枚岡神社と大本 (神々の召集) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “元伊勢、元出雲があるように、元春日という神社もある。

 奈良から見ると生駒山の反対側の麓、東大阪市の出雲井町に鎮座まします枚岡神社である。

 河内といわれるこのあたり、さらに南の和泉には、多数の渡来人の遺跡や天皇陵があり、河内飛鳥の存在や、河内王朝説など、古代文化の宝庫のような所である。

 枚岡神社の由緒も古く、紀元前三年、神武天皇御東行の時、東方山上の霊地神津嶽に、天児屋大神、比売大神のご夫婦神を奉斎されたとあり、六五〇年に平岡連(むらじ)により当地に移されたという。

 大正五年、聖師さまは天王寺区上本町六丁目に家をお借りになり、大神様をご奉斎、所帯道具も一式おそろえになって、「百日間通う」とおっしゃって、そこから毎日枚岡神社へお参りになったそうである。

 ところが、一カ月ほどたったある日、「もうすんだ」とおっしゃって、日参をやめられ、上六の家も引き払って、聖地にもどられたという。

 この神社では、他ではなさることのなかった滝に打たれての水行もなさったとのことである。

 境内に一般立入禁止の神聖な禊ぎ場があり、五メートルほどの高さから一筋の清水が落ちているのが見えるが、ここでなさったのかもしれない。

 当時、聖師さまは各地の神社をご参拝になり、立替え立直しのご神業に参加されるよう神々をご召集されたということであるが、上田家の源、藤原氏の氏神さまでもある春日神社とは、特にご因縁が深いものと思われる。”

 

(「おほもと」昭和61年4月号 出口瑞『枚岡神社』)

 

*出口瑞氏が書いておられるように、枚岡神社に限らず出口王仁三郎聖師は全国各地の神社をご参拝になって、艮の金神・国祖国常立尊の立替え立直しのご神業に参加されるよう神々を召集されたと伝えられておりますし、出口ナオ開祖の「お筆先」にもそのように書き記されております。そして、二代さまもある日の講話で、『全国各地から集まってきた信者は、本人は気づいてはおらんだろうが、実は各地の産土の神様によって聖地につかわされてきたのだ』と言われたと聞いております。さらに、古い信者さんの話では、霊眼のある方が霊界物語を読んでいたら、産土の神様が聞きに来られたのがわかった、という話もあります。最近は、神社参拝を趣味とされる方が増えておりますが、「立替え立直し」が近づいているのであれば当然の現象です。

 

 

・綾部市、熊野新宮神社 (全国総産土神社)

 

 “開教六十年大祭に総産土神社である熊野神社参拝があった。国祖の御出現に際して、真っ先に熊野権現が馳せ参じ、神命によって全国の産土神に国祖の御経綸を知らせ、神業参加を説いた、という意味のお筆先があるが、そういうところから産土神の総取締りという意味で、総産土の大神と申し上げる。

 「氏神様さまの庭の白藤、梅と桜は出口なおのお礼の庭木に植えさしたのであるぞよ。白藤が栄えれば綾部よくなりて……」云々とお筆先にある通り、熊野神社と大本とは深い関係がある。この熊野神社のことについて、聖師は次のようにおっしゃっている。

 「太古に素戔嗚尊が出雲から出て来られた時に、本宮山(鶴山)の上に素戔嗚尊の母神である伊邪那美尊様をお祀りして、これを熊野神社と名づけられた。その後、素戔嗚尊は紀州に御進発になり、紀州にもまた神宮、本宮、新宮という熊野三社をお祀りになったのである。本宮山にあった熊野神社は、九鬼家が伊勢の鳥羽から転封して綾部に移り住むようになった時に、現在熊野神社のある和知川べりにお遷し申し上げたのである。その当時は九鬼家の館が、やはりその熊野神社の裏にあった。元来九鬼家は二万石の小禄であったので、城をきづくことができなかったため、邸を建てていたのであったが、火事で焼けてしまったので、当時村民たちは『熊野神社を下に遷したから神罰で焼けたのだ』と言ったり、『焼け屋敷』など呼んでいたものである」

 古文書によると、熊野新宮神社は、伊邪那美命、事解男命、速玉男命を祭神とし、古く本宮山の東麓にあったのを九鬼隆季公のとき現在の地に遷し、ついで子隆常公は寛文十年三月、社領として三石五斗一升の地を奉納した、とある。

