
乍には
たちまち、また
過ぎゆくものの意がある。
かさねたる日のことを
昨日という。
『昨非今是』
の「昨」には
過去を含めていう。
「昨」
(白川静著『字通』参照)
『昨非今是』さくひこんぜ
今になって
過去の行いが過ちだった
と気づいて悔いること。
「是」は正しいこと
「非」は誤りのことで
今日は正しいが
昨日までは間違っていたという意味から。
↑
そんな日
突然に
来るのかしら…
そんなことは
どんなこと?
間違って
思い込んでいたことが
あ、違ったんだ!
って
悟るってことかしら。
だとしたら
そのことは
目から鱗がぼろぼろ落ちる的な
視界がパッとひらける的な
ことよね…とか思う。
そんな風に
気づく(気づかされる)時もあるけれど
今日のその“正しい”は
昨日までのその
“誤り”のお陰だ。
正しいも間違いもなくて
今までの
経験から
ちょっと目線を変えてみたら
ちょっと新たな気づきが見えて
その積み重ねの
毎日から
『昨非今是』な一瞬を
迎えるのだと。
そして悔いる必要は
ないとわたしは思う。
なーんだ
早くそうしとけばよかった!
と、思う時が
その時なのだろうと
思う。
ん?そこで悔いるのか?(苦笑)
まだ
そんな風に
それほど
わたしは
感じられていないかも。
あはっ
ビミョー(苦笑)
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
