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 自己啓発系やスピ系の著作をいくつも読んできた人々が読んだら、すんなり理解できるだろうけど、それ以外の人は、どんな風に思うのだろう。「わけ分からん」とか?
 空といえば色即是空を想起するけれど、現代のスピ系の皆さんは、抹香臭い言葉を使わずに、分かりやすい言葉で、このような著作を著してくれる。角度を変え、表現を変えて、同じことが繰り返し語られているのだけれど、だからこそその度に理解が深まってゆくだろう。そして理解が深まってゆけば、認識を変えやすくなる。認識を変えた人がある閾値を超えて増えれば、世界が一挙にひっくり返るように、豊かな社会を実現することができるだろう。スピ系の著作はいずれであれ常にそのような役割を担っている。2010年11月初版。

 

【「空」を包む「罪」】
 その形なき真空のような「意識」には、これといった特徴が何もなく、それをどう呼んでいいのかさえわかりません。だから「空」としか表現できません。あらゆる波動を持っているのに、まるでそこには何もないかのようです。だからあなたは、なかなか「自分の正体」に気づくことができにくいのです。奥深くであなたは「空」である自分を知っているけれど、自分の周りに動いている波紋や波動(思考や感情)によって包まれているせいで、「空」に気づきにくくなっています。

 この「空」というあなたの正体が、あなた以外の何かによって包まれてしまうことを、古神道では「つみ(包み)」といいます。これが「罪」という言葉になっていったのです。 (p.16)
 著者の別著、『深・古事記 神ながらの道』 真名(Mana) (三楽舎) には、こういったことがたくさん詳細に記述されている。神道系の用語に慣れている方々は、分かりやすく深い学びができるだろう。
 究極のヒーリングとは、本当のあなたの「真実」を思い出すことにあります。究極の変容、アセンションとは、あなたが「空」という喜びの観察意識であるという真実を思い出すことです。(p.23)
 “観察意識”という用語を心に留めておくべき。

 

 

【感度を下げることの功罪】
 痛みや苦しみを感じないために、すべてに対して鈍感になった方が楽なので、多くの人が肉体の感性や五感をどんどん閉じていくようになってしまいます。その結果、身体が持っているすばらしい直観力や気づく力を、私たちはなかなか使わずにしまい込んでいるのです。つまり私たち人間に本来備わっている生きる喜びや幸せを感じる力を、感じにくい肉体にしてしまっているのです。(p.20)
 自分の本質的な欲求の表現をさせていないのですから、あなたの生きる情熱も躍動感もだんだんと薄れていくのです。毎日少しは本当の自分を部分的に表現できても、ほとんどが恐怖による建前の自己しか出せないような習慣にあなたは無意識のうちに陥っていることに気づいてください。まずはこの事実を知って、認めてください。(p.23)
 感度を下げてしまう要因には、ここにあるようなトラウマ的なもの以外に、日本文化独特の「ガマン」とか「慎み」とか「協調性」という概念もある。
 それぞれの日本人が、意識の本源たる「空」を包んだままの「罪」の状態で構成される「和」は、決して本当の姿ではない。
    《参照》   『ネガティブを愛する生き方』 伊藤美海 (総合法令) 《前編》
              【陰陽を表現し味わう】
              【最も理想的な在り方:わがままの勧め】
    《参照》   『あなたは本当に「今」を生きていますか』 渋沢眞由美  心泉社
              【「どっちでもいい」の弊害】

 

 

【観察意識と物質化現象】
 あなたが自分の部屋にいて、その部屋を出ても、部屋はなくならないと思っていませんか? 本当は、この部屋を出ると、部屋はあなたの記憶の中にしか残っていません。あなたが寝ている間は、部屋はファジーな半透明なエネルギーになっていたりするのです。それは何故かというと、見る者や観察する者がいて初めて物質化現象が起きるからです。(p.31)
 観察者の意識が実験結果に影響を与えているという「ハイゼンベルグの定理」があるけれど、それをそのまま日常生活に当てはめて考えると、著者が書いている通りになるだろう。
 帰ってきても部屋があるのは、記憶に基づいた自分の意識が部屋を自動的に物質化させているから。
 あなたの外側に、あなたと分離した3D空間があるという信念、これはかなり根深い思い込みです。(p.31)
 意識と物質は常に連動している。決して分離していない。
 分離しているのは、あなたの「空(観察意識)」とあなたの信念である。

