2001年夫婦世界旅行のつづきです。いよいよ念願のヴェトナム入りです。台湾からひとっとびで、サイゴンにつきました。このあとしばらくはヴェトナムに滞在していきます。(約2ヶ月弱) まずはサイゴンの洗礼――(灼熱の太陽。灼熱の人々)――を受けることに。



part10. ヴェトナム入国(サイゴン)!



 さて、予定通り、現地時間午前10時半頃、ヴェトナムはサイゴンのタン・ソン・ニャット国際空港に着く。サイゴンの正式名称は今やホーチミン・シティなのであった。味気ないことこの上ない。現地ではサイゴンで十分通じるのが嬉しい。大体、「タン・ソン・ニャット」の「ニャット」の辺りで、もうヴェトナムの気分ムンムンである。よきかな、よきかな。



 ヴェトナムは一言で言えば、「ノープロブレム!」の国。何が起こっても「ノープロブレム!」きっと殺されたって「ノープロブレム!」で済まされるのだろうと思われる。旅慣れない者が案内もなく踏みしめるには、かなりびびる国である。「ノープロブレム!」を数え上げたらきりがない。



 タクシーは要注意。信頼できると目されているタクシーに乗ったとしても、指定したホテルに連れて行かず、運転手の仲間のホテルに連れて行かれた。右も左も分からない所でいきなり降ろされてしまった。降りる段になって、いつの間にか運転手の仲間にぐるりと取り囲まれ、料金を吹っかけられた。途中で飲み物を飲むようにやたら薦めてくる。(睡眠薬を飲ませるつもりらしい。)等々、怖い話はたくさんある。



 両替も油断ならない。1000円札一枚が3、4cmの厚みのドンの札束に変わるのだ。よれよれボロボロの札束は、赤さびたホッチキスの芯に留められていて、破らないように数えるだけでも一苦労である。そして、その札束の中には、大概、半分に千切れた札や端が欠けた札が混じっていたりする。使い物にならない札をさりげなく忍ばせておくのが彼らの流儀なのである。



 ひんやりと冷房のよく利いた空港を一歩出るや、クワッと音が聞こえそうな炎天下。10mほどだろうか、金網の塀が立てかけてあり、細胞液まで日に焼けたような男達が、その金網に山とかじりついている。目をぎらぎら光らせて、食い入るように出てくる客を物色している。この光景だけで相当びびる。平然を装い、金網の前を通り過ぎるや、わっと彼らが寄ってくる。(こうした光景は、2005年現在では空港がタクシーチケットを出すようになって、お目にかかれなくなったらしいが。)



 広場の隅の日陰をみつけて、ひとまず一息つこうとすると、4、5人の男達が我々を取り囲んで、どこに行くんだ、タクシーに乗っていけ、俺が連れて行ってやる、と五月蝿い五月蝿い。「放っておいてくれっ。」なんていう言葉は彼らには通じない。どこに移動してもワラワラぞろぞろ付いてくる。取り囲む。触ってくる。これではいつ財布を摺られるか、わかったものではない。



 空港を出た所にある掘っ建て小屋が両替所だった。早速、妻は荷物番、夫は両替に。ヴェトナムはUSドルがかなり流通しているが、小さな食堂などではドンしか通用しないかもしれないので、一応1万円ほどドンに両替しておくことにした。1万円といえば、1,158,000ドン。(1ドン=0.00868円なり。円はドンの100分の1弱といったところだ。) 百十五万八千ドン。途方もない札束になる。しかし、両替所のおばさんが出してきたのは1,150,000ドン。8,000ドン足りない。「8,000ドン、足りないぞよ。」と言うと、おばさんは「ヴェリィィ、スモ―――ォル。」(小さいことじゃないか。そんなはした金はいちいち出していられないね。気にしなさんな。ノープロブレム。)と澄まし込んで、取り付く島もない。