 綾部藩の記録の中には、新宮之神社は熊野権現にてまします。すなわち此処は昔、平重盛卿領地たりしによって勧請し、不時の詣をなさまほしく、景色の清き所を選び給う、とも記されてある。”

 

(「神の國」昭和27年12月号 『総産土神社』より)

 

 

 “大本発祥に際して、熊野さんは最初のご用をされた神である。お筆先にも、熊野さんと一宮さん(福知山)には御礼致すぞよとのお言葉が出されている。

 明治二十五年に神がかりがあって後、開祖は艮の金神のご再現を全国に触れ回るように総産土神社として熊野さんにお願いした。それから三日後「海の底にも聞こえました」と竜宮の乙姫さんが艮の金神に竜宮の宝を献上して、神業に参加することを願い出てきた。それが改心の第一番目であった。開祖は「お待ち受けもうしておりました」と答えられた。その時つくま明神がお待ち受けしておられたという。大本はそれから開けていったのである。

 熊野さんと大本との因縁は、大本発足以降のことだけではない。それ以前にも、深い因縁があったのである。素戔嗚命が出雲からお越しになられて、この地に立ち寄り、本宮山に母神の伊邪那美命を祀られたのが熊野さんの始めである。素戔嗚命は、ここから紀の国へ旅立たれた。このような古い因縁があるのである。

 開祖は熊野さんをはじめ綾部の産土神社へのお礼参りをされるようになった。七社参りは若宮さんから始まって二宮、三の宮と続き、最後が熊野さんである。夕方から始まって、明け方までかかった。

 聖師は、熊野さんの水無月祭には必ず綾部にお帰りになった。また全国に建てられた聖師の歌碑では、熊野さんに建てられたのが一番最初である。

 また聖師は水無月祭には本宮山に櫓を組んで提灯をつけられ、大の字を描かれた。遠くから見えるためには相当高い櫓を組まねばならなかった。また現在水無月祭の行事になっている万灯流しは、聖師が竜宮さんに献納されて和知川に流されたのが始まりである。綾部町史には万屋が客寄せのために流したと書いてあるが、本来は聖師が二十八燈流されたのが最初である。明治四十年頃だったと思うが、今はっきりした記憶はない。したがって世間の精霊流しとは全く違う。川から海に流し、竜宮さんにお供えしたのである。”

 

            (徳重高嶺「松のよはひ」大本信徒連合会より)

 

 

徳重 私が入信した頃(大正九年)から引き継いで指導していることは、綾部の大本にお参りしたら、必ず産土さまにご参拝するように、信者さんに案内することです。大本信者は、産土神の取持ちによって信徒になってきているわけですから、産土神を大事にしなければならないと思うのです。

 

―― 事件中、二代様が天王平から信者さん達の神霊が熊野神社に避難するという夢をごらんになったそうですね。

 

徳重 そうなんです。その夢は大阪の未決でみられた夢で、信徒のお墓は壊されるし、大変なときでした。夢の中には十曜の神旗を中心に松村真澄氏を中心に大勢の神霊が隊伍を組んで熊野神社にお移りになったということです。

 

         (「愛善世界」№44 『熊野神社と人型大祓い神事』より)

 

 

*出口王仁三郎聖師の側近であった大国美都雄先生は、戦後に出口聖師が

 『いったん大本は火が消えたようになるかもしれん。しかし、みんな心に誠を持っている人たちを全国に植えつけてあるから、ある時になったら決起してくれて、ほんとうの、わしの教えた教団にしてくれる』

と言われたと書き記されています。ただ教団といっても、当時の大本教団は第二次大本事件で解散させられてもはや存在しておらず、戦後出口王仁三郎聖師が自ら苑主となって新発足させた愛善苑は、「園」ではなく囲いのない「苑」で、決して定まった組織というわけではありません。もちろん、聖地を維持・管理し、祭典を行なうために団体の存在は重要で不可欠ですが、私は、愛善苑とは教団というよりはむしろ思想であり、愛善思想に共鳴して、それを生きようとする人々、自分自身の内なる神、直日=キリスト意識の目覚めを心から願う人々、「霊界物語」を拝読し地上天国実現のために奉仕することを選択した人々の集まりであって、外部との定まった境界のない「愛善の苑」のことだと個人的には考えています。そもそも出口聖師が、『霊界物語は現今の大本信者だけのものではない』と言われる一方で、『霊界物語を読む者が本当の信者だ』とも言われていることから、大本信徒であるか否かよりも霊界物語を拝読しているか否かの方がより重要なのは明らかです。そして、「霊界物語」自体が大本神話、日本神道だけでなく仏教やキリスト教など他の宗教もミックスした内容となっておりますし、『改宗せずともよろしい』とも書いてあります。おそらく、これからの「みろく神業」は他宗教の方々と協力し合って進めていくことになると思います。

