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にぶんのいちのこっち側で ★癌と猫のわたしの部屋★

2023年ブログタイトルを変更し、
猫のこと、病気のことなど書いています。
2023.01)胸腔鏡左下葉切除
 T3N2M0(ステージⅢb)の肺腺癌との診断。
2023.02)抗がん剤治療を開始。
 シスプラチン+ナベルビン
2023.04 遺伝子変異分子標的治療
 タグリッソ

これまでのおさらい…

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2022.12)右肩甲骨周りの凝りで整形外科に。

 たまたま撮ったCTで肺に影が見つかり、

 がん専門病院に紹介してもらう

2022.12)検査の結果、悪性の可能性が高く、

 胸腔鏡による左下葉切除の手術を提案された。

 腫瘍の大きさは3㎝未満で他の臓器への転移もなく

 ステージⅠaとの説明を受ける。

2023.01)左下葉切除の手術を受け、手術は成功した。

 が、リンパ節への転移が認められ、胸腔鏡で届く範囲の

 がん細胞は取ってくれたという。

2023.02)心臓への浸潤があり、

 病理検査の結果、リンパ節への転移があり、

 T3N2M0(ステージⅢb)の肺腺癌との診断であった。

 

 

2023.02)術後補助化学療法として、抗がん剤治療を開始。

 シスプラチン+ナベルビン

 第1クール

2023.03)抗がん剤治療第2クール

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私が通うがん専門病院では、がんの遺伝子変異検査をしている。私はEGFR遺伝子変異ありということで、この型に良く効く薬(分子標的治療)も検討できるとの事だった。なぜ最初からこれを使わないのかは、まだ歴史が浅い事が理由の一つでありそうだったが、明るい話ではあると思っていた。

2回の抗がん剤治療を終え、私はこの分子標的治療に切り替えたいと主治医に申し出た。Dr.A は、それもよい判断だと思うとの反応だった。

そもそも、私の場合は抗がん剤の有効率が5~10%と低く、その割に副作用はしっかり出る。それでDr.Aからメリット・デメリットを出してもらい、半分終えた段階で分子標的治療に切り替えるのは治療としてのデメリットが少ないと判断した。問題は薬価が高いことで、1錠2万円程する。1日1錠ずつ飲むので、確実に高額療養になる。術後補助化学療法としては3年間飲むことができるが、その間ずっと高額療養MAXを払うことになる。(錠剤の規格は80㎎と40㎎があるが、通常は80㎎を投与することになる)

主な副作用は皮疹、重大な副作用は間質性肺疾患との事だった。今までの薬とは異なり、副作用の出方が遅い。おそらく退院後に副作用が発症するだろうとの事だ。皮疹と言っているが、口内炎も発症率が高そうだ。同室だった方にもいて、口腔外科でレーザーで焼いてもらっていた。

皮疹を予防するために、清潔&保湿の指導があった。ティッシュが張り付くほどの保湿が推奨されているとの事。しかも全身だから夏はキツイだろう。

 

因みに、タグリッソが肺がんの術後補助療法に適用されるようになったのは昨年8月のようだから、今までイレッサ等の別の抗がん剤から切り替える患者さんもいる。

https://www.astrazeneca.co.jp/media/press-releases1/2022/2022082502.html

 

それぞれの副作用があり、自分に合うかどうかもあるから、治療がうまく進むことを期待する。

 

 

 

 

 

 

私の抗がん剤は、「シスプラチン+ナベルビン」。

 

第1クールでは、最初の投与から20日前後で脱毛開始。

前頭部から頭頂部がかなり薄くなったと思う。

以前も書いた通り、シャンプーでごっそり抜けるのを見るのは、やっぱりショックだったし、

ドライヤーを掛けるときに髪をかき上げると、はっきりと薄くなっているのを感じた。

 

第2クールも、同じくらい抜けたら、相当薄毛になり、

Dr. が言っていたように、「他人から見ても脱毛が分かる」と思っていた。

 