 

 

【天使と人間】
 さて今回のように人間の肉体を創造して持つあなたは「天使ボディ」のときよりもずっと進化していることをご存知でしょうか。天使たちの方がこれから人間になって物質的世界を体験し、感情というものを知っていく予定の存在たちなのです。人間の喜びや悲しみ、さまざまな感情や葛藤や迷い、疑いなどについての彼らの理解には限界があるのです。彼らは二極性のバランスとか、統合のことを実感できないエネルギーの存在たちです。(p.50)
 天使は人間界より繊細な波動界(上位次元)にいるのだから・・・と、この記述は、ちょっと意外に思う人が多いはず。
 人間は「空」の次元からディセンション(下降)してきて、最下端の物質過程を生きる人型生命体として二元性を通じて多くを学び、ここから再びアセンション(上昇)を始める過程にある。それをゴルフに例えれば、人間はインの18番ホールを終了してこれからアウトを始める処と考えればいいだろう。天使はまだインの15番ホールあたり。
 ディセンションとは、私たちの意識の旅がその経験の場を拡大してきたという意味です。創造の場を広げてきたという意味です。あなたはたくさんの次元を旅してきて、今こそ最大の経験の場にいるのです。しかしいつからか、あなたは創造された側の方が自分なのだと勘違いしてきました。そのためにあなたの意識は分離状態となり、個別化された意識のままでいるのです。この間違いに気づき、源の意識である「空」こそ、根本の自分であることに気づくことをアセンションというのです。(p.50-51)

 

 

【思考の波】
 空間から流れてくる思考の波を「自分の考え」と勘違いすることは日常的に起こっています。たとえば喫茶店などで「もう帰ろうかな」とふとあなたが思ったとき、違う席の人が同時に立ちあがった経験はありませんか? 人から人へ、肉体から肉体へ、周囲に思考の波は広がって伝播しているのです。・・・中略・・・。
 思考も情報もアイデアも、ただ波動としてこの宇宙空間を流れているだけであり、誰のものでもありません。(p.73)
 新発見というものは、通常、地球上の複数の地点でほぼ同時に起こっている(「共時性」と言われている)ものだけれど、これも同じこと。
 また、これを悪用するなら、特定の人に殺意の思念を送り込んで、通常の殺人であれ猟奇的な殺人であれこれを行わせることは可能。MKウルトラのひとつの軍事テクニックとして活用されていたりする。
 ところで、高度なシャーマンさんたちとこれから先のディスクロージャーを先導するスターピープルたちは、脳は記憶の倉庫ではないという概念を当たり前に持っているから、多次元からの思考の波を容易に捉えることができるのだろう。意識が開かれている人々ほど、あらゆる次元からの情報(思考の波)を素直にキャッチできる。
     《参照》   『宇宙人がアセンションを語り始めました』 田村珠芳 (徳間書店) 《前編》
                【意識の海を漂う脳】

 

 