 

 

・御神業に奉仕する者

 

 “(天恩郷・国魂宝座造営時)昭和二年七月のはじめ(聖師さまが)、「いよいよ国魂石にかかる。よい奉仕者を選抜してくれ」といわれたので、「サァ」、いよいよ、これで一安心」と、選抜者の名簿を持って行くと、「これは、どういうようにして選抜したか」と問われた。「私がこれならと思いまして」と答えると、

 「霊界物語を熱心に拝読している者のうちから選び直せ」

と命じられた。筆者は、「ハッ」とした。なるほど、月の大神の前に築く宝座だ。霊界物語で意志想念が神界に相応する度の高い者でなくては、宝座を築く奉仕者としての資格はないと覚り、さらに選抜しなおした。肝心な時の御用には、霊界物語によって想念が練れたものでなくてはならぬと、かねがね聞いていたことを思い出した。”

 

   (『おほもと』昭和四十五年十二月号 大国美都雄『天恩郷建設の神秘』より)

 

 “月宮殿の国魂石のときは、非常にやかましかった。地方からチョット奉仕に見えた人でも、下の方で石を上げるのは、信者であればよかったけど、いよいよ上にすえるという時には、霊界物語を読んでいない者には、許されなかった。”

 

  (『愛善苑』昭和四十六年八月号 大国美都雄『聖師の血と肉霊界物語』より)

 

 

 

 “聖師さまは「大事な神業に奉仕する人は第一に物語を拝読すること」と常に申されました。(木庭次守)”

 

             (「霊界物語のしおり」第十一号より)

 

・「万教帰一」とは   〔出口王仁三郎聖師〕

 

 “愛善苑で唱道する宗教帰一は各宗教を一宗教に統合するの意ではない。各々の意志想念が違っているように各々の宗教も違っているのであるから、大きな目で見た場合は名称は神であろうが、佛であろうが、キリストであろうが何でもよいのである。すべての宗教団体や思想界が宗教の本質、すなわち信真と愛善に帰一したならば、回教でもキリスト教でも精神と精神とは宗派、民族、国境を超えて統一結合されたことになるわけである。”(「愛善苑」昭和21年12月1日)

 

 

・スウェーデンボルグの予言 「未来の宗教」
 

 “……スウェーデンボルグが語る人類史とは、宗教の体系が変容しながら循環し、螺旋上昇的に進歩するものである。天使的教会といわれた最古代教会から始まった堕落の歴史は実のところ、後の人類がさらに霊的な成長を遂げるためのプロセスだったのであり、人類の未来に約束されている「ニューエルサレム」は、もっとも天使的な天界である「最高の天界」をも凌駕する「全天界(=天界の巨大人)の冠」となるものである、と彼は言う。
 しかも人類のその新しい宗教は、特定の宗教だけで形成されるのではない。それは、天界の冠に輝く「複数の宝石」に象徴されているように、多くの宗教に含まれる最高の真理が結合された形でできあがる、とスウェーデンボルグは説いている。

 つまり、人類史の最初に神から与えられた「根源的唯一神」と「仁慈」について説く宗教は、そこから発展した諸宗教の多様性を保持したまま、近い将来、さらに高いレベルでふたたび原初の形へと回帰していく。いいかえれば人類の宗教は、あたかも膨張と収縮を繰り返す宇宙のように、その歴史の最初に存在した「人間の姿をした神=霊界のイエス」という一点から始まり、いったん堕落し多様化するがふたたび統合の道をたどり、最後には「神人イエス」という一点に収束するのである。
 その新しい人類の宗教は、何も真新しい教理や難しい論理を必要とするものではない。

