私の先生はこの方。
Ms Eleanor Wong
「そうね、まずショパンから聴かせてもらおうかしら?」
と、私の楽譜を取り上げて後部座席に落ち着かれた先生。
有無を言わさず暗譜で弾け!状態。良かった、暗譜できていて(笑)。
一通り、じっと、何も仰らずに最後まで聴いてくださった。
「なかなかいいわね。あなた、何者?」
げ!何者って聞かれて、なんて答えたらいいんだろう・・・と咄嗟に
「私、高校時代に音楽の専門の学校に通っていました。
それで、この曲が課題曲だったことがあったのですが、私、最悪の
点をいただきまして、どうしても再挑戦したかったんです。」
先生「最悪?あ~ら、なんてことでしょうね。」
なんて、とりあえず最初は持ち上げてくださって、気分良くしてくださってから本題に入る、というやり方、欧米式ね。
前のジャズ・ピアノの先生(フランス人)のレッスンがこんな感じだった。
先生「バラードってどんな意味か知ってる?
これはお話なのよ。ショパンのバラードは四曲あるわね。
全部、全く違う感情を表現するお話なのね。
その中でもこの三番は、どんどん幸せに満ちていく曲なのよ。
あなたが一つ一つの音にキャラクターをイメージしてそれらの
感情を豊かに、あなた自身が呼吸をして、リラックスして
弾いていかないといけないわね。
この曲は8分の6拍子でしょ?
8分の6拍子って、2拍子でとるわよね?
あなたの演奏はね、6拍子に聴こえるのよ。」
と、まずイントロ。

・アフター・モーション
ここね、あなたの演奏はね、二小節単位でブレスが入ってる。
でもね、そうじゃないのよ。ココはね、二小節単位で話のかけあいが行われているわよね? それをいちいち切らないの。
8小節目までを一息に・・・切らないで。話は受け渡されて進んでいくけれど、いちいち止まらないの。
話して次の答えがバスで聴こえてくる(三小節目)時、とっても大事なのはその前の小節の右手の最後の高音、コレがタイで長く伸ばされるわね。
この音ね、打鍵したら終わりじゃないのよ。
弦楽器をイメージして。
弦楽器はね、伸ばす音の時、最初に音が鳴って、それからまだ、ボウイングは止まらないわよね。
あなたの右手、肩から肘から手首から指先までの動きは、その弦楽器のボウイングをする右手と同じなのよ。
打鍵したら終わりじゃないの。
ピアノで大事なのはね、アフター・モーションよ。
肘を自由にして、肩から動かしていくの。
・・・と、先生が例を見せてくださる。
「私の肩に手を置いて!」
と、先生自身の肩の腱、筋肉の動きを私に体感させてくださる。
次に私に弾かせて、背中を押して、体重のかかり具合、その移動の仕方を教えてくださる。その後に指先が打鍵したまま、離鍵せずに指先がどのような動きをして音を動かしていくか、というのを何度も何度も、私の指に先生の指を重ねて体感、体感、とにかく体感!
実に・・・1時間のソロ・レッスンのうち、たったこれだけ、8小節だけでもう40分が!!!
Story begins
イントロのイメージとがらり変わり、ここはいきなりフォルテ。
でも、私はここをあまり強く弾かない。
鋭い、というイメージがなかったから。
そして、ショパンのフォルテはものすごく<大きな>というイメージではなかったから。
ところが、先生はこう仰った。
「ココはね、最初の(9小節目)のA♭、ここでキングが登場するの。
それもね、怒ってるんじゃないの。ものすごい威厳を持って、でも
威圧するんじゃなくて、幸せを運びに現れた。
次の(10小節目)のA♭、ここはね、キングに続いてクィーンが登場。
キングに従う感じで、少し弱くはなるけれどね。
このキングの音は、腰から指先に全体重をかけるように。
指先だけで弾いてはだめ。
フォルテは<強く>という意味じゃない。ココでは一番インパクトのある
人が現れた、という印象。
腰から肩をつたって指先に力が来る。
だから、体中をリラックスして、力を解放してあげて、オーバーなくらい
アクションをしないと力の移動はできないよ。
そして指先に全体重をかけた瞬間、手首から肘から肩から、全ての力を
解放して。その部分に触れたら崩れ落ちる状態、それが解放された状態。」
と、何度もその音を私に弾かせては、力が解放されているかどうかチェックされる。
それから・・・指先だけに力が残った状態、音が伸びている状態で・・・アフター・モーションをかけていく。
指先で、何かをつまんで引き出す時のように、少しずつ鍵盤の向こう側に力を移動していく感じ。
それだけ・・・それだけで一時間。
もう時間を超過してしまったのだけれど、二ページだけ進む。

30小節目からの左手の動き、右手も同じリズムで左右対称のように音が広がっていくのだけれど、16分音符が一音ずつはっきり「ファ・レ・シ・ソ・ソ!」のように聴こえては(弾いては)ダメ。始点の<ファ>と終点の<ソ>までの間は一時的なもの、通過音。主張しない。
確かに・・・ココ、そのように弾きたい、弾いている<つもり>でいたが、どうも、左右共に広がっていくので音を外さないように・・・というところに気がいってしまって、流れていなかったことはわかっていた。
・呼吸・フレージング
私はフレーズのとり方が細かかったようだ。細かすぎたようだ。
そして、自分で閉ざしかけていた表現法、それはもっともっとオーバーに解放するべきだ、ということがわかった。
あまりに自由奔放というのか、でも、一定の規則にはのっとっている。
その中で、もっともっと!もっと幸せを求めて、もっともっと、周りが幸せに満ちていく その波に乗っていく!と、そういう感情が倍増していく、それを惜しまない、閉じ込めない、そんな表現。
私は細かく呼吸しすぎると指摘を受けた。
この(↑の画像)部分、私は楽譜のスラーの通りに呼吸していた。
ところが、やはりイントロと同じように、ココの4小節は一気に弾いて行くのだそうだ。
もちろん、細かくは一小節ずつのスラーののっとっていくわけだが、スラーにかかる最後の音を大事に、でも決してスタッカートにはならないように、やはりアフター・モーションを十分に、でもテンポが遅れることがないように、次のフレーズへとつなげていく、と。
このタイミングが難しい。
・スタッカート

この画像での5小節目。右手 8度で動くC、これら二音間にスラー、次に8分休符であるが、二つ目のCがスタッカートになってはいけない。
二音間のスラーだから一音目が強め、二音目は引くが、短く切ってはいけない。
大事に・・・テヌート気味に。
同様に、その後に、同じリズムで新しいフレーズが出てくるが、楽譜上にスタッカートがあっても、決して短すぎる<はねる>スタッカートにしてはいけない。
長めに・・・ペダルも気持ち長めに踏むこと。
あぁぁぁ・・・これだけで1時間以上が経過・・・
一曲すらまともに見ていいただけなかった・・・
この後、自主練習を経て、ペダゴジー・クラスの受講生に練習法の指導を受けた。
それは改めて・・・