【呪(しゅ)】
 陰陽師が使う専門用語・・・中略・・・その一つに「呪(しゅ)」という言葉があります。「のろい」とは読みません。・・・中略・・・。野村萬斎さん主演の『陰陽師』という映画の冒頭のシーンで、・・・中略・・・「呪とは名前のことだ。つまり縛りのことだ。阿倍清明という名前は呪だ。お前の名前も呪だ、それによって縛りをうけるのだよ」
 ・・・中略・・・。呪とはいいかえればレッテル、固有名詞、観念、分析、決めつけ、判断、固めるもの、などのことでしょう。本来中立であるはずの状態や、物、人に対してある種の決めつけをすることです。判断を与え、限界を与えること。それが「呪(しゅ)をかける」ということなのです。その意味で、すべての言葉や言語は呪です。それが転じて「呪詛・のろいをかける」という応用になったのだと思われます。あなたを最も不自由にするのも、最も自由にするのも、言葉という呪なのです。(p.88-89)
    《参照》   『人生の錬金術』  荒俣宏・中谷彰宏 メディアワークス
              【言葉による所有】
    《参照》   『ブとタのあいだ』  小泉吉宏  メディアファクトリー
              【わかったと思ったとき】 【名前のコレクション】

 

 

【多次元の傷】
 さて、他の惑星や別次元での経験は、今のあなたの肉体にもしっかりと記憶されていますから、その情報に気づいて、そのプログラムをほどき、今の肉体から通過させて手放す必要があります。完了させるのです。この多次元の傷を癒すことで、今回の地球人生の課題を、より楽にスムーズに扱うことができてきます。
 この銀河系の惑星における癒しは、これからが本番です。・・・中略・・・。他の惑星の前世(?)の話も、今後ますます一般的になっていくことでしょう。ただし人間(ボディ)ではない時の傷は、かなり深刻なものが多いと感じています。地球での前世を癒す場合よりも、少し大変かもしれません。 (p.169)
 非物質生命体であった時は、もの凄いパワフルな悪事ができてしまう。『幻魔大戦』を読んだことがある人なら、その意味や感覚がわかるだろうけど、それこそ止とめどなく果てもなく壮絶である。
 チャネラーの友人の何人から「あなた、ひとつの星をまるごと破壊しちゃっているわね」といわれたことがあり、なんとなくそれは思い当たるのです。(p.170)
 過去世に人を殺したことのない人なんて、今この地球上に誰一人いない。みんな誰かを殺している。そして、みんなトンデモナク、走ってもなく、泳いでもなく、チョー、ウルトラ、スーパー、悪いことをテンコモリしている。表面意識がその時空(記憶情報)に繋がっていないだけである。だからこそ悪事が何ら良き結果を生まないことを魂の奥底で良く分かっているのであり、故にこそ平和を希求する心が育ってきた。そしてそれは、「空」に帰還すべき時の導きによって、より強く発露しているのだろう。
    《参照》   『2012年 目覚めよ地球人』 坂本政道 (ハート出版)
              【ヒトラーでも卒業するの?】

 

 

【宇宙とつながるチャクラ】
 生理学的にいうと、ヘソや丹田のチャクラが開いている人ほど宇宙と一体化できるので、おのずと不安や恐怖が減っていき、マインドや雑念とは無縁になっていきます。ヘソや丹田を開くには「呼吸」が一番です。深くてゆったりとした呼吸です。ヘソや丹田が開いていない人ほど、宇宙や人生からの分離感が強くなって、恐怖や不安が強くなり、生への情熱や欲求が薄れていくのです。柔軟で、エネルギーが循環する身体を目指してください。(p.172)
 ヘソや丹田のチャクラは、マニピューラ・チャクラないしソーラー・プレクサス・チャクラといわれるけれど、生理学的には「太陽神経叢」といわれる位置にある。宇宙につながっているだけあって、いかにも太陽系をイメージさせる名称である。

 

 

【愛され感覚】
 テーブルや、壁や、観葉植物や、天井や床など、貴方の周りのものが全てあなたの方を見ていると感じてください。それらは、やさしい目線であなたを見守ってくれていると感じてください。・・・中略・・・。このように想像するだけでもいいので、その目線を全身で受け取って、十分に感じてみてください。
 ・・・中略・・・。
 この「愛され感覚」を肉体レベルで培うことは本当に大切なことです。受け取ることの大切さを忘れてはいけないのです。あなたが何かの願いを発したとき、それは残らず宇宙の中で創造されます。ですから願いがかなっていないのではなく、あなたが受け取っていないだけなのです。受け取る体制の肉体になっていないからです。
 「愛され感覚」が鈍くなっているため、創造されたものを跳ね返してしまうのです。(p.182)
 これって、いい意味で自意識過剰人間になれってことらしいけれど、本当に続けていれば、しあわせ観が高まってきて、拒否エネルギーが消えてゆくらしい。
 他にも、いくつかの技法が紹介されている。自分に合うものからやってみるといいかもしれない。

