知ってたけど知らなかったことが芋づる式に……
知り合いから、藤の花を歌った都都逸があった話を聞いた。Σ(・ω・ノ)ノ!
知り合いが「ちょっとひわいな都都逸」なのだと断って
おぼろげながらに教えてくれたのは、
「あなた上から藤の花わたし下から百合の花」

というものだった。(///∇//)
ところで、ドドイツって、知ってるつもりだったけれど、
よくよく考えると、実はよく知らない。
で、ググってみたら、
「都々逸(どどいつ)は、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。
元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。」
参照:ウィキペディア「都都逸」
……って。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
で、
「都都逸坊扇歌」(ドドイツボウ センカ)って何? とさらにググルと、
↓
「都々逸、落語の名跡(ミョウセキ)。現在は空き名跡となっている。 亭号は都々一坊とも表記」
2代目、4代目は、なんと女性だったようだ。Σ(・ω・ノ)ノ!
参照:ウィキペディア
「ドドイツ」って、そもそも、色っぽい七五調の戯れ歌だったん?
で、都都逸坊扇歌さん(名跡 ミョウセキ)なんて、いたんだ!?
都都逸について全然わかっていなかった自分の無知さに驚く。(((゜д゜;)))
都都逸坊扇歌は、初代が江戸末期に一世を風靡して、その後代々受け継がれたものの、1950年代7代目を最後に、現在は「空き名跡」とのこと。
でも、都都逸は名跡だけではなく、巷の人々が自由に創って歌ったものらしく、
「藤の花」の歌も、
「あなた上から藤の花」と歌うものや、
「あなた上から下がり藤」と、一部だけ言葉が違うものもあった。
色々なバージョンがあるということは、それだけ色々な人々に歌われたってことだよね。
三千世界の 鴉を殺し ぬしと添い寝が してみたい(桂小五郎説、高杉晋作説、他もあり)
何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす <伝 高杉晋作作>
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす (作者不詳?)
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
人の恋路を邪魔すするやつは 犬に食われて死ねば良い
etc.……。
参照:「都都逸」
おお! 耳にはしていたが、これらもドドイツだとは知らなかったなぁ
と、今さらながらに驚く。( ̄□ ̄;)
しかも、江戸で都都逸坊扇歌が大人気を博して広まった都都逸ではあるけれど、
その発祥は、名古屋の熱田だそうで。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
「そいつはどいつじゃどいつじゃ」というお囃子から、
ドドイツとなっていったらしい?Σ(~∀~||;)
参照:「都都逸発祥の地は名古屋だがや。」
……名古屋弁なら、「どいつじゃ」でなくて、「誰だぎゃぁ」じゃないのかな?
とちょっと素朴な疑問が私には残ったが。σ(^_^;)
ウィキペディアでは、サザンオールスターズの歌詞さえドドイツに連ねているではないか!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
恋の花咲く ロマンの都 女ばかりに 気もそぞろ 夢もほころぶ 小意気なジルバ 君と銀座の キャフェテラス(サザンオールスターズ)
確かに7・7・7・5、7・7・7・5のリズムだ。(=◇=;)
つまり、都都逸は江戸で爆発的に広がった、三味線を奏でて歌われる小唄であったが、
色々に発展して、
とにかく戯れ歌モードで、7・7・7・5で繰り返したものならば、大抵ドドイツと見なされる、ということかな?
……って思い始めたら、
「甚句」なる項目を発見!Σ(・ω・;|||
やはり、江戸時代に発生した「7・7・7・5」調の謡いをいうようで、都都逸はそのひとつのようだ?
参照:「甚句」
もう、どちらが何なんだか訳わからん!(((゜д゜;)))
さらに、「藤の花」を使った戯れ歌で、ググっていたら、
さらに、都都逸(7・7・7・5調)ではないものも見つけちゃった。
すなわち、「ストトン節」!∑(゚Д゚)
「あなた上から下がり藤 あたしゃ下から百合の花
そこで電気を芥子の花 そんなよいこと 梨の花 ストトン ストトン」
……とな。Σ(゚д゚;)
内容は都都逸の「藤の花」と同じなのに、
ストトン節は7・5調の連続。
大正時代に添田さつき氏によって作られた唄。
添田さつき……って、女性かと思ったら、男性で、添田知道の「芸名」だった。
参照:添田知道(ソエダトモミチ)
この方、「1902年6月14日 - 1980年3月18日)は、日本の演歌師、作家、評論家である。芸名は-さつき」で、
なんと「堺利彦らの売文社に勤め」ですと。Σ(・ω・ノ)ノ!
社会主義者だったのかな? 少なくとも社会主義に共感はしてたはずだよね?
その傍ら、「ストトン ストトン♪」と唄を作っていたとは、面白いお方だ。(-^□^-)
しかも、
「『添田さつき』の芸名で演歌師となり、『パイノパイノパイ』などの流行歌を作り出す。」……とな!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
この人だったんかぃ! 今さらながら、驚く。
「ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ~♪」だ。
今見直しても、素晴らしい戯れ振り!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
参照:「パイノパイノパイ」
「ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」の部分しかよく知らない私は、改めて全詩を知り、ほぉぉぉぉと感心するばかりだったのだが、(=◇=;)
さらに!
このパイノパイノパイの唄は
アメリカの作曲家、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」なる曲に添田さつきが詩をつけたものだと知る。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
へぇ~!と思っていると、
さらに、
このヘンリ・クレイ・ワークなる作曲家は
「大きな古時計」の作者でもあると知る!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
へぇええええええ!(=◇=;)
さらに、
彼が「大きな古時計」を作ったときの裏話を知る!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
参照:「Jackと英語の木 「大きな古時計」の歌と謎;おじいさんとその家に伝わるミステリーとは?」
歌われている“大きな古時計”を所有していたジェンキンズ兄弟は、生涯独身で、孫はいないのだ。「おじいさんの時計」というのは脚色だったのかぁぁぁ?!ヽ((◎д◎ ))ゝ
なんかね、もうネットで調べていると、
知っているつもりだったのに、全然知ってなかった、わかっていなかったことがボロボロ芋づる式に出てきて、
(°Д°;≡°Д°;)
疲れた。(/ω\)
「知る」って、一筋縄ではいかないもんだ。
「知ってる」つもりになっていることが山ほどあるよ。ヽ(;´Д`)ノ