第2クール初日から4週、

今回、脱毛は量は減ったと思う。

脱毛量は毛髪量との比率なのかな?と思ったりした。

前回大量に抜けた前髪、生え際、頭頂部などはやっぱりさらに薄くなったと感じるが、手ぐしをして抜けるのは、後頭部のように感じた。

 

そして、シャンプー時の抜け毛は以前より少ないと思う。

排水溝の掃除をその都度やったのはほんの数日。

・・・これくらいならいいか…と、私は慣れてしまったが、家族は心配するだろうし、いいものではないから、掃除は自分でしたほうがいいと思う。

 

自分では鏡を見ない限り分からないが、

ある程度脱毛しているなら、帽子やウィッグで身だしなみを整える方がよいと思う。

私は、第1クールの脱毛が始まったとき、少しだけ帽子を被っていたが、髪に癖がつくし、主人から「家にいるときはいいんじゃない?」と言われ、被らなくなった。

ウィッグも用意だけしたが、やっぱり使っていない。どうしても不自然に感じてしまうので、自分が慣れるところからトレーニングが必要だと思っている。

外出するときだけ帽子を被っていて、夏になれば尚更不自然でなくなると期待しているが、屋内活動で脱帽しなければならない場合の乗り越え方を考えている。

 

さて、次の治療が間近に迫っている。

通常であれば、抗がん剤第3クールになるが、

私の肺がんは遺伝子変異が認められ、今の抗がん剤治療の次に「分子標的治療」という治療も選択肢が言われており、第3クールを受けず、そちらに切り替えようと考えている。

前回の退院時に、概ね主治医に了承を得ていて、

次回そのことを書こうと思う。

外出制限の無いGW、

家族で出掛けるもよし、

帰省するもよし、

のんびり過ごすもよし…

どう過ごすか考えるが、

私はのんびり家で過ごすことにする。

 

髪の脱毛も第二段階にきていて、外出もおっくうだし、

そもそもGWの前半は入院になりそうだから、

体調も考慮して、予定は空にしている。

 

外出がおっくうであると同時に、

誰かに会うとしたら、がんであることを話さなくてはならなくなりそうだし、それが一番面倒くさい。

 

今のところ私は必要最小限の範囲にしか病気の事を話していないから..。

 

家族、

実の家族、

実兄、従姉、

職場の社長、

30年来の親友一人と、

家族ぐるみで仲良くしている一家庭。

 

はじめはもう少し広い範囲で話しても良いと思っていて、

手術して落ち着いたら話そうと思っていたが、

ステージ1のつもりが3で、

抗がん剤治療をするとなったら自分の心が落ち着かず、

必要最小限に留めている。

 

「入院する」とか「手術する」とか、

「少し療養が必要になった」という言い回しで

病気であることを話した人もごくわずかにいるが、

気の許せる人だけにしている。

 

先日、カウンセリングの勉強を一緒にしていた仲間から「GWにご飯でも行こうよ」という連絡がきて、年に数回、わざわざ飛行機で来る人だから「実は入院の予定があって」…と事情を伝えると、

「お見舞いに行くよ」と。

 

「コロナでお見舞い禁止」と伝えると、

 

「まだそんなこと言っているの?」と返事が来た。

 

 

この友人は、そもそも

コロナは風邪と同じ、と言っていた。

ワクチン否定派でもある。

 

「肺がん」と言っていないから重大さもわからないかもしれないが、今は距離を置いておこうと思った。

 

わざわざ言わなければわかってもらえない人との関係はだんだん薄れていくと思う。

 

友人も数より質で、

その方が面倒が少ないと思う。

 

今、私ががんであることを話している人たちは、

驚き心配しつつも、愛と激励を届けてくれる。

それを想うと、そんな気持ちにさせて申し訳ないと思うし、

励ましに応えなきゃと思っている。

 

 

 

従姉から届いた苺💛

抗がん剤は患者本人だけでなく注意が必要なことがある。

 

例えば、私が抗がん剤を点滴してもらう時、

看護師さんはフェイスシールド、使い捨てナイロン製スモック、手袋などを着用し、曝露を防いでいる。

 

