ったりする。


そう言えば

『和える』や

『中和』『和合』

さらには『柔和』なんて語もある。



すごく

柔軟なのかも。


それは国として
一国をずっと貫き通している

日本だからこその

柔軟な発展なのだと

(わたしが思うに)
言い表せるのかも。



別にナショナリズムを
語るほどでもない。

わたしは無知だし。



ただ
こんなちいさな一文字を
書いただけで

ちょっと感じたままを
言葉にして
羅列しただけ…

なのだけれど。

そして上記の
漢字の成り立ちにも
関係はないのだけれど。


されど


何か特別な
普段と違うことをしたり

今だからこそ
取り入れたりすることで

和の心を
ちょくちょく感じる(ことをする)

ということは

良いことかなって
思う。


わたしの書も
そのひとつだし。


わたしの書を通じて
身近に
感じてもらいたいとも
思ったりするし。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹












スプラッシュな雲。


毎年

書道のお仲間と一緒に

クリスマスリースを作ります。

先生は

姉弟子の一人。

小原流の師範です。




もう6、7年目ですかね…

多分

わたしが中でも一番長いうちの一人で

さすがに

慣れてきました。




既に輪になっている蔓に

杉やひばの一種を切って差し込んで

先ずはグリーンでうめていきます。




メンバー六人が

各々でパチンパチンと

鋏で枝から葉を切り出すと

辺り一面、緑のいい香りが…


リースはここで

ワッサワサ(笑)状態に!


さて

此処から盛っていくわけですが

にぎやかにして

オッケーなのです。

使うものはこれも自然の素材。


先生が用意してくださってるもの

それに加えて

近所のお年寄りが拾ってくださった

松ぼっくりや

木の実などもあります。





グリーンは
杉の一種とひばの一種。

付けたものは…

松ぼっくり、コットン、椿の実(殻)
姫りんご、レモン、サンキライ、 
はぜの実、赤唐辛子、ドングリ。


リボンや今回は

自ら持参した木のオーナメントを

そこにプラス。





こんな仕上がりと

相成りました♪


どうですか?

にぎやかでしょ?

もうね

こきゅうWORLDよー(笑)







経験者ばかりで

かなりのサクサクぶりでした。





終わってから

ごちそうになりました。


このリース作りの会で

恒例のカレー。


カレーを囲んで

からの

品評(ほめまくるのみ!)。


できあがりはね

ほとんど同じ材料なのに

みな本当に違ったものになる。


書でも

もちろん同じ。


個性豊かな作品を

観て楽しむ

書く喜びを味わう。



これは是非

伝えていきたいから

来年は活動化の年にしようと

思っています。
(後日発信)





今年もこれを

作り終えると


本格的な冬と年末の慌ただしさが

やって来る。



創作意欲を満たしたリースと

一緒に

しばらく過ごします。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹




Its new!


続けているうちに

必ず

進化している。



例えば

毎日一文字(時には数文字)を

書いていることで。


師匠に

「毎日書いて(SNS に)更新して
 えらいね!」って

言っていただけた。


だけども今は

筆ペンでサラッと
小さなカードに
書き留めているだけだ。


それを師匠に伝えると
驚かれたけど…

きっと画像が良くて
精度よく見えたのと
小さく見えなかったのと


ちゃんと
作品と見えていたからだとも思う。


(過去には半紙に書いていた頃もあった)


理想は↑( )内
だけど

続けてみることに

今のわたしには
意味があって


こうして書いているうちに


字の成り立ちを
知りながら

それを伝えられたり

また

シンプルに
力抜いて
モダンに書けてる!って

思えたりして

ちいさくてカジュアルなくせに
何だかとても
出来のよい日もある。

(欲しい!と言っていただけて
さっそくお譲りしたものもある)





そして

英会話でも。

これには
特に
劇的な進化は感じられなくて(苦笑)

それでも
もの怖じはしなくなり

もう少しフレンドリーに
外国の方と接してみることの
心掛けをしている
わたしがいるから


多分オッケーなんだと
思っている。


今日から
英会話のレッスンは
新しいtermが始まる。

そのスタートは
トライアル的な10回が
先週終わったところで

いつからまた次に行くかは
自分が決めるわけで。

まあ
お財布の中身やら
とかとも相談してきたうえで
でもあるんだけれど(苦笑)


(わりと深刻ゆえ)

昨夜夫に言われたの。

「身に付いてないなら、
 再スタートは
 もう少し自分でもっと勉強してから
 やれば?

ってね。

「は?、それ違うくない?」
(日本語おかしいけど↑)

それだけで
できてたら
とっくにペラペラやわ!

