プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図/神戸 俊樹
¥1,260


長い闘病生活を余儀なくされてきた著者が、生きる糧とした詩作。

魂の叫びの集大成!


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 皆様、暑中お見舞い申し上げます。35℃以上の連日の猛暑が続きその後は梅雨が戻って来ると一気に気温が下がり、寒暖差の激しい天候で食欲も落ち何となく身体が怠くすっかり体調を崩してしまった方も多いかと思います。私もそんなひとりで体重が2キロ落ちました。体重が減るとその分心臓への負担が減るのである意味有り難い事ではあるのですが…。梅雨が明ければまた猛暑が戻って来ますが熱中症で救急搬送される方も急増しています。しっかり水分補給を忘れずこの夏を無事に乗り切りましょう。
 以前の記事で紹介した日比谷の高層ビル群の続編である。その時の目的は日比谷公園のシンボルである『大噴水』の撮影であった。公園に着いた時は夕暮れ時でまだほんのり明るく噴水の周りには多くの人がいた。噴水は水しぶきを上げ空に向かって勢い良く吹き上がっていたがライトアップはまだ始まっていなかった。ウォーミングアップを兼ねて何枚か撮影を始めつつ夜の帳を待った。噴水の向こうに見えるビル群に明かりが灯り始めた頃、それに合わせるかのように神秘的な噴水のライトアップが始まった。
 三脚は使わず全て手持ち撮影。まずは20mmの広角レンズで撮った。流れる水を撮る時はどうしてもシャッタースピードを遅くして夜景撮影のような長時間露光で撮りたくなるが今回は噴水の躍動感を重視し早めのシャッタースピードにした。広角レンズでは噴水以外に周りの風景もダイナミックに撮れるのだが、主役は噴水なので途中でメインレンズをZ40mmに変更。ライトアップの色が頻繁に変わるので連射モードを使ったため、かなりの枚数になり、バッテリーが切れそうになってしまった。以前、浮間公園へ撮影に行った際、途中でバッテリーが切れてしまい取り替えたところそのバッテリーも空だった。充電忘れと言う致命的ミスで夜景が撮れなかった苦い経験もあったので、それ以来予備のバッテリーを3つに増やした経緯がある。
 撮影中雲行きが怪しくなり始めてポツポツと真っ暗な空から雨粒が落ち始めた。と同時に噴水の周りに居た人たちの姿があっという間に消えた。後に残った私は多少の雨で撮影を止めるほどやわではないため続行。そんな気力に根負けした雨雲が気付きたらいつの間にか何処か遠くへ退散していた。それにしても真っ赤にライトアップされた噴水が私には血飛沫のように見えてちょっと怖くなった。

 

 

 

溢れ出すこの想いを

止められなくて

あなたの背中を

追い掛けていたあの頃

戻れない日々と解っていても

儚き望みに埋もれて眠れば

この花の中であなたに逢える

色とりどりに咲く花が

わたしの想いを染めてゆく

 

 

 4月の退院以降、風景写真(夜景)はほんの数枚撮っただけで、それ以外は花ばかり撮り続けていた。風景を撮らなかった理由は単に天候が気に入らなかっただけの事。花(植物)は天候にさほど左右されず雨の日でもそれはそれで情感たっぷりの写真が撮れるだろう。
 今年の梅雨入りは例年に比べかなり遅かった。紫陽花と言えば梅雨の季節を連想するし、雨の似合う花でもある。かと言って雨の日にわざわざ紫陽花を撮りに行く元気はそれほどなく、昨年と同じ時季(5、6月)に隅田公園と白山神社へ出掛けた。隅田公園の紫陽花は少し時季が早すぎたようで、公園内の撮影スポットである『あじさいロード』には僅かに咲いている程度であった。公園から隅田川テラスを散策しながら両国橋方面へ歩を進める。途中の花壇に色んな種類の花を見つけシャッターを切る。花の種類は解らないけれど多分、ペチュニア、ビオラ、パンジー等だろうと思った。
 花の撮影に限った事ではないけれど、眼に見える部分だけに因われてしまうと、その奥に潜む被写体の本質を見失いがちになる。被写体の持つ魅力を最大限に引き出すには撮影テクニックももちろん重要ではあるのだが、写真の善し悪しは構図と距離感で決まると私は思っている。花や昆虫といった撮影時に欠かせないのがマクロ撮影であるが、呼吸が乱れると思い通りの撮影が出来ない。心臓が悪い私にとってマクロ撮影は最も苦手とする分野であるが、それでもなんとかレンズとカメラ本体の性能に助けられて小刻みに震える手と呼吸を整えつつシャッターを切る。そうやって苦労しながら撮影している内に「フッ」とポエムが浮かんで来たりするのでる。

