稲荷大神 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「稲荷は飯成(いひなり)の神にして、衣食住の元の神なり」

 

 “……明治三十一年も四月に入る。

 ある日、喜三郎(=出口王仁三郎)は御嶽教太元教会の中教正(ちゅうきょうせい)松山昇の強いすすめにより、同教本部を訪れる目的で家を出ようとした。そのとき、月見里(やまなし)神社に付属する駿河の稲荷講社総本部の役員で三矢喜右衛門という人が尋ねて来て、いろいろ神霊学の話をし、講社の総長、長沢雄楯翁の霊力非凡なることを吹聴した。そして長沢翁との面会をしきりにすすめたのである。

 喜三郎は稲荷講社という名称にちょっとひっかかるものを感じた。なぜなら、口丹波地方では、稲荷講社というと、すぐ稲荷おろしを連想し、狐狸を祀るものだと誤解されるからである。

 けれど、長沢翁が霊学の大家で、すぐれた人物だと聞いて心を動かされた彼は、四月二十八日、家を出て、三矢氏の案内で静岡に向かった。

 彼は京都駅から新橋行の列車に乗る。生まれて初めての汽車の旅だ。静岡で乗り換えて江尻駅に下車、十七、八町(約2キロ)の道を歩いて、夕方、静岡県安倍郡不二見村の長沢翁のもとに到着した。

 長沢翁は、国学者本田親徳(ちかあつ)の教えを受け継いで、幽斎や鎮魂帰神を修行し、神道、神霊学に造詣が深く、当代随一のその道の大家として聞こえていた。

 翁の師、本田親徳(1823~1889)は諏訪神社の神官で、水戸の会沢正志斎(江戸末期の儒者。名は安(やすし)。彰考館総裁。1782~1863)の門で和漢の学を修めた人である。また平田国学の門にも出入りした。「大日本史」の講義を得意としていたが、のち、久能山や富士山にこもり、神道の学理や霊的作用の実地研究を行って、鎮魂帰神法を再興した。弟子には長沢や副島種臣(明治の政治家。伯爵、枢密院副議長、内相。1828~1905)などがいる。

 明治二十五年(一八九二)、長沢は「稲荷の神は飯成(いいなり)の神であり、天下万民一日もなくてはならぬ衣食住の元の神である。しかるに、世人の多くはこの大神を狐と同一視し、稲荷といえば狐のことと誤解している。これではみそもくそもいっしょで、ご恩の深い神に対し申し訳がない」と、感ずるところあり、世俗の誤解を解き、神界のためにつくすべく、神社付属の稲荷講社を官の認可をえて開設した。そして、彼は神職とともに講社の総長を兼ねることになる。

 喜三郎は、この長沢翁から霊学の話や本田親徳師の来歴などを詳しく聞かされ、長沢の母豊子からは、本田師からさずかった「神伝秘書」一巻と、「道の太原」「真道問答」各一巻をもらった。

 ふしぎなことに豊子は、「本田先生の遺言に、これから十年ほど先になったら、丹波からコレコレの青年が訪ねてくるだろう。神の道は丹波から開ける、というのがある。あなたが師の大志を継ぐ人に相違ない」といってたいそうよろこんだのであった。”

 

       (出口京太郎「巨人出口王仁三郎」講談社より)

 

 

・稲荷五柱の神

 

一三 昔神代の人々の霊曇りて常暗となれる時、其曇れる身霊を清めて、神に親しむの道を開き神懸の業を始め給へるは天の鈿女(うずめ)の命なり。この天使は神懸の始祖であり又演劇の始祖である。
一四 此神の幸はいによりて、世界の穏かもあり、家内の和合も保つなり。此神の守護は一日も無くては、国の内、家の内共に治まらずと云ふ。
一五 悪を去り善に導き此世に幸はいを与へ玉ふは、猿田彦の命にして天の鈿女の命の夫なり。
一六 宇迦迺御魂(うかのみたま)の命は、五穀や養蚕の守り神、人の生命を繋ぐ為に、五穀を作る事を教へ玉ひし天使なり。
一七 悪魔の道塞ぎをなす天使は久那戸(くなど)の神なり、この天使のお守りある時は曲津神(まがつかみ)来らず。
一八 速素盞嗚尊(はやすさのをのみこと)は瑞の霊、厄除けの天使にして此世の救ひ主なり。此神の御身代りにより天津罪、国津罪、許々多久の罪を許さるるなり。人は此神の御蔭にょりて厳しき天の懲戒を逃れ来るものなり。
一九 此の五つ柱の天使は、日本到る処に祀りあり。世人の崇敬最も深し。
二〇 此の五つ柱の天使を祀れる神社を稲荷神社と称ふる理由は、食べ物の始祖たる宇迦迺御魂の命を斎き祭れるが故なり。
二一 稲荷の神と云ふ理由は飯に成る守と云ふことにて、つまり食物の守と云ふ意なり。
二二 世の中の迷信者多くして狐を以て稲荷となし、誠の大神をさげしむ、愚の至りなりと云ふべし。
二三 月見里神社は、瑞霊真如に憑らせたまふ聖霊速素盞嗚尊と、霊学の先祖たる鈿女の命を祀れるが故に、その因縁に由りて信仰を励むなり。
二四 真如の誠の教を守らんと思へば、先づ真如の信仰する神をも信仰すべし。
二五 天帝に祈るも、亦右五柱の神に祈るも、金神に祈るも、其外の神々に祈るも、皆瑞の御魂の名を以て祈るべし。
二六 瑞の霊の名によりて祈る時は、如何なる事も誠の願ひなれば、叶へさせたまふべし。此のみは信者の最も心得置かねばならぬことなり。瑞霊は天地の神々へ対して何事も取次ぎなす、天定の役目なり。

      (「神の国」大正十四年八月八日号『道の栞』より)