 

 

【ゼロポイント】
 時間は直線ではありません。・・・中略・・・、時間は「常に完璧な一瞬」の連続なのです。なんら関係のない一瞬一瞬を、頭の論理で直線に結び付けることは各自の自由ですが、毎瞬は個別で独立した一瞬です。この毎瞬のことを「ゼロポイント」とも呼びます。毎瞬が、文字どおり「ゼロ」という点であり、新たな瞬間です。
「空」の決意点と呼んでもいいでしょう。・・・中略・・・。あなたがなんらかの願いを決意すれば、その時から願望実現のための「時間のプロセス」が開始されます。ゼロポイントという時間は、つねに創造のチャンスとして、休むことなく毎瞬あなたの人生に訪れます。(p.189)
 他の著作でもゼロポイントという言葉が使われていることが多いけれど、この本では、特に「時間」という側面に特化した視点で「中今(毎瞬)=ゼロポイント」と説明している。これはこれで分かりやすい。
    《参照》   『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)
              【『イケニエの法則』を生むゼロポイント】

 時間が幻想であるということについては、いろんな本に書かれているけれど、何度も繰り返して読んでいるとしだいに腑に落ちてくるはずである。チャクラの開花と共に、時間の観念が脱落してゆけば、夢と現実の境は消えてゆくだろう。

 

 

【究極の闇を祝福する: 最高の無条件の愛】
「究極の闇」の正体をあなたご自身が見据えてください。それは一体どんなものかというと・・・・。

「自分こそ、世界中で(宇宙中で)一番最低で最悪な人間でも構わない!」と、いったん認めることなのです! 「いいや、まだ自分の方が○○さんよりマシ」などと、ごまかさないことです。あなたがすべてにおいて、自分こそが最低で最悪で、単なる「ごくつぶし」でもいいのだと、受け入れることなのです。自分が最低で最悪であってもいいと認めたうえで「それでも私は私の最低で最悪を愛しています」と自分に祝福と感謝、そして愛を送ることなのです。これこそが最高の無条件の愛であり、究極の闇を受け入れるということなのです。実践するとわかっていただけますが、本当に自分の深い闇の部分が、うれしさで涙ぐんでいく様子が実感できると思います。(p.199)
 これ、極めて大切。
 「自分は悪事などしたことがない」と思っている人ほど、やってみるべき。先にも書いたように、この世にかつて人を殺したことがない人など存在しない。
 無条件の愛は、「究極の闇」ですら祝福することだから、恐れや不安に対しても祝福は極めて有効(p.175)。
 何であれ自分の中にあるネガティブなものを認め受け入れて、祝福する。無条件の愛で包む。

 

 

【本当の「成果」】
 私たちの心の奥底には「なにも成し遂げていない自分が楽しんだり、喜んではいけない」という洗脳データが強烈に入力されています。すると、なんらかの成果や結果を形のうえで出せていないうちは、楽しんだり、喜んではいけないという思いにかられます。

 しかしこれは逆です! 楽しんで、喜んで、前祝の気持ちで、ただ遊びをエンジョイしていると、勝手に楽しい形が外側にでていくのです。これは本当の「成果」です! これが具現化です!  これが願望成就です!