患者が注意を受ける点としては、

抗がん剤点滴中は安静にベッドに横になる、

血管の痛み、腫れなどを感じたらすぐに申し出る。

・・・血管から漏れると皮膚に影響がでるため。

 

もし失禁したり、

計量中のし尿ビンからこぼしてしまったら、自分で処理せず看護師を呼ぶ。

・・・特別な処理が必要との事。

 

 

排泄物で少なからず曝露する可能性もあると聞くが、

退院後の生活で気にすることはないとの事だった。

因みに、入院中から男性も座って用を足すようにと言われている。

 

退院後、

食事は好きなものを食べてよいと言われた。

抗がん剤の副作用で吐き気が強く、体重が落ちている人は特に、とにかく好きなものを食べて体力を回復することが必要なようだ。

 

手術後の退院では、次の外来(2週間後)までは

・飛行機に乗らない

・体をひねる運動は避ける

 などの注意はあったが、

抗がん剤治療の退院では、そういった制限もなかった。

 

とはいえ、

私の場合、1クール目の退院直前、白血球数がかなり減っており、実は退院前日に少し発熱していた。

翌日医師に報告し、抗生剤を処方してもらい帰宅したが、外出は自粛した。帰宅して3日後には体調も戻ったが、次の入院まで必要最低限の外出しかしなかった。

 

抗がん剤2クール目は白血球のコントロールのため、抗がん剤の量が調整されていたこともあり、前回より楽に退院してきた。

しかし、ほぼ外出せずに過ごしている。

医師からは、抗がん剤投与後14日後のピークを目安に、普通に過ごしてよいが、感染症対策はするように。とのことだった。

 

どちらかというと出不精なので、私は気にならないが、

過度に制限しなくていいよ、という事だと思う。

 

因みに、

食事に気を付けるのであれば、

豆・野菜・きのこ・ヨーグルトを摂るのは良いようである。

 

抗がん剤治療をしていて一番気になる副作用は「脱毛」と答える人は多いと思う。特に女性は。

 

私の「シスプラチン+ナベルビン」の脱毛程度は、

ツルツルにはならないが、他人から見てもわかる程度の脱毛があるというので、ウィッグや帽子でのケアを検討しておいた方がよいと言われていた。

 

ネットで調べると、抗がん剤投与時に頭部を冷やすと脱毛緩和が期待できるという記事を読んだことがあり、私も一応アイスノンで冷やしてみた。*比較できないので効果は分からない*

 

 

 

抗がん剤治療開始から6週間ほど経過している今分かっている範囲を記録すると、

 

投与直後は変化なく2週間後に退院。

3週間が経過したころ、シャンプーをしようと予洗いすると、手ぐしした指にいつもより多めの抜け毛が絡んでいた。

 

これを皮切りに一気に脱毛が進み、

3日後には「副作用の脱毛が始まった」と確実に自覚した。

 

こうなると、排水溝は髪真っ黒になるから、その都度自分で掃除するなりしたらいいと思う。

治療開始時に髪を切ってくる方は多いが、退院後に切っても間に合う。

切った方がよい理由は、

ー脱毛の際に髪同士が絡まってしまう、

ー抜けたショックが大きく感じる

ー毛のゴミが増える

・・ということでしょうか。

 

私も切っておいてよかったとは思うが、

人によってどこが抜けるか違うため、オススメするほど何も知らないが、

短めにしておくことと、

おくれ毛を出せる髪型は、帽子にした時もおしゃれにできる可能性を残すかな、というくらいに感じた。

 

私は、生え際にひりひりした痛みを感じていて、

ここが抜けるだろうと思っていた。

 

案の定、生え際、つむじを中心にトップが薄くなってきた。

自分では鏡の中でも薄くなったのが分かるが、

4週後の2回目入院をしたときに、

同室の方には「全然薄くないよ」と言われ、

それを真に受けているわけではないが、

元々ちょっと薄毛の人、、、位の位置かな、と思っている。

この時には脱毛のピークは過ぎていたので、すごく抜けるのは5日程度かな、と思う。

 

