にぶんのいちのこっち側で ★癌と猫のわたしの部屋★

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2023年ブログタイトルを変更し、
猫のこと、病気のことなど書いています。
2023.01)胸腔鏡左下葉切除
 T3N2M0(ステージⅢb)の肺腺癌との診断。
2023.02)抗がん剤治療を開始。
 シスプラチン+ナベルビン
2023.04 遺伝子変異分子標的治療
 タグリッソ

夏から続いていた仕事探しの結果、第二弾。

 

9月中旬に面接→9月末に二次面接→10月初旬に三次面接

 →内定の方向と言われていたが、不採用の連絡が来た。

 

 

面接では、即戦力として期待してもらい、

応募した職種以外の仕事に発展させて面接してもらったのだが、

折り合いがつかなかった。そもそも転職エージェントがいい加減だった点が悔やまれるが、私も、妥協しないで良かったと思うし、働くことについて改めて考えなおす良い時間になった。

 

結論、正社員として働こうと考えるのはやっぱりやめようと思った。

 

一日8~9時間×4~5日の拘束。

これを楽しく過ごすのは並大抵のことではない。

自分が楽しくできることだけだとしても、拘束時間が長すぎて、私のやりたい事も、のんびりする事も、楽しい時間も、制限されてしまうような気がして、結果を待ちつつ心配になっていた。

 

時間は宝。

・・・そう思った。

だから、不採用でよかった。

 

そこで、一旦は「教室運営は本業にしない」と決めたのだが、新規生徒を募集しようと思っている。がん治療が始まって、定期開講の生徒を持つ事に抵抗があったが、黒字化させたいし、今は週1クラスに減らしてしまったので、ゆとりのあるスケジュール感で増やしたいと思う。

 

明日の造影CTと血液検査の結果次第ではあるが。

 

タグリッソの服用を開始して、

肌トラブル

爪のヒビ

下痢

・・・が気になるところではあったが、

診察では「特別な問題はなく、半年たったところから急激な副作用が出ることも無いと思われるし、次のCTで問題ない事を確認していきましょう」というものだった。

 

診察では血液検査と胸部レントゲン撮影が診断の材料となっていて、「しばらくクレアチニンが基準より高いが明らかな異常値ではないし、下痢になることが多いという状態が影響しているともいえるから」と聞いていたので、ふーん...位に思っていた。

 

がしかし。

帰宅して血液検査の結果を改めて見返してみると、

「クレアチニンが基準を超えているのは前からだ」と医師は言っていたが、タグリッソを服用してから上昇していたし、それが半年続いていることになる。ネットで検索してみると、腎機能障害→透析ということで、放っていていいのかと心配になってきた。

さらに「eGFR」という項目についてもネットで知り、血液検査結果にも項目が追加されていることに気付いた!...おいおい、先生気付いていることがあるなら教えてくださいよ...と思いながら値を見ると、これまた基準値を下回っていて、前回より今回の方が状態が悪い。。。。

トホホである。

 

腎クリニックを受診しようかとも思ったり、

タグリッソを80→40㎎にしてもらったらどうか、、、等と素人考えを巡らせたが、40にしたところで改善するかはわからない、今年の夏は暑かったから脱水が起こりやすくなっていたなどの見方があると聞き、水分を多めにとることや規則正しい生活と塩分に注意して次の診察まで過ごしてみようと思った。

 

このような事があると、

食欲がない、お腹がすいても一人前の料理が食べられない、

小食なのに体重が減らないけど本当は浮腫み?等と、診察の時は相談しなかったちょっとしたことが次々と湧いてきて、ちょっとした変化でも診察の時に相談しようと思った。

一年前の今頃は何を考えていたのか…というと、

今とあまり変わらない気がする。

 

教室講師の仕事を拡大させようとポスター作りをしたり、テレワークで出来るパート仕事を探していたように思う。

実際11月下旬にぴったりの仕事が見つかった。そして、翌月癌が見つかる。

 

さてさて、

最近、気候も良く過ごしやすくなったので、不用品を片づけようとゴソゴソしていると、古いノートが出てきた。勉強会のメモなどが書いてあり、捨てるのも勿体ないと思ってしまったが、恐らく1年以上放置されていたのだから意を決して捨てた。読み返しても良く分からないものもあり、身につかなかった情報なんてそんなもんだと諦めた。インプットしたらアウトプットできるくらいにならないと意味はないんじゃないか。ふーん...で終わった記憶に残っていない情報は、この際一旦捨てようと思って捨てた。

 