って車の中でケンカしたよ。

(正しくは、わたしが沈黙を決めこむ)


多分

なかなか思うように
スラスラとはいかないよねー

とか
言っていたからかな?(反省)


夫と会話(英語で)するわけでもないし
(ちなみに彼も全く話せない)

わたしのことは

知らないわけだし。

彼とは昔から
そーいうところでは
激しくスレ違う。

でもよい。(苦笑)
 


(話はズレるが価値観て様々だなと)







進化…

それは自分で感じるものだ。

たとえそれが
遅々として
進んでいなさそうでも

他人はそうと
見えて無かろうとも

ちょっとずつ
新しくなり
進化している。

それを感じているのは
自分。

紛れもなく
自分だ。

それを感じて認めよ。


そこから新たな扉はひらく。


のだと

自分を
信じて

わたしは少しずつ
新しくなっていく。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹











旁(つくり)の部分は

軍行の際

軍社に祭った

祭肉のことで

これを奉じて行動するのである。


軍を分って行動するときは

肉を頒け与えるので

“遣”という。

遣肉を受けて敵を追うのを

「追」といい

敵を追撃することをいう字である。

(白川静著 『字通』より抜粋)





いい意味での
“あきらめ”。




追う方
追われる方


立場が変わると
こんなにも
気持ちも変わるのか?
と、思うことがある。






追われる方は

追撃に少しでも
脅威を感じた瞬間


同時にプレッシャーが
生じる。



可能性を秘めながらも
半ば捨て身の分?

逆に気持ちの上で
追う方は有利ともなり得る。



(戦いを)
終えてみたら

勝たねば!

プレッシャーを
僅かにでも
背負ってる方が負けている。



先を走っていても
追う方が
その背中をめがけて
追撃する。
 


その時の

祭肉とは


それぞれに
何なのだろうか?




『感じる書』アーティスト 石川呼穹











器腹ゆたかな酒樽の形。

宗廟に酒樽を備えて祀り

福を求めることをいう。


祭肉をも福といい

これをひもろぎとして

同族の間に頒かつ。

これを致福という。

(白川静著 『字通』より抜粋)

「福」


ふくふくと。

前の会社に勤めていたときのこと。

社長とえべっさん(今宮戎)に
お伴させていただく機会があり

事務所を代表して笹飾りを
頂きに行ったのですが

その時の指令が

『単に綺麗・可愛いではなく

福々しい顔立ちの福娘から授かれ!』

でした。




若いメンバーと
今一緒に
同じ接客のお仕事に就いています。


そんな中
年齢を重ねると

それなりの経験をして
そこを活かすことを心掛けてますが

それなりの経験が
誰のお顔にも現れます(苦笑)

いつ引退しよう?
とかも
さすがに考えちゃうし(苦笑)


なので
見た感じからの印象を
意識するとしたら

いつの時も
福福しく在りたいなあって

端整な美しさは
標準装備されてはおりませんが(笑)


まあるい笑顔で。

『感じる書』アーティスト 石川呼穹


それだけは遠からず
頑張れるなあって想う

誕生日の朝のわたしです。
   
   ↓↓↓↓







宀と女とに従う。


宀は祖霊を祀る寝廟の形

その廟中行われる儀礼をいう字。

ただ安静にすることをいう字ではなく

祖霊に対して安静・安寧を

求めるための行為を示す。

(白川静著 『字通』より抜粋)

「安」




いつのときもおなじ想い。


人がこの世に生を受ける。
どんな人にも
そこには果てしない
ルーツが存在する。


現世にて
送り出された今
わたしたちが祖先に対して
求めること。



わたしたちの前には
その前に
その前の人たちは
またその前の人へ…



静かな時を求めて祈り
祀ること。




もっと“ベタ”に推考することもできる。



宀は室内。家。


そこに女が居る。


男は狩りに出掛けていて
食糧を調達するための
長い旅から戻り

そこにいる女に
獲ってきた物を
差し出す。


男にとって

家は安心できる場所。


そこには
家を守る女が待っている。


腹を空かして?

待っているのは

男か?獲物(食べ物)か?


(爆)



その女は嫁?
(一般的)

はたまた妾?
(一夫多妻的にも)



あぁ

俗っぽい(苦笑)

“ベタ”過ぎる(笑)


とは言え
学者でなけれども


漢字一文字から
様々なストーリーが
自由に想像できるのだ。


いずれにせよ
安らげる空間や生活

その時間、状態を

わたしたちは

求めている。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹












両手の中間に

在るものは”杖”。


それを引き争うことから

争闘、争論、争議などの意となる。

(白川静著 『字通』より引用)



「争」




わたしは人混みが苦手だ。
(たぶん得意だ。と言う人はほぼいないが)


この土曜日のこと

大好き友だちが
神戸にいるため

訪ねるのに向かっていると

乗換駅の大阪駅前の雑踏で
配られていた
号外を
反射的に手にした。





差し出されることも
また
目にすることも

もちろん
突然だから
驚くし


何せ
全身の鳥肌が

なかなか止まなかった。


号外の見出しは(当然)大きい。


一瞬にして

「もしここで…」

即、感じ取った訳だ。
(目から脳から身体への伝達が速い!)




シリアや
アラブ諸国でも同じように

繰り返されている惨劇。


多くの命
テロで失われている。

フランスでの
この出来事だけでは

計り得ない。




人の命に分け隔ては無い。
は、当たり前。



譲り合えない杖。



互いに引っぱり合い
相手を引き摺り倒すところまで
やり合うのであろう。


そのとき
容赦なく周りの者まで
巻き込まれてしまう。


その杖が

魔法の杖だとして

ならば
いっそのこと

杖の持つ魔力で

消えてしまえばいいのに。 


と、

儚い希望で有れど


わたしは切に思う。




そして同時に


このような有事だったり

火災や
自然災害などの

緊急事態に


如何にして
自分で自分の身を守れるか?


号外の中身(文章)は
事の要点だけだから

読みながら

今、此処で…の

そればかりを
想像していた

神戸への車内だった。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