知り合いから、藤の花を歌った都都逸があった話を聞いた。Σ(・ω・ノ)ノ!
知り合いが「ちょっとひわいな都都逸」なのだと断って
おぼろげながらに教えてくれたのは、
「あなた上から藤の花わたし下から百合の花」


というものだった。(///∇//)
ところで、ドドイツって、知ってるつもりだったけれど、
よくよく考えると、実はよく知らない。

で、ググってみたら、

「都々逸(どどいつ)は、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。
元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。」
参照:ウィキペディア「都都逸」
……って。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
で、
「都都逸坊扇歌」(ドドイツボウ センカ)って何? とさらにググルと、

↓
「都々逸、落語の名跡(ミョウセキ)。現在は空き名跡となっている。 亭号は都々一坊とも表記」
2代目、4代目は、なんと女性だったようだ。Σ(・ω・ノ)ノ!
参照:ウィキペディア
「ドドイツ」って、そもそも、色っぽい七五調の戯れ歌だったん?

で、都都逸坊扇歌さん(名跡 ミョウセキ)なんて、いたんだ!?
都都逸について全然わかっていなかった自分の無知さに驚く。(((゜д゜;)))
都都逸坊扇歌は、初代が江戸末期に一世を風靡して、その後代々受け継がれたものの、1950年代7代目を最後に、現在は「空き名跡」とのこと。