 

 

 

 

 前回のネモフィラは『青い妖精』と表現したが、今回は『踊り子』にしてみた。ライトアップされたお花畑はそこに咲く花たちのステージでもある。それは劇場でスポットライトを浴びながら踊るダンサーと同じだろう。その花の持つ魅力を如何に引き出し彼女たちをヒロインに仕立て上げるか、その作業こそが撮り手に問われる大きな課題でもある。
 舎人公園のネモフィラは昨年、初めて訪れネモフィラ畑が何処にあるのか分からず広い公園内をグルグル歩き回ってしまった。1年前に記事に上げているので覚えてくれている読者も多いかと思う。あの時は見事なまでに美しい夕陽を浴びて青い花がより一層美しさを増して咲いていた情景が瞼に焼き付いている。今回は『花と光のムーブメント』と題して、約1ヶ月間のライトアップイベントが開催されていた。
 私が訪れたのはGWに入る少し前の4月26日。GW中は多くの人たちがイベントを見に来るだろう事は予想出来たので早目に行ってみたが、それでもかなり多くの人が同じ目的を持ってネモフィラを撮影していた。何処を切り取っても人物が映り込んでしまう状態だったので、撮影ポイントを決めるのに苦労した。天候は曇りであまり良くはなかったが、ライトアップされたネモフィラを撮るのが目的だったので、明るい内はウォーミングアップ程度で済ませた。辺りに夜の影が囁き出し花畑の地面に設置された小さなLED電球が一斉に輝きだすと、園内から「ワァー、キレイ!」とどよめきの声が上がった。
 浮間公園で大活躍したタムロンの望遠レンズはこの暗い中では役に立たず、単焦点レンズのZ40mmf2での撮影となった。地面スレスレの低い位置からのアングルで、ファインダーを覗いての撮影はさすがに無理でモニターを見ながらであったが、私は眼鏡をしていても少し離れるとぼやけて鮮明に見えない。カメラマンとしては致命的ではあるが、後は勘とカメラの性能に任せシャッターを切った。
 撮れた写真を確認すると、何とも妖艶な幻想的・神秘的とも言える世界が広がっており、前回のネモフィラの時と同じように撮影の疲れもすっかり忘れて、意気揚々と帰宅の徒に着いた。

 

 

 私はかなりの方向音痴である。花音痴も相変わらずで困ったものであるが、地下鉄を降りて地上に出た時、自分が何処にいるのか分からなくなるのでスマフォのGoogleマップを頼りにし、現在地と目的地を把握する。方向音痴はどうすれば直るのだろうか?方向が分からないからと言って特別困った事がないので野放しにしているのだが、これはもしかして認知機能に問題があるのかも知れない。
 この日は日比谷公園へ撮影に行く途中で、都営三田線の日比谷駅で下車し、いつもなら真っ直ぐ地下道を進み日比谷公園の出口に向かうのだが、地上までの長い階段を見ると心臓の悪い私にはため息しか出ず激しい息切れを我慢しつつ上るのが嫌でエレベーターのある出口を探すために別の出口に進んだが、地上に出た途端「え!?此処は何処??」の迷子状態になってしまった。周りは高層ビルだらけでいつもの出口の風景とは全く違っていたため、少しばかりパニックになってしまったのだけれど、大都会ならではのビル群と青い夕空を見上げて、すかさずバックからカメラを取り出しパシャパシャとシャッターを切った。
 覆い被さるように迫って来る青白い空と雲に圧倒され、高層ビル群が今にも白い雲に呑み込まれるのではと想像させる迫力に自分の居場所はどこ吹く風となり、撮影に夢中になった。これがもし沈み行く太陽の陽射しが当たっていたらどんなにか美しい夕陽の空を眺める事が出来ただろうと少し残念な想いを残しつつ、目的地の日比谷公園へ向かった。
 風景写真を撮る時、夜景に限らず雲の存在はとても重要である。特に夏場のモクモクと空に拡がる積乱雲が好きである。だから風景を撮る予定の時は自宅のパソコンでスカイツリーやお台場などあらゆる都内のライブカメラを確認し、空模様を眺めてから出掛けるようにしている。然し、自然は生き物だから刻一刻と変化するため現地に着いた時、希望した空模様に出会えるとは限らない。希望にそぐわなかった時はあっさり諦め、何も撮らず帰宅するのだが、そんな願いの叶わなかった時の足取りは重く疲れもひとしおではあるが、次の機会を愉しみにしてレンズを磨いたりしてその日が終わる。