 あなたがなんの条件もなく、ただ楽しいことを自分にさせてあげた分だけ、楽しい成果と結果ができていくのです! (p.211)
 頭の固いおじちゃんたちがこんなのを読むと、「ザケンナ」って言うかも。
 そしたら、「カチンコチンのタコおやじ~~~~」ってチャンちゃんは言う。
   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
             【聖なる二分法】

 

 

【生きたお金の使い方】
 「恐怖のいいなりになって安全対策を練るような生き方には、今後いっさい協力しない!」と強い口調でいわれたのです。・・・中略・・・。遊びたいときにはどんどん遊んで、やりたいことを積極的に楽しんでいるときしか、もう神々のサポートがもらえないようです。本心から喜んでいることへのサポートしかもらえないようです。・・・中略・・・。
 「怖いから、なにかあるといけないから、お金は娯楽ばかりに使ってはダメ」という思いが、お金を恐怖で縛り、死に金にしています。「将来なにかあるといけないから」というのは、あまり喜ばしいことを想像していないことで、それが当然そんなできごとをつくってしまうのです。私は「お金は喜んで楽しく使うものだ」と悟りました。(p.217)

 安全対策のために、好きでもない仕事の資格を取るべく大枚をはたくのか、好きなもの、興味があるもの、情熱が湧くものにお金を使って喜びまくるのか・・・。
 「生きたお金の使い方をしろ」の本当に意味は、あなたが「イキイキ」とする使い方をしなさいという意味であったのです。(p.218-219)
 自分自身がこの考えに則してワクワクするものにお金を使うことができても、多分、不安が生じてしまうだろう。なぜなら、周りの人々は依然として従来通りの“お金意識(社会意識)”に縛られた状態で生きている。ということは、先にも書いたように、集合意識の中に、お金に関する恐怖感と罪悪感に満ちた【思考の波】が常に重く厚く存在していて、それが常にあなたの脳内を擦過するからである。社会意識に負けるな!
 社会意識は、お金以外にも人間に様々な制限を与えている。そもそも社会自体が、人間を「空」から遠ざける巨大かつ強力な洗脳体系である。
    《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
              【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 

 

【我欲ばんざい、穢れなし】
 「我欲ばんざい!」なのです。我欲はうつくしいものだということです。どんな「我欲」も「いやさか」なのです!
 ・・・中略・・・。
 古神道の宮司さんから聞いた話です。
 「七福神などの富裕の神々は物理的な肉体を持っていないから、喜びを自分では感じにくい。そのため喜んでいる人間にくっつくことがある。そして、その人が喜ぶような現実をどんどん作ってくれるのです。そうやって神々は人間から喜びを共有させてもらうのです」
 だから私が感じていた喜びをイチキシマヒメも「うれしいぞ!」といったのでしょう。神々はあなたが善人であるとか、清く正しく生きているとか、真面目であるとかには興味がありません。あなたが、生きる喜びを感じているかどうか、いのちに敬意を払っているかどうかに興味があります。(p.221-222)
“生きる喜びを感じている”状態こそが、穢れなき状態である。(元気が枯れる⇒気枯れ⇒穢れ)
 ということは、悪事目的であれギラギラと輝いて元気いっぱいの人の方が、しけ込んで蟄居しているだけの善人よりはるかに神の目に叶っていることになる。神とは善悪の両面を供えたエネルギーであり、悪の強大なエネルギーは転ずれば強大な善のエネルギーでもあり、ちっぽけな善のエネルギーは転じてもちっぽけな悪のエネルギーでしかないからである。
    《参照》   『世界支配者vsライトワーカー』 サアラ×玉蔵 (ヒカルランド) 《1/4》
              【「やつら」と「私たち」、どっちが輝いてる?】

 

 

  Mana(真名)

     『空 舞い降りた神秘の暗号』

     『空 天翔ける歓喜の弥栄』

     『深・古事記 神ながらの道』

     『宙が教える「受け取る」の仕組み』

 

 雑誌にあった著者の記事をリンク。
    《参照》   『スターピープル Vol.40』 (ナチュラルスピリット)
              【ライトボディ】

 

<了>