走水神社参拝記 (大正五年五月六日) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 「木花咲耶姫尊の命をうけた小桜姫より岩笛を授かる」


 “浅野は午前中の勤務を終えて帰宅した。午後一時、出口王仁三郎、その随行員村野竜洲と田中豊穎、それに東道役の浅野を加えて一行四人は三浦半島の東南端、浦賀町の郷社走水神社へ向けて出発した。田戸の海岸まで歩いて、そこでガタ馬車を一両借り切りにし、海岸伝いに痩馬を走らせること一里余、浦賀街道と別れて長いトンネルをくぐると、そこはもう走水の別天地だった。一行は神社の鳥居の下で馬車を乗り捨て、社務所に立ち寄って手を清め、口を漱いでから走水神社に参拝した。浅野も出口管長その他と天津祝詞を奏上した。
 参拝を終わると、出口はつかつかと玉垣の内に歩み入った。
 『ひとつ、神様にお願いして、石笛を授けて貰いましょう』
 こう言って、きれいに敷き詰められた砂利の中から石を一つ一つ拾い上げて調べにかかった。村野も田中もこれにならった。……

〈中略〉

 『いかがですか、この石は?変な格好をしているでしょう』
 浅野は件の石をつまんで三人に見せると。出口が頓狂な声を出した。
 『それや、それや。わしの捜しとったのはその石やがな』
 浅野がそれを出口に渡すと、小々泥がついているのも構わず、唇を当てて強く気息(いき)を送った。すると誠に麗しい音調でピーと高く鳴り響いた。
 『立派な石笛ですな。神様のお授けだ!』
 『やはり審神者(さにわ)さんだけある!』
 口々に人々が囃し立てるのを聞いて、浅野は自分でも意外に感じた。
 出口の説明によれば、この石笛は今朝浅野の家にいる時に、自分の霊眼に映じたのだそうで、さればこそ走水神社参拝を特に注文したのだった。
 走水神社では神笛拾得の後もなお神秘的なことが続いて起こった。
 四人は間もなく神社の傍らの坂道を登って芝生のところへ出た。ここには三体の石造のお宮が並んでいる。中央が天照大御神、左右に大国主命と建御名方命が祀られてある。一同は芝生に坐し、熱誠をこめて祝詞を奏上した。祝詞奏上がすんでからも一行はそのまま立ち上がるに忍びなかった。初夏の午後の陽光は飽くまで麗らかに、空にはそよとの風もなく、東京湾頭の風光は手に取る如く脚下に展開して、さながら一幅の絵を拡げたよう。四辺はシンとして、各自の浄らかな胸の想いをかき乱す何物もない。彼らは申し合わせたように、芝生の上に坐って、そのまま鎮魂の姿勢をとった。
 鎮魂中に出口管長は何か重大な神示に接したらしいが、
 『きょうはありがたくて涙が流れて仕方がなかった』
と、ただ一言しんみりと洩らした。霊能者である村野は鎮魂の姿勢を崩しながら管長の方を向いて言った。
 『先生、只今私の天眼に花木という文字が見えましたが、ありゃいったい何のことでしょうナ?』

 『花木?いったいあんた、何を神さんにお伺いしたのや?』

 『イヤ、なにね、浅野さんに石笛を授けられた神様の御名を窺ってみたところです。そうすると、横に花木という二字が並んで見えて、その下に小桜という文字が現われました。そんな名前の神様があるのでしょうかな?』

 「花木と横に……」と出口はちょっと考えていたが、直ちに『村野はん、あんた読み違いしておる。花木でなく木花やナ、木花咲耶姫のことやがナ。小桜というのは、それだけではまだ判らんが、とにかく木花咲耶姫の系統の御方に相違ない』……(以下略)”

 

             (笠井鎮夫「日本神異見聞傳」山雅房より)

 

*この小桜姫についてですが、岩笛を授かった浅野和三郎氏による「霊界通信 小桜姫物語」(潮文社)という本が出版されており、昔、三浦海岸に暴風雨による大津波の危険が迫った時、霊界の小桜姫の祈りに神界が発動し、三浦一帯が救われた話などが紹介されています。小桜姫の神霊は、三浦市にある諸磯神明社の境内社、若宮社の祭神として祀られているようです。