でも、都都逸は名跡だけではなく、巷の人々が自由に創って歌ったものらしく、
「藤の花」の歌も、
「あなた上から藤の花」と歌うものや、
「あなた上から下がり藤」と、一部だけ言葉が違うものもあった。
色々なバージョンがあるということは、それだけ色々な人々に歌われたってことだよね。
三千世界の 鴉を殺し ぬしと添い寝が してみたい(桂小五郎説、高杉晋作説、他もあり)
何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす <伝 高杉晋作作>
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす (作者不詳?)
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
人の恋路を邪魔すするやつは 犬に食われて死ねば良い
etc.……。
参照:「都都逸」
おお! 耳にはしていたが、これらもドドイツだとは知らなかったなぁ
と、今さらながらに驚く。( ̄□ ̄;)
しかも、江戸で都都逸坊扇歌が大人気を博して広まった都都逸ではあるけれど、
その発祥は、名古屋の熱田だそうで。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
「そいつはどいつじゃどいつじゃ」というお囃子から、
ドドイツとなっていったらしい?Σ(~∀~||;)
参照:「都都逸発祥の地は名古屋だがや。」
……名古屋弁なら、「どいつじゃ」でなくて、「誰だぎゃぁ」じゃないのかな?
とちょっと素朴な疑問が私には残ったが。σ(^_^;)
ウィキペディアでは、サザンオールスターズの歌詞さえドドイツに連ねているではないか!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
恋の花咲く ロマンの都 女ばかりに 気もそぞろ 夢もほころぶ 小意気なジルバ 君と銀座の キャフェテラス(サザンオールスターズ)
確かに7・7・7・5、7・7・7・5のリズムだ。(=◇=;)
つまり、都都逸は江戸で爆発的に広がった、三味線を奏でて歌われる小唄であったが、
色々に発展して、
とにかく戯れ歌モードで、7・7・7・5で繰り返したものならば、大抵ドドイツと見なされる、ということかな?

……って思い始めたら、
「甚句」なる項目を発見!Σ(・ω・;|||
やはり、江戸時代に発生した「7・7・7・5」調の謡いをいうようで、都都逸はそのひとつのようだ?
参照:「甚句」
もう、どちらが何なんだか訳わからん!(((゜д゜;)))
さらに、「藤の花」を使った戯れ歌で、ググっていたら、

さらに、都都逸(7・7・7・5調)ではないものも見つけちゃった。
すなわち、「ストトン節」!∑(゚Д゚)
「あなた上から下がり藤 あたしゃ下から百合の花
そこで電気を芥子の花 そんなよいこと 梨の花 ストトン ストトン」
……とな。Σ(゚д゚;)

内容は都都逸の「藤の花」と同じなのに、
ストトン節は7・5調の連続。
大正時代に添田さつき氏によって作られた唄。
添田さつき……って、女性かと思ったら、男性で、添田知道の「芸名」だった。
参照:添田知道(ソエダトモミチ)
この方、「1902年6月14日 - 1980年3月18日)は、日本の演歌師、作家、評論家である。芸名は-さつき」で、
なんと「堺利彦らの売文社に勤め」ですと。Σ(・ω・ノ)ノ!
社会主義者だったのかな? 少なくとも社会主義に共感はしてたはずだよね?
その傍ら、「ストトン ストトン♪」と唄を作っていたとは、面白いお方だ。(-^□^-)
しかも、
「『添田さつき』の芸名で演歌師となり、『パイノパイノパイ』などの流行歌を作り出す。」……とな!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
この人だったんかぃ! 今さらながら、驚く。

「ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ~♪」だ。
今見直しても、素晴らしい戯れ振り!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
参照:「パイノパイノパイ」
「ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」の部分しかよく知らない私は、改めて全詩を知り、ほぉぉぉぉと感心するばかりだったのだが、(=◇=;)
さらに!
このパイノパイノパイの唄は
アメリカの作曲家、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」なる曲に添田さつきが詩をつけたものだと知る。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
へぇ~!と思っていると、
さらに、
このヘンリ・クレイ・ワークなる作曲家は
「大きな古時計」の作者でもあると知る!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
へぇええええええ!(=◇=;)
さらに、
彼が「大きな古時計」を作ったときの裏話を知る!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
参照:「Jackと英語の木 「大きな古時計」の歌と謎;おじいさんとその家に伝わるミステリーとは?」
歌われている“大きな古時計”を所有していたジェンキンズ兄弟は、生涯独身で、孫はいないのだ。「おじいさんの時計」というのは脚色だったのかぁぁぁ?!ヽ((◎д◎ ))ゝ
なんかね、もうネットで調べていると、
知っているつもりだったのに、全然知ってなかった、わかっていなかったことがボロボロ芋づる式に出てきて、

疲れた。(/ω\)
「知る」って、一筋縄ではいかないもんだ。
「知ってる」つもりになっていることが山ほどあるよ。ヽ(;´Д`)ノ