 「一人の人間の形をした神」を信じ、「隣人を愛する心」をもち、聖言に含まれる「内的な真理」に従って生活する人間であれば、誰でも新しい天界である「ニューエルサレム」に加わることができる。しかも意外なことに、その「一人の人間の形をした神」の名称はかならずしも「ヤハウェ」や「イエス」でなくてもよい、とスウェーデンボルグは説いている。

 「名」という言葉の霊的意義は「性質」であり、つまりは神イエスと同じく本質的に愛と知恵であり、みずから「犠牲の愛」の尊さを示し、現界と霊界との結合を象徴する「一人の人間の形をした神」の性質をもつ神であれば、「ニューエルサレム」で信仰される対象となりえるのである。
 さらにスウェーデンボルグは、従来のキリスト教に代わって人類を「ニューエルサレム」の信仰に導く「地の新しい教会」の可能性についても語っている。

 彼によれば、かつてのユダヤ教会の後を継いだキリスト教会がユダヤ教世界から見て異邦人の地に造られたように、キリスト教会後の新しい教会もまたキリスト教会から見て異邦人の地に造られるという。

 キリスト教会のドグマによって拘束されない、人間の霊性発揮にもとづく自由選択によって本当の神を知ることのできる新しい教会、それはおそらく古代教会の形態をとって存在し、諸宗教の故郷でもあるアジアのどこかに創建されるにちがいない。

 

       (瀬上正仁「仏教霊界通信 賢治とスウェーデンボルグの夢」春風社)
 

 

 “霊界での自分の見聞や体験を描くさい、きわめて誠実であった彼は、『最後の審判とバビロンの滅亡』の最終ページに、「天使たちと語りあったこと」と前置きして、将来のキリスト教と新時代の宗教とについて以下のように付記している。

 
 「今後の教会の状態について、私は天使たちとさまざまに語りあった。彼らはこう言った。 『将来おこることは主のみに属していることゆえ、私達はそれを知りません。けれども私たちは、教会の人間が以前陥っていた奴隷と捕囚の常態が取り除かれ、今度回復された自由によって、教会の内的な真理を認めようと思えば、これをもっとよく認めることができ、またもっと内的な人間になりたいなら、そうなることもできるということを知っています。
 しかし、私たちは、キリスト教会の人々には依然わずかな希望しかもっていません。かえって、キリスト教世界から遠く離れ、そのために悩ます者たちから引き離されている或る国には多くの希望を抱いています。この国は霊的な光を受け容れ、天的-霊的な人間になされうる国です。現在、内的な神的真理がこの国に啓示されています。そしてこの啓示は、霊的な信仰をもって、つまり生命と心情をもって受け容れられ、その国民は主を礼拝しています。』」(「最後の審判とバビロンの滅亡」七四)

 
 キリスト教会の時代に続く新しい教会の時代に入ってすでに二百数十年が経過した。この天使たちが語ったという国とは、いったいどこなのだろうか。未来のことを知ろうとするのは「悪しき愛」であり、将来起こることは「主にのみ属する」とはいえ、現代の私たちは過去に語られた天使の言葉を検証する資格を有する。しかしそれは、あまりにも抽象的で簡潔な言明でしかないから、この国を特定することは不可能である。
 ただ、原宗教の循環の中で新しい教会は「異邦人」のもとに興るという、スウェーデンボルグの明確な言明がある。彼はこう述べている。

 
 「教会が教会でなくなるとき、すなわち仁愛が死滅して新しい教会が主によって再び創建されつつあるとき、新しい教会は、古い教会に属する者たちのあいだには、たとえ創建されるにしても、まれにしか創建されない。新しい教会は、以前に教会が存在しなかった者たち、すなわち異邦人のあいだに創建されるのである。」(「天界の秘儀」二九八六)


 この引用文に続いて、スウェーデンボルグは、原古代教会の終わりつつあったときの古代教会を始め、ユダヤ教会もキリスト教会も、すべてが「異邦人」のあいだに創建されたと述べている。そして他の個所において、キリスト教会に続く新しい教会は「今や異邦人のもとへ移されつつある」(同書、九二五六〔五〕)と明言している。「キリスト教世界から遠く離れた」「異邦人」の国とはいったいどこなのか。興味をそそる問題ではあるが、これ以上の深入りは慎みたいと思う。” 

   

        (高橋和夫「スウェーデンボルグの宗教世界」人文書院)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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