抜け毛対策として、

不織布のヘアキャップを用意しておいたが、私には不要だった。

脱毛がひどくなりそうな夜にかぶってみたが、

静電気がひどく不快なだけだった。

特に、私の脱毛はシャンプー時以外は自覚することがほとんどなかったから、日中は気にする必要もほぼない。

ただ、ブラッシングしても抜けないのに、

シャワーの濡れた手で手ぐしすると一気に抜ける、、、、

という具合で、入浴後の掃除だけが必要だった。

もう一つ、

ドライヤーで乾かすときは弱風でないと、抜け毛が部屋中に舞ってしまう。

床に落ちると掃除しにくいので、入院中でもあえてベッドや布の上で乾かしてコロコロをするなりして、その都度簡単な掃除をするとよいと思う。

 

 

私の場合は2種類の抗がん剤を点滴注射で投与する。

詳しくは前回のblogに

 

 

調べてみると、ナベルビンは吐き気が強く出る様子。

また、吐き気のピークは4・5日目である方が多い様なので、気持ちの中で一応そこにターゲットを置いていた。

 

しかし、、、

私は当日から軽い吐き気が出始めた。

翌朝、既にだるさと軽い吐き気が出てきたが、

2ー3日目は吐き気止めの点滴が追加になるため、

そこで様子を見る段取りになった。

 

確かに輸液と吐き気止めが点滴されると、半日ほど落ち着いてはいたが、その後は吐き気のコントロールが課題になった。

 

私はせっかちである。

怒りっぽいのも否定しない。

体調が悪い時は尚更で、

とにかく吐き気が治まるように薬が追加できるか確認した。

答えは「できる」だったから、リスクヘッジしたつもりでいた。

 

申し訳ないが、看護師はあてにならない時がある。

交代制である事が更にコミュニケーションを悪くする。

医師にも同じことは言える。

 

翌朝、体調が優れず

いざ「吐き気止め追加したい」と言ったところ、

朝の担当看護師は難色を示した。

一緒に来た医師と「追っかけるだけになる…」とコソコソ言った。

 

推測するに、

今飲む価値が無いという事だと思った。

 

昨日聞いたよ、私は。

「夕食後の吐き気止め(ドンペリドン)を飲み、就寝前に吐き気&睡眠補助(オランザピン)を飲んでも、朝吐き気が強かった時に使える薬はありますか?」と。

*私はオランザピンの副作用に抵抗がありあまり飲みたくないと思っている*

 

夜の看護師は「あると思うので、その時相談してください」と言っていた。

 

嘘だ。

絶対信用しない、この看護師!!!と思った。

 

結局、吐き気は6日目まで続くことになった。

 

 

第2クールの初めに、私は主治医であるDr.KとDr. Aに

前回の振り返りとして

 

①私は初日から吐き気が出る。

②2-3日目は点滴が回避できたが吐き気は続く。緩和したい。

③オランザピン5mg錠は冷や汗が出る。

 

と話した。

 

Dr. K、Dr.Aは

ー①初日から内服の吐き気止めを出しましょう。

ー②上記①によって、しっかり押さえよう。

ー③日本人女性の体格からして、2.5㎎で十分効果があるから、2.5㎎錠を使いましょう。

 

とのことだった。

 

ーーーーーーーーーーーー

しかしながら、夜間Dr. になると、話がスムーズに繋がらなかった。

夜間に吐き気を止めようと、最終の吐き気止めの追加を看護師に申し出ると、夜間Dr. は「それならオランザピンを5㎎に」と言い出したらしい。

 

またである。

 

翌朝、また担当Dr.に昨晩の出来事を話した。

夜間の処方は特に注意が必要である。

 

担当Dr.でなくともスムーズに処方してもらえること、

他の薬と重ねて服用できること、

を、担当Dr.Kに確認できた。

 

やっとだ。

 

根回しも、安心してはいけない。

そして、一度でくじけてはいけない。

1クール目、

約2週間の入院でおおよそ

1日目:シスプラチン+ナベルビンを約5時間で点滴、

2日目:輸液4時間点滴

3日目:輸液4時間点滴

8日目:シスプラチンを15分点滴

というスケジュール。

14日目に白血球数が底辺になるのを確認して退院と言われた。

 