私は取捨選択が下手なんだと思う。

優先順位をつけるのが下手ともいえると思う。

 

がんが分かった時、これだけはやりたい!やらなきゃ!!を考えたが、意外と無かった。。。強いて言えば、問題だらけの第一子、まだかわいい第二子が成人するところまでは元気でいたいと思った。そして、親に面倒見てもらわなくていい様に、悲しませないようにしたいとも思った。が、何かをやり遂げたい!というような野心は生まれなかった…。

とはいえ、自分よりも私の事を心配してくれる人たちがいると思うと、治療から逃げようとは思わなかったし、やっぱり私もまだこの世にいたいと思っている。

 

数年前、愛猫の病気が分かった時、私の世界観が変わった。

愛する者がいなくなってしまうかも…と思うと、家中の物が不用品に思えた。

これも、コレも、何にもいらないから、穏やかに暮らせる場所と時間が欲しい!と思った。

 

こうゆうことがないと、私は決められない、捨てられない人間なのかもしれない。

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そこで断捨離の決意表明!

・本(本棚は欲求の塊)

・着物(フリマサイトでいっぱい買ったが、似合わないものを手放す)

・活かせていない資格(更新しない)

・3年以上着ている普段着

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少し前、フォローしていた癌サバイバーが天に召された。

数日前、知人の知人が事故で亡くなった。

明日も生きていることは当たり前ではない。

人はどこかで自分は大丈夫と勘違いし、奇跡が起こると思って期待し、今あるものが無くなるかも…という恐怖から目をそらそうとしているのだと思う。

でも、現実はこうなんだな、

でも、誰もがいつかはこの世に身を置けなくなるのだ。

自分が癌になったことで、「人生100年なんかじゃない」と身をもって知り、それを自分事にする仮体験もした。

だったら、残りの人生を自分ファーストにするために、優先順位をつけるのは今やっておくべきことだと思う。

家でダラダラ過ごすのもだんだん飽きてきて、

治療費の事もあるし、職探しを始めた。

 

8月、たまたま取った求人情報誌に、近所で、過去の経験が活かせる仕事が載っていた。

以前もこの手の求人は見ていたが、この求人の魅力は、

"転職者は前職給与を保障します"と書いてあった点だ。

 

デメリットは、土日もシフトがあることと、拘束時間が長い事。

 

それでも、やっぱり私は”お金優先"と思い、応募した。

応募前に、「キャリアアップしていく環境があるか」と質問したところ、「あります!」との回答があり、より意欲を感じていた。

 

勤務先は近所なのに、面接は都心まで呼ばれた。

真夏の35℃を超える中、久しぶりのおめかしにヒール、仕方なくジャケットを持って出掛けた。

 

結局、この仕事、いや、この組織には絶対入らない!と思って帰ることになった。

 

面接は会社ではなく、ファミレスだった。

個室的な席でもなく、普通のボックス席で、メール連絡を担当した方と、取締役社長?会長?が来ていた。(もう名刺も捨ててしまった)

履歴書、職務経歴書は指示通り持参していた。

履歴書には希望年収を記載していたのだが、あいさつの後、ドリンクを取りに行って戻ってくると、

「この仕事にこの金額はあり得ない。これが最低ラインだとしたら、この話は終わりにしましょう」と言うのだ。

 私「転職の方は前職年収を保障するとありましたので、希望を書きました」

 相手「そもそも転職の人であって、あなたは該当しないよね」

 私「これは前職年収ではありません。私なりにブランク分を調整した金額をあくまでも希望額として記載しました。忙しい職場という認識もありますので、この金額は自分のモチベーションでもあります。」

 相手「10年働いて、”あなたのお陰で事業が好転した”という位の実績がつけばあるかもしれないが普通はない!」

 

  ・・・という話である。

前職給与を保障するとは、その範囲の人を採用するという事であって、良い意味で捉えてはいけないのだと思った。

更に言い方である。こんな経営者の元で働こうとは思えない。

 

求人票に「履歴書無しの現場見学も可能」と書いてあったため、「見学希望」と書いたら、それにもケチをつけられた。あちらの誤りであるが、「ほかの求人票と勘違いをしたかもしれず申し訳ありません。」と言うと、同席していたもう一人の人が「もしかしたら書いていたかもしれません、すみません」と2度ほど謝っていたが、その経営者は「人を見ないと仕事ができないなんておかしい。特にキャリアアップを望んでいるような人がそんなことを言うとは」...というようなことを言われ、私の事が気に入らないのか何なのか知らんが、気分が悪い。しかもファミレスで。怒られている感満載である。