 

 

 

 チューリップ記事の冒頭で触れているように桜の事がよほど悔しかったのか、この浮間公園へ短期間の間に3回も足を運んだ。1回目はチューリップとネモフィラの撮影に専念。陽が西に傾き始めた頃まで撮影を続けていた。夜景を撮る予定はなかったので、それは別の日に回して公園内を歩き回った。
 浮間公園は舎人公園や昭和記念公園のように広くはないため、池の淵に沿って歩けば1時間も掛からないほどコンパクトな公園である。そんな公園内にはボランティアの人達が植えてくれたと思える様々な春の花たちを愉しむ事が出来た。数年前まではこの公園の存在を全く知らなかったが、訪問看護師さんから情報を貰い、昨年の春、初めて訪れてみた。1年前の記事でも触れていると思うので詳細は省くが、春の撮影スポットとして私のレパートリーに追加するに至った。
 ネモフィラと言えば「青い絨毯」と称されるように、広大な敷地に青い花が一面に敷き詰められ、まさに絨毯そのものである。こちらの公園にはそのようなネモフィラ畑がないため、壮観なお花畑を見る事は出来ないものの、風車を中心にして小さな花壇が幾つか点在しており、そこに少し控えめながら青い花びらを蝶の翼の様に広げて咲いている。その姿は可憐な乙女のようでもあり、他の花の邪魔にならぬよう出しゃばりもせず、微風に揺らいでいた。
 花壇は地上から少し高い場所に設置してあり、膝を着いてカメラを構えると構図的にも丁度よい位置に来るため、地面に這いつくばって撮るような事もなく、体力的にも優しい撮影となった。レンズは花を撮る時の定番 Z MC105mmではなく、敢えてタムロンの70-300mmを使用、焦点距離は150mm。望遠レンズ特有の圧縮効果により、実に柔らかく美しい前ボケ写真が撮れた。それはまるで水の中を泳ぐ「青い妖精」そのものの姿であった。
 この日はチューリップも含め納得の行く(予想以上)の写真が撮れたため、ご機嫌な足取りで帰路に着いた。話題は逸れるが、5月15日は腎臓内科と消化器内科の外来日であった。腹部エコーの検査があり、肝臓・膵臓・脾臓・胆嚢の状態を調べた。肝臓も脾臓もかなり大きく肥大していたが、治療の範疇にはないようだった。前任の担当医が3月で三井を去り、東大医学部より新たな医師が赴任して来た。肝硬変について質問したところ、前任者が言っていた「心臓病とは関係のない肝硬変」はあっさりと180度変わり、心臓疾患による「うっ血肝」で肝硬変には間違いないものの、原因が特定出来ないものではないとの事だった。
 気になる心不全の指標であるBNP値は1450と高めではあるものの、重いカメラを持って撮影に行けるため許容範囲である。クレアチニンは入院時3.6だったものが2.85まで改善していた。自宅に戻ってから水分をしっかり摂るようになったのが腎臓を守る結果として、数値に反映されたのだろう。だからと言ってむやみに水分を撮り過ぎると心不全を起こし病院へ逆戻りとなる。心臓、腎臓ともほど良いバランスを保つのがベストなのだが、これが結構難しく悩みどころである。

 

 

 

