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 『空 舞い降りた神秘の暗号』 の続編。著者の本も学びが多い。昨年読み終わっていた本の読書記録がまだ書いてないけれど、このような自分自身の意識進化にかかわる本は、読後、直ちに記録を書いておいた方が自分自身にとって断然有効だろう。この著作も「空」をいろんな角度から記述して、読者の意識進化促進をサポートしてくれる。2011年11月11日初版。
 それにしても、久々に読書記録を書いたら、えらく長ったらしいものを書いてしまった。あまりにも長すぎて、誤字脱字をチェックするために再読する気になれない。

 

【自分を観察して知ること!】
「空」とは「意」のことです。
自己のMAXの可能性のすべてを知りたいと願う、喜びあふれる「意図」のことです。
そして、その可能性のすべてを「空」はすでに「記憶情報」として内包しているのです。

自己を知っていくことを抜きにしては、本気で「自他ともに栄えていこう!」とか「弥栄(いやさか)で生きよう!」などと宣言できないのです。
自己のすべてを知ろう! と意図して、あなたはビックバンを起こしたのです。
自己を知るという根源的な意図以外のものは、オプション的な喜びや楽しさでしかありません。

教え込まれた「~だと幸せになれる」というものを手に入れただけでは、深い満足は得られないのです。

人間的な生きがいや、生きる喜びそのものを探すことが人生の目的というより、「あなた」が神の目として豊かな可能性のすべて(あなたの構成要素・情報)を観察していくことが目的であり、それを体験して知ることが喜びなのだということです。(p.10-11)
 私たちは、自分自身を経験し知るために、あえて、神(一元)なるものから分離して相対性(二元)の世界に降りてきたのだけれど、二元性の世界に埋没してしまって、本来の目的を忘れてしまっている。
    《参照》   『神との対話 フォトブック』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版)
 しかも、この地球社会に生まれ出た時から地球に蔓延っていた二元性を基盤とした社会意識に則して生きることが幸せだと思いこんでしまっている。まずは、この社会意識自体が我々の意識を拘束しているコントロールグリッド(支配網)であることに気づくこと。
    《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
              【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 

 

【社会意識に縛られているかも・・・】
「~べき」には振り回されないでください。

もし、あなたが女性なら、結婚して子供を作ることは、人生の必須事項ではありません。
あなたが男性なら、家族を持って妻子を養うことが、人生の必須事項ではありません。
必須事項でないからといって、大切ではないとは言っていません。

ただ、それらの体験は、あなたという「空」が人間を知るための方法の一つにすぎないのだと知ってほしいのです。

多くの魂が、今世は結婚しない、子どもを持たない立場を自由意思で選んでいます。
この自由意思は、おおいなる全体意識「空」の意思です。

今回子供を持たないのは、以前の人生で、人口爆発に貢献するくらい、多くの子供を持っていた体験があるからという理由もその一つです。
すでに経験済みだから、今世、子どもを持つことを選ばない人もいるというだけです。

良い・悪いという話ではありません。各自のハートの喜びに従って選択すればよいのです。
自分に社会的なプレッシャー、罪悪感、または負け組のような発想を持つことは絶対に必要ありません。(p.19)
 本当は独身なのに「結婚してます」って嘘をついてる人が、時々いるけれど、それって、社会意識に縛られて罪悪感や負け組的な意識を持っている証拠。
 今、この時代を選んで「地球で生きること」を選んでいる魂なら、任意ではあるけれど基本的に結婚は主要な目的ではない。
    《参照》   『クラリオン星人コンタクティが体験したアセンション〔量子転換〕のすべて』 マオリッツオ・カヴァーロ
              【クラリオン星の家族と結婚】

 

 

【あなたは観察意識】
あなたは肉体でもなければ、山田A子さんという人格でもありません。
あなたは、山田A子さんを担当し、彼女を通じて周囲を観察している意識の側です。