 

結局、あちこち嫌な気持になりながら「よろしくお願いいたします。」と言って帰ってきた。

店を後にするするなりジャケット脱いで、私もバカだなー。。。と思った。

 

私の市場価値を知るために、結果を待ってお断りしようかとも思ったが、自分の納得いかない相手に評価されるのもバカバカしいと思い、週明けに辞退の連絡を入れた。

同席者の方から「面接辞退について承知いたしました」とメールが来た。面接を辞退したのではない、選考を辞退したのだ。ま、あの経営者の様にそんなこと突っ込まないが、きっと仕事しずらいだろうなと想像しつつ、これで終わったと思ってスッキリした。

 

色々細々イライラする結果となって、

仕事内容や業務時間などが希望に合っていない事を重視して応募しなければよかったと思うが、

色々分かったこともあったから、

何事も経験だな、、、と思った。

 

先日の政府の発表↓

 

以前も綴ったが、

今は扶養を受けている私。

自分で健康保険に加入するとなると、健康保険料+高額療養費が1回目からやり直しになる。

年収によっては毎月の高額療養費分は減額になると思われるが、社会保険料等を合算すれば相当な額を負担することになる。

せっかく働いても...という事になりかねない。

仕事を始めたものの、やっぱり辞めよう...となると、

また主人の扶養に入れてもらえるか..というと、そうでもない。

実は私、以前の会社を退職する際、無職になったのに主人の扶養に入れてもらえなかった。1月からの収入で130万円を超えていたかららしい。これは健保組合によって違うらしいから、辞める前に知っていたら継続療養(任意継続)の手続きをすればよかったと思っている。国保では月々3万円を超える金額を請求されることになり、痛手を食らった。。しかも当時は健康優良人であったので、健康保険を使うこともなかったから、本当に無駄なお金だと思っていた。

 

そんなこんなで、仕事探しも失敗が許されないと思っていたが、

岸田総理がパートなら2年間は扶養に留まれる、しかもこの10月スタートで調整中だなんて言うから気持ちが前向きになった。

 

誤解のない様に付け加えると、

私は本来、あらゆる人が自立していた方がよいと考えていて、自分が扶養であることも納得していないが、今の日本の制度は、扶養控除を筆頭に、各種控除や助成金を受け取れるなどの家計メリットがあるため、期間限定で扶養に入っている。治療費の問題はその後発生したため、体調を見ながらではあるが、来年からは纏まった収入を得られるように何か始めたいと考えている。

 

実は8月、9月と、面接を受けていて...

失敗もあり、現在進行形もあり、、、の状況ではあるが、次回はその話を。

手の爪の色が黄色くなっている気がしていたが、

8月中旬、横亀裂が入ってきた、、、。しかも小指以外全部。ちょっと心配な今日この頃。

 

さて、随分時間が経ってしまって、このネタを書くのを忘れていました。

 

前回受診時から、タグリッソを院内処方から院外処方に変更してもらった。

最初はタグリッソの副作用等を確認するために院内処方を勧められたが、発現する副作用も安定してきたので院外処方に切り替えても良いと医師に言われていた。

院外にしたかった理由は、

 ①待ち時間が長い

 ②ヘパリン類似物質の剤型を選びたい

というのが主な理由だった。

 

両方実現するはずだったが、

②は、何でも選べるという事でもなかったので、ローションを出してもらうことができなかった。

それでも暑さ対策にフォームを出してもらうつもりで処方箋をもらったのに、薬局の都合で結局スプレーにされてしまった。

ま、そろそろ暑さ対策も不要になってきたし、やっぱり一番しっとりするのは油性クリームなので、次はどうしようかな…と考えながらいる。

 

事前にかかりつけ薬局でクレジットカードが使えることと、限度額適用認定証が利用できることを確認しておいたので万全と思っていたが、思わぬ事態になった。

病院では限度額適用認定証を出すことで、4回目以降の減額された上限金額で支払えることになっていたが、薬局では1回目と判断されてしまったのだ。それは困る。

結局6万円程余計に支払わなければならなくなる...、これは痛い。薬局でアレコレ話しても分からない者同士なので、健保に電話してみた。

すると、病院と薬局の合算で上限金額までの請求にはなるが、両者の按分やリアルタイムでの金額確認機能などは無いので、今回薬局では1回目として支払い、後で健保に書類を以って請求できるとの事。話からすると、院外処方箋にしたら、ずっとこの手続きが必要なようだ。

 