 桜が撮れなかったその反動と言う訳でもないのだが退院早々重いレンズを2本バッグに詰めて撮影に出掛けた。入院中、退院に向けたリハビリが今回はなく2週間殆どがベッド上で安静だったため体力・筋力がガタ落ちだった。本来であれば自宅でゆっくりトレーニングするのがベストだと判っていたが、花を撮りたいと言う衝動を抑えきれずチューリップが満開の浮間公園へと向かった。4月は全体的に天候が不順で青空の見える日が余りなかったのは残念だったが、目当ての花々をカメラに収める事が出来た。
 チューリップを筆頭に公園に咲いている花を片っ端から撮った。ネモフィラ。ツツジ、サツキ、菜の花など後は種類の分からぬ小さな花たちを…。一眼レフカメラを始めて3年が過ぎたけれど実は今回のチューリップは初めての撮影だった。薔薇が苦手だったようにこれまでチューリップを撮ろうとカメラを構えシャッターは切るものの納得が行かず削除。そんな繰り返しばかりだった。苦手意識を持ってしまうと中々それを克服するのに時間が掛かる。それは人間関係と同じで仕事の同僚たちと馬が合わずスムーズに事が進まない状況で迷いや悩みが生じ、それらがストレスとなっていつの間にか心が疲弊し病んでしまったり…。
 そこまで大袈裟に構える必要もないのだけれど、撮影は相手があって成り立つもの。自分ひとりの世界ではなく、共有と共存の世界だから被写体には常に敬意を払って撮らしてもらう心構えが必要だと思っている。内なる心(眼)で花に語り掛けてこそ被写体の持つ実像が見えて来るのだと思う。撮影に夢中だった時はさほど感じなかったが帰宅の徒についた途端に全身が疲労感で震えているのが分かった。
 そう言えば4月28日で弁置換術を受けてから35年が経った。それを30日の循環器内科の外来で主治医に話すと「すごい!長持ち」と驚いていた。今まで15年間お世話になった主治医は3月で三井を去り4月から担当医が変わった。新たな主治医は昨年ペースメーカー植え込みでお世話になった若い女医さん。退院後、撮影に行った事も報告済みで元気になった自分をアピールして来たが心電図の波形に「梗塞の疑いあり」と言うのが気になった。

 

 

 4月2日、桜の満開を目前にして心不全のため緊急入院となった。昨年8月の退院から一年を待たずして再入院となり我ながら情けなく思う。入院は数年前から最早恒例行事になりつつある。2年前の10月、皆さんもご存知の通り三尖弁の手術が大成功を収め、心不全の要因を断ち切った筈なのにそれでもなお病魔は私に執念深く付き纏って来る。
 3月初旬の循環器内科外来時では、心不全の指標となるBNP値は1300と高めではあったが、さほど息切れも意識する事なく日常生活も普段通りに出来ていたため、気にする程ではなかった。最も悪かった時は8000を超えていたからそれに比べれば大人しい方である。気になる腎不全の方はクレアチニン値2.6と入院していた頃よりも低めで成績が良く安心した。
 心不全の兆候は3月半ばを過ぎた辺りから出現し始め、体重が1週間で3kg増加し60kg台へ突入。普通に歩いていても息切れが目立ち、腸管も浮腫み腹が張って苦しく、横になって寝ると胸の圧迫感で熟睡出来なくなっていた。手足に浮腫みは無く肺とお腹まわりに余分な水分が溜まっているようだった。腎機能を悪化させたくないためにかなり水分を多めに摂っていたのが仇になり心臓が悲鳴を上げ始めたのである。心臓と腎臓どちらを優先するか、どちらも守る事が出来れば理想的なだが「あちらを立てればこちらが立たず」で相容れないのが厄介なところではあるがやはり心臓が最優先である。心臓が悪化すれば全ての臓器に影響が出るのだから時には他の臓器を犠牲にしなければならない時もある。心臓も腎臓も肝臓も同時に治療出来る最先端の医療技術や薬が開発されれば「渡りに船」なのだが…。
 夕刻、救急外来を受診し、左右の肺にかなり水が溜まっている事を確認、BNPは2000を超えておりそのまま入院。7階と循環器病棟の17階が満杯でベッドに空きがなく、今回は一般内科の15階となった。主治医は珍しく20代の若い女医さんとなった。おそらく研修が終わり4月から専攻医となったのであろう。心不全の治療と言えば真っ先に酸素吸入である。新鮮な酸素を吸うことで心臓の負担も軽くなるのである。チューブを鼻に指し酸素が身体中に染み渡ると幾らか楽になる。そしてラシックスの静注(腎臓に負担が掛かる)で、体内に溜まっている水分を尿として排出させる。
 治療を始めて1週間は中々尿量が増えず体重の減量も思うように進まなかったが、利尿薬の「サムスカ」を増量した辺りから体重が減り始めて行った。退院2日前に核医学検査(心
筋シンチ)を受けたが、2年前の時とほぼ変化なしだったので治療の必要なしと判断。4月17日いつもより早目の退院となった。2009年に心筋梗塞で右冠動脈にステントを挿入した時から服用を開始した「バイアスピリン」は心臓血管外科の判断で中止となったが、ワーファリンを服用しているので出血のリスクを少しでも減らすための措置だと思う。
 三井記念病院の裏庭にある公園には桜の木が数本植えてある。おそらくソメイヨシノだと思うが桜の咲く時季になると病院に訪れる人々や入院患者さん達の眼を和ませている。私も15階の窓から桜を眺めるのが日課となっていた。自宅に戻っても病院食(腎不全食)と同等の食生活を送る事が出来れば心不全を繰り返す頻度はかなり減ると思うのだが…。