あなたも、あなたの家族も、友人も、全員が人間ではない。ましてや、肉体でも、感情でも、思考でもないのです。

私たちは一度も生まれていなければ、消滅することもない“たった一つの全体意識”なのです。
本来あなた自身には“形”はないのです。まさに真空です。

これを忘れているとき、すべてが深刻すぎるドラマになっていくのです。
今まで、あなたは自分自身のことを人間だと信じこんできました。だからこそ、シリアスな感情を体験できました。(p.14)
 マトリックスのような映画を見ている人なら、「自分は人間ではなく観察意識である」というセンテンスを無理なく受け入れることができるかもしれない。
 今でも、愛憎タップリがダイナモとなっているドラマが多く放映されているけれど、このような愛憎タップリ系ドラマを好んで見ているような人々って、観察意識とは真反対の主観意識に完全に囚われてしまっている人々なのだろうと昔から思っている。感情に翻弄されてドラマを見る側ではなく、ドラマを作る側へ、さらには自分自身の人生ドラマを客観的に観察する側へと意識を移行していくことが大切だろう。
あなたは現在に至るまでに、実にたくさんの「あれ」や「それ」や「これ」の中に入りこんで、それらを実感体験してきました。
それがいき過ぎて、一定の波動バイブレーションだけになじみ過ぎてしまし、それ以外のバイブレーションを忘れてしまうほどに!

鉱物も、植物も、動物も、いろいろな神々や天使も、幽霊も、妖精も、ドラゴンも、宇宙人も、星々も、ペガサスも、なんでもかんでも実感体験を楽しんで“知って”きました。
だから、魂にその実感データを記憶として刻むことができ、それをいつでも思い出すことができるのです。

そして、今やあなたという意識は、“人間ボディ”にこよなく愛と興味を持ち、人間ボディの中に意識を保つことで、その生命体のありようを実感体験しているのです。
あなたという意識が、人間ボディが持つ「感情機能」や「身体感覚」を限りなく「知りたい!」と思ったからです。

感情がいったいどんなときにどう動くのか、そしてその結果、どういう振る舞いをするのか、とても知りたかったのです。
「あなた」は肉体のエゴを観じて知りたかったのです。
まず、恐れに満ちた動物的な人間としての側面を、そしてやがては“神人間”(光の神柱)としての本質に戻っていく(アセンション)までを観察しようとしたのです。(p.22-23)

 

 

【“知っている”を前提にして「思い出す」】
あなたは、あなた自身をもともと知っています。すべてがあなたの中にあったのですから。
すべてを知っていて忘れただけだから、あとは思い出すと決めればいいだけです。
そのとき必ず、“知っている”を前提にして「思い出す」と意宣ってください。
「自分を知らない。わからない」を前提にしたままでは、思い出すことはできません。(p.25)
 スピリチュアルなことに興味がある人の殆どは、「自分の魂の目的が分からない。それを知りたい」と思って、セミナーに出たり本を読んだりして、答えを教えてくれそうな人やヒントを外側に求めている。でも、「それじゃあ、NGだよ~~~ん」といっている。ドヒャ!
 全体意識から自分を知るためにわざわざ分離してきたのだから、自分自身が自分自身を知らないわけがない。
 だから、“知っている”を前提にして「思い出す」と意宣る(いのる=意図して宣言する)。
 幸せ探しの正解として、『青い鳥』の話は有名だけれど、魂の目的に関しても、やはり同様かも。
   《参照》   『本を読む人はなぜ人間的に成長するのか』 ハイブロー武蔵 総合法令
             【人生の目的】

 

 

【光の神柱(かんばしら)】
“光の神柱”という最高最大のいのちのエネルギーを、“喜び祝う方向”に使っていくことで、そのとき初めて繁栄・拡大・成長・発展が起こるのです!
 ・・・(中略)・・・ 
「今」を認め、今を喜び、今をほめたたえ、今を育むことです。
「今」を否定すると伸びてはいかず、栄えていかないのです。

あなたは、あなたの“いのち”を喜び祝う気持で使っていますか?
いのちを喜んでいないときパワーダウンし、オーラという電磁場が弱まり、豊かな状況を引き寄せるパワーがダウンします。
すべてのヒーリング、癒しは、このスーパー・オーガズムな喜びを感じていくことです。
最初に存在したときの「光の神柱」状態を思い出すこと、これは日々意識していかないとかなり忘れてしまいます。(p.46)


「本来の光の体に戻る!」「光の柱に戻る! そうする! そうなる!」などと意図し、光の柱を降ろしてください。
これはたんなるイメージングだけではあまり効果がないのです。
そういうたんなる想像だけでは頭の中にと止まってしまったままでしかなく、一瞬よい感じにはなっても、日常の現実が変わっていくほどの強烈さはないのです。
細胞レベルにまで実感して染み込ませて、細胞の質そのものを変え、波動をあげるように意図してください。(p.47)
 最後のセンテンスが極めて重要。
 変えたい現実がある日常は物質世界だから、物質である肉体の最小単位である「細胞レベル」にまで意識を浸透させるようなワークであってこそ、初めてパワフルに機能する。
    《参照》   『「運命の人」は宇宙が教えてくれる』 木村衣晴 (サンマーク出版) 《前編》
              【細胞に愛を届けるセルフマッサージ】