申請書は、病院と薬局の名前を書く程度のもので難しさはなかった。

差額の需給は、健保から企業に振り込まれ、企業から個人に渡されるそうであるが、おそらく3か月程度はかかるのではないかと思っている。

 

そうこうしているうちに、限度額適用認定証の有効期限が切れた。手術から8か月か...。

1月:手術

2月~:シスプラチン+ナベルビン2クール

4月下旬~:タグリッソ

 

頭髪は産毛が生えてきた。シャンプーの際にひよひよとした産毛が立っているのがよくわかるようになった。

その他、各所の体毛が増えている。

面倒だが生理もきた。

最近ちょっと太ったかも?とも感じる。

 

そして、第一子の問題を相談できる場所が見つかった。

・・・が、あまり期待しすぎないようにしよう・・

 

そして、見送っていた仕事についても再考し始めた。

治療費のことはもちろんだが、健康保険に加入する…、いや、

今ならまだ正社員というポジションも可能かもしれないという、にわかな期待..。

健康保険が変わると、高額療養費制度も1回目からやり直し。

そこに痛点があるから、何度もやり直すつもりもない。

ただ、腹痛(下痢や水様便)の症状がコントロールしきれないので、やはり自宅仕事が希望なのだが、私の経験を在宅正社員として期待してくれる職場はなかなか無いだろうと思う。

週数日のテレワークという働き方も良いが、通勤を前提にすると、やはり近所で働きたい気持ちになる。

自分の体調の事だから見極めも必要だが、面接の際に正直に話した上でどんな働き方ができるか、考えていける職場がみつかることを願う。

2年後、5年後、、、位の健康と安心と、できればワクワクを考えたい。

①脱毛の経過・・・

脱毛は随分減って、これが普通なのか?と思いながら1か月ほど経った。

最近は、以前ほど地肌(頭皮)が気にならなくなってきた。ほどよく日焼けしてきたせいかもしれないが、願わくば産毛が生えてきたと。

 

②2回目の点滴の際血管が腫れた。

4か月経っても、少し痣が残っている。しこりは気にならない。

 

今、私の頭から切り離せない3つの事、

・がん治療

・子育て

・仕事

の、それぞれにストレスが掛かった先週からの出来事。

 

先ず一つめのがん治療...

CT検査があり、その結果の診察に行った。

2週間ほど前にがん友だちから再発したとの知らせが届きショックだったのと、改めて癌の手強さを知ったためか、ちょっとしたことも気になったりしていた。

結果は所見なしということでホッとした。子供たちの夏休みでもあるし、元気な時は心も活動も元気にしなきゃ!と思った。

 

先日、"こども新聞"に元プロ車いすテニスプレーヤー国枝慎吾さんの記事が載っていた。癌を患い、手術で両足不随になった現実を受け止めた14歳の感情として、「車いすになったくらいでよかった。命があることに感謝して、悔いの残らない人生にする!」と綴られていたことに、50近いおばさん(私)は不甲斐なさでいっぱいになった。

”何やってんだろ、私。

  今やれることを元気に楽しくやろう!”

そう思った。

 

 

二つめ、子育て。

第一子が不登校になり、学校をやめることになった。

ある親戚が心配して精神科医を紹介してくれたが、本人が承諾していない診察はできないという壁にぶつかった。因みに、精神科という場所は、家族の味方とは限らないということが良く分かった。” 家族の悩み < 患者本人の認知 ” なのである。

一方で、本人が転学を希望する学校に単位照会を依頼しに行った。昇降口で成績表とカリキュラムを渡し、後日連絡をもらう話だけして終わった。所要時間3分...。だがグッタリ疲れた。

数日経って電話があった。単位照合の結果、受験できないことになった。先方では下の学年で履修済みとなる科目が現在の学校ではまだ単位取得できていないということ。

ここからは通信制高校に切り替えて学校探しをすることになりそう。

 

 

三つめ、仕事。

フル在宅で仕事ができることが最大のメリットだったが、治療中に会社のPCを返却し、戻ってくるまでに1か月。更に、データは全て消去され、今後は別のアプリを使うからと、やっとZOOMで会話できるようになったと思ったが、在宅ワークの社員をフォローするだけのパワーがない様子で”画面越しに無理”と言いだした。

日常業務の忙しさ、仕事を教える時間と手間など、理解できるが私もそれに付き合うのはストレスだし、今までもサポート体制の悪さは気になっていた。今回乗り越えても、またこのコミュニケーションは繰り返されると思って、退職することにした。子どもたちは夏休みだし、在宅仕事も確かに微妙なところはあるのよね、笑。

 

 

日日是好日...。

また報告します。