 

 

 2月中旬過ぎの事だった。株式会社文化工房(朝日テレビグループ)広報メディア局の制作部である方からDMが届いた。内容は、首都高速道路(株)より委託を受け編集・サイト運営を行っており、『首都高速NEWS』への写真掲載に協力して頂けないかと言う連絡であった。
 初めて耳にする社名だったので、暫く考えてDMに貼り付けてあったURLを調べてみると、昭和28年創業の会社で映像・印刷物・WEB・モバイル関連など幅広い分野での制作を行っている歴史ある企業である事が分かった。その後も何度かメールのやり取りをし、信頼に値すると確信を得て写真使用許諾のOKを出した訳である。
 掲載されているわたしの写真は『浜崎橋ジャンクション』。JCTシリーズも6回目となるが、前回の掲載は1年前の両国ジャンクションで、久しぶりのJCT撮影で、少し興奮気味であったが、こちらのJCTは竹芝桟橋から徒歩で5分程度と撮影ポイントを決めるにもさほど時間が掛からず案外スムーズに撮影出来た。使用したレンズはJCTを撮るならこれと決めている中華レンズのLAOWA 14mm F4.0 FF RL Zero-Dである。長く伸びる光芒の美しさに惚れ惚れするレンズであり、14mmと言う超広角レンズにもかかわらず意外と歪みが気にならない。以前にも記したと思うが重量228gの軽さは心臓の悪い私には非常に有り難い。
 文化工房の今回のテーマは『首都高のある風景』。わたし以外にも多くの方の写真が掲載されており、サイトでは数多くのジャンクションや首都高を堪能出来る。JCTを撮る時の大事なポイントは天候とやはり夕暮れから夜に掛けての時間帯である。日中の明るい内に眼にする景色が夜の帳とともに一変する様は夜景撮影の醍醐味を体感出来るほどである。首都高NEWSのリンク先はこちら↓。

 

 

 

 

