琉球国魂神の霊石 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “昭和二年の春、聖師さまは台湾へご巡教になりその帰途、年は明けて昭和三年の一月元旦琉球の波の上神社に参拝され、初日の出を拝まれました。

 その時、両手に小石をのせしきりに息吹をかけられ、それを無言のまま随行していた私に手渡されました。私はそれをどういう意味であるかもお伺いせず、大切なものとして錦の袋に入れて持っていました。

 やがて結婚して主人と共に天恩郷にご奉仕していましたが、昭和十年事件で天恩郷をやらわれて主人の生家鳥取へ帰りました。主人は鳥取の警察署に留置され、大本に関するいろいろなものを押収されましたが、お石はうまくタンスの底にかくしていたため、持っていかれずにすみました。

 神床はこわされ、礼拝の場所もなく、町を歩けば私服の警官が尾行するというありさまで、うつうつとしているうち、とうとう私は病名もわからない病気にかかりました。主人も困り果て、ある日吉野の大峯山の修験者にみてもらいにいきました。そのとき、修験者は「お宅の奥さまは二個の宝物を持っていられる。それを祭ればすぐ治る」といったそうです。

 私は「宝物なんて何も持ってないけれど、聖師さまよりいただいた二個のお石があります」と申しましたところ、「それです。ご神名を神さまに伺ってあげますからお祭りなさい」と言うのです。

 それから修験者は三回も滝にうたれて最後に女神さまのお声で「豊玉姫」と告げられ、「因縁によって祭ってくれ」ということで、さっそくにお宮に入れてお祭りしました。以来、私はとても元気になりました。

 今考えてみますと、このお石の尊さを信者でない人の口をかりて私に教えられたように思います。

 昭和十八年、私は鳥取の大震災にあい家は全部こわれましたが、豊玉姫さまのお宮だけは倒れた柱の上にちゃんとあるではありませんか。私は直ちにお石をふところに入れ、子等をつれて病院の庭に避難しました。

 聖師さま、二代さまから一日も早く亀岡へ来るようにとのお使いをいただき、私と子どもはすぐなつかしい亀岡へ帰らせていただきました。

 聖師さまは『よかった、よかった。震災のおかげで、おまえは亀岡へ帰れた』とよろこんでいただきました。

 その時、お石だけは持って帰り、お宮はそのまま鳥取においてかえりました。

 また、修験者から「私には何の関係もありませんが、奥さまはお祭りなさらなければならない因縁がおありなさるので祭られては……」というような手紙をよこされました。さっそく、聖師さまにすべてを申し上げましたところ、『それは神がかりである。お祭りせよ』とのお言葉で、あらためて湯浅仁斎さんに祭りかえていただきました。

 やがて聖師さまはご発病ご昇天になり、呆然と日々を送っていました。ふとお石のことが気にかかり、二代さまにお伺いにまいりました。二代さまは即座に『琉球の国魂の大神ととなえて、沖縄をもっともっと守護してくだされと祈れ』とのお言葉でした。

 当時、沖縄はみるかげもない戦場の後でした。大本も事件が解決されると、真心の人々が聖地に帰って来て、またもとの大本となり、沖縄からも参拝されるようになりました。

 昨年(昭和四十六年)八月、琉球主会長さんが私宅へ来られ、沖縄の水饑饉、その他のなげきを聞かされ、ふと、国魂神さまはお帰りの時期ではないかと思い、さっそく宇知麿さまに相談しましたところ、「三代さまに申し上げては」とのことで、すぐさま二人でお伺いに参りました。

 八月三日でした。すぐお許しが出まして、四日に琉球主会長の崎山さんに三代さまお手づからお渡しになられたのですが、主会長さん宅の神床の準備の都合で、再び私の家に今年の三月八日までお預かりしました。

 宣教部から、その当時の何か聖師さまの書かれたものでもないか、とのことで聖師さまよりいただいたノートを検べましたところ『斎垣の小石もらいて琉球の国魂神と永久に斎かむ』のお歌が書かれていたのです。まぎれもなく昭和三年一月元旦にお書きになっていました。

 今より四十四年前、すでに沖縄がかくなることをご存知であり、二代さまはこのお歌をご存知なく、そくざに『琉球の国魂神』と申されたことに、まったく聖師さまとご一体であられたと思うのであります。

 また三代さまも、このお歌をご存知なく、すぐお許しいただいたので、後ほどこのことを三代さまに申し上げましたところ『すぐ主会長さんに手紙を出してあげなさい』とのお言葉でした。

 聖師さま、二代さま、三代さま、そして四代さまご夫妻のみ手を通しての国魂神さまの鎮祭、これほど尊くありがたいことはないと思います。

 この度波の上神社を参拝して、昔の面影なきに驚くとともに、沖縄の博物館の写真で見た波の上神社のご神体がやっぱりお石であり、お守りしていた方が崎山という姓の人で、このたびお祭りせられた主会長さんが同じ崎山という姓であるのも、ふしぎに思えてなりません。

 四十四年前、私が沖縄で聖師さまのお手づからいただいたお石を袋に入れて、私のふところに入れて持ちかえった時と同じように、このたびも税関等のため、また錦の袋に入れて私のふところに納めてお供したこと等も、感無量でございました。

 沖縄は日本の胞衣(エナ)といわれ、沖縄が良くなれば日本も良くなると、聖師さまから伺っています。敗戦に悲しみ、本土の犠牲であった沖縄も、国魂神のご守護によって良くなることを信じるとともに、一日も早く平和なもとの沖縄となることを祈ってやまない次第であります。”

 

   (「おほもと」昭和47年5月号 山川日出子『琉球国魂神の霊石』)

 

*「霊界物語 第27巻」(『海洋万里』 寅の巻)の後半は、太古の沖縄が舞台となっており、後に琉球の守護神となる常楠(つねくす)仙人とその二人の息子、清彦、照彦の物語が述べられています。はるか昔、琉球島は今よりも何倍も大きな二つの島で「世界の秘密国」とされ、そこへ渡った常楠親子によって神界の経綸が行われます。

 

*ちなみに沖縄は「日本の胞衣」、奄美大島は「日本の縮図」、台湾はミロク様のお姿で「大和の要」といわれています。

 

*アメリカのペロシ下院議長の台湾訪問をめぐって米中間の緊張が高まっていますが、日本ではこれについてほとんど報道されていないのが気になります。台湾で何かあれば沖縄も日本もただではすみません。たとえ戦火が及ばなくても台湾近海を船舶が航行できなくなれば、我が国は途轍もないダメージを受けることになります。

 

 

 

 

 

 

 


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