儚き望みに埋もれて。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

溢れ出すこの想いを

止められなくて

あなたの背中を

追い掛けていたあの頃

戻れない日々と解っていても

儚き望みに埋もれて眠れば

この花の中であなたに逢える

色とりどりに咲く花が

わたしの想いを染めてゆく

 

 

 4月の退院以降、風景写真(夜景)はほんの数枚撮っただけで、それ以外は花ばかり撮り続けていた。風景を撮らなかった理由は単に天候が気に入らなかっただけの事。花(植物)は天候にさほど左右されず雨の日でもそれはそれで情感たっぷりの写真が撮れるだろう。
 今年の梅雨入りは例年に比べかなり遅かった。紫陽花と言えば梅雨の季節を連想するし、雨の似合う花でもある。かと言って雨の日にわざわざ紫陽花を撮りに行く元気はそれほどなく、昨年と同じ時季(5、6月)に隅田公園と白山神社へ出掛けた。隅田公園の紫陽花は少し時季が早すぎたようで、公園内の撮影スポットである『あじさいロード』には僅かに咲いている程度であった。公園から隅田川テラスを散策しながら両国橋方面へ歩を進める。途中の花壇に色んな種類の花を見つけシャッターを切る。花の種類は解らないけれど多分、ペチュニア、ビオラ、パンジー等だろうと思った。
 花の撮影に限った事ではないけれど、眼に見える部分だけに因われてしまうと、その奥に潜む被写体の本質を見失いがちになる。被写体の持つ魅力を最大限に引き出すには撮影テクニックももちろん重要ではあるのだが、写真の善し悪しは構図と距離感で決まると私は思っている。花や昆虫といった撮影時に欠かせないのがマクロ撮影であるが、呼吸が乱れると思い通りの撮影が出来ない。心臓が悪い私にとってマクロ撮影は最も苦手とする分野であるが、それでもなんとかレンズとカメラ本体の性能に助けられて小刻みに震える手と呼吸を整えつつシャッターを切る。そうやって苦労しながら撮影している内に「フッ」とポエムが浮かんで来たりするのでる。