 私が子ども時代を過ごした故郷の静岡県藤枝市は温暖な気候に恵まれている事もあり、雪は滅多に降らない。降ったとしても積もる様な事は先ずない。私の幼い記憶の何処を探しても雪の姿は見当たらない。その代わり冬になると天候に関係なく富士山に積もった雪が風に運ばれてヒラヒラと舞い落ちて来る。それを『風花』と呼んでいた。それがまるで白い天使の羽根の様に見えて風花の舞う日は嬉しくて外ではしゃいだものである。
 上京して最初に迎えたある冬の日、目覚めて窓の外を見ると辺り一面が白銀の世界だった。「東京ってこんなに雪が降るんだ…」と驚きつつ東京の冬の寒さを思い知らされる一日となった。冬でもコートが要らないほど温かい静岡で育った私にはこの時の身も凍り付くような冬を経験するのは初めての事で、すっかり風邪を引いてしまい何日も仕事を休んでしまった事を覚えており、西大井の木造アパートは隙間だらけで厳しい越冬となった。
 2月5日の東京は午後から降り始めた雪が夜になって激しさを増し、都内全域に大雪警報が発令された。交通網が発達した都会の利便性は何処へ行くにも申し分ないのだが、自然の猛威には相変わらず脆弱である。この日、私は大きなミスを犯してしまった。夕刻になって薬が切れている事に気付いたのである…。窓を開けると外は真っ白で雪が降り積もっている。薬局は午後19時で閉店なので慌てて外へ飛び出した。雪を撮りたいと言う衝動に駆られ、右手にカメラを携えツルツル滑る階段を用心深く下り駅の近くにある薬局へと向かった。
 時計を見ると19時まで残り15分しかなく、かなり焦りつつ急ぎ足で歩を進めた。雪に足を捕られ歩きにくくかなり呼吸も荒くなり参ったが、何としても今日の内に薬をと言う気持ちで全力を出し切って歩いた。閉店3分前で滑り込みセーフ!帰りにダイエーで一週間分の食料を買い込んだためバッグはパンパンに膨れ上がった。多分重量は10キロはあったと思う。ダイエーを出た時が最も雪が激しかった。帰路の途を撮影しながらゆっくり歩いた。傘は持っていたが撮影に邪魔になるので畳んでバックへ。頭が雪で濡れるとまずいのでダウンジャケットのフードを被った。
 シャッタースピードを早くすれば止まった雪が写せ玉ボケの幻想的な雪景色が撮れる事は知っていたが、気温0℃以下の元で手指は凍り付き指の感覚が全く無くなってしまい、シャッターボタンを押す事もままならない状況で、カメラの細かい設定が出来る状態ではなかった。心身ともに冷え切って冷凍庫の中にいるような感覚だったが、雪の風景を撮ると言う目的が凍て付く寒さを上回っており、疲労感は殆ど感じなかった。
 家に着くなり冷え切った身体を温めようと熱々のシャワーを浴びて漸く生き返った。真夏の暑い時にキンキンに冷えたビールを飲むその逆パターンである。東京タワーの記事でもう無茶な撮影はしないと約束したが、それをいとも容易く破ってしまった。寒さは心臓の大敵である事は重々承知していたのだが(反省)…。

 

 

 スタジオジブリ作品の中で癒し系キャラNO1と言えばやはりとなりのトトロだろうと思う。1988年に長編アニメ映画として世に出てから36年の歳月が流れて今も尚、年齢を問わず万人に愛され続けているキャラクター。無垢な心を持った子どもにしか会えない(見えない)ファンタジーの中の生き物である。トトロが棲んでいる森には巨大な楠木があり、この巨木には精霊が宿ると言われ古の時代から御神木として崇められている。
 トトロは空も飛ぶ事から私的には巨大なムササビではないかと勝手に解釈しているが、ムササビが飛んでいる姿を実際に自分の眼で確認した事はない(^_^;)。トトロを被写体として初めて捉えたのは一眼レフデビューして3ヶ月が経った頃2019年12月。NikonのD700で東京ソラマチにある『どんぐり共和国』での撮影だった。店内のいたる所にジブリ作品のキャラが並んでおり、来店する人たちの眼を釘付けにしていた。そんな中でひときわ目立っていたのがトトロとネコバス。私は夢中でシャッターを切った。
 それ以来、ソラマチのスカイツリーを撮りに行った時は必ず店に寄る。来店する度にレイアウトが変わり新たなキャラが陳列されており何度行っても飽きる事がない。トトロも様々な表情を見せてくれるし理屈抜きで撮影が愉しくなる。ファインダーを覗きながらトトロと眼が合うと思わず笑ってしまったり、傍から見たら変なオヤジだと思われるだろう。これほどトトロを撮ってはいるが、まだ一度もグッズを購入した事がない。店からすれば迷惑な客となってしまうが撮影は店のオーナー公認だからその部分で甘えている自分がいるのも事実だろう。次回行った時は自分用ではなく娘へのプレゼントとして購入してみようと思っている。