 夫は一旦その両替所を離れたものの、8,000ドンは、確かに日本円にすれば80円ほどの「スモ―――ォル」な金額だが、いかんせん、納得いかん。納得できないことは引いてはいかん! 気を取り直し、俄然闘争心を燃やして、すぐに両替所にとって返し、やっぱり8,000ドンよこしなさい! と言い募った。両替所のおばさんはうんざりしたようにしばらく黙っていたが、とうとう8,000ドンを夫に渡したのであった。8,000ドンあれば、フランスパンの大きなサンドウィッチ(3,000ドン)が食べられる。ビール(6,000~9,000ドン)や、コーヒー(2,000~5,000ドン)も飲める。絵葉書だって3、4枚買えちゃう。なかなかの小銭なのであった。偉大なる「スモ―――ォル」なのである。やっぱりゲットしておいてよかった。偉いぞ、夫。



 両替も無事済んだので、次は、とっとと町に出てホテル探しだ! とタクシーを探す。向こうから言い寄ってくるタクシーなど胡散臭いので、群がり寄ってくる男達をかきわけかきわけ、紺色の「サイゴンタクシー」を探す。ガイドブックにお勧めのタクシーとして紹介されていたタクシーだ。一人の男が「俺はサイゴンタクシーだぜ。」とか何とか言ったかと思うと、次の瞬間には男の姿が無い。我々のカバンもない。数十メートル先に1個40kgはあろうかという我々のバックパックを抱えて男が走っていく。おおぃ、どこへ行くのだぁっと、必死に跡を追わざるを得ない。追いつくと、男はタクシーに荷物を詰め込んで、「さぁ、乗れ。」と言う。確かに紺色のサイゴンタクシーではあった。

 

 値段交渉して、とりあえず相場とされている5USドルで話を決め、乗り込む。メモを取り出しタクシーのナンバーを記入して見せ、おもむろに腕時計で時間を確認する。我々は何かあったら、お前を訴えるぞよ、お前の素性はばれておるぞよ、どのくらいで街中に着くかわかっておるのだぞっ、というアピールである。我々のアピールが男に届いていたかどうかは、甚だ疑問だが。空港から大通りをしばらく走ると、タクシーは右に左にと狭い路地に入り込んでいった。おい、おい。遠回りしていないか? 変な所に行っているんじゃないか? 不安なれど、確認しようもない。初めのうちは「ジャパン? ツーリスト?」などと片言の英語で男が話しかけてきた。話をさせて油断させようという魂胆かもしれぬ。その手には乗らぬぞ。私は「イヤァ、イエ~ス」とぶっちぎれの答えを無愛想に返すだけ。夫は「ああ、知ってる、知ってる。ヴェトナムにはよく来てるからねっ。ふぉっほっほっ。」てな感じで、何やら受け答えしている。



 やがてタクシーが止まった。いかにも街中ではあるが、そこが我々が指定したファン・グー・ラオ通りかどうか、すぐに判断することはできなかった。とにかく、街中であることに代わりはないので降りることにした。その瞬間、男がタクシーメーターをついっと触って、カシャンとメーターが一気に倍近くに跳ね上がった。47,000ドン(約4USドル弱)が76,000ドンだ。おいっ、汚いぞっ! と思ったが、「最初に5ドルって約束したよねっ。」と冷静に、しかし相手をねめつけながら5ドル握らせる。しかたねぇなってな顔して、さっさとタクシー男は去っていった。



 それから炎天下、我々は1時間近く、目安の「サイゴンカフェ」なるカフェを求めて歩き回った(「サイゴンカフェ」――いい名前だ)。通りの名前は合っていた。確かに安宿街で有名なファン・グー・ラオ通りである。しかし、その通りにあるはずのサイゴン・カフェがない。10分おきぐらいに、「やっぱり変な所に降ろされたのか???」と疑いながら、同じブロックを2週して探した。汗だくになって、結局もとの所に戻ってきたとき、目の前に目指すカフェを発見した。何のことはない。“運転手”は指定したカフェの見える通りで降ろしてくれていたのだ。(ここで「男」は「運転手」に昇格。)



 「カフェ」という名前による先入観から、日本の喫茶店のようなものを想像していたのが間違いだった。通りに面したドアも壁も窓もなく、昭和40年代の安食堂で使われていたような小ぶりのテーブルが5、6脚。同じく安食堂のスチール椅子が数脚、狭い店の中に、通りに向かって並べてある。ほとんど奥まったオープンカフェ状態 (あるいは、ビルの隙間の窪み状態?)になっているこの小さな店を、我々は2度も通り過ぎていたのであった。



              つづく

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