最近の抗がん剤治療は昔と比べるとずいぶん楽になったらしい。

私が手術で入院した時に同じ部屋だった方も、抗がん剤治療は時間が長くて暇なだけ…と言っていた。

 

そんなもんかな…位に思いながら、

でも、不安も拭えないまま入院した。

 

消化器内科Dr.Kの説明を聞くことになり、

ちょっと話した感じで

”聞くなら今だ!”と勇気を出して聞いてみた。

「そもそもステージⅠとの見込みで手術に応じた」

「病理診断後ステージⅢbというのはショックだ」

「ステージⅢbと分かっていたら手術したのか」

「術後補助化学療法というのは分かるが、そもそも手術対象でなかった私が同じ術後療法なのは妥当なのか」

・・・と、ざっとそんなことを聞いた。

 

Dr.Kは、私の不安や疑問をしっかり受け止めてくれた。

「今の医療は画像を見て判断するしかない」

「画像に写らないものを診断するすべがなく、

ステージが変わることもあるが、今回のこまちさんのケースでは、他の病院でも同じ判断をしただろう。」

「外科チームも、病理診断を受けて限界を感じながら、術前の判断に間違いがなかったことを改めて確認していた」

「術前にステージⅢbと分かっていたら手術はしなかったが、大元の腫瘍を切ったことは意味がある」

「抗がん剤で抑えられる再発率の低さは、医療にかかわるものとして申し訳ないと思うが、癌治療は近年急激な進歩もしているので、今できる治療を一つずつ検討していきましょう」

という事だった。

 

自分事として理解したかというと疑問もあるが、

話としては一通り理解した。

 

話しながら自然と涙が出た。

 

理由は複数あると思うが、

自分よりもショックを受けて、

頑張れ、頑張れという母の存在が大きい。

 

多分、私も分からず不安なのに、

頑張らなきゃというプレッシャーが圧し掛かっていたのだと思う。

 

応援は、良くも悪くも、である。

また呼吸器内科に戻ってきた。

 

手術をすることになったとき、

抗がん剤より手術の方がいい、

抗がん剤は怖い…と内心思っていた。

 

切って終わりと思っていた私に、

 

「外科で確認できる癌細胞は全て取ったが、

画像に写らない、目に見えない小さなものが

体の中に残っていることを想定して、

抗がん剤治療をお勧めします。」という提案。

 

あー、来てしまった。。。

と思った。

 

しかもだ、

「抗がん剤をすることで再発率は、

やらないより5~10%抑えられます」と。

(ステージⅢbの場合だと思います)

 

は?

 

え?

 

たった

5%~10%????

 

いやいや、

抗がん剤って、結構つらいでしょ。

しかも、脱毛もするから、

周りにそれとわかってしまうし…、

それがそんなもんなの?と思った。

 

でも、

これを「やりません」という勇気はなく、少し迷っていると、

消化器内科Dr.Aは"そんなに迷う?"と言わんばかりに笑みを浮かべる…。

 

「やるか、やらないかのお返事を先生は待ってますか?」

と聞くと、そうだと言い、

「みんなやってますから。おばあちゃんとかも沢山…」と。

 

いやいや、そうゆうこと?

 

というか、

私は先日のステージⅢbにも困惑していて、

疑問というか、どう表現していいのか整理がついていない状況なのに…、と思いながら、

やる選択をした。

 

一緒に診察室に入った主人に、帰り道でそれをそのまま話した。

「5~10%って、そんなもん???