 

 

【行き詰まるなんて、本来はありえない】
身動きが取れず、行き詰まっています。
そういう相談を受けたことがあります。 ・・・(中略)・・・ 。

私たちは、「感覚・感情」を知りたくて肉体を持ちました。
だから、「行き詰まる」感覚を味わってみただけ。
それ以上でもそれ以下でもありません。

「身動きが取れない」という“思考”、この思考も「言葉」で成り立っています。
言葉はレッテルですし、“呪(しゅ)”だと最初の「空」の本にも書かせていただきました。あなたのエネルギーは、レッテルによって、つまり“呪”によって文字通り呪縛され、制限されます。(p.51-52)
    《参照》   『空 舞い降りた神秘の暗号』 Mana (三楽舎)
              【呪(しゅ)】
そして、制限を設けることによって、そういう実感体験もできるのです。
何かの制限、レッテル、分類、言語によってこそ、そこが体験できます。

そして、今この瞬間、その「レッテル」「言葉」「思考」に意識を向けているのは、ほかならぬあなたです。
行き詰まるなんてことは、本来は宇宙にはありえません。すべては変化しています。
もし行き詰まるように見えているなら、自分自身が同じ何かを“再創造”しているというだけのこと。(p.51-52)

 

 

【好きにやっていればいい】
人間は、ほかと比べて、特に何でもないのです。(p.58)
 上記の書き出しは、「宇宙や自然界からすれば、人間生命体は“必需品”ではなく、定まった役割も決まった使命も、意味も意義もない。」という揺るぎない事実から派生する別表現。
 しかし、地上世界の教育によって洗脳されて、それを受け売りしているだけの人は、「そんなこと、あるのもか! 人間は霊長類の長として最高に進化した存在であって、こんなに高度な文明を築いているじゃないか」とかって言うんだろう。でも、そんなのは、人間よりはるか高度に進化した存在たちを認識できず、知らず、なおかつ、地球という閉じた系の中だけでしか考えることしかできない人のみがさも言いそうな偏狭すぎる見解である。
 また、社会意識が染みついていて勝ち組・負け組という区分意識に支配されているなら、両サイドとも、「負け組側の諦観だろう」くらいに解釈するのかもしれない。
でも、何か問題があるとしたら、この“何でもない存在”であることが「いけないこと」「ダメなこと」「バカなこと」のように教え込まれてきていること。
だからエゴ人格はがんばる。
だから世間や周囲に向かって、何とか自己証明をしようとやっきになって孤軍奮闘するわけです。

少しでも多くの人に認めさせるために。
少しでも多くをアピールするために。
地位、名誉、財産をそのためにほしがる。「こんな自分じゃダメ」という否定からのスタートばかり。
自分の純粋な喜びと楽しさからスタートせず、“何でもない自分”を隠すために。

悟った人、聖人は、ただ自分が自分であることを楽しみ、祝い、遊べています。
他者に証明する必要性が全くないからです。
至福だとあえてアピールすることもありません。
 ・・・(中略)・・・ 。
真の聖人は“何でもない”存在です。
だから逆に目立たないことさえあり、目立とうという踏ん張りもありません。
威厳も威光も、周囲に対して感じさせたりはしません。
神々しささえもないのです。
それらはたんなる虚栄だから。
本当の神、聖人は、意外にも民衆の中に紛れ込んでひっそりと存在しているのです。

だから、「私なんて、どうせ誰からも必要とされていないんだわ!」などと悩むほうがおかしいのです。
私たちは基本的に、もともと何でもない存在で、“ゆとり”“おまけ”“あそび”“ムダ”“余分”なのです。
私たちは、誰かの期待に沿うようにがんばる必要などないのです。
純粋に自由意思なのですから。
だから自由で楽しいのです。好きにやっていいのです。本当に好きでいいのです。(p.58-60)
 人間には本来、意味も意義も使命もないからこそ自由なのだけれど、この自由に則すると、逆説的に“自分の意義”がわかるようになってくる。しかし、この時わかるようになる“自分の意義”は、社会的な存在価値としての“自分の意義”ではない。
 社会意識というのは、自由に則するのではなく、自由を束縛することで出来ている。出発点での方向が真逆である。この違いを理解せずに、典型的な社会意識である「世間体」こそが大切であると思いこんでいる人が、この記述を読んだら、「ふざけるな!」のひと言で終わらせることだろう。でもまあ、そのような認識レベルの人が、このような本を手に取ることは、そもそもからしてないだろう。