って思ったけど、やらないという勇気なかったよ。」と。

 

Dr.Aに初めてお目にかかったときは、

「私より先生の方が病人っぽい」と主人に説明したのが

なんだかバチとなって返ってきた気がしたのと、

Dr.Aとのコミュニケーションにちょっと不安を抱いた。

術後、主人は私の取り出した肺を”こんなにきれいなんだ”と思ったという。生々しい色で、”写真を撮りたかったが不謹慎かと思って言えなかった”と言った。

 

私は写真でしか見られなかったし、"取り出したばかりはこんな色じゃなかった"と言っていた。

 

私も見たかった。

 

で、病理診断の前にDr.Iから言われたことは

「リンパへの転移があった」

「わかる範囲の、取れる範囲は取った」

とのことだった。

 

手術から4週間ほどで外来受診し、

「病理診断の結果、心臓への浸潤、リンパへの転移」

「ステージⅢb」

「とれる範囲の細胞は取り切っている」

「外科としては寛解」

「元々診察を受けた呼吸器内科Dr.Aへ紹介します」

・・・・

あれ?

早期発見・・・じゃない?

あれ?

ステージⅢってなんだっけ?

Ⅲbって、そもそも手術対象じゃないじゃん…

5年生存率?

再発率???

あれ?

結構深刻じゃん..。

 

などなど、

調べれば調べるほど、

残った時間について考えざるを得なかった。

 

”術前にステージⅢと言われていた人が、

術後にステージⅠになることもよくある”

というweb記事を読んで、

逆の人はどうすればよいのか、

どう捉えてよいのか戸惑いながら、

 

現実を正しく受け入れるために

一人で闇雲に調べない方がよいと思った。

年明け一番の手術日程になった。

 

術前診断ではステージ1A。

27㎜の腫瘍がある左下葉を切り、

丈夫な袋に入れて取り出すそうだ。

 

肺活量も性別年齢体格など考慮した比較で

普通以上にあるから大丈夫とのお墨付きをもらい、

肺活量は訓練次第で延ばせる機能だと思っているし、

覚悟は決まった。

 

 

切ったら終わるだろう。

早期発見、早期治療!

整形外科でたまたま見つけてもらった腫瘍。

診察に行った私もエライ!

整形外科に感謝!

よし!切ってすっきり!

 

・・・と思っていた。

 

手術は全身麻酔なので、

私は俎板の鯉だ。

自分ではどうしようもない事を、

Dr.Iがやってくれるのだ。

当日、私は落ち着いていたと思う。

手術室がこんなにたくさん並んでいるとは、ちょっと驚いた。

案内された扉から入り、手術台に寝た。

髪を縛っていたのを看護師が「キャップに収まるならゴムは外してた方が良いかも」と言ってくれ、そうした。

名前を答えたり、いくつか質問されたが、

直ぐに全身麻酔になり、すぐに寝てしまった。

 

手術が終わり、声を掛けられて意識が戻ったのを感じた。Dr.Iの「無事に終わりましたよ」の声と、主人の顔が見えて、ホッとした直後、極度の寒さに襲われ身震いが起こり、ベッドにヒーターを入れてもらった。

 

大変だったのは術後の夜。

とにかく背中が痛い!

痛い!痛い!とにかく痛い!!!

 

「痛い」と看護師に伝えると、痛み止めを使えると言ってくれた。しかし、私の痛みはほぼ軽減せず、痛み止めの点滴中30分位眠れるのだが、直ぐに痛みが戻る。

「痛いときは遠慮なく言ってください。痛み止めを追加します」…と説明されていたのに、「あと4時間は追加できない」などという。

 

”話が違う”

痛いながらに、言い方を変えたり、方法を模索してみた。

「傷が痛いのではなく、背中が痛い!」

「眠れない」

「座薬はだめなのか」

・・・など、言ってみた。

 

背中が痛いのは神経のせいらしい。

肺の胸腔鏡手術は腕を上げ、無理な体勢が長時間続くらしく、背中が痛くなる人もいるらしい。私の様に、肩こりの持病がある人はそうなのかもしれないと思った。

そして、座薬を入れてもらった。

・・少し眠れたと思う。

 

この日は一日中心電図などの装置が付き、自分で寝返りもできない寝たきり。水も飲めず、氷をなめるだけ。

のどがカラカラになりながらナースコールで看護師を呼び、「イタイ」やら「コオリクダサイ」とカスカスの声で伝えた。

こんなに時間が長いと思ったことはない。

 

そのくらい